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懐メロ邦楽
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★ 尾崎豊を語ろう ★ その5
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尾崎豊を語ろう!
エピソード・秘話などなど
前スレ
★ 尾崎豊を語ろう ★
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★ 尾崎豊を語ろう ★ その2
https://rio2016.5ch....tsumeloj/1541927144/
★ 尾崎豊を語ろう ★ その4
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Oh my little girl
須藤さんから「尾崎はメロディラインに関してはまだまだだね」と言われたときに「これだけは認めろ」と食い下がった曲
晩年も「何でこの曲みたいなのが書けないんだろう」と拘っていた
デモテープに入れてきた初期バージョン「となりのリトルガール」は少し切ない歌詞
傷つけた人々へ
特になし
僕が僕であるために
ジャクソンブラウンからインスパイアされて作った曲
須藤さんは新聞社の人に「この曲はお前が書いたんじゃないのか」と何人にも聞かれた
須藤さん「そんなことはしてないし意味がない、尾崎豊という17才の少年が何を歌うか、それしか興味がなかった」
須藤さんにとっては1stアルバムの中で一番尾崎らしい曲だと思ってる
ファーストライブから最期のライブまで歌い続けた尾崎のお気に入り -
ファーストアルバムのエピソードはこんな感じ
また暇になったらセカンドとサードの全曲のエピソードも書く -
手取り足取りで作り上げた小僧が
アッという間にのぼせあがって大問題児に
須藤が入院したのもなんか分かる気がする
見舞いに来た尾崎はなんの痛痒も感じておらず
関係者はその鈍感に違和感を抱いたという -
普通に書けるやないか
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>>11
?
こういうデマも平気で流すやついるからワッチョイ有り便利だわ
尾崎は水彩画セットとか見舞いの度にプレゼント持ってきて励ましてた
サイン嫌いで有名な尾崎だけど看護師さんたちにサインしてる
体調気遣って入院中ずっと二人で文通してたくらいだが -
お子さん用にもプレゼント渡してるの優しかったな
キングギドラのおもちゃ
須藤が嬉しそうに書いてた -
>>13
デマじゃないんだよな
吉岡忍が須藤本人や関係者に取材して書いた話なんで
貴方が躍起になって主張する出処不明の内容よりは確度が高い
福田や見城も本質的に他者への想像力がない事を指摘していた
で、耳の痛い真実を並べられると
頭にきて所属を変え同類のコミュニティで群れようとするわけだ
教祖様とそっくりじゃないか。おめでとうさん -
長いからめんどくさいにゃあ
回帰線エピソード
スクランブリングロックンロール
このレコーディングは須藤も尾崎がスタジオで走り回りながら歌ったと言ったことがあるけど実際は激しく動いて歌った感じ
回帰線のほとんどがライブを意識したもの
尾崎のほぼ全ての曲が一発録り
本人いわく歌詞を間違えたり音程を外してもそれを直したら音楽のどよめきがなくなるため
Bow!
