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日本史
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【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart37
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黄河流域では下戸遺伝子変異が発生する理由に弱い
それで何故福建省の方が濃い?
移動したからか? -
ALDHが欠損する変異自体の原因はわからんよ 黄河に来たときにはもう持っていて、そこから南下して稲作したらその変異の持ち主が多く生き残って集積地化したということだけが分かる
もしかしたら黄河人種に限らずモンゴル人の中にもあったのかもしれないよ持っていない人が淘汰されなかっただけで
その事情はチベット人も同じ -
それと日本人の濃さの仮説としてはどう解釈すれば良い?
日本に来てから濃くなった?
日本に来た時は既に濃かった?
どちらにしても何故? -
変異の原因は分からんにしても濃さの仮説については聞きたいね
移住に関することだから -
>>4
みんながみんな南下したわけではないだろうけどその変異しか残らなくなって、残らなくなった中でコピーが増えていくわけだから
移動はもちろんあったけど移動圧が高かったまでは言えるかどうかな
けど南方漢人のほうが古き良き漢族だとは言われるよね今となっては -
>>7
例えば以下の2つの仮説があるとする
・下戸遺伝子が何処かで発生
ユーラシア全域に薄く広く広まる
淘汰圧により濃淡が分かれる
・下戸遺伝子が福建省で発生
そこから同心円状に分布が広がる
分布図から見て後者の方が説得力があるのよ
何故ならば前者ならばユーラシア全域に下戸遺伝子の痕跡が残ってないといけないからね
下手したら人類全部から痕跡を見つけないといけない
あと下戸遺伝子を長い期間許すほど昔の環境は甘くない
必ず理由があるはずだからそれを説明するためにも後者説の方が合理的なんよ -
>>10
これはそう思ってる
個人的にはやはり「水田」に関する疫病耐性を付けた結果こうなると考える
長江と日本の水田に固有の風土的原因があると考える
もしそうでないならば、「長江」から「短期間に」「ゲノム比を変えるくらい大量の」移民が日本に来たかどちらか -
>>11
ALDH酵素の欠損は8000年前なので捜索範囲はそれ以降に絞られる
第一候補としては黄河系と姉妹でありながら下戸の少ないチベット人ではないかな
淘汰圧がかかる前の割合がわかると思うよ
それで分かったとして、これが古くからのものなのか江南からの移民由来なのか
それを結論づけるのは難しいと思うね -
中国本土から渡来入植した考古痕跡などどこにもない
中華人民共和国の劇団型ネット工作部隊は劇団型工作で詐欺を働かないように -
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中国大陸では9000年前の土器の登場時代から土器に耳が付いていました。
あちらでは土器に環状の耳が一つ付いているものを単耳、二つ付いているものを双耳、
鼎のように垂直に耳が付いているものを直耳と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は三足や圏足どころか、耳の一つさえも
伝えませんでした。
日本の土器に耳が登場するのは朝鮮帰化人が入植した4C末の古墳時代からです。
中国大陸には9000年前の土器の登場時代からある耳いう器形を我々の祖先は
古墳時代まで知らなかったのだ。
その時代差、約7400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
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サトイモが初めて出てくる日本最古の文献は豊後国風土記(730年頃) で芋草(ウソウ)という名称で出てくるのが初
奈良時代後半には万葉集に「宇毛」(ウモ)の名で出てきて重要な作物になっている
ところが、そんな重要な作物の名が記紀には一切出てこない
記紀には当時のほとんど全ての作物が出てくるのにサトイモだけ出てこない
これはおかしすぎる
ゆえにサトイモが伝来したのは奈良時代の初め頃
もちろん自生したのはそれ以降
https://www2.city.ku...kusakuhin/kojiki.htm
https://www2.city.ku...kuhin/nihonsyoki.htm
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日本列島最古の弓矢の痕跡は16000年前の青森の大平山本遺跡から出土した石鏃
同時に出土した遺物にはバイカル地方系の細石刃や日本列島最古の土器や丸ノミ石斧
(神子柴型石斧)などがあり、それらの出土物がアムール地方と共通するため、
