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心と宗教
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--佛教論議の伽藍スレ-- 第三巻
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仏教に関するKeyword
「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、
原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、
激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。
尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。
基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、
もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。
-------------------当スレの戒律(マナーとルール) -------------------
条項 1.アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可)
2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
(チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう)
3.コピー転載やリンク貼りのみの投稿は慎んでください。
4.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。
5.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主の判断で即刻、退場してもらいます。
6.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。
(1950年の世界仏教会議にて決議した)
7.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう)
8.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。
9.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(及びレス番2の戒律と資料リンク)を変えないこと。厳守!!
以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。 - コメントを投稿する
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-----当スレッドは-----
過去の2ch『原始佛教』、『仏教議論スレッド』シリーズを継承したような良スレになることを期待します。
投稿する方はスレ主である私(宝珠真範)の指示に従い、必ず当スレの“戒律 ”を厳守のこと。
違うことをしたいという方は、どうぞ他スレでお好きにして下さい。
また、当スレは同時に『質問箱』の機能も合わせ持ちます。
質問に関しては、仏教関連ならば気軽に大乗も含めて祭祀や葬儀、等々...何でも構いません。
解答や情報をお持ちの方はどうか質問者へ親切に教えてあげて下さい。
尚、複数の異なる解答があった際には質問者の方の判断にお任せします(参考程度にどうぞ)。
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前スレ
https://rio2016.5ch.....cgi/psy/1533070464/
過去ログ保管庫
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html
Wikipedia ― Category:仏教
http://ja.wikipedia....y:%E4%BB%8F%E6%95%99
論文検索
http://ci.nii.ac.jp/
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http://www.inbuds.net/jpn/index.html
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パーリ三蔵
http://www.tipitaka....g/cell/mainlist.html
http://www.tipitaka.org/romn/
大正蔵経検索
http://21dzk.l.u-tok....jp/SAT/ddb-sat2.php -
【魚拓】犬 は 害 獣
https://megalodon.jp....cgi/cat/1512303803/ -
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】6
http://gimpo.2ch.net....cgi/psy/1232162229/
747 神も仏も名無しさん 2009/01/23(金) 16:34:13 ID:gyRqkood
いろんなスタンスで発言が行われているので、議論がすれ違っている。
俺も含めて輪廻肯定派の論拠は、次の点ではないか。
・初期仏教教典、大乗教典、密教教典、論書を通じて、輪廻を前提に
した主張が広範に見られる。
・それらの教典・論書において、輪廻を前提とすることを否定する
ような主張は見られない。
・それらにおいて、輪廻に直接関わらない主張も見られるが、それは
別の箇所で輪廻を前提とする主張があることと矛盾しない。
・以上の点は、輪廻を否定する君らを含めて現代の日本人の多くが輪廻を信じない
こととは関係がない。
仏陀が14無記で言おうとしたことは、あなた方が認識できないことに
こだわって、大事な修行をそっちのけにするのは愚かなことだ、
ということであって、輪廻を否定しているわけではない。
──────────────────
◆1 -
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】7
http://gimpo.2ch.net....cgi/psy/1232767495/
67 神も仏も名無しさん 2009/01/24(土) 20:26:20 ID:XYCyD47T
輪廻否定論は大体、こんなとこでしょう。
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。
6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:このスレ住人など。
反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。
輪廻否定派は、テクストに根拠をもてず、提出した理論も以上のように全て反証されました。他に根拠はありますか?
──────────────────
◆2 -
100 神も仏も名無しさん New! 2009/01/25(日) 09:55:42 ID:qeS8aKHX
いままでの議論を私なりにまとめてみます。
まずもって
「(業報)輪廻思想は原始仏典において確実に前提とされていますよ。
だれもそれを否定していない」
だそうです。()をつけたのは解釈が異なるためで、これはデンパさんと思われる人の説。
さすがに原始仏典に「輪廻」の語は無いという人はいない。
次に仏教において「輪廻」は苦であり、厭うべきもの解脱すべきものとされ
その意味では「否定的」に見られても「肯定的」に見られることは無い。
これも共通認識。
まして、「輪廻」が「真理」であり「事実」であると主張する人もいない。
しかし、なにを勘違いしてか「検証」「実証」と叫ぶ輩も後を絶たない。
問題は「輪廻」という語の解釈です。
◆7 -
次に「輪廻」の解釈をめぐって
?業報輪廻・・・今日行ったわるいことは、明日かそれ以降に報いがある。
人間存在とはそのように業の積み重ねによって苦しむ性質のものである。
*ここで順後次受が説かれていない点がミソ
?輪廻転生・・・・ 業報を死後の生まれ変わりに求める。
(282 神も仏も名無しさん [sage] Date:2007/10/31(水) 14:03:21 ID:K2u3Mk10)
この二つに分ける説(デンパさんたち)と、分けない説(私もそう)があります。
前者において
?業報輪廻は「生死」とも読みかえておられます。
「生死とは生老病死の四苦をまとめていったことであって、
生まれ変わり死に変わりではありません」デンパ説?
しかし、そのように「生死」を限定する典拠は未だ提示されていません。
更に?を「生死輪廻」「生死流転」と読み変える人もいます。
この場合の「生死」は上記の「生死」とは異なるようです。
101 神も仏も名無しさん New! 2009/01/25(日) 09:58:44 ID:qeS8aKHX
そして、この二つを分ける典拠、原典の提示を求めると
日本の学者がそのように区別していることをあげ、終には
「根拠は必要ありませんね。
輪廻は経典や論書に現れる言葉、輪廻転生は表れない
だから、この両者は違うものとして取り扱わなければならない。
よく理解できませんが・・・、結局「根拠」はないようです。
その一方でデンパさん?は(A)「仏典には生死輪廻はあっても、輪廻転生はありません」と断言しています。生死輪廻がいわゆる輪廻転生なんですが・・・
どうやら、仏典で説かれる「輪廻」は?のみで?では無いという主張のようです。
また?を否定する理由として、
ブッタは「形而上」を取り扱わなかったことをあげていますが、扱ったか否かで論争中です。
その一方で(B)「輪廻転生を主張することに対する批判ですよ。
同じく、輪廻転生は無いと主張するひとも批判しますがね。」
との主張もあり同一人物なのかどうか?
あきらかに矛盾してます。
◆8 -
102 神も仏も名無しさん New! 2009/01/25(日) 09:59:09 ID:qeS8aKHX
また
「私の言う前提とは「執着を否定するために採用された輪廻思想」と言う意味です。
つまり、当時の宿命論的な業報輪廻について(の執着を)否定するために前提として採用され、
否定されたということです」
ともデンパさんは述べます。
「宿命論的な業報輪廻」とは「前世においてこういうことをしたから、今の状態がある」ということでしょう。
するとそれは「彼らの意味するところの?輪廻転生」ということになり(A)と矛盾します。
結局「輪廻への執着を否定する」とは「解脱」「厭離」と意味するところは
同じであり「輪廻」がどのようなものであれ「関知しない」彼らの用語で
「捨て置く」ということのようです。
つまり「毒矢の喩え」あるいは「如来の後有」を
「衆生一般の後有」と解し、「無記」であるという主張です
(後者の理由が正しくないことはすでに述べられています)。
否定されるべきものは「執着」ということでしょうか。
結論としていわゆる輪廻否定派「輪廻」の定義にぶれが見られるうえ、
?と?に分け?を否定したり否定しなかったりと、
各者に違いが見られますが、
「毒矢の喩え」の態度は私も大いに肯うところです。
ただ
「毒矢の喩え」を「輪廻」に適応すれば
「輪廻の有無」ではなく「輪廻のプロセス」が捨て置かれるべき
ものとも解釈できますが・・・
虚空は存在する
しかしその辺際は問わない・・・のように。
────────────────── -
>>https://rio2016.5ch....i/psy/1533070464/636
まともな成仏法でも
> その辺の詐欺師でも
> 成功率の違いこそあれ
誰もが成仏するわけではない(五性各別)なので
> 結果は同じって話になります
という意味? おじゃる? -
「スバッダよ 。いかなる教えと戒律とにおいてでも 、 〈尊い八支よりなる道 〉が存在すると認められないところには 、
(第一の ) 〈道の人〉は認められないし 、そこには第二の 〈道の人〉も認められないし 、そこには第三の 〈道の人〉も認められないし 、そこには第四の 〈道の人〉も認められない 。
しかしいかなる教えと戒律とにおいてでも 、 〈尊い八支よりなる道〉が認められるところには 、第一の 〈道の人〉が認められ 、そこには第二の 〈道の人〉も認められ 、そこには第三の 〈道の人〉も認められ 、そこには第四の 〈道の人〉も認められる。…
こうして釈迦の最期の直弟子となったスバッダは八正道以外に沙門としての果は得られないと諭され、
教団に入っては怠ることなく熱心に梵行に努め遂には
「生存は尽きた 。清浄行はすでに確立した 。為すべきことは 、すでに為し終った 。もはやこのような状態にもどることは無い 」と悟り尊敬されるべき真人の一人となったという。
八正道以外に道を極める方法はないというのが釈迦の言説である。 -
> 八正道
スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせるものである
(たぶん、五根?五力?だと思う おじゃる?)
