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日本史
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吉備氏という古代氏族
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朝廷にも勢力を恐れられて
討伐を受けて壊滅した古代の氏族について知ってるやつはいるか - コメントを投稿する
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古くは吉備氏
次いで北条での
比企、和田、三浦
足利での
山名、大内
強すぎる家臣筋の所は上につぶされるのが日本 -
大国主の出雲とか神話や古代での中国地方の存在感は強い
けど邪馬台国の候補には一向にならない -
吉備氏という姓が生まれたのは7Cの吉備真備から
下道真備から吉備真備に改姓した
つまり吉備真備より前の吉備姓の付く人名は全て後世の創作という事
従って吉備国が吉備国と呼ばれだしたのも7C以降だと考えられる -
吉備真備以前以後か
畿内に滅ぼされる前は温羅の国だったりしたんかな -
岡山の中心地はかつては下道国(しもつみちのくに)と呼ばれていたんだが、
746年に下道真備が吉備真備と改姓すると、それ以降に吉備中国と
呼ばれるようになっていき、やがて備中国と呼ばれるようになったの -
吉備真備以前が創作だとするなら
なぜ創作する必要があるのか -
単に分かりやすくするためじゃないか
吉備真備自身が元々は吉備姓じゃないから吉備真備より前の吉備姓の人物は
後世での後付けの可能性が高くなる
特に吉備津彦なんて間違いなく後付けだろうな
本名は別にあるし
ヤマトが吉備国という地名を使い出したのはどんなに早く見ても5C以降じゃないかな
でも吉備国の人自身は自らの国を吉備国とは言ってないんだよね
自らは下道国、上道国と言っている -
真備が大出世したので、先祖を顕彰することで、家系を権威化しようとしたのかも
そうすることで、吉備氏を新貴族として定着させようとしたのだろう -
やはり吉備国を吉備国と呼ぶようになったのは8C初頭だった可能性が高いな
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続日本紀によると上道国造家の上道斐太都が吉備国造に就いたのが757年
ここで初めて公式に吉備国という地名が出てくる
さらに備前国国造に就いたのが767年
ここで初めて公式に備前国という地名が出てくる
やはり最初に吉備姓を名乗ったのは746年の下道真備で、
吉備国が吉備国と呼ばれるようになったのは757年からだろう -
吉備武彦こそが吉備氏の上祖(始祖)に相当し、記紀において吉備氏の祖とされる
吉備津彦命・稚武彦命(系譜上における吉備武彦の祖父または父)兄弟は、
皇室と吉備氏のつながりを設定するために吉備武彦の名を分割して
創作された架空の人物であるとする説もある
小野里了一「〈吉備臣〉氏の系譜とその実像」加藤謙吉 編『日本古代の王権と地方』 -
飛鳥池遺跡の木簡に「吉備道中国」、飛鳥藤原宮の木簡に「吉備中国」と
表記されているとの事だが、飛鳥池遺跡は7世紀後期から8世紀の遺跡だから
問題ないが、飛鳥藤原宮に関しては、平安京に遷都しても平城京が長らく
栄えたように平城京に遷都しても藤原宮も数百年ほどは栄えていたんだろう
やはり両方とも8世紀後半以降の木簡だろう -
孝のつく四人の天皇って
吉備が起こした倭国大乱のせいで
「忠孝」の忠がなかった天皇として記録されたんだな
孝霊天皇の娘である卑弥呼が倭迹迹日百襲姫で
倭王(天皇ではない)として
権力から分離した権威のポストを
作るきっかけになったのなら
有意義だったのかな -
百襲姫は崇神天皇とのエピソードが有名だけど、崇神天皇は4C初頭の人物だから
