-
懐メロ洋楽
-
Elvis Presley / エルヴィス・プレスリー ぱあと7
-
UPLIFTで広告なしで体験しましょう!快適な閲覧ライフをお約束します!
ロックの帝王 Elvis is Eternity and Immortality
(過去ログ)
エルヴィスプレスリーファン集まれ
https://hello.5ch.ne...tsumeloe/1173404791/
エルヴィスプレスリーファン集まれ ぱあと2
https://matsuri.5ch....tsumeloe/1418410412/
エルヴィス・プレスリーフアン集まれぱあと3
https://matsuri.5ch....tsumeloe/1519062022/
エルヴィス・プレスリーファン集まれぱあと4
https://matsuri.5ch....tsumeloe/1544406072/
エヴィス・プレスリーファン集まれぱあと5 【アスペンゲルガー】
https://matsuri.5ch....tsumeloe/1568642585/
エヴィス・プレスリーファン集まれ ぱあと6【アスペルゲンガー】
https://kizuna.5ch.n...tsumeloe/1595597435/
(伝説板)
《キングオブ》★エルヴィス♪プレスリー★《ロケンロー》
https://lavender.5ch...i/legend/1090498319/ - コメントを投稿する
-
やっと元通りのまともなスレタイに戻った
スレ立てに感謝
5,6とふざけた奴が立てて荒れ放題だったからな -
日本人で初めてプレスリーに会ったのが当時の映画女優たち
白川由美・高峰秀子・南左斗子・宇治みさ子・長谷川裕見子
1958年「キング・クレオール」撮影現場で実現させた
当時のフォトは貴重だ
その後「ブルー・ハワイ」で撮影のためハワイを訪れたエルヴィスに会ったのが
雪村いずみ このときのフォトも残ってる -
エルヴィスは金ラメスーツを着るのを嫌がった
例のゴールデンレコード第2集のジャケットで有名なスーツだ -
70年代のよりはまだマシ。金ラメスーツは格好いいと思うが。
ゴールデンレコード第2集に収録されている"I Need Your Love Tonight"や
"Wear My Ring Around Your Neck", "A Big Hunk o' Love"は音の悪い
擬似ステのほうをラジオで知った。アルバムのCDを借りて聴いたが、
擬似ステで聴いた迫力感がなく、しょぼかったな。 -
パット・ブーンはエルヴィスのカヴァーLPを出している
独自のアレンジで拍子抜けする歌い方だ -
入隊前に発売されたレコードはモノラルばかりだが
ちゃんとオリジナルステレオ音源が残されている
映画「やさしく愛して」の4曲はすべて正式のステレオ録音 -
1958年から現在までビルボードで1位を獲得したアルバムは1200枚以上ある
しかし収録時間が20分以下のアルバムを1位にしたのはエルヴィスだけである -
へぇ〜
それはミニアルバムより短いね -
アナログのLPは12inchの大きさが通常だが、これよりも
少し小さめの10inchのLPもあった。(片面が3,4曲収録)
初期の頃のElvisの日本盤も何枚かはある。
10inchのLPに馴染むのもElvis全盛期のリアル世代くらいなもんだろう。 -
1964年『Roustabout(青春カーニバル)』
A面6曲11’43” B面5曲8’13” 全11曲で計19’56”
殆ど間奏無しで良い所で終了
『Beach Boys Concert』と『Beatles'65』の間を縫って1965年1月に1週だけ1位
次にエルヴィスがアルバム1位を獲得するのは8年後 -
LPは12曲という内容でレコード会社のルールで決まっていた
-
Elvisのサントラ盤は何枚かしか聴いたことがないので、
このアルバムは聴く機会があった時に聴いて見るか。
しかしこの収録時間はあまりにも短すぎるな。
SURFIN & HOT ROD系のアルバムも収録時間が
20分以内のものが多いのが見られる。 -
ブルーハワイのサントラ盤は当時としては大サービスの14曲入り
これがウケてベストセラーになった -
ブルーハワイの成功で二匹目のドジョウを狙った
ハワイアンパラダイスは大コケした -
原題はParadise, Hawaiian Style
ハワイアンパラダイス略してハワパラ -
プレスリーはレコーディングに慎重であった
いくものテイクがYoutubeで聞けるんで興味深い -
映画でエルヴィスと共演した俳優は三流ばかり
それだけ底辺向けの映画にしか出られなかった -
プレスリーの時代はあの独特のアクションが低俗とみられていた
今じゃそんなに騒ぐほどじゃないのに
時代の流れなんだな
それにしても今でも通用するセクシーなアクションだ -
人気絶頂期のステージで若い女の子たちがお漏らしをして
濡れたショーツを脱ぎ捨てステージに投げ込んだエピソードは有名 -
女の子が客席で絶叫する文化もプレスリー発祥なのかな?