悟りに至るための菩提分法
四念住(四念処)
四正断(四正勤)
四神足(四如意足)
五根
五力
七覚支
八正道
青目(ピンガラ)の中論 觀法品 第十八
…
八聖道を修習しながら
我と我所の因縁(生処)を滅すれば
無我や無我所という決定した智慧を得るだろう
…
諸の禅定の中で滅尽定が第一
http://blog.livedoor...enji/jyuugyuuzu.html
さらに無の世界も超えて
移り行く世界の様を
般若の智慧と慈悲をもって → ありのまま見つめている -
> 自分自身の言葉で語ってくる
ということで、今回の おじゃる妄想は
地面に円や升目を連ねて描き、片足飛びと両足着地とを繰り返す
子供の遊び けんけんぱ
↑関係ある?↓
天台宗 天海の江戸設計
四神相応(しじんそうおう)
東 青龍
西 白虎
南 朱雀
北 玄武
そして更に
宗教的儀礼?
地方により歌詞が異なる
かごめかごめ
籠目籠目 加護の中の鳥居は いついつ出会う 夜明けの番人 つるっと亀が滑った 後ろの少年だあれ?
そして更に
地獄少女 閻魔あい
闇に惑いし哀れな影よ。人を傷つけ貶めて。罪に溺れし業の魂。いっぺん、死んでみる? -
『はじまりのブッダ』 平野純
第一章 ブッダは輪廻を信じたか
最古の経典はブッダが輪廻を信じなかったことを教えている
リンネは幻想にすぎない・・・これこそがブッダの出発点だった
第二章 ブッダは何者だったか
ハーレムの歓楽の一夜、王子ブッダは妻子を捨てて宮殿から逃げ出す
その後身を投じた苦行にも失敗した乞食修行者のブッダ。大いなる敗者復活への道
第三章 「異端」ブッダのライバルたち
ブッダは古代インドの異端の教祖だった。
驚きの「暴論」「奇論」で火花を散らし合う知られざる異端思想家たちの実態とは
異端の聖者ブッダ誕生の舞台裏
第四章 ブッダは霊魂を信じたか
死後の世界は死んでみなければわからない
ーブッダの徹底した現世至上主義は霊魂や神の有無の問題を議論の場から放逐した
懐疑主義者ブッダの素顔
第五章 「諸行無常」とはなにか
「諸行無常」は古代インドの墓場の死臭のなかでうまれた思想だった
平家物語ではわからないその誕生の秘密について
第六章 古代インドの「実証科学」
異端の王様パーヤーシは霊魂を探して犯罪者の体を切り刻む
霊魂の問題にとりつかれた王様の「実証精神」がもたらした奇怪な実験の数々
第七章 異端思想家サンジャヤの悲劇 な
異端のせめぎ合う時代を代表するユニークな論法
ブッダに弟子を奪われて「熱い血を吐いた」伝説の思想家サンジャヤの「うなぎ論法」の真実
第八章 異端ブッダの死
ブッダの死を聞いて「うるさい男がやっと死んでくれた」といい放った一人の弟子がいた
「諸行無常」を地でゆく異端の師ブッダの末路とは
https://images-na.ss...BO1,204,203,200_.jpg -
>>前スレ635
>臨済宗の栄西はイニシエート2.2で斯陀含クラスの覚者です
>曹洞宗の道元はイニシエート1.5で預流果クラスの覚者です
覚者などではありません。
神智学の誤情報は止めるべきです。
ベンジャミン・クレーム氏(2016年没/進化段階3.46)の師である覚者(ヒマラヤ在住)による
世界のイニシエート・リストで公表された栄西の進化段階は2.2、道元の進化段階は1.5というものでした。
進化段階が2.2段階ということであれば、道元は最も難しいともいわれるアストラル体(情緒)の制御をすでに達成して、
すでにメンタル体(識心)への偏極に移行しつつある段階でした。
二段階イニシエーションを通過した以降の進歩は格段に早いので、次の転生にて三段階か、また個人差によっては四〜五段階すらも可能です。
二段階イニシエートであれば、すでに様々な神通は発揮されていた筈です。
対して、道元の1.5段階というのは、二段階イニシエーションを受けるまでの過程で平均6〜7回前後の必要転生経験を要する真っ最中にあります。
通常ならば、アストラル体の影響に振り回されて、その制御に日々、奮闘しているところでしょう。
ですが、恐らく禅の実践が効果的に働いていたものと思われます。
尚、神智学でいう「覚者」(完成者)というのは、五段階のイニシエート以上のことです。
(神智学の説く“アルハット位階”とは四段階イニシエートのことであり、つまり、テーラワーダの説く“阿羅漢”レベルのこと) -
>>13
>最古の経典はブッダが輪廻を信じなかったことを教えている
>リンネは幻想にすぎない・・・これこそがブッダの出発点だった
いやいや...
“信じなかった”、“幻想”...だって?
本当にそう述べていたのかを経文そのものにて提示を願う。
徹底的に論破するから! -
>>前スレ566
>社会的信用は殆どない同好会を独学してるだけの人
この私は何の仏教同好会にも所属してないし... ?
これはもしかして、この私が学んでいる“神智学” (とその諸派組織)のことをいっているのかな?
とすると、確かに一般人に(特にこの日本において)は殆ど馴染みがなくて知られてもいないのは事実ですが、
けれども、この前にも言ったように、本当の真実(正統性や価値)を知る人間というのはごく少数なのだということ。
そして、神智学そのものは専門家からの評価(社会的影響力)は高いものが多い。
一応、神智学についての実際上の真実を少しだけ紹介しておきます。
・スリランカ仏教(テーラワーダの中心)を消滅の危機から救済した歴史的復興の英雄がオルコット大佐(ブラヴァツキー夫人と二人で設立した
神智学協会の初代会長)でした。コロンボの大通りである街は彼の名前に由来しており、大佐の英雄像がマラダナ及び設立を援けた各学校に
て建てられている(この地のアーナンダ大学、ダルマラージャ大学、マリヤデーヴァ大学とマヒンダ大学を設立したのは神智学協会である)。
・現在、日本の各寺院で使用されている「国際仏旗」(第一回/世界仏教徒会議にて正式制定)は、オルコット大佐がキリスト教の十字架に相当
する仏教徒の世界共通シンボルの必要を提唱して発案されたもので、これはブッダの放つ六色のオーラ(霊光)を意味しています。そして、
大佐は真宗を中心とする京都の仏教グループから、日本仏教界“改革の起爆剤”として期待され、彼らの熱烈な支持によって招聘されて1889
年来日。各地の寺院にて精力的に講演を行いました。日本に、この「国際仏旗」がもたらされたのもこの時によるものです。
https://www.e-butsudan.com/guide/965/ -
・インド独立運動の父、ガンジーに自国の宗教に対する素晴らしさと誇りについて教え、彼の心の師となっていたのが、当時、インドのマドラ
スにいたブラヴァツキー夫人でした(ガンジーは度々、夫人のもとを訪れました)。ガンジーに“マハトマ” (偉大なる魂)の称号を贈り、ブラ
ヴァツキー亡き後の独立運動を支え続けたのが神智学協会の二代目会長アニー・ベサントでした。チェンナイ(当時のマドラス)にある区域
「Besant Nagar」は、アニー・ベサントの名前にちなんだものです。また、「Google」は、アニー・ベサントがインド独立に貢献したことを讃
え、2015年10月1日にインド圏でトップページのロゴ画像を彼女のイラストにした(インド独立は彼女の死後、14年後のこと)。
・アインシュタインの愛読書はなんと、近代神智学の大原典となったブラヴァツキーの大著『シークレット・ドクトリン』(秘密教義)だった。
邦訳著の帯に紹介文を寄せたのは、この私、宝珠の一押しするあの「中村 元」氏なのでした。
http://www.utyu-publ...hing.com/book01.html
http://www.nakamura-...l.or.jp/profile.html
・ライフ誌「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の1位に選出され、アメリカ国内で最も人気の高い自国の科学者1位の
発明王トーマス・エジソンは、アメリカ神智学協会の正式会員でした。
・文化勲章受章で国際的な活躍をした禅研究の第一人者、鈴木大拙氏は夫婦揃っての神智学徒でした。氏は神智学協会における日本支部京都ロッ
ジのグランドマスター(支部長)を務めました。 -
・『ユネスコ(UNESCO)は、戦争の原因は人々の心に根ざすとして、平和な心を育てることなしに、永久的平和はありえないという認識から、
人類の教育、科学、文化の発展を目指す国際機関として、国連内に誕生した。その仕事は地味ではあるが、ユネスコは「国連の良心」として、
国連の世界平和の実現という大目的に向かって努力している。そのユネスコは、どのようにして生まれたのか、それを追求するのが本書の主た
る目的である。本書では、国際連盟内の国際知的協力委員会(ICIC)や連盟の外郭団体であった国際教育局(BIE)など、ユネスコの前駆とし
て既に知られている組織の他に、(国際)新教育連盟(NEF)がユネスコ創設に当たり大きな役割を果たしたこと、及びそのNEFを創設したのが
神智学協会であったという隠れた事実を浮き彫りにする。』(「はじめに」から)
(岩間浩著『ユネスコ創設の源流を訪ねて---新教育連盟と神智学協会』学苑社)
・1929年、北インド、クルに移住、ニコライは考古学研究所を設立し“レーリッヒ条約”として知られる「戦時下における文化財保護のための平
和条約」を起草した。中央アジア諸国の民俗文化保存等に貢献し、1929年にニコライはノーベル平和賞にノミネートされた。1935年4月15日、
芸術上及び科学上の施設並びに歴史上の記念工作物の保護に関するレーリッヒ条約を取り入れた「ワシントン条約-」が採択された。
ニコライ・レーリッヒは、ヒマラヤ山脈とシャンバラについて描く著名な画家にて探検家、ニューヨークには現在でもレーリッヒ美術館がある
