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アメリカ
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アメリカ同時多発テロの首謀者はビル・ゲイツ
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阿含経を修行すれば、解脱し、解脱の段階に応じて、仏果を得る。
この現実世界で解脱してしまった阿羅漢は、仏界に旅立つ。Arhat、アルハット,最高の悟りである。
その一歩手前が、不還(ふげん)である。
これはこの世には帰って来ない,と言う意味だ。
アナガーミン、Anagon、アナゴン,と呼ぶ。
アナゴンは、死ぬと天界に転生し,そこで修行して、阿羅漢になる。
そのさらに下が、セイクリッドアナガーミン、シダゴン、と呼ばれ、一来果、とも呼ばれる。
これは,もう一度,この世に帰ってくる。
そして、修行をしてアルハットになる。
そのさらに下が、預流果,と呼ばれる聖者の人々である。あと、数回この世に生まれ変わり、シダゴンなり、アナゴンなり、阿羅漢などになる境涯の人である。
このように、きちんと修行した人々は、修行の段階により、きちんとした果報を得る。
何故このような分類が可能であったのであろうか? それは、当時の釈迦教団には、神通力者がいて、来世が見えたからであり、それで、あの修行者は来世こうなる、あの人はこうなる,とはっきり分かったからである。天眼通という神通力で、来世を判断できた訳である。
こう言った分類が阿含経に書いているということは、阿含経が実質的に解脱力を持っていた証拠であると言える。
預流果以上になった人は幸せな人である。彼は決して地獄に堕ちる事がない。何度も人に殺され、何度も地獄に落ち、魂の浄化に果てしない時間がかかるディック,チェイニーなどと比べれば、本当に幸せな人だ。 -
ここまで読めば馬鹿でも分かる。
釈迦が唱えた仏道修行とは、阿羅漢になる事が目標なのである。
阿羅漢をまだ修行途中だとし、修行の意味さえ曖昧にする法華経というものは、罰当たりもの!
なのである。
あなた方,日本人の中に,ほっけ馬鹿が大勢いるのは、情けないことだなあ。 -
仏道修行のスタートラインにさえ立って居ない,馬鹿者ぞろいの創価の連中が、人様に対して折伏なんぞ,100年早い。
なにしろ、あれは仏教ではない。阿羅漢を目標にして居ない。
日蓮なんぞ預流果にさえなって居ない!
隈本とかいう霊能者が、日蓮が地獄に落ちておる、とか何とか言って居たが、それは嘘ではないかも知れない。
三七菩提法を修業をして居ない人々は、果てしなく輪廻が続く。輪廻が果てしないなら、いつかは地獄に落ちる。だから、日蓮だって,地獄に落ちる。隈本氏は非論理的ではない。 -
地獄の正体を俺は知っている。
地獄とは認識訂正の限りない反復である。
釈迦が唱えた通り,この世は儚く流転する。
変化しないものはなく,変化の中に変化しない要素や法則さえもない。
これを、仏教では諸法無我と言う。
だが,人は普遍なものを追求してやまない。
永遠の生命力、あるいは永遠の若さ、美、
愛するものの生存,愛するものの不滅を求める。
だが,正しい認識は万物流転、諸法無我である。
そして、人は無意識のうちに正しい認識を知っている
だから、自分が求める愛する者の不滅が、風雨にさらされ、崩れ去るのを見る。
あなたの美しい伴侶が,顔が崩れ,体が腐り果てるのを見る。
あなたの執着が強ければ、それを正しい認識を知っている無意識が何度も訂正を加える。
何度も何度も顔が崩れ,体が腐り果てるのを見る。
地獄とは認識訂正の限りない反復である。
預流果に入った修行者が,何故地獄に落ちないのであろうか? それは、認識を訂正する必要がないからだ。彼は、釈迦牟尼から正しい認識を教わっている。だから、認識訂正の繰り返しが起きないのである。
だが、普遍なるものを求める創価の愚か者ども、大宇宙の背後を貫く大生命,などと言う概念を信じてやまない愚か者どもは,地獄に落ちる可能性が非常に高いのである。これは単純な論理学である。
地獄とは、認識訂正の果てしない反復であるから、信仰心が強ければ強いほど、その地獄は強いものになるだろう。
創価の人々よ、お前たちは地獄に落ちる。
釈迦の教法に戻れ。 -
きちんと阿含経を修行すれば,上に書いたように4段階の成果を得る。
例えれば、死後,4種類の素晴らしいバスに乗る。そのバスは、修行をしていないものたちが決して乗ることのできないバスである。そのバスは霊界を旅して、1番目のバスはお釈迦や過去のブッダたちがおられる仏界に到着する。
2番目のバスは、この娑婆世界には戻って来ない
。霊的でテレパシックな会話をする住人が住む、概念のみが実在する天界というものに到着する。
3番目のバスは、この世に戻っては来るが、そこには、ブッダがおられ、あなたが弟子になるのを待っている。あるいは、ブッダになるための修行方法がきちんと整えられており、苦労なく修行を開始する事ができる世界だろう。
4番目のバスは、とある時代,とある地域に到着し、探せば、あなたが修行を完成されるのに必要な教材が揃う場所である。
あなたは前世で習ったことを良く思い出す必要があります。
原因と条件とによって全てが生まれ,原因と条件とによって全てが儚く消え去る,ということを思い出す必要があります。諸法無我を思い出す必要があります。
あなたは阿含経典と巡りあうことでしょう。
瞑想を開始し、完全な悟りを得ることになるでしょう。
あなたが、この世で阿含経典と巡り合い、その修行を開始したなら,もしかするとあなたは前世で既に預流果の修行者だったのかも知れません。
仏道修行というものは,実際はこのようなものなのです。なーんにも知らないんだよなあ,みんな
はたして、あなたは何台目のバスに乗るのか? -
頭の良い人は気づく
釈迦が前世では,シダゴンとして死んだことを。
あなたは気づいたか? -
頭の良い人は さらに 気づく。
釈迦ばかりではなく、釈迦の弟子で、最高の悟りに到達した人々は,同じように、前世、シダゴンであった可能性がある。
霊鷲山に集まった500人以上の最高の覚醒者たち。釈迦教団の、この成績の良さはいったい、どこから来るのか? と,あなたは,思った方はいないか? 現代社会では,ほとんど、最高の悟りを得た人の噂を聞かないからね。
と,あなたは思わないか?