フランクシナトラも若い子の追っかけが沢山いたと読んだ事はあるが -
世界的に有名になった最初のアイドル歌手がFrank Sinatraだったとは
何かで聞いた事がある。あの時代もやっぱり追っかけはいたと思う。
アメリカのみだったら、この系統はSinatraよりもBing Crosbyのほうに
なるんじゃないのかな? 自分だったらやっぱりElvisのイメージが強い。 -
>>21
このエピソードは何度か聞いた事がある。ある意味笑い話。
これにはさすがのElvisもドン引きしてたかもな。
その頃のショーツって、今のようなキワドイものではなく、
短パンのようなもの。想像すると阿呆らしくも思う(笑) -
ビングクロスビーは最初から大人向けの音楽だった。
その頃はティーンエイジャーという概念がまだないから若者音楽そのものが存在していない。
幼稚園児や小学生の本物の「子供」と、すでに働き出している者が多い中学生高校生の年代も含む「大人」の二種類しかいなかった時代。
だからティーンエイジャーの女の子を虜にしたフランクシナトラが本当の革命児。
シナトラのファン層を新たにティーンエイジャーと定義したと言ってよいくらいで、そこから「子供」と「大人」に次ぐ第三の世代「若者」の文化が花開く。
エルヴィスはその流れの延長線上に現れたビッグスター。 -
しきりに腰を使ってセクシーなアクションをしたエルヴィス
当時の時代遅れの連中からは卑猥だと罵られたが
それとは逆に新世代からは爆発的に支持された
それに気に食わなかった保守派が強引に徴兵に出してしまった
当時の日本の新聞にもファンが徴兵拒否のデモをやったことが記事になったほど
それでもエルヴィスはちゃんと2年間の兵役を務めたんだから立派 -
エルヴィスは愛国者だから徴兵拒否なんて選択肢は無かっただろう
-
Elvisは日本嫌いではなかったが、興味はそこまでなかった。
だから来日することなんかなかった。
もし来日してたら話題になってたかもしれないが、あのThe Beatlesの
来日のように騒ぐことはなかったと思う。 -
EPFC初代会長の前田キサを知ってる人は相当な年配だぞ
当時のMLでエルヴィスと国際電話した内容が載っている
エルヴィスの日本に関する知識はゲイシャ、フジヤマ、カラテ
これだけだった そんなもんだよ -
当時のアメリカでは徴兵制度が当たり前だった。これが
ベトナム戦争の頃まで続いていたらしい。
Elvisの他にも数多くのアーティストがこれを経験している。
なかには兵役を拒否して逮捕されたアーティストもいたそうだ。 -
アリは徴兵を拒否してチャンピオンの資格を剥奪された
-
除隊後にシナトラのテレビショーに出たときの
「本命はお前だ」におけるアクションはまだ幾分
入隊前の雰囲気を残していた -
お蔵入りになったI'm a Roustaboutは徴兵前の雰囲気があった。
これを発売しなかったのは大きな損失。 -
「ブルーハワイ」以降のサントラ盤はつまらないものばかり
プレスリー自身も気づかなかったのだろうか -
エルヴィス最後のNo.1曲「グッド・ラック・チャーム」
B面の「エニシング・ザッツ・パート・オブ・ユー」もしっとりとしていていい
このピアノ伴奏をしているのがフロイド・クレーマーだ -
エルヴィス最後のNo.1は「サスピシャス・マインド」ね
キャッシュボックスだと「バーニング・ラブ」が最後の1位
最後の全英1位は「ウェイ・ダウン」 -
2000年以降にも4枚全英1位があるね
2002「おしゃべりはやめて」(JXLリミックス) 4週1位
2005「監獄ロック」(1958年1位の再発)1週1位
