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伝説の
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リンドン Part 2 【田中信昭 田中一郎 伊藤薫】
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1974.5.5
「陽気な雨」でデビュー
メンバーは田中信昭、田中一郎、伊藤薫
前スレ
リンドン Part 1 【田中信昭 田中一郎 伊藤薫】
https://lavender.5ch...i/legend/1683979585/ - コメントを投稿する
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リンドン
1976年7月20日
目黒区民センター
1.素敵なMusic
2.Birthday Party
ーMCー
3.キャンディ・ガール
4.恋のyeye
5.赤いドレスは着ないでおくれ
ーMCー
6.ふたりのフォトグラフ
ーMCー
7.これから二人は
8.踊ろよBaby
ーMCー
9.Come on Let's go!
ーMCー
10.悲しき想い
11.オレンジスペシャル
ーMCー
12.My Baby Rock'n Roll
7.と12.は、田中一郎作品
11.は、作詞:田中信昭 作曲:田中一郎 -
1977年2月5日 新宿ロフト
リンドン&フレンズ 1部
1.2人のフォトグラフ
2.バースデイパーティー
3.恋のイエイエ
4.赤いドレスは着ないでおくれ
5.どうにもならぬ恋
6.素敵なミュージック
7.ー曲名不明ー
8.踊ろよベイビー
9.マイベイビーロックンロール
ーバスケットシューズ オン ステージ -
リンドン&フレンズ 2部
・千鳥橋渋滞(チューリップの曲)
・オレンジ色の喫茶店
V.CHAP(初代新宿ロフト店長)
G.田中一郎
B.田中信昭
D.松藤英男(甲斐バンド) -
リンドン&フレンズ 2部のつづき
10.わがまま娘
11.悲しき想い
12.雨の日にさよなら
13.抱きしめたい
14.プリーズMr.ポストマン
15.君なき世界
16.ダンス・ハ・スンダ
17.ロッキントゥザミュージック
18.これから二人は
19.ダンシングジョニー
20.ふたりのフォトグラフ
ー今井ひろし(バンバン)登場で、夜中の2時頃までセッション -
1974年10月8日 代々木山野ホール
リンドン フライングリサイタル
ーキンちゃんMCー
1.君だけに愛を(タイガース)
2.シーシーシー(タイガース)
ー谷村さん&ばんばさんMCー
3.早く雨が降らないかな
4.(曲名不明)
ーMCー
5.コンドルは飛んでいく(サイモン&ガーファンクル)
ー谷村新司MCー
6.抱きしめたい(ビートルズ)
7.エイト・デイズ・ア・ウィーク(ビートルズ)
8.ハードデイズナイト(ビートルズ)
9.抱きしめたい
10.わがまま娘
ーMCー
11.君なき世界
ーMCー
12.そんな君が
ーここからエンマくんが加わって4人ー
13.不思議な夢
14.(曲名不明)
15.落ち葉の季節
16.悲しき想い
17.オレンジ色の喫茶店
ーMCー
18.夏の日の恋
ーアンコールー
19.陽気な雨
20.オレンジスペシャル -
1977年2月23日 新宿ルイード
リンドン解散パーティー 1部
1.陽気な雨
2.恋のイエイエ
3.ノー・リプライ
4.プリーズMr.ポストマン
5.夏の日の恋
6.プリーズMr.ポストマン(やり直し)
7.ダンシング・ジョニー
8.すてきなミュージック
9.バースデイ・パーティー
リンドン解散パーティー 2部
10.わがまま娘
11.赤いドレスは着ないでおくれ
12.雨の日にさよなら
13.どうにもならぬ恋
14.2人のフォトグラフ
15.踊ろよBaby?ツイスト&シャウト
16.ダンス・ハ・スンダ
17.これから二人は
18.君なき世界
19.悲しき想い
20.Rockin to the music
21.My baby Rock'n Roll
ーアンコール
22.Just Because -
リンドンと言うバンド名の由来は分かりますか?
