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日本史
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本当はクズだった偉人【ネクスト】 [無断転載禁止]©2ch.net
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良寛なんかたかりじゃねえか?
働かないのに金遣い荒いらしかったし。 - コメントを投稿する
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野口英世
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宮沢賢治
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太宰治とか
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>>6
金持ちの息子で放蕩三昧だったらしいね。 -
>>6
自分が豪遊した借金のかたに友人を置いてきた時に「走れメロス」の想を得たらしい。 -
>>8
マジ人間失格だな -
藤原道雅
百人一首の歌
今はただ 思ひたえなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
で当子内親王との悲恋が有名であるが、「荒三位」とあだ名された乱暴者。
気にいらない人間を拉致させ、自ら瀕死の重傷を負わせたこともあった。
また、路上で賭博が原因で喧嘩を始め、見物人が集まったという話もある。
極めつけは花山院の皇女(父から冷遇され、内親王でなく女王であり、藤原
彰子に女房として仕えていた)に袖にされたことを怨み、殺害させている。
真冬の深夜に拉致された皇女は、衣服を剥ぎ取られて川に落とされ、凍死。
死骸を野犬に食われて頭部と手足がバラバラになって発見された。
殺すつもりまではなかったかもしれないが、それでも相当である。
なお、地位が地位であったために実行犯の処罰だけで済まされたが、事件が
影響したものか官位は冷遇されていた。
花山院も忯子の死をきっかけに出家したことで知られるが、出家後も女の所
へ通って藤原伊周(道雅の父)や隆家に矢を射掛けられたり、女房をしてい
た母と娘に同時に手を出して同時に妊娠させたり(母が生んだ皇女が道雅に
殺された人)、好色であった。
もっとも道雅は和歌で名高く、花山院も芸術センスで有名であった。 -
>>11
うわ、すごいですね。 -
■ 西郷隆盛 伝説一覧 ■
伝説 : 比類無き大度量・大至誠の人。誰もがその巨眼に引き込まれ敬愛した
現実 : 実際に会った人の証言 「偏狭であった」「人の悪口が多い」「人望を得ようと計算している」
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
現実 : 玉砕の5日前に“自分だけ”政府軍に助命嘆願 → 拒否される
伝説 : 「晋どん、ここらでよか」と潔く自決
現実 : 玉砕当日城山の洞窟から逃走 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
現実 : 政府からの給料が現在価値で月2千万円 年収2億4千万円
豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
現実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
現実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い漁った
伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
現実 : 勝海舟による創作
伝説 : 幕府から指名手配された親友月照を不憫に思い心中 → 西郷だけ助かり号泣
現実 : 死ぬ気など無かった月照を海に突き落として殺害 → 心中を偽装 -
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
現実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
総攻撃に反対する英国大使パークスの圧力により断念
伝説 : 道義を貫きとおした巨星
現実 : 浪士を雇い、江戸で放火、掠奪、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発
伝説 : 大久保利通による西郷暗殺指令
現実 : 政府の密偵を凄惨な拷問にかけ自白強要させており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
現実 : 子供を二人産ませた奄美の妻アイカナを捨てる
旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 鹿児島私学校では西郷さん自ら若者たちに敬天愛人思想を講義
現実 : 当時の生徒の証言「西郷さんが私学校で講義したことは一回もありませんでした」
伝説 : 「西郷南洲翁遺訓」 西郷の教え41条
現実 : 東北庄内人による創作
伝説 : 民百姓にも慕われた西郷どん