どれだけ、成績が良いのか?途方もないワ。
要するに,既に解脱の種子がまかれている、ということに気づかなければなりません。
そして、当然のように彼らはやってくる。
来るが如し,で如来になる。
というわけである。
安心してください。
この地球上には,解脱と種子が既にまかれているのです。彼らが,地上に戻ってくる時、その良い成績を上げる途方もない教団は,必ず出現する
ことになっているのです。
頭の良い人は、さらに,気づくのです。
この世で目立つ修行者は、アナゴンではないのです。
最高の悟りに近い不還よりも、一来果(シダゴン)の人こそが、この世に風穴を開けるのですね。
世に知られる事なく,最高の悟りに到達する人は、ポツポツと、現れているはずです。
そのこともあなたは、気づかなければいけませんよ。
アナゴンは ともかく 目立たないからね -
アナガーミン、アナゴン、不還、という全く目立たない存在を、例えば,創価の阿呆どもは、人々を教導しないかから、菩薩ではないから、ダメーという烙印を押す。
他人に知られていようが、いまいが、最高の悟りのゴールに辿り着いたものは、仏である。
彼には、霊界とテレパシックな回線が繋がっているので、サーリープッタやモッガラーナたちに、
ああ、解脱したんだな認知されるんだ。
創価の愚かどもが何を言おうと関係ねえワ。
菩薩至上主義,というのも一つの愚かさでしかないのよ。水は方円の器に従う。偏った考え方は、仏教ではないのよ。仏教は水だから。 -
もう一つ面白い話をしましょう。
これはどんな仏教道場でも教えてくれない事でしょうから
この、4段階の仏果についてですが、これはシダゴン以上の修行者に霊示が降りてきます。預流果の人には、御霊示が降りないものなのです。
自分がシダゴンにっなったとか、アナゴンになったとか実感が湧いたり,夢で暗示をいただいたり、そういうものは、預流果のひとには訪れません
何故なら、これは<天眼通>なのです。自己の境界を悟る能力、修行者が体得する6神通の一つ、なのです。未だ未熟な預流果の修行者には滅多に降りてこない霊示でしょう。
釈迦が説いたという過去七仏という考え方。
あれは真実であります。これは、地球に解脱の種子が既にまかれている,という事であり、
その種が何らかの芽を出すときには,如来の教団が出現するということ。
釈迦教団に阿羅漢が沢山おられたということは、同時に,アナゴンやシダゴンも沢山おられた可能性が高いわけです。
そのような修行者のうち、シダゴンや預流果の人々が環境の整ったところに転生して修行を行います。彼らは,釈迦教団の継続であり、生きる阿含経そのものである。
まあ、大体において、阿含経が大切にされる家庭に生まれるでしょう。間違っても、創価の家庭には生まれないねえ。わかるでしょ?
環境が整ったところに生まれるのですからね。
阿含経、Agama、未来に伝えるべきもの、
何故、伝えるべきなのか? それは、修行者がやってくるから。釈迦教団において阿羅漢に到達しなかった預流果以上の修行者が,転生してやって来るからです。
釈迦の教団は未だに続いている。それが分からないやつが、阿含経を中心に置かない新興宗教に走る。馬鹿者です。 -
仏道修行とはどういうものか?
