-
野球殿堂
-
清原はどの監督の下で育てられるべきだったのか? [無断転載禁止]©2ch.net
-
UPLIFTで広告なしで体験しましょう!快適な閲覧ライフをお約束します!
例 古葉監督
新人であらゆる快挙。オフはマスコミにちやほやされまくりの清原
いい気になってキャンプで気の抜いたプレーを連発する清原を古葉は蹴倒し、
ボコボコに殴る
改心する清原。
以後、日本一の打者に - コメントを投稿する
-
キモ原カス博は生まれながらの汚物
-
1001に顔が変形するほど殴られ目が覚める清原
-
古葉ってあんな少年みたいな顔して
KOされた投手にケリ入れたんだってな -
堤のいないところ
-
金本監督
-
清原は王・長嶋以外の監督の言うことなんて聞く耳持たないでしょ
-
当時のPLで育ったんだから、PL同様の軍隊式の厳しい指導のチームの方が
合っていたのだろうとは。
そんな意味では確かに広岡監督なんて最適だったろうけどね。 -
関根潤三
-
西本幸雄かな
-
草魂
-
せめて東尾と公式戦で対戦する機会があればインコースを克服できたのかも知れなかったのにな。当時の西武に入団したのは良いんだか悪いんだか。
-
>>8
広岡だと確執生んで辞めてそう -
星野
-
濃人
-
清原のドラフト時は西武は後任監督が決まっていなかったから清原の入団交渉権のクジを引いたのは故根本陸夫管理部長だった
因みに故根本陸夫さんは最後の大正時代生まれの監督だった -
監督 山本浩二
ヘッド 大下剛史
打撃 水谷実雄
守備走塁 三村敏之 -
星野
-
なんで落合なんかに師事したんだろうね
今になって落合の悪口言いまくってるけどあんなの頼ったあんたが悪いんやで -
落合とかは俺流なんだから弊害も起きやすい
横浜の鈴木も打てなくなったし
監督としては厳しい人だね
古葉さんとか仰木さんとかだろうね
監督(親)が放任主義だと、若さから脱線する人物が清原で、清原や相撲の若貴兄弟(脱線しなかったが)
は、バブル景気後の偽物のスターでしかない -
どんでんとかどうだ?逆に
-
ノム爺でしょ
-
>>22
野村は清原を評価し、清原も野村を慕ってたからな
とはいえ直接の上下関係となれば話は別
ノムのネチネチとしたマスコミ経由の苦言に対して単細胞の清原は苛立つばかり
フラストレーションから逃げるため、結局覚醒剤に溺れることとなる -
野球選手に大事なのは判断力だが、清原のプレーからは状況判断をしているとか、頭を使っているとかが全く伝わってこなかった
https://dot.asahi.co...a/2016020900178.html
実績を残した人は監督やコーチをやっているじゃないですか。
だから、あれだけの選手だった人になぜ声がかからないのか不思議だったんだ。
球団の幹部も見ているんだな、指導者になるような、人の上に立つ人間ではないということを。
プロ1年目から俺の記録はいつか清原に塗り替えられるなと思っていた。こんな選手いない。ただ物足りなかった。
野球選手に大事なのは判断力だが、清原のプレーからは状況判断をしているとか、頭を使っているとかが全く伝わってこなかった。
技術の先には頭脳と感性が必要なんだよ。でも清原は若いときに教育されていないから考えないし感じない。
人間の最大の悪は鈍感であると言うが、まさにそのとおりだよ。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) -
有藤道世だったらもっとグレてしまいそう
-
金ヤン監督のもとではどうなってたんだろ‥
-
星野に1001発殴られていたらよかった
-
大沢親分の下で新人時代やってたら、どうなっていたろうね?