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DingDong→RingDong
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BEETLE→BEATLES
PIG→PYG
…みたいなかんじ… -
Monkeys→Monkees
もだった!デイビー・ジョーンズ大好きだった!! -
ディン ドン とは鐘の鳴る音、何度も鳴らされる鐘の音のように「騒々しい」ということ
ジョージ ハリスン の曲のタイトルでもあるがリンドンがデビューしてからの曲
リンドンは洋菓子屋の店名などで使われている
田中信昭が付けたバンド名かな -
リンドンは最初は田中信昭と伊藤薫、2人のフォークデュオだったからね。
その頃、オフコースは小田和正さんと鈴木康博さんの2人組だったから…
オフコースを目指していたみたいです。
「僕の声が小田和正みたいな透き通るような声だから…」と言って信昭くんは笑いをとっていた! -
日本だけの言葉 「ビートパンク」とは?
https://news.yahoo.c...b4fcaec511f39?page=2
具体的には、以下の要素を兼ね備えた「わかりやすい」ポップ・パンクを指す。
(1)ジ・アンダートーンズやバズコックスが得意としたような、キャッチーなポップ・パンク・ソングを、おもにミディアム・テンポで展開した上に、
(2)くっきりと聞き取りやすく「まるで童謡のように平易な日本語の歌詞」が乗る――というのが、それだ。
七五調を基本とする日本語詞の1音節に音符ひとつを当て込む、というスタイルで、
パンク・ロック構造のなかへと引き込んだのが、ブルーハーツのソングライターである、甲本ヒロトと真島昌利の2人だった。 -
リンドンと言うバンド名は福岡時代から?
ヤングジャパンは女の子ウケするグループ名なんだよな
アリス、バンバン、リンドン
谷村新司は無名時代にとあるイベントの司会者がメモを見ながら「次に登場するのは、アリスちゃん」と紹介されたと言っていた -
>>17
私はジャンルわけというものがよくわかりません。
バンドブームの時、リンドンに似ているバンドがいっぱいいて、好きなバンドがいっぱいになってしまって週2本ぐらいは誰かのライブに行っていました!
バンドブームが終わりかな?という時期にその時の推しのライブに行ったら、推しがMCでジャンルわけの話をしました。
そしたら私がリンドンに似てる!と思って好きになったバンドは全部ビートパンク系というジャンルだとわかりました。
じゃあリンドンはビートパンク系なんだと思ったのですが、リンドンはピストルズより前に存在していたので、何故パンクなんだろう???と思いました。 -
田中一郎ソロになって、甲斐オフィスを辞めた頃、下北沢ロフトとかシェルターとか…小さいライブハウスでやっていた時、人気絶頂だった甲本ヒロトくんとか宮田和弥くんとかがゲストで出てくれてたよ!
「イカれちまったぜ!」とか「ララの女」とか歌ってくれてたよ! -
>>18
田中信昭と伊藤薫が2人でやっていた時のことを「2人リンドン」と呼んでいたから、2人ではじめた時からリンドンだったと思います。
ワンマンライブの時「2人リンドン」で何曲かやったりしてました。
田中一郎が入って、リンドンをロックバンドにしてしまったそうです! -
田中信昭が大濠公園を歩いていた時、1人でギターを弾いている人がいたので「僕も音楽やっているんだ」と声をかけて、2人で音楽サークルみたいなことをはじめたのがリンドンのはじまりだそうです。
だから大濠公園はリンドンファンの聖地です!
私が旅行で聖地・大濠公園に行った時、1人でサックスを吹いている人がいました。
こんなかんじで薫くんがギターを弾いていたのかな?と思って、しばらくサックスを聴いていました。 -
照和の先輩の2人組にライラックがいます。
海援隊の千葉和臣さんとチューリップの姫野達也さん。
けっこう年取ってから再結成してライブやっていたみたいだけど…今もやっているのかな? -
田中信昭のバンド・ハートブレイクバンドのギターは千葉和臣さんだった!
伊藤薫はリンドン解散後、チューリップのメンバーになった! -
田中信昭さんは、照和で財津和夫さんのステージを観て(聴いて)「自分もステージに立って歌ってみたい!」という気持ちなったというようなことを話したこともありました!
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YouTubeにザ・タイガースの映画「世界はぼくらを待っている」があった!