アーナンダのエピソードは参考になります
第一回結集がカッサパにより招集されたとき、
アーナンダは、未だアナゴンだった。彼は、阿羅漢として集会に赴くことが相応しいと考え、当日までになんとか、最高の悟りを得て、阿羅漢として参加した。これは有名な話である。
では、なぜ、彼がこれほど修行が遅れたのであろうか? そもそも、目連、舎利弗、と来れば,人によっては,次は阿南という人は多かろう。
もちろんかっサパという人も多いだろうが、釈迦十大弟子の名を挙げようとすると,アナンは出てくる。名前が覚えやすいといえ側面もあるが、やはり、常にお釈迦さまのそばにいた彼には、阿羅漢果を得るチャンスはいくらでもあったと言える。
ところが遅れたのである。
遅れた原因は彼がイケメンだったことと関係があるだろう。
彼は人気が高く、説法をしていても、カッサパよりも、人々の集まりが多かったと言われている。
もちろんカッサパは一向に意に介さなかったと伝えられるが、重厚でいかにも哲学者みたいな顔立ちのカッサパよりも、明るい性格で、顔立ちの二枚目のアーナンダを人々が好んだのは仕方がないかもしれない。
彼は、一時期世俗の方にお茶に呼ばれて、世間話をすることが多かった、と伝えられる。
彼自身もそれを楽しみの一つとしていたことがあったようである。
だが、先輩の修行者にそのことを指摘された。
指摘されてからは、お茶の誘いを受けて世間話をする、ということをしなくなったと伝えられている。要するに、阿羅漢果を得るためには、そんな小さな楽しみごとさえ,遠ざけるという事!
これは脅威である。
そこに、我々が考える仏道修行と、実際とがかなりニュアンスの点で違うぞ!という感じがある。
お釈迦さまは、< 嬉しいことがあっても、有頂天になって喜ぶな!> ということを言っている。
これが、訳が分からないという人は、修行というものがそもそもわからない人だから、才能がない。
執着を捨てることが、お釈迦さまの修行である。
それは、執着を捨てることが,輪廻転生を停止させることに繋がるからである。
それでは、何のために,輪廻を停止させるのか?
それは、輪廻転生が苦しみであるからである。
そうなのである。釈迦も釈迦の弟子たちも、この世を苦海と看破する。
人生は素晴らしい!などと,彼らは口走らない。
そこが根本的に、現代社会において解脱者が出現しない理由でもある。 -
本を読んでも、映画を見ても、人生の素晴らしさを教えるものばかり。
これでは修行が始まらない。聖者の言葉は、阿含経典に,かすかに残っているが、それは出版されないことが多い。
要するに、前世,来世、を見る神通力者は、ほとんど出現しない。輪廻の実際が報告されないのであれば,輪廻の停止を目指す釈迦牟尼の教えも実践方法も、世間は必要としない。
だからこそ、創価学会も幸福の科学も,人気があるのでしょう?
釈迦教団のような実力あるグループまが出現するのには,条件が幾つか必要なのです。
神通力の持ち主が世間に増えること。
輪廻の醜悪さが世間に知れ渡ること。
ですから,解脱の原理がわかっていても、おいそれとは如来の教団はこの世に出ない。 -
強力な教団が出現しないのであれば、この世には単発的なアナゴンしか出ない。彼には多くの信者はいない筈。
世の中に、輪廻の実際が知られていないのであれば、仏道修行を求める人々が世の中に少ないのは当然のことであり、彼はほとんど独りで修行をなすであろう。
そういう事があるのにも関わらず、人々を教導しない独覚は、菩薩ではないから,価値がないなどという、創価の考え方は,世の中の流れを完全に理解していない愚か者の判断である。
仏道修行が大きな大衆運動になるのには、現代日本は条件がかけ離れたものでしかない。
輪廻転生の実際をほとんどの人が知らない。
天眼通と宿明通をっている神通力者がほとんどいない。だから,輪廻転生が醜悪で苦しみでしかないという事を、人々は知らない。
あなた方は余りにも、仏教というものを知らなさ過ぎる。 -
それでも、アナゴンはこの世に生まれて、
修行をつづける。
独りでも、仲間は居る
仏界が彼の前に開けている
彼以外 そのことは誰も知らない -
この世に風穴を開けて、教団を作る可能性があるシダゴンに比べて、アナゴンは心静かに、瞑想し、世間の誰にも悟られず、独りで修行を進めて、シーソホーツ天に行く。彼は、そのことを知って死ぬ。
日本語で兜率天と呼ばれる天界が、どのようなものかは既に彼には分かっている。彼には、天眼通があり、来世を知った上で赴くのである。
彼にはテレパシックな能力があり、
既に仏界におられる聖者たちとの交流も開けている。
兜率天とは、概念が形や色を持った世界である。その中で、肉体も持たないが、特徴を持った姿を持っている生物として、他者との交流もある日常生活を送ることになる。
全てが意味をなしているので、自分の姿や形にも大きな意味があるし、家族や、共同で暮らす仲間の精霊たちの色や形にも、大きな意味がある。