ぶん殴られていたかな? -
辻 工藤 秋山 伊東 なべQ 田辺 あのデーブ大久保でさえ監督できたと思うと広岡がもう少し長くやってくれてたら
-
>>29
トンビ・ヤクザ「私を忘れているぞ」 -
広岡がやっててもやめたら反動でもっと無茶苦茶した気がするんだが
-
ルンバ伊原
-
監督より
堤が1番のガンだったんでは -
ガンは清原
-
>>34
まあ当然大前提はそれだと思う -
江夏にやくざに見たいと言われたが慕われていた大沢
-
牛島和彦
「キヨ、頼むぞ(ニッコリ)」だけで震え上がるだろ -
星野は伊良部が最期に頼ろうとしたのに何もせんかった奴だぞ
-
ジョイナス守道
-
根本というヤクザな管理部長がおりながら、どうしてああ甘やかされたんだ?
-
清原弘子
-
桑田は殴ってやりたいとか言っていたな
-
末期に打たれてニヤニヤしていたのを見て殴りたいと言っていた
-
>>41
堤 -
>>45
そのわりに仲良く共演してたりするからな -
清原の性格は「まんま」田代まさしと同じだから。
不良を気取っても実は小心者。人前に出るときのストレスが大きく寂しがりやでクスリに手を出す。
田代まさしは住吉会・西口総裁の従兄弟と判明したがヤクザに不向きなことは自分でもわかっていたであろう。
高校入学式でイキガッテ教室に入ったら超コワモテの鈴木雅之がいて「ま・・まいりました・・。」となったらしい。 -
ロッテだな、入った時は稲尾いるし
同僚も落合、村田兆次、愛甲とディアズと清原を押さえつけれる奴はいくらでもいる
少し後に金田も入ってくるしこれにも逆らえない、その次はボビーでアメリカ野球に感化されるだろ
ただ問題はその後、巨人に行くことは間違いなさそうなのでそこで甘やかされたら
カンチョーマンに成り下がる -
キモ原は元々性根が腐り果てているので、誰の下でやろうと同じこと
-
>>29
石毛 鹿取 が監督になったらパーフェクト -
>>52
鹿取は巨人のGMになっとるだろ。 -
>>52
石毛はオリックスの監督やっただろ。 -
>>49
ロッテに入ったら川崎の街に繰り出すからアウト。 -
清原のことマザコンだと思う?
-
野球選手は年上好きだからマザコンがほとんど
-
桑田監督しかいない
-
【選手・清原和博 裏番行状記】大麻パーティーで強引に… 庇護なくし丸裸で巨人へ “疑惑”はチーム内に拡散
http://www.zakzak.co...1602171140001-n1.htm
名実ともに“レオの顔”となった1990年代初頭。所沢の球団事務所に、
一般男性が怒り心頭の表情でどなり込んできたのだ。
この時期の清原容疑者は都内のマンションに住んでいたが、元球団関係者は
「時おり知人を集めては大麻パーティーを開いていた」と証言する。
さらに「ある日のパーティーに参加していた女性が大麻を強引に吸わされ、もうろうとした状態で帰宅した。
様子がおかしいことに気づいた両親が事情を聞いて激怒し、球団へ抗議に出向いた」というのだ。
「娘になんてことをするんだ」とねじこまれた球団フロントは平身低頭。
当時の管理部長だった故・根本陸夫氏らは「とんでもないことをやってくれたな」と頭を抱えていたという。
だが、この一件は表沙汰にはならなかった。
球団幹部が必死に頭を下げ和解に持ち込むことができたからだった。 -
故・西本さんか広島古葉あたりかな。
-
堤森より土井に問題ある
片岡コーチに出会ってたら
今の大山クラスの活躍はしてた -
故根本、古葉、関根のヤクザ3人衆
-
高校野球だと誰だ?
