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【インド】インパール作戦75年で慰霊式:戦闘参加の95歳元インド兵「餓死の日本兵は気の毒」[06/22]
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・餓死の日本兵「気の毒」=戦闘参加の95歳元インド兵―インパール作戦
【インパール時事】インパール作戦での日本軍の撤退から75年が経過し、当時を知る地元住民は少なくなった。英領インド兵として攻防戦に参加したニングラム・タングクルさん(95)は「ただ怖くて夢中で銃を撃った。日本兵の多くは餓死したと聞き、とても気の毒に思っている」と語り、平和の大切さを強調した。
タングクルさんはインパール地方でも「かなり田舎」の村出身。当時は地元を離れる手段が少なく、「軍に入れば新しい世界に行けると無邪気な気持ち」で1943年にライフル部隊に志願した。
翌44年にインパール作戦が始まると、森に掘った塹壕(ざんごう)から日本兵と銃撃戦を展開した。「銃弾が飛び交う中、死にたくなくて銃を撃ち続けた。銃撃音も何も覚えていない」
幸い、自分の周囲では戦死者は出なかったが「英国と日本、外から来た人たち同士の戦い」に巻き込まれたと感じている。「今は軍に入らなくてもどこへでも行ける時代。もう戦いはたくさんだ」と言葉を絞り出した。[時事通信社]
インパール作戦75年で慰霊式=遺品展示の資料館も開館―インド
【インパール(インド)時事】第2次大戦の激戦地だったインド北東部マニプール州インパールで22日、攻略作戦に臨んだ日本軍の撤退から75年を迎え、戦没者の慰霊式典が実施された。同日は、日本軍兵士の遺品や地元住民の被害状況を展示した平和資料館も開館。戦闘に関わった日英印各国から約250人が追悼のため同地を訪れた。
式典では、平松賢司・駐インド大使らがインパールの激戦地レッドヒルなどの慰霊碑に献花。同大使は記者会見で「資料館は、日英印が困難な時代を越え、大変建設的で友好的な関係を築いてきた和解のシンボルだ」と述べ、今後も3カ国の関係を強化すると強調した。
式典には、作戦から生還した日本兵の故土谷伝吉さんの長男仁志さん(65)=静岡市清水区=も参列。「父や戦友は命令されるままにここまで来て、ふるさとの妻や子供のために戦った。インドの人々も巻き込まれた。今の平和がその犠牲の上にあることを忘れてはいけない」と力を込めて語った。
レッドヒルには、日印両国が協力し「インパール平和資料館」が開館。作戦に参加した日本兵の遺族から衣服や水筒など約50点が寄贈された。仁志さんも父が描いた戦場の悲惨さを伝える絵などを寄贈した。また、戦闘に巻き込まれて死亡したことが判明した地元住民237人の氏名などを記した木札が壁に埋め込まれている。
資料館の運営委員で、インパールで遺品の収集などに当たってきた「第2次世界大戦インパール作戦財団」のユムナム・ラジェシュワル代表(42)は、「勝利した軍人を顕彰するのではなく、(一般兵士を含めた)市民の被害に焦点を当てたかった。沖縄県平和祈念資料館などを訪れ、展示を参考にした」と語った。[時事通信社]
関連:From Japan, a museum of peace built on memories of WWII
https://www.thehindu.../article28111577.ece
(スクリーンショット)
https://i.imgur.com/2uXXrMa.jpg
2019-06-22 14:43 JIJI.COM
http://sp.m.jiji.com...enre/intl/id/2224083
2019-06-22 20:54 JIJI.COM
http://sp.m.jiji.com...enre/intl/id/2224082 - コメントを投稿する
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牟田口のご遺族コメントマダー!
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ミッドウェー海戦で生き残った日本海軍将兵は口封じに
全て南方任務、日本には帰さなかった -
そもそも日本はなんであんな遠いところに戦争しに行ったんだ?