シダゴンが未だ知りえない抽象概念の世界を生きるのである。それが、最高の悟りをいまだ得ない修行者の最後の形態である。
阿含経の修行の果てにある修行はこのようなものだ。だが、多くの人々にとって、兜率天に行く事は、かなり難しく、修行を始めることさえ、出来ないまま人生を終わる方がほとんどである。 -
ま、そういうわけで、法華経バカの人々が、逆立ちしたってわからない世界は、いくら解説しても分からないものは分からないのである。
もう一度言う。法華経の修行は、単なる阿呆のやる事だ。仏道修行がどんなものなのかまるで分かっていない。
阿含経の修行をなさなければ、1ミリだって修行は進んでいない。
修行が進まなければ、人は輪廻を繰り返す。
輪廻を繰り返せば、人の魂はいつか地獄に落ちる。一度、落ちれば、抜け出すのに途方もない時間がかかる。
釈迦はだからこそ、この世は苦海であると看破した。阿含経は釈迦牟尼如来と彼の弟子たちが差し伸べる唯一の救いの手である。 -
阿含経が,現代に残されているという事は、
とてつもなく幸運な出来事である。これを為したのは偉大なカッサパという修行者
釈迦の弟子たちは <ふんぞうえ> という着物を着ていた。布切れを地面に埋めて、脱色してそれを洗ったのちに、縫いあわせるのである。
ある時、釈迦は、カッサパが着ているふんぞうえが、あまりにみすぼらしいので、そろそろ新しいものにしたらどうかと,言ったとか。
でも、カッサパはこれでよろしい、と言ったとか言わなかったとか。
要は、カッサパは物質的なものには一切執着心がなかった! 全くなかった! のである。
この世に未練がない人は、空も飛ぶ。
カッサパは空を飛ぶ神通力があったと言われている。余りに欲がないカッサパは釈迦をも呆れさせたほど。
そんな彼が後世の、私たちのために、
第一回結集を行い,阿含経を残してくれたのだ。
全く欲がない男が、阿含経を残してくれた。
社会的な地位の保身のために、人を罠に嵌める人、お金のために悪事に手を染める人、
そのような悪漢だらけの世の中に、阿含経を残してくれたカッサパ殿には、ひたすれ感謝するしかない。 -
その精神性おいて,カッサパほどの者はこの世に居ない。
釈迦牟尼も、公然と修行者としてのカッサパのアドバンテージを褒め称えたと言われている。
こんな凄い奴は,滅多に出てこないから。
感謝して、阿含経を受け取るにべきだ。 -
釈迦の教団が、はっきりと来世を判断し、阿羅漢たちが来世どこにも生まれ変わらない存在である事を認識していたこと、
これは、阿含経に出てくる<ドクロ仙人のはなし>で、わかる。
ドクロ仙人は、釈迦牟尼の神通力を試してやろうと、己の神通力を持って、釈迦に挑戦をしてきた。
地面から通力で骸骨を取り出し、この骸骨の持ち主が今どこに、転生し、どんな生活をしているかを、このドクロ仙人は読み取る事ができた。
ひとり、ふたりと、読み取り合戦が行われ、
ドクロ仙人は,釈迦牟尼が、己と同様に人の来世を読み取れる能力を有している事を確認した。
その時である。
釈迦牟尼は、ドクロ仙人が未だ気が付いていない事を教えて、喜ばしてやろうと、
釈迦の弟子で、阿羅漢果を得て死んだ者の髑髏を取り出し、ドクロ仙人に見せたのである。
いくら、精神集中をしてもドクロ仙人はそれが読み取れなかった。
来世がないという状態は、ドクロ仙人にとっては,全く未知の領域であったので、思わず釈迦に質問をした。< 一体どうなっているんだ? >
釈迦は答えた。これこそが我らの修行、輪廻の停止を目指すもの。 -
こうして、ドクロ仙人は、来世がないという境界を会得したくて、釈迦の弟子になった。
そして、修行を完成させて、彼も阿羅漢になったのである。
後に、ミガシラ長老、という名前で阿含経に出てくる人物こそ、このドクロ仙人であった。 -
阿含経は事実ですよ。
そこを分かってもらわなきゃあ困る。
阿含経はノンフィクション。
でも、
法華経,般若経、維摩経、無量寿経、………etc
大乗仏教経典は、全て,フィクションですよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
基本は認めろよ、これだけは、頼むぜ。 -
大乗仏教では解脱しない,という状況証拠は、もう一つ在る。
認識論に於いて、大乗仏教は< この世の事象は全て、 無常にして空である >と断定してしまう。
それ、 誤診ですから!」
と、ドクターホワイトなら言うであろう。
根本仏教ではどのように言うだろうか?
釈迦牟尼と彼の弟子たちは、< 世界は無常にして苦である >と認識していたのである。
空と苦、これが、どのように違うかは、修行によって体得していただきたい。輪廻の停止の為に、どのような観想の言葉を使うのか? それは、修行の成果から見ると、大きな違いを生んでしまう。
空が認識論的に正しくとも、苦を使わない観想では、成果は著しく劣るのである。
世界が無常にして空なるものだから、彼らは世間を捨て、林住をしたのだろうか?