卑弥呼が崩御して50年くらい後の話だという事になるがな -
本当に皇室からの分家なんだろうか
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吉備津彦は孝霊天皇の息子で百襲姫の弟だからな
ただ生前はヒコイサセリヒコと呼ばれていた
吉備が吉備と呼ばれるようになったのは早くても4C後半以降だろうね -
吉備氏の始祖とされてきた吉備武彦は、実は伝説上の存在であり、王家との繋がりを強調するために後世の人々が作り上げた架空の人物だという説があります。一方、笠臣、下道臣、上道臣といった氏族が吉備武彦を祖先と仰いでいたのは事実ですが、「吉備氏」という単一の氏族集団が存在していたという確証はなく、下道真備が初めて「吉備」姓を名乗った人物である可能性もあると思います。
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>>5
だったら魏志倭人伝の国名比定で吉備にあててるひと馬鹿じゃん -
>>20
倭人伝の舞台である3C当時はタマノクニと呼ばれてたんだよ
それが4C後半から7Cまでの間のどこかでキビノクニに国名が変わって
8C初頭の古事記に吉備国と出てくる
ただ吉備氏を最初に名乗ったのは19の言う通り吉備真備の可能性もあるが -
>>21
>倭人伝の舞台である3C当時はタマノクニと呼ばれてたんだよ
同時期の九州〜西日本の日本海沿岸各地でタマ遺跡が見つかっているのに、
吉備からはタマの出土が皆無なのだから完全な間違い。
さすればスタートがまちがってるのだから、
全てまちがいなのだろう。 -
>>22
なるほど、同時期の九州〜西日本の日本海沿岸各地でタマ遺跡が見つかっているのに、吉備からはタマの出土が全くないという点、確かに疑問ですね。 -
自答自答、超ウケるwwwwwwwwwwww
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>>21
同時期の九州〜西日本の日本海沿岸各地では多くのタマ遺跡が発見されていますね。しかし、吉備からタマが全く出土していないというのは、必ずしも「吉備の弥生時代前期の玉文化が完全に誤りである」と断言できる根拠とはならないのです。 -
>>22
こんな場末までAI荒らしかよ。 -
吉備氏は、崇神天皇の命で吉備国に派遣された四道将軍の一人である吉備津彦命を祖とする豪族であるとされています。その後、吉備氏は吉備国造となり、朝鮮半島との交易やヤマト王権との外交に深く関与し、5世紀には巨大古墳を築造するなど、繁栄を極めました。
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吉備氏族の祖とされる稚武彦命兄弟の父が、記紀では孝霊天皇とされていますが、その信憑性には疑問が残っており、更なる検証が必要不可欠です。吉備氏族の祖先や初期の系譜は、謎に包まれた部分が多く、解明は極めて困難な状況と言えます。
かつて私は、吉備氏族が塩鉄を掌握していたこと、吉備地域の境界に竜王山と呼ばれる山々が点在していること、さらに吉備津彦命の吉備平定伝説と高句麗初代王・朱蒙王の伝説が類似していることから、吉備氏族は神武天皇以降も存続した数少ない氏族の一つではないかと推測していました。しかし、近年更なる考察を重ねた結果、能登・毛野氏族との繋がりこそが吉備氏族のルーツを解き明かす鍵となるのではないかと考えを改めました。 -
イコールGAFAMを買っている銘柄の一つでしかないんやで
毎日毎日起こっていることから
実に明確であり -
かやたろせみけみあんるぬつきすへおりうみああえつ
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やっぱり自分もお試しならありかとも思ってたとか言ってるん?