弓矢はアムール地方から樺太経由で細石刃や土器や丸ノミ石斧とともに日本列島に
伝播してきたと考えられる
日本の弓矢に南方など一切関係がない
https://sitereports....5%B1%B1%E5%85%83.pdf
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572日本@名無史さん 2025/01/14(火) 18:04:34.57
また中卒ダマシやってんのか馬鹿チンク
イネの粒種や農具や炊飯器が中国大陸とはサッパリ一致せんの
3000年前の長江のイネは稲籾に中粒種が半分くらい混ざったイネ
ところ九州北岸に伝わったイネは稲籾が短粒種のみ
3000年前の長江の農具はスキがメインでクワという農具がない
しかも石刃
ところが九州北岸に最初に伝わった農具はクワがメインでスキという農具がない
しかも木刃
3000年前の長江の炊飯器は鼎、甑をセットした鬲、釜をセットした竈の3種類
ところが九州北岸に伝わった炊飯器は甕だけ
長江なんて2兆%あり得ん
一致するのは、ぜーんぶぜんぶ、朝鮮南部
かと言って朝鮮南部から入植した痕跡たる朝鮮土器遺構もない
つまり稲作はただ単に弥生人が半島南岸から取り入れて自ら始めただけの話 -
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(8)蒸して食べる
7000年前 中国に起源
最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が
話題になっています。モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさを
そのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を作る際にも欠かせない調理法です。
この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。
蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、
黄河流域の遺跡から、粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。
それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が基本だったと考えられています。
日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。
最初に蒸し調理が行われたのは3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から
土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、ようやく日本にまで
到達したことになります。
しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後の
ことでした。
今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。
https://www.nabunken...014/04/tanken08.html
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半島から竈と甑が西新町遺跡に取り入れられたのが3C
中国大陸には8000年前からある竈と中国大陸には7000年前からある甑が
この時に同時に伝わった
8000年前から中国の竈は釜を使うが、釜はこの時に伝わらず、半島の長胴甕が伝わった
なお、中国大陸には9000年前からある釜という器種が伝わるのは朝鮮帰化人が
入植する5C頃まで待たなければならない
今と違って竈に長胴甕と甑をセットして米を蒸して炊く炊飯方法である
卑弥呼も竈と甑で蒸して炊いたご飯をギリギリ食べたのかもしれない
ここで一番重要なポイントは何か分かるだろうか?
中国大陸には7000年前からある「蒸すという調理法」を我々日本人の祖先は3Cまで
知らなかったという事だ
その時代差、約5300年
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
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>>11-12
ほれ、おまえらクッサイ汚らしい醜いキモいセロいハノいダサいグロいカッコワルい
世界一ゴミすぎてクズすぎる汚物生命体
支那ブタゴキブリ
1/29更新
youtu.be/CPc5zuHDwjg?si=cmq3_eRSU5FJf67H
youtube.com/shorts/QSLKb6qKm-U?si=G81QW_DD9YQlZrbO
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>>13
チベットでもいいけど最終的には「福建省まで行って増えた」というシナリオにしないと説明は難しいと考える