いや、違うのだ。世界が無常で苦しみそのものだから,彼ら林の中には入ったのである。
あなた方は、大乗仏教では解脱しない事を体感で悟らなければいけませんよ。 -
阿羅漢になるのか,ならないのか、
二つに一つでございます。
これは、無明を肯定するかしないのか,と言う質問と同じなのでございます。
輪廻を繰り返すのか、止めるのか、この質問も同じ事でございます。
最高の悟りを得るのか、得ないのか、この質問も同じ意味でございます。
仏界に行くのか、行かないのか? これも同じ意味でございます。 -
大乗仏教をやり過ぎた人は、とことん,お釈迦さまから遠ざかってるからね。
可哀想だけど、それが現実だから。 -
ナーガール・ジュナは、空という概念を大乗仏教のために残しておきながらも、自分はいわゆる小乗仏教をしっかり修行しておって、シュダオン以上の仏果を得ていたのだから、ちょっと裏切り者のような感じがする。
だが、彼の生きている当時は,釈迦の根本仏教で大事にされていた37の菩提分法は、修行するのが当たり前だったのであり、まさか後世の人々が、空という概念を旗頭にして、菩提分法を捨て去るが如き愚かな行為をなすとは夢にも思わなかったのである。
空を中心に主張する般若経典群の中で、ついに大乗仏教は、驕り高ぶりを現し、菩提法には執着しない、という宣言をしてしまう。
要するに、すべて執着はいけない事だから,菩提法にも執着しないよ、とやっちゃった訳。
これは、冷静に考えれば、執着を捨て去る最高の方法を、それも執着だとののしり、捨ててしまったことになる。それは、のちのち大変なことになる。解脱を果たす人々が居なくなる、ということだ。
従って、大乗仏教隆盛の世になってからは、仏教で解脱する人が全く居なくなった。
おめでとう、ごさんす、なんて愚かな、阿呆ども
呆れますな。 -
執着を捨て去る方法にも執着しない
というのは、修行を捨て去ることに執着しない,と言うのとほぼ同義語である。
こんな愚かな論法を、なぜ、阿呆どもはやってしまったのか?
まあ、色々私は言いたい事はあるんだけれども、結局は、解脱の種子を持っている人が居なくなっちゃったのが,原因だと思うよ。
あらゆることに執着をしないのが空の修行、だから、修行にも執着しないよ、とやっちまったこの子供のような愚かさはどこから来るのか?
仏縁がない、と言うしかない訳ですよ。
修行に執着しないとは、何事か? お前は,仏道修行者ではないのか?
そうなのよ、大乗仏教徒は,仏様の信仰者ではあっても、修行者ではないのよ。
だから,修行に執着しないなんて,断言する
修行に執着しないということは、修行しないと言うことです。では何をするのですか?
信仰するのです。それが大乗仏教なのです。
ですから、釈迦一人を信仰の対象にしたい。
釈迦と同等の最高の悟りを開いた人が,五百人以上いたなんて事は、あまり、信仰の立場から言えば、困るので、
如来と阿羅漢を全く別物として分けてしまった,ということなのです。
だから、法華経では、阿羅漢をまだ悟りを開いていない者として、一段階、位を落として書いてある。
だから、法華経を信仰する人々に私は言うけれども、あんた方は,修行者ではないのよ。
あんた方は、信仰者なの。如来の賛美者なの。
あなた方は,仏堂修行のスタートラインにさえ,立っていないのです。
修行というものがどんなものかさえ分かっていない。
あなた方がやっているのは,信仰者としての日々のお勤め。
私がやっているのは,釈迦が行っていたのと同じ行法。
あなた方が、阿羅漢になるという目標を失ってから、もし、本当の仏教を探しているのなら、先ず阿含経を読みなさい。
そこから何かが始まるかも、
始まらないかも。 -
阿含経的な修行を進めれば、正直言って、経典に出てくる六神通力、のような体験も大いに起こります。
自分が少しでも体験すれば、阿含経に出てくるさまざまな神通力の話も、なるほどねえ,こういうこともあるのかなあ、と極めて身近な出来事して、素直に頭に入ります。
でも、修行してない人は神通力を信じていないから、こんなインチキな本を読んでもしょうがないと読むのを辞めてしまうかもしれません。
そういう者が,出版社にいれば、こんな本は出鱈目だから、刊行するのは辞めましょう,ということもあるでしょう。
でも、阿含経は生き残ってきた。
仏界の聖霊たちが、念を送っているのかもしれません。 -
ヨーガ的な事を言うと、他心通は胸のチャクラが関係してますし、天耳通は喉のチャクラが関係しているかもしれません。宿命通、天眼通は眉間のチャクラが関係しているのでしょう。
でも、一つづつ関係するのではありません。
体が総合的に関係します。また、体には各々の個性が有るので、空を飛ぶのに向いていない人もいますし、テレパシーが無理な人もいます。
またも、修行が進めば、なんらかの神通は、体験することになるでしょう。
執着心がなくなってくると,そういうものは自然と出てくるのです。
妙に感が冴えてきます。 -
テレパシー能力を覚醒させるためには、胸に大量の血液,酸素を供給しなければならない。
そして、三半規管を刺戟しなければならない。
三半規管を極端に作動させることで,何かが覚醒するのである。
したがって動作的には、平均台の上で、息が苦しくなるような運動を成せば良いことになる。
でも、実際に平均台を使う必要はない。バランスをとる動作を密に取りつつ、肺に負担をかけるような動作、息を苦しくさせるために、動作中に言葉を発するのが良い。息を吸いたいのに,喋らなけらばならなくする。それが良い。
