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鉄道懐かし
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東急旧3000系列を語る [無断転載禁止]©2ch.net
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戦前生まれで平成元年まで現役であった東急の3000系列を語ろうぜ。 - コメントを投稿する
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2番取れました(^o^)/
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一番新しいバス窓の車両が一番最初にいなくなった
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>>3
荒らすなゴルァ!! -
海坊主の改造はいただけなかった
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あれもあれで良い味なんだがな。
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何気に後輩の5000系や5200系・6000系より長く活躍した
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高額住宅地域に使われただけあって、室内はキレイにしてあったな。
東武鉄道の汚ない板の間電車とは雲泥の差。 -
>>7
いや、いただけ無いだろ。
昭和48年、3000系列最初にクハ3850が海坊主にされた時、
これ絶対外れ、不細工だと思った関係者はたくさんいたはずだと思う。
あれで止めておけば後年の汚点は無かったのに。
後、いただけなかったのは3650の下り貫通化だな。
結局、無駄な改造に終る事は読めたはず。 -
>>4 池上電鉄引継ぎで戦後の国電63形見返り供出の初代3250形や
定鉄との兄弟盃?で北海道に旅立った3600形の3両
昇圧前後に改造や譲渡で波乱を迎えた 東横引継ぎの3100形
新造の同族(二代目3250形)にとって代わられ上田経由で敵地要塞西武工房に流れ伊予鉄に行った仲間もいる3350や
3450形のプロトタイプ3400形
他3150,3200,3300形一切無視なの? -
国鉄出身の東急3000系ってありましたっけ?
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3300(省)
,3600,3660,3760 -
ζ
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/ | < >>1糞スレ立てるな
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>海ぼうず化以前の更新時に改造
・・・は3654のみ、3652と3656は更新時に海ぼうず化 -
3651・3652 一次更新で海坊主
3653・3654 一次更新(偶数貫通)→二次更新で海坊主
3655・3656 一次更新で海坊主
こうか? -
両運転台車が残り汎用的な用途目的があった3450形が3500,3650と将来違う使用構想があったのは理解できる。
・・・マアそれでも長野電鉄5000形先行譲渡を皮切りに将来これ等3000番台M車の淘汰時期が大差ない時期になるのが、ほぼ確定していたのに
3500を間抜けな禿アタマしたのは不可解。
また片運転台化後の3500形は広幅貫通路以外ほぼ同じになった3650形と将来別々の使用構想を目論んでいたのも解せない。
ハンパな醜い姿にしないで西鉄宮地岳線の300形くらい冷房積んだり方向幕付けたりして欲しかった
・・・そういうハンパなトコが東急らしい(東急クソリティともいう) -
3500や3560は張り上げ屋根にしてもライトはオデコライトに留めておけば良かった。
ついでに3650の貫通は止めておけば尚良し。
どうしようも無い会社だな。 -
どうしようもない鉄ヲタの戯言
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>>21
おデコにはライトじゃなくて、本来は手動式電照方向幕が組み込まれる予定だった。
ところがどういう理由があったのか今となっては解らないが、結局それは見送られてしまい、あのデコっ八のつるっ禿スタイルになってしまったんだよ。 -
3500 は、トレンディエンゼルの斉藤さん。
昔は窓が大きく軽快で東横一のイケメンだったのに・・・
更新でギョロ目の剥げオヤジに・・・
俺は3500の更新より3800の更新後の変わり果てた姿が残念!・・・で十和田譲渡で再度運転台復活とか間抜け
禿ギョロ目更新しない姿で十和田に嫁いだほうが、十和田のプロパー車の姿に近くて馴染んだと思う。 -
3500は一次更新で止めておけば良かった。
一次更新の姿が完璧だった。 -
『一次更新の姿が完璧だった。 』に同意。
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3400形と3450形の日車製は、更新前のオリジナルが一番だと思う。
それぞれ戦前の川造タイプと日本車両タイプの発展型的スタイルが好き。 -
>>28 ギョロメが、嫌なの・・・
バス窓の側面とか過渡期的スタイルが魅力なのに・・・ -
3800は2両しか製造されなかったのが悔しいな。
せめて10両位、製造して欲しかった。 -
子供の頃3800同士のすれ違いがないのを不思議に思っていた。
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3800で張り上げ屋根を採用(但し 登場当初の写真を見るとそれ以前の布張屋根の車と同じ位置で
屋根を灰色?塗り分けて居る様な・・・)したのに、
その後の全金車体更新3600,3670,3770,3550 事故復旧3508,3472では何故 張り上げ屋根を止めたのだろうか?