2005「アイ・ガット・スタング/ワン・ナイト」(1959年1位の再発)1週1位
2005「イッツ・ナウ・オア・ネバー」(1960年1位の再発)1週1位 -
「心の届かぬラブレター」は惜しくも全米2位
フォーシーズンズの「恋はヤセがまん」が1位でそれを阻んだからだ
それ以降1位のヒット曲にはめぐまれなかった -
「おしゃべりはやめて」っていう邦題はじめて知ったわ
シングル出てたの? -
56年から毎年1位の曲を出し続けたElvisもこの62年までだった。
翌年以降はTop10は2,3曲だけ、徐々に下降していく
この年にはThe Four Seasonsが2曲、全米1位を獲得。
ElvisのNo.1がここでストップした62年は、アメリカではR & Rのスタイルを
受け継いだPOPSの黄金時代。ツイストなどの踊りが流行り、Wall of Soundや
MOTOWNなどの新しいサウンドが登場してきた。
POPSの黄金時代に登場したThe Four Seasons, The Beach Boys,
Motownの連中達が、2年後はイギリスのBritish Invasionの対抗馬になるのである。 -
>>40
A Little Less Conversation
おしゃべりはやめて/恋のボサノバ 昭和43年10月25日 日本シングル発売(SS-1840)
エルヴィス vs JXL名義
ア・リトル・レス・カンヴァセーション 平成14年6月12日 日本CDシングル発売(BVCP-29038) -
映画会社からも利益にならないからお払い箱になり
そこでまたステージに復帰したが時すでに遅し
もう過去の遺物になっていた
あのセンスのない下品な衣装でブザマな醜態をさらして
全盛期の姿を知っているファンからまで軽蔑され恥をさらし見捨てられた
惨めな最後だったな -
水原弘かよ
-
「今夜は一人かい」のラストでエルヴィスが
譜面台に頭をぶつける音のテイクをそのまんま採用したのはなぜか
一発録りだったのか? エルヴィスがその録音で満足したのか? -
「今夜は一人かい」以外にも雑音交じりの曲は沢山ある。
「マリー・イン・ザ・モーニング」なんてスタッフの喋り声が入っている。
エルヴィスは雑音が混じっていても演奏の間違いがあっても歌が良ければ気にしなかった。 -
録音のときは靴を脱いで吹き込んだ
アクションを交えて歌うので靴の音が入ってしまうからだ -
実際には靴を履いた状態で録音する事もあった。
「監獄ロック」「さまよう青春」の録音では靴を履いている写真が残っている。 -
70年代以降の晩年のElvisは、別物の感じがしてあまり好きではない。
これと同じことが言えるのがCliff Richard。
アメリカでは70年代になってからやっと知られるようになったが、
髪はロン毛で、往年の頃の雰囲気がなくなってしまった。
日本では物凄く人気があったCliffも, "Goodbye Sam, Hello Samantha"までだった。
やっぱりCliffはElvisのような髪型で、スーツやジャケット姿で歌ってた頃が
格好イイ。5,60年代の頃の音源を収録している幾つかのベスト盤に
70年代以降の写真が使用されているのにはガッカリだ。 -
英国のクリフ・リチャード、フランスのジョニー・ハリデイ
ともにプレスリーにあこがれて歌手になった
本国では抜群の人気があったがアメリカではまったく通用しなかった -
>>52
流石に大手企業のやりかた -
5ちゃんのあらゆるスレで荒らすchina工作員
アメリカではとっくに禁止にされてるのに
しつこすぎる -
エルヴィスのアルバムリストってどこかにないかな?
