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懐メロ洋楽
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♪懐かしの70年代POPSを語ろう5♪
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フレンチポップス、ブリティシュロック、ウエストコーストサウンドなど
音楽の裾野が広かったあの頃… カレン・カーペンターの歌声で英語の美
しさを知り、「ソウルトレイン」で黒人の身体能力の高さに驚いたあの青春時代
を語ろう!
■前スレ
http://ikura.2ch.net...tsumeloe/1207053091/
まったりと語り合おう! - コメントを投稿する
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2012年の正月以来か
長いブランクだったねえ -
2年ぶりの新スレ乙
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スレ立て乙です。
http://www.45cat.com/record/k11202 -
俺にとっては 「ギャレット」 といえば広島カープの外国人選手
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ベイ・シティ・ローラーズといえば「ロックンロール・ラブレター」が名曲
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本当は3番まである「ロックンロール・ラブレター」
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ベイシティローラーズって
後にボーカルの人と他の人で分裂したんだよ
でベイシティローラーズのCD、オリジナルと勘違いして俺は買った。 -
ベイシティ・ローラーズって、何あのお子ちゃまバンド、プッってバカに
してたけど、その後マイケルとかラップとかゴミだらけになった惨状を見た
した後で聴くと、「けっこう良くね?」って感じだなw チェッカーズが
ベイシティの物真似バンドであることはご承知のとおり。 -
>>13
BCRのパクりはレイジーじゃね? -
ドーンの「幸せの黄色いリボン」は1973年のビルボード年間チャートで堂々の
第1位に輝いた大ヒット。週刊チャートでは1回しか1位になってないが、ランクインが
長かったのだろう。この曲にヒントを得て「幸せの黄色いハンカチ」(山田洋次監督)が
作られた。70年代以後の洋楽はロックに偏った評価がされていて、ポップスが不当に
低く評価されがちだが、映画にまで影響を与えたこの曲を忘れてはならない。 -
ジャクソン・ファイブ「アイル・ビー・ゼア」(1970年)は年間チャート2位の
大ヒットで、今でも人気がある曲。80年代に大ヒットした「恋におちて」(小林明子)の
サビの部分は「アイル・ビー・ゼア」の出だしの部分と似ているが、知らず知らずのうちに
影響されていたのだろう。大ヒット曲が別の大ヒット曲を生む好循環のいい例だろう。 -
クリスティー「イエロー・リバー」(1970年)はアメリカではあまりヒットしなかったが、
日本ではけっこうヒットした。CCRを思わせるカントリー風の曲で、CCRより軽快でさわやかな
感じがする。当時は全く知らなかったが、歌詞の内容はベトナム帰還兵のことを歌ったもので、
のどかな歌ではないらしい。 -
>>13
これだから偏狭ロックヲタって哀れw -
1970年の「途方もなく偉大な曲」はオリジナル・キャスト「天使の兵隊」だ!
