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伝統芸能
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桂米朝 その12
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引き続き、人間国宝について語りましょう
過去スレ
その11 https://lavender.2ch...i/rakugo/1415870389/
その10 http://yomogi.2ch.ne...i/rakugo/1346407162/
その9 http://awabi.2ch.net...i/rakugo/1268832767/
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その1 http://hobby5.2ch.ne...i/rakugo/1021818547/
米朝事務所 http://www.beicho.co.jp/ - コメントを投稿する
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いちおつ
あげとこ -
米朝師匠の直弟子は誰も廃業していない。
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>>4
そうですね、外様の腹話術から転向の先代米紫、三代目染丸から預かった月亭可朝。
この二人のほかに東京の三代目桂三木助門下だった木久丸を預かっていたが辞めた。
その廃業した人を省いて直弟子を枝雀からとしたら誰も廃業してない。
枝雀以下は内弟子の頃にみっちり米朝落語を仕込んで内弟子明けから
適材適所の育て方してる。
落語のダメな人は何か他の芸で開眼させた。
朝太郎は手品、米輔は笛、米八は曲独楽、勢朝は南京玉すだれ。
大阪を離れた人も廃業ささずに籍は残してやってる。
山梨の旅館に婿養子に行った米蔵。岡山の寺の婿養子に行って僧侶になった米裕。
千朝も家庭の事情で7年間サラリーマン生活をしたけど籍は残してやっていたから、
今現在一門の高弟として復帰出来た。 -
毎日テレビで米朝米朝って言ってますねえ
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西のコービー 桂小米朝
東のコービー 林家こぶ蔵 -
桂米団治 父・米朝さん五年祭で落語イベント開催 来年3月、2会場で同時開催
8/10(土) 17:53配信 -
ごめん、誤爆した。こっちだ。
https://www.nikkansp...201908100001014.html -
毎日、暑いですなぁ・・・
蛇含草でも聴きますかな -
ニュースとか新聞で米朝関係が云々と見たり聞いたり
すると一瞬へっ?となるのは俺だけか? -
吉朝は、丁寧で実力派の印象はあるんだけど
同じ年代の米朝を聴くと、米朝が凄すぎて
霞んじゃうんだわ -
よくさ、枝雀の天才落語は努力で作り上げたと
言われるし素質は凄く有ったと思うけど
それじゃ、本当の天才は誰かって言われたら
米朝その人だと思うな。若い頃の録音まで聴くと『なんであんなに人物描写もテンポも完成されてて、風格もあるのか?どこで稽古してたのか?』
と本当に思うんだよ。その一方で自分が中心になって先輩含め噺家達と上方落語を復興させまくったっていうんだから、もう凄すぎて意味わからへんww。枝雀みたいに毎日8時間稽古してたみたいなエピソードも聴いたことないしね。 -
米朝の芸達者さって何処から湧いたのかな。
ラジオもテレビもレギュラーて出まくってて
著書も多い、しかも落語は一流で
しかもどれだけ稽古してるのかも謎という
物凄い人。 -
>>16
そやから人間国宝になれるんですよ -
晩年は、一門の客寄せのつもりで
出演することが多かったけど、正直言って
引退してほしかったね。
虚な目で車椅子に座るすっかり惚けてしまった
師匠は見たくなかったから。
酒とタバコさえ控えてくれてればもっと元気だったとは思うんだけど、、、 -
この前亡くなった歌丸が
昔、米朝の追悼コメントで
"まめだを米朝師匠に稽古して欲しかったけど
残念ながら、それができる体調じゃ無いと米團治さんに言われまして残念です"
みたいな事言っててすっかり呆れた。
まめだ発表してから二十年以上経ってんのに
なんでもっと若い時に教えを乞わないのか、、、
そりゃ上手くならんわ -
米朝も米團治もかなりイケメンだよな。
蔵丁稚のマクラに、
『昔は
"顔の良い子供は役者にしたらよい
顔のおもろい子は噺家にしたらどないや"
となったもんですな。』とか言ってるけど
どう考えても、二枚目で食っていける
ルックスなのに落語家になったというw -
桂米朝 「昭和の名演 百噺」てCD出ると思ったら『上方落語大全集』の廉価版か。
未発表音源なんて山ほどあるだろうに、なんで焼き直しなんだよ。 -
米朝師を主人公にした舞台はどうやったんでしょう?
