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オカルト
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ヤンキー高校で起きた怖い話
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私が通っていた高校で起きた話です。
私は当時地元にある高校(仮にT高とします)に通っていました。 - コメントを投稿する
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T高は所謂ヤンキー高校といった感じの学校でした。偏差値は37、田舎にあり周囲を山に囲まれている、そんな学校でした。
そんなT高に私が通っていた頃の話。
私は当時陸上部に入っていました。
陸上部といっても事実上廃部状態でしたが。同じ陸上部に私の友人のKという子がいました。 -
ある日のこと学校帰りにKは私にこんな話をしました。
K「ねえ、サクラさまって知ってる?」
私「何それ?」
K「学校の前に神社あるじゃん?あそこで祀られてる神様の話」
T高の前には小さな神社がありました。
その神社にまつわるよくあるタイプの怪談でした。 -
江戸時代にこのあたりの地域で飢饉があり人々はこれを神の怒りと恐れた。人々は神の怒りを鎮めるためサクラという名の女の子が神への生贄に使われ亡くなった。
飢饉はやがて収まったが今度は原因不明の病が流行り始めた。 -
人々はサクラの怨念が暴れていると考えサクラの怨念を弔うため神社を建てた。
それがT高の前にある神社なのだ。
そういった内容でした。 -
オカルト好きだった私は早速両親にこの話をしました。
母は興味深そうでしたが父は「サクラさま」という名を聞いた途端あからさまに嫌な顔をして「その話はもうするな、聞いていて気持ちの良い話じゃない」と一喝されました。 -
最初はKの作り話なのではないかと半信半疑でしたが父の明らかな態度で私はサクラさまが実際にあった話だと確信しました。
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私は一つ疑問がありました。
Kは誰からこの話を聞いのでしょうか?
Kに聞いてみたところYのお兄さんから聞いたとのことでした。 -
Yのお兄さんはKの近所に住んでいた人です。
歳はだいぶ離れていましたがKはひとりっ子だったのでYのお兄さんを実の兄のように慕っていました。 -
Yのお兄さんもT高に通っていたそうですが三年生の時に中退して今は東京で働いているそうです。
私も小さかった時に遊んでもらった記憶が
あります。 -
その神社は学校のすぐ前にあるにもかかわらずとても木が生い茂って暗く不気味な雰囲気で小学生の時はあそこに行くと呪われる、なんて噂が流れたぐらいでした。
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私はサクラさまのことに興味が湧いたのでKと例の神社へ肝試しに行くことにしました。
二人だと心細いので同じクラスだったCを誘うことにしました。
Cは私と同じでオカルト好きだったので喜んで承諾してくれました。 -
三人とも霊感の類いは一切なかったのですが念のため台所から拝借した塩を持っていきました。
当日神社に行くとCとKは先に神社で待っていました。 -
私たちはCを先頭に神社へ入っていきました。鳥居をくぐると砂利の道が石段まで続いていました。社務所はおろか手水舎さえない小さな神社のようです。落ち葉だらけで到底人の管理は行き届いてない様子でした。
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石段を登り終えるとそこには古びた拝殿がありました。
狛犬の上に乗る、拝殿の中に入る、賽銭箱に木の枝やゴミを入れる、罰当たりのオンパレードみたいなことをしながら私たちは神社を探索しました。探索と言ってもとても小さな境内だったのですぐに探し尽くしてしまいました。 -
Cがつまらなそうな様子で「結局何にもないじゃん」といって賽銭箱を蹴りました。
木材が腐っていたのか賽銭箱はバキッと音をたて穴が空いてしまいました。
中には錆びて年号の分からなくなくなった五十円玉が一枚ありました。
結局サクラさまの霊は現れず、その日は三人で別の場所に遊びにいきました。 -
それから数日後
私たちの間ではサクラさまブームがだんだん収まってきた頃でした。
休暇でYのお兄さんが東京から帰ってきたのです。 -
サクラさまに関する情報を手に入れるまたとないチャンスでした。
私とCはKに頼んでお兄さんからもっと詳しい情報を教えてもらうように頼みました。
Kも任せとけ!と意気込んでいました。 -
次の日学校でKに何か得られた情報はあるか?とCと二人で聞いてみました。
ところがKの様子が明らかに変でした。
兄貴はその日の内に東京へ帰った、この一点張りでまともに私たちと会話してくれないのです。 -
あまりに酷い態度だったので軽い言い争いになりました。
しばらく言い争っているとKが突然
「あれは兄貴の作り話だったんだよ!」と怒鳴ってそそくさと帰ってしまいました。
この件の後Kは一切サクラさまの話をしなくなりました。 -
でも私の父は確かに「サクラさま」という単語に反応したし、Cの両親も「サクラさま」と聞くと不快感を露わにしたそうです。
私にはサクラさまが作り話のようには思えませんでした。 -
次の日Kは珍しく私とは別で一人で昼食をとっていました。
なぜKは突然「サクラさま」を作り話と断定したんだろう?お兄さんから何を言われたんだろう?
