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日本史
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「日本」は「百済」の宗主国
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<論拠?>
皇室が日本縄文D1a2aと言われている。
一方の、百済跡地にO1b2はいるのにD1a2aはいない。
<論拠?>
扶余勇本人あるいは兄弟である、元百済王族の百済王善光さんが「諸臣のしかも三位どまり」なのだから、
元百済王族が
皇族(あるいは大王家)の可能性ゼロ
旧唐書に書いてあるのは、扶余勇は走在倭国、ということだけ
扶余勇が天皇(あるいは大王)で無かった根拠は示されている
対してデマスレ主は、
扶余勇が天皇になった根拠を何も示すことはできない。
これで決着ついてます。 - コメントを投稿する
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2022年、オーストリアのウィーン大学で行われた研究"Northeastern Asian and Jomon
-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea
(『韓国金海の三王国時代における東北アジアと縄文人に関連する遺伝子解析』)"
(韓国ゲノミクスセンター、蔚山国立化学技術研究所協力)では、
朝鮮半島南部金海市に位置する4世紀 金官伽耶時代、大成洞(テソンドン)古墳から出土した被葬者の人骨を検査したところ、
伽耶王と思われる陵の墓主が縄文系のY染色体ハプログループとされるD-M116.1(D1a2a1)に属し、
家臣とみられる殉葬者が弥生系ハプログループO-PH40(O1b2a1a2a1b1)に属すことが判明した。 -
百済と日本は無関係
倭国が百済の宗主国だったが倭国が滅亡した -
伊邪那岐命→メチャ古い
大国主命→国津神
饒速日命→邇邇芸命と別系統
これだけ各方面のお偉方が日本についてコメントを残しているのだから、
日本というのは紀元前の最初期から成立していた国なのである -
>>55 まだそんなトンチンカンな事言ってるのか?
韓国釜山加徳島の獐項遺跡(約6,300年前)から出土した「獐項8号人骨(Changhang 8)」
のY染色体はハプログループD1a2a1(D-M116.1, CTS10441)である。
獐項遺跡からは日本産翡翠の装身具をはじめ、48体の人骨が出土した。
その中で科学分析が可能であったのは17体で、1体からはヨーロッパ系の母系とも共通する
ミトコンドリアDNAのハプログループHが検出された。 -
だからそれ半島南部の任那に繋がる支配者でしょ
百済王家がD1a2だったにしては、D系統が半島にいた痕跡なし -
百済王家はO1b2(47ZかL682)さて何方だろうな。
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C2でしょ
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鮮卑の下位部族だし。
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「百済王の扶余氏は、中国呉の夫概から出た扶余氏」と云われてるから案外O1b2かもよ。
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金海金の首露王は(D1a2)と結果でてるからC2金海金氏は偽物と結果が出てる。
まあ子孫たちの伝承は日本でもそうだけど何処までが真実かは別。
百済王族の本当のDNAは日本の子孫じゃないと分からんだろな。
平安時代には結構有力豪族になってるから居るんだろうけど、鎌倉時代にも有名な武士がいたはず。 -
百済王さんの子孫は日本にもおるけどツングースだよ
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高句麗と同じだってえけどやはりな😃って結果で終わり
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目新しい発見とかもなし
これまで言われてきた通りの結果 -
C2は日本に少なすぎるし半島にもそんなにいないからO2だな
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半島の宗主国漢王朝→漢魏晋南朝 〜589年滅亡
第二の漢王朝(胡漢融合国)→北朝隋唐五代宋 〜1279年滅亡
第三の漢王朝(倭漢融合国)→日本 現役
日本の属国朝鮮半島age -
天皇、物部などがD
諏訪(?なぜか)、百済王、高麗がC2 -
意外なのは皇族と言われた毛野がO1だったくらいか
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崇神天皇の系統はDを示しておらんねえ
継体天皇からかな? -
ヤマトは天地創造時から日本列島を作った神の土着子孫だからな。
余所者のユーラシア大陸や半島とは違う。 -
半島のC2は李氏朝鮮の影響だろ、始祖李成桂は満州人と云われてるからな
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C2の嫌われっぷりワロスwババ抜きみたいww
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半島でメインのO2はいつ入ってきたの?
