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アトピー
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人類永遠の救いです [無断転載禁止]©2ch.net
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>>1
抗癌剤は造癌剤w -
ロマーリオを見てきてるとガウショ(ロナウジーニョ)がカスに見える
http://n2ch.net/r/x6...1717845/l100?guid=ON 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:39828eafcc6c2073b074103bd7eecdc9) -
1(1): ロロ ◆RNLMhOuCjE 2007/02/17(土) 22:10:45 ID:PNk0UbIv0(1/6) AAS
(ロナウジーニョの)あの無駄の多いニワカ(素人)受けプレーの数々
ぎこちないボールタッチに無理のあるノールックパス
ロマーリオのような本物の天才が魅せた完璧な技術に裏付けされた
シンプルかつ効果的プレーこそ真の美しさがある -
11: ロロ ◆RNLMhOuCjE 2007/02/17(土) 22:44:20 ID:PNk0UbIv0(2/6) AAS
これほどに次元の違う選手の優劣を付けれないとは見る目が無さ過ぎですね
単純な足元の技術レベルが違いすぎる
ロマーリオにガウチョようなポジションは余裕だが逆は無理ですね
センス・天才性に越えられない壁があるね
まあ大黒柱でWCを勝ち取った怪物と曲芸師では生まれ持った資質に差がありすぎるね
ガウチョを見てても失笑と眠気しか起こらない -
35(2): ロロ ◆RNLMhOuCjE 2007/02/18(日) 03:04:53 ID:bojWnYyH0(2/5) AAS
最近はガウチョのような過剰なサーカスプレーヤーがニワカ受けするからと言ってマスコミの偏重した報道姿勢にはがっかりする
サッカーの本質を失っているのではないか?
だからマラドーナのような至高のテクニシャンをたまみたいなニワカが本当の技術を知らずに叩いている現状がかなしい
シンプルに高度なプレーを簡単にやってのけるほど上手いのである
その意味においてマラドーナ・ロマーリオ・バッジョの技術は神の領域と言えるね -
シンプルとは?天才性とは?
-
物事は世界は実はシンプルに出来ている
人間が世界を物事を複雑にしてるんです
みんな物事を難しく考え過ぎてるんですよ
この世もこの世の法則も至ってシンプルなのです
難解にしてるのは人間です
難しい事でも噛み砕いてシンプルに分かりやすいように説明出来る人間
これが優秀な人間です
難しい事のシンプル化
これも本当は難しい事なんでしょうけど -
が シンプル(単純)だからといってもイージー(簡単)なわけではありません
それどころかシンプルなものほど難しいのです
そんな馬鹿なと思うかもしれません しかし事実なのです
たとえば他人の仕事を見て簡単そうと自分にも出来そうと思ってても やってみると難しかったりします
見てると簡単そうなことでもやってみると難しいなんて経験は誰にでもあると思います
http://s.ameblo.jp/m...try-11348555997.html -
では何故シンプルが難しいのでしょうか?
