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最低で虚無な人生を語る(34才男)
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最低最悪で虚無な人生を現在進行形で送っている人間の人生を語っていこうと思う。
スレが立ったら語る。詳しく語っていくつもり。
叱咤激励罵倒なんでも欲しい。
スペック
年齢:34
性別:男
身長:177cm
体重:70kg
居住地:東京都
その他スペック:生活保護受給中、パートで働いていたがパワハラと精神疾患の悪化(うつ、ADHD)により休職中 - コメントを投稿する
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自宅Wi-Fiから書き込めなかったからキャリア回線から立ててWi-Fiに繋ぎなおした。
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◯生い立ち
九州の田舎の漁師とスナック嬢の子どもとして産まれる。
https://imepic.jp/20250130/706390
0歳で両親離婚。その瞬間父方の親戚も全滅。
34歳になった今でも父の面影は知らない。
母と祖母と>>1の3人暮らしで育った。
当時築40年くらいのボロアパートに母の部屋、祖母と>>1の部屋の二部屋を借りて住んでいた。
ボットン便所だった。
母は母よりも女を取るような人間で男作って遊ぶから主な療育者は祖母だった。 -
もちろん、現代で言うネグレクトなので両親との記憶は全くない。
厳密に言うと唯一、一つだけあるのだがとてもショッキングな事件だった。
5歳の頃玄関のガラスを蹴り割って祖母と>>1の部屋に入ってきたんだ。片手には包丁。
祖母が大声で助けを求めて同じアパートの人が助けてくれて助かった。
誰も助けてくれなかったら祖母も>>1も死んでいたと思う。
まだ頭に残っている一言がある。
「ゆうちゃん、一緒に死のうか」だった。
その後母は到着した警察に連れて行かれ措置入院、病名は統合失調症だった。
5歳から15歳まで病状が重く、一度も面会できなかった。>>1が34歳になっても今も入院していて、本人は死亡退院を希望しているんだ
母親は死ぬまで精神科病院の閉鎖病棟にいるということ。
つまり、この事件以外15歳まで何の記憶も愛情も受けず暮らしてきた。
正直、ずっと「何でおれは産まれたんだろう…」って多感な時期から今もずっと思ってる。
今でさえアイデンティティに重い影響を及ぼしていると思う。 -
祖母も曲者で、おそらく何らかのパーソナリティ障害を抱えていて、祖母の親戚(親や姉兄妹など)の恨み言を小さい時から聞かされてきた。
一回2〜3時間だったかな。
>>1は会ったこともないし、死んだ人もいるわけだから関係ない話しで、酷く精神を消耗したよ。
ちなみに祖母と祖父がいるのだが、祖父はアル中DV野郎で自分が産まれるずっと前から別居していた。
だからさ、普通の人みたいに夏休みにおじいちゃんの家に遊びに行くとか、そんなんは全くなかった。 -
>>1は酷く内向的な性格で、保育園の時もサッカーとか、「仲間に入れて」とか「一緒に遊ぼ」とか言えない性格だった。
今もだけどね。
たまにHUB(飲み屋のアイリッシュパブ)に仕事帰り一杯引っ掛けると絡まれて凄く気を使ってしまう。
そして極度の寂しがり屋。
環境が環境だから仕方ないか
普通の人が当たり前に享受してきたものを一切与えられなかったから。
普通が何かは哲学的な問題になるから聞かないで欲しい。
多分、自分が考えてるのは羨ましかった絵空事のことなんだと思う。
そして人には人の地獄があることももちろん知っているよ。 -
そんなこんなで小学校に上がって、多動が酷かったらしい。
授業中じっとしてられない、立ち回るとか。
今は多動は全くないけど、不注意だけ残った。
アニメで言うとのび太。ドラえもんがいない深刻なのび太。 -
ちょっと色々思い出したら涙が出てきたから休憩させてくれ。
多感な時期から産まれてきた意味も生きる意味も存在意義もわからずずっと悩んで暮らしてきたから。
できれば早く人生終わりにしたい。 -
ちょっと色々思い出したら涙が出てきたから休憩させてくれ。
多感な時期から産まれてきた意味も生きる意味も存在意義もわからずずっと悩んで暮らしてきたから。
できれば早く人生終わりにしたい。 -
小学生の頃の記憶はあまりない。
今みたいにスマホもなかったから毎日外を駆け回って駄菓子屋で遊んでた記憶がある。
小学生ではサッカー部に入った。理由はサッカー部の子がモテてたから。
>>1は中学1年生になるまで149cmしかなかったからフィジカルで吹っ飛ばされていたね。
小学四年生の時に児童相談所に送致された。
小学校低学年の頃の多動と親もおらず祖母と二人暮らしのボロアパート住みだったから家庭環境を考慮してのことだったと思う。
児童相談所では小学校1年生とかの問題解かされたりして暇だった。
本当は行政的には児童養護施設に送致が相当との判断を受けたんだけど祖母が引き取ってくれた。
心理判定でADHDと診断を受けたのもその時。
古典的ADHDで今みたいに発達障害が広まっていなかった頃。その時10歳。
どれだけ人生ハードモードなんだろうか -
小学生の頃の記憶はあまりない。
今みたいにスマホもなかったから毎日外を駆け回って駄菓子屋で遊んでた記憶がある。
小学生ではサッカー部に入った。理由はサッカー部の子がモテてたから。
>>1は中学1年生になるまで149cmしかなかったからフィジカルで吹っ飛ばされていたね。
小学四年生の時に児童相談所に送致された。
小学校低学年の頃の多動と親もおらず祖母と二人暮らしのボロアパート住みだったから家庭環境を考慮してのことだったと思う。
児童相談所では小学校1年生とかの問題解かされたりして暇だった。
本当は行政的には児童養護施設に送致が相当との判断を受けたんだけど祖母が引き取ってくれた。
心理判定でADHDと診断を受けたのもその時。
古典的ADHDで今みたいに発達障害が広まっていなかった頃。その時10歳。
どれだけ人生ハードモードなんだろうか -
ちょっと今日は寝るね。書き起こすのに思い出していたら辛くなってしまったよ。
また明日書くね
休職中って何すればいいかわかんないな。 -
てすと
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や
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就職しないんか
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続き
10歳くらいからはあまり記憶がない。
祖母の呪いはずっと続いてた。
10歳のころに、てんかん発作を一回起こしてデパケンRかテグレトールをずっと飲んでた記憶があります
小児科で15歳まで定期的に脳波の検査をして、発作自体は最初の一回だけだったけど、副作用でずっと眠かったなあ。
プール禁止。でも今は完治して普通自動車免許も持っているし、普通に運転できるよ。
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