(ゴビ砂漠にシャンバラ探検を敢行したことでも知られる)。妻は、神智学協会分派のアグニ・ヨガ協会会長ヘレナ・レーリッヒ。 -
・ダライ・ラマ14世からは、いつも神智学運動について暖かいご理解とご協力を頂いています。ブラヴァツキー著『沈黙の声』(クラーク氏訳)は、
パンチェン・ラマ9世から菩薩道の理想を正しく解説したものとして、またダライ・ラマ14世からは初版百年記念に言葉を寄せて、この本を高
く評価して頂いています。『ダライ・ラマ法王は、2011年7月17日にワシントンD.C.からシカゴへ移動後、「信仰の架け橋(Bridging the Faith
Divide)」と題して神智学協会が主催する2日間のプログラムを行なう予定。』
(ダライ・ラマ法王、ワシントンD.C.にて長寿祈願法要とオバマ大統領会談/ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)
http://www.tibethous...03_WashingtonDC.html
・日本の一般社会においては、人智学を根底においた“シュタイナー教育”が広く認知されている。これは元神智学協会のドイツ支部長だったオー
ストリアのルドルフ・シュタイナーが創設した『人智学協会』の霊的理解にもとづいた特異な教育法。このシュタイナー教育を受けた有名人には、
黒柳徹子/ユニセフ親善大使(UNICEF:国連児童基金)やミヒャエル・エンデ、作詞家の湯川れい子の息子や斉藤工などがいる。
(シュタイナー教育の不思議/シュタイナー学校卒業生その後の健康状態)
http://www.shikokuan...12/blog-post_13.html
以上. -
もう、いちいちアンカー使うのも面倒なので〜
“転生(生まれ変わり) ”の否定論者の全員に対していう!!
エッ? なになに...
仏教では「輪廻」は説かれているが、
それは田中さんが、次の来世で佐藤さんへ“転生(生まれ変わり) ”するというような意味合いではない、って。
〜惚けたことを抜かすではなーいよ!!
無能な学者ばりに(チッタだからアートマンではない等々..)、
パーリ語の単語やその部分だけの本当にごく短い短文だけを切り取って、
このように本来の原語ではそうはなっていないなどと転生否定の自己都合のいいように解釈する人たちすべてに告げる。
はい、ここに「ハンドルを握っている」という短い文章があります。
これは“車を実際に運転している”ことを意味しますか? それとも意味しませんか?
言葉の意味というものは、その部分だけを切り取ったのでは絶対にダメなのであって、
これが示す正しい意味を知るには、必ずその前後や段落までを、
或いは、そのページのすべて、場合によってはもっと書物全体を読まなければダメに決まってる。
それが正しい文意の理解というものになる。
あなたがたのやっていることというのはこうです。
「はい、パーリ語の原語の意味では、これはただハンドルを握っているだけで運転していることを示すものではありません。
この単語にはそれだけの意味しかない」と。
チッタだからアートマンではない、などというのは典型的な誤読ですよ。
それで済む話だったなら、最初から何十年も仏教界で議論の対象になっている筈がないでしょうが!
要するに、そこで説かれる文意がただの心のことなどではないからに他ならない。 -
で、以下の経文のどこが一体、
“転生(生まれ変わり) ”のことではないことになるのか?
について、是非ともその説明を願う!!!
『実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれかわり、
暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。』(Sn.278)
『また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する知(宿住通)に、
心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すなわち、ひとつの生涯、二つ、三つ、
四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯 を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、
幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。
「あのときの生存において、自分の名まえはこうであった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、
こんな幸福や不幸を体験し、これこれの年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、
そこでも同じように、自分はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、
これこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、
具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。
たとえば、大王よ、ある人が、自分の村から他の村へ行き、その村からまた別の村へ行き、
そしてその村から再び自分の村へと戻ってくるとします。彼はこう考えるでしょう。「わたしは自分の村からあの村に行き、
そこでこういうように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。そののち、その村からあの村へ行ったが、
そこでもこのように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。そして今はその村から再び自分の村へ帰ってきている」と。
まさにそれと同じく、大王よ、心が安定し・・・堅固な不動のものとなったとき、比丘は過去の生存の境涯を想起する知に、
心を傾け、心を向けます。---(93節の繰り返し)--。
これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれてより霊妙な、目に見える沙門の果報であります。』
(DN.『沙門果経』出家の功徳2:93〜94) -
しかし、現実には、
すでに科学者によって数千もの膨大な転生事例
(転生を事実と認める以外には説明のつかない現象だけを選別)についての記録データが集積されているのです。
ブッダの持つ驚異的な能力で示されたものが間違いのわけがないから。 -
この前も述べたけれども、
この『沙門果経/出家の功徳』>>21で示されている驚異的な宿住通こそが、
実際に、ゴータマが菩提樹下の瞑想によって体験したものです。
だ・か・らこそ、
ゴータマは教え(この体験を)説くことを止めてしまおうかと憂慮したのですよ。
如来の所説(教え)を否定する者はその業によって地獄に堕ちてしまうというのだから...
(地獄は極論だとしても、大変な不徳を積むことには間違いがない)。
ここにいる否定論者たちをみれば、そのことがわかるでしょうが!!
自分で体験するまでは、たとえ誰の何の説明だろうとも認めないのだから。
たとえブッダの言葉とされているものですらも、絶対に信じないのだから
(それはきっと方便に違いない、誤読に違いない、語訳に違いない、
きっときっと後代の勝手な不可挿入に違いない...などと自己都合で解釈して否定する)。
しかし、現実には、
すでに科学者によって数千もの膨大な転生事例
(転生を事実と認める以外には説明のつかない現象だけを選別)についての記録データが集積されているのです。
ブッダの持つ驚異的な能力で示されたものが間違いのわけがないから。 -
>>17
ガンジー・ジーについては、そのような親交もあったでしょうが、あの方は日本の当時の右翼のキョカイである頭山氏とも手紙をやり取りしているように、
極めて精力的に活動された政治運動家です。
あの方の自伝は邦訳も出ておりますので、シンチガクの方は、その他大勢の一人で、自伝には特に記述するほどの関係でもありませんでした。
また、マハトマも、インド政府から贈られた称号で、本人はジー(おじいさん)と呼ばれてたがっていたそうです。
間違ってもインドでそんな出鱈目を言わないようにしましょうね。
本当に袋叩きにあいますよ。
インドの方々には代わって深くお詫びします。m(._.)m
チベット密教の方々も同様に、政治運動として、日本のカルト宗教でも愛想良く相手をしているので、
金さえ出せば誰にでも笑顔で尤もらしいことを言いますよね。(笑)
現ダライ・ラマ氏の伝記も邦訳を読みましたので、彼の真摯さと努力には敬意を払いますが、彼は僧侶というより政治家タイプですよ。
そしてユネスコ。(笑)
まぁ、欧米セレブ向けの比較的穏当なオカルトクラブですから、悪いとは言いませんが、
ガンジー・ジーのような人類史上稀に見る偉大な民族主義者に対しての非礼は日本人なら恥じるべきですよ。
(^。^)で、要は欧米セレブに人気だからきっと正しいって話ですよね?(笑)
それならキリスト教に改宗してはいかがでしょう。(笑) -
> マハトマ・ガンディーは、政治運動家です
知りませんでした
そうだったんでつね?
ウィキペディアには
宗教家、政治指導者と書いてありますね?
人間の力や自然の力を超えた存在を前提とする
宗教(religion)が
世俗的な政治を取り扱うのは「どうなのか?」という感じもするけど?
おじゃるの知り合いの創価信者の世話役の人が
「政治で(世俗的な)世の中を少しでも良くしていくんだ!」
と言ってるのと同じような気もするけど?