その理由は、
1 ついこの間まで放送していたNHK朝ドラ「ごちそうさん」の主題歌「雨のち晴れるヤ」の
出だしのメロディーが、この曲の出だしのメロディーとよく似ていること。ただし、盗作ではない。
2 今やっている朝ドラ「花子とアン」の主題歌の出だしのメロディーが、この曲のイントロのメロディーと
何となく似ていること。
3 >>17 で指摘された小林明子「恋におちて」は「アイル・ビー・ゼア」よりもむしろこの曲のイントロの方に
よく似ていること。
4 この曲の詞の内容が絶対平和主義を訴えるもので、山の上にある王国の財宝を奪おうとして戦争を仕掛け、
勝利した国が手にした財宝は「大きな石に刻まれた『地上に平和を』という碑文だけだった」という、皮肉な
結末。憲法を無視して戦争できるようにしようとしているどこかの国を予言するような内容だ w
1と2は単なる偶然なのか? 誰かが4を意識してやっているのではないのか? -
>>13
チェッカーずはタータンチェックを真似ただけでもともとやってる音楽はオールディーズ -
>>15
幸せの黄色いリボンは4週1位(1973.4.21-5.12)だよ。 -
>>15
この曲とかオサリバンのアローンアゲンとか聞くと、晩ご飯はシチューよ〜という親の声が蘇るなぁ、懐かしや。 -
「アローン・アゲイン」は1972年のビルボード年間チャート3位の大ヒット。
実は「幸せの黄色いリボン」にはこの曲とそっくりのフレーズがあって、この頃の
アメリカ人はこういうメロディーが好きだったに違いない。
アローン: ドレミーミーミ ドレミーミーミ ドレミーミミ ソラシーラ ソーソソミ ミファソーソソミ
幸せ: ドレミーミミミ ドレミーミミミ ドレミーミミ ソラシーラ ソファソファソファドレミ -
「洋楽は1974年が何故か弱い」
こんなスレも立ってるな -
「トレイン」1910フル−ツガム カンパニー
「シーズン」アース&ファイヤー
「霧の中の二人」マッシュマッカーン
「悲しき鉄道員」ショッキング・ブルー
「朝日の当たる家」フリジド・ピンク
「西暦2525年」ゼーガーとエバンス -
>>27
「トレイン」「悲しき鉄道員」「西暦2525年」は1969年のヒットだよ。
他の3曲は1970年のヒット。ところで「トレイン」のサビは井上陽水の
「心もよう」のサビのパクリ元のような気がするなw -
「悲しき鉄道員」は1970年でいいんだよ。
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ご指摘のとおり、「悲しき鉄道員」は1970年のヒットでした。
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「レット・イット・ビー」「明日に架ける橋」「雨にぬれても」「アイル・ビー・ゼア」
「遥かなる影」と、44年を経た今でも全く色あせない名曲を輩出した1970年。その
中でやはり忘れてはならないのがブレッドの「二人の架け橋」(Make It With
You)だ。日本人好みの曲調だが、アメリカでもビルボード1位(1週だけ)の大ヒット
となった。この頃のアメリカ人の音楽的嗜好はまだかなりマトモだったということだろうw -
僕の父は「本当は若い頃は洋楽なんて全然聴いていなかったのに若い頃洋楽を聴いていたふりをして僕の前でドヤ顔をする親父」なんですが、どう対応すればいいでしょうか?
何というか見栄を張る感じです。
例えばある日父は「よう、息子よw 俺若い頃イーグルスやベイ・シティ・ローラーズを聴いていたぜw ドヤw」と言ってドヤ顔をしていました。
僕の父は洋楽なんて1度も聴いた事が無いのに、嘘をついたのです。
それで僕が「じゃあイーグルスのヒット曲の題名をいくつか挙げてごらんよ。」と言ったら、
「さ、さて、そろそろ寝るかw」と言っていつも逃げます。
なぜ知らない癖に自分から「若い頃イーグルス聴いてたぜw」などと見栄を張るんでしょうか?
なぜそんなにプライドが高いんでしょうか?