「チベットより発生し中国と日本全土で薄く広く拡がってから淘汰的濃度変更」としても、8000年前より遅くになって中国と日本全土に薄く広く分布しなければならない
これは無いね
どちらにせよ8000年しか無いんだったら移住にあまり時間をかけていられない
福建省発祥、同心円状分布の方が遥かに合理的に説明できると思うわ -
パッと調べると下戸遺伝子2万年前にも増えてる
2万年前は流石に稲作は無いだろうから、風土病的な要因もあるかと思うね
例えば、2万年前にミヤイリガイが増加して住民が食べて死亡したとか。長雨で水田っぽい地形が増えたとか。
日本人約1万人のゲノム(全遺伝情報)を解析した結果、酒に弱い「下戸」となる遺伝子変異がある人の割合が、約2万年前と約7500年前の2段階で増えたことが分かったと、国立国際医療研究センターなどのチームが7日付の国際科学誌「プロスジェネティクス」に発表した。はっきりした理由は不明という。
アルコールは主に遺伝子「ADH1B」の働きでアセトアルデヒドという物質に変換され、さらに遺伝子「ALDH2」の働きで分解される。日本人では、この二つの遺伝子の変異による下戸の人が多い。 -
>>23
こういう感じだよ
北アジアα→華北→江南
↪︎チベット
想定としてはαの段階で変異は発生していて
雁首効果は江南で発生した
同じαの子孫であるチベット人は変異を持つ者もいるが雁首効果は経ていない
つまり集団全体でα時代と同じ変異保持者割合を示すということになる
しかし仮にこれが5%だったとする
その事実はおれには問題ないけど
発生地までも江南とする立場の人たちから、
その5%は江南からの移住者だよ、と反論されたときに有効な反論手段がないんだよ -
日本に最初に来た38000年前の旧石器時代人はアルコールをさっさと分解してしまう変異を持っていなかったが
20000年前の細石刃人がこの変異を日本へ持ち込んだ
そして7500年前に起きたことは、細石刃人の子孫が増加したことを意味するのか、
発生したばかりのアルデヒド脱水素酵素の欠損変異が早速日本へ入ってきたことを意味するのか
上の報告だけでは判断できないな -
8000年前に南支那で生じて日本に入植だけは2兆%ないわ
8000年前なら有段石器などの南支那系石器が伝わるはずだし、
6000年前以降の土器時代なら三足や圏足や耳の付いた南支那系土器が伝わるはず
モンゴル高原あたりからアジア中に拡散して稲作か稲食の何かが原因で日本と南支那の
頻度が著しく上がっただけ
支那人工作劇団は都合の良いように我田引水しないように -
雁首効果にしても細石刃人にしても「何故江南と日本が濃い?」の原因に迫れないとこれ以上の進展はないだろうね
マラリアだけでは決め手に欠けるだろう
江南からの矢印の先に日本が来るのかこないかについても明確な答えは無いようだ
江南と日本の傾向は別々の風土病由来で発生なのか移住に依るものかも現状答えられないというところかな -
モンゴル単独発生でアジア中に拡散ならばかなり古く発生しないと年代的に難しい
そしてモンゴルからアジア中に移動したという出来事前提の話となる
モンゴルから江南移動までのルートを説明しなくてはならなくなる
かなり苦しい -
>>29
中国大陸は古モンゴロイド人骨しかなかったのに6000年くらい前から
北方モンゴロイド形質を帯びた人骨に変わるよねえ?
この北方モンゴロイド形質を帯びた人骨の人々はどこから来たの?
インドシナ広鼻ブラックセロイセロイ半島からか?(嘲笑 -
・水田であること(水を張る)
東南(南)アジアと共通
・温帯ジャポニカ種であること(わずかな栄養バランス?)
日本と江南のみの共通
・温暖湿潤気候(Cfa)であること(蚊の生存適地)
日本と江南のみの共通
・北方モンゴロイドであること(変異の持ち主?)
日本と江南のみの共通(濃淡あれど結局はアジア全域)
モンゴルから南下しただけでルートも何もないけどな
そりゃ江南から日本への考古学的移動痕跡がないと分かるや、ボートピープル、奴隷、戦争避難民とオプションプランをポンポン出せる者からすると物足りない回答かもしれないが -
下戸遺伝子持ちがこれら?
アタマおかしいだろう
何の合理性もない
かりにそうだったとしても体質は完全に南方系に置き換わってる
北方系(バイカル型):色白で、極度に平らな顔。
ウラル系
サモエード派
ネネツ人(ネネツ自治管区・ヤマロ・ネネツ自治管区・タイミル自治管区・ノヴァヤゼムリャ)
エネツ人(オビ川下流)
ガナサン人(タイミル半島)
セリクプ人(エニセイ川中流域)
ウゴル派(ほとんどがコーカソイドと混血している)
ハンティ人(ハンティ・マンシ自治管区)
マンシ人(ハンティ・マンシ自治管区)
テュルク系
サハ人(ヤクート人)(サハ共和国。シャーマニズム信仰)
ドルガン人(タイミル自治管区。シャーマニズム信仰)
ツングース派
エヴェンキ人(エヴェンキ自治管区)
ネギダール人(アムール川及びアムグン川流域)
オロチ人(アムール川流域)
ナナイ人(ホジェン族)(アムール川流域)