料理ならオムレツ 音楽ならモーツァルト
シンプルなものほど ごまかしがきかないんです
シンプルなものほど力量が反映されるからです
http://blogs.itmedia...10/06/post-2919.html -
シンプル イズ ベストという言葉があるようにシンプルとは無駄が極限まで省かれた究極の洗練された姿なんです
シンプルが最高 至高と呼ばれるのはその為です
モーツァルトの音楽は無駄が省かれたシンプル イズ ベストでした
天才にしか到達出来ない領域ですね
人がモーツァルトの曲を選ぶのではなく
モーツァルトが弾き手の力量を試しているとも言えます
なので試験 課題曲でモーツァルトの曲が出るのも解る気がします
http://www.main-wave.com/mozart.html -
モーツァルトの音楽は、音が多すぎず、少なすぎずの適量で演奏しやすく非常にシンプルだといわれます。
無駄のない音楽は、まさに「シンプル・イズ・ベスト」ですが、
しかしそれゆえに逆に彼の曲を完璧に演奏することは
難しいといわれます。
演奏するという行為自体が、完璧なモーツァルトの曲を歪めてしまうからです。 -
完璧とは付け加えるものが無くなった時の事ではなく取り除くものが無くなった時の事をいう
レオナルド・ダ・ヴィンチ
シンプルである事は究極の洗練だ
http://4th-life.com/...ords/simple-is-best/
天才とは複雑なものを単純化する能力である
(C・ W・シーラム)
http://www.meigennav.../word/019/019654.htm
無駄なものが取り除かれれば根源的なものだけが残ります
芸術とは本来 根源的な魂の世界なのでしょう
http://blog.goo.ne.j...9e7ab5c707afa54645a2 -
アインシュタインもみんな難しく複雑に考えないで単純(シンプル)に考えようって言いました(*´∀`)
アインシュタインはそれまで複雑に考えられてきた物理学(物質世界の理(ことわり)を学ぶ学問)の世界をシンプルにそして理論で統一しました
でもそれはアインシュタインの明晰な頭脳があったからこそで他の誰も出来ることではありません
でもアインシュタインは物事は単純であるべきだけど単純化し過ぎてもいけないと言いました
http://s.ameblo.jp/w...try-11470299483.html -
アインシュタインの理論が発表される前、自然界では「時間」と「距離」が絶対で、「速さ」=「距離」÷「時間」・・・式(1)が示すように、
「速さ」は「時間」と「距離」の組み合わせによって表されるものと認識されていました。
しかしアインシュタインは「光の速さC」こそが絶対で、「時間」と「距離」は時空の状態によって変わる――「時間」は早くも遅くもなる。「距離」は伸びたりも縮んだりもする。――と捉え、そう予言したのです。
これは画期的な事でした。それまでは「時間」や「距離」が何かに影響されて伸び縮みするなんて、誰も考えませんでした。
あなたの周りを流れている「時間」と、僕の周りを流れている「時間」の進み方が、条件によって変わってしまう。
歳の取り方だって変わってしまうなんて信じられますか? -
ただし「時間」や「距離」が伸び縮みするのは、対象となる人や物体が「光速C=300000000m/s(1秒間に地球を7周半する、
宇宙で最高の速さ)」で動いている時でないと、大きく表れてこないので、残念ながら日常生活では体験することができません。
まさしくアインシュタインは、過去2000年にも及んだ既成概念を、
たった1人で、26歳の若さで、爽快にブッとばしてしまったのです。
さらに大きな驚きがあります。
「光速C=300000000m/s」は、どんな状態で測定しても、「300000000m/s」であるという事実です。
測定値が「300000000m/s」となるべく変化するのは、式(1)の中の「時間」と「距離」のほうなのです。
そう、アインシュタインの結論は「地球を含めたこの宇宙は“光速C”を基準(絶対)に存在している」ということなのです。 -
一般に物理学者は、このように「時間」や「距離」が相対的なものでしかないという点に注目して、
アインシュタインの理論を「相対性理論」と呼んでいます。
しかし、アインシュタイン本人は「光速C」が絶対だということのほうに真実を見ていたのです -
最後に、アインシュタインが生涯、最も大切にしていたことに触れたいと思います。
彼が常に意識し、求めていたものとは「シンプル」ただそれだけなのです。
「光速C」が絶対であることは、たったひとことで、この宇宙を記述しています。
これ以上シンプルに宇宙を語ることはできるでしょうか?