ウィキとかじゃなくて今買えるものの一覧表みたいなの -
>>52
ちょっとだけはやってみるか -
Sony Music Shopが公式みたいなもんだから一番手っ取り早い
-
TikTok 押し売りするチャンコロがしつこい
-
G.I.ブルースがシングルカットされてれば文句なしに全米1位になってた
日本ではシングルカットされてたのに
しかもドーナツ盤初のステレオ盤で350円で発売されてた
当時のドーナツ盤は330円だったから20円高かっただけ -
"G.I. Blues"は"Blue Hawaii"同様、60年代初期のElvisの
代表曲の一つだが、そう思っているのはヒットした日本だけだろう。
アメリカでは前者はシングルカットはしてないし、後者は
"No More"の裏面に収録されたもののヒットもしなかった程度。
個人的には"G.I..."はもしアメリカでシングルで出てたら、1位にはならずも、
Top 10にはなってたはず。この曲が出た60年はElvisがカムバックした
頃でスタイルもR & RからPOPS路線へと変わってくるようになってきた。
TEEN POPの黄金時代でもあったが、R & Rの王者はやっぱりElvisだった。 -
G.IブルースのA面1曲目の「今夜は恋の気分で」初発売のときは
モノラル盤では「ウイーンの森の物語」をアレンジ
ステレオ盤では「ホフマンの舟歌」をアレンジしてそれぞれ発売されていた
なぜあんなややこしいことをしたんだろう
あと「ブルースエードシューズ」などはデビュー当時の迫力がまったくなく
お遊びで入れたようなもの -
"G.I. Blues"に収録されていた"Wooden Heart"はドイツ民謡
"Muss i denn" (lit. Must I then)のカヴァー。途中でドイツ語の
歌詞があるのも特徴。Elvisのこの曲もアメリカでは成功することは
なかったが、イギリスでは1位になり、ヨーロッパやオーストラリアでも
大ヒットとなっている。アメリカではJoe Dowellの歌で1位となっているが、
日本でこの曲といったらやっぱりElvisだろう。 -
「G.I.ブルース」の日本盤シングルはカラーとモノクロとロゴタイプとステレオの4種類
-
「さらばふるさと」の録音はおかしい
エルヴィスの声は中央でいいんだが伴奏が左しか再生されない
右側は音なしだから -
あんなつまらないサントラ盤が10週間売れ行きトップを記録した
エルヴィスの復帰を待ちわびたファンが飛びついたんだろうな
ジョンレノンはあの映画を観てプレスリーは終わったと確信して
ファンをやめたんだ -
傑作である「エルヴィス・イズ・バック」は「G.I.ブルース 」「ブルーハワイ」どころか、
挙句の果てに「ガール!ガール!ガール!」よりも売上が悪かった。 -
当時『G.I.ブルース』と1位を争っていたのはコメディアン兼俳優であるボブ・ニューハートのデビューアルバム『The Button-Down Mind Of Bob Newhart』だった
これはヒューストンのタイドライド・クラブでのショーを録音したもので、1961年のグラミー賞最優秀新人賞と年間最優秀アルバム賞に選ばれた
ボブは現在94歳、未だ現役であり生ける伝説でもある -
エルヴィス絶頂期の小話
娘「ママ、エルヴィスのレコードを買うからお小遣い頂戴」
ママ「いつもシングル盤ばかりでなくアルバムを買いなさい」
娘「あら、LPでEPを買うのよ」 -
Love MeやPeace in the Valleyは
絶頂期のEPのヒット曲 -
56年当時、爆発的な人気のElvisにハマッた聴衆は、
"これまでのヒット曲はいったい何だったんだ?"
