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ビートルズ
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★巨大本?アンソロジー?をネタに語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
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大きくて、重くて、厚くて、字がとても小さい、
巨大本ビートルズアンソロジー日本版
2000年10月5日発行 もっててもダルくて、めったに見ない
しかし、細かい字をよくよく読むと、新発見が、けっこうある
たとえば266ページの、ショービジネス界におけるゲイとの関係を語る
ポールの発言等、
何々ページのこんなところに、ジョンの面白い発言がありますよとか
教え合いましょう
何々ページのここが新発見とか、皆さん お願いします
では、分厚い巨大本を手にして、レッツゴー! - コメントを投稿する
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文庫化してほしい
話はそれからだw -
大きくて、重くて、厚くて、字がとても小さい
ので売り払ったw 気軽に読めなかったからな。
こういう本こそ電子書籍がいいわ。 -
近所の小さな本屋でBBC本を見かけた
いつまで返品されずに置いてあるだろか -
初版持ってるんだけど、最初の方のジョンのパーソナル的なこと書いてる章で、
ページ跨いで同じ文章が数行ダブってる編集ミスがあったな。 -
分冊か電子書籍で出して欲しい
日本語版と英語版両方持ってるけど重くて重くて6割読んで放置してる… -
見るのも読むのも苦行
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巨大本アンソロジー日本版の、53ページの下から54ページの上にかけて
ジョージ自身が、ハンブルクで童貞を捨てたシーンを、自ら語っている
その場にはジョンとポール、ピートもいて、終わったら全員から拍手喝采をあびたそうなー
こんな事実は、このアンソロジー本が初出だった
息子のダニー君がここを読む時、どういう感情になるのだろーか?
その次のポールのインタビューも興味深い
ジョンがやってる最中の部屋にボクが入っちゃった
そんなことはハンブルグでは日常茶飯だったーと、
温厚なポールが語っているのである
巨大アンソロジー本、恐るべしー -
若い新規のビートルズファンのために、ここで少し、1990年代なかばからスタートした
「ビートルズ・アンソロジー・プロジェクト」について、説明しておこう
ビートルズ自身の会社アップルが、ビートルズの誕生から解散までを、公式として
未来永劫、誰にでも理解出来るように、残しておこうという企画から発足された
フォーマットは3種類存在し、以下の順番で、順次発表、発売されたのである
?DVD&VHSビデオ= 映像関係
?CD&LPレコード= 音関係、主に膨大なる未発表音源、ライブ&スタジオアウトテイク等
?本= 活字&写真、出版関係
以上のごとく、映像が出て、音が来て、最後にプロジェクトのフィナーレとして、
本が出版されたのである
当時、どんなカタチで、どんな本となって出てくるのか、ひじょうに楽しみに待っていた記憶がある
出て来た本は、とんでもなく分厚く、大きく、重い、シーソーヘビィ〜♪な本だった
2000年10月時点で定価は6800円、プラス消費税3%だから、約7000円というところー
大きくて、重くて、厚くて、字がとても小さい、
巨大本ビートルズアンソロジー日本版は
こうして、産声をあげたのである -
大晦日に6時間のテレビの暴挙
紅白に惨敗 -
エルビスに自前のピックを手渡せなかったマルの悔しさ
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今は、ヤフオクなら3,000円くらいで買えるかな
なかなか貴重な写真もあるし、たまに取り出して読む
その他の自伝や伝記や本人達のインタビューなどを
読んでると今はそう特別目新しくもないと思うけど
ファンならもってて損はないよね
発売当時、サラリーマンのお父さん達が
本屋で重そうにこの本を抱え
ニュースのインタビューに答えてて「嬉しいです!」ってメチャ楽しそうに答えてたのを覚えてる
ちょうど「1」の発売前後だったよね 盛り上がってたなあ -
もう16年たつのか、早いなあ
全然読んでないけど箱入りでまだ持ってるよ
ウニオンにビートルズ本ずいぶん売ったけど3万くらいしかならなかった
レココレなんて一冊一円でやんの -
オレはまずはヤフオクに出して
売れなければユニオン行きだわw -
トリビア(1) では、巨大本アンソロジー日本版の、64ページを開いてみよう
このページでは主に、21才のジョンの誕生日(イギリスでは21才が成人式)を記念して、ジョンとポールが二人きりで
10月1日から10日間、フランスのパリ旅行を楽しんだ様子がつづられている
資金は、ジョンが親戚のオバさんからもらった100ポンドー
ここで驚く記述は、1961年の10月時点で、フランスのおしゃれな若者たちが、パンタロンズボンをはいていたということだ
いわゆるラッパズボンというもので、日本でも1970年代前半に、流行したものです
このページのポールのインタビューによると、ジョンとポールもパンタロンズボンを購入して、はいて歩いたそうです
無名時代のジョンとポールが、パンタロンズボン! びっくりしました -
近所の図書館にあって、本棚に横になって置いてあったのを引っ張り出して読んだ。棚に戻す段階で重くて狭くて全然入らないので図書館員に任せた。
結局丈夫な大きいトートバッグ持って後日借りに行ったけど返しに行くのもキツかったな〜 -
トリビア(2) では、巨大本アンソロジー日本版の、236ページを開いてみよう
このページのジョージのインタビューで、ジョージが1966年後半のある日、生まれて初めて
ヒゲをはやすことになった、きっかけを知ることができる
それはシタールを習うために、インドのボンベイへ向かう直前、
恩師のラヴィ・シャンカールから手紙が来て、「変装して来たほうがいい 君はスターだから
クチヒゲなどは、どうですか?」ということが、きっかけだったらしい
同じ頃、偶然にもポールはオートバイで事故を起こし、顔を強打、傷跡をかくすために、
クチヒゲをはやすしかなかった ジョージによると、これもひとつのシンクロニシティーですとー -
トリビア(3) では、巨大本アンソロジー日本版の、347ページを開いてみよう
この巨大アンソロジー本のページ総数は、367ページである
よって347ページというのは、もう解散ギリギリのところである
ポールが最後のジョンとの会議の中で、ジョンが語った印象深い言葉を、こう回想している
「ジョンはこう言ったんだよ こんなのおかしいんだけどさ、バンドをやめるっていうのにさ
オレの中ではこう、これからの展開に、わくわくしている自分がいるんだよ、とー」
現在リアルタイムで、ロードショー劇場公開されている映画『エイトディズアウィーク』の中で、
使用されている写真の、約50パーセントは、このアンソロジー本に収録されている、と思う -
トリビア(4) では、巨大本アンソロジー日本版の、136ページを開いてみよう
1964年の5月に、ジョンとシンシア、ジョージとパティの4名は、おしのびでタヒチ旅行をした
ホノルル経由で着き、なんと4週間!