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朝鮮族のO2-40%、O1b2-33.3%、C2-10%
遼西から半島北部には殷人箕子→春秋燕人→秦人→漢人→とこれらの難民、移民、
一番大きいのは、313年高句麗に滅ぼされた楽浪郡、帯方郡からの避難民の南下だろな。 -
それらの避難民が大阪平野に集まって来て勢力拡大したのが応神朝だろな
母親はあの神功皇后で祖先は新羅王族のアメノヒボコと言ってる。 -
O-M122系統(O2)は現在の日本人Y染色体の中では、"D-CTS8093やO-CTS11986の様な父系の有力なクラスターを持たず"、遺伝的に見れば"雑多な寄せ集め"であるため、散発的に日本列島に渡来したと考えられる。
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日本が百済を作ったの間違い
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金沢大学「本州の日本人の遺伝情報の約70パーセントが、東アジア祖先(黄河)」
理化学研究所「日本人の遺伝子は縄文系、東北系(北東アジア)関西系(東アジア黄河)に分かれる」
理化学研究所では、3256人という大人数の遺伝情報を分析するという大掛かりな作業がなされた。そして3000人余りの現代人の遺伝情報のなか近くの25パーセント近くが、"古代の黄河流域の中国人遺伝子の遺伝情報と共通のものである点"が明らかになった。
金沢大学の覚張氏は古墳人の60パーセント余りが「東アジア祖先」としたが、理化学研究所の詳細な研究に従えば、古墳人の25パーセント程度が「東アジア祖先」であったことになる。 -
https://i.imgur.com/S0Oi1YE.jpeg
https://i.imgur.com/tkjWtdc.png
東北人 10% 関西系
中関人 20% 関西系
九州人 30% 関西系
関西人 40% 関西系
「東北系祖先」の日本人は、東北地方に最も多い。東北地方の現代人の60数パーセントが、「東北系日本人」の子孫である。そして、中部以東では、「東北系祖先」の者が50パーセント以上を占めている。 -
東アジアの六集団(本土日本人、アイヌ人、沖縄人、韓国人、北方中国人、南方中国人)がすべて三つの集団の混血からなると仮定してゲノムを分析すると、第一段階の集団の遺伝子はアイヌの一部が100%を受け継いでおり、沖縄人は20%弱、本土日本人もそれより低い確率で受け継いでいるが、その他の三集団ではほとんど見られない。第二段階の集団の遺伝子は、沖縄人が80%以上、本土日本人が60%以上、韓国人は30%前後、北方中国人が10%前後受け継いでいるが、南方中国人はほとんど持っていない。第三段階の集団の遺伝子は南方中国人のほぼ100%を占め、北方中国人の90%前後、韓国人の70%前後もこの系統である。本土日本人においては第一段階の集団よりも多いが、第二段階の集団よりは少ない。
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>>84-86
やっぱりこれに近い結果になった
https://i.imgur.com/ujoRJ1p.jpeg
https://i.imgur.com/ScqqdsD.jpeg
https://i.imgur.com/IYepmMJ.png
図5 Admixture ソフトウェア(7)による解析結果
次に各個人がさまざまな祖先集団からいろいろな割合でゲノムを伝えられた様子を推定した結果を図5(本論文のFigure 4)にしめしました。ここでは9個の祖先集団が存在したと仮定して、それらの割合をいろいろな色で示しています。もっとも右のオキナワ人および大部分の九州 (A)の人々は緑色で示された祖先集団から伝えられた割合が大きいのに対して、他の日本人には緑色の成分は少なく、大陸の集団にはほとんど緑色成分がみられません。一方、右からベトナム人、ダイ族、中国南部の漢族、中国北京の漢族には、ピンク色でしめした祖先集団がかなり伝えられていますが、ヤポネシア人にはほとんどピンク色成分がありません。中国南部の漢族、中国北京の漢族、韓国人に多い水色で示された祖先集団の成分は、北海道から九州(B)までのヤマト人には多少みられますが、九州(A)とオキナワ人にはわずかな割合しか伝わっていません。これら南部の2集団を除くヤポネシア人には、茶色の成分が半数以上含まれていますが、韓国人では3割程度見られます。 -
>日本ってのは伊邪那岐命も大国主命も饒速日命も言及しているのだから、
>遥か古くからあったのだな。
だいたい紀元前くらい? -
ニギハヤヒはニ二ギの兄とされてるな、
ニ二ギは筑紫の日向に天孫降臨した神でその遺跡が早良平野の吉武高木遺跡(紀元前4〜前3世紀ころ)。
ニ二ギは北の水門(博多湾)からニギハヤヒは南の水門(有明海)から侵攻したと、
宮下文書に書かれてて、吉武高木遺跡から発見された建物跡を(長井の宮)と書かれてる。 -
日本三大住吉神社があって、その傍には長と付く地名がある偶然か??
大阪の住吉大社、の傍には長居公園の長居がある。
博多の住吉神社、の傍には那珂川の那珂(長・中)がある。
山口県下関市の長門国一宮住吉神社の長門市がある。 -
ひむか、があるのだから、
ひのもと、もあったのだろうね -
まあたしかに日向ひむかってのは、日本ひのもとが崇高だからこそ、
それに向かって拝むわけだからな -
森林燃えてどんだけCO2出してんのよ
俺らがコツコツとCO2削減コスト払ってるのに無駄にすんな! -
言っとくけど、宮崎、日向は(ひうか・ひゅうが)と発音だからね。
筑紫の日向(ひむか・ひなた)と漢字表記は同じだが全く違う地名。 -
ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ
そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ
ふるべ ふるべ ゆらゆら かくいのりせば -
テンソンチョクメイ ニニギノノミコトト
カンツウイナスレバ -
南日向神話
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【朝鮮半島の統治国の歴史】
紀元前108年~220年:漢(植民地)
221年~245年:魏(植民地)
108年~313年:晋(植民地)
314年~676年:晋宋梁陳隋唐(属国)
690年~900年:渤海(属国)
1126年~1234年:金(属国)
1259年~1356年:モンゴル(属国)
1392年~1637年:明(属国)
1637年~1897年:清(属国)
1897年:下関条約により清の属国から開放される←←←←←←ココ重要
1903年:ロシア朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避
1905年~1945年:日本(保護国、併合)
1945年~1948年:アメリカ(非独立)
1948年:大韓民国成立(アメリカ軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立)
1948年:軍事独裁政権誕生
4〜7世紀の半島は倭の植民地w -
元々扶余の近くにある松菊里遺跡の住民は「山海経」にある倭人たちの先住地だからな。
扶余も高句麗も松菊里遺跡がある辺りを漢書などで馬韓を「故地」と言ってるから
彼らも元々はその辺りの住人なんだよ。言っときますが松菊里遺跡は吉野ヶ里の3倍な大都市です。 -
倭人と遼河人との「西岸」交易拠点だよん
扶余なんてはるかかなた「東北」で考古学的に無関係だよん -
朝鮮半島のC2は大多数が殷人か扶余人由来
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