現実 : 鹿児島で西郷さんが外出するときは、地上での土下座では恐れ多いと、
百姓たちを道のわき溝に飛びこませ水から首だけ出して出迎えさせた
西南戦争では、百姓たちは木の上から見物、
西郷軍兵士が死ぬと身ぐるみを剥ぎ、売る -
池田光政
保科正之・徳川光圀と並んで、江戸初期の三名君と呼ばれた大名の一人。
しかし、儒教馬鹿大名三羽烏の一人と言ってもよい。
三人とも馬鹿ではなく、また業績もあるのだが、確信犯的な行動で問題が多かった。
三人とも領内の信仰に自身の理念から改変を加えており、中でも池田の儒教馬鹿ぶりは
保科にすら難色を示されるほどであった。
仏教を嫌い、寺請を廃止して神道請を開始。
圧力を受けて岡山藩内の寺の58%が廃寺に追い込まれ、僧侶を強制還俗させているのでは
ないかという幕府からの質問には自主的なものだと回答したが、実際には還俗が強制され、
押さえつけら魚肉を口に押し込んで還俗を逼る、入牢させるなどの弾圧があった。
その結果、僧侶たちは還俗・他藩への逃亡・自害に追い込まれたという。
併せて、仏画・仏像・寺堂への破壊も行われた。
先祖の祭祀も仏式を廃して儒式へ以降、火葬も禁止している。
幕府や世間に「丸い桶に四角い蓋を合わす」と非難された神道請廃止は、光政の死から五
年後のことであったが、自らの死後も長らく続けよと遺言した池田家の儒式祭祀は、当人
の死後、すぐに仏式に戻されている。
若い頃、人柄を見抜いた板倉勝重から「厳重なやり方では国が収まらぬから、寛容の心で
人心に当るべき」と言われ、この教えをよく守ったという逸話がある。
しかし、どう考えても守っていない。 -
全韓国人の顔認証データを全入管、全警察、全監視カメラ間でオンライン共有せよ。何兆円かかっても、短時間で元が取れる。日本に強姦魔のDNAを絶対に入れてはならない。強姦魔DNAの混入阻止で犯罪処理コストは1000分の一に縮小し、日本に平和と好景気が回復する
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韓国で検挙された日本人の性犯罪 男:0人
韓国で検挙された日本人の売春女:0人
日本で検挙された韓国人の性犯罪男:1058人
日本で検挙された韓国人の売春女:4112人 -
明治天皇 洋服を着た、洋食を食べただけ、これで世界最高名君
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日本の偉人ってスケールがショボイからなぁ
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国民を安堵させた
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木村拓哉
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>>14
ソースは? -
>>22
w -
>>15
やはり薩摩は野蛮蛮族だったなww -
福沢諭吉 白人女の尻を追いかけて相手にされないからムキになって脱亜入欧とか言ってた恥ずかしい西洋コンプレックスのおっさん
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徳川家康
今やっている真田丸では、臆病でチンケなクズとして描かれているが、実際、信長や秀吉が成し遂げた天下を漁夫の利で掠め取っただけの古狸ではないだろうか。 -
徳川家康 大阪城の堀を騙して埋めた卑怯者。
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家康はもともとそんなイメージだろ
福沢諭吉はクズかしらんが、過大評価されてるとは思う -
聖徳太子
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マセソン商会の手下として日本に内戦を起こす企みに加担した売国奴 坂本龍馬
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宮沢賢治
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おまっかいな!
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みんなが知ってる坂本竜馬は司馬遼太郎が創造した人物
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山科けいすけが描いたサカモトが本当の坂本龍馬に近い
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権力を笠に着た性豪(大っぴらな強姦魔)
伊藤博文 -
黒田清隆
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野口英世 情を込めて育てた母親を無視。そのうえたった一回帰省した時に
「お余りのかろきに1歩も進めず」って、これ本人じゃないと思うけど
と作話、母が字の読めないのを軽蔑してたとか
人として最低 -
そんな作り話しなくても借金の話だけで十分クズだろうに。
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作り話ではないだろう?