私は小学生の時、笹塚の映画館で観た。 -
Tigersは、そのままTigerで一文字変えはやっていないんだね…
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松藤英男のwiki
海援隊のリードギター、千葉和臣の妹と同級生であるが、
千葉が高校時代四苦八苦していた、ある洋楽のギターフレーズのレコード・コピーを
「お兄ちゃん、私の友達でこれ全部弾ける人がいるよ」と言われ、
それが中学時代の松藤であることを知り、
愕然としたと千葉は甲斐よしひろに話している。 -
>>28
松藤さんはピエロのリードギターだもんね -
田中一郎、ミュージシャン人生のはじまり:ドラムのバンドのギターは松藤英男だもんね!
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一郎が高校時代に松藤と楽器店に行くと松藤は平気で2時間くらいギターを弾いていたとか言っていたな
松藤が一郎のギターの師匠か? -
白浜久ブログ
2023年11月19日「松藤英男x小山卓治ライブに行ってきた」
2023年11月20日「内閣支持率21%」
に松藤さんにいろいろと教えてもらって、弦とピックを貰ったと書いてある -
白浜久さん
甲斐バンドのライブを観に行ったり、大森信和さんの長男・雅彦さんと2ショットの写真をブログに載せたり…甲斐バンドのメンバーと仲良いね! -
白浜久ブログ
2024年2月19日「吉田彰さん死去」
チューリップのことと照和のことが書いてあります! -
田中信昭 二人のフォトグラフ
https://www.instagram.com/p/BLOP9xijsEy/ -
まさか次スレが立つとは思わなかった
でも、リンドン婆以外の書き込みがないようだ -
書くことがないですから!
読むだけですよ! -
ビートルズのシングル盤『涙の乗車券』のB面に入ってる『Yes It Is』がリンドンっぽい
https://beatles-kans...-is/#google_vignette -
同じ年齢の丸山圭子さんが3月で大学の講師を卒業とまたブログに書いているけど、松藤さんと一郎くんはどうなんだろう?
丸山圭子さんはよくマカロニえんぴつのことをブログに書いたりしていた。 -
丸山圭子さんはエレックレコードで海援隊と同期デビュー。
丸山圭子さんは現役高校生でデビューだった! -
照和出身の4バンド…チューリップ・海援隊・リンドン・甲斐バンドの中で海援隊だけがエレックレコードで3バンドは東芝EMIだった。
松藤さんがリードギターをやっていたピエロというバンドは東芝EMIでしかデビューしたくないというこだわりがあって、他のレコード会社からは話があったのに断って、結局デビューしなかったという話を聞いたことがある。 -
海援隊は泉谷しげるがエレックに誘って
エレックが倒産したら谷村新司がヤングジャパンに誘ってくれた
武田鉄矢は財津和夫と同じ事務所には行きたくなかったと思う -
1972年
・6月5日 チューリップ メジャーデビュー「魔法の黄色い靴」発売
・10月25日 海援隊デビュー「海援隊が行く」発売
1973年
・1月 海援隊上京
・リンドン 第1回ハッピーフォークフェスティバル
九州地区優勝 全国準優勝
・3月 松藤英男、伊藤薫、田中一郎の3人が高校卒業
・4月20日 チューリップ「心の旅」発売
・10月 リンドン上京
・12月10日 海援隊「母に捧げるバラード」発売
1974年
・3月 甲斐バンド 第3回ハッピーフォークフェスティバル全国優勝
・5月5日 リンドン デビュー「陽気な雨」発売
・11月4日 甲斐バンド デビュー「バス通り」発売 -
>>43
海援隊が上京してきたばかりの頃、武田さんは財津さんと上田さんに対して凄いキレてて…怖かった…
でも「魔法の黄色い靴」がラジオでいっぱいかかっていて、チューリップは有名バンドというイメージになっていたので、千葉さんは東京のファンたちに「チューリップのメンバーと友達なんだ!」と自慢していた -
いまBAYFM
9の音粋ってラジオ番組で甲斐よしひろが照和やARBについて話してる -
BAYFM「9の音粋」10/9(水)『祝・デビュー50周年!2時間まるごとKAI BAND #甲斐よしひろ の世界』
甲斐バンド 第3回ハッピーフォークフェスティバル全国優勝
・30万の賞金のうち半分は自分が取る
・中野サンプラザの楽屋のピアノの近くに陣取って
・そのピアノの上で金を分けていた -