"自分達は今まで退屈な音楽を聴いていたのか"とか言ってたかもな。
当時の若者にとってElvisやR & Rが相当刺激的だったのが把握できる。 -
続き
64年当時、爆発的な人気のBeatlesにハマッた聴衆は、
"これまでのヒット曲はいったい何だったんだ?"
"自分達は今まで退屈な音楽を聴いていたのか"とか言ってたかもな。
当時の若者にとってBeatlesが相当刺激的だったのが把握できる。
76年当時、爆発的な人気のSex Pistolsにハマッた聴衆は、
"これまでのヒット曲はいったい何だったんだ?"
"自分達は今まで退屈な音楽を聴いていたのか"とか言ってたかもな。
当時の若者にとってPistolsが相当刺激的だったのが把握できる。 -
意味が成り立ってないコピペ馬鹿の言い分。
64年以前にも若者の心を掴んだR & Rのスタイルを受け継いだ
POPSはあったし、60年代前半まではElvisが主役だった。
70年代にもZep. Purple, Bowie, T-Rex etc...の若者の心を
掴んだアーティストは数多くいる。 -
Elvisの59年の1位曲"Big Hunk of Love"にはあの
Chet Atkinsがギター、ピアノにはFloyd Cramerが参加しているのにも注目。
Chetは他のElvisの数々のヒット曲でもレコーディングには参加しているし、
プロデュースも数曲担当している。
Floyd CramerはC & Wのピアニストとして有名だが、ここでは
"Heartbreak Hotel"の中間のピアノソロを弾いている人物と言ったほうが
相応しい。2人がElvisと同じRCAに所属していたからそうなったかも。
Elvisの音楽スタイルがR & RからPOPに変えたのは
Chet Atkinsのアイディアだったと何かで以前に聞いたことがある。
(ひょっとしたら自分の間違いかも) -
デビュー当時、RCAの歌手たちは全米各地でコンサートを行ったが
カントリーの大御所ハンク・スノウはプレスリーとの同行を嫌がった
それだけロック歌手は低くみられていた -
Hank Snowといったら、ここでは"(Now and Then There's) A Fool Such as I"の
オリジナルの人物になるだろう。Hankのオリジナルは52年に3位(C & W)。
今となってはH.Snowを愛聴する年輩者も少なくなってきた。
70代でもC & Wといったら、70年代以降の頃になるだろう。
50代以下でElvisは聴く人もいるが、Hankはさすがにいないと思うな。
個人的にHankの好きなアルバムは70年代に日本でも廉価版のシリーズで
出ていた編集盤"I Went to Your Wedding"。 -
>>77
この時のセッションでツインドラムでレコーディングしていたとは驚いた。
その辺のレコーディングの背景は面白そうだな。
個人的にツインドラムのセッションといったら、Hal BlaineとEarl Palmerが
脳裏に浮かぶ。Halは60年代のElvisの作品にも参加している。
"Can't Help Falling in Love", "Return To Sender", "A Little Less Conversation"
がそうだ。 -
何よりカムバック・スペシャルだろ
明日への願いはハル・ブレインの名演の一つ -
ビクターの企画ものウェスターン・キャラバンシリーズに
Elvisの日本でのデビュー曲
"I Forgot to Remember to Forget"/"Mystery Train"を収録したEPが
56年6月にリリースされた(片面はHank Snowの2曲)
これが日本で最初のElvisのEP。本人の写真でなく簡素なイラストが特徴。
表記の"エルヴィス・プリースリーとスコッティとビル他"が
いかにも当時の日本らしい。R & Rの王者も当時の日本では