中村順司じゃだめだ。 -
親不孝なことをしたなー
-
長嶋清幸みたいな超悪ガキがまったく増長する隙のなかった古葉広島体制
-
王監督か野村監督
-
>>19
松井秀喜はそれで上手く言ったから所詮個人の意識の違いでしょ? -
キモ原「日本ハム時代も当時の大社オーナーと話をして、2年でジャイアンツと同じほどの給料をもらっとったらしいけど、
パの投手に対応できず3億円のぬいぐるみがベンチに座っとると笑いものになっとった(笑)」
キモ原のオリックス時代の成績
試 席 数 得 安 二三 本 率
2006 67 241 203 21 45 7 0 11 .222 2億5千万
2007 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 2億5千万
2008 22 25 22 0 4 2 0 0 .182 1億1千万
落合の日ハム時代の成績
試 席 数 得 安 二三本 率
1997 113 466 397 35 104 14 0 3 .262 3億
1998 59 192 162 11 38 6 0 2 .235 3億 -
オリックスも日ハムも商売が下手
広島や中日、ロッテなんかを見習わないと -
キヨとはPL硬式野球部の同期だがドラフトの時はえらい荒れとったわ
だから後輩でプロ行ったタツ(立浪和義)や同部屋だったキヨシ(橋本清)もキヨには声かけられへん状態やったし -
喫煙スキャンダルしか話題にならなかった宮城の不良を日本の腕にしたあの外人は?
-
大沢親分は?
-
大沢って、意外と年下相手でも気を使って遠慮するタイプだろ
-
星野だが、中日の殴りモードじゃなく楽天の優しいじいさんモードの方がよかったかも
父性を感じて心酔し、ワイはこの人には死ぬまで尽くすという
嶋や今岡に並ぶセンチル教信者が一人増えた、と。 -
大沢親分は遠慮なんて一切しない
でも自軍の選手が不祥事を起こした際は「俺の管理が悪かった」とバッシングの矛先を自分に向けるタイプ
清原がその姿に心をうたれるかと問われれば、答えはNOだ -
大沢は江夏にかなり気を使って立ててたぞ
-
2000年日本シリーズ最終戦ノーカット版を最近改めて観たが
3番打者・清原の手強い感が凄い。
一発狙いは捨てて、4番松井への一見地味な繋ぎ役に徹してるけど
ボール球をしっかり見極めて振らないわ、インコース寄りの球は
ファールで粘りまくるわ、かと言ってアウトコースに甘く入ったら一発食らいそうだわ
とにかく対峙するピッチャー目線で見てると、滅茶苦茶やりにくそうw
率も4割近く残してたしな。
常勝西武の4番のイメージが強いけど、3番打者の適性は高かったかも。 -
チームの足を引っ張る疫病神・キモ原カス博
がいなくなった途端に連覇した西武
西武
1995 3位
1996 3位
キモ原巨人へ移籍
1997 1位
1998 1位
チームを腐らせるクズ野郎・キモ原カス博が
来た途端に前年優勝からBクラスに転落した巨人
巨人
1994 1位
1995 3位
1996 1位
キモ原巨人へ移籍
1997 4位 -
清原和博様(西武時代)
1986〜1994 1位
1995〜1996 3位
私は何があっても清原和博様の味方だ -
89年は1位じゃないでしょ
-
西武の順位
1990 1位
1991 1位
1992 1位
1993 1位
1994 1位 95より秋山ダイエーへ移籍
1995 3位
1996 3位 97よりキモ原巨人へ移籍
1997 1位
1998 1位
秋山がいなくなり連続優勝が途絶えたが、チームの足を引っ張る
キモ原とか言うゴミがいなくなったおかげで、連続優勝へ -
秋山がホークスへ移籍したのは93年オフだぞ。
-
西武の順位
1990 1位
1991 1位
1992 1位
1993 1位 94より秋山ダイエーへ移籍
1994 1位 95より工藤、石毛がダイエー移籍
1995 3位
1996 3位 97よりキモ原巨人へ移籍
1997 1位
1998 1位
秋山、工藤、石毛がいなくなり連続優勝が途絶えたが、チームの足を引っ張る
キモ原とか言うゴミがいなくなったおかげで、連続優勝へ -
97、98は05の阪神みたいなもんで嬉しくない優勝の典型だわ
-
>>86
89年は首位近鉄とは0.5ゲーム差で3位 -
巨人へ入って、松井みたいな感じで長嶋に育てられたら
反発するでもなく、堕落するでもなく、良い線いったかもしれん。
巨人時代の清原に関しては、毀誉褒貶が激しいけど
長嶋時代は少なくとも表向きは大人しく過ごしていた。
(野村貴仁の例の証言はあるけども・・・・)
まぁ、長嶋にしてみれば、あのONシリーズでの清原の働きだけで
清原を巨人へ招いた意義があっただろ。 -
金やんの下だったらどうか?