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>>13 それは、親父の強盗強姦だ。
賢太は、25歳頃にアルバイト先の同僚と揉め、止めに入った警官を誤って殴り逮捕され、略式起訴を経て10万円の罰金刑を受ける。
また、29歳の時には飲食店で酔って他の客に絡んで暴力をふるい、再び逮捕され、10日間留置され東京簡易裁判所で罰金20万円の有罪判決を受けた。 -
なにこれ
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◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 -
シャクシャイン
・砂金利権などめぐってアイヌ部族同士で殺し合い(かなり鉄砲も保有)
>・シャクシャインがハエクルのメンバーを殺害に至った事例
1648年 口論になりオニビシの部下を殺す
1667年 鶴の子をウラカワで獲ったツカコボシ(オニビシ甥)を
シャクシャインが呼んで口論の末殺害
1668年4月 ツカコボシ殺害の件で揉めている中、オニビシ弟およびオニビシ本人を殺害
1668年7月 オニビシの仇討に燃えるオニビシ姉を、ウラカワアイヌを派兵して殺害
・仲介を試みた松前氏も標的に、武装テロ
デマで挙兵 ≫「ウタフが疱瘡で没すると、シャクシャインは松前氏が毒殺したとして挙兵。」
http://www2u.biglobe...huuzo2/kaisetu_5.htm
> ★ 交易船員・鷹師・金堀など合計355人が殺される。
…… 略 ……
> 北方史史料集成第四巻と『渋舎利蝦夷蜂起ニ付出陣書』と『松前蝦夷一揆聞書』
> によると以下のような
≫ 「松前は我々の絶滅をたくらんでいる。今後の商船の貨物には毒が入っている恐れがある。
≫ 全ウタリは力を合わせ、シャモ(和人)を殺し、米・味噌を奪って兵糧にすること。
≫ アイヌモシリ(蝦夷地)から和人を追い出し、我々のモシリを取り戻そう。
≫ 参戦しないコタンはシャモよか先に殺す !!」
デマ扇動・脅迫により挙兵し、まず交易船乗員など民間人(本州人)狙い百人単位で虐殺 -
会津プロイセン(ドイツ)との
提携を模索していたことが東京大史料編纂所の
箱石大准教授らの研究で明らかになった。
ドイツの文書館で確認した資料は
会津が北海道などの領地の譲渡を提案したが
宰相ビスマルクは戦争への中立
などを理由に断ったことを伝えていた。
ドイツの国立軍事文書館の資料で
10年ほど前にドイツ側の研究者が
存在を紹介したが詳細が不明だった。
箱石さんらの調査で確認されたのは
1868年の文書3点。いずれも、ボン大の
ペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読
日本語に翻訳した。
北海道などの領地を譲渡
北海道などの領地を譲渡
北海道などの領地を譲渡
北海道などの領地を譲渡
完全に売国行為ですね。これで天皇や幕府の飼い犬面してんだから
実にプロパガンダだよwwwwwww -
>>136
>箱石さんらの調査で確認されたのは、1868年の文書3点。いずれも、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読、日本語に翻訳した。
(1)7月31日付で駐日代理公使のフォン・ブラントがビスマルクへあてたもの。「会津・庄内の大名から北海道、または日本海側の領地を売却したいと内々の相談を受けた。
ミカドの政府も財政が苦しく南の諸島を売却せざるをえない模様」として判断を仰いでいる。←チェック!!