須藤が「これ俺の事を歌ってるの?」と何度も聞いた曲で、歌詞がサラリーマンの自分の葛藤を突いていて須藤落ち込む
Scrap Alley
学生時代尾崎とバンドを組んでた某レーサーを歌った曲
レコーディングの時に連れてきてた
この曲のエピソードを語ってるときに入院時の尾崎の優しさに言及
ダンスホール
須藤が「親戚のおじさんに書いてもらったんじゃないか」と疑っていたオーディションでも歌った曲
生涯最期の代々木ライブの最期に歌った曲でもある(本来は前曲で終わりだったけど須藤がその場でダンスホール歌おうと提案)
歌の最後の「そうさお前は孤独なダンサー」という歌詞は唯一須藤が手直しした曲
ジャクソンブラウンのザロードにコード進行が似ていたため1stアルバムには入れなかった -
卒業
尾崎自身がシングルカットに選んだ曲
ファーストツアーから歌っており福田からライブテープが届いて初めてその時に聞いて衝撃を受ける
岸田の体験談を歌にしたもの
須藤にとって尾崎の最高傑作
存在
ノート一冊文の歌詞を書いた曲
尾崎「サビが英語のイメージなんだけど」
須藤「日本人なんだから日本語じゃないとだめだよ」
尾崎は存在と言う曲名が嫌だった
学生時代に存在と言うアダ名の女子がいたため -
坂の下に見えたあの街に
尾崎が環七通り沿いの下北沢に一人暮らしを始めたときに作った曲
尾崎は「登る」ということに上昇志向を抱いていた
群衆の中の猫
尾崎は猫が好きで学生時代の新聞配達のバイト中にも子猫にパンを上げていた
須藤さんと歩いているときも野良猫を見つけるとミルクを与えていた
ビリー・ジョエルのバラードみたいな曲をイメージして作られた曲 -
疲れたから続きは明日ね
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何かめちゃくちゃ貴重な話ばっかだね
時々傷つく須藤さんにちょっと笑ったw -
>>17
スクラップアレイ一番好き -
いままでで一番マイナーな曲は
間違いなく坂の下 -
当時は結構人気あった
大阪球場でも代々木でも歌ってる
20代になってから歌わなくなった -
続きはよ
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続き
Teenage Blue
トム・ウェイツやブルース・スプリングスティーンのような渋い感じに歌いたくてこの曲が出来たときに「そういう感じになってる?」と一生懸命須藤に聞いてきた曲
タイトルが須藤のお気に入りでアルバムタイトルにしようとしたけど歌詞があれなので却下した
シェリー
ルイードの時点で完成していた曲
父健一さんは自宅でこの曲を作ってるときのことをよく語ってる
健一「出来た?」
尾崎「うん」
須藤は卒業が最高傑作だと思ってるけど尾崎はシェリーが最高傑作だと思っていたんじゃないかと語ってる -
3rdアルバム壊れた扉からはまた暇なときに
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めっちゃレアな須藤さんのインタビュー本読んだけど尾崎と喧嘩別れなんてしてなかったんだな
悪意ある新聞とかメディアが騒いでただけで
放熱の証の後は昔みたいにシンプルなアルバム作ろうねって約束してたみたい -
>>28
そう
人間不信になってた尾碕が何でも一人でやって毎日二時間しか寝てなかったから須藤が「一人で全部やらないでそれは俺に任せなよ」って言ったら尾崎が怒っただけ
放熱への証にもスペシャルサンクスに須藤の名前入れてるし、放熱作った後にソニーの渡辺本部長からも「また須藤とやりたいって言ってる」って
それで次はシンプルなの作ろうって約束した -
編曲、HEART OF KLAXON
ってなんなん? -
須藤は誕生の時点で「Love wayが限界だよ、あれ以上行くと誰も分からなくなってしまうよ」って言ってた
ま -
>>30
3rdアルバムの半分は尾崎とHOKで作ってレコーディングもその曲はHOKのバンドでやったから
ライブでは尾崎がアレンジを全部ウエストコースト・サウンドに戻してたから須藤はHOKとやることをかなりよく思ってなかった
まだアルバム出す前から歌ってた曲だから編曲はHOKになる -
3rdアルバム書いてくか アルバム解説は情報的にこれが最後
レコーディング前に完成していたのは「Driving All Night」「彼」「Freeze Moon」「ドーナツ・ショップ」
路上のルール
尾崎いわくニューヨークのイメージが強い
3rdアルバムでは虚無感や喪失感の歌詞が多い
須藤いわくあまりにも早く登り詰めたせいと世間の考える尾崎像とのギャップに苦しんでいた時期