たとえば
仏教(宗教)の場合は
無明の世界の中を良くすることではなくて
(大乗の場合は)
無の世界も超えて
移り行く世界の様を
般若の智慧と慈悲をもって → ありのまま見つめている
無住処涅槃(むじゅうしょねはん)
↑↓この方が宗教的という感じもする おじゃる?
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる -
>>25
>人間の力や自然の力を超えた存在を前提とする
>宗教(religion)が
>世俗的な政治を取り扱うのは「どうなのか?」という感じもするけど?
中世までのローマ教皇やイスラム教のカリフ、インカ帝国皇帝などは宗教の権威と政治の権威を兼ね備えていた
日本の卑弥呼なんかもそう -
釈尊は輪廻転生説を否定した(小川一乗)
http://fallibilism.web.fc2.com/077.html -
この動画をみると苫米地も宮崎も輪廻を否定していないようにみえる
「本当のことを言うとあるかないか分からない、少なくともあなたが思っているような形ではない」
https://youtu.be/96UM8UT4x-g -
龍樹が否定したとされる小乗派の「法の実有」というものがいまいち分からない。
「人間が存在する」、「ライオンが存在する」という言葉の意味ならわかるけど、
「法が存在する」と言われてもピンとこない。
これは>>30の動画で苫米地が説明している「点が存在する」という話? -
>>31
法有とは、って考えると難しいですが、
例えば現在でもE=mc^2という法則に従って原発の核分裂が起きてる、なんて理解をしてる方は結構いたりします。(笑)
それと同様に、そうした法則や本性などがあって眼前の存在がある、という考えは昔からありふれた概念です。
(^。^)キリスト教の神が万物を支配してるってのも似たような妄想ですね。(笑) -
>>33
私も良くは判りませんが、(笑)
中村先生の龍樹で、そのような解説があったよう記憶してます。
法則とはニュアンスが違いますが、当時のインドで法とされていた概念が実在していて、それに因って火が存在したり物理的な存在が眼前している、という話だったかと。
それで火には自性が有りませんよと論証したとかなんとか。
(^。^)違ったらすんません。(笑)
うろ覚えなんで、詳細はご自分でお調べください。 -
あと、仏教の「輪廻」と漫画の「輪廻転生」は違う話なので、
その辺をごっちゃにして「仏教では輪廻を説いた」「説かない」なんて話は時間の無駄です。
しかし、最近は僧侶でもこの辺をごっちゃにして適当なことを言ってる事がありますので、苫何とかさんとか宮崎さんなど、仏教を読書で理解したつもりの方の話と仏教の話は混同しない方がよろしいかと。
(^。^)本読んで解る話なら、あの中観派だったらもう少し分かりやすく解説してくれたはずですよね。(笑)
というか、お釈迦様がパンフレット作って配らせたはずですよね。(笑) -
>>31
法とはここでは存在するものを表し例えば説一切有部ではそれらを五位七五法に分別しました。
http://livedoor.blog...mgs/e/0/e071c596.JPG
上記表を見ると例えば五根だけみても無常であるので実在ではないのではないかと思われるかもしれませんが、実在はするが刹那消滅しているので無常である、
というのが説一切有部のアビダルマ論です。
ほかの小乗(部派仏教)でも何らかの実在を認めており、それが三世実有か現在のみ実有か、また法の数などで違いが出てきます。
テーラワーダでは実有する法を勝義法(または勝義諦)という呼称で呼びます。
テーラワーダでは説一切有部と違って実有であるのは現在の一瞬だけとされます。
https://ja.m.wikiped...i/%E4%BA%94%E4%BD%8D
なお、龍樹はそれらの法は空であるとして部派仏教の法の実有を否定しました。 -
>>27
リンクだけじゃ読まない人が多そうだから、再掲しておきます!
>「解脱は不動であり、これが最後の生存である。もはや、生まれ変わること(輪廻の苦しみを受けること)はない、という智見が生まれた?。」
>と、その初転法輪を終えるにあたって語ったと伝えられている。ここには、実体的に考えられる、生存の継続としての輪廻に流転する自己存在は成立し
>ないという智見こそが、「縁起」における解脱の内実であることが示されている。
この読解力の無さに呆れ返るわ...。
「“最後”の生存」ということで、これが繰り返し何度も転生した生存における最後だといってるのが分からないのかな? 輪廻など元々、最初から無かっ
たことに気付いたということと、“最後の生存”とはまったく意味が違うから。この最後の生存というフレーズは仏典においては繰り返し繰り返し随所に
見られるから。では、仏典中から、輪廻というのは最初から無かったことを確認したという教えがあるならば、それを出してみなさいな。100年掛けても
絶対に出てこないから。だから、あなた方が信じないのは自由だけれど仏教のデタラメを語るなといってるが、解らないのか!!!。 -
>そして、その「業」についても、
>「生まれによって卑しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって卑しい人ともなり、行為によってバラモンとも
>なるのである?。
>と説き、実体論的な輪廻転生説に基づく業思想を否定している。
これは度々、見られる否定論者たちの根拠だけども、最初に言い出したのはこの小川氏なのですか? もしも、本気でこの経文がそういう意味のことを説
いてると解しているのならば、その人達というのは仏教の理解、云々の以前として、まず国語が全然ダメダメの赤点ダラケだった人だとこの私は思う。文
書って必ず、まずは誰が誰に何を伝えようとしているのか? を、その前後の文脈から確認しなければダメに決まってる。自分にとってただ都合のイイその
狭い部分だけを抜き取たって正しい理解になる筈がないでしょう。
これは業報輪廻の否定などではなくて、(業に拠って)バラモンの家系として産まれた者だからといって、ただそれだけではバラモンとはいえないという
ことであり、ここでいっている「バラモン」とはゴータマの眼から見て、本当に尊敬を受けるに値する正しいバラモン司祭者かどうということ。つまり、
ただバラモンの家系に生まれたというだけの名ばかりのバラモンなどは本物には値しない。本物のバラモンといえるかどうかは、その人なりの言動と行為
を見て判断しなければならない、と。だから、その人の行為に拠って本物で尊敬に値するバラモンであるかどうかが明確となるのだといってるわけです。
日本に生れたから日本人というのではなくて、本当に日本人としての伝統を尊び日本人としての自覚を持っているかどうかです。これは業に拠る輪廻など
はないと、業に拠ってカーストで決定している絶対身分であるバラモン家系に生まれることを否定してるという意味などではありませんから。原始仏教の
テーマはバラモン否定などではなくて、“正しいバラモンへの道”を求めるというものなのですよ。
佛教大学でも駒澤でもどこでもいいけども、ちゃんとした真面目な研究学者に確認してみなさいな。こんなことを述べたら100%で吹き出して笑われるか
ら...。あっ、この小川氏も学者だったのか...、いや、こりゃ〜失礼した。
https://rio2016.5ch....y/1528362218/663-666 -
こういう素人の質問に仏教用語のオンパレードで説明するのって、どうなのかね?(笑)
上座のそうした態度から大乗が起きたというのにだよ。(笑)
(^。^)君にはもう、何度かお説教したはずだがな、あぁん?(笑) -
>>40
あんたの解説でも結局は理解がおぼつかずあとは自分で調べると言ってるのに何を言ってるのかね? -
>>40
あと何か勘違いしているようだが君には説教された覚えはないから -
>>32
仏教の問いをしているのに物理(相対性理論)で解説しそれはこういうことですかと逆に物理の公式で質問をされると私にはよく分からないと。
分からないのなら最初から自分の理解に終えない物理用語など使わなければいいのにな、何知ったかぶって物理で説明しようとしたのだろう(笑) -
色々な師匠の方々へ
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
> 龍樹が否定したとされる「法の実有」
https://ja.wikipedia...87%E6%9C%89%E9%83%A8
説一切有部(せついっさいうぶ)
主観的な我(人我)は空性質である
しかし
客体的なもの(法)は三世に渡って実在するとした
大乗は“無自性・空”をもって説一切有部を批判した
_ _ _
唯識の場合は
仮設としての
阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出しているとして
三世に渡ってる
客体的なものも阿頼耶識に依存しているとする
空性に依存している
阿頼耶識に依存しているので
三世に渡ってる
客体的なものも縁起に依存している空性である。という意味 -
>>45
君は物理学を分かってないだろう。
分かってないのに知ったかして物理学で説明しようとして相手を混乱に貶めるのは迷惑行為。
それも分かってない。
そんな人にどうこう言われる筋合いはない。
そんな人に付き合う必要もまたない。
なので君へのレスもこれが最後。 -
https://twitter.com/.../1061924233855492096
これまでの実践で得られた仏道に関する私なりの理解を、図にまとめてみました。
https://mindfulbonpu...b.fc2.com/banner.png
「仏道の地図」のようなものがあるといいと思い、作成しました。仏教書を読む際など時折この図を見ることで、述べられているのが仏道のどの部分についてなのかを確認しています。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) -
>>24
随分、ガンジーには反応が激しいですね!