(2)10月8日付で宰相からフォン・ローン海相あて。「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し、海相の意向を尋ねている。
(3)10月18日付で、海相から宰相への返事。
この年は5月に江戸城が明け渡され、7月初めに上野で新政府軍と彰義隊との戦いが決着。戦争の舞台が東北へ移る緊迫した時期の交渉。
両藩は武器入手のルートや資金の確保を目指したとみられるが、ブラントは「北日本が有利になれば、この申し出は大変重要な意味を帯びる」とも記しており、政治的な狙いも込められていたようだ。
会津は京都を舞台に長州と激しく対立、庄内藩は江戸警備を担当して薩摩藩邸を襲撃したことがあり、両藩は同盟関係にあった。
北海道の領地は北方警備強化のために1859年に幕府が東北の有力6藩に与えた。会津藩は根室や紋別を、庄内藩は留萌や天塩を領有していた。
箱石さんは「敗者の歴史は忘れ去られ、この交渉も日本にはまったく記録がない。会津と庄内は土地を提供することでプロイセンを味方につけようとしたのだろう。
戦争が長引けば明治維新に違う展開があったかもしれない」。
明治維新を研究する東京大の保谷徹教授は「会津・庄内両藩がよくぞここまで国際活動を展開させたなと驚いた。歴史にはまだまだ知らないことがたくさんあり、その答えが海外に眠っていることを示しているのだろう」と話している。 -
アイヌの中では英雄では無い、やたら人を殺す扇動家・テロリストが
変な連中に担ぎ出される構図>>46 -
127 : 名無しさん@お腹いっぱい。2013/03/29(金) 01:58:48.90 ID:pj6DgWSO
関東東北民は、日本人では無い、
下等民族アズマエビス
ソースは日本書紀 -
福永嫮生
自伝の「流転の王妃」と当時の史料から垣間見える人物像が違いすぎ
http://www9.wind.ne....na/karyu/yosioka.htm
>満州に初めて渡った時、浩は使用人として執事を1人、女中を4人引き連れていましたが、到着後まもなく彼女は女中に対する規則を作っています。例えば一部ですが、内容はこうです。
>2.御上と奥方様の食器と、女中達の食器は一緒に洗わないこと
>3.御上と話すときは、事前に執事の許可を得てから、膝まづいて話すこと
>すごい規則です。 3.などは話というよりは、直訴でしょう。
>さて 『流転の王妃の昭和史』 には、浩が中国人の使用人が愚痴をこぼしているのを聞いてしまうシーンがあります。
>日本人、国とった、言葉とった、できるもの皆とった、それでまだ、文句あるか?
>これに対して浩は心の中で叫びます。
>私は恥ずかしさのあまり、ただ黙り込むしかありませんでした。
>(そうよ、そのとおりよ、あなた達は何も悪いことをしていない、悪いのは日本人なの・・・・)
>私は日本人であることが辛かったのです。なれるものなら、中国人になりたかったのです。そして、彼等と一緒になって日本人を思い切り罵倒してみたかったのです。しかし、民族の血というのは非情なものでした。私にはそれが許されないのです。
>これは明らかに作り話です。
>悪いのは日本人なの・・・、というのは、あるいはそのとおりかも知れませんが、なれるものなら中国人になりたいとは、話が飛躍しすぎます。王妃になれなかった浩が、せめてもの憂さ晴らしとして自伝のタイトルに 『王妃』 の文字を入れているのと矛盾しないでしょうか?
>さらには自分と夫の食器と、女中達の食器を一緒に洗ってはならないと、というほどの身分意識と差別意識を持った浩が、中国人の境遇に同情していたでしょうか? -
戦争に負けた途端にコロッと思想を180度転向するバカは後を絶たなかったからね
住井すゑとか日教組だった担任がコイツが戦争中に何かいてたか知らずによく持ち上げてたのを思い出す
https://ja.wikipedia...95%E3%81%99%E3%82%91
>住井 戦争中の十七、八年は私たち童話を書く人間も集められて、「童話は国策に沿って、国のためになるような童話を書け」と言われました。
>ある時は大蔵省、それから情報局の両方から呼び出されて……結局、命令通りに書かなければ雑誌の紙をくれない、単行本出すにも紙をくれない、といじわるしたからねえ、
>だから気の弱い人は翼賛会や情報局のいう通りになりましたよ。そういう会合でもそいつらと喧嘩したのはやっぱり私一人でした。
>寿岳 やっぱり、住井さんだ。
で戦時中に住井すゑが実際に書いてたこと
>「戦争はありがたい。戦争は価値の標準を正しくしてくれる。そして、人間の心に等しく豊かさを与えてくれる」
>「戦争はありがたい。あり余る物によって却って心を貧しくされがちな人間の弱点を追い払って、真に豊かなものを与えようとしていてくれる」
>「やあ、おめでとう。マニラも陥ちたね、いや、愉快だ」
>「無敵皇軍。何がいけない? ははゝゝゝ無敵皇軍を不穏だなんて言った腰抜野郎、今こそ出て来い。神国日本は開闢以来無敵なんだ」
wwwwwwwwwwwwwwwwwww -
>>39
でも周りが美化しただけで、本人は欲望のまま生きてたことを認めてただろ -
性格が悪かろうが多大な功績を遺したし>>39ごときが批判しようがね
ま、偉人を腐す趣旨のスレってことは分かるけど -
>>54
沈黙した人は多かった -
そうかじゃあ戦争をまるで反省することなく
ずっと戦争万歳言動いってればよかったのか -
>>58
ブサヨ発見 -
戦争の前と後で言ってることが変わってる!