オロチョン族(スタノヴォイ山脈周辺)
満洲族(満洲、清朝成立後中国各地に拡散)
シベ族(シボ族)/(女真族の一支族であるシベ氏族を起源とする)
ウィルタ民族(オロッコ)/(樺太北東部)
ユカギール人(コリマ川流域)
朝鮮民族(朝鮮半島)(中部モンゴロイドに含まれることもある) -
>>32
なら移動を捨て置いて単純に風土病とするしかないな
江南と日本で同じことが起こったのは間違いないから
モンゴルから江南のルートが分からない、江南から日本への入植痕跡がないとなれば移動オプションは省いて考える
風土病の原因として水稲を考える程度にしておく -
大体アイヌ人だって北部モンゴロイドだろう
何故現在置換されているんだ -
黄河人種はアムール人種ではないのだよ
北方モンゴロイド即アムール人種というわけでもない
爺はアムール人種は発生後西進していると言っている
まあそれはそうなんだろう
とはいえ8000年前の北アジアならば、アムール人種も広がりきっているけど
彼らも要素は持っていると思うぞ雁首効果を経験していないだけで -
「アジアに満遍なく広がった」が土台無理な話だ
それなら今ごろ我々はアジア全域で共通の言葉を話し共通の文化があるべきだろう
そんな話ムーぐらいしか知らんぞ
どこの超古代文明だ -
なんでや現代日本人が漢語を話さない事実は平気でスルーするのに
なんで北方モンゴロイドがアジア全域に広がったという単純な話をそんなに拒否するんや -
他の人に言ってみてよ
一笑に付されるだけだろう
もっと説得力のある仮説じゃないと
じゃないとどこぞのバカの言うセロイ人も実は北方モンゴロイドでした
ってなことになっちまうよ -
>>24
話がラフ過ぎるよ。このスレで何度も話題になってるんだから、ADH1Bハプロの変遷を踏まえたコメントにして欲しい。 -
アイヌは北方古モンゴロイド
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長崎支石墓研究の第一人者たちが長崎と中国の支石墓の関係を2016年の最新文献で
全員否定してるんだから支那人工作員が出る幕じゃねえんだボケカス
会場からは九州へ流れる海流の関係から山東省や浙江省の支石墓との連関性はないのか
という質問 があったが、中村氏、尹昊弼氏、安楽氏とも韓半島との関係性の強さから
否定的な回答となった。
長江流域の石棚が朝鮮半島南部に伝播したという説(陳 2003)がある。
いわゆる南方ルートを意識したものであるが、実証はされていない。
長江流域の支石墓は地上式である点で共通性はあるが、埋葬施設は
類似していない(図5)
現時点で、年代が推定できる最も古い支石墓 は遼東半島中部の普蘭店双房2号墓である(図 6)。
http://www.nagasaki-...lish/pdf/kiyou06.pdf
そもそも印文陶の鼎やら原始黒磁の尊(ラッパ形の酒器)やら原始青磁の鼎やら
青銅器の矛やら戈やら斧やらノミやら鏃やら短剣やら編鐘やら、そんなイイモノが
長崎の支石墓の一体どこにあるんだよ馬鹿チンク
◆浙南石棚墓からの出土文物
随葬品有印纹硬陶罐、豆、鼎、纺轮,原始?K瓷尊、豆,原始青瓷、簋、碟、盂、碗、
豆、鼎,青铜矛、戈、锛、凿、箭镞、短剑、小编钟等。
http://baike.baidu.c...%93%E7%BE%A4/9461430 -
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鼎は中国大陸に8200年前に登場した炊飯器 兼 鍋
鬲は5500年前に内モンゴル西部に登場して5000年前に中国大陸に広がった穀物や
肉魚を蒸して調理する蒸し器の一部
中国大陸に7000年前に登場した甑を鬲にセットして穀物や肉魚を蒸して炊く
中国大陸には甑が登場した7000年前から「蒸すという調理法」があったのである
しかも8000年前には住居に備え付けの竈も登場して9000年前からある釜を
セットして炊飯もしていた
7000年前には持ち運びできるポータブルな携帯用の竈と釜のセットも登場
中国大陸は8000年前からすでに炊飯器の種類が豊富だったのである
ところが縄文末に渡来した弥生人が伝えた炊飯器は甕だけ
中国大陸には9000年前からある釜一つすら伝えなかったのである
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
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中国大陸には5000年も前から龍信仰があるのに、
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsus...og/2012/01/1238.html
縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした
龍信仰が伝来したのは楽浪郡と交流が始まった紀元後です
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒未満です!