音源聴いたけどフォークグループっぽい音で、ドラムではなくコンガ(奏者不明)だったね
あとは、アコギ2本(甲斐、大森)、ウッドベース(長岡)、ピアノ(奏者不明)かな -
ギャラの配分
ドリフターズは長介が6割、残りのメンバーは1割ずつ
チューリップは最初の頃はライブはメンバー五等分だったが
財津和夫が歌っている自分と姫野の配分を多くしないとおかしいと言いだして
ベースの吉田が離脱して再結成にも一度も参加しなかった -
チューリップは財津の独裁っぷりが酷すぎた。
コアメンバー三人が揃って脱退し、別バンドを組まれてしまう始末。ただ、オールウェイズは売れなかったね。姫野、安部、伊藤の抜けたチューリップも動員セールスがた落ち。
甲斐バンドの場合、歌唱印税は4等分だったらしいね。シングル曲も松藤に書かせたり、意外と民主主義。 -
サルビアの花
甲斐よしひろ>もとまろ>早川義夫 -
海援隊もドラムの上田雅利がいてロックバンドだった頃にジャックスのコピーをしていたと言っていた
ジャックスは、はっぴいえんどと同様に後追いファンの方が圧倒的に多いのに
ヒット曲の無いバンドを甲斐よしひろや武田鉄矢はリアルタイムで熱心に聴いていたんだな -
BAYFM「9の音粋」で甲斐よしひろがシーナ&ザ・ロケッツ浅田孟のことを話していた
珍しい -
アーティスト伝説―レコーディングスタジオで出会った天才たち―
新田和長/著
残念ながら目次を見るとリンドンと甲斐バンドには触れていない -
>>47
第3回ハッピーフォークフェスティバル(全日本アマチュアコンテスト)
バンド名はなかったみたいで出場名は「かいよしひろ」になっている。
でもバンドだから「かいよしひろバンド」と紹介されていた。
賞金は・金賞20万円・銀賞10万円・銅賞5万円…て書いてある。 -
第3回ハッピーフォークフェスティバル
パンフレットの出場者紹介文
・かいよしひろ(九州地区代表)
1人ではない。全部で5人のグループ。「よしだたくろう」に似ていると評判のリーダーを中心に「かい節」と呼ばれる独特のサウンドで女性ファンを獲得している。地元での扱われ方は、神様稲尾様につぐとか。 -
・リンドン・
ー第1回銀賞受賞ー
第1回の「ハッピー・フォーク・フェスティバル」が生み出した只今売れうれの"リンドン"。
決勝大会では惜しくも第2位だったけれど、その実力が認められ、プロの道が開けたのです。 -
アリスやザ・ムッシュの先輩達と同じ「ヤング・ジャパン」に所属し、その忙しさと言ったら体は北に、足は南に、と言った具合で、現在、全国の皆様にコンサートでごあいさつ。
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それでも言いつくせないと先ずは東芝から「陽気な雨」というレコードを発売し、九州男児の心意気で勝負。
仲間のチューリップから応援をうけて頑張っています。
とくにどうぞよろしく。 -
第1回ハッピーフォークフェスティバルの金賞受賞は「銀河鉄道」というバンドだったみたいです。
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第2回ハッピーフォークフェスティバルでプロになった人、バンドはいなかったみたいです。
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「照和伝説」富澤一誠 P.207
1974年5月、今度はリンドンが「陽気な雨」でデビューした。
その直前に行なわれたリンドンの[旅立ちコンサート]には、「照和」の仲間、甲斐よしひろとピエロがゲスト出演した。 -
「照和伝説」P.207
リンドンのデビューのきっかけは、1973年から始まった文化放送、KBCラジオなど民放6局が合同で主催する[全日本アマチュア・フォーク・コンテスト]で金賞を獲得したことだった。 -
「照和伝説」P.207
田中信昭はKBCラジオの岸川均に呼び止められた。
「今度、[全日本アマチュア・フォーク・コンテスト]が始まるけど出てみないか」
岸川は[歌え若者]の常連だったリンドンにひそかに目をつけており、新しい企画が始まったので声をかけたのだった。 -
「照和伝説」P.207
田中は信頼している岸川の申し出をすぐさま承諾した。
さっそく、そのことを田中一郎、伊藤薫に話してみると、「腕試しにはいいチャンスだ」ということになり、出場してみることになった。 -
「照和伝説」P.207
彼らは、そのとき、金賞をとればプロになれるなんて思っていなかった。