その様子を、あざやかなカラー写真10コマで表現した、このページが素晴らしい!
当然、全部未発表のカラー写真、プライベート写真である
同時期に、ヴァージン諸島で休暇旅行を満喫した、リンゴとモーリン、ポールとジェーンの写真は
残念ながら1枚も無しー -
巨大アンソロジー本を両手でガシッと持って
仰向けにゴロンと横になる
そうして30分ぐらいページをめくって読み続けると
へたなバーベル持ち上げとかウェイトリフティングよりも
筋力トレーニングになる
細腕モヤシ君にはオススメのトレーニング法だwww -
なぜ分冊にしなかったのか。あの漬け物石のような本。
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江戸時代の拷問ごっこをする時に太ももの上に置く石版がわりに
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ソフトカバーにして大きさはA4ぐらいにして
初期、中期、後期と3分冊にして
字はもっと大きく読みやすくすれば
今でも売れると思う
3分冊をボックスに入れて
五千円ぐらいにすれば
ソールドアウト間違いなし
一万円なら、売れ残る
ソフトカバーで字を大きく、カラー写真は鮮やかに
3分冊
これですよ
幻冬舎の見城さんあたり、版権とって、いかがっすか? -
アンソロジーブック・リミックス
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ホント分冊なり電子化して欲しいわ
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トリビア(5) では、巨大本アンソロジー日本版の、219ページを開いてみよう
このページでは、1966年の日本公演の次の公演地、フィリピン公演について、つづられている
フィリピン公演といえば、皆さんご存知のごとく、あの悪名高いマルコス夫人の歓迎パーティーを
ビートルズ側がボイコットしたとかで、もうケチョンケチョンにされちゃった、ファッキン野郎め!ーということは、
もう皆さん耳タコ状態の、伝説である
フィリピン公演で、他に話題はないの? という素朴な質問の答えが、ここにありました
ポールは早朝ひとりで、ホテルを脱け出し、散歩をしたそうです
ちょうど日本で、ホテルを脱け出し、皇居(こうきょ)へいったようにです
ぶらぶらポールが行き着いた先が、フィリピンのウォール街、日本でいえば兜町(かぶとちょう)の
ようなところで、そのすぐ隣町が、ダンボールハウスだらけの超貧民街!
この落差はなんなんだ!? と、ポールは、?これはいい絵になるぞ!?と、
写真をバチバチ撮りまくったそうです
このページのインタビューで、しっかりそう語っています -
トリビア(6) では、巨大本アンソロジー日本版の、129ページを開いてみよう
このページでは、1964年のリアルタイムのジョンのインタビューで
映画『ハードデイズナイト』の中で使われた歌の中で
お気に入りの歌は4曲だ、と語られている
その4曲とは
「恋におちたら」「恋する二人」「テルミーホワイ」「キャントバイミーラブ」 -
アナタは、たまには巨大アンソロジー本でも読んでみるかと決意し、
おっそうだ、ついでに筋力トレーニングでもするかと、
アンソロジー本を両手でガシッとつかみ
ゴロンと仰向けに横になる
本を顔の真上までもって来たとき、
なんてことか、すべって巨大本がアナタの顔面を、直撃する
痛い!