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ソバの伝来は飛鳥時代末以降
なぜなら記紀に一切出てこない上に奈良時代以降にならないと
ソバの種子の出土に連続性がないから
ソバの文献初登場は続日本紀の養老六年(722年)の記録で、
最初から蕎麦という中国語で登場してくる
ソバの語源自体も蕎麦の読みから来ており、それ以前の和名がない事と
奈良時代以降にならないとソバの種子の出土に連続性がない事を考えても、
やはり遣唐使が飛鳥時代末から奈良時代初め頃に中国から持ち込んだものと
考えられる
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ヒョウタンはペルーで1万年以上前のものが出土しているため、旧石器時代に北回りで
東アジアやアメリカ大陸に広がっていっただけ
おそらく水筒として旧石器人も使っていたと思われる
最古の栽培植物の一つで、ぺルーのアヤクチョの洞窟(どうくつ)から紀元前1万3000〜
前1万1000年、メキシコのオカンポ洞窟から前7000年ころ、中国の河姆渡(かぼと)遺跡
から6500年前、日本の鳥浜貝塚(福井県若狭(わかさ)町)から8500年前のヒョウタンの
果皮や種子が出土している。原産地は、野生種の存在、種子の形の多様性からアフリカと
みられる。それが旧石器時代すでに南アメリカに渡来していた点については、大西洋漂流説
があるが、異説もある。
http://kotobank.jp/w...%9F%E3%82%93-3165598
. -
セロイセロイらんどの人にも北方モンゴロイドは入ってるよそこ否定する必要ないからな
さらに遡れば、その前に北アジアにいて後に南下した古モンゴロイドもセロかったわけで
東南アジア人の構成
北方モンゴロイド+古モンゴロイド+南回りのオーストラロイド -
>>40
どういう変遷を辿っているんでしょうか -
お前の中ではそれでいいけどな
誰も信じないけど -
何のための分類だ
北方にいるモンゴロイドだからそう呼ぶのだろう
そうじゃないなら独自研究かムーやん -
コペルニクス的転回てやつよ
東南アジア人の先祖も元は北アジアにいたという単純な話なんだけどな
“南方遺伝子”の正体は、同じ故地から日本とインドシナへパラレルに広がったというだけ -
>>38
母数が少なすぎるところを押す理由は? -
ADH1Bハプロの発生年代(1世代を20年とした)を表にまとめておきます。
H1 20万0600年前 (18万5400年 ± 2万5600年)
H2 1500年前 (4100年 ± 2500年)
H3 3万1500年前 (3万2700年 ± 9100年)
H4 11万0800年前 (13万5800年 ± 2万8500年)
H5 5万3800年前 (6万6700年 ± 1万6900年)
H6 1万5700年前 (2万1400年 ± 8600年)
H7 2500年前 (2800年 ± 1200年)
pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3722864/ -
>>47
6000年前に少なくとも南支那あたりまでは南下した北方モンゴロイドの洗礼を受けてるよ
ただ古モンゴロイドはセロくないぞ
アイヌってセロいか?
アイヌの肌の色は東京や大阪や名古屋などの太平洋沿岸部の日本人種よりも全然白いし
顔はコーカソイド的な個体が多いぞ
北方からセロくない古モンゴロイドが南支那以南の熱帯、亜熱帯に南下して
数万年かけて熱帯、亜熱帯に適した肌の色や容貌に経年変化していったと見るべきだろう -
コペルニクス的転回てやつよ
北アジア人の先祖も元は東南アジアにいたという単純な話なんだけどな
“北方遺伝子”の正体は、同じ故地から日本と華北へパラレルに広がったというだけ -
>>52
すまんどういう意味だ -
>>48
>54のコメントに付記した論文の図2と図5の移動ルートと発生年代がさんざん話題にされています。 -
ADHはアジアンフラッシュには関係ないし大陸でもユーラシア単位でありふれていると言って差し支えなくないか
-
南支那以南のサバイサバイランドは43500年前から北回り集団が入植して
土着のセロイひとと幾度となく交雑してるからな
Yもmtも南回りのものなんかもうほとんど遺ってないだろ
北回りの古いハプロタイプにほとんど書き換えられちまって
元の南回りの集団の遺伝子なんかもうほんの僅かで、南支那以南の東南アジアの
セロイひとの正体は旧石器時代に北方アジアにいた古モンゴロイドが南下入植して
