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日本代表蹴球
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【谷間の】アテネ五輪世代について語ろう【世代】
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懐かしのアテネ五輪世代について語りましょう。 - コメントを投稿する
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五輪の聖地アテネでオリンピックに出場できてよかったね、下手くそなのに。
黄金世代が出場した2000年五輪はシドニーでなくアテネで開催されていれば、お似合いだった。 -
たしか毒盛られたんだよな?
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金崎ムウがアテネ世代にいたら、
アテネでは得意のクロスを見せてくれていたはず! -
なんで、アテネ世代は叩かれてたの?。
のちに代表で活躍したのに。 -
大久保、駒野、闘莉王、阿部、今野、松井
と言うほど谷間じゃなかったよな
プラチナ世代が期待ハズレすぎた -
>>8
なぁ、アニキ
そういう過去スレはどうやって見つけるんですか?
これも興味深いし、更にもしあればシドニー五輪の過去スレとか見たいんだけど。
ログ速だと2003年より昔のスレはなくて。
よく、大昔のサッカーダイジェストやサッカーマガジンやNUMBERとかも読みたいんだけど、
ブックオフではなかなか古いのがある店がないいでね…。 -
過去スレの書き込みを見ると面白い。
208?? ??2003/04/27(日) 20:48:00ID:7xTqf5dV
早く松井に代わって山瀬INしてくれねぇかなー。松井なんかテクだけだしよ。??
サッカーで勝つために必要な動きは圧倒的に山瀬の方が上だね。松井は??
Jでオナニーテクを披露して自己マンしてなさいってこった。松井は見る??
分には楽しいがね。勝ち最優先の代表戦ではいらね。山瀬マンセー -
選ばれなかったけど長谷部もこの世代
ある意味地味な黄金世代と言える -
U-23日本代表メンバー
GK
曽ヶ端準(鹿島)
黒河貴矢(清水)
DF
田中マルクス闘莉王(浦和)
茂庭照幸(FC東京)
那須大亮(横浜)
徳永悠平(FC東京)
菊地直哉(磐田)
MF
今野泰幸(FC東京)
阿部勇樹(市原)
駒野友一(広島)
森崎浩司(広島)
小野伸二(フェイエノールト)
松井大輔(京都)
石川直宏(FC東京)
FW
大久保嘉人(C大阪)
田中達也(浦和)
平山相太(筑波大)
高松大樹(大分)
<バックアップメンバー>
GK:林卓人(広島)
DF:北本久仁衛(神戸)
MF:前田遼一(磐田)
FW:坂田大輔(横浜) -
なんかアテネ五輪は、スタジアムも汚く、照明も若干暗くて、客もすくなくて、
五輪ではなくただの親善試合をしていた雰囲気だった印象がある。 -
山瀬なつかしーw
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けぃた w
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釣り を
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まぁでも2010年W杯で結構頑張ったメンバーでもあるな
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U20ワールドカップで8強入りし、アジア大会で銀メダルを獲得し、
トゥーロン国際大会で史上初の3位入りし、
ワールドカップでもベスト16かつPK戦であと一歩でベスト8まで近づいた
実は質実剛健世代だったが、
前のシドニー世代が黄金すぎたせいで「谷間谷間」と言われ続けたロスジェネ世代 -
403??最終的にはこんなの見たい2003/04/28(月) 16:53:00??ID:hBZ+wkO7
前田??
松井 大久保??
山瀬??
今野 小林大吾(阿部勇)??
角田 永田 茂庭 石川直宏??
川島 -
499??2003/04/28(月) 22:44:00??ID:0N1FGAwE
今、セレッソの試合再放送を見てるんだが、??
大久保やっぱりすげーな・・・??
坪井がマークしきれないって、見た目以上にスピードはやいんだろうね
500??2003/04/28(月) 22:44:00??ID:WS4XlqaI
鹿サポがジーコ推薦枠とか言うわけないだろ(w??
ていうか青木、鹿島で出れなくなるならセレッソ行け。??
Jで最もファンタジーなクラブにファンタジスタ青木が行けば??