アナタは鼻骨を骨折して、ウウウッと、うなり、うづくまる
痛いよ、おかあちゃんと、泣き叫ぶ!www -
>>31
持ってる人も、ほとんどの人がメッタに見ていない
上の誰かが指摘しているように、読むことじたいが苦行ー
大きくて重くて、字があまりにも小さすぎるから
この本自体が?鬼っ子?のようなものである
よってこのスレは、有意義なものになる、はずである
よってこのスレは、 -
トリビア(7) では、巨大本アンソロジー日本版の、319ページを開いてみよう
このページではジョン自身が、名曲?アクロス・ザ・ユニバース?の出だしの1行ー
「言葉が果てしない流れのようにあふれ出し・・・・」が
何が原因で、浮かびあがって来たのかを、語っている
それは前妻シンシアのグチだった
もうヨーコと出会って、夫婦生活も気まずくなっていた頃
夜の寝室でふたりきりの時、シンシアがネガティブなグチを、
今まで我慢してタマリにタメていたグチを、延々としゃべり出したらしい
その時ジョンの頭の中では、?もういいかげんにやめてくれよ、そんなグチばかし?という感情とともに
「言葉が果てしない流れのようにあふれ出し・・・・」という一説が
突然、わき出て来たらしい
それが、最終的には宇宙的な歌に、変貌(へんぼう)したそうである
名曲?アクロス・ザ・ユニバース?は、シンシアがいなければ、生まれなかったのだ
ちょうど?ヘイジュード?が、ジュリアンがいなければ生まれなかったようにー -
おぉ、シンシアにインスパイアされた曲ってあったんだなw
しかもビートルズの代表的な名曲とはw -
松尾芭蕉にインスパイアの件は一体…w
-
松尾?爆笑
-
現在アンソロジーといえば
ほぼ映像のことをさしている
この本のことは
歴史から抹消されたようにも思える -
自分の町の図書館がちっちゃくてテーブルがないから仕方なく立ち読みしたよ。
-
>>33
もうそんな空気じゃヨーコが自分のガウン着てジョンと朝食取ってても怒りもわかなかっただろうな。哀しいだけで -
トリビア(8) では、巨大本アンソロジー日本版の、257ページを開いてみよう
このぺージでは、1967年に衛星宇宙生中継された?愛こそはすべて?の撮影あれこれが、つづられている
そのライブ放送で、ポールが着ていたカラフルなシャツー
それについて、ポールはこう語っている
「ボクはあの番組の前夜、寝ないでシャツに絵を描いていたんだ トライケムという薬品があってさ
これでシャツに絵を描いても落ちない すごく面白いんだよ」
そのシャツは、番組後、誰かに盗まれちゃったそうです -
トリビア(9) では、巨大本アンソロジー日本版の、307ページを開いてみよう
このページでは、レボリューションナンバー9について、語られている
トリビアの9ということで、レボリューションのナンバー9だ
素晴らしい
ジョンの簡潔なこのコメント
「オレは音を絵の具にして、革命の絵を描いてるという意識だったー」 -
トリビア(10) では、巨大本アンソロジー日本版の、7ページを開いてみよう
今日はジョンの76才のバースデイー♪
ということで、巨大本アンソロジーの1ページ目に等しい7ページ目
ここでジョン自身が、自分を生んでくれた母、ジュリアについてこう語っている
「母さんは常に無職だったと思う ユーモアがあって歌がうまくて、プロじゃないけどすごくイイ声だった
パブではケイ・スターの歌なんか歌っていた オレが1,2才の頃にはよくディズニーの歌を歌ってくれたっけ
でもあまり要領のいいほうではなかったみたいー 頭は良かったみたいだけどね 」 -
持ってたけど、ほとんど覚えてないな。というか読んでなかったのかもな。
知らないトリビアが多いわ。
所有した歴代ギターの話と
ジョージの脱童貞の話はよく覚えてるんだがw -
この本は買っておいた方がいいのだろうか。
図書館でずっと前に1度だけ借りて読んだことはあるけど写真のインパクトの方が強くて文章内容はほとんど覚えてないんだよな。 -
分冊たのむわ。重すぎる。
-
トリビア(11) では、巨大本アンソロジー日本版の、10ページを開いてみよう
巨大本アンソロジーの1番最初の記述は、人間の誕生についての、ジョンの有名なあの発言だ
1980年のインタビューで語られた、超有名なあの発言
存在している人間のすべては、しょせん両親のサタデーナイトスペシャルみたいなものだ、ということー
この10ページ目には、なぜか?男の性欲?についてのジョンのインタビューが、記述されている
インタビューは1979年、ジョンが、38才か39才の時のものだ
「昔、一生性欲がおとろえない男って話の本を読んだ 20代30代の頃は?そのうち弱くなるだろう?と思い
40代になって?そろそろ?と期待したが、60代70代と年を重ねてもなお、腹の底からわきあがる性欲は
自分ではどうすることも出来ないという、男の話だ オレはくだらない!と思ったね オレも以前は
年をとれば性欲なんてなくなるものだと思ってた でも最近はあきらめた これは永遠に続くものだと
悟ったよ 永遠て言葉が変だったら、魂がこの肉体を離れるまでとでも、言い直そうかー 」
結局ジョンはここで、男は死ぬまでずっとスケベなんだと、悟り、認めているのである
まあ、女性についても、ちまたには?女は灰になるまで?という格言があるくらいだから、どっちもどっちなのだが
気楽にいこうぜ、男性諸君www -
トリビア書いてる人、おそらくリアルだとキモいジジイだと思うけど、
このスレだと役に立ってるよ。ありがとう
久々に引っ張り出してくるわ -
>>47
ワロタw -
こんな重要で興味深い本の内容を皆覚えてない…
あの頃は凝ったレイアウトが流行ったのかも知れんが、普通の読みやすい本として、刊行し直すべき -
5冊くらいに分冊して欲しい!Kindleでもいい!
見返そうとしても持ち上げるだけでやる気が削がれる -
トリビア(12) では、巨大本アンソロジー日本版の、101ページを開いてみよう
3日前の2016年10月7日、ついにローリングストーンズがカリフォルニア州のライブで、
ビートルズの「カムトゥゲザー」を披露した 感慨無量である 泣けた、といってもいい
ということで、ストーンズ関係のトリビアをお送りしたい
皆さんご存知のとおり、「アイウォナビーユアマン」はスタジオ内で、ストーンズの目の前で書きあげたということは
もはや伝説である ではどうして、ジョンとポールがストーンズのレコーディングスタジオに行く羽目になったのか?
それは偶然の産物だったのである 101ページ下段のポールのインタビューが、くわしく語っている
「ある日ボクとジョンは、チャリング・クロスロードを歩いていた ギターショップがたくさん集まってるところだから
ボクらにとって、メッカみたいなものなんだ 午後にやることがなければウィンドゥショッピングをするって感じでね
そしたら偶然通りがかったタクシーにミックとキースが乗っててね ボクらは声をかけた ?おいミック、オレ達も
乗せてくれよ!?ってね そして彼らのレコーディングスタジオまで行っちまったってワケさー 」
この偶然がなければ、ローリングストーンズが、「アイウォナビーユアマン」を歌うことは、決してなかったのだ -
トリビア(13) では、巨大本アンソロジー日本版の、167ページを開いてみよう
映画『ヘルプ』のページである
映画は物語の最初のシーンから、順番どおりに、撮影されてゆくものではない
シーンごとにバラバラに撮ったものを、あとで編集して、順番どおりに並べてゆくものである
では、ここで質問ー
映画『ヘルプ』の撮影初日、どのシーンから、この映画の撮影はスタートされたのか?