編成美を考えるなら 3000グループでも戦災国電復旧で機器的にも異質の3600,3670,3770について張り上げ屋根採用で他車と一線を画しても良かったのではないだろうか・・・
で、そのくせ後年 剥げ頭更新開始・・・
3700や3450が、一時更新で終わったのに、いきなり3800が二次仕様の更新を受け(長く使う見込みなら解る)た癖に比較的早期に十和田に譲渡されたのも解せない・・・
十和田の指名買い? -
たぶん3450は最初に廃車、3700は規格型だから3450に続き廃車予定だったのかも?
その歯車が何処かで狂って3450は全廃まで残ったのかも。 -
それは長電が5000を要求したからだろ
だから譲渡及び廃車予定の未更新車3450を、最後まで使わざるを得なかった
東急は新車導入や車輌の置き換えなどの計画は、結構こういう事が起こる
・目蒲・池上線への7200の大量導入の予定を急遽変更し、在来車の海ぼうず化
・3450の長電への譲渡を含めた全廃計画の見直し覆
・8000の13号線、及び9000の7号線への乗り入れ計画中止
・8500の5000への置き換え計画変更
などなど… -
最近でも1000の転用で新車費用を浮かす事が可能となった為池多摩への2代目7000の増備中止→結局打ち切り
2代目5000での8500全車の置換計画の中止
とかあるだろ。
後8000の副都心線乗入計画中止はホームドア採用によるものだろ?
都営三田線6000の東急乗入計画中止と同じ理由だ。 -
3450と3500、3650は昭和30年代までに車体を京王みたいに17.5mの新造車体に載せ換えれば良かったな。
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車内は徹底更新されても、ハコが古いとボロに見えるよね
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趣味的嗜好を無視して考えれば 小田急の先代4000形方式の更新の方か得策だったワケで
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でも東急の場合大型化する必要がなかったから車内更新に留めたんでしょ
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3000系は何で後輩の5000系や6000系より長生きしたんだろ?
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京王方式で車体新造すると京王1800形みたいな正面三枚窓か。
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>>41
5000系と6000系は池上線で使えなかったためという説も… -
>>43
その池上線で、今は新旧7000と1000が活躍しているのは皮肉だよな -
はあ?蒲田が高級住宅地?
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3600とかは、標準車体に改め車体は造り直したけど 目に見える形(ステンレス車体にするとか 両開き扉採用、軌道の150形に準じた意匠のモノにするとか)
で改めないと対費用効果は低いな。
東横線や新興の田園都市線に新車や真新しい商業施設駅設備を派手に導入したがる癖に
こういうトコロが 東急クソリティな訳で・・・ -
なんだか共産主義国みたいだな。
北京や上海みたいな大都市見てると世界一の先進国に見える。
しかし一歩外れたら…
キューバも過大評価されすぎ。
そりゃ国保は充実してるし、ゲバラは医者だし、南米の医学生は皆キューバに留学するが。
一般の観光客には穏やかなリゾート。
それは「お客様」の場合。
実際国籍持って住んでみたら北朝鮮並みの貧しさと管理体制が待っているのだが。
車は半世紀前のアメ車か何十年もモデルチェンジしてないソ連東欧の車ばかり。
まあ上流階級なら世界最高の医療を受けられるが、そうでなければ実質受けられない、肥満と依存性と銃が待ってるアメリカにも言えるが。 -
監獄ドアは嫌だった(5000も)
そんな俺は生まれも育ちも小田急党 -
監獄ドアは嫌だったけど、怪我人が減ったのはたしか。
あの時代小田急、京王、東急で通学してたけど、なぜ東急だけ線路にガラスが散らばってたのか不思議だった。 -
>>47
車体の緑色がなぁ… -
緑電か歌舞伎にされたらそれはそれで余計あわれ
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池上線の3200
大井町線沿線に住むガキ俺には、ア然とした
座ると足が付かず、窓は一度引き上げてずらして落とす、全開
開けたら、重い重すぎる こどもでは閉められない
また、日よけは、鎧式だったと思う -
>>52
おおおっ! -
デハ3800とクハ3850もたしかよろい戸式だった。
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3200,3150は、川崎造船タイプの中でも 阪急600や奈良電1000と同じ系統の
貫通扉が付いて前面が折り妻ではないタイプだな。 -