ちょっと面白すぎるぞ。 -
中盤前線に戦える選手が多かったな
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>>8
なつかしー -
2002 J2 29試合18ゴール 19歳
2003 J1 24試合16ゴール 20歳
2004 J1 22試合15ゴール 21歳(アテネ五輪年)
セレッソ時代の大久保嘉人はJリーグ史におけるNo.1若手選手 -
アベッカムとか言われてた時代
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2ちゃんで思われてたほど弱いチームではなかったな。
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本当はこのメンバーは高松じゃなくて高原になるはずだった。最大限に実力を発揮できるベストなメンバーを選んだと思う。
U-23日本代表メンバー
GK
曽ヶ端準(鹿島)
黒河貴矢(清水)
DF
田中マルクス闘莉王(浦和)
茂庭照幸(FC東京)
那須大亮(横浜)
徳永悠平(FC東京)
菊地直哉(磐田)
MF
今野泰幸(FC東京)
阿部勇樹(市原)
駒野友一(広島)
森崎浩司(広島)
小野伸二(フェイエノールト)
松井大輔(京都)
石川直宏(FC東京)
FW
大久保嘉人(C大阪)
田中達也(浦和)
平山相太(筑波大)
高松大樹(大分)
<バックアップメンバー>
GK:林卓人(広島)
DF:北本久仁衛(神戸)
MF:前田遼一(磐田)
FW:坂田大輔(横浜) -
アテネ世代で一番出世したのは選ばれてない長谷部
2004年Jベストイレブン取ってアテネ前には浦和でブレイクしてたのに山本昌邦は選ばなかった
ユース代表時代も田島が干してたし
ユース〜五輪の代表なんて将来の保証には何もならない -
二番目は川島か
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アテネ世代は普通に当たり年だろ。前の世代が凄すぎたからね。
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そりゃ前の世代はワールドユース準優勝組だからな
その後代表に定着した選手の数見りゃ優秀な部類
ロンドン世代と比べりゃよくわかる -
最終予選前に帰化申請が認められた闘莉王と2003WY組(今野、徳永、菊地)が合流して守備が安定したのか良かった。
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アテネ五輪グループリーグ
パラグアイ ●4−3 日本
イタリア ●3−2 日本
ガーナ ○0−1 日本
アテネ五輪の惨敗も終わってみればパラグアイが銀でイタリアが銅
最初から無理ゲーだったのだ
アッピアーやギャンがいたガーナに勝っただけでも大したものだと思う -
この世代はあんま突出した選手出なかったな
松井ぐらいで、あとはJリーガー止まり -
アテネ五輪は組み合わせが悪かったな。
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Jリーガー止まりと言っても当時は海外でレギュラー取れないのが当たり前の時代だったし。
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海外で試合に出れるなんて、ここ最近の話だし。特にプレミアとリーガは、日本人には鬼門だった。
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パラグアイは那須の大ポカで試合が壊れなければ勝ってもおかしくなかったし
イタリアもジラルディーノ1人にやられた試合で惜しかった
地味に好チームだったと思う -
>>42
まぁ、柴崎よりは遥かにリーガで活躍したな大久保は -
はい、こんにちは〜。
アテネ五輪代表の松井大輔選手についてです。
松井選手は五輪代表で10番を背負い、欧州移籍、W杯出場と華やかな経歴がありますが、
若い頃はそうでもありませんでした。
名門鹿児島実業に進学し、3年生時の全国高校選手権で準優勝もしていましたが、
年代代表には縁がなく。
U19日本代表の候補には選ばれていたが、U20世界大会のアジア1次予選前にはじかれ、
以後選ばれる事はなくU20世界大会にも当然不出場。
しかし、Jリーグではプロ1年目からリーグ戦で22試合出場し、プロ初ゴールを挙げるなどの活躍を見せたていました。
そんな松井はU20には縁がなかったのですが、2002年に入ると五輪代表となるU21代表には選ばれ、トゥーロン国際大会やアジア大会に出場しました。