環境適応のために数万年かけてセロく変化したものだろう -
こんな感じですかね
H6発生が15000年前で、東アジア
これが下戸遺伝子の伝搬に最も関連があると見られる
ここからは個人的感想
日本人と福建省より15000年遡る範囲の移動経路のどれかで下戸遺伝子が発生したと見られる
そうするとタイミング的には日本に流入するタイミングは縄文~弥生時代が最も適切か
おそらくは稲作よりかなり前から日本にも来ていたものと思われる -
オーストラロイド的要素はそこまで残ってないのか
新しい謎単語頂きました サバイ←New! -
H7は爺がコレア的下戸と名付けていた方だろうな
アルコール早分解の方ね -
現地人って何だよ
人類未踏の地にいる現地人って誰だよ
ネアンデルタール人か何かかよ
南方系と現地人の交雑した人の祖先は南方系が必ずいるのだが何で残らない
人口比が違うのか?現地人が多すぎて埋もれたのか? -
>>61
ところが関係大ありなのです。まず、ベーリンジアを渡って行った南北アメリカ大陸の先住民は、ADH1BハプロのH2とH4タイプです。つまりユーラシア大陸の北側を移動しているわけです。南回りから東アジアの沿岸を北上して(或いはヤポネシアを経由して)カムチャッカからアメリカに移動した人々もいるはずですがこの移動時期も遅くとも、1万6500年前にはアメリカ大陸に移住していることになります。 -
H7が2500年前ならば弥生人も含まれていても少しもおかしくはない
-
>>61
つぎに、ALDH2のrs671変異は、ADH1Bのrs1229984変異によって、逆にアルコール分解能力が13%程度増えたタイプの人により効果を発揮するからです。つまり、血液中のアセトアルデヒドの濃度が濃い状態をすばやく作り出して、悪酔い状態を長く保つには、ADH1Bのrs1229984やrs2066702が変異しているという前提があるということです。 -
現地のセロイ人(誰?)と交雑したらツカバカの頭の中では消滅することは分かった
世間ではそれを南方系と呼ぶがな
地理的に遠い北方系が南方より後に来て交雑?
世間ではそれを南方系と呼ぶがな
オカルトも程々に -
沖縄に移住した道民を道民と呼ぶのは間違っていない
遺伝学は戸籍を重視してその道民を沖縄県民と呼ぶ
これが南方北方呼びの相対性だよ -
>>71
南回りルートで東南アジアに入った後に4万年前に中国北部まで北上して
デニソワの鋸歯縁石器を吸収したとするなら、わずか2000年ほどでティモール島まで
鋸歯縁石器が伝わると思うか?
ティモール島には鋸歯縁石器が38000年くらい前に現れるんだから
ベクトルは逆なんだぜ
47000年くらい前にアルタイ地方にサピエンス登場
デニソワの鋸歯縁石器を吸収
45000年くらい前にバイカル地方にサピエンスが登場
43500年前に南支那南西部に鋸歯縁石器を持ったサピエンスが登場
38000年くらい前にティモール島に鋸歯縁石器を持ったサピエンスが登場
鋸歯縁石器の流れを見ると南回りが北上したのではなく、北回りが南下したとしか
考えられないね -
仮説に仮説を重ねてもはや新理論
道民の例えも意味不明
非常識なトンデモ論 -
2015/2/12 15:37
朝鮮半島の在来種のイネは日本(南西諸島の一部を除く)と同様に、『温帯ジャポニカ』
です(ただし、日本の『温帯ジャポニカ』には『熱帯ジャポニカ』の遺伝子の混入が
認められます)。
古代朝鮮の遺跡(4000年前頃)から出土した炭化米の中には『熱帯ジャポニカ』も
含まれていたと思いますが、現在の朝鮮半島では『熱帯ジャポニカ』は商業目的での
栽培は行われていません。
●陸稲と水稲の定義
*陸稲・・・畑作(焼畑も含む)で栽培されるイネの事。主に東南アジアの山岳地帯で
栽培されている。
*水稲・・・水田で栽培されるイネの事。主に東アジア(中国、朝鮮、日本)で
栽培されている。
栽培方法の違いから、一般的には、陸稲を熱帯ジャポニカ、水稲を温帯ジャポニカと
呼んでいますが、厳密に定義すれば、間違っています。熱帯ジャポニカを水田で
栽培する事もあります(ただし、収穫量は減る傾向がある)。ちなみに、古代日本では、
水田で熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカを混植栽培していたようです。水田で栽培される
米(水稲)が現在のように温帯ジャポニカ一辺倒になったのは近世以降です。
参考文献 稲の日本史(佐藤洋一郎 2002)
P.S
bianchifeltgiantさんへ、↓ 何か勘違いされていませんか?