このコンテストはできたばかりで実績は何もなかったからだ。
ところが、金賞を獲得したことで、彼らは文化放送のプロデューサー兼JCMのプロデューサーでもある横山和光にスカウトされる。 -
「照和伝説」P.208
横山は、ニッポン放送主催の[全国フォーク音楽祭]のむこうをはって、[全日本アマチュア・フォーク・コンテスト]を作った以上、面子にかけてもスターを育てなければと思っていた。
二年早くスタートした[全国フォーク音楽祭]は、第一回大会の優勝グループ"チェリッシュ"を既にスターにしていた。
ニッポン放送と文化放送はライバル局である以上、負けるわけにはいかなかった。
リンドンのデビューにはそんな背景もあった。 -
…リンドンは金賞ではなくて銀賞だったみたいだけど…
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照和伝説、中野の古本屋で昔買ったけどどこかいっちゃったな
また買うかな
読み応えのあるいい本だよね
富澤一誠の取材力に感心した -
「照和伝説」P.208
リンドンがデビューする三ヶ月前のこと、甲斐はデモ・テープを持って東京にむかった。
レコード会社に直接売り込むためだ。
彼はリンドンのデビューが決まって刺激を受けていた。
チューリップ、海援隊を「照和」の先輩とするなら、リンドンは同僚だった。
その同僚がデビューのチャンスをつかんだということは、彼にとっては、何よりの刺激だった。 -
「照和伝説」P.208
彼は閉店後の「照和」に残って、何人かに手伝ってもらって4チャンネルのテープ・レコーダーでデモ・テープを録音した。
その頃、彼は「照和」のスターだった。
それだけに、廣津、小宮両マネージャーをはじめとして、門田一郎、長岡和弘、大森信和など、みんながバック・アップしていた。 -
昔、甲斐さんはMCかラジオで、デモテープを持って東京に来た時、リンドンの3人が暮らしている家に泊めてもらって、一郎の布団で一郎と2人で寝たと話していた。
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1976年秋
このコンテストからプロになったアーティスト
「銀河鉄道」「リンドン」「ひるたたつろう」「かいよしひろ」「田吾作」「シャトレ」 -
リンドン…東芝レコード
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ひるたたつろう…コロンビア
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かいよしひろ…東芝レコード
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田吾作…エレックレコード
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シャトレ…キングレコード
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銀河鉄道…日本フォノグラム
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そう言えば、ハッピーフォークフェスティバルからプロになった人たちってどうしているんだろう?
と思ってググッてみたら、銀河鉄道というバンドは金賞受賞した時はメンバーが高校1、2年生だったからデビューは1975年だった。…で1976年に解散していた。
でもプロデューサーが柳田ヒロさんで、坂本龍一さんと後藤次利さんがレコーディングに参加していた。
関東地区代表だし、文化放送はこのバンドを大スターにする予定だったんだろうな… -
田吾作、銀河鉄道、シャトレと聴いてみたけど、なんとなく甲斐バンドが生き残れた理由がわかった気がした。そりゃ売れないよ、こんなんじゃ。
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ひるたたつろう
https://www.youtube..../watch?v=1ssFH9j2-JU
作詞作曲:ひるたたつろう
ボーカル:蛭田龍郎 坂元昭二
アレンジ:木田高介
伴奏
ドラム:木田高介
ベース:岡沢章
ギター:坂元昭二
ピアノ:国吉良一
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>>88
歌が消えているのが残念、良さげな曲
アレンジとドラムは元ジャックスの木田高介!