授業中にそう考えているとCがやってきて
「今度郷土資料館に行ってみない?」
と提案してきました。
郷土資料館なんてものがこんな田舎にあるなんて初耳でした。 -
C曰くもしこの辺りで飢饉や生贄などの歴史があったなら何か資料に残っているはずだと言うのです。私は二つ返事で行くと言いました。
Kも誘ったのですがあっさり断られてしまいました。
始めにこの話をしだしたのはKなのに、そうCと話しながら学校から帰りました。 -
その週の日曜日に私とCは自転車で一時間近くかけて郷土資料館へ行きました。
郷土資料館と言うので小さな博物館のようなものを期待していましたが実際に行って見るとそこには資料館というよりは古びた公民館のような建物がありました。 -
私は中に入るのを躊躇らいましたが、Cはなんの躊躇もなく資料館へ入って行きました。
私もCに続いて建物の中に入りました。
中から古い木造建築特有の匂いが立ち込めていました。中は小さな図書館のようになっていました。 -
カウンターがありそこには70代くらいの管理人と思われるお爺さんが座っていました。
室内では数人が読書をしていました。
みんな高齢者ばかりで若い人は私たちだけでした。
読書をしていた人たちは私たちを一瞬物珍しそうに見ましたがすぐに視線を本に戻しました。 -
私とCは二人で地域の歴史について書かれた本を探しました。本はいくつか見つかりましたが例の神社やサクラさまに関する情報は載っていませんでした。
それどころかかつてこの地域で飢饉が起きた
ということも載っていませんでした。 -
私とCは自分たちで探すのを諦めてカウンターにいる管理人のお爺さんに聞いてみることにしました。
C「すいませんM神社(例の神社)に関する情報を知りたいんですけど…」
お爺さん「M神社?」
管理人のお爺さんは他の人と同じように私たちを物珍しそうに見ていました。
管理人「M神社なんて聞いたことないぞ」
C「T高校の…」
お爺さん「ああ、T高の前にある社か」 -
管理人のお爺さんはT高と聞いてピンときたようでした。
管理人のお爺さんは私たちにその神社に関していろいろと教えてくれました。
あの神社は明治の終わり頃に建てられたもので鎮守神を祀っているということでした。 -
C「飢饉で殺された女の子を祀ってるんじゃないんですか?」
お爺さん「何の話だ?」
管理人のお爺さん曰くこの地域で大規模な飢饉が起こったこともないし生贄なんて文化も
ないということでした。 -
C「じゃあサクラさまについて何か知りませんか?」
サクラさまという言葉を聞いた瞬間管理人のお爺さんは急に黙り込みました。
周囲に異様な空気が流れました。
お爺さん「誰からその話を聞いた?!」
突然ものすごい剣幕で管理人のお爺さんが怒鳴りました。その年齢からは考えられないほどの怒鳴り声でした。 -
突然のことに動揺して動けなくなった私の手をCは引っ張って
「ヤバいって」と小声で言いながら逃げ出しました。
急いで自転車に跨り管理人のお爺さんの怒声も無視して走り出しました。
帰り道Cと一緒にただひたすら自転車を漕ぎました。追ってきてないと分かっていても時々後ろを振り返りました。 -
やがて気づくとT高の前まで来ていました。この辺りで私たちは安堵感に包まれやっと自転車を漕ぐのをやめました。
私たちは息をハアハア切らしながら例の神社の前で一休みしました。
Cと私はしばらく無言でした。しばらく気まずい時間が流れたあと、先に口を開いたのはCでした。
「もうサクラさまのこと調べるのやめよっか…」
私は黙って頷きました。
何か絶対に言ってはいけない禁忌に私たちは触れてしまったような感覚でした。 -
次の日CはKにこのことを問い詰めるといって私が止めるのも聞かずにKのいるクラスへ入っていきました。