アインシュタインは「シンプル」=「真理」だと解かっていたのだと思います。
天才とは、難しいものをシンプルに捉える能力であり、
その真理を我々の前にわかりやすく翻訳してくれる人である -
稲盛氏の言葉にあるように
馬鹿と呼ばれる人はどんなに単純なことも
複雑に難解に考えてしまう人です
普通の人は複雑なことを複雑に考えてる人です
そして賢い人はどんなに複雑なことでも単純に考えられる人のことです -
考え方の違いなだけです
人間誰しも天才になれる可能性は秘めています -
可愛い女の子と一時間一緒にいると、
一分しか経っていないように思える。
熱いストーブの上に一分座らせられたら、
どんな一時間よりも長いはずだ。
相対性とはそれである。
- アインシュタイン - -
私の学習を妨げた唯一のものは、
私が受けた教育である(*´∀`)。
- アインシュタイン -
アインシュタインは特殊相対性理論の帰結として、
“E=mc2”
という有名な関係式を発表します。
エネルギーと質量は等価であることが示された画期的な理論ですが、
エネルギーEと質量m、光速度cという全く関係がなさそうな物理量がこの上なくシンプルな式で関係づけられたのは衝撃的ですらあります。 -
ピカソの絵は晩年になるにつれてどんどんシンプルになっていったんです
単純な線だけで表現する
これは簡単に見えてかなり難しい事です
物事は突き詰めるとシンプルに辿り着くんです
シンプルに還るといった方がいいかもしれません
ピカソも結論はシンプルでした
http://past.arts-and..._jiansetekureru.html -
世の中には、精密かつ正確に描ける画家はたくさんいる。でも、本当の天才は、一本の線ですべてを表現する。
その一本の線がもたらす美と真理に対する揺るぎない確信、これは天才だけに許される特権だと言えるだろう。
実際、生涯を通じてピカソの絵は、面も線もどんどんシンプルになり、抽象化していくにもかかわらず、
その表現の美しさと的確さはどんどんその深度を増していくという不思議な人だった -
参加者の数が増えれば、複雑さも席に座らせることになります。
シンプルを守るには、参加者の規模も守ること。
そして部屋にいるものはすべて理由を持っているべきであり、情けで招待するようなことがあってはなりません。
プロジェクトの成果の質は、そこにかかわる人間の多さに反比例します -
ジョブズがアップルを追い出されて、戻ってきた時、アップルの製品ラインナップは大きく増えすぎていました。
あらゆるユーザーに応えるため、あらゆる数の製品を作り出していたのです。
ジョブズはこれらのラインナップをシンプルにし、4つに絞りました。
ノートブック、デスクトップをそれぞれ消費者向けとプロ向けの2つのみです。
ユーザーは選択肢が多いほど、迷います。
シンプルにすることで、選びやすくなったのです。
さらに、このことで多くのモデルをサポートするために使っていた数百万ドルを節約できました。 -
ジョブズはナイキの社長からアドバイスを求められた時、こう答えました。
「ナイキの作る製品は世界最高です。
あなた方が貪欲に追い求めているとても美しく魅力的な製品です。
でも、一方でガラクタも作っています。
ガラクタを作るのをやめて、いいモノに集中すればいいでしょう。」 -
ボタンはひとつ。シンプルさの正式なシンボル「1」は疑いもなく、人間が発明したもっとも単純な数字です。
単純だから子供でもわかるし、1から離れるほど、複雑になっていきます。
それが理由でスティーブはiPhoneのボタンをひとつにすることに決めました。
iPhoneが登場する前のスマートフォンは、大量のボタンがついていて、覚える努力が必要でした。
一方、ボタンを一つにすればシンプルさは努力を必要としません。 -
「ある問題を解決しようとして、最初に考え出した解決策がとても複雑だったとしよう。
ほとんどの人はそこで考えるのをやめてしまう。
だが、そこでやめずに考えつづけて、玉ねぎの皮をむくようにムダなものをそぎ落としていくと、
とても洗練されたシンプルな解決策にたどり着くことがよくある。」 -
Apple製品が持つシンプルな機能と美しさを理解するために使用されたのがピカソの絵画「雄牛」です。
雄牛がピカソの手によって簡素化されていくスライドがプレゼンテーションで映し出され、Appleの製品デザインにおいて最も重要な要素の1つである「シンプルさ」が説明されました。
細かな部分まで描かれた雄牛
頭ががシンプルになり
ほとんど線だけになりました\(^-^)/
更に簡素化されるものの
その形から牛ということが分かります -
一見なんにも手がかけられていないように見えるくらいシンプルなやつほど、 めちゃくちゃ考え尽くされていると言うか。
逆に、あれこれ手をかけたように見える派手なやつほど、 実際はなーんにも考えられてないと言うか。
付け加えるのは(複雑にするのは)簡単なので誰にでも出来るけど、 減らすのは分かってないと出来ないからスーパー難しい。
減らすことは恐怖とも言える難しい作業。 -
マラドーナの技術の根底