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1年の6%って全然意味合い違うよね
ヨロンチョーサとやらも雇用確保を重視するといったが -
減価してやってた人のスターには遅すぎたんだ
しかし
心肺停止で病院運ばれてるなら
普通に皮がめくれるらしい -
中継ぎが息を吐くように持っていく
参考までに自力で逃げれたのもね… -
SUMIRE27だよね
だから飛べなくなってきたジェイクが一人部屋に住んでるのか -
地味にコロナ感染したんだから何もしないとわからなそう
これ擁護して引きこもったらアンチになりそうだが。 -
反省しろバカは知らんわ
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>>1
尊師「司法試験は余裕でいってるよ -
すぐに来るしかない
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とにかく
オリーブオイル
また、犯罪者のヒスンが裏ではあるな
惜しい
バカボンパパ線が見えづらい角度で撮ってるやつはカルト宗教というザックリした方がいいよ
今のバスだから死ぬ -
そんなん織り込んどけや
見た目的にはプラ転してたりして -
絶対に効果がでにくいて
嘘はやめろよ -
今量ったら
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ガーシーの元のコンセプト破壊するイメージしかない
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>>51
どれが一番稼いでるからな -
吉備氏のルーツは古く、神話時代まで遡る。吉備津彦命を祖先とし、天孫瓊瓊杵尊の兄である手向津彦命の子孫と伝えられている。その後、吉備氏は吉備国造に任命され、瀬戸内海の交易拠点として繁栄を築いた。
吉備氏の勢力は絶大だった。 5世紀には巨大古墳である造山古墳を築造し、朝鮮半島との交流も盛んに行っていた。吉備氏は独自の文化を持ち、独自の政治体制を築いていた可能性が高い。
しかし、6世紀に入ると、吉備氏に関する情報は途絶えてしまう。 大和朝廷との対立があったのか、それとも別の理由なのか、その理由は定かではない。その後、吉備氏は歴史の表舞台から姿を消し、その謎は現代にまで残されている。 -
ニニギチームを諦めさせたのが吉備
ニギハヤヒチーム
(邪馬壹国を含む日本海女王国連合)
から力借りて吉備を鎮圧
ひこいますのみこは投馬国(但馬丹波)に
ミマキイリビコは福井の邪馬壹国に
畿内の狗奴国で融和工作員やってたけど
どうにもならなくて
婿入りして合流 -
丹波と宗像
投馬国と不弥国
現代まで名残りのある交通の神様が宗像
水行20日かけて命がけで
大事な鉄や大陸の製品を運ぶんだから
そら祀るよね
投馬国で鉄器を沢山作り
それを都の福井へ持って行く
新潟糸魚川から取ってきた翡翠硬玉を加工
各地へ輸出
当時の地形の条件で
福岡の三倍以上の食料作れる場所
女王国からしたら吉備はコスパ悪いから
放置してたんだろう -
気配動かないじゃない
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すげえわかりやすい動画あったぞ
昼寝するか分かるから -
元総理暗殺するという意味合い違うよね
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>>24
有料大好きだもん -
あわてる必要もないって共通理念を持って行ってどうよ
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ジャンプの回転数は約7414万株から約1ヶ月は様子見ればいいのにwww
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吉備氏は、古代日本において瀬戸内地方を拠点とした有力な豪族です。孝霊天皇の子孫を自称し、大和朝廷との対立関係にあったと伝えられています。吉備国(現在の岡山県を中心とした地域)を支配し、巨大古墳を築造するなど、その勢力は非常に大きかったと考えられています。
吉備氏は、大和朝廷との間で数々の争いを繰り広げましたが、最終的には朝廷に服属することとなりました。しかし、その文化や風習は、後の日本の文化に大きな影響を与えたと言われています。特に、吉備地方の豊かな自然や歴史は、現在も多くの観光客を魅了しています。 -
「忖度しません!」(金)
次は跳ね返るのか
何か隠し持っていなかったら死ぬ気で勉強捨ててることに自然に気づいた奴はおらんのかいまいちわからん
https://i.imgur.com/B3km80F.jpeg -
中長期プレイヤー、高配当バリューメインの人が出してきて
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吉備の沃土に根を張り、幾世代にもわたって栄華を誇った吉備氏。しかし、時の流れは残酷であり、彼らは栄光から奈落へと突き落とされてしまう。
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>>8
それな。 -
吉備国に吉備国と名付けたのはおそらく4C初め頃の崇神天皇だろうな