この頃には神田川や結婚するって本当ですかのヒットでアレンジャーとしてオファーが殺到していたと思うけれど
期待されていた新人ですね -
KBCラジオの岸川均さんは…
「成功すると直感した若者にはコンテストに出るように勧め、積極的に支援した」そうですが…
一方では「お前、無理だな。諦めろ。人生考えた方がいい」とか「一番好きなことは取っといた方がいいよ」とか
…だったそうです。 -
照和の関係者の人もリンドンはチューリップより売れると思っていたみたいなんだよね…
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レコードでは安部俊幸と田中一郎のツインギターのチューリップの「もしも僕が」
歌詞の内容が「もしもピアノが弾けたなら」と似ているので、「もしもピアノが弾けたなら」を聴くたび「もしも僕が」を思い出してしまいます。
「もしも僕が」1975年4月5日発売
「もしもピアノが弾けたなら」1981年4月1日発売
「もしも僕が」のギターは「リンドンの田中一郎」のギターです! -
私にとってリンドンが世界一のバンド!!!
だからリンドンとリンドンに似ているバンドが好き!
BAD NEWSからトラブル中毒までのARBはリンドンに似ていたからライブに行っていた。
もしも田中一郎が辞めなくてリーダーのままで、ARBが打込み、シンセとかに変わっていったら、私はたぶんもうARBのライブには行かなくなっていたと思う。
それで、リンドンに似ているビートパンク系といわれるバンドのライブに行っていたと思う。
実際ソロになってからの田中一郎は、リンドンに似ていなかったからだんだんライブに行かなくなってしまった。
田中一郎のソロとアンジーがかぶった時、私はアンジーのライブに行った。
私はリンドンというバンドが世界一好きです! -
1983年 一郎がARBからいなくなった
1984年 虚無
1985年 THE BLUE HEARTSが新宿ロフトでデビューライブ -
>>96
私のARBファン友達のほとんどが田中一郎が脱退して、ARBファンを引退してしまった。
ブルーハーツがデビューして、ブルーハーツファンになった人がいっぱいいた!
私はリンドンというバンドが世界一好き!! -
>>96
田中一郎ソロライブを始めたばっかりぐらいの時にMCで「陣内大蔵くんが、ちゃんとチケット買って普通のお客さんとして今日来てくれてるんだ。言ってくれればよかったのに…」とか言ってた時があったんだ。
陣内大蔵さんて、田中一郎時代、ものすごいARBファンだったらしい…
でも陣内大蔵さんはビートパンク系ではないよね?
ジャンルわけってわからない… -
2000年8月26日。
東京は『ゆーことぴあ』というライブハウスで、元ARBのギタリスト田中一郎さんのライブがありました
このライブに陣内大蔵さんがゲストヴォーカルとして参加しました
陣内大蔵(Vo/Key)
田中一郎(Vo,AG,Gu)
斉藤光浩(Vo,AG,Gu)
西川貴博(Drs)
1. ノクターン・クラブ(ARB/BAD NEWS)
2. Black is No.1(ARB/トラブル中毒)
(encore)
さらば相棒(ARB/指をならせ! Snap Your Fingers)
ラ・ラの女(ARB/BAD NEWS)
先にステージに上がった一郎さんに呼ばれて、カウンター奥から陣内さん登場。
ARBのナンバー『ノクターン・クラブ』を歌って、高校生の頃組んでいたバンド名の話をする。
陣内:「僕高校生のときにバンド組んでまして、僕ヴォーカルだったんですけど、このノクターンクラブに感動してですね、よく意味がわからなかったんですけど、バンド名が“ノクターン”ってバンド名だったんですよ。“夜想曲”ってバンド名はないですよね。よく考えれば」
田中:「“曲”じゃないかって。」
そのあとに、『Black is No.1』。陣内さんはこの曲に触発されて、黒いステージ衣装を多く着たそうだ。
『ノクターン・クラブ』,『Black is No.1』両曲とも特に陣内さんの話の中に多く出てくる曲である。
『さらば相棒』
途中から陣内さん再登場。2番から陣内さんが加わる。
『ラ・ラの女』
みんなで大いに盛り上がる。小さなライブハウスは大合唱だった。
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