私は廊下から二人の言い争いを見ていました。周りの声にかき消され詳しい内容は聞こえませんでしたが二人の様子からかなり酷く言い争っているのがわかりました。
Cは怒りながら教室から出てきました。
CにKはなんと言っていたか?と聞いてみましたがよほど機嫌が悪かったのか無視されてしまいました。 -
その日からKに対するいじめが始まりました。
Cはクラスの人気者で友達も多かったので
Kの悪い噂を周りに流したりKの教科書を盗んだり、最終的には集団でKを殴ったり蹴ったりするほどに発展しました。
元々CとKは私を通じての関係だったのでCはなんの躊躇もなくKに対して酷いことをしました。 -
Kは何も悪くないのに、と思いましたが私もCから嫌われたらこの高校にいることができなくなってしまうのでKのことを無視するようにしました。
今更ながら私はあの時Cを誘ったのを後悔しました。 -
それから数ヶ月の時が流れました。
私はやっとサクラさまのことを忘れかけていた時のことでした。
Kが自殺しました。
学校のトイレで首を吊っていたそうです。
先生がKを発見して救急車を呼んだ時には手遅れでした。 -
Kは搬送先の病院で死亡が確認されました。
しばらくそのトイレは使用禁止となりましたが使用禁止が解かれたあともみんな気味悪がって使おうとしません。それもそのはず、
そのトイレの壁には彫刻刀で
「サクラさまサクラさまどうか私に代わって復讐を果たしてください」
と彫られていました。 -
やがて生徒が怖がらないように壁は修復されましたが到底私はそのトイレを使う気にはなりませんでした。
私はKが自殺した上またサクラさまという言葉が出てきて気が狂いそうでした。
Cは私以上に怖がっていました。
Kから恨まれてるという自覚はあったようです。 -
そんな中で学校生活を送っていたある日ふと授業中に廊下を見ると見覚えのある人物が先生と話ているのが見えました。
管理人のお爺さんでした。
なぜ管理人のお爺さんが学校に?混乱しているとお爺さんと目が合いました。
六限目が終わると私とCは先生に呼び出されました。 -
先生に促され生徒会で使われる会議室に入ると管理人のお爺さんがいました。その隣には見覚えのない同年代と思われる背広姿の男性がいました。
もう隠し通せないと悟った私たちは今までのことを全て管理人のお爺さんと背広の男性に話しました。
二人は私たちの話を聞いてただ頷いていました。 -
背広の男性は君たちに話しておかないといけないことがあると言って「サクラさま」
に関する本当のことを教えてくれました。
背広の男性から聞いた話は以下の通りです。 -
昭和六十年頃
創設されてまもない当時のT高の一年に佐倉という少年がいた。
佐倉は生まれつき体が弱かったため不良少年たちの恰好のいじめの対象だった。恫喝して金銭を巻き上げるのは日常茶飯事で加害者の家へ連れて行かられ集団でリンチされるようなこともしばしばだった。 -
酷い時には当時中学生だった佐倉の妹が不良少年らに暴行された。教師たちは不良少年らの報復を恐れてそのような事態を把握していながら見て見ぬふりをしていた。
十二月のある日教室でいつもと同じように不良少年たちが佐倉に金銭を要求した。しかし彼の財布には五十円しか入っていなかった。何度も不良少年たちに金を奪われてきた彼の全財産だった。 -
不良少年たちはその五十円を佐倉から取り上げようとしたが佐倉は全力で抵抗した。
そして佐倉は五十円玉を握りしめたまま三階から飛び降りた。
佐倉の死後
佐倉をいじめていた不良少年たちが全員自殺した。 -
集団での川への飛び込み自殺だった。
佐倉の怨念が関係しているかいないかはわからないが、学校内では佐倉の祟りだと騒がれていた。
その事件以来T高や近隣の小中学校で話に尾ひれがついて「サクラさま」という都市伝説が生まれた。 -