答えられる人は、いるか?
そこの、超ビートルズマニアを自称しているアナタ、すぐに答えられますか?
えっ、こんなことも知らないで、超ビートルズマニアを自称していたの?
はずかしくないですか? イッヒッヒのヒ
答えは、このページにありました
アップルの倉庫からホコリをかぶったノートが出て来て、それがブライアンエプスタイン氏のメモノート
だったそうです そこに律儀に、エプスタイン氏は、撮影初日の様子を、メモッていました
以下が、それです
?最初のシーンは、メンバーたちが自転車に乗って、話をしながら大通りを、走っていくとろだった
4人とも演技力が一段と上達し、ごく自然に演じていたので、私はとても感動してしまった?
一時は、映画俳優も目指していたこともあるエプスタイン氏のこのメモー
きっと感無量だったことでしょう -
映像版のアンソロジーは内容をよく覚えてるんだがな。
本のほうはサッパリ。 -
ヘルプ!で4人がラリってないシーンを知りたい。
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記事の書き写ししてる人は何がしたいのかな?
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>>1をよく読み、このスレの主旨を理解して、アナタも参加しましょう
大きくて、重くて、厚くて、字がとても小さい、
巨大本ビートルズアンソロジー日本版
2000年10月5日発行 もっててもダルくて、めったに見ない
しかし、細かい字をよくよく読むと、新発見が、けっこうある
たとえば266ページの、ショービジネス界におけるゲイとの関係を語る
ポールの発言等、
何々ページのこんなところに、ジョンの面白い発言がありますよとか
教え合いましょう
何々ページのここが新発見とか、皆さん お願いします
では、分厚い巨大本を手にして、レッツゴー! -
>>55
本持ってなくて活字嫌いな自分には超助かってる -
トリビア(14) では、巨大本アンソロジー日本版の、223ページを開いてみよう
皆さんに質問ー
ビートルズ4人全員が一緒に、初めてインドの地をふんだのは
コンサートツアーをやめた、1966年8月の前か、あとか?
下を読む前に、脳内で答えを出してみてください
アルバム?サージェントペパー?の前か、あとか? でも、いいですけどね
答えは、前です
ドイツ、日本公演とフィリピン公演を終えて、ロンドンに向かう途中、どうしてもいいシタールが欲しくなった
ジョージが、4人を道ずれにして、インドへ行ってしまうのですね
古い1950年代のキャデラックに乗った4人は、デリーの郊外の小さな村をおとずれて、インドの貧困の現実に
驚愕(きょうがく)します その時、デリーで買い物をしたリンゴの発言が、以下です
?あの時、店を見て歩いたのは、デリーでの最高の思い出だろうな 大きな象牙の彫り物をすすめられたけど
あまりにも値段が高いと思った 大きなチェスのコマで、今ならきっとひと財産になるようなアンティーク
だよ だけど買わなくてよかった その頃からボクらは、象牙は買っちゃいけないと思ってたのさ?
リンゴの人柄が出てると、思います -
>>55
リアル人生では一顧だにされない爺さんの歪んだ自己顕示欲だよ
でもこのスレを見ると忘れてたことも多いから役に立ってる。どうもありがとう
「皆さんに質問です」とか下らないから調子に乗ってないで本の抜粋だけ続けて欲しい -
スレ主だが、>>49は、私ではないw
映画『エイトデイズアウィーク』を見たあと、あまりにも映像のアンソロジーと酷似しているという
カキコミを見て、そういえばアンソロジーって大きな本もあったっけなと、私自身、何年かぶりに
この大型本を、ひっぱり出してみたわけだ ホコリたらけで、紙虫の被害にもあっていた
そしてまず、映画館で見たシェアスタジアムの興奮の熱いうちに、シェアスタジアムのページを
開けて見た 相変わらず、超小さな文字で、持った両手は重く、うんざりしたが、
他のページもパラパラと見ているうちに、意外と新発見が今だにあることに、驚いた
アップル社がビートルズ本の決定版を出すという意志のもと、世に出てきたこの本こそが
やはりビートルズ本の決定版だと思う 近々出るというマークルイソンの上下巻で
1万円を越すビートルズ本も、ハンターデビス本より新記述はあると思われるが、
やはりこの巨大アンソロジー本を、凌駕するとは思われない
厚く、重く、文字が超小さいという、うんざりだらけの大型本だが、やはりこの本こそが
ビートルズ本の決定版なのだ、と思ふ
私自身が、今だに新鮮な気分で、この本を読むことが出来る それほど見ていなかったわけだ -
トリビア(15) では、巨大本アンソロジー日本版の、212ページを開いてみよう
このページには、「レイン」についての記述が、色々とある
ポールは完全なる共作だと語っている
?レインはジョンひとりの曲じゃない ボクら二人で書いたんだ ジョンの雰囲気が出てる歌だけど、
ああいう結果が 出たのは、コラボレーションの結果さ これはジョンの曲、これはポールの曲って、
あんまり簡単に言われ過ぎだと思う レインぐらいの頃までは、全員がそういうものをやりたいと
思ってやっていたんだ ジョンだけが、そういうレコードを作りたいと思ってたわけじゃないよ?
