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日本史
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神武天皇、高句麗の倭国征伐将軍説
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キム→ジム→ジンム→神武天皇
倭国を征伐する為に高句麗から送り込まれ博多から上陸し九州を席巻。
倭国からの反撃に備えて日向を拠点とし→四国方面から畿内へ侵攻(神武東征)
その後倭国都督となり倭国の統治を行うも、何らかのハプニングが起こり大和王権が樹立し高句麗から独立 - コメントを投稿する
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高句麗側の歴史書に、そのような記述があるのですか?
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高句麗は新羅の敵 異民族
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刻目突帯文土器の刻み目模様は韓半島にプロトタイプがあり、弥生時代を開いた日本列島移住の第一派の倭人たちが持ち込んだものだ
そもそも韓民族が韓半島に入り、その後靺鞨が満洲の東から沿海州の南を占拠するまで、韓半島とその周辺の未開人は日琉系の言語を用いていた
高句麗は多文化国家だったが、平壌に都を置いていたから韓民族の国と言ってよい
しかし高句麗の中の濊系の連中は日琉系だったようで、韓語や満洲語に置き換わるまで残っていたようだ
そもそも濊という民族名が倭と音が似ていることから、この読みの違いは方言と推測できる
沿海州で刻目突帯文土器に似たものがあるといっている者がいるようだが、あれは濊人で日琉系だろう
この頃のツングースはアムール川流域にいて南満洲や沿海州にいなかった
結論として日琉民族は南満洲や韓半島起源という事である -
>>4
↑あたまわるそう -
平壌自体が昔は韓系の都市ではなかったのでは?
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そりゃ楽浪郡の南で方可四千里しかないからな
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