私も映画『ガンジー』(Gandhi)には大変、感銘を受けています(レンタルとTV放送を含めて何度も見ましたよ)。
>マハトマも、インド政府から贈られた称号で
〜だから、そのインド政府からの称号というのは、元々、ベサントがガンジーに対して呼称したものです。
「マハトマ」というのは当時の神智学協会が好んで多用していた人間の進化のゴールに達した聖なる覚者方のことを指した言葉だったのであり、
ガンジーに向けてベサントが讃えて呼称したものでした。これを正式に授与したのが初代インド首相ネルーだったということ。
そして、このネルー自体がベサントと親交が深くて、彼もまた若い頃には神智学協会員だったことがあるということ。
『ベザントはガンディーと性格的に相容れず、またガンディーの大衆動員の運動を危険視していたため、仲は良くなかった。しかし互いに尊敬
しあっており、「マハトマ」と言うガンディーの良く知られた尊称は、最初にベザントが言い出したとも言われている。またガンディーは、青年時
代からベサントの宗教に関する考え方に興味を持っていたが、「インドの眠りを覚ました人」として教育界でのベザントの功績を絶賛しており、南
アフリカ時代には、事務所にベサントの写真を飾っていた。また、機会があるたびにベサントの元を訪問して助言を乞うている。』
(wiki:アニー・ベサント)
https://ja.wikipedia...B5%E3%83%B3%E3%83%88
(wiki:マハートマー書簡)
http://www.cue.im.de...BC%E6%9B%B8%E7%B0%A1 -
『宗教的には接神論(神智学セオソフィー)に近づいた。当時神智学協会が設立されておりロンドンで活動していた。ここではロッジを訪れ、ブラ
ヴァツキー夫人や後にインドの独立運動とも縁が深くなるアニー・ベサント夫人にも会っている。
これらのことはガンジーにエドウィン・アーノルド(Edwin Arnold)によって英訳もされたいた「バガヴァッド・ギーター」を読む機会となった。』
(2012年版夏の暑中読書録−その9−M.K. ガーンディー「真の独立への道―ヒンド・スワラージ」)
http://youyou8.cocol...2012/05/mk-0cd4.html
つまり、歴史の表舞台(一般に認知されている公的歴史)には上がって来ないということ。
例えば、アメリカ合衆国建国やフランス革命、そして、明治維新の出来事の背後には
フリー・メーソンリーが強く関与していた事実は知られていないでしょう。
そのことと同じく、神智学運動と公的歴史の関係も一般には殆ど知らされていませんから。 -
> 陰謀論
おじゃるは陰謀論とかは興味がないけど、とりあえず
↓これなら興味がある
https://ja.wikipedia...B0%E8%AC%80%E8%AA%AC
真珠湾攻撃陰謀説
歴史家のチャールズ・ピアードは戦争責任は
ルーズベルトにあるとして『ルーズベルトが引き起こした戦争1941』を発表
その他の諸説
https://ja.wikipedia...B8%E5%85%B5%E5%99%A8
核兵器(nuclear weapon)
核実験
日本への原爆投下
↑人体実験だったのか?
https://ja.wikipedia...89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ロッキード事件
アメリカ陰謀説
その他の諸説 -
>>51
だったら、鈴木大拙と神智学の関係も論証しておいてくれよw -
>>51
“朝鮮人みたいな話をする人”って...
これって爆笑するほどの酷い中傷ですよね!
まっ、確かにネットの情報程度では、精々、ガンジーがブラヴァツキーと何度も会ったということ。
そして、夫人の著作を読んでいたことくらいしか知ることはできませんが、
しかし、こちら神智学専門内での情報では、人類の歴史的な出来事と協会の関与という意味で、
もっと詳しい話を知ることができます。
【その兄弟はまた、エドウィン・アーノルドの著した『アジアの光』をすすめた。
そしてわたしをマダム・ブラヴァツキーとベサント夫人に引き合わせた。
「わたしはまだわたしの宗教についても未熟なのですから、どの宗教団体にも属したくありません」
マダム・ブラヴァツキーの『接神術の案内』を読んだことを覚えている。この本は、わたしに、ヒンドウ主義を論じた本を読む気持ちを起こ
させた。また、ヒンドゥ主義は迷信だらけだという、キリスト教会の宣教師たちに言いふらされた見解のまちがいを、晴らしてくれた。】
(マハトマ・ガンジー著『ガンジー自伝』蝋山芳郎訳/中公文庫)
http://skc920510.ecgo.jp/page0101.html
>フリーメイソン陰謀論の信者さんなら
あのですね..「陰謀」じゃないの!
それって、つまりは悪いことって意味ですよね。
そうじゃないから。世に出回っている陰謀論とか陰謀史観というのはすべてがデタラメです。
しかし、私たちはフリー・メイソンリーがとても高い理念の下に存在していることをよく知っています。
彼らが世界征服を企む陰謀組織だなんていってたら笑われてしまいますよ
(陰謀論が流行ってウケているのは日本だけの現象ですから) 。。。
東京タワーの脚元がフリー・メイソンリーのロッジなんだけれども、
彼らが世界征服を企てている恐ろしい組織なんだと感化された馬鹿者によって、
時々、窓ガラスに投石をしてくるので彼らは困っていますよ。 -
>>56
そんなんでいいなら、日本人右翼の頭山さんに「方法は違えど同じ民族主義者として〜」と書いてる手紙があるんだから、
「ガンジーは天皇を崇拝していた」
とも言える訳かね?(笑)
ガンジーさんが「ブラバ何とかが私の心の師です」と公言してないんだし、マハトマと呼ばれるのを嫌がってたんだから、
「ガンジーはブラ何とかを心の師とさてた」なんてのはシンチガク側の勝手な言い分でしょ。
朝鮮人がソメイヨシノや剣道の起源を主張するのと同じ話だよ。
あんたは「お世話になり、感謝しています」って言われたら、それだけで師匠気取りになる訳か。(笑)
差別丸出しの白人や朝鮮人が言うなら仕方がないが、日本人なのにそんな事言うのはあり得んでしょ。(笑)
それともシンチガクでは「心の師」ってその程度の軽い意味なのかね?(笑)
(^。^)そんな連中が仏教云々とか笑わせんなよ。(笑) -
↓承狂師匠が嫌いなもの?
ヒンドゥー(バラモン)
ヒンドゥー由来のヨーガ(yoga)
イエス・キリスト(Jesus)
イエス・キリスト(Jesus)の信者の方々
神秘的直観や思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて
神とむすびついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとする
神智学(theosophy)
これらのものを崇拝・信仰し前提としている人々
その他諸々
↑こんな感じ? おじゃる?
とりあえず
おじゃるはヒンドゥー(バラモン)も肯定で(興味がある) おじゃる -
>>59
ガンジー・ジーはヒンドゥ教徒で、尊敬してますよ。
仏教とヒンドゥは違うとか何処かで書いたからかな?
嫌いなんてとんでもありません。
鳥肌が立つほど嫌いなのはキリスト教、オウム、その他のカルト、
そして今日シンチガクが加わりました。(笑)
(^。^)まぁ、人としてで嫌ってるのはオウムとかのバカカルト信者共とオウムに賛同したゲス共ですね。
ビートたけしとか現ダライ・ラマなどもその関係で嫌ってます。(笑) -
何故?それ程までに
キリスト教が鳥肌が立つほど嫌いなのか?
その理由は、わからないけど
とりあえず
> オウムとかのバカカルト信者共とオウムに賛同した…ビートたけしとか
そうだったんでつか?
それは知りませんでした
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
(オウムと関係が無かったとしても
ビートたけしとか好きではなかったけども)
↓チベット系には興味があります おじゃる
http://rdor-sems.jp/...84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派
http://www.tibethous...dhism/37/index1.html
チベット ニンマ派 -
もはや
まことは
ネット認知症じゃ -
もはや
まことは
ネット認知症じゃ -
>>54
[スッタニパータ)
136 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為(業)によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
137 わたしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られた令名の高い人であった。
138 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。
139 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、情欲を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。(賤しい)生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。
140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行っているのが見られる。
141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。
142 生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。
この来世にも言及している141を見逃してはならない
いや、見逃してるというかあえて触れずに惚けてミスリードさせてるのはリンク先の小川一乗という真宗唯物派の僧侶なのだが -
ヒンドゥー(バラモン)
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める
スッタニパータ 141
…来世においては悪いところに生まれる…
おじゃるは(「仮設としての」という意味で)輪廻肯定だけど、とりあえず
輪廻否定の場合は
ブッダが
(1)「そもそも輪廻は存在しない、と考えた」という見解と
(2)「人は輪廻に留まるべきではない、と考えた」という見解があり
両方とも輪廻を否定しているものの、その意味内容は全く異なるとする
> 「業によって」 は、単純に、『行いによって』 だろ? ここに三世を持ち込むのは馬鹿だ
これは
「私は過去世に存在していた」と言うことは妥当ではない
過去世に存在していたものは
現世の私と同一ではないからである
という意味かしらん?