動作の中に,胸を大きく広げたり狭めたりする行為が必要となる。それでいて,バランスを取る運動だ。
自分で考案して、やってみたまえ。
それが、テレパシストになるトレーニングなのだから! -
三半規管が極端に動く過程で何かが覚醒する、その覚醒した何かが、胸のアナハタチャクラと結びついて、超心理現象をもたらす。それが、テラパシーである。
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まあ、6神通には、対応するチャクラがヨガによって明かされているので、修行体制を整えることはそんなに難しいとは思わない。
けれど、注意しなければならないのは、それが目的になってはいけないということだ。
阿羅漢果を得る、少しでも阿羅漢に近づくこと、
そのための修行なのだから、テレパシーというものにこだわってもダメ。
6神通は世界の真実の姿を見ることにつながる。世界の真実を見れば、世界の無常と世界の苦を知る事になる。そうなれば、人はこの世に対する執着心が消えてしまうのだ。
それは、絶望とは違うものである。むしろ、絶望の部屋から抜け出す救いのようなものなのだ。
それは、あなたが最高の悟りに到達したときに分かるから、ことを急いで心配することは無いのである。 -
阿含経には、釈迦とモッガラーナが、テレパシーで論議をしたことが記されている。ちょうどその直後、サーリープッタがモッガラーナを訪ねてきて、モッガラーナが、あのお方と話し合っていたとを告げた。
こういうところは、モッガラーナとサーリープッタが、常日頃から行動を共にしていたことがわかって面白いが、まさか、二人の神通力者が、iPhoneも使わずに、こ難かしい修行の議論をしていたとは、驚きである。
こんな記述があると、テレパシー能力が釈迦教団では日常茶飯事であったことが分かるが、そういう事を書くと、釈迦教団では、むやみやたらと神通力を使うなと禁止されていたはずだ!と怒る人がいる。
怒る人は何もわかっちゃあ居ない!
阿羅漢果を得た人は修行が完成したのだ、
と言うことがわかっていない。
修行の妨げになる場合もあるから、神通力をむやみに使うなと禁止されているのであって、阿羅漢は既に修行を終えているのであるから、その禁止事項には該当しない!
愚かな人ほど、執着心を起こし、くだらない言いがかりをつける。
もちろん、そういう人は、神通力を信じてもいない。本来なら阿含経から神通力に関する記述を削除したいという愚か者なのである。
そのことが、後世にどんな災いをもたらすかを考えましないで、自分の狭い了見の中で、大切な書物を変更しようとする馬鹿者がいる。
確実に、そういう奴らがいるのだ。
聖書でも、輪廻転生に関する箇所が、何回かの宗教会議で削除されている。
その事が、人間の歴史の中で、悪い影響を与えている。
輪廻が存在しないと思う人は、この世は一回きり、やり得、だとか、攻撃されるのを持っているよりは攻撃したもん勝ち、という発想になってしまう。聖書を信じてきて白人は、他民族を殺したり、奴隷にするのなんかは平気の平左。
輪廻の削除がなんらかの悪い影響を与えてきた、と私は思う。
いっときの判断で、正しいと思う事をしても、後で大変な間違いであったということはあるもんです。ましてや!聖書や仏典を、簡単に書き換えないでいただきたいですな。 -
死海文書なんかが出てきて、本来はこのようであったという事が暴露されるのは、全く気持ちが良いものだ。為政者や権力を持つものが勝手に書き換えても、後で元に戻される。くだらない存在が、いくら邪魔しょうとしても、聖なる書物は
原点復帰の力がある。
阿含経に記述されていることでも、この部分は後世の書き足しであるから、嘘っぱちの可能性があるなどという輩はいつの時代でも現れるが、
解脱を果たしていないし、神通力の体験さえしていない愚か者が、聖なる書物を書き直したり、削除したりするのは、金輪際、私は反対である。
執着心の多い、魂の汚れたやつほど、阿含経が気に食わない連中なのは、わかりきったことだから。
なんとかして、聖なる書物を破壊したい衝動を起こす。そういうものなのだ。 -
金銭欲も無く、着るものさえ何も欲しがらなかった、そんな男が、阿含経を後世の人々のために、残そうとした。それだけは求めたのである。
我々のために、欲したのである。
後世の人々の魂のために、それを残してくれたのである。
我々は深い感謝と共に、それを受け取らなければならない。 -
日本史上、最高の宗教的素質があった天才、空海は、阿羅漢果を得ていない。彼は、弥勒と一緒にまた降りてくる、と言い残したのだ。
してみると、彼はシダゴンとして死んでいる。
釈迦の弟子の中には、空海より素質のない人々は大勢いたであろう。だが、彼らは最高の悟りを得て阿羅漢になっている。
天才空海でさえシダゴン止まり、と言うこの現実を我々はどのように受け止めたら良いのだろうか?
なぜ、解脱する人と解脱しない人があるのか?
大乗仏教が誕生してからというもの、なぜ人はこれほど、阿羅漢から遠ざかってしまったのか?
一体、どこが悪くて解脱しないのか?
皆さんは、天才空海でもシダゴン止まりだった、という現実をしっかりと覚えておかなければいけません。まして、空海以外の人は阿羅漢果どころか最初の階段であるシュダオンにさえ到達していない!