合理的な理由がなにもないじゃないか -
牟田口は日本人は草食民族だからジャングルで飢えるはずがないと言ったとか;
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日本人は支配者に対して従順すぎた
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今、思えば人をジャングルに捨てに行ったわけだw
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ムッチーは八方ふさがりの日本の活路を見出そうと
シチュー煮カツを求めただけやで。
そして彼には、主人公補正パワーが無かっただけやで。 -
にしても、戦線拡大しすぎたな。
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我が親愛なる諸君。
諸君らの働きには感激しておる。
諸君らの鬼神たる精神が東亜の光となり、大東亜建設の先駆けとなるのである。
弾がなければ剣がある。食べ物とて敵から奪えばよい。
意思は人をして人たらしむ所以のものなり。
諸君が若し真に自らの意思を鍛錬すればこそ、真に世を益し國を救ふことが出来るのである。
吉田松陰は「吾、もと國の為に生る。國の為に死する。豊避けんや」と覚悟し、平野國臣は、数ならぬ身にはあれど、希くは錦の御旗のもとに死なむ。」と叫んだ。
此等の偉人たちは、國歩困難の中に在って逆境と戦ひつつ自らの魂を鍛錬した結果、到達し得た悟りの境涯である。
諸君らの働きについては、このわしが必ず天に奏上する。
安心して行くがよい。 -
牟田口仁義スカン作戦
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牟田口「餓死した奴は精神力が足らなかっただけ」
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今でさえアホな政治家官僚いるのに
それが戦時じゃ目も当てられん -
シロンボは歴史捏造やるが、インパール作戦はインド独立の元だからな。
それどころかWW2自体がアジア独立戦争。WW2はアジア独立と民族差別
撤廃が目的の戦争。残念ながらこれをやらんと時代は前に進まなかった。
やらなかったら欧米植民地支配は続いていたであろう。 -
ロジスティックスを軽視しては勝てんw
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>>17
牟田口「ロジス…え?」 -
日本の陸自の新兵25km行進もレンジャー訓練も
「え?ロジス?」
っていう兵站完全無視の訓練
輸送部隊の「ゆ」の字もない訓練ばっかしてる
なに考えてるか分からんが
「輸送部隊」という単語は日本にはない。
レンジャーは「ヘビを食え」だとさw
アホかと。そうならないように輸送部隊を調整するとか全然ないんだわ。 -
>>5
中国への支援ルートの遮断。
一応の名目はインドのイギリスからの解放なんだけど、インドの独立運動の中心にいた人達は約1名を除いて誰も日本の目的がそうだとは思っていない。
もちろんインドの現地人もイギリスもね。
陸軍にとって、東南アジアは主戦場ではなく、必要があって進出した先。
だから、本格的にインドへ行く理由はなかった。
でも、海岸線を日本に抑えられた中国軍は海外からの支援物資に頼るしかなかったが、その輸送ルートが難しく、
当時の主要ルートは
インド→ミャンマー→中国南部→中国の主要戦線
だから、インド→ミャンマー間とミャンマー→中国南部間の遮断がミャンマー駐留軍の最大の問題だった。
で、その軍がインドから出撃したと思われるイギリス軍のゲリラ攻撃で相当な被害を受けた。
インドからイギリス軍が攻撃できるなら、インドに日本軍がいけないこともないだろうと攻撃したのが、インパール作戦。
インドからのイギリス軍は空軍から組織的かつ大規模な支援を得ていたが、兵站を馬鹿にしていた日本軍にはそんな能力はなかった。 -
>>19
レンジャーと通常部隊は任務が違う。レンジャーは隠密作戦が多いから支援なしでの行動を想定する訓練もある -
>>11
そもそも陸軍のあらゆる司令部が牟田口を止める理由にしていたのが、こんなに大きな作戦はできないだから、作戦が実行されるとなったら大きな作戦を実行するしかなかった。 -
シナ戦線と南洋戦線の2つを同時にやったのが間違い。
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>>9
捨てる意味がない。