中論 第二十七章 見解(邪見)の考察 -
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
業(ごう)
…
仏教
業の異名と関連語
業は果報(報い、果熟)を生じる因となるので、業のことを業因や因業ともいう
業による報いを業果や業報という
業によって報いを受けることを業感といい、業による苦である報いを業苦という
過去世に造った業を宿業または前業といい…
ウィキペディアの場合は
「仮設としての」という意味で
過去世を前提とした対機説法になってるようで おじゃります -
>>64
w
136偈について言ってんの。
141は、【そこ(136)も含めて】全体的な話。
136で言われているのは、3秒後の事象についても言い得ることなの。
つまり、 【一瞬一瞬の】【行為の積み重ねについて】言ってるの。
まさか、『今生では』『行為によって』『在り様・評価・真の価値には影響がない』
それは、来世になって初めて反映される( ―行為によって○○となる― )のであって、
今生では関係ないとでも言いたいわけ?w ┐(´ー‘)┌
お粗末に過ぎるわ ( ゚?゚)、 -
ああ、そうか・・。
でも、前世の罪(行為)によって「今」(今生)があるのだから、
今生でどんな行為をしても関係ないのか・・・。
そうか。そうだよな。
前世の行為によって、今の自分の在り様や評価は決まっているのだから、
どれだけ行為を修正しても、【それが反映される(結果が出る)のは来世】でしかないわけだから。
なんか、今生で努力する気が無くなってきた・・・w
堪え忍ぶしかないか・・・・。 -
つか、
自分は、今生でどうにかなるとは思ってないし、マジであきらめてるけどw (´∀`)b -
一番お粗末なのは>>27にリンクされてる小川一乗氏の輪廻否定の論文(または著書の一部か?)です。
スッタニパータ第1章の賤民の経の一節(だけを切り抜いて輪廻業論の証拠として挙げる。
>そして、その「業」についても、
>「生まれによって卑しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって卑しい人ともなり、行為によってバラモンともなるのである?。
>と説き、実体論的な輪廻転生説に基づく業思想を否定している。
しかし同じ賤民の経には輪廻転生説に基づく業思想がブッダの説法としてあるのにそれには触れないでスルーしている。
それに触れると上記引用文が成り立たなくなってしまうからだと思われるが、賤民経を読んでない人はまんまと小川氏によってブッダは業思想を否定したんだと鵜呑みにするかもしれない。
これはある意味騙しの行為であり、小川一乗があのリンク先の論文?でやってることは姑息、それ故にお粗末なのです。
立派ではないのです。 -
中論 第二十七章 見解(邪見)の考察
仮設としての
この現世だけに限定したとしても、それでも
地水火風の微細な粒子に依存している
色受想行識の仮和合は
縁起に依存して、変化しているので、それゆえに
「私は過去に存在していた」と言うことは妥当ではない
過去に存在していたものは
今、現在の私と同一ではないからである
それゆえに
前世からの → 現世のものについても
今、現在の私と同一ではない
↑↓縁起に依存して、変化しているので、それゆえに
http://manikana.la.c...anon/canonindex.html
スッタニパータ
142
生まれによって、賤しい者となるのではない
生まれによって、バラモンとなるのではない
行いによって、賤しい者となり、行いによって、バラモンとなるのである
それゆえに
> 「業によって」 は、単純に、『行いによって』 だろ?
↑こんな感じ? おじゃる? -
>>58
>それだけで師匠気取りになる訳か。(笑)
ん? 一体、どこの誰が師匠気取りだって?
こちらはただ歴史的に実際にあった事実について紹介したまでのこと。
神智学運動による輝かしい人類進歩への貢献についてです。
まっ、あなたがたの開く教科書には出て来ないでしょうが...。
>マハトマと呼ばれるのを嫌がってたんだから、
それを世間では、「謙虚」っていうの。
だから、ガンジーという人は自ら尊大ぶるようなこともなく、
そして本当に、そういった崇拝対象者のような扱いはしないで欲しいという想いだったのでしょう。
だから、あなたのその主張はただ敬意の念から素直にマハトマと呼称して讃えたベサントにではなくて、
国家として称号を授与したネルー首相に対していいなさい。
また、仏教に関していえば、
ゴータマが本当に自ら尊大ぶるような人ではなかった。
そして、自身のことを崇拝対象物とはしないように忠告したとして、
だからといって仏教徒たちが、ゴータマを世尊、仏陀、如来、一切智者などとして誉め讃え、
礼拝対象とすることを止めることがありますか?
だから、この私は(崇拝尊称で呼ばれることを良しとしていなかった可能性を受け)、
普段はなるべく、あえてただ「ゴータマ」と名前(姓)で呼ぶようにしてるのです。 -
>(^。^)そんな連中が
“そんな連中”とは、どんな連中のことかは知りませんが...
神智学者は常に、人類全体の(意識の)進化と、
そして、戦争紛争テロの撲滅と世界平和のために自己奉仕することを自身の理想としています。
決して、山野に籠った自己修業とか南方仏教のような出家主義(この世の生存は苦でしかないという見方のみ)などではなく、
社会生活や人類の文明文化に対する進化の価値に最も重きを置いています。
その辺が、ダライラマ法王やパンチェン・ラマから“菩薩道の実践”と高く評価されているのだと思います。
神智学を授けた覚者方は、決して政治、経済、科学、文化、芸術...といった人類の文明生活を無価値とすることはなく、
寧ろ、その逆にそれらの人類進歩の背後には覚者方の意志が関与してきたことを教えます。
スローガン---「真理に勝る宗教はない」を掲げ
○神智学協会の三つの目的
第一、人種,信条,性別,階級,皮膚の色の相違にとらわれることなく,人類の普遍的同胞愛の中核となること。
第二、比較宗教,比較哲学,比較科学の研究を促進すること。
第三、未だ解明されない自然の法則を調査研究すること。そして、人間に潜在する能力を開発すること。
そんなアホな批判してる暇があるならば、
早いところ、私からの問い>>50の返答を下さい! -
>>60
>(^。^)まぁ、人としてで嫌ってるのはオウムとかのバカカルト信者共とオウムに賛同したゲス共ですね。
>ビートたけしとか現ダライ・ラマなどもその関係で嫌ってます。(笑)
当時は、
まだ、とても珍しかった原始仏教や古代ヨーガ(健康目的の体操ではなく)に対する真摯な姿勢の
本格的な実践研究のグループがこの日本から出現したということがとても注目され、
そして、そのことが高く評価されていたのであって、
その頃はまだ教祖の如何わしさや狂気の様子については知られていなかった。
そんな誰にでもできる、ただの“アホな結果論”で物事を語るでないわ!!
法王だって、
真面目な実践研究であれば私も応援しますよ!
ってこと--つまり良心--だったのしょう。
それを悪くいう無神経さは果たしてどうなのかなぁ?
だから、あなたは悪口をいう基準すらも持ち合わせてないというのです。
(ただ、ブッダのような読心術や予知能力には欠けるということですね...) -
>>73
>ゴータマが本当に自ら尊大ぶるような人ではなかった。
ブッダは物静かで謙虚な人物であったと言われますが、全く尊大なところがなかったというわけではありません。
以下、中部、聖求経より。
みずからは汚れるものであるけれども、汚れることに患いを知り、汚れることのない無上の安らぎであるニッバーナを求め、汚れることのない無常の安らぎであるニッバーナを得たのである。
そしてまた、わたしに知見が生まれた。『わたしの解脱は不動である。これが最後の生まれである。もはや再生することはない』と。
そこで、修行僧たちよ、わたしは世界の主であるブラフマー神に詩句で答えた。
[ブラフマー神よ、]耳ある者たちに不死の門は開かれた。
信頼を寄せなさい。
ブラフマー神よ、わたしは害意をもって、
洗練された、すぐれた真理を人々に説かなかったのである。
すると、修行僧たちよ、世界の主であるブラフマー神は、『わたしは世尊が教えを説く機会をつくった』と、わたしを礼拝し、右まわりの礼をして、そのまま姿を消した。
わたしは一切にうち勝った者であり、一切を知る者である。
一切のものごとに汚されていない。
一切を捨て、渇愛を消滅させて、解脱した。
みずから知ったのであるから、だれを師としようか。
わたしには師はいない。そのような者はわたしにはいない。
神々を含む世界で、わたしに比べられる者はいない。
わたしは世間で尊敬されるべき者であり、わたしは最上の師である。
わたしは唯一の正しく目覚めた者であり、清涼で、安らいでいる。
わたしは真理の輪を回すために、カーシーの町に行く。
闇となった世界で、不死の太鼓を打ち鳴らそう。 -
修行僧たちよ、如来を名前で呼んだり、<友よ>ということばで話しかけてはならない。
修行僧たちよ、如来は尊敬されるべき者であり、正しく目覚めた者である。
修行僧たちよ、耳を傾けなさい。不死が得られた。
わたしは説こう。わたしは教えを示そう。
教えられた通りに行なえば、ほどなくして、良家の子息たちがそのために正しく在家から家なき状態へと出家した、その目的である無上の清らかな修行の完成を、現世においてみずからよく知り、感得し、成就するであろう。
http://www.geocities...miru/shogu-sutta.htm
釈迦自らニッバーナを得て最終解脱をしたと言ってます。
釈迦自ら自分は神ブラフマーに請願され礼節を尽くされたと言ってます。
釈迦自ら自分は一切智者であり、神々を含む世界で自分に匹敵する者はいないと言ってます。
釈迦自ら五比丘に対して自分のことをこれからは名前や友ではなく如来と呼びなさいと言っています。 -
>>77
アホなことを言ってる人に、仏教などについて質問するのは止めましょう。(笑)
(^。^)バカみたいですよ。(笑)
>>78
そうした経典を詠んで、「釈尊は、ホントにブラフマー神と会話してたんだ!」とか、現代人なのに信じてる人ってどうなんだろうね?(笑)
当時のインド人の知能が高かった人らは、果たして神話をそのまま信じてたんだろうかね?