このページの下のほうに、なぜか1969年のジョンのインタビューがのっていて、それはこうだ
?どんな音楽を聴くのかと、よくみんなから訊かれるんだよね オレは車が走る音を聴き、鳥の歌う声や
人が呼吸する音を聴く それに消防車、昔は夜によく水道管の音を聴いたね 灯りがすっかり消えた中で
水道管が演奏するんだ?
いいぞジョン、それでこそジョンだー -
この本大きすぎて置場に困るんだよな
-
トリビア(16) では、巨大本アンソロジー日本版の、46ページを開いてみよう
無名時代のビートルズが、ドイツのハンブルグで、初めて演奏した店は、インドラという名前の
インドっぽい雰囲気の、飲み屋だった このページの頭で、ポールがそれについて語っている
?ボクはシェイクスピアやディラントーマス、スタインベックなんかを読んでいたから、ハンブルグでの経験も
学生気分というか、アーティストとして受け取ってる感じがあったね これはいつか自叙伝のいいエピソードに
なるぞみたいなね ボクらの出ることになった店はインドラといって、インドっぽさを出すために
通りに面して大きなゾウが置いてあった あとでボクらがインドの影響を受けるようになった時、
出発点からそんなのがあったと思うと、ちょっと面白い気がするよー?
ちなみにインドのゾウの神様の名前は、ガネーシャといいます -
>>64
一昨日の「世界の車窓から」でジョージの歌うロール・オーバー・ベートーヴェンが流れてきて何かと思ったら、ハンブルクとビートルズのエピソードが紹介されてて丁度そのインドラが出てたよ。 -
インドラのシンクロニシティーですなw
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トリビア(17) では、巨大本アンソロジー日本版の、114ページを開いてみよう
2016年10月16日現在、ノーベル文学賞を受賞した、ボブディラン自身からのコメントは、いっさい世の中に出ていない
いずれ、それに関するポールのコメントとか、ミックジャガーのコメントとかは、たぶん出るだろう
このページでは、1964年の1月に、フランスのパリで初めてボブディランのレコードを手に入れて
夢中になってそれを聴きまくったという、ジョンのインタビューが読める
?ボブディランを聴いたのは、それが初めてだったと思う ボクらはフランスでラジオの仕事をしたんだよ
その時のDJがディランの2枚目のアルバムを持っていて、ポールが「彼はいいよね よく聴くんだ」って
言ったら、くれたんだ ポールが本当にディランを聴いていたのかは、ボクには分からなかったけど、
そのレコードをホテルに持って帰った そして聴きまくったんだ パリにいる間中かけまくった
そしてメンバー全員が、デイランに夢中になっちまったんだー 初めてディランを聴くいた人は、
自分が彼の第一発見者だと思ってしまう しかし実際は、彼はアメリカではすでに、有名だったんだ? -
トリビア(18) では、巨大本アンソロジー日本版の、187ページを開いてみよう
このページは、1965年のシェアスタジアムのページである
10月16日の日曜日は、日本各地の劇場で『エイトデイズアウィーク&シェアスタジアムLIVE公演』の
発声絶叫可能上映会があったそうで、参加なされた方々、お楽しみになられたことでしょう
うらやましい ということで、シェアスタジアムのポールの回想である
?シェアスタジアムでのジョンは本当に楽しそうだった ひとりではしゃいでいるんだけど、それがすごく
おかしいんだ そこがジョンの素晴らしいところさ こんな大会場に来たら、誰だって緊張するものだ
緊張しない人間なんて、いないからね そんな時、ジョンは必ずボクらを、笑わせるんだ おかしな顔をしたり
バカなことをしたりするんだけど、ボクらはそれで大いに勇気づけられるんだ 「よーし、それでいい
そんなに肩肘はってやることもないさ」ってね ボクらがいつでもステージ上で陽気だったのは、ジョンの
おかげなんだよ?
次に同ページのジョンの回想ー
?ボクらはすごく遠くにいたから、ファンが投げてくれたものは何も届かなかったけど、いたるところに
ポスターが貼ってあるのは分かったよ ボクらの頭上にも幕がはってあったけど、そんなこと実際
どうでもよかった 自分が誰かなんて関係ないのさ プラグを差しこんで演奏を始めたら、ただのバンドに
すぎない 自分たちがビートルズで、どんなレコードを出しているかなんて、意識しないよ
ただ、歌うだけさ 演者とは、そういうものだ? -
トリビア(19) では、巨大本アンソロジー日本版の、199ページを開いてみよう
トリビアの19で199ページを開いてみたら、そこに、デイトリッパーは最初、フォークソングだったという
ジョンのインタビューがあった
?デイトリッパーを書いた時は、1ヶ月ほど前に作ったフォークソングをベースにしたんだけど、
かなり苦労したね 時間をかけただけあって、いい作品が出来たけどね?
すんなり降りてきたんではなく、時間がかかった、というのは意外です
同じページのジョージの面白いインタビューを、ちょっぴりー
?1963年から66年ぐらいまでは異常だったね 映画を製作して、ヨーロッパツアーをして、イギリスツアーを2回やって
いくつものシングルとEPとアルバムをレコーディングして、全米ツアーをして、アジアにもいって、 今考えると
信じられないよ 毎日毎日何かしていたんだ ポールなんか、オフの日にわざわざミスコンテストの審査員を
していたくらいだ ?