ミャンマーの軍は中国南部の中国軍に対する備えと、それに対する海外の支援の遮断が目的。
インパール作戦で兵力を失ったミャンマー駐留軍はその後海外からの支援で強化された中国軍に蹂躙されていく。 -
>>28
シナの権益にこだわった陸軍の判断ミス。シナの権益の半分を米英との取引材料にして南洋戦線に展開するべきだった -
>>23
シールズでも、まず敵地の現地住人との連携を図るわ
完全に住民無視して作戦行動とかアホかよ
速攻でスパイに居場所を「毎秒通報されて」ミサイル撃たれて終わり
隠密行動もクソもない
陸自レンジャーのやってることは無意味 -
>>19
そもそもレンジャー部隊である、ウィンゲート率いるチンディットは航空機による支援を前提とした行動を取っていた。
物資が無ければいかに勇猛を謳われた部隊でもその実力を発揮できないのは、マーケットガーデン作戦でイギリス空挺部隊が実証している。 -
陸自レンジャーの訓練は「インパール作戦そのもの」だろ
制空権無視、現地住人無視、兵站無視、「単独侵入して無双できる」と信じて妄想オナニーしてる
いまだに陸自は牟田口崇拝してるのかな -
>>36
そもそも中国に日本軍が介入しなければ、奉天軍閥が天下を取った可能性が高い。
奉天軍閥の張作霖、張学良達は日本に対してとても好意的だったので、自然と利権は日本が握ることができた。
10年待てば手に入るものを無理矢理取ろうとしてこのザマということだよね。 -
>>5
援蒋ルート(英米による中国軍への援助物資運搬ルート)の遮断
インド領に攻め込むことでインドの独立運動を活発化させてイギリス軍を牽制
一番大きい理由はインド自由軍を率いてたチャンドラボースが東条にインド進軍を懇願したから
最初は大本営も無理な作戦で許可しなかったが東条にからOKが出てインパール作戦実行が決まった -
>>27
インド人に謝れ。
チャンドラボースは今でも国の英雄だぞ。
売国奴とは酷いな。
ガンジーは寝返った。
戦争の行方が見えたんだろ。
ミッドウェー以降、日本に批判的に成ったが真珠湾からミッドウェーまでは日本をあてにしてただろ。 -
インパールの惨状を聞くたびに
靖国を訪れるクソ政治家どもに憎悪の念が湧いてくる
マジでコイツラに石を投げたくなる -
山本五十六が真珠湾テロさえしなければ、
朝鮮半島、台湾、南沙諸島、グアム、サイパンもろもろ全部日本領土だったのに -
一番戦争を煽ってたのはキチガイ朝日新聞
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インパール作戦自体は無茶苦茶な作戦で戦術的には完全に失敗で終わったが結果だけを見ると全く無駄と言うわけではなかった
インドに攻め込んだインド自由軍の将兵を戦後イギリスが反逆罪で処罰しようとしたためこれがインド国民が反発しこれがきっかけでインド独立運動が活発化してインド独立に繋がって行った
あくまで結果論だが -
>>35
そんなに自衛隊の能力が不安なら「サマーワでの自衛隊へのデモ」でぐぐってみろ。安心しろ -
なんかねえ
長州藩が元凶な気がする
自分のことになると大騒ぎするのに -
牟田口って誰?
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>>41
??? -
森鴎外の功績
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天皇家はインパール作戦について何てコメントしてるんだっけ
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>>27
「インドの仕置人」という映画があってな。 -
>>16
きみはおそろしくばかだなあ -
>戸部良一は『失敗の本質』において、インパール作戦でずさんな計画が実行された原因について、牟田口軍司令官や河辺方面軍司令官の個人的性格も関連しているが、
より重要なのは「人情」という名の人間関係・組織内融和が優先されて組織の合理性が削がれた点にあると主張している戸部良一は『失敗の本質』において、
インパール作戦でずさんな計画が実行された原因について、牟田口軍司令官や河辺方面軍司令官の個人的性格も関連しているが、より重要なのは
「人情」という名の人間関係・組織内融和が優先されて組織の合理性が削がれた点にあると主張している
和を以て貴しとなし、兵隊を飢え死にさせるアホという評価ですね。合理性の欠如は山本七平も指摘してるが。 -
600メートルの川幅と2000メートル級の山を越えて
インパールまで辿り着けると思うのがキチガイ。
沢山の兵隊を犬死させやがって。
責任者、出て来いw!