根性根性言われて単純な清原には案外いいかもしれん -
帝王堤の庇護下って特殊な状況さえなければ大分変わってたろうな
-
清原が抜けて優勝した西武
97年、清原が巨人に移ると、西武はそれを待っていたかのように優勝し、前年優勝の巨人は4位まで落ちた。
東尾西部が若返りに成功し優勝したのは、「チームワークを乱す清原がいなくなったからだ」と言われた。それを
聞いて、清原はどう思ったろうか。
西武はすでに清原後を視野に入れ、5カ年計画をつくってチームづくりをしていた。計画のスタートは彼の力が
極端に落ちた93年からだ(この年のドラフトで、1位石井貴、3位松井稼頭央、94年に2位小関竜也、3位西
口文也、4位高木浩之を指名している)。
97年の成功はそのモデルチェンジ策が実ったもので、日本シリーズで対戦したヤクルト野村監督が「短いあい
だによくもこれだけチームを変えられたもんや」と関心するほどだった。
清原の代わりに四番に入った鈴木健は打率・315をマークした。96年、清原が得点圏打率・248とチャン
スに弱い四番だったのに対し、鈴木のそれは・375だ。
四番清原が改革をはばんでいたことが証明されてしまった。
清原が入った巨人の関係者はチームワークへの影響を心配した。巨人にも西武とのさまざまなルートがある。そ
こから伝わってくる情報は「清原はチーム(西武)ですでに浮いていた。練習も勝手気ままなので、首脳陣も手を
焼いていた」というものだ。
フロントは「さぼり病が若手選手に伝染するのではないかと心配した」のだが、「ウチには猛練習の伝統があるか
ら、それはないと思う」と気を休めた。
このとき、巨人には監督の長嶋のほか、コーチ陣にヘッド格の堀内恒夫、守備総合の土井正三、外野守備走塁の
高田繁と巨人のV9戦士がいた。彼らは清原を「一から鍛えなおす」つもりだったが、実際に清原を見ると、29歳
の身体は「ボロボロで、鍛えようにもそのための体力がなかった。ノック一つするにしても、肉離れを心配しなけ
ればならなかった」から、満足な練習もさせられなかった。清原もそれをいいことに、巨人式トレーニングを拒否
して、身体づくりに打ち込むふうでもなかった。
清原は西武で、なにをしていたのだろう。 -
秋山と清原をそれぞれの全盛期で比較すると、
守備や走塁も含めた総合力なら秋山が上なんだろうけど
投手として対峙した時に、打者として怖いのは
秋山よりも清原だろうなぁと個人的には思う。
そういう意味で、秋山よりも清原を4番に置いた森采配は
間違いは無かったな。現にそれで8回リーグ優勝したし。 -
清原を過剰マークすると、D砲にやられた
-
死球を当てたホッジスには怖くて向かっていけず、小柄な高須に報復する陰険・怯惰な清原
危険なスライディングの伏線は6回表、清原が腰に死球を受けたことにあった。
二塁の守備位置で高須は「来る気配を感じてましたよ」と、身の危険を察知していた。
想定通り、清原のスライディングは足元に来た。高須は覚悟を決めていた。
左すねを蹴り上げられると、清原に覆いかぶさるように倒れた。
高須「足をベースにつけて踏ん張ると蹴られた弾みで大けがにつながる。
だから倒れないとダメなんです」。
併殺は見事に完成した。すぐに高橋守備・走塁コーチが飛んできて審判にアピールした。
「スパイクの歯を向けていただろう! 許せないプレーだ」。
後に写真で確認すると、つま先が左すねに食い込んでいた。 -
西本幸雄
上田利治
稲尾和久
↑今すぐ読める無料コミック大量配信中!↑