学校のトイレの壁に「サクラさまサクラさまどうか私の代わりに復讐を果たしてください」と書いて殺して欲しい人の名札と五十円玉を供えトイレに置いておくと願いが叶う、という内容だ。
これを実践しようとする生徒が多数現れたため「サクラさま」はやがて忌み言葉となった。
そしてこの話をしてくれた背広の男性こそが恫喝されている佐倉を見捨てた教師でした。 -
管理人のお爺さんは背広の男性の友人だったのでこの話を知っていたようです。
T高でまた「サクラさま」が出たと聞いて私たちが郷土資料館に行った時のことを思い出してT高にやって来たそうです。 -
父にサクラさまの話をした時あからさまに嫌な顔をされた理由がやっとわかりました。
父は当時T高に通っていたので事件のことを知っていたようです。母は別の県出身なので知らなかったのでしょう。
飢饉で殺された女の子というのは中学生の間で流行っている都市伝説でサクラさまとはなんの関係もないそうです。 -
Kはなんらかの形で「サクラさま」の名前だけ知った。KはYのお兄さんにサクラさまのことを聞いた、お兄さんは話の内容が内容なので代わりに中学生の間で流行っていた都市伝説を教えた。それを信じたKは私に話した。お兄さんが休暇で帰ってきたあの日Kは「サクラさま」の全貌を知った。
そう背広の男性は考察していました。 -
なぜYのお兄さんは「サクラさま」を知っていたのか?その疑問は管理人のお爺さんの話で明らかになりました。
お兄さんの母親の旧姓は “佐倉”でした。 -
背広の男性曰く
「佐倉は怨霊でもなければ祟りでもない。
佐倉は人を恨んだりするような奴じゃなかった。いじめられてはいたがいつも周りには優しかった。
佐倉をいじめた生徒は確かに自殺したが、実際に自殺したのは佐倉が死んでから八ヶ月後だ。
祟りだとしたらあまりに遅すぎる。」
だから私とCに対してこれ以上佐倉を怨霊扱いするような不謹慎なことはやめてくれ、とのことでした。 -
でも私は知っています。Cがあの時名札がないと騒いでいたのを。
CがKの自殺から丁度八ヶ月後に電車に飛び込んだのも。 -
以上が私が通っていた高校で起きた話です。
T高は既に廃校になっていました。
管理人のお爺さんは最近脳梗塞で亡くなられました。佐倉を見捨てた教師は数年前に遺体で発見されたそうです。Yのお兄さんだけはその後の行方が分かりませんでした。
親戚の葬儀で久しぶりに地元に帰ったのでこの話を投稿してみました。ここまで見てくださった方々誠にありがとうございました。 -
こういうのってAIとか使ってるの?
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ヤンキー校って孕んで退学がたくさんいるんでしょ?どのくらいいたの?
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>>55
んだ -
56歳の俺が行った高校では同じクラスの女子が夏休み中に駆け落ちして二学期から出て来ないとか隣のクラスの奴が中学生を妊娠させたから責任取って結婚するので土方で働くと辞めたのと又隣クラスのカップルが放課後に教室で立ちバックしてる所を教師に見つかり退学と言うくらいだなぁ。
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普通におもろい
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親世代は現在56歳前後なんだろ?
>>1が卒業して即廃校にでもなったのか? -
假屋崎省吾
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神社の賽銭箱に入ってた五十円は関係あるのかな
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