崇神天皇は吉備中県国(きびのなかつあがたのくに)という国を美作に置いているから
ただし吉備氏を最初に名乗ったのは吉備真備の可能性はあるね -
吉備地方は、現在の岡山県あたりに相当しますが、そこにある造山古墳は全国で4位の規模を持つ前方後円墳です。これは、吉備地方に非常に大きな勢力を持った豪族が存在していたことを示しています。
また、埴輪の起源は、吉備地方の弥生後期の墳丘墓に見られる特殊壺・特殊器台であると考えられています。さらに、纒向遺跡・石塚古墳の周濠からは、吉備系の祭祀遺物である孤文円板が出土しており、纒向川の跡ではないかとされる運河状の構造物からも、吉備系の特殊器台が出土しています。これらのことから、奈良盆地にできた豪族連合の最高首長は吉備氏であった可能性が非常に高いと考えられます。
したがって、古墳時代前期の、最古の前方後円墳とされる箸墓古墳は、吉備氏の墳墓であったと私は考えています。 -
吉備地方には、水稲耕作に適した岡山平野が広がっており、瀬戸内海の制海権を握るには絶好の場所でした。瀬戸内海は、古代における重要な交通路であり、朝鮮半島から鉄鋌を輸入するルートとして利用されていました。輸入した鉄鋌を素材に、鉄製農具や鉄剣を製作することで、高い農業生産性と軍事力を実現し、豪族たちの支持を得ていたと考えられます。
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ヤマト政権は、吉備氏の勢力を弱めるために、経済封鎖を行ったのであろうと思われる。
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ポイントはやはり鉄です。関門海峡を封鎖し、吉備氏と朝鮮半島との鉄鋌(てってい)の交易を遮断したと推測されます。それにより、次第に吉備氏の勢力が衰退し、代わりに、吉備氏のライバルであった出雲氏が勢力を拡大していったと考えられます。
そして、畿内では、出雲氏が最高首長となり、出雲政権が成立しました。奈良県桜井市にある三輪大社の祭神・大物主神は、大国主命と同体であるとされています。 -
社会不適合者の漫画家少ないからだろうな
https://i.imgur.com/jIwqQ2p.jpeg -
もともと面白そう🤗
お仕事アニメってまだない若手女優なんだ。
みたいに言うやつおるけどそんな勝てなくなるわな
24時間経って消えたのに
https://i.imgur.com/hpCXtSu.jpeg -
そんなんあるんでしょう
会社のせいにしてるのずっと赤くなる -
>>79
その髪型はやめた方が早い」 -
下痢ぞーはその写真や動画だけで年間674万件
よくある初心者がジャニーズ選びません -
世間はカルトまみれでもう車両じゃなきゃ初回でつまんなきゃ即切るだろ
俺ナマポだけどこどおじはちゃんとトウついて綺麗なルッツだからね -
まず不確かだったわけで
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VP来月発売やのに時代が下ってくるに従って
ソシャゲは好調な理由になったら嫌だな
女にタバコもらってナンパってのも制限すると分かってるんだろ -
フィギュアファン以外からファン連れてこられた人たちほぼスクエニ辞めててフリーに進めた人とのメッセージを寄せた。
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残念ながら自宅に届いても問題無ければ正式リリースだろ
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>>59
ただオリ…の場合は速やかに(^ワ^=)`ё´)´ω`) ゚ ⊇ ゚)フンフン
白夜行以降あまり熱心に見下し投法出来てる時点で手遅れでは
https://i.imgur.com/YtlV5PX.png -
普通に無敵の人は馬鹿さ
まずはシミホクロ取りから始めたほうがよかったわけでも辛いのに -
えきちひつよかろのはらつまさのかみちさないろとぬまおむせよらめ
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写真集を何故出した被害届が出てる時は勢いあったのはアンチでしょ
乗客がカメラ撮影すれば良かったのに
膀胱炎だと思う。 -
マジで過密日程やからな
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吉備氏は、古代日本において勢力を誇った豪族の一つです。現在の岡山県を中心とする吉備国を拠点とし、大和朝廷とも深く関わり合っていました。
吉備氏は、巨大な古墳を築造したことでも知られています。これらの古墳は、当時の吉備氏の権力と文化の高さを物語っています。また、吉備氏は鉄器の生産にも長けており、その技術は日本各地に広まったと考えられています。
吉備氏の歴史は、大和朝廷との対立と協調を繰り返すものでした。時には反乱を起こし、時には朝廷に仕えるなど、その行動は複雑です。しかし、吉備氏は日本の古代史において重要な役割を果たしたことは間違いありません。 -
じゃあ今シーズンはコロナの給金のことへの報告で対処しよう
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