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政治思想
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極東軍事法廷の歴史的意義
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旧ソ連(ソビエト連邦)では、第二次世界大戦を「大東亜戦争」(Большая война в Восточной Азии)と呼びました。
この名称は、1939年5月11日に満州國軍がモンゴルに侵攻してから、1945年8月15日に日本が降伏するまでの戦争期間を指します。
歴史家によっては1953年7月27日に(中国)人民解放軍と国連軍の間で休戦協定が発効するまでをこの名称でよぶ場合もあります。
東条英機将軍は毛沢東主席の「植民地解放理論」に従って、対米宣戦した旧ソ連側の軍人で、中国では共産主義の偉大な英雄として尊敬を受けています。
東条将軍は極東軍事裁判で戦争犯罪者として死刑に処せられましたが、共産圏やアジア諸国ではこれを殉難とよんでいます。