意外な事に、U21代表の頃は背番号9番でした。
10番は同じトップ下で、2001年J新人王の山瀬(トゥーロン国際)、トルシエジャパンのA代表候補に選出されていた前田(アジア大会)でした。
その後は、ファンタジスタとして魅せるプレーをし、フランス・ロシア・ブルガリア・ポーランドでプレー。
意外にもイタリア・イングランド・スペイン・ドイツ等4大リーグでプレーしていないいんですよね。
そんな松井選手も37歳なんですね。まだまだ頑張ってほしいですね。 -
はい、こんにちは〜。
アテネ五輪代表の前田遼一選手についてです。
前田選手は、高校サッカー出身ですが、高校選手権には出場した事がないんですね。
東京の暁星高校に在籍していたのですが、東京といえば当時選手権で有名な帝京高校がありましたからね。
そんな前田選手はこの同世代からは注目の的でした。
前田選手は高校3年生の時、後に選手権で優勝する市立船橋高校を1人で翻弄し、試合に勝利をもたらした事がありました。
まぁ、練習試合ですねど、当時の市立船橋の選手が「あの試合は遼一1人にチンチンにされた」と言っていました。
また、学業も優秀で慶應義塾大学に推薦入学できるレベルでしたが、本人は相当迷ったようです。
そりゃ、書類を提出するだけで慶応ボーイになれる状況ですからね。
当時はMFだったのですが、U19日本代表が参加したU20世界大会アジア最終予選では3-6-1の1トップに起用され、チームを準優勝に導き世界大会出場権を獲得。
U20世界大会アジア最終予選の大会MVPを獲得し、その年のアジア年間最優秀ユース選手賞にも選ばれ将来有望な選手でした。
2001年に入ると、J初ゴールをあげ、その年には阿部勇樹とともにフィリップ・トルシエ率いるA代表の候補合宿に初選出されました。
当然五輪代表でも攻撃の中心と期待されたのですが、怪我や同じポジションの松井の台頭もあり、レギュラーになれず。
FWで起用されるもやはりましたが、大久保・田中達也・高松・平山の台頭もあり、FWでもレギュラーになれず。
松井がいない際には背番号10番を任されるなど、山本監督も期待はしていたようですが、本格的な前田選手の台頭は五輪後でした。
アテネ本大会には背番号20のバックアップメンバーとして選ばれましたが、本大会に出場する事はありませんでした。
しかし、その後はA代表に呼ばれ、J得点王になるなど、W杯に縁はありませえんでしたが、Jで得点を量産。やはり凄い選手でしたね。 -
はい、こんにちは〜。
アテネ五輪代表の田中達也選手についてです。
田中は名門帝京高校に在籍していました。1年の時から試合に出場していましたよね。
実は彼は推薦といっても自己推薦で、自分から売り込んでの推薦合格。
帝京から来てくださいとオファーがあったわけではありませんでした。
そんな田中はやはりBチームからはじまり、監督には全然知られていなかったようですが、
練習試合でアピールに大成功。面白い選手が1年にいるじゃないかと。
その後、背番号14をつけスーパーサブとして選手権の予選・本大会に出場。
2年時からは名門帝京の10番を任され、レギュラーになりました。
そんな田中は国体で東京都選抜としてチームメイトになった前田遼一のテクニックに驚いたそうです。
しかし、高校時代は不思議な事に年代別の代表には候補にすら選ばれた事がありませんでした。
田中が高校2年生の時はU16代表が活動しておりましたが、候補にすら選ばれませんでした。
U16はアジア最終予選で敗退しました。
また、U18U19U20にも全く縁がありませんでした。
しかし、五輪代表においては常連選手であり、アジア最終予選でも大活躍。
五輪にも出場しました。
4年前のシドニー五輪の時、同じ帝京高校の先輩となる中田浩二が出場しているのを見て、
年代別の代表に選ばれない自分がまさか4年後出場しているとは全く思わなかったそうです。
わからないものですよね。 -
はい、こんにちは〜。
アテネ五輪代表の森崎兄弟選手についてです。
森崎選手は双子です。まぁ知らない人はいないと思います。
アテネ五輪では兄和幸がメンバー外に対し、弟の浩司はメンバー選出と結果は分かれましたが、
じつは兄和幸は常に弟の一歩先にいました。
兄和幸は高校3年生の1999年に時にJデビューし、広島チーム史上初「高校生Jリーガー」として初出場しました。
その年は、その後の公式戦に全試合出場し、天皇杯決勝進出の立役者の一人となっりました。
また翌年の2000年にはJリーグ新人王を受賞。
スピーチで「来年は弟がとると思います。」と言い、それを聞いて弟の浩司はとても喜んだそうです。