そして、ミスコンテストの審査員をした、ポールのコメント
?女の子を見ていればよかったからだ 下心? もちろんあったよ?www -
トリビア(20) では、巨大本アンソロジー日本版の、100ページを開いてみよう
このページには8枚の鮮明なカラー写真と、1枚のモノクロ写真が、あざやかだ
1963年の9月、ポールとジェーン、リンゴとモーリンの4名は、ギリシャに隠密旅行している
その時のプライベート写真ー なかでも中央の小さなカラー写真は激レアで、ポールが
ほほえんでるジェーンのくちびるに、ブチュッという音がまさに聞こえそうなほどのキッスを
かましているショットだ ジェーンの写真といえば、品行方正なものが多いいが、
この写真のジェーンの笑顔は、ちょっと性的なイメージを喚起させるほどの妖艶さだ
ぶらりとポールの肩にまわした手の平も、エロチック 一見の価値アリだー
この旅行のリンゴのコメントが以下ー
?ギリシャのロードスとコルフ、アテネに行った ロードスではヘリオスの巨像の塔が見たかったんだけど
地元の人にそんなものはもうないわよと、いわれた だけど港に行けば何かあるわといわれて行くと、
台座がふたつあって、その上に鹿が2頭のっていた たぶんそこにヘリオスの巨像があったんだろう
パルテノンの周りを3回まわったのも覚えてる 確かジェーンの機嫌をとるためだったー 疲れたよ?
なぜかリンゴが、ジェーンに対して、疲れたと回想しています -
ジェーン、わがまま娘だったのかな?
-
トリビア(21) では、巨大本アンソロジー日本版の、33ページを開いてみよう
このページから、リンゴスターの幼少時代が、数ページにわたって、つづられている
現在76才、まもなく日本ツアーもスタートされるリンゴスターの
奇妙で複雑、最も不幸だった幼少時代を、少し分かりやすく整理して、解説してみよう
?リンゴが3才の時に実父は家出、母子家庭となる
?リンゴが11才の時、義理の父ハリーが登場し、13才の時、正式に母親と再婚する
?リンゴ6才の時、盲腸が破裂、腹膜炎となり、8才頃まで入院療養の生活を送る
?リンゴ13才の時、結核菌に感染し肋膜炎となり、15才の頃まで入院生活となる
?リンゴ16才で、やっと健常な体となり、まともな義務教育を受けられなかったせいで、すぐに働きはじめる
リンゴが初めてドラムにふれたのは?の入院中の時期で、病院内のバンドに入り、本気で始め出した模様ー
リンゴが16才で初めて働いた職種は、鉄道のメッセンジャーボーイ、次に遊覧船のボーイ、次が機械工見習い
1957年のクリスマスの日に、義理の父ハリーが、ドラムセットをリンゴにプレゼントする この時リンゴ17才ー
リンゴの実父が、その後のビートルズ成功後に、リンゴの前にふたたび現れたという、記録はない
ジョンの実父フレッドが、ある日突然現れて、ジョンを困惑させ、困らせたようにだ
以上が、リンゴの奇妙で複雑、ビートル内で最も不幸だった幼少時代の、ミステリアスな物語だ -
リンゴの実父は酷いけどきっと可愛い顔をしていたに違いないから見たいなあ(´・ω・`)
-
リンゴスターの実父の写真はハンターデヴィスのビートルズ本で見ることができる
鼻が大きく
タレ目だw -
>>74
写真あるのか!! -
入院してなかったらドラム叩いてなかったかもれないのか
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義理のお父さん、いい人でよかったなあ。ドラムって庶民が買うには高かったんじゃないの?確か工場の仕事も探してきてくれたんじゃなかったかな。
ていうかリンゴ可愛いからドラムでもなんでも買ってやりたくなるよね。 -
日本でドラムの練習したら近所からやめろと言われそう
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トリビア(22) では、巨大本アンソロジー日本版の、36ページを開いてみよう
このページの頭のほうで、リンゴは自分の初体験が、16才の頃だったと語っている
しかも場所は野外で、公園だったと語っているのだ
?初体験は16才の頃、セフトンパークだった 女の子ふたりとボクの友達と、サーカスが出てる広場の奥で
芝生に座っていたんだ サーカスの音楽と、フランキーレインと、その時だ ボクらは芝生に寝転んでいて
「ゴーストライダーズインザスカイ」が、かかってね 最高だったね あの年頃だと、一度経験しちゃうと
何度でも味わいたくなる 長いこと頭から離れなかったよー?
うらやましい思い出ですねw -
その頃はまだ極太ちんぽじゃなかったのかすぃら
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またお前か…
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トリビア(23) では、巨大本アンソロジー日本版の、39ページを開いてみよう
リンゴ来日記念の第三弾w
リンゴはロリーストーム&ハリケーンズ時代、ある女性と、真剣に婚約までしていたことがあるのだ
以下が、そのコメントー
?ある女の子と婚約したんだけど、結局は続かなかった 彼女がプレッシャーをかけてきたんだ 「私か、ドラム、
どっちを選ぶの?」って感じでさ ボクの人生で、ものすごく辛い時だったね 彼女の部屋を出て、バスに乗りこみ
考えた このまま戻らなかったら、どうなるだろう?とー そして二度とボクは戻らなかった
ボクはとにかく音楽をやっていたかった ボクにとっては音楽のほうが大事だったんだよ
だけど婚約してたくらいだし、彼女のことは本当に愛してた 彼女もボクを愛してくれていた
ボクらは家具とかの支度も始めてたし、新婚にむけて、色々と準備を整えていたんだよ ?