究極のシンプルさ(*´∀`)
スポーツでもそうです
技術は磨くと書きますが 技術は磨けば磨くほど無駄が無くなるんです
例えるならマラドーナ
マラドーナのトラップ(ボール処理能力)は無駄を省き次の動作に素早く移る為のトラップです
五人抜きにしたって無駄なタッチや動きは一つもないんですよ
ロナウジーニョのような派手な技術に目が行きがちですがプロの世界でもシンプルは最も難しい事なんです
実際ロナウジーニョは無駄が多かったです
今でもマラドーナは最高のテクニシャンといわれてます
野球ならイチローの守備
落下点を予測し捕球まで無駄なく最短の距離で移ればダイビングキャッチなんてする必要もありません 事前のポジショニングも関係あります
サッカーのGK もそうです
派手なファインセーブをするGK が良いGK とは限りません
事前に良いポジショニングを取り 予測して動く
地味なセーブになりますがプロはこういうところを見てるんです
シンプルな事だけど難しいんです
http://www.1itsuka.com/kanpeki.html -
でも、マラドーナをみていて思うのは彼の技術というのはどんどん足していって、足りない
モノがないという「完璧さ」ではなく「もうこれ以上、捨てるモノがない」という、無駄が
一切ない極致ではないかということです。
これ以上、捨てるものがない、つまり“1”の状態がマラドーナの技術ということです。
日本語では「技術は磨く」と表現します。そしてもうおわかりのように「磨く」という
ことは、イコール「削る」ということでもあります。
「技を磨き、極めると一切のムダがなくなる」ということです。
マラドーナの凄さはイマジネーションにあるという人もいますが、これも、結局、その状況
にあったプレーを「最短」「最速」でしかも「最少」のボールタッチでマラドーナは実現して
しまうのでそういわれるんだと思います。
伝説の5人抜きなんてその典型ですよね。無駄な動きとタッチはひとつもないですから。
「究極のシンプルさ」。
磨き抜かれた技術が行き着く先です。フリーザーの最終形態みたいな感じ(*´∀`) -
◆Maria/HshU 2015/09/13(日) 21:03:51.07 ID:T5s3RFIu0
ロベルト・バッジョ 魔法のトラップ
これが最高かな
http://www.youtube.c...G6aBjIIc&;sns=em
191 :靉孥:2012/02/10(金) 14:06:53.35 ID:J1ZbaXDN0
>>190すげーな
193 :名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/02/10(金) 18:11:33.65 ID:bdChDvcOO
>>190
キチガイだな なにこれ
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一見 地味でシンプルなプレーに見えますが
サッカーをしたことある人なら分かると思いますが
このように真後ろから飛んでくるロングボールをトラップ(ボール処理)するのは本当に難しいんですよ
けどバッジョはこのトラップでキーパーまでも
かわしてしまった 満点です(*´∀`)
http://soccer-video.jugem.jp/?eid=34 -
たいていの選手はボレーでそのまま打とうとして上手く当たらず枠を外れたり、
ゴールに背を向けたままのトラップというのが普通だと思います。
しかしバッジョ選手はこの一連の動きの中で
ゴールに向いたままトラップし
同時にキーパーまでも抜き去ってしまいました
満点です
魔法です(*´∀`) -
大迫半端ないって
後ろ向きのボールめっちゃトラップするもん
そんなん出来ひんやん 普通
http://youtu.be/ahBp-WqGq9Q
大迫の後ろ向きのボール トラップ
http://youtu.be/zcVzqryed3g
例えばこれは高校選手権のものですが
日本の高校生レベルでは
このようなトラップでも充分上手いと言えるのですが
それを踏まえてもバッジョのトラップは次元が違います
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http://youtu.be/_0-j3gi6CvY
例えばこれはロマーリオ選手のトラップですが
最後のロングボールを脛辺りで前方にトラップし
すぐさまシュートを打つようなプレーは
まさに神業と言えます
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一流の打者達が誰しも天才と呼ぶ孤高の大打者
落合博満氏曰く
「オレは天才なんかじゃない。本当の天才は前田智徳。打撃フォームがシンプルで無駄が無い。野球を始める子供達が是非参考にすべき教科書のような打撃フォーム。」
と絶賛しております。
また、イチロー選手や松井秀喜選手も天才打者と絶賛しております。
山本浩二氏は
「トップの位置がピタッと決まって軸がブレないし、フォームも崩れない。相手ピッチャーに関係無く、