C & Wシンガー扱いだったとは今では想像できない。
当時のRCAには大物のC & Wシンガーが数多く所属していた。 -
"If I Can Dream"があったからこそElvisはカムバックできた。
大ヒットはしたもの最高で12位というのには納得できない。
1位になってもおかしくはなかった程だ。
最初は馴染みやすいメロディが特徴だが、途中でElvisのテンションが
高くなりキリのいいところで転調するところは本当に感動的だ。
この曲を聴いてElvisが本当の世界のスーパースターだということを
実感した。この後"In the Ghetto"が3位となり、"Suspicious Minds"で
久しぶりの1位を出すことになる。 -
>>81
(訂正) 当時のRCAには大物のC & Wシンガーが数多く所属していた。
↓
当時のRCAにはHank Snow, Chet Atkins, Jim Reeves, Porter Wagoner,
Eddy Arnold等の大物のC & Wのアーティストが所属していた。 -
ベスト・オブ・エルヴィス3枚組LP(SAP-3001)¥5000
内容がゴールデンレコード第1集、GIブルース、ブルーハワイ
お小遣いがなくて買えなかったほろ苦い思い出 -
毎年夏場には「ブルーハワイ」のサントラ盤をよく聞く
当時のLPで14曲も収録されていたのはファンにとって大サービスだ
A面はよく知られた曲、B面は捨て曲がほとんどだが
ハワイの夕陽、愛の島などとくに好きだ -
1960年代には街のどこにもレコード店があって楽器も扱っていた
夏にはハワイアンのレコード、ウクレレを店内にならべていたっけ -
死ぬ間際のエルヴィスは太りすぎで醜い体型になっていた
-
商業的成功を収めた映画「ブルーハワイ」アルバムは20週連続で1位の売り上げを記録
この爆発的ヒットでエルヴィスは映画のみに重きをおくようになってしまった
もちろん悪徳マネージャーのトム・パーカーの入れ知恵もあった
これでエルヴィスは自ら歌手人生に終止符を打ったんだ -
大きな社会構造改革が必要のように思います。
家父長制の残滓みたいのを全て払拭していく必要があるのです。
男性に頼ったり期待するのを完全に辞め、女性社会を作る必要があると思う。
知能が高い男性は協力者や理解者としてあればいい。
女性たちが優しい互助的なコミュニティを作り、知能の低い男性は不妊手術を施す。
若い女性は海外の精子バンクを利用して若いうちに優秀な種を受け子どもを作る。
制度的に結婚しなくても女性だけで維持できる新しい社会基盤を広げて行くのです。 -
エルヴィススレもスプリクト荒らしに汚染されたか
キチガイ朝鮮人の荒らしは5ちゃん全スレを汚染しまくってる
朝鮮人なんかに日本語を教えた昔のバカ日本人はトンでもないことをしてしまった -
アラソウ イマスヨ チュルゴウンスレギ
-
除隊後のサントラ以外のアルバムは「エルヴィスが帰ってきた」「歌の贈り物」
「わが友エルヴィス」の3枚のみ
これじゃファンも離れて行くわけだ -
一時期、入隊前の録音が疑似ステレオとして大量に発売された
モノ録音にエコーをつけただけのインチキ盤で買い手を騙したメーカーの汚い商法であった -
入隊前の録音はステレオが存在している
映画「やさしく愛して」の4曲はオリジナルステレオ
すべてYoutubeで聞ける -
監獄ロックはギター、ドラム、サックス、ピアノが左右に分かれて聴ける
オリジナルのステレオ録音だ -
監獄ロックはギター、ドラム、サックス、ピアノが左右に分かれて聴ける
オリジナルのステレオ録音 -
監獄ロックはギター、ドラム、サックス、ピアノが左右に分かれて聴ける
オリジナルのステレオ録 -
朝鮮人が人の書きこみをコピーして荒らしてる
劣等民族の血は永遠に治らない -
99GET
-
100GET
↑今すぐ読める無料コミック大量配信中!↑