マハラジャのシクンとして教育された釈尊は、政治的な言動は一切しなかったのかね?
昔の人は現代人よりもあらゆる面で劣っている、などという、どこぞのオカルト倶楽部みたいな差別意識が有りませんか?(笑)
(^。^)釈尊は人をみて、その人に会わせて法を説かれたというが、この聴衆というのも曲者だよ。(笑) -
>>80
>そうした経典を詠んで、「釈尊は、ホントにブラフマー神と会話してたんだ!」とか、現代人なのに信じてる人ってどうなんだろうね?(笑)
聖書に書いてあることを信じている現代人は未だにたくさんいると思うけどね
>当時のインド人の知能が高かった人らは、果たして神話をそのまま信じてたんだろうかね?
六師外道の中には神話とか信じない思想家も数人いたね
>マハラジャのシクンとして教育された釈尊は、政治的な言動は一切しなかったのかね?
マハラジャのシクンって何のことかしらないけど、釈尊はマガダ国やコーサラ国の国王に政治的アドバイスをしたことはあるよね
リッチャビ族を攻めても征服することはできないと阿闍世に提言したり
>昔の人は現代人よりもあらゆる面で劣っている、などという、どこぞのオカルト倶楽部みたいな差別意識が有りませんか?(笑)
昔の神話を所詮未開な古代の神話だからって馬鹿にするような差別意識がある現代人はいるよね -
【京都】お坊さん「お金に執着することが煩悩であって、お金を何に使うかの問題だ」 僧侶の電力小売りに「大義」はあるか ・
https://asahi.5ch.ne...newsplus/1542879925/ -
>>78-79
ご紹介をありがとうございました。
その経文の内容については一応、この私も存じていますけれど、
ただ私見について述べると、これらの自己についてのもの凄いゴータマからの発言の数々というものは、
是認(良い--正しい--と認めること)とか “自認”というものなのだろうと、この私は理解します。
自認とは、「ある状態が事実であると自分自身でたしかに認めること」(辞書)であり、
つまり、そのことは事実を自ら確認した上でその事実についてを素直に述べたまでのことであって、
これ自体には“威張る”という意味合いはないのだということ。
尚、私は梵天が人格神として出現してゴータマと対話したという記述に関しては、
すべて後代の付加挿入による神格化だとみています(従って、梵天との対話を示す経文のすべてを信用しない)。
ですから、私にとっての問題はこの部分ですね。
“名前で読んだリ、<友よ>ということばで話しかけるな。名前や友ではなく如来と呼べ”
という指示についてですね。これだと、この私なんかは完全にアウトになってしまう...。グスン
もちろん軽々しく、名:シッダールタ(シッダッタ)で呼ぶようなことはしませんけれどもね...。
だから、仏教徒は一般的に「釈尊」(釈迦牟尼世尊)、とか「世尊」、
そして、「ブッダ」などと呼ぶことが殆どの通例となっているわけです。
確かに、
この私がブッダを目前にして、
果たして本当に「ゴータマ」などと呼べるのかというのと、それはとても無理なことです...。
もちろん普段から、“話し言葉”では使ってはいませんでしたが、今回、あなたからの有難い提示を受けて、
これより、「ブッダ」などの呼称を用いて、「ゴータマ」と表記することは止めにしたいと思います。
ありがとうございました。 -
尚、参考までに神智学系を通して提供された情報によれば、世界教師Maitreya(仏教でいう弥勒仏)からは、
「わたしは信奉者をつくるために来たのではない。あなた方がわたしを見るときが来てもこのわたしを崇拝してはならない。
それはあなた自身を低めることになるから。わたしはあなた方には同等であって欲しい...。
わたしはあなた方の友である。そして、わたしを教師として見る者はより的に近い、何故なら、わたしは教える者であるから...」
といわれました。
Maitreyaとは“幸いなる者”、“喜びと幸せをもたらす者”という意味です
(まっ、『聖求経』での「友」はその意図するものが違うとは思いますが...)。
参考:
『【弥勒】より…サンスクリットの---投稿規制にてカタカナ名略---Maitreyaの音訳とされているが,〈弥勒〉という名前そのものはクシャーナ
朝(1世紀半ば〜3世紀前半)の貨幣にあらわれる太陽神ミイロMiiroに由来すると思われる。クシャーナ朝下で用いられた言語でミイロはイランの
太陽神ミスラMithraに由来し,したがってベーダの契約神ミトラMitraと関連する。インド仏教徒はMiiroをMitraに還元し,mitraが友を意味し,
派生語maitreyaが〈友情ある〉を意味することから,弥勒を〈慈氏〉(Maitreyaの意訳語)ととらえたものと思われる。…』
(世界大百科事典)
『弥勒という名は、一般にサンスクリット語の---カタカナ名略---Maitreyaの訳語とされていますが、直接にはインドのクシャン朝の貨幣に現
れるミイロMiiroに由来すると思われます。Miiroの最後に気音□がついて、roh.が勒(ろく)で表されたと考えられます。ミイロはイランの太陽
神ミスラMithraの方言的発音です。ミスラはインド古来の神ミトラMitraと起源を同じくし、Mitra(友)の派生語maitreya(情けある)を通じ
て、「慈氏」菩薩へと転化します。』
http://y-uruwashi.gr.jp/old/bosatu.html -
無明に依存して
我癡・我見・我慢・我愛に依存して
『わたしは一切にうち勝った者であり、一切を知る者である!』
− これに対して −
無明に依存することのない
般若の智慧と慈悲によって観照された
仏性からの真如縁起によって
『わたしは一切にうち勝った者であり、一切を知る者である!』
↑釈迦はどっち? みたいな感じ?
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる
准胝観音
準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば、一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
天上及び人間、福を受くること仏の如く等し、この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん -
隠居が、一貫して 「釈迦」 「イエス」 と呼んでいたのが懐かしいなw >>83
-
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
(出エジプト記 20:7)
比丘たちよ、如来(わたし)を名をもって呼んではいけない。また「友」と呼んでもならない。わたしは供応・正等覚者である。
(『マジマ・ニカーヤ』26)
偉い人を名前で呼んではいけないのはキリスト教も仏教も同じ
イスラム教でも神(God)のアラブ語のアッラーでしか崇拝する神の名は呼んではいけないようです -
> 神、主の名を、みだりに唱えてはならない
ウィキペディア参照
出エジプト記や申命記などにみられるモーセの十戒のうち次に挙げるものについて
直接神の名を口にすることは畏れ多い禁忌である
との解釈が後代に成立したためではないかと考えられている
理由は
モーセの十戒に書いてあるから、かしらん? -
仏教(中観帰謬?)の場合は
スッタニパータ 872
名称と形態とに依って感官による接触が起る
諸々の所有欲は欲求を縁として起る
欲求がないときには、〈わがもの〉という我執も存在しない
形態が消滅したときには〈感官による接触〉ははたらかない
それゆえに
> 如来を名をもって呼んではいけない
という感じかもしれない
(如来とか、友などによる)
名称と形態に依って
掴もうとしている『想い』が、現れ、変化して、滅している -
訂正、お詫び
× 如来とか、友などによる
〇 ガウタマ・シッダールタとか、友などによる -
>>89
そうした話を聞いて成る程と思うのが聞恵で
思恵が、「仏教は道を示してる筈だから、これも修行者がこうすべき理由があるんだな、じゃあ何だろう?」とあれこれ考えて自分なりの答えを見つけること。
更に実践してて「なるほど」と腑に落ちるのが修恵な訳ですが、
俺なんかは、この思うことがとても重要で、一から十まで教わってマニュアル通りにやって「ああ、成る程」では意味がないと思ってる訳よ。
だから再三言われても分からないようにして考えて貰ってる訳。
で、七氏の「体験無しで悟るのは無い」という話に繋がるんだが、それに対して「いや、ありますね。」ってのはこの思うことが詰まる所己自身で、
念ということが求菩提心と等しいならば、即菩提だとされてるから、でもあったりなかったり。(笑)
(^。^)まぁ、何が言いたいかと言うと一切が縁起してるってのはマジだと言うことだ。(笑)
因みに、あまり考え過ぎるのも中道ではないので、自戒しながらの自然体でね。
なるようにしかならんのだし。(笑) -
承狂師匠の、ご教示は、いつも難しいけど
> 七氏の「体験無しで悟るのは無い」という話に繋がるんだが
> それに対して「いや、ありますね。」ってのはこの思うこと…
今回の、ご教示も難しいけど、とりあえず
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
体験無しで悟る − ありますね
ということでつね?
