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【文芸】「巨大な帝国」はなぜ繁栄し、そして滅んでいったのか <5分でわかるオスマン帝国> [湛然★]
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3/21(金) 7:01現代ビジネス
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およそ600年ものあいだ「世界史の中心」に君臨していたオスマン帝国。多民族・多宗教の大帝国は、いかに栄え、そして滅びたのでしょうか。
3月21日発売の『オスマン帝国全史』(講談社現代新書)著者・宮下遼さんが、「オスマン帝国」600年の歴史の流れをわかりやすく解説します。
■17世紀に広がった「オスマン世界」
本書ではオスマン帝国の歴史を、建国・拡大期、近世、近代の3つの時期に大別しています。分かりやすいように日本の各時代に照らして概観してみましょう。
オスマン帝国を築いたトルコ人の祖先たちは、日本の歴史に照らせばちょうど平安時代のはじめごろから中央アジアからイラン、イラク、シリア、エジプトなど、現代の中東地域へ進出し、ガズナ朝やセルジューク朝などのイスラーム王朝を築き、西アジアに確固たる地位を築きました。
そして荘園が築かれ武士層が抬頭するころ、このトルコ人たちは当時の西ユーラシアの大国であり、古代ローマ帝国の正統な後継者と見なされていたビザンツ帝国(東ローマ帝国)との大会戦に打ち勝ち、現在のトルコ地域へと移民を開始し、すぐにも各地の都市を征服し、多様な住民たちを統率する領主へとなっていきます。それと同時にいまのトルコ地域は300年にわたる戦国時代にも似た混乱期を迎えます。
オスマン帝国を築いたオスマンとその一党もまた、こうした戦国の世において功名した武装集団でありました。彼らはちょうど鎌倉時代に2度の元寇が終わったころ、ビザンツ帝国との国境地帯の街を征服してオスマン侯国を築きます。とはいえキリスト教徒の帝国ビザンツとは争うばかりではなく、むしろ長きにわたり同盟関係を構築し、その結果オスマン侯国はトルコ人としてはほぼはじめて海を渡ってバルカン半島、つまりは現在のヨーロッパ亜大陸へと進出します。
弓馬の術に優れ、また軍事組織と地方支配体制が一致する強固な組織力を誇るオスマン軍は、すぐにもギリシア、ブルガリア、セルビア、そしてハンガリーを征服していきます。
このころからオスマン侯国はそれまでイスラーム世界で脈々と行われていた奴隷を用いた人材育成制度を史上まれにみる規模で制度化し、異教徒の子弟を行政官や学者、そして職業軍人へと育てる術を身につけます。こうしてオスマン帝国は「御門の奴隷」(カプ・クル)と称されたいかなる民族にも属さない統治選良を生み出すことに成功するのです。(※中略)
■帝国の解体と「国民闘争」
江戸時代の日本が天下泰平を謳歌しているころ、オスマン帝国は苦境に立たされるようになります。18世紀後半より西欧化に成功した隣国ロシアの南下がはじまり、軍事的に敗退を重ねるようになるのです。折しも啓蒙時代を通じ国民国家の概念が生まれつつあったこの時代、オスマン帝国の衰微はその支配下にあったさまざまな勢力の離反をも招き、各地で反乱が起こるようになります。
帝国首脳部は西欧の技術の導入に努め、帝王や群卿の中には改革をこそ帝国再興の唯一の手段であると信じ、ときに反改革派に弑逆され、追放されながらも、しかし遅々とした歩みで欧化改革を進めていきます。そして19世紀末になるころには、オスマン社会はかなりの程度、西欧化することに成功していました。
しかし、それまで列強諸国が保っていた危うい均衡が崩れ、第1次世界大戦が勃発します。帝国はドイツと同盟して参戦し、そして大敗を喫します。戦勝国たちは地中海世界と黒海、インド洋を結ぶ交通の要衝に当たるオスマン帝国の広大な領土を分割しようと目論見、帝国政府は国体の護持のため不承不承、これを受け入れました。
分割案に従えば、オスマン帝国は600年前に産声を挙げたばかりのころの小国へと転落したことでしょう。ところが、帝国の中核地域に当たる現在のバルカン、アナトリア地域の「オスマン国民」たちは、この領土分割を受け入れず、ふたたび戦争に着手します。それが本書では「国民闘争」と呼んでいるトルコ独立戦争です。
そしてこの戦争の過程で、まさに「国民」の支持を巡ってオスマン帝国政府と、領土分割に異を唱える人々を糾合したムスタファ・ケマルが率いる大国民議会派(現在のトルコ共和国)が鋭く対立し、やがて後者の勝利を以て帝国は政治的に滅亡するのです。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) - コメントを投稿する
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サンコン
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ニカウさん
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強引に芸スポにするなよ
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アタテュルク ムスタハケマルは
敗戦国なのに不利な条約覆したんだよな -
何のスレだよこれ
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中世~近世の欧州はキリスト教のせいで文明発展が遅れて、イスラム圏のが進んでたんだっけか
それを十字軍が略奪して欧州も発展した
酷い話だ -
7年戦争以来常に戦ってきたトルコとヨーロッパ
オスマン・トルコの復活は許さないといまもあの手この手でトルコに足かせをはめようとしてるが
今のトルコはいけいけだなあ -
俺を皇帝にした大東亜帝国をみんなで興そうぜ!!