リンゴが、ビートルズの連中と親しくなる前の、お話です -
その女の子はその後のリンゴを見てどう思っただろう。
もし結婚してもそういう子だと上手くいかなかったと思うけど。 -
トリビア(24) では、巨大本アンソロジー日本版の、38ページを開いてみよう
16才で健常な体となったリンゴは、20才の頃まで、昼は普通の仕事をして、夜はドラマーという、2足のワラジの
生活に入る ドラム1本の仕事で、生活出来てゆくことになるのは、ようやく20才を過ぎてからのことで
1962年の8月、リンゴ22才と1ヶ月の時、満を持してビートルズのメンバーとなるまで、ちょうど2年間ぐらい
そんな生活が続くことになるのだ そんなリンゴにとって、自身のドラムを運搬するための、車は必需品だった
リンゴが自分の車を初めて購入したのは、18才の時だったという 以下はそのコメントー
?仕事とドラムで少し金を稼げるようになって、18才で最初の車を買った でかいやつ だってそれまでボクは
いつも放り出されていたんだから ギグにいく時、バスを使うしかなかったんで、たいていスネアにシンバルに
スティックしか持っていけなかった バスドラムとタムタムは、その晩同じところでやる他のバンドに
貸りることになるのさ 貸してもらえないこともあった 自分のセット一式全部を移動させるには
車は必需品だったワケさ 最初のは友達から買ったスタンダード・バンガードで、2台目が
憧れのゼファー・ゾディアックだったっけ ゾディアックを乗りまわしていた頃のボクは、いっぱしの
キング気取りさー ?
のちにジョンとポールは、知り合う前のリンゴを評して、「でかい車に乗って、リバプールで風をきってた
スターのような、別世界の人間だった」と、評していますね -
>>70
あのポールとジェーンのフォトのどこが妖艶、エロチックなんだよ〜
やっぱり、オッサンの見方だなあw
そんな風にあのフォトが見れるなんてある意味、新鮮だわ!
そのオッサン的思考に感服ですわ
確かにレアフォトだが、なんかのパーティーか何かで
ジェーンの頭にとんがり帽子が乗ってて
ポールと二人で微笑ましくいちゃついてるだけにしか見えないぞw
それから、リンゴがジェーンの機嫌を取ったと言ってるのは
ポールがつきあい始めたばかりのジェーンの気を引こうと、
とにかく一生懸命だったから、という意味だろw
いいよ、いいよ、続けて続けてw
とにもかくにも、アンソロ本を持ってない人には良好なスレですよ
そういうオッサン的思考もまたご愛嬌で面白いではないか!
しかしなあ、こうやって20年前に本人達が語ってる本があるのに
その他の他人が書いた本の数々の方が今じゃ重宝がられてるのは何なんだろーね
「アンソロ」が出た時は、さすがに本人達が語ったんでるんだから
これでビートルズの本は打ち止めかと思ったんだが!
ある研究家に言わすと、本人達の記憶の方が曖昧で間違いがあったりするとのこと
こうなってくると、何を信じていいのやらだわねギャフン -
悪書と良書を教えて欲しいよ
ビートルズ本はあまりにも多過ぎて
どれを信用していいかわからない。
とりあえずこのクソでっかい本は
大きさは難点だけど内容的には良書だな? -
トリビア(25) では、巨大本アンソロジー日本版の、49ページを開いてみよう
22日に無事、76才のリンゴが、来日した 日が変わって本日24日が、大阪の初日だ
リンゴが日本にいる間は、連日リンゴネタでいきますかwww
リンゴがビートルズのメンバーとして存在していたのは、22才と1ヶ月から29才と9ヶ月までだ
差し引き7年と8ヶ月ー リンゴは20才の時に、すでに常時指輪を4個、はめていたそうだ
出自はハンターデヴィス本 2016年の現在、アナタのまわりに、指輪を3個以上はめている男性なんて
いますか? 存在しますか? もしいたとしても、それはホストかゲイかニューハーフって、もんでしょ?
時は1960年ですよ 56年前! かなりリンゴはオシャレの最々先端をいってた、テディボーイだったんですね
キメキメのリーゼントに、頬ヒゲ&アゴヒゲ、長い黒皮のコート、といういでたちが、当時のリンゴを
?恐いお兄さん?的存在として、見せていたようなのです
事実、ジョンポールジョージの3名全員が、最初リンゴのことを、恐がっていた、というのですからー
このページのリンゴの証言ー
?ボクはまだあの頃はテディボーイ気分だった あとからジョンに聞いて初めて知ったんだよ
みんながボクを怖がってたなんてさー ジョンが言うんだ 「またあの酔っ払いだ テディボーイ
みたいな格好して、スローな曲をやれって言う奴」ってさ ?
このページの右上には、鮮やかカラーのロリーストーム&ハリケーンズの全員写真があり(この本が初出)
そこに、リーゼント頭で赤ピンクの上下スーツで決めまくった、リンゴの全身像を、見ることが出来ます -
トリビア(26) では、巨大本アンソロジー日本版の、71ページを開いてみよう
このページには1ページ全面に、サングラスをかけた無名時代のリンゴの写真と、
ちょっと大きめな文字で、ポールのコメントがのっている
以下が、そのポールのコメントー
?リバプールで1番のドラマーを入れなくちゃいけないって、ボクらは本気で考えはじめていた
で、そのドラマーというのは、ボクらが見たところでは、リンゴスターという男だったんだ
ボクらの誰よりも先に芸名を使っていて、ヒゲをはやしていて、もう大人で、
ゼファー・ゾディアックに乗っていることで、有名だった
それでリンゴに、ボクらのバンドに入らないかって、声をかけた? -
>>86
この本は良書。一級品。 -
トリビア(27) では、巨大本アンソロジー日本版の、36ページを開いてみよう
リンゴは16才から18才くらいの間、完全なるテディボーイで、いやいやながらも不良仲間に誘われると
ストリートファイトにも参加していたという 自身は逃げ足が速く、そんな不良生活とは早くおサラバ
したかったと語っているが、リバプールという土地柄が、それを許しはしなかった
このページの下の方でリンゴは、ジョンポールジョージの3人は、決してテディボーイではなかったと
断言している 以下がそのコメントー
?リバプールというところは怖いところでね 誰かとすれ違うと、向こうが「何メンチきっとんじゃ このアホンダラ」
と言う 「見てませんよ」と言えば「何シカトしてんじゃ このガキ」といわれるし、「見てました」といえば
その場でやられる 勝ち目なんかないんだよ どう答えてもやられるのさ だけど自分も不良仲間になっちゃえば
安全だ ジョンやポールやジョージは大変だったろうな 不良仲間に入っていなかったからね
彼らはみんな、決してテディボーイなんかじゃなかったんだよ ?