3200に挟まれてたリベットだらけのポンコツ サハ3100、後年 加悦鉄道訪問した時見かけた
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デハ3469解体
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デハ3469は、千葉の学校でです。
でももう一台はデハ3450唯一の冷房車になり、奇麗に整備されて残ってます。 -
>>60
あれ、3455じゃない? -
最初3455と3469の2両が渡り、しばらくして3469が解体、3455は家庭用エアコンを取り付けてが津港施設の一部となった。
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すまん、「が津港」は「学校」
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デハ3455は東急が買取り、末期姿に戻してから博物館に展示すべきだ。
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>>41 6000は、駆動装置が特殊 セミステン(大幅な軽量化は出来ていないし、車体も骨組みは玩鉄車なみに腐る・・・つまり塗装の手間が無いくらい)
5000、6000共に3000より維持費がかかる
3000は、旧態依然ながらコンサバな造りで大多数抱えて来たので予備品もある。とにかく丈夫
地方私鉄は地元利用者の為とにかく目新しい電車が欲しかった 維持費はともかく岳南の例のように軽いので使用電力
(運転コストが抑えられる)当時は景気も良かったので後年 華奢な車体の5000の維持費が嵩みだしたら次の代替え車供給も杞憂する必要性が無かったのでは? -
>>64 しない電車! 新車供給も侭ならないのに、そんな事したら
株主や沿線民が激怒 態変だよ。
最優先事項は、不動産をはじめとした稼げる兼業
鉄道は需要なインフラ(沿線の不動産価値を高めるための動脈)ではあるが、鉄道運賃や設備投資は許認可制なので思うように事が運びにくい。 -
だよなぁ
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>>62-63
どこの学校だ? -
東武も似たようなもんだと思う。
俺たちだけだぞー、車内にゴキブリホイホイが置いてあるのは
俺たちの母さんはな、赤羽線だったんだぞ!! -
そうい名鉄に行った3700は名鉄では重宝されていたらしいな。
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>>65
3000は重くて地方私鉄には入れられなかったってのをどこかで読んだ気がする -
日立に送られた日本初のVVVFは何番だっけ?
こどもの国線のような、派手に塗られたやつ -
>>73
3552 -
>>75 牽引車として道連れに3450形も一両行ったよな。
田園都市線 中央林間延伸前に中央林間に設けた油圧式車止めの特攻餌食で絶命した可哀想なクルマも3450形には居た
初代3000グループ中 一番幸運なのはデヤ3001かもな。
下級身分出身(大東急時代の流れモノ&戦災復旧)ながら 民鉄初の検測車となり グループトップナンバー3001を拝命し
最後まで車籍を残し東急線を離れてからは、東急車両で満身創痍で入替車として力尽るまで働いたのだから・・・ -
旧3000系列は5000と比較すれば地味ではあるが結構味があるよな。
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>>71 規格型故 使用機器とか パット見の外見は名鉄3800に似てるけど、
コチラは3扉だし、製造メーカーも違う 同じ旧型でも内装がスッピンで古色蒼然
の名鉄3800と ロングシート3扉ながら近代的に内装を
リフォームした3700改め名鉄3880では雲泥の差だったな。 -
でも走りは名鉄3800のが上
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>>79 パイプカットされて居たんだもの・・・。
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東横線の急行として、また京浜(京急)線への直通としても考慮されデビューした花形スターの旧1000形
のちに3500形に改番された後にも、3000系列の中では側窓も大きくもっとも美しい外観を誇っていた
ところが海坊主に変身して全てが台なしになり、晩年になり名車と言われた3450とは正反対の評価をされ、惜しむ声も上がらずにあっさり解体されてしまったのは、余りにも気の毒だった -
>>81 3500の更新改造は晩節を汚したけど、
戦後生まれの量産Tc3850の更新前は、中途半端に野暮ったくて恰好悪かった
(同様に同じ時期この車体を標準車体更新として更新3550とかも)したと思う
3800と同時に製造した分だけでも同じ車体にすればよかったのに・・・
3800の近代的な車体なのは試験的な意味?
3850が古典的車体で造り続けられたのは、連結相手になる3450、3500との釣り合いを考えて?