「朝鮮半島には,日本で普段食べている温帯ジャポニカ以外の全ての稲が存在します。」「日本には,熱帯ジャポニカ(陸稲)と温帯ジャポニカ(水稲)の二種しかありません。
ですから稲作は,朝鮮半島経由ではなく,中国南部から直接伝わった,ほんの一握りの
稲が起源と考えられるようになったようですね。」
https://detail.chieb..._detail/q14141830464 -
半島のイネに熱帯ジャポニカがあるときに列島に取り入れられて稲作が始まり、
その後、半島のイネから熱帯ジャポニカが消えていっただけの話
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が大阪府和泉市の
シンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.../~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
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南回りルートで東南アジアに入った後に北上して4万年前に中国北部に至って
デニソワの鋸歯縁石器を吸収したなら、ベクトルが逆なんだから2000年後の
3万8千年くらい前までにサフルランド北端のティモール島まで鋸歯縁石器が
伝わらねえじゃねえかカス(嘲笑
読めば読むほど、不自然極まりない、おかし過ぎる論理(嘲笑
そして、田園洞人のゲノム分析によれば、ヒマラヤの南を拡散した東アジア集団と判明し、北回り拡散ルート上の古代北ユーラシア集団(を含む西ユーラシア集団)の遺伝情報は
含まないという重要な結論が得られている(Yang et al.2017)。このため、後期旧石器時代
における中国北部の鋸歯縁石器群の担い手は、南回り拡散ルートにより東南アジアに
入った後に、中国南部から北上して中国北部に至った現生人類であったことを示している。
南回り拡散集団が、東アジアを北上する過程で石器組成を変化させていき、それまで
中国北部でデニソワ人あるいは古代型新人など異なる種の人類が担っていた鋸歯縁石器群を
自らの適応手段として取り込んだということになる。
https://researchmap..../attachment_file.pdf
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下戸遺伝子の起源地はモンゴル高原あたり
これは壮大な遺伝子の物語になります。もともと、人類は誰もがお酒を飲めたのですが、、今から、二万〜三万年前のモンゴル高原で突然変異が起こったといわれています。
お酒を飲むと、アルコールが、いったん悪酔いの成分であるアセトアルデヒトに
変わりますが、それを分解できない人がひとり生まれたのです。
その人の遺伝子がD型といわれるのものです。だから、酒を飲めない、下戸だという人が
持つ人の祖先をはるか昔にたどると、モンゴル平原で生まれたたったひとりの人に
行き着きます。
http://ohnishi.lived...chives/51105023.html
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>32000-25000BCにバイカルにいたのはYANA人、マルタ人で、
アジア人がいたことは確認されていない。<
バイカル地方にサピエンスがアルタイ地方から入植したのは45000年前
人類は、猿人から、原人、旧人、新人の4段階に分けられる進化をとげてきた。
新人は現在の人類のことで、「現生人類(ホモ・サピエンス)」と呼ばれる。
その現生人類が見つかったのはアフリカで、ユーラシア大陸に拡散していったとされる。
また、アジアへの人類の拡散は、約5万年前の氷期に北ルートと南ルートに分かれたと
いわれ、バイカル地域は地中海地域からアルタイ山脈を越えて来た北ルートの人達の
重要な地域になっていた。
その結果、バイカル地域には、約4.4万〜4万年前に人類の居住が急増し、初期の定着が
起こっていたことが分かった。
www.tsukuba-sci.com/?p=13754
web.sapmed.ac.jp/anthropology/research/tu4lm400000003g0.html
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>>74
ほれ、中国南部から来たO1b2の海人族が使っていた不思議な不思議な三本足の
生えた愉しすぎる炊飯器と平皿(嘲笑
越の遺構から出土した土器(浙江省)
http://afpbb.ismcdn....e6b83d4453254553.jpg
http://afpbb.ismcdn....8709923253243747.jpg
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>>74
ほれ、7000年前の河姆渡遺跡の浙江省先行土着の被支配階層の漁労稲作民が
使っていた楽しい楽しい三本足の生えたゴキゲンな炊飯器と携帯用のポータブル陶竈(嘲笑
◆7000年前の河姆渡遺跡から出土した土器(浙江省)
※手前からポータブル陶竈、その右隣が陶鼎、その右隣がポータブル陶竈と陶釜のセット、
その右隣もポータブル陶竈と陶釜のセット
http://japanese.beij...1109634700536723.png
http://japanese.beij...0231109_3298551.html
手前のポータブル陶竈と奥のポータブル陶竈の器形が違っている事を
お分かりいただけただろうか?