世代別代表ではU18の頃から常連で、2000年U19日本代表のアジア予選には背番号10と副主将を任され、U20世界大会出場に貢献しました。
一方、弟の浩司は怪我が多かった事もあり、トップチーム昇格後も同年代の選手よりもなかなか出場機会が与えられませんでした。
U18・19代表にも兄和幸は継続的に選ばれるが、弟の浩司は断続的であり、
2000年U19日本代表のアジア予選では兄和幸は背番号10・副主将・スタメンに対し、弟の浩司は背番号25番・サブと立場が違い過ぎでした。
U20世界大会でも兄和幸は8番でスタメンでしたが、弟の浩司は背番号16番ではやりサブと立場が違い過ぎでした。
しかし、貴重なレフティー選手として、U20世界大会には選ばれました。
その後、2002年のアジア大会でも兄和幸は選出、弟の浩司は不選出と立場に明暗はありましたが、
2003年から状況が変わりました。ボランチには、01年U20世界大会に出場していない鈴木・今野が台頭し兄和幸は選レギュラーから外されましたが、
左アウトサイドが人材難のため貴重なレフティー選手の弟の浩司が使われるとそのままレギュラーを獲得しました。
2人とも広島から移籍する事なく、兄弟でサッカーをしてきました。珍しいですよね。 -
はい、こんにちは〜。
アテネ五輪代表の佐藤兄弟選手についてです。
2人とも五輪には出場していないし、五輪代表にも選ばれた回数はすくなかったですね。
ジェフのセレクションでは、当初寿人のみが合格で入団していたが、毎回の練習時の寿人の要望などにクラブが根負けする形で、
およそ半年後に勇人も異例の途中入団をすることとなりました。仲良いですよね。こちらも。
ただ、この2人もまた対象的。
寿人は年代別の代表に選ばれるも、勇人は全然選ばれません。
そもそも勇人は、2度クラブを辞めているんです。年頃の高校生特有の遊びたい!ってのがあったみたいですね。
まぁ、皆遊びたいけど、強豪高校は部活付けなんですよね。
でも、やはり寿人がサッカーを楽しそうにしているのを見て戻りたいと思ったそうです。
ただ、勇人がサッカー辞めた際、両親は激怒したそうです。まぁ、埼玉にあった店を畳んで子供のために千葉に行ったんだから当然ですよね。
サッカー辞める際に寿人が「勇人が辞めたいと言ってるから仕方ないじゃないか」と言ったら、
親から「お前は代表に選ばれているからって、調子いいこと言うんじゃない!」と言われなぜか寿人が殴られたそうです。
勇人はこの時、なんか申し訳なかったと思ったそうです。
勇人は年代別の日本代表には選ばれていませんが、千葉県選抜には選ばれ国体で優勝をしました。
まぁ、あの時の千葉は選手権優勝する市立船橋の選手や、トゥーリオもいたから強いですよね。
寿人の活躍は言うまでもありませんが、
勇人もジェフで主将を任されたり、京都に移籍後また復活したり、やはりジェフに入ってサッカーをしてよかったですよね。 -
はい、こんにちは〜。
今日はアテネ五輪代表の阿部選手についてです。
まぁ、この世代では1番有名な選手ですよね。
阿部選手は1998年に高校2年生の時にJデビューをしました。
高校3年生がJデビューするのは、この当時ボチボチいましたが、高校2年生でのJデビューは当時最年少記録でした。
また1999年には、1999年ワールドユース準優勝した黄金世代のU20代表にも飛び級で召集されていました。、
トルシエが急遽阿部をメンバーに入れる事を決めました。
しかし、阿部はアフリカに入国するための予防接種である注射を受けていないため結局メンバー外になりました。
当初協会は候補何人でもいいから上げてくれ。そのメンバーに予防接種をすると言っていたのですが、トルシエはその当時阿部を選んでいなく、
注射をしていなかったのです。
トルシエのミスですね。
協会が定めた予防接種は数日前に受けてなければいけなかったのですが、阿部は予防接種を受けていなかったのでメンバー発表から注射をしては遅かったのです。
ただ、トルシエは阿部に少なからず注目をしていて1999年9月の親善試合にはシドニー五輪U22代表に飛び級で選び(試合には不出場)、2001年にはA代表候補の合宿にも召集しました。
では自分の代のU19やU20はどうだったかというと、
U19の時のU20世界大会最終予選では当時Jジェフ市原が残留争いをしていたので派遣を拒否し、U20大会は怪我で不参加と世界になかなか縁がありませんでした。
アテネ五輪にも3試合出場するのですが、ボランチで出場したのが初戦の前半だけで、初戦の後半から残り2試合はCBとしての出場で本人は、不完全燃焼だったようです。 -