しかし その後 新しいタイプの標準車体を造り乗せ換えた3600,3670,3770,事故曰くつきの3472
・また標準車体寸法でないが同じ様な見立てで車体を造り直しM車に復帰した焼損車3508は、
何故 シルヘッダー無しなのに3800と同じ張り上げ屋根を採用しなかったのだろう。
前照灯の埋め込み⇔屋根取り付けの迷走も気になる。 -
綱島→日吉でかぶりついたデハ3600の力走が今でも脳裏に焼き付いている
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デハ3600の馬鹿力、すごかったね。
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東武78と同じHS269だっけ確か
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大東急発足後 最初に東横系に投入(最初から3000番台を襲名)した3650は、
時節柄電装品が間に合わなかったそうだけど、
そのくせ元住吉工場には沢山のモーター等の予備があったので(運輸大臣を務めた
五島慶太政治力?)戦時、戦後の資材不足の時期大いに役立ったとあるのだが、
矛盾している様な・・・ (要はM車はこれ以上増やさなくても<3650を電装しなくても・・・>元来M車が多かったから・・・と云う事か?) -
西武鉄道や京急はつい最近まで環状8号線(道路)は平面交差だったが、東急線は1970年代に成し遂げていた。当時それに政治力を感じたものだった。
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>>86
若干スレチだが、同じく政治力が強かった堤康次郎を総帥とする西武鉄道も、戦後大量の
国鉄発生部品(モーター・台車・コンプレッサーなど)を保有し、501系などのMT-40型MM
、701系TcのTR-11台車やAK-3型CPに至っては、昭和50年代製造の2000系(増結用2連)にま
で流用していたな。 -
GMからNキット3700系再生産、いろいろ作れるのでげと
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>>88 AK-3型CPに至っては、昭和50年代製造の2000系(増結用2連)にまで流用していたな。
国鉄と同じパーツの新品かと思ってましたが、中古品だったんですか。
車両にお金をかけないポリシーは筋金入りだったんですね。 -
昭和38年に池袋線で私鉄初の10連運転をしたくらいだから、1両でも多くの車両がほしかったんだろうね。
なにしろ昭和40年代中頃まで「質より量」の方針だったし、「三河島のお古」もあながち嘘とも思えない。
軽量車体やステンレスカー、回生ブレーキなど現代の常識となっている技術を昭和30年代から積極的に
導入した東急とは好対照だな。 -
三鷹事件の事故車の払い下げとかあったし、
質より量とは云うけど、昭和30年代半ばになると旧型国電の払い下げ車
は、国鉄自体でソコソコ更新整備を済ませていたので割高になっていた。
今後の耐用年数や維持費を考えると・・・
で相鉄も2000の増備(国電払い下げを止めた)
そんな中 曰くつきの事故車は恰好の獲物だったのだろうな。 -
そんな質より量の時代の西武線が大好きだったよ
全鋼製なのに動き出すとツリカケ音と強烈な振動。最高だったね。 -
そんな西武が、昭和40年の旧国最終払い下げ(371)から
二十年経たたず関東で冷房化率で上位に入ったのは、西武マジックだな。
技術革新に振り回されつつ新規投資!→しかし見直しの繰り返しで
生半可な投資ではなく投資にはメリハリが必要だな。 -
再投資で赤字作り続け法人税納めずに拡大する西武クオリティ
小綺麗にしてたら税務署に睨まれちゃうとかね、妄想だがあながち -
加悦鉄道が、ボロボロの抜け殻 サハ3100を遥々関東の東急から客車用として買ったのは
津軽が重たい川造形(所沢工場手入れはしてるが)の西武クハ1151を客車にして買ったの以上に
不可解。
古い電車の抜け殻を客車として活用するのはお隣の北丹が南海の卵を買ったり
羽後交通や山形交通尾花沢線の例を参考にしてのかも知れないけど・・・
なら南海の簡易鋼体化車(台枠は古いが)とか 同じ東急ならサハ3350もう少しマシなタマがあったと思うのだが・・・
その辺の経緯誰か知りません? -
>>96 90年頃まで非冷房の地下鉄乗入れ車両を保有せざるを得なかった東急に比べ、地下鉄乗入れが関東大手私鉄では最も遅かった西武には、そのような制約がなかったことも考えないとね。
まあ、与太話書き込むのも結構だけどさ -
510みたいに庇のあった車両もあったよな。
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