手前のポータブル陶竈は焚き木を器内の地面に入れる暖炉型、奥のポータブル陶竈は
焚き木を器上に入れるソースボート型
こんなものを7000年も前に開発してるんだから恐れ入る
http://upload.wikime..._Zhejiang_Museum.JPG
アー タノシーデスネー ミナミシナセローイランドwwwwwwwwww -
>>74
ほれ、おまえらクッサイ汚らしい醜いキモいセロいハノいダサいグロいカッコワルい
世界一ゴミすぎてクズすぎる汚物生命体
支那ブタゴキブリ
1/30更新
https://youtube.com/...?si=g8QIqIPihFO--Hmx
https://youtube.com/...?si=IiKKhhdPAyM_mCt7
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ムーと同レベルでした!
がっかりです! -
カルト臭のするスレ。
キムチ臭いスレじゃの〜〜 -
二万年前は竪穴住居が現れる時代
最古のものは藤井寺
7500年前は楔状耳飾りが現れる時代 -
竪穴式住居も玦状耳飾りも半島から入っている
なぜなら藤井寺市のはさみ山遺跡に竪穴式住居が現れる22000年前は北海道はまだ無人島
半島に玦状耳飾りが現れるのは8000年前 -
>>87
3万年前の若葉の森遺跡(帯広)が見つかってからもう24年だ。
この遺跡から出た石器の特徴から、本州の北陸や東北からの移住者だったと見られていて、年代は放射性炭素年代測定から3万2000年から2万8000年前と出ている。2万2000年前の北海道が無人とか情弱すぎる。 -
32000BCにYANA人がシベリアから南下して縄文人と混血したのは確実。
当時コレアを混血エレクトスが支配していたので、
サピエンスは沿岸を移動いていた。 -
コレア人はYANA遺伝子を全く持っていない。
その代わりに激辛遺伝子を持っている。
い。
この遺伝子はエレクトス起源だろ。
激辛遺伝子はその他のアジア人は持っていない。 -
嫌中嫌韓?シニガイ文化弥生人説論者は、ネットで邪馬台国越前説を吹聴してる香具師とそっくりで笑える。
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黙れ、コレア人。
日本人はキムチで食道がんになる。 -
キムチでがん細胞をアトポーシスさせる能力を持つのはコレア人と
ベネズエレア人のみだ。
プロトコレア人が南米に渡って、パラカスの長頭人になった。
プロトコレア人は日本には来なかった。 -
ようするに、コレア人は人間ではない。
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縄文時代から一貫して朝鮮半島の人口は日本より少なかった。
弥生時代の朝鮮半島の人口は、日本の1/2に過ぎない。 -
それに対し、弥生時代の中国の人口は6000万人。規模が違い過ぎる。
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中国の古人骨をちょっと調べただけで、O1b2は居なかったと断定出来ない。
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>>88
知っとるわアホ(嘲笑
遺跡があるからと言って定着できたかどうかは別なんだよ
なぜなら22000年以上前の遺構が北海道には数ヶ所しかないからだ
本州から入植しては消滅、入植しては消滅を繰り返していたのだろうか?
やはり本格的に北海道が有人島になるのは樺太経由の旧石器人が
南下してくる2万年くらい前になってからである
これは南西諸島にも言える事で13000年前に南西諸島は無人化してしまう
その後は単発的な遺構がポツポツとあるだけで入植しては消滅、
入植しては消滅を繰り返していたのだろうか?
やはり南西諸島が再度、本格的な有人地になるには7000年前頃の
鬼界カルデラの噴火まで待たなければならない -
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日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに木骨泥墻が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では7000年前に高床式住居が登場するが木骨泥墻に吸収されて消滅し、5000年前には再び木骨泥墻に一本化するが
4000年前には早くも戸建てが登場して木骨泥墻は消滅した。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場して早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
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