小松原学とか山形恭平とかマイナーな選手の要望があったら言ってくださいね。
そのうちやりますから。 -
平山を期待枠で選んだのがだめ
前田遼一がチーム立ち上げ時から別格の上手さだったから選ばないのはあり得ない
高松はスーパーサブ的な感じで活躍してたから入るだろうなと思っていたが平山じゃなくて前田だろとずっと思ってた -
森崎和幸が偉大過ぎて、他と比べようがない。
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アテネ世代好きだったな
大久保のスーパー感と高松の安定感、田中達也のワクワク感
特に田中達也の期待感凄かったな 中島翔哉見て当時を思い出した
あと、なんといっても今野だな
今野は当時は頭1つ抜けてたと思うわ -
長谷部、今野、阿部、大久保、松井…
アテネ世代の特長はとにかく攻守に戦える選手が多いこと
松井はJでもショボい結果しか残してないけど(欧州移籍前もショボいし、日本復帰後もショボい)
激しい身体接触のある格上相手の国際試合だと球際の強さで頼りになった
南アW杯は守備的戦術でフォローも手薄な中で攻守で戦ったサイドの大久保と松井がMVP
アテネ世代と逆なのが逆が中村俊輔と小野伸二に象徴されるシドニー世代の選手だな
Jリーグや格下相手の緩い試合では圧倒的な上手さで松井とかより遙かに大活躍するけど
格上相手の激しい国際試合だとチームの穴になってしまう戦えない選手が多かった(中田英以外) -
そしてサッカーという競技自体の世界的なトレンドは
さらに求められるフィジカルやスピードが上がり
シドニー世代的な能力よりもアテネ世代的な能力がより求められるようになっている -
はい、こんにちは〜。
今日は、アテネ五輪にOAで出場した小野伸二です。
小野は高校サッカー名門である清水商業高校で高校時代を過ごしました。
彼は天才中の天才。
同世代は小野は天才と呼び、逆に同級生の遠藤はさほどでもなかったそうです。
さほどでもなかったといっても、年代別に選ばれる選手から見たらの話ですけどね。
やはり、高校サッカーで有名な帝京高校とかからも誘われたのですが、静岡県民ですからね、当然に清水商業高校でしょうね。
清水商業では1年からレギュラーは当然、国体メンバーである静岡県選抜にも1年の頃から選ばれていました。
インター杯・全日本ユース・国体と優勝した事はありましたが、選手権だけは予選すら突破できなかったんですよね。
なんか、運が悪いですね。
小野は背番号8を好み、清水商業では10番ではなかったんですよね。
ウィキペディアでは、「小学校時代以来GKとの一対一の場面やPKでシュートを外したことがないと言われている」とありますが、
高校3年生の時、静岡学園高校と選手権の予選で対決してPK合戦で、PKを外しています。
ちなみに対戦相手のGKは南です。
そして、天才は高校卒業1年目でW杯に出場。
いや、高校卒業1年目なんてJリーグの試合にすら出場できない選手が多いのに、凄いですよね。
小野はキャプテンシーがすばらしく、本山・稲本・高原・中田浩二らとのユース代表ではキャプテンに任命され、
ただ強いチームでなく明るい楽しい代表チームにしたいと言ってました。
U20準優勝は言うまでもないですね。
トルシエは小野のキャプテンシーをとてもかっていて、シドニー五輪に連れて行くかかなり悩んだそうです。
当時小野は怪我と不調が重なりパフォーマンスは非常に悪かったのですが、
小野はいるだけで心強い存在。五輪は期間が長い大会だからチームの戦術的にではく、メンタル面に役立つ小野を選ぶべきか悩んだそうです。
小野は当初、トルシエには不安があったそうです。アジア大会では2人はフィットしていなかったようでして、
トルシエがU20監督も兼任する事が決まった際にはメディアにトルシエはどうですかと聞かれ、
苦笑いしながら「どうなんですかね」と言ってましたからね。
小野は2001年、フェイエノールトに移籍。デビュー戦は後半途中からでしたが1アシスト1起点と2点に絡み、
素晴らしい活躍をしました。その後は言うまでもありませんね。
いや、小野は個人的には宮本の次にA代表の主将になるかと思っていたんですけど、
この世代は素晴らしい選手は多かったのですが、全盛期が短い選手が多かった気がしますね。 -
僕ってうざいですか?
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アテネ世代は前評判は高くなかったからな。
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