イヤハヤ、イヤハヤ,お粗末な顛末。
大乗仏教の唱えている「空」は、文字通り修行においても空っぽでござーーーーーい!
ハハハハハハハ。 -
如来と同じ時代に生まれるということが,どんなに凄いことで、奇跡的なことか?
我々は痛感するのである。空海ほどの才能がなくとも、如来と出会えば、阿羅漢になれる。
その事がどんなに素晴らしいことか、体験しなければわからないことだ。
これを、解脱の種子、と呼ぶのである。
阿羅漢に導かれる運命を手に入れること、それが解脱の種子である。
はてさて、金剛大乗仏教の空海は、いかにしてその種子を手に入れたのか?来世では彼は如来と出会う。それを確信したからこその、弥勒如来に関する遺言である。
流石は空海。己の来世を悟っているし、解脱の種子を手に入れた。
それはどこから?と皆さんは思わないか?
実は、密教には、阿含経へと繋がっている不思議なものがあるのだ。阿含経の三十七菩提分法を表す、三十七人の如来が配置された曼荼羅が!
それが、阿含経の三十七菩提を表すことに気がついたものは、少なからず、意識が阿含経へと向かう。
私は空海がそれに気がついて、阿含経的な修行を少なからず行ったと見ている。
あらためて空海の才能を評価すべきであろう。
彼は、何よりも大切な解脱の種子を手に入れた。
彼の魂はすでに救われており、
決して地獄に落ちることはなく、如来へ至る流れの中に入っている。凡夫のまま死んだ他の宗派の開祖たちとは、一味違う。
空海だけは別物だ。 -
9.11を起こしたメンバーたちは、何度生まれ変わっても,決して行く事ができない境界がある。
そこは魂が安らぐ場所だ。仏教の聖者たちが赴く所、仏界である。
悪事に手を染めれば、
魂が地獄に落ち、地獄から這い出るのには膨大な時間が必要となる。
この物質世界しか見えない奴らは、来世を信じない。だが、エドガーケイシーは、輪廻転生を証明して見せた。前世も来世も実際にあるのだ。
聖書は、悪人どもを改心させる手段として、輪廻転生をきちんと記述すべきであった。
今更言ってもしょうがないけど。 -
まあ、そんなわけでね、空海大先生の事を、一生かかってシダゴン止まりとかなんとか書いてしまったけどな、空海ほどのものは日本には現れていないのよ。役小角と空海は、別格だから、両手を合わせて拝むしかない,という傑物だ。
生意気な書き方をして悪かった。
でもね、俺が書いたことは本当のこと。
人間には時代の限界,というものが付き纏っている。今は、あれほど低く扱われていた阿含経のことを、根本仏教と言って再評価する時代であるから、いくぶん恵まれた時代である。
これからは、シュダオンやシダゴンやアナゴンが
日本人の中から多く出現するのではないかなと、期待しています。 -
人は前世の記憶を持って生まれてくる。
それは、退行催眠で、証明されている。
患者で、前世など無い、と答える人は一人も存在しないのだ。
全員が、ある橋を渡ってきた、と証言すれば、
その橋は存在する、と考えなければならない。
従って、前世は存在すると考えなければならない。
そして、前世があって、来世が存在しないのは、
あり得ない事なので、来世もあることになる。
釈迦たちが喋っていることは,本当のことなのだ -
この世はバーチャルな世界でしかない。この世に執着して、物質的な快楽や富,名誉などを求めるのは愚の骨頂である。
たとえれば、詳細に背景や周辺人物のキャラが設定されたゲームの世界に居るようなものなんだ
そこで、優位を得ようとして、登場人物達を排除したり、ビルや権力を強奪しても、却って住みにくくするだけ。それは第二の悪党が現れ、そいつの地位を奪いにくるだけだからだ。第二の悪党を倒しても,第三の悪党が現れる。
第一の悪党が世界を悪の論理に染め上げたから、
今度は自分がやられるまででその連鎖が続く。
自分に相応しい世界を自分が作って居る,と言うゲームなんだから、それは、そこを見抜がないと、愚か者の末路が待っている。
この世がバーチャルだという証拠みたいなものは無数にある。 -
阪神大震災は午前5時46分に起こったが、全滅した神戸三宮商店街の中で、たった一軒が無傷で残ったと言う。
それは喫茶店で、その名前は、< 5時45分 >だった。夕方の待ち合わせの時間から付けた名前だそうだ。
もし、この店の名前が<5時50分>だったなら、この店も潰れていただろう。
名前のせいで、壊滅すべき三宮商店街のバーチャルプログラムに誤作動が起きたのだ。バーチャルだからこそ起こる誤作動やバグの発生は、結構起こっている。 -
私なども、勘が冴えて,本来わからないはずの馬券が当たったりすることがある。あるいは、株の投資なども。もたもたい
血統の勉強もたいしてやった事がないし、展開など考えた事がない。それでも,妙に分かるときがある。
なぜひらめきがあるのか?説明として,私の場合は兄が勉強していたと言うのがあるが、兄から弟へ才能が遺伝する訳がないのだから、その説明はおかしい訳だ。
株の場合は、母が株式投資をしていて,毎日のように新聞の株価欄を見ていた、と言うのはある。
だから遺伝,と言う説明ができるが、本当に遺伝なんかするのか?