このコメントのあとに、いくつかのストリートファイトの顛末(てんまつ)など、例をあげて語っています -
トリビア(28) では、巨大本アンソロジー日本版の、70ページを開いてみよう
このページでは、ジヨンが知り合う前のリンゴについて、語っている
?リバプールにはトップグループが、ふたつあった
ビッグスリーとロリーストーム&ハリケーンズだ リバプールには最高のドラマーが二人いて、そのふたつのバンドに
それぞれ所属していた 当然リンゴのことは、知り合う前から知ってたよ
リンゴばその時点で、もう純然たる、スターだったんだ ?
この事実を裏付けるように、ハンターデビィス本の「リンゴとビートルズ」という章に、目をひく記述がある
1961年の7月7日、リンゴは自宅で21才のバースディパーティーを、華々しく開いた
そこにはリバプールを代表するミュージシャン関係者全員といってもいい、60名が祝福に訪れたそうだ
ジェリー&ペースメーカーズ、ビッグスリー、シラブラックになる前のシラホワイト、その他、多勢である
しかしビートルズは呼ばれなかった このパーティーには参加していない
ちょうどビートルズはハンプルクから帰って来たところで、リバプールにいたにも、かかわらずだ
くしくもそのパーティーの前日である7月6日に、リバプール専用向け音楽情報誌「マージービート」の
創刊号が創刊され、そこに、ジョンのエッセイコラムのようなものが、のったにもかかわらずだ
リンゴがまだその時点では、ビートルズを知らなかったか、認めていなかっのだろう
この華々しいリバプールのミュージシャンパーティーに、若きビートルズは、まだ縁がなかったのである -
トリビア(29) では、巨大本アンソロジー日本版の、73ページを開いてみよう
76才のリンゴは、元気よく現在、日本公演を消化中である
アナタ、自分が76才になった時のこと、考えたことありますか? 元気でいる自信ありますか?
ホェンアイム76ー このアンソロジー巨大本には、よくぞここまで、と思われるほど
無名時代のビートルズの写真が、たくさん収められている
このページには、リーゼントヒゲリンゴと、前髪をおろした直後のリンゴの白黒写真が
対比できるように上下にくっついて、掲載されている
じっくり見て、しばし、うーむなどと、うなってみようw -
巨根本リンソロジー日本版
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巨根本リンソロジー日本版
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トリビア(30) では、巨大本アンソロジー日本版の、52ページを開いてみよう
リンゴが初めてドイツのハンブルグに行った時、ある朝ひとりでぶらぶらと散歩に出かけた
そこで偶然最初に出会ったイギリス人が、なんとスチュアートサトクリフであった
なんか象徴的で、神秘的でもある、エピソードである
?初めてドイツへ行った時、ある朝、ボクはどこへ行こうかなんて考えながら、ぶらぶらしてた
するとグロッセルハイライトでスチュアートに会ったんだ あの頃、彼のことはまるで知らなかったんだけど
彼がパンケーキを出すカフェへ連れて行ってくれてね ボクはそこで初めて食事にありついた? -
>>95
スチュとパンケーキを食べに行ったというのは聞いたことがあったけど、そこだけしか知らなかったから「そんなにこの2人、仲良かったんだ?」と思ってたら初対面だったのか。納得! -
トリビア(31) では、巨大本アンソロジー日本版の、196ページを開いてみよう
現在日本国内にいるリンゴスター いよいよ本日30日から、東京公演がスタートする
ハロウィンで、おかしくなっている渋谷というのも、場所的に面白いというべきかー
リンゴ滞在中はリンゴネタが続く このページでリンゴは、マドリッド公演について、語っている
?マドリッドで印象的だったのは、闘牛場で演奏したことだね 警察がメチャクチャ暴力的だった
警官が本気で若者を殴りつけるところを見たのは、それが初めてだったんだ
闘牛観戦もしたけど、あんなに悲しいものはないね 闘牛がどんどん力尽きていくのを見ていて
涙が出そうになったよ 最後には殺されて、両足をチェーンで縛りつけられるんだ
馬車が死骸を、ずるずると引きずっていったよ あれ以来、闘牛を見たことはない
見たいと思ったこともないよ? -
海外で年が近くて見た目も怪しくない日本人に会ったら、ちょっとホッとしないかい?
>>98 -
トリビア(32) では、巨大本アンソロジー日本版の、337ページを開いてみよう
このページでリンゴは、珍しくアビーロードのB面について、語っている
?レットイットビーの悪夢のあとだったけど、アビーロードはうまくいった
B面なんて素晴らしいね あれだけメチャクチャなものを、灰の中からまとめて甦らせた
あの最後の部分ー ボクにいわせれば、ボクらが作った曲の中でも、最高傑作のひとつだ
ジョンとポールがちょっとずつ色んなものを持ってきてたから、それをレコーディングしてくっつけた
実はあの最後の部分に、一番の真実が現れてるんだ ?
ちなみに、私がリンゴのソロアルバムの中で、一番愛聴して最高傑作だと思っているのが、
『センチメンタルジャーニー』だ ボーカリストとしてのリンゴは、ヘタウマの元祖のようで、
耳に心地よく上手いw ポールがアレンジャーとして参加した「スターダスト」なんて、最高ー
泣けますよw 私は中学時代にリアルタイムで「オーマイマイ」のシングル、買ったぐらいだからね
「オーマイマイ」好きなんだよw オールスターバンドで演ってくれよ!
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