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>>25
米二師匠な -
誰がやっても完璧に本人になることは絶対に不可能
不可能やから物まねとは別のアプローチしただけやろ
直接文句言えへんからSNSで役者叩いて情けない -
これから舞台化ドラマ化がある度に弟子もファンもクレーマーになるんやろ
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>>27
どうも米朝役が落語を見たり聴いたりしてなかったとか -
米二はツイート消したけど九雀は消さへんねんな
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普段の米朝はあんなちょっとコミカルな感じじゃなかったていうことかな。
普段の米朝がどんな感じだったかを知りたかった客もいるだろうな。 -
ツイート消しても引用リツイートは消えないんだね
黒歴史は一生残るね -
米團治がやったら良いじゃんかよ
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>>34
でも米團治ってあんまり米朝に似てないじゃん -
米朝は特選!!で2席目に
三遊亭百生の都囃子を、よく使ってたけど
三下りかっこみたいな重厚感が無く、
安っぽい感じがして嫌いだ。他のもうちょいと
良い出囃子を使えば良いのにと思った。 -
>>36
東京の「都囃子」は軽めに演奏しますが、
上方の場合はもっと重厚感があります。
特に二丁でカンと乙で弾くと良く分かります。
それに上方の場合「都囃子」は最高の真打用で
おいそれと使用できる囃子じゃないんです。
東京で云う「三下り中の舞」と同じだと思ってください。 -
>>37
そういえば、スローテンポですね。
でもなぁ、、、。
若い頃の録音でかなりテンポの
はやい三下りかっこで、登場してますけど
やっぱり重厚感が格段に違います。
米朝の出にぴったりくるのは、三下りかっこだと思うのです。南光が使ってる猩々で、出る録音も
ありますよね。
出囃子にはあんまり拘らない人だったのかな。 -
>>39
なんかコラ画像みたいだけど、サンケイホールブリーゼのTwitter見たらマジなのな -
申し訳ないけど米朝さんは、晩節を汚した。
まともに発声できず
窪んだ目で車椅子に座る米朝なんて
本物のファンは期待してたんだろうか。
春団治のように
早くに引退して、スマートな60代頃までの
円熟期のイメージを保つべきだった。
いい加減さが客に愛される
志ん生のような芸風でもなく
絶句して、理知的な芸風が保てなくなった時期に
引退すべきだった。
晩年の米朝を良しとする風潮に限らないけど、
関西の芸能は、客が深く突き詰めることをせずに
珍しいもの好きでガヤガヤ騒いでばかりいるから
粋に疎くて田舎臭いと思われても仕方がない。 -
>>38
独演会の時に3席する時は全部出囃子を替えてます。
一席目「円馬囃子」一時期昭和50年代に「猩々」にしていたが、また円馬に戻る。
二席目(中入り前)「三下り鞨鼓」
三席目「都囃子」
「桂米朝上方落語大全集」の録音をお聞きになられたらその噺は何席目に
演じているかこれでだいたいわかります。
一席目の後の演者の出囃子で膝替わりの人が分かる。
昭和48年以前ですと「晒くずし」が多いのは次が桂小米(後の枝雀)
そしてそれ以降「昼飯」に代わってるのは枝雀襲名後です。
「お手手つないで」のときは次が桂朝丸(後のざこば)
二席目の後は中入りですから「中入り砂切り」になって三席目の後は「バレ太鼓」
正月は正月用の出囃子「十二月」「数え歌」「万歳」を使用しています。
そしてこの時期の録音のお囃子さんは池中スエ師ですのでウキウキしたテンポの速い
弾き方でしたから「三下がり鞨鼓」でも早いんです。 -
>>41
晩年に残した藝談は貴重です。 -
>>44
晩年の2、3年は、
公に姿を表さなかった。事実上引退である。
この師匠の場合、滑舌が悪くなったくらいで
噺そのもののキレは健在だったけど
足が悪くなったという理由で休んでた。
お玉牛みたいな、仕草で客を引き込む落語を
得意としていた春団治にとって、板付で上がることは耐えられなかったのでしょう。 -
>>43
藝談といっても桂米朝は
著書も多く、
自分の落語音源の解説を自分で書くなどの
責任ある作業をこなしてきたので、芸談の類いは
は、十分残していたと思います。本人が高座に出て喋るくらい必要は無かった。
弟子ならば率先して
米朝さんに聴きに行って芸を深めようとするの
ではないでしょうか。 -
しかし、高座名ではない俳号でも「襲名」って言うのかね?