私は22歳の時に、株式投資の夢を見た事がある。
その夢の示唆するところは、シチズンを買え、と言うものだったので,千株だけ買ったが、2週間ほどで5万円儲けたけど、母親は株の夢などは見ない。
遺伝ではないのだ。それは、私に関する設定でしかない。この男は、株の投資の才能があることにしておこう、と言うゲーム上の設定だ。 -
選挙当選風景のリハーサルを本番と間違って放送したり
票が足りないのに当選と発表しちゃったとき
テロップなどを使用して押し通すんかね -
東京タワーの機能がスカイツリーに置き換わり必要なくなったので
安全のため解体されました、というニュースは日本人には理解できるが
アメリカ人が理解するには
ゴジラの映画を作ってへにょとタワーを曲げてやらなきゃならないんだよ
特にビル・ゲイツはな! -
この世は現実ではない、という言葉を、一切皆空と表現すれば、仏教的になる。
バーチャルと< 空 >では、しかしながら少し意味が違ってくる。
バーチャルでは、特殊で異常な事が起こる特異点が存在する。そこでは時空が不安定になっていて、物質の存在が希薄になる。地球上の他の特異点と存在が入れ替わったりする。
ネス湖の湖底で、ネッシーの存在を調べていた調査隊が、湖底を歩く裸の少女を目撃している。
記録にそれを書くわけにいかないから、書かずに無視されたようだが、目撃したのは事実。
湖底のある部分が、他の地球上のある部分と繋がっているだけのことで,何も不思議なことではないのだが、日常生活とかけ離れた事は、社会生活では、取り扱わないことになっておる。
旅客機のパイロットでも、UFOを目撃した事を人に喋ってしまうと、パイロットを続けられなくなる。だから引退してから本当のことを言う。 -
どこの国で起こったことかは忘れたが、昔は空気を送る管が入った潜水服を来て,海底に降りたようであるが、
あるとき、潜水していた作業員の重さが、まるでなくなったそうだ。慌てて、船上に上げて、頭部を外したところ、なんと!
中には誰もいなかった!彼は行方不明となった
彼はどこに行ったのか?
それは分からない。分かっているのは、この世は無常であり,脆弱であり、時空は堅牢なものでなく、儚いものだ、と言うことだけ。
修行を急げ。 -
ビルに飛行機が突っ込んだなんて真珠られなーい!
-
この世はヴァーチャルリアリティー。
成り行きが斜め上過ぎて訳がわからん、ということが起こ得る。
あるバンジージャンプをしているところで、
とある客が留め金をしないで落ちてしまった、という。
スタッフたちは懸命に体を探したが,見つからなかった。だが、数日してから遺体が見つかったが、道路に敷いたシートの下から発見されたという。しかも、死亡原因は窒息死だった。 -
よく言われるのは、闇組織とか、deepステートとか子供をかっさらうグループがいるようである。
この組織は、エリートの組織であり、今度のマウイ島の火災も、このエリートたちが起こしたと、もっぱらの噂である。
これは誰の目にも明らかで、エリートたちの豪邸は、まるで火災を避けている。
ところが、すぐ近くの一般民家は丸こげなのである。火災がまるで家を選んでいるかのようにはっきりしている。
ここまで露骨に家が選ばれてしまっているのでは、もはや言い逃れなどできない。完全に今度の火災は富裕層たちエリートを守る集団が起こしたのである。
こういうエリートたちは、その頂点には、ロスチャイルドとかロックフェラーなどが居るとは思うが、では、彼らが幸せな人生を送っているかというと、やはりそうではない。
ロスチャイルド家の長男は、飛行機事故で死んでいる。やはり悪巧みをしている人々は、幸せな人生を送れないのである。因果は、その息子や孫に確実に伝わっているのだ。
だから、いい加減やめればいいものを、
彼らは性懲りもなく続けている。
ただの馬鹿としか言いようがない。悪魔を崇拝しても良いことは一つもない。
無駄な努力だよな。 -
吾が國政に於ける一大政黨、自由民主黨、其の歴史を顧みれば、已に多大なる足跡を歴史の舞台に刻み給ふ。
自由民主黨は、其の設立以来、國內の安寧と經濟の隆盛を築き上げんとの重責を果たし続け、國民多數より深き信賴を集め給ふ。
其の經濟政策及び外交政策は、國際舞台に於いても其の威光を放ち、國內の繁榮を支え給ふ。
教育、醫療、社會福祉等、社會基盤の改革に於いても、自由民主黨は進歩をもたらし、市民の生活水準の向上に尽力し給ふ。
其の政策決定の過程は、國民の多樣な見解を熟慮し、國益を優先し給ふるものなり。
自由民主黨は、未來への洞察を有する政黨として、國內外に於いて廣範な評価を受け給ふ、安定した政府を提供し給ふ所存である。
我が國の繁榮と發展に於いて、自由民主黨が果たしてきた責務は大きく、今後も日本國の進展と國民の幸福追求に尽力し続けんと欲する次第である。 -
アメリカ軍かっこいい
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