十七清浄句
男女交合の妙なる恍惚も = 清浄なる菩薩の境地である
煩悩も = 即菩提である
こんな感じ? おじゃる? -
(^。^)サァ、自分で考えよ〜♪(笑)
-
仏法で悟りを開くには思考による虚妄分別を捨てて莫妄想のための瞑想やら座禅やら(写経やら読経やら)することとなってるけど
僕は瞑想や座禅のような修行が嫌いだし思考することが好きなので仏法のセオリーを外して思索のみで悟りを開く独覚になってみせる
ということじゃないかね? -
密教的?
心霊スポット?
日本の天空の城ということで、とりあえず
https://tg.tripadvis...ce/castles_inthesky/
福井県 越前大野城
https://www.youtube..../watch?v=l936KnAnl88
岡山県 備中松山城
https://www.youtube..../watch?v=vZ5DeZEJO_E
岐阜県 郡上八幡城
https://www.youtube..../watch?v=0MgoRq_vnoc
兵庫県 竹田城跡
東京都 八王子城
金銭的に余裕があるときには逝ってみたい おじゃる
https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_2086/
幻想的な
上色見熊野座神社 -
>>18
ニコライ・レーリッヒに関する追記情報:
ノーベル平和賞にノミネートされたのは1929年と、そして、1935年には二度の推薦を受けた。芸術と文化の「国際赤十字」となることを目標
に掲げた『パックス・クルトゥーラ』を創設し、この文化保全活動を通じて、1935年のレーリヒ条約(ワシントン条約の一部)の調印に導いた。
1934年5月には息子ジョージと共に来日して講演会などを行った。
(公式サイト:ニコラス・レーリッヒ美術館/ニューヨーク)
https://translate.go...org/&prev=search
近年、明らかになった情報によれば、古都京都に原爆が落とされずに済んだ理由としては、京都は1000年間朝廷があり、日本が誇る古都の京
都に原爆を落とすと、戦後日本を占領するうえで日本人の協力が得にくく、そして、日本人は2度とアメリカ人の言うことを聞かなくなるからだ、
というものだったらしい。また、京都の空爆が数回の軽いもので終わっているのは、ここが最後まで原爆投下の最有力候補地として、その破壊的
効果の確認にためにあえて空爆を控えめにしていたのだという...。
尚、それまでは京都が原爆を受けず、空爆の被害も軽くて済んだのは京都の誇る歴史的文化財の保護の意味合いが大きかったことによるものだ
と一部の間では信じられてきた。生ける百科事典の荒俣 宏氏も著書で、これがレーリヒ協定の効果だったとして讃えている。結果的には、その
本当の理由は違ったけれども、日本人の精神を顕す古都京都は原爆対象地から外すよう幾人かの科学者から大統領に進言があったという話もある。
いずれにせよ、『平和のあるところには、文化がある。文化があるところには、平和がある』と唱えるレーリッヒの声は、これから更に価値を
増すだろう。それからレーリッヒの絵画はその色使いがとても素晴らしいということ。私、宝珠からの一押しです。 -
『「そして彼は、第1次大戦前に日本をも訪れている(9)。世界が大戦に見舞われたときも、リョーリフは〈シャンバラの使者〉として文化
十字協定を世界の国々に結ばせた。赤十字の活動に似て、世界の美しい都市や古い美術品に対して爆撃を加えてはならないことを約束させる運
動である。そしてリョーリフがかつて訪れた美しい都、奈良や京都が、今も変わらずに存在するのも、〈シャンバラ〉の遠い恩恵といえるのだ。』
(荒俣 宏編『世界神秘学事典』平河出版社)
それから、レーリッヒについて調べていてこの私も初めて分かったこととして、なんと彼はこの日本へ来日した際に駒沢大学にて仏教について
の講演をしているということ。レーリッヒ夫妻は二人とも仏教に精通していて、ヘレナ夫人(アグニヨガ協会創設者)は『仏教入門』という書籍も
出版している。レーリッヒ自身はチベット体験家の黄檗宗僧侶/河口慧海や宗教学界の巨匠/姉崎正治博士と数十年もの親交があり、また彼自身が
インドやチベット、中国に行っているので現地の仏教事情には詳しかった。この駒沢大での講演は600名もの聴衆だったという。
(駒澤大學佛?ヘ學部硏究紀要第71號 平成25年3月(1)
金沢 篤(著)レーリヒと河口慧海 -─レーリヒ父子来日の事情を探る─-)
http://repo.komazawa...-kanazawaatsushi.pdf -
>>70
だからw
心を入れ替えて、善行に勤しんだとしても、
今生では報われないってことでしょ?w 「特に、そのマータンガさんについては」!
その意味で、大燈遺誡・中峰座右の銘は深いわけさ。
つか、なんで、それ以前の 116〜135 を無視してるの?
勿論、成立史の視点からいけば、Snであっても、(各時代の)寄せ集めを否定できないわけで、
貴方が抽す 136〜142が、
≪独立して、三世にまたがった業の結実 の例として≫述べられている(編纂されている)とでもいうならば、
話は別だがwww
貴方こそ、中村訳でも水野訳でも正田訳でもどれでもいいですが、
116〜142を、百万遍通読したら如何ですか? ( ゚?゚)、 -
>>67
>まさか、『今生では』『行為によって』『在り様・評価・真の価値には影響がない』
>それは、来世になって初めて反映される( ―行為によって○○となる― )のであって、
>今生では関係ないとでも言いたいわけ?w ┐(´ー‘)┌
改めてスッタニパータ賤民経より
137. 犬を殺して生計を立てねばならないマータンガという人は、身分階級の低い生まれではあったが、世に知られる徳の高貴な人物であった。
138. 彼、マータンガは実に得がたい最高の名誉を得た。身分階級の高い武士や王族、バラモンたちが彼のもとに来て、奉仕した。
139. マータンガは神々の歩む、清らかな大道を登って、欲情を捨て去り、理想の境地である梵天界へと赴いた。身分階級の低い生まれなどは、彼が梵天界へと赴くための、妨げとなることはなかった。
マータンガは賎民階級の出自であったけど、徳が高く今生においては最高の名誉を得て武士や王族(クシャトリヤ)のみならずカースト最上位のバラモンにまで奉仕されるほど尊敬されていた。
来世においては理想の境地である梵天界に赴いた。
つまり行為=業(梵語だとカルマ、パーリ語だとカルマ)は今生にも来世にも影響を及ぼすことがこの賎民経では説かれています。
それを今生の影響のみに限定して「ブッダは実体論的な輪廻転生説に基づく業思想を否定している」とした小川一乗氏はお粗末過ぎるというわけです。
なお、行為(業)の善悪とその果報としての転生先への反映には時間差があることが中部・大業分別経で説かれており、誰もが善業を積めば死後梵天界へ赴けるわけではないともブッダは説いています。
https://mixi.jp/view...83880&id=5075472
日本ではそのことを道元が三時業として正法眼蔵で説いているのはあなたもよく知るところでしょう。
https://seesaawiki.j...d/%BB%B0%BB%FE%B6%C8 -
116〜135は、
まさに、「評価の問題」を端的に表している。
たとえば、【】という呼称があったとする。(いや、実際にもあるけど)
その立場にあるA氏の行為が、「その立場に相応しくない」ものであった場合、
A氏は、
「世間的な、関係性に於ける、実務上の」立場は【】だけれども、
(実際の社会的慣習においては別としても)「(仏法に於ける)評価としては」 〔〕だ
という言辞は成立する。
同様に、世間的には、低く、卑しく、社会の荷物・悪と見做される立場にあるBさんの行為が、
道徳に、人心に、社会の実益に、仏法に、益し、叶うならば、
(実際の社会的慣習においては別としても)「(仏法に於ける)評価としては」 〔〕だ
という言辞は成立する。
これが、
少なくとも、文言を追いかけてすぐに見えてくる、116〜135の文意。
≪この116〜135もまた『三世に跨った来世のことについて述べられているもの』≫
とするならば、それなりの傍証が欲しいもんだ。
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