まあ、無粋なツッコミだけどw -
>>49
うん、不粋や -
今朝の毎日新聞朝刊の南光・米團治の対談は面白かった。米朝師匠は55歳で完成されてたというような話。
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歌舞伎の世界では俳号の襲名はよくあること
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2代目中村魁春
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>>52
へー、そうなんだ -
米朝の全盛期はいつなんだろうか?
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48歳で出し始めた「上方落語大全集」か、64歳で出し始めた「特選!!米朝落語全集」のころか。どっちかかな。
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落語じゃ無いけど、文楽の越路大夫さんの引退は見事だったよ。
反対に住大夫さんはボロボロで気の毒だった。引き際って大事。 -
>>56 圧倒的に「上方落語大全集」だと思う
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>>42
遅レスですみません。
自分にとって「円馬囃子」は文珍師、「猩々」は南光師、というイメージです。
米朝師にはやはり「三下り鞨鼓」が一番しっくりくるように思います。
「都囃子」は露の都師が使うてはりますね。
とても同じ曲とは思えないうきうきした曲調ですけど。 -
63
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「昭和の名演百噺」って上方落語大全集と同じなのな
そんなCD出しても意味ねーよ
未発表テイク出せよ -
>>64
ここで言わんと発売元に言え -
米朝さんがざんねんなのは、出囃子がきちんと初めから入ってない音源が多いことだな
なんでこだわらなかったのか -
サンテレビの上方落語大全集での米朝師は出囃子のさわり
だけだったように思います。テープでもないのになぜなの
かと疑問を感じたものです。 -
今思い出しましたが、一昨日は師匠の生誕95年でした。
それだけです。 -
百年祭はやるのかな?
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その頃まで米朝事務所が存続出来てればやるんじゃない?
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文化放送「志の輔ラジオ〜」4月25日放送分、radikoでまだ聞けるよ。
しかし日曜の朝っぱらから「紀州飛脚」なんか流していいのか?w
https://www.joqr.co.jp/qr/article/8714/ -
語りの名手、
桂米朝が本当に、売り物にすべきだったのは
怪談市川堤などの本格落語だった。
(東京の圓生や
正蔵などの持ちネタで、露乃五郎が演じていたような。)これがキッチリ出来る芸風は、上方では米朝が適任である。残念ながらそれほど本格落語は演じてくれなかった。
上方落語大全集の録音は、"怪談噺の型だけをご覧頂く"と言うには勿体無いほどの出来である。
客席に幽霊など出さずキッチリと地の語りで
締めればどれほど素晴らしかっただろうか。
余談だが、話題にのぼる地獄八景は
この演目に比べれば、長い割に笑えるところが少ない。あんな駄洒落誰が笑うんだ。
それ以外にも、米朝のネタには不出来があって
軒づけなど面白くもなんともない。 -
地獄八景なんて演じないで、
市川堤みたいな、怪談噺を売り物にして欲しかった -
米二師のFacebook
街を歩いてたらUber EATSで勤務中の二乗に遭遇したとのこと。 -
桃太郎面白い
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「米朝十八番」のCDを買いました。
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米朝落語って、あんまり上方情緒が
小文枝とかと比べると無い気がするんだけど
艶噺の二階借りは、いいね。所帯じみたところに
なんとも言えない上方風情を感じる。 -
>>16そら先代米団治師匠の仕込みやないの
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ベチョロイドは今倉庫にでも眠ってるんですかな?
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先頃襲名した八十八が二代目を名乗っているのは初代が米朝師匠ということですか?
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>>80
でしょ? -
_ノソソソ_
//⌒〜"⌒ヘ\
丿| ニ |∧ ←木圭 さごぱ
|/ へ へ \|
(|ッ (・ヽ ノ ・)ッ |)
| /_ヽ |
|ヽノ ヽ /|
| | | | 「P献金党」が落選した場合は、信心も財務も足らんということでっか・・・?
/\ |<>-| /\
| | \___/ | | なんでキンマンコと香峰予は、いつも立候補しませんのん・・・?
| | |ヽV / | | |
| | | / / | | | エ●カンターレは、立候補してまっせ!
-=-::.
/ \:\
|邪宗のドンファン ミ:::| ←仏罰大行進、選挙権不明&行方不明
..| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |≡、 |;/
| |) |─/ヽ
∬ | ボロ負け |二/ ∂>
∬ .| 臨終只今 |ハ |
┏謗法┓ | |_ノ /__
┗━━┛ /|_______ |ヽ/ `i
/ \_____/ /
/ ̄ ̄ ̄⌒⌒⌒⌒ ̄ ̄ ̄⌒⌒) マハーロ!バカヤロー!アイゴォォォォォ!
/ ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ /
/マハーロ、バカヤロー! / ?←真心の「1円財務」
/ キンマンコ!:ハ⌒ヾ: /
http://stat.ameba.jp...0056614351653655.jpg
http://4.bp.blogspot...0/s1600/IMG_0595.JPG -
今日は米朝師匠の96回目の誕生日です。
師匠、おめでとうございます。 -
直接取材したけど、若い頃から大旦那が得意で、確かに『百年目』の大旦那とか茶金さんは
一寸真似手が無いね。あと、ドライな芸風だから『けんげしゃ茶屋』『算段の平兵衛』等も
一寸普通の噺家には出来ないな。珍しい所では後年は『坊主茶屋』のマクラにしていた
『新町素見』を一席物にした音源持ってるし『由辰』も聴いた事があるのは一寸自慢。 -
>>84
茶金さんは米二師が受け継いでると思います。京の噺家らしく、大阪人の油屋と京の人々の演じ分けが見事です。 -
>>85 米朝師匠の茶金さんは「表が騒がしい」のひと言が絶品だった。如何にも内裏に
出入りの出来る人に見えた。あの科白と『けんげしゃ茶屋』の国鶴が二階から降りて来
る際の「ただいま」の色気は絶妙だったね。『百年目』の大旦那は圓生師匠なんか比べ
物にならなかった。冬場、安井の金毘羅さんの座敷で取材したけど、襟巻して火鉢に
当たってる姿は大旦那そのものだった。 -
米朝師匠については事務所の社長が「旅をさせ過ぎました」と悔やんでた。飛行機の
移動が体に早く応えたんだろうね。旅の多い人って割と早く老けるよ。それと米朝師匠
の場合は酒の飲み過ぎだな。晩年になっても冷酒を茶碗でぐいぐい呷っていたのは、そ
りゃ早く体に来るわな。先代馬生師匠と同じ事。ても、あのドライな芸風は志ん生
師匠に匹敵する。『由辰』は一度しか聴いてないけど、生の高座を聴いてた尼さん三
人連れが帰っちゃったってエピソードは師匠に聴いて笑ったし、それだけ面白かった。
んて一度しか聞いてないけど -
>そりゃ早く体に来るわな
80過ぎても高座に上がって89歳で亡くなったってこと分かってるか? -
>>88
その9年間は入退院を繰り返してたし、高座とはいっても「よもやま噺」と称して、左右に弟子をしたがえて、殆ど弟子に喋らせ、本人は返事だけしてただけだからな。 -
>>89
何が不満なん? -
小三治は晩年、投げやりなところもあったからまだ良かったけど
永六と米朝は、晩節汚したとしか思えないよ。
痩せっこけてボロボロだったよ。まるで別人。
あんなになってまで
なんで表舞台に出てきてたのやら。
あれを許していた客も悪い。 -
歌丸が米朝にお会いしたいと連絡をしたとき
バカ息子が突っぱねた
ずいぶん失礼な息子だよな
常識がまるでない
あれが礼儀知らずの関西人なんだろうな -
>>94
それはそうと
歌丸が、馬鹿を露見してたの気づかないか?
まめだは、80年代に発表されてレコードまで出てた
のに稽古してもらいに行ったのは、
米朝が老いさらばえた晩年なんだよ。
遅すぎるだろ。まあ、歌丸も中年から焦って稽古に
励んだんだろうが、もっと早く笑点は
勇退しておけばもっと噺家としてのイメージも
違っただろう -
悪口もええ加減にしとけよ
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>>95
リュックを背負ったハゲデブ発汗鼻毛メガネが、ずり落ちるメガネを何回も高速で直しながら甲高い声かつ早口でまくしたてております。
「それはそうと
歌丸が、馬鹿を露見してたの気づかないか?
まめだは、80年代に発表されてレコードまで出てた
のに稽古してもらいに行ったのは、
米朝が老いさらばえた晩年なんだよ。
遅すぎるだろ。まあ、歌丸も中年から焦って稽古に
励んだんだろうが、もっと早く笑点は
勇退しておけばもっと噺家としてのイメージも
違っただろう」 -
「よもやま噺」をやり出したのは何年ごろから?
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