失くした1/2
尾崎の曲の中で一番ポップで明るい曲だけど歌はとても切なく感じる。幸せは探しても無駄なんだ、向こうからやってくるからと自分で探そうとしてない
それで少しでも明るくするために最終的にコーラスを入れた
forget me not
お馴染みギリギリに完成した曲
曲自体はデモテープに居れて出来ていた(歌詞はラララ~)
歌詞が書けない尾崎に須藤が「このメロディって小さな花のイメージがあるね」
それで自分の好きな花の話をしあってわすれな草(forget me not)にたどり着いた
英語にしたのはわすれな草だと演歌みたいだから -
街角の風の中は隠れた名曲
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彼
須藤が唯一アルバムに入れたくなかった曲
「求めることはなくすことだなんてそんな甘いこと、そんな理屈はダメだ!」とかなり歌詞でもめた
須藤いわく自分の中で混乱してるものをそのまま歌詞にした自家中毒を起こした曲
歌詞も全部ネガティブなイメージばかりで、何をしても許してくれと罪から解放されたい歌詞と感じたらしい
今でもこの曲を外せなかったことを非常に悔しいと語ってる
米軍キャンプ
尾崎の女友達を歌った曲
その子は精神的な病気で一人で電車にのれなかったり尾崎に電話して苦しみを吐いていたりしていた
尾崎いわく「そういう人間こそ愛すべき人間なんじゃないか」
Freeze moon(バーガーショップ)
秋田公演から歌っていた
お馴染みのアンコール前のライブを締めくくる曲
本来はFreeze the moonだけど語感の良さを重視してtheを省く
最初は途中で寸劇なども入って20分を超えていた
代々木辺りで短くまとめられ完成 -
Driving all night
HOKお気に入りの曲
アルバムのアレンジではレコーディングでも演奏したけどポップな感じにされて落ち込むメンバー
フリーズムーンと同じくライブで愛用された曲
ドーナツショップ
初期バージョンには「誰かのクラクションが泣いている」というサビがあり、誰かのクラクションに受け継がれる
尾崎を不良とかクドイとかしか捉えてない人達に尾崎を分かってもらうためにOh my little girlのカップリング曲に選んだ
須藤「尾崎豊は嫌いだっていう人にぜし聞いてほしい。普通の10代の子が何の理屈もなく自分の気分を歌ってるだけという気がする。人が夕方の黄昏れていく街を見ながら感じるある種のセンチメンタリズムがすごくうまく表現されている」 -
ドーナツショップってオーマイリルガーのカップリングだったのか
尾崎の歌で一番好きな曲はドーナツショップって言ってた人がいて、そのときはコアな尾崎マニアかと思ったけど
むしろライトなファンにこそ名のしれた歌なのかもな -
誰かのクラクション
歌詞の中にたった二行だけ鍵かっこがつけられている
"何を手にしただろう"
"誰のために泣けるだろう"
つまり尾碕はこの二行が言いたかった
須藤「疑問ばかりなげかけて君は疑問と答えどっちが大切なんだ」
尾崎「僕は疑問が大切です。だって答えなんてない。無数のクエスチョンの中で僕は歌っていきたい」
尾崎から弟と呼ばれてた吉岡秀隆が後に尾崎の影響をすごく受けた内観的な歌を出し始める。
須藤は吉岡に同じ質問を書いた手紙を送る
吉岡の答えは「どっちか分からない」だった
それを聞いた須藤は彼は大丈夫だと安心する
疑問と答えは山のようにある、でも尾崎が疑問に思ったことは答えようのないものばかりだった
尾崎はその中で溺れたんだと思う
そう語る須藤
これが10代最後のアルバムの最後の曲 -
「十七歳の地図」
尾崎の原点である情景的なフォークや、ブルース・スプリングスティーンやアナーキーに影響されて自身が感じてることを赤裸々に書くようになった曲や、須藤の好みに合わせて等身大の10代を書いた曲の集まり
「回帰線」
ライブ活動が始まりライブを意識した曲や、ロック歌いたくて書いた曲、手探りだった1stアルバムと違って歌手としての自覚がはっきりして一番尾崎が書きたかった曲の集まり
「壊れた扉から」
あまりに早くカリスマになりすぎて「みんな俺の曲を分かってくれてるのかな」と虚像と実像のギャップに苦しんでいて、製作期限もめちゃくちゃ短かったから最初から出来てた曲以外は命を絞るようにして作った曲の集まり
こんな感じだと思う -
特に壊れた扉からはスタジオに箱詰めにされてリハーサルも同時にやっててHOKも「地獄の2ヶ月」と読んでるくらい尾崎にはキツかったらしい
リハーサルとかでも途中で寝ちゃうこともあるくらい -
