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ニュー速(嫌儲)
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【昭和】君は「マジソンバッグ」を知っているか?なぜあんな普通のバッグが爆発的にヒットしたのか?誕生秘話 [737440712]
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バッグメーカーのエースは、推測2000万個を販売した昭和の大ヒット商品「マジソン・バッグ」の開発秘話やエピソードを公開した。
昭和40年代、ファッショントレンドを牽引していたのは団塊世代であった。米国型民主主義教育を受けた彼らは、アメリカンカジュアルに強い関心を持ち、自由で肩の凝らないスタイルを好んでいた。
昭和42年〜43年頃には、アメカジが定着し、横文字(英文字)の入ったトレーナーやスタジャンが数多く出回るようになった。
こうした背景の中、昭和43年に日本初の横文字入りカバンとして登場したのが、「マジソン・スクエア・ガーデン・バッグ」、通称「マジソン・バッグ」だ。
エースの開発部では、若者向けの新しいバッグを開発すべく挑戦を続けている。その中で、「ベーシックなスポーツバッグに横文字をプリントする」というアイデアが生まれた。
「ただ意味のない英文字ではなく、誰もが憧れる場所をデザインに取り入れよう」と考えた開発部部長は、プロレスの殿堂である「マジソン・スクエア・ガーデン」に着目。この場所は、当時、野球と並んで人気を誇ったプロレスの夢の舞台であった。
バッグ前面に大きく「MADISON SQUARE GARDEN」とプリントを施し、その下に、ボクシング、レスリング、フットボールとアメリカを代表するスポーツ名があしらわれた。
…よく考えれば、マジソン・スクエア・ガーデンでフットボールができるわけがないのだが、そこは、大らかな昭和時代ならではのご愛嬌。
「マジソン・バッグ」は中・高校生の間で通学用として人気を集め、昭和48年頃には全国的に品不足を引き起こすほどの大ブームとなった。人気の高まりと共に模倣品も出回り、本物か偽物かが学生の間で話題となることも。
昭和53年までの10年間でエース社製だけで1000万本、類似品を含めると推測2000万本以上が市場に流通した。当時の日本の人口が約1億人なので、単純計算すれば5人に1人が持っていたと言えるかもしれない。
エースが運営する入館料無料の「世界のカバン博物館」では、当時の「マジソン・バッグ」をはじめ、昭和45年の大阪万博参加を記念し製造された「万博バッグ」や、日本初の国内一貫製造スーツケース「デボネア」を展示している。
また、都電車掌鞄や国鉄救急用鞄など、昭和を彩った数々の鞄を見ることができるので、ぜひ一度訪れてみてはいかがだろう。 -
横文字よく意味がわからんかったが適当だったのか
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だって制服作ると自動的にオマケでついてきたじゃんさ
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今でも不法投棄に重宝されてるよな
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僕らの青春だなぁ
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あれってエースだったのか
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懐かしい
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>>2
>…よく考えれば、マジソン・スクエア・ガーデンでフットボールができるわけがないのだが、そこは、大らかな昭和時代ならではのご愛嬌。
おお??できるわけがないだと?
晋さん呼ぶか?おお?カスコラァ!! -
これアメリカ人が「甲子園」って書かれたバッグ持ってるみたいなもんだよな
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みんな学生カバンと同じように潰して使ってたな
そのうち最初から潰れてるバッタもんが売り出されて流行ってた記憶 -
映画だと大体札束が入ってるバッグ
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俺らの若い時も一瞬だけ流行りかけたよなこれ
3000円くらいだった -
新品で持ってるけど高く売れるのかい
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マジソンスクエアガーデンバックを小脇にかかえてコミケに並ぶ銀ぶち眼鏡に長髪小太り 自分の権利ばっか主張する
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2000年頃はHOSEIバッグってのも謎に流行ってなかったか?
何ゆえに法政なのか、おじさんは今になってもさっぱり訳ワカメw -
70年代中頃によく見かけたVANの紙バッグは?
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学生服買うとオマケに付いてきた
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おれも持ってた
貧乏なおれんちでも買えたんだから安かったんだと思う -
おっさんの俺が生まれる前なんだが…
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