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栄枯盛衰。
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大日本帝国は何で滅んだのか
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視力は8・0
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一言でいうと、世襲
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早朝バズーカ
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オスマン…ケツの穴か…
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ケマルが頑張らなかったらどうなっていたことやら
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>>16
確定な -
アンナ・コムネナから東ローマ帝国に興味持ってオスマン帝国初期まで追ったけど時代通して正直つまんないんだよな
トルキスタン圏も含めて -
>>11
昭和天皇が長州閥を追い出したら誰も軍を制御できなくなった -
石油が採れるとわかったら英国に狙われてバラバラに解体された
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>>11
朝鮮のことで争った大清帝国、ロシア帝国、大日本帝国は崩壊してもうたな -
ムスタファは何故殺されたのか
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つまり、メソポタミア文明か!
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ヨーロッパにコーヒーが広まったのはオスマントルコの影響
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大日本帝国の失敗は皇民化政策では?
天皇陛下万歳だけで多民族を束ねることはできなかった
日本はとにかく統治が下手くそだった
奴隷化して徹底的にコントロールする冷徹さがなかった -
他民族入り組んだ国は大体その民族に帰する形で
独立するな
でもブラジルみたいにそう言った戦乱がないとこもあるか -
>>27
長州人はうまくやってた
しかし「自分たちのほうが長州人よりも賢い」と勘違いした隣の爺さんが長州人を追い出して
成り代わったが実際に国の舵取りは難しく、やることなすこと裏目に出て大失敗したというだけ
「白人だけで富を独占するのが許せない」と白人を追い出して失敗したアフリカ人と同じ末路 -
むしろローマ、ギリシャ、小アジアがヨーロッパ文明の源流
アングロ・サクソンは北方の蛮族に過ぎない -
おまえらは、オスマントルコとしか知らないよなぁ(´・ω・`)
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雄マンとか
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イギリスにせよ日本にせよ
島国だったからなのか
なんとか本拠地は守り存続してる
これから先はわからんね -
結局武力こそが正義。条約や憲法なんて国が滅ぼされちゃえば、なにそれで終わり
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>奴隷を用いた人材育成制度を史上まれにみる規模で制度化し、
>異教徒の子弟を行政官や学者、そして職業軍人へと育てる術を
>身につけます。
美少年をガン掘りして何でも言うことを聞くようにしたんだよな -
なぜ芸スポでこのスレを立てるのか疑問に思っている者へ
ヒント:オスマン・サンコン -
まあ百年単位でみれば拡大路線して成功しようが結局は萎んで収まるとこに収まるっていう証明だな
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でかい国だったけど最後のほうは本拠地と首都を守るために国のあちこちを欧州やロシアに切り売りして潰れると
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テレビドラマ見てる
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支配者が無能だと滅びる運命
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そりゃ長州藩士はみんなバックドロップの後リキラリアットからのスコーピオンデスロックのワンパターン戦術だったから攻略されて当たり前
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モンゴル王国の方が大きかったし多民族国家だったし
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>>16
雄マンってことか! -
ティムールに一時負けたんだっけ?
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オスマンコの中あったかいなりぃ…
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>>7
イスラム圏は十字軍にも荒らされたけど
(東ローマ帝国も十字軍に荒らされた)
モンゴルにバグダード壊滅させられて知恵の館(大図書館)全部やられて文明がなくなった
多少は復活したけど文明のコアが無くなり今の蛮族状態へと堕ちた -
オスマン帝国は衰退してからのほうが面白いね
ウィーン包囲失敗以降について書かれた『オスマン帝国衰亡史』が割と好き
エンヴェル・パシャには男のロマンがある -
アジアとヨーロッパの境目にあるコンスタンティノープル(イスタンブール)にはロマンがある、
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>>49
モンゴルによる徹底した破壊なんてのは実際にはなくて、侵攻された側の恭順を誘うモンゴル側のプロパカンダという見解も。 -
>>49
ド低能ド低学歴か? 他国人を上手く使って統治してたんだよ 典型的なのは漢民族 -
>>58
天皇以外価値がないという面で平等 -
>>43
世界は一家。人類は皆兄弟。 -
八紘一宇は半分以上成功してる。
漢字の正当な利用者は日本人であり、支那人・朝鮮人は日本人の作った言語で思考している。
その事に気付いていないだけで日本語脳に改造する事は100年前より簡単。 -
オッス!オラマン!