知らないんだったら、初めっから知ったかぶりをしなければいいのに。
僕の父(現在65歳の団塊世代)ぐらいの歳の人達は、高圧的で、変にプライドだけ高い人が多いような気がします。
僕の父は「本当は若い頃は洋楽なんて全然聴いていなかったのに若い頃洋楽を聴いていたふりをして僕の前でドヤ顔をする親父」なんですが、どう対応すればいいでしょうか? -
「悲しき鉄道員」は名曲
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ショッキングブルーって日本嫌いでしたっけ
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とされている
オランダ人とはインドネシア攻防戦をやったしな -
本国では完全落ち目だったころのニール・セダカの「スーパーバード」
先日のNHKのラジオでかかってたけど、いい曲じゃん -
1970年代はハード・ロック全盛期と言われているが、レコード・セールス(シングル・レコード限定)的には、
実はハード・ロックは大して売れなかった。「ビルボード年間トップ100ヒッツ 1955−1990」(音楽之
友社)というマニア向けの本によると、1970年代のトップ100ヒットの中に、ハード・ロック曲はほとんどない。
ハード・ロックを代表するバンドであるZEP、パープル、イエス、キング・クリムゾンの曲はこの本の中ではそれぞれ
わずか1曲が55年−90年の35年間にチャートインしたに過ぎない。いかに音楽ジャーナリズムの中でハード。ロックが
異常なほど過大評価されてきたのかがわかると思う。
さて、この中でほとんど唯一1970年代のトップ100曲にチャートインしたのが、ゲス・フーの「アメリカン・ウーマン」
である。97位であるが、第100位がビートルズの大ヒット「レット・イット・ビー」なのだから、大したものである。
歌詞の内容がひたすらアメリカの女を罵倒するものにもかかわらずこれほどの大ヒットになったのが面白い。1970年の記憶に
残るナンバーの一つだ。
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ハードロックでビルボード1位を獲得した曲といえば、
アメリカンバンド/グランドファンク(レイルロード)
ロコモーション/ 上同
恋のめまい/バックマン・ターナー・オーバードライブ(ex.ゲスフー)
くらいかなあ -
1970年代に最も売れたアーティストは、ビージーズだった。
「ビルボード年間トップ100ヒッツ 1955−1990」(音楽之友社)の
1970年代トップ100のうち、彼らは何と7曲もチャート・インさせている。
これは映画「サタデー・ナイト・フィーバー」挿入曲が中心だが、それ以外もある。
その内訳は、
2位「愛はきらめきの中に」 1977年
3位「恋のときめき」(アンディ・ギブのソロ曲) 1977年
5位「シャドー・ダンシング」(アンディー・ギブのソロ曲) 1978年
6位「ステイン・アライブ」 1978年
7位「恋のナイト・フィーバー」 1978年
21位「愛の面影」(アンディー・ギブのソロ曲) 1978年
68位「傷心の日々」 1971年 -
ビージーズに次ぐのが、ロッド・スチュアート。
10位「今夜決めよう」 1976年
18位「アイム・セクシー」 1979年
30位「マギー・メイ」 1971年
エルトン・ジョンも3曲入っているが、その内容は45位、61位、99位で、
ロッドより劣る。日本でも大ヒット「クロコダイル・ロック」は61位で、他の
2曲は日本ではあまり受けなかったようだ。 -
ヲイヲイ。凄まじいなあかべこ。
史上最高最強アーチスト決定 -
ついでに1960年代のトップ100についても触れると、
ビートルズが6曲でトップ。次いでプレスリーとシュプリームスが4曲づつ。
チャビー・チェッカーとボビー・ビントンが3曲づつ。
ストーンズ、モンキーズ、フォー・シーズンズは2曲で及ばす。
1967年に登場したハード・ロックはここでも1曲も入っていない。
44位にドアーズの「ハートに火をつけて」が入っているが、当時はニュー・
ロックというジャンルに入っていたこのバンドも今では誰もハード・ロックとは
思わないはず。音楽ジャーナリズムのハードロックに対する過大評価が目に余るね。 -
ビージーズ・・>>>・・ビートルズ
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ミッシェルポルナレフは何曲? シェリーにくちづけ 愛の休日 忘れじのグローリア
カーペンターズは5,6曲入りそうだけどどうなの 人気ないの
スーパースター、マスカレード、遥かなる影、愛のプレリュード、ふたりの誓い、シング、イエスタディワンスモア、オンリーイエスタディ
とかビージーズより濃いと思うが、ルックスが受けなかったか・・・ -
ビージーズなんて80年代のマイケルさんと同様のゴミ
虚像だよ 虚像 -
あかべこはブライアンとの因縁から打倒!ビートルズが目的つうか愛憎入り乱れてサージャントペッパーの丸々カバーとか凄いこと遣ってます