ちなみにバースツアーの時に色んな人と揉めたけどその後放熱への証製作をたった一人でやり出したときに「今回も色んな事で色んな人と離れることもあった。今まで人にやってもらってたことが全部自分にかかってくるようになって、「今までこういうとこが大変だったんだ。だからああいったとき、コミュニケーションが取りにくかったんだな」とかがすごくよく分かるようになった。離れるってことはシャットアウトすることじゃなくて、その人とのことを振り返って一体何を考えていたのか一つずつ自分の中ので整理することだと思う。もう一度出会える機会は必ず来るだろうし、そのとき新たなお互いのコミュニケーションが図れるだろうって。今はそんな気持ちです」ってインタビューに答えてる
金しか考えなくて絶縁された見城は今でも「みんな絶縁したから」って恨み節言ってるけど
上にも書いた通り放熱への証のあとにまた須藤さんとやりたいってソニーにコンタクトしてるからな -
見城だけは好きになれない
尾崎が生きてても二度と一緒に仕事したくないとかドヤ顔で何度も言ってるけどいつまでも特番組んだりyoutuberの動画に出て尾崎の話で小銭稼ぎしてるからな -
ドライビングオールナイトは大阪球場のイメージが強いからその後でアルバム版聞くとpopすぎる
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須藤の解説本をトクトクと転記してるだけ
調子づいて延々とトリビアの羅列。マニアの性やね
そんなもんとっくの昔におれも読んでるよ
けっきょく前スレで指摘されたゴースト説や不都合な真実
全部スルーしてるじゃないの。だからお前の人生ダメだったんだよ -
新着レス表記あったから続き見に来たら>>44がNGで消えてた
一度NGしたら半永久的に消えたままなんだな -
草
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オーディションの時最後に何か一言ありますかって言われて「契約書にソニーと契約したら街の風景が自動的にソニーのものになるって書いてあるんだけど詐欺だよこれ詐欺!」って怒ったのがめちゃくちゃウケたらしい
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福田が気に入ったのは根性焼きにフォークってところらしいけど
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俺が知ってるのはバックバンド付ける時に一緒にエイプリルバンド(HOK)のライブを見に行ったんだけど「このバンドじゃだめだ」って尾崎が言ったこと
何回かリハーサルしても同じ答えだった
で福田が「ならお前が育て上げろ」と言ってHOKになった
HOKと命名したのは尾崎
その後2,3回シークレットライブをしてルイードに備える
最後に河口湖で合宿
その時も尾崎は心を開かずにアレンジや演奏に神経質になってHOKを𠮟りつけた
「俺は金のために尾崎のバックバンドをやってるんじゃない」と言われて尾崎が少しづつ心を開くようになった
ルイードで完全に心を開いた -
尾崎が倒れた時に真っ先に女記者に密告したのがサックスフォンの人
覚せい剤や精神病院に入院してることまで暴露 -
もっと色んな秘話知りたい
前スレはもうヤバいのが住み着いてて機能してなかったから -
もっと色んな秘話知りたい
前スレはもうヤバいのが住み着いてて機能してなかったから -
尾崎は晩年空手の道場を開きたくて健一さんに物件を探してもらってた
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見城がいなければメジャーな媒体で復活する事はまずなかっただろうな
嫁や子供殴りまくって逃げられ底辺労働・アル中で早死にしてた可能性が高い
須藤は放熱の証製作中にブッタ切られ修復なんか無理やろ。西本も呆れ果てて半ば見放してたし
で、完成したタイミングで本人ももうソニーとは無理だって縁切られた見城に泣きついとるやん
副社長も次から次へと変わり、とうとう大楽まで借り出してきたが
業界素人で即戦力とはならず嫁の前では大楽の悪口三昧、大楽の前では嫁の悪口三昧
毎日内臓と精神の薬山ほどあおりシャブも再開、離婚の慰謝料も払えずもう死に体だったんだよ -
何かのテレビで先生が最終目的みたいな尾崎のメモ映ってたけど空手の先生のことだったのか
具体的にはタイドウだけど -
テレビキャスターは学校の先生とかいってデマ言ってて酷かったわあれw
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