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イスタンブールは今でもアジアとヨーロッパの玄関なんだから凄いよな
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まあ歴史書なんて素人はユヴァル・ノア・ハラリを読んでおけばお腹いっぱいだし
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一族経営だとそうそう長くは続かんよね。天才や英雄は遺伝しないし
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今のロシアみたいだな
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トルコは諦めてないだろ、旧領
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八紘一宇の現実が面白い
【比人が日本軍を嫌うわけ】
日本軍時代の比島を見ると、「東亜共栄圏の為」「東洋は東洋人で」「八紘一宇」等という、すばらしいスローガンを挙げていたが、人の国へ土足のまま威張りくさって入り込み、自動車、畑、食料、家、家畜等まで、どんどん徴発して行き、土民は兵隊に会えばお辞儀をする事を強要され、難しい日本語を無理に、おしつけてきた。
米軍時代になった比島を見れば、立派なバスが沢山アスファルトの国道を走り、土民は新しい服を着、食物は豊かに店頭を飾り、米兵はニコニコ顔で町を散歩している。
家はどんどん新築されていく。
米軍将兵はバラックに住み、食料は全部本国から取りよせ、現地物資は少量の野菜を自作しているだけだ。
それにひきかえ、日本軍はちょっと立派な家があればすぐ軍で借り上げ、家主を追い出し、日本では長屋住いしかできないような将兵がそれに住み、大臣風を吹かせている。
そして二言目にはビンタを行ない、まかり間違えば首まで取ってしまう。
日本から物資が来んので、土民の食料その他を優先的に取る権利が当然あるように一兵の末に至るまで思い込んでいた。
これでは日本軍が好かれる理由はーつもないようだ。
米人は比人を、「猿」「洋服を着たロをきく猿」「水牛」等と公然といっているのに、彼等の生活に直接触れないし、安物でも色々物を与えるので、比人はすっかり米人に惚れている形だ。殊に女は。
もっとも、米人は男前で女に対して気前が良くて親切だから。
小松真一『虜人日記』 -
その辺はキッチリと独立を勝ち取ったインドネシアとの差だね。
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香港とか笑えるで。
日本に統治された事があるのに、このザマ。 -
>>71
ジャップw -
芸スポ?
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>>60
左翼が居たぞ捕まえろ -
もしかして八紘一宇ってただの過干渉だったのではw
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うちの国はまだ天皇が生き残ってるのはなぜなんですかね
ヒトラーやムソリーニはきちんと粛清されてるのに -
もしかしてクルドの問題はここから来ていて
全てはイギリスが悪いって事? -
ペルシャとは別物なんだよね?
アレクサンダー大王に滅ぼされた -
中東が負けた理由は数学だよ
数学レベルが欧州の水準より大きく劣るようになったのが原因
日本は鎖国中でありながら数学のレベルがかなり高かったんで
開国後もスムーズに発展できた -
>>16
クソホモは死になさい -
オスマンからトルコそしてソープランドになった
マメな -
共存共栄の帰結がこれなのが面白い
【比律浜人】
比人兵や比人労働者のいる所でPW(日本人捕虜)が一緒に働くことがある。
彼等は我々 に煙草をくれたり、下手なロ本語で話しかけたりして親しみを示すが、作業が済んで我々が自動車に乗り込んで走り出すと、急に、「バカヤロー、ドロボー」等悪ロをいう、彼等にしてみれば日本人はやはり気持の悪い人種でもあり、我々への憎しみはかなり深いものがあるようだ。
小松真一『虜人日記』 -
でもさ、日本国って5千年も続いてるからマジで凄い
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島国じゃなきゃもう欠片も無いよ
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島から出ないほうが良さそうだな
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>>70
まさか それであのヘンなものたちを世界中に散らばせてΣ(・□・;) -
>>22
あの法則はスゲえな・・ -
>>92
いつもその時々の強い国にすり寄るが結果その国は衰退する -
>>16
男だけなら平和な国になるはずなんだよなぁ! -
日本もいつか滅びそう
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>>1
オスマンコに耽溺したとか言う話ではなかった -
>>1
ヨーロッパキリスト教勢力が
ルネッサンス(宗教の束縛からの脱却)、科学力、産業力を身につけて
その先にある冒険力、資源力、残虐力
最後に帝国主義にステチェンできたからやろうなぁ
東洋的価値観の圏内にあるトルコ人は
そこまで冷酷になれなかった
これ西洋人のアジア支配に共通する -
>>78
ウク脳の共産カルト視点だとそうなるよな
日本が戦争した相手はユダヤと共産主義だったからバチカンが瀕死の日本に手を差し伸べてくれたんだよ
もし日本人がチョンみたいな民族性なら、ローマ法王もセウォル号沈没事件のときみたいに
おまえら一回生まれ変わってこいや…で済ませてるわ -
>>5
なぜ日本は三国干渉をはねつけられなかったのか
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