当たり前だろ、何がいけないんだよ。 -
戦前から戦争回避のために必死で動いていた外務省のメンツからすれば、程度の低い義憤で
諸外国への敵愾心を煽るマスコミも、それにやすやすと乗せられる馬鹿な大衆も、それに
乗じて発言力を強める陸海軍も目障りそのものだったことだろう。
それが負けたとたんにマスコミは保身のために軍部や政治家に責任を押し付け、馬鹿な大衆は
またもやその転向に当たり前のように乗っかる。
それをクソと思えない奴は間違いなく程度の低い馬鹿だろうよ。 -
つまり
戦争が終わってからも反省せず
軍国主義的な発言して
シナ満州は日本のもの
鬼畜米英いう人間が終始一貫していて正しいという事だ -
>>62
一貫して馬鹿な奴しかお前には見えないわけだな。 -
>>61
そもそも民衆はマスコミに騙された被害者じゃないからな
ロシアとの戦争でも支那事変の初期でさえも
まだ非戦や慎重論を唱える新聞はあった
そういう新聞は焼き討ちされたり部数を落として売り上げが激減した
売れたのは好戦論新聞
非戦の新聞があってそれを選ぶこともできたのに民衆は選ばなかった
今の保守派やネトウヨと同じく「チャンコロ殺せ、満州は日本のもの、軍はチャンコロにやさしすぎ、もっと殺せ」
て感じで好戦的だったんだろ(ただし自分が戦場にいくのはいや) -
森鴎外
脚気細菌説を唱えてそのプライドの高さから維持でもビタミンB不足など認めず
日露戦争では2万人も脚気で死んだ。その後も陸軍は脚気患者を出し続けその死者
は10万人以上とか。オリザニン(アリナミンの前身)が出来るまで最近説を唱えた
今なら死刑もんの犯罪者。 -
ウイルス説が当時の医学界では優勢で鴎外の独断というわけではなかった上に
麦飯がいいらしいから食えと言われても現場の兵隊が麦をこっそり捨てて米だけ食ってたのも痛かったな -
日本兵の軍用食は米じゃないとアカンというのは
ガダルカナルで補給で苦しんでいる時すら続けざるを得なかった事なんで
明治の人は責められんよなあ -
いや、当時の庶民は麦飯か粥が主食で、白飯は軍隊で初めて食ったってのも多かった。
軍隊で贅沢に慣れ切ったロクデナシが脚気にかかったともいえる。
海軍は麦飯で脚気を発生させなかったというけど、『海軍めしたき物語』では、麦飯でも
規定よりも米の量が多くなるように炊くために麦が余り、深夜に密かに麦を海中投棄
していたなんてエピソードが書かれている。 -
俺達は白米が食えるって聞いたから軍隊に入ったんだよ!って反発もあっただろうな
森鴎外一人の責任にするのは酷だな -
>>60
>戦争の前と後で言ってることが変わってる!
>当たり前だろ、何がいけないんだよ。
住井すゑはそのお前の言う「当たり前」のことやった連中を徹底的に批判して
自分たち女流作家は徹底的に戦時中も反戦論談はってとかウソをついたことだな
誰にでも間違いはあるがコイツは反省もせず、同じ翼賛作家だった連中を平気で叩いてなかったことにしたことだよ
ほんとどうしようもない品性下劣のゴミ人間だよコイツは
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