https://www.youtube..../watch?v=5z9mEsz4Le0 -
日独伊同盟でドイツ軍とインドで落ち合うつもりだったんだろう(^^)‼
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皇軍兵士、陛下の赤子を
餓死させる作戦を立てるバカが何処におるのか
米内光政 -
>>58
富永恭次やった -
>>1
1998/01/20 元インド国民軍ヤダバ大尉
「我々インド国民兵はインド解放の為に共に戦った戦友としてインパールコヒマの戦場に散華した帝国陸軍将兵に対して最も深甚なる敬意を表する。
インド国民は大義の為に命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を忘れない」
〜1945/11/05 英がインパール戦参加インド国民軍3将兵に反逆罪判決、インド国民は反発一斉蜂起
〜1947/08/15 インド独立 -
「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」
このセリフを吐くクズ -
というか最悪はむしろ山本五十六の方だと思う。
まず、真珠湾攻撃を仕掛けて米国を徹底的に怒らせた。
原爆投下も真珠湾の報復だとも考えられる。
さらに、ミッドウェー海戦では事前に行われた机上演習では負けと出たのに、
作戦を強行して予行演習通りに負けて、航空母艦を大量喪失した。
結果論的には山本のやったことは全部、裏目にでてる。 -
道端には木の実がたわわになっていて、家畜も多数連れて行くから余裕^^v
・・・とかいう世紀の大詐欺♯
日本の上級は昔からこうだ -
お前ら山本五十六のwikipedia調べろよ
>山本は日独伊三国同盟の締結に対し、米内光政、井上成美らと共に最後まで反対した[124]。
(中略)山本達の反対理由は主に、
英米との関係が悪化して支那事変解決が難しくなる。
日ソ開戦の場合ドイツは距離が遠すぎて援助・支援が期待できない。
>日本は日独伊三国同盟に調印した[157]。山本はこれを受け、友人の原田熊雄に
「全く狂気の沙汰。事態がこうなった以上全力を尽くすつもりだが、おそらく私は旗艦「長門」の上で戦死する。
そのころまでには東京は何度も破壊され最悪の状態が来る」と語った
>近衛に日米戦争の場合の見込み問われた山本は「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。
然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい 」と発言している
>井上成美は戦後この時の山本の発言について「優柔不断な近衛さんに、海軍は取りあえず1年だけでも戦えると間違った判断をさせてしまった。
はっきりと、『海軍は(戦争を)やれません。戦えば必ず負けます』と言った方が、戦争を回避出来たかも知れない」と述べている
↑山本は最初から負け戦だと思ってた。しかし対米戦争をやると決まったから最善を尽くしただけ。
分かったかアホども。 -
>最善を尽くしただけ。
柱島艦隊の乗組員にも勲章もらえるようにせにゃいけんから
戦艦部隊も機動部隊のはるか後方に追尾して出撃させるで。
こうやで。 -
貴様ら精神論だけで大東亜戦争完遂できるのか
畑 俊六 -
山本じゃ無く
山口だよな(連合艦隊トップは)
日露の時は東郷を抜擢
したが
米国戦の前に抜擢すべきだった
米国は平時は年功序列だが有事には能力者を抜擢できた
それでニミッツ
日本は太平洋戦争では抜擢人事が出来ない体制になってた -
以前のスレでインパール作戦の地理感を極めて分かりやすく解説したレスがあったので貼るワ
> 地理的条件を日本に置き換えて見ると
> 最終目的地のインパールは岐阜、コヒマは金沢とする
>
> 第31師団は軽井沢付近から、浅間山(2542m)、
> 長野、鹿島槍岳(2890m)、高山を経て金沢へ
> 第15師団は甲府付近から日本アルプスの槍ケ岳3180m・駒ヶ岳2966m)を通って岐阜へ
> 第33師団は小田原付近から前進
>
> 兵士は30kg - 60kgの荷物を背負って徒歩で日本アルプスを越え、
> 途中山頂で戦闘を交えながら岐阜に向かう
>
> 後方の兵站基地は宇都宮
> 作戦を指導する軍司令部の位置は仙台に相当する -
そうまでしていたという事は、やはり、戦争に大義があったということだろうな。
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司令官は早々と日本に帰り言い訳や
連隊長を非難。
神楽坂で芸者を上げて宴会。
兵はウジ虫にまみれ、戦わずして餓死。
特攻精神ばかりでは勝てない。 -
巻き込まれたインド人は気の毒だが日本兵も気の毒
1964年の東京オリンピックの女子バレーで優勝した大松博文監督はインパール作戦に参加させられたそうで
悲惨だったと著書に書いてたのを読んだ事がある
行軍中、雨の中を1人が倒れると後からまたその場所に力尽きた兵士が倒れ、人間が小山のように折り重なってぶよぶよと膨らみ‥と描写していた
1人で死ぬのは寂しいからだろうか、と -
>>70
東郷は当時すでに退役してもおかしく年齢だったろ
抜擢ではないぞ?何人かの候補の1人だっただけ
東郷だって結果論
司令長官になった当初はいまだに薩摩閥人事をやっていると下からは不評もあったとかなんかの本で読んだ
山口多聞?年齢的に無理無理
他の将官がついていかない -
餓死は無いわな。そして餓死させる為に輸送を叩いたのはアメリカ軍。
まあ、戦争の常識。 -
脚気で死んだ日本兵かわいそう
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