一応マーティン卿製作だったけどね
ま。失敗作
因みにアンドルールーグオールダムもブライアンのとこの小僧さん上がり -
ロバート・スティグウッドってエプスタインの部下だったんだな
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ネムズの新入社員とか書いてる文献も多いね
で、、ブライアンに命じられてオーストラリアまで飛んでビージーズと契約してきたっての
ま。クリームとかジミヘンとか手駒持ってたんで、ビジネスパートナー的立場似はいたんじゃなかろっか?途は思う -
>>44
カーペンターズは2曲チャートイン。
第57位 遥かなる影 1970年
第86位 トップ・オブ・ザ・ワールド 1973年
ミッシェル・ポルナレフは年間チャートにすら1曲も入っていないw
多分週刊チャートですら入っていたかどうかもわからない、
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ポルノれフおいといて。
カーペンターズはちょとおかしいな
ビージーズ完全に盛りすぎ -
たしかポルナレフは米国映画 「リップ・スティック」 のテーマ曲が
全米週間チャート・トップ100の下位に入ったことがある
インストゥルメンタルの曲だったけどw -
1970年代音楽についての総括
異常なまでの過大評価 → ツェッペリン、パープルなどハードロックのほとんど
異常なまでの過小評価 → ビージーズ、ロッド・スチュアート
適正評価 → エルトン・ジョン、カーペンターズ -
只今、ON AIR中
Johnnie Walker's Sounds of the 70s
BBC - Radio 2
http://www.bbc.co.uk...player/bbc_radio_two
http://www.bbc.co.uk/radio2 -
http://livedoor.blog...mgs/e/0/e09f4fc4.jpg
皆さん、今日は。海外進出した時のピンクレディーと「ダンスに夢中」のレイフ ギャレットです。
実は、僕、若いうちに亡くなっちゃったんだ…今でも、天国でフィーバーフィーバーしてるよ。
なぜか知らないけど、ネットに僕のインチキオヤジ画像が出回っているんで、笑っちゃったよ、クスクス…
みんなは、元気で長生きして、僕の分まで、楽しんでね。
ちなみに、田原俊彦の「哀愁デイト」は僕のニューヨークシティナイト」のカバーなんだよ。では。 -
ファンが貞子状態にw
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オーシャンのサインはピース、ハミルトン〜レイノルズの恋のかけひき等は
好きだったなあ。でもギター弾くようになってからは、サバス、グランドファンク
に傾倒していったなあ。
ポップスに比べると、ヘビーロックはレコード産業的には大したこと事ないが、
アマチュアロックバンドとか楽器の産業とか、大人数コンサートとか、
ムーブメントとしては、ポップスをはるかに凌いでいたと思う。 -
>>44
基本的にフレンチポップスがヒットしたのはフランス本国と日本だけで、当時ビルボードにはフレンチポップスはほとんどチャートインしていないんだぞ。
それはめちゃくちゃ有名な話だぞ。
ポルナレフやフランス・ギャルやシルヴィ・バルタンなんて当時ビルボードに全くチャートインしていないし、
唯一ポール・モーリアが「恋はみずいろ」で全米1位を獲っただけ。
それと、カンツォーネがヒットしたのもイタリア本国と日本だけだし、ドイツの曲(ジンギスカンなど)がヒットしたのもドイツ本国と日本だけなんだぞ。
70年代洋楽ファンなのにそんな事も知らないのかwwwwwwwwww -
スージークワトロ 日本で挙式
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___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 日本のカクブソウは絶対に必須です ☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の『憲法改正国民投票法』のURLです。
ゝン〈(つY_i(つ http://www.soumu.go....n_touhyou/index.html
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ -
>>62
ポルナレフの全米進出がもう2,3年早かったらなあという気はする。
やたら混沌としていた印象のある73年〜74年あたりのチャートならもう少し上位に食い込めたような。
何となく藤川球児のMLB挑戦と似たような空気を感じてしまう。 -
「花のサンフランシスコ」 でおなじみのスコット・マッケンジーが
ポルナレフの 「ノンノン人形」 を英語の歌詞で歌ってたな -
ヴィグラスとオズボーンの「秋はひとりぼっち」が
ラジオでかかっていたシーズン到来ですなあ
日本だけのヒット曲だったか・・・ -
にがいなみだ ってヒットしたのかな?
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>>67
スリー・ディグリーズか
♪見てた はずよ
彼女たちの本国でのヒット曲は 「天使のささやき」 のみでしょ
( 「ソウル・トレインのテーマ」 ではコーラスやってたけど)
「天使のささやき」 は日本で先にヒットしてたね
遅れて本国でヒットしたときはうれしかったわ -
>>68
「にがい涙」はオリコン最高位15位、推定売上枚数14万3000枚の大ヒット
ですがこの曲は安井かずみ作詞筒美京平作曲の歌謡曲(和製洋楽)です
当然日本以外の発売はありません
スリー・ディグリーズのアメリカでのヒットとしては、ボーカルをとったMFSBのTSOPがナンバーワンになっています -
「天使のささやき」は日本語バージョンもあったよね
昔は日本語バージョンのシングルもけっこう出ていたように思うけど
スリーディグリーズあたりが最後かな
たしか「ミッドナイトトレイン」も和製洋楽で演奏はティンパンアレイだったような -
スリーディグリーズ
Do it しか当時知らなかった。 よくかかってた。
あれも日本オンリー? 日本人が作った曲?
クイーンも日本で火がついた らしい。
さようならSweet memories
って メアリーマグレガー版と かおりくみこ版 -
手元にオリコンのデータブックがあるので挙げときましょう
スリー・ディグリーズの日本でのシングルヒット
荒野のならずもの 36位 14万3650枚
ソウル・トレインのテーマ 68位 6万2700枚
天使のささやき 42位 11万3150枚
愛はメッセージ 63位 4万600枚
天使のささやき(日本語) 96位 2700枚
ミッドナイト・トレイン 50位 7万2750枚 ※作詞:松本隆 作曲:細野晴臣
にがい涙 15位 14万3000枚 ※作詞:安井かずみ 作曲:筒美京平
恋はシャンソン 61位 3万5300枚
口づけでおやすみ 90位 8800枚
DO IT 52位 6万7850枚 ※ S.ファーガソン、J.ロック、惣領泰則 (詞・曲)
チャートはすべて総合チャートで洋楽単体のものではありません
’74年から’76年初めまでのたった2年間にこれだけランクインしていました -
おお、hugさん ありがとうごいます。
70'sファンキーディスコパーティーっていうCDにDo it にがい涙など
入っています
しかし、ワイルドチェリーって一発屋ですよね。 -
【ID】norisu8912
【罪状】シャゲダンしまくって敗北・切断・ファンメ
【機体】青運命・串・グフ
【説明】
プレマシャッフルにて、2時間の間敵味方構わず試合中にシャゲダンしまくって敗北
別ラインではわからないが、居た試合で全部シャゲダンしてるからしてたのかも
2時間ちょっとしたら、試合中にシャゲダンしながら切断して部屋から消えた
何度も何度も懲りずにシャゲダンして負けておいて、フレンド募集してくる
一応許可してやったら馴れ馴れしく調子に乗ったファンメを追加で送ってくる
http://imgur.com/q0fpYGF 「談合しませんか?切断の回数も教えます」だそうだw
シャゲダンして負ける奴無理と返信したらフレンドから消えてやがったwwwww
いやー煽っておいて負ける奴おったかー、フルブパン芸人はいいから( ´,_ゝ`) -
OJAYs
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「裏切り者のテーマ」 ってソソるタイトルだよねえ
わっぜい どぅいん! -
ポルナレフ状態
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ところで、ビルボードの70年代の10年間最大のヒット曲は何?
以外なところで「スイートキャロライン」とか? -
>>78
チャート本では「恋するデビー」 -
「恋するデビー」って映画の主題歌だったんだっけ?
深夜映画見てたらデビー・ブーン(たぶん)が同名曲をレコーディングするシーンがあって
ヒットチャートをどんどん上昇していくグラフがそれに被さっておしまい、だったような
内容は全然覚えてないけど、ミュージシャン目指す女の子のサクセスストリーだったんだろな
たぶん -
>>82
映画で歌ってたのはデビーブーンではありません -
ぱっとぶーんです
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その映画説明文だけをみると例のキャロル・キングをモデルにした映画と被ってしまう感じがする。
デビー・ブーンの大ヒット曲に関しては血筋、CCMって部分での注目度もあるけれど、
それに勝るとも劣らないヒットの要因はやっぱりブルックスの功績のような気がする。 -
なお恋するデビー(You Light Up My Life)の作者で映画化の際の監督ジョー・ブルックスは
超転落人生を送り、最後は殺人犯まで落ちぶれ、数年前に自殺しました -
新しいCM用の曲を提案するため大企業の経営陣が集まる緊張感漂う会議室の中で
軽やかにアコギ一本でカリフォルニアを弾き語るジョー・ブルックスは本当に素敵だったなぁ。 -
こんなのが10週連続1位なんてどうかしてるな
まあ、80年代の10週連続1位のフィジカルもどうかしてる曲だけど(モンローのパクリ)
ジンギスカンのほうがはるかに名曲 -
>こんなのが10週連続1位なんてどうかしてるな
貴殿のセンスはマトモだが、ジンギスカンかーwww
洋楽が本当に輝いていたのはこういう時代だぜ。
1966年7月2日のビルボード誌ベスト5
1位 夜のストレンジャー(フランク・シナトラ)
2位 パーパーバック・ライター(ビートルズ)
3位 レッド・ラバー・ボール(サークル)
4位 黒くぬれ(ローリング・ストーンズ)
5位 この胸のときめきを(ダスティー・スプリングフィールド)
上位5曲がすべて日本でもヒットした曲ばかりというのは、実は珍しい。
日米の好みの違いがあるので。3位の「レッド・ラバー・ボール」は
「知らね」という人も多いだろうが、名曲だよ。
1960年代が一番日米の好みが近かった時代かもしれない。 -
パーパーバックだと?
ワロタわ -
>>87
マジですか〜 -
>>92
少し違ってた
殺人犯はジョーの息子のニック
ジョー自身は連続強姦4件で立件されて懲役25年の服役直前に自殺だったわ
なんでも自分が作る映画に出してやるとオーディションに来た娘を呼び出して強姦してたんだと -
「ビルボード年間トップ100ヒッツ 1956−1990」(音楽之友社)を
見ているとアメリカ音楽が日本で受けなくなったのは1974年からだということが
わかる。各年のトップ10のうち日本でもヒットした曲数が、
70年は9曲、71年は4曲、72年は5曲、73年は4曲だが、74年は2曲しかない。
その2曲とは「追憶」と「愛のテーマ」だが、いずれもレトロな感じの曲だった。
アメリカの曲が日本で受けなくなった時期と、日本でニュー・ミュージックと呼ばれる
ヤマハ・ポプコン風音楽が台頭してくる時期が、驚くほど一致している。
アメリカ音楽の衰退が日本の洋楽風歌謡曲の隆盛をもたらしたことは疑いないだろう。 -
アメリカンポップスは1963年で終わってる
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December, 1963 (Oh, What a Night) オレの生まれた年
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その昔、ラジオから「ペーパーバック・ライター」に続いてジャガーズの「君に逢いたい」が流れてきたとき、
その情けないサウンドに腰が抜けた。
青春歌謡の台頭で洋楽の流れが中断され、和製ポップスは世界の音楽シーンから5年遅れてしまった。 -
タイガース
ジャガーズ
オックス
チーター -
ビートルズの出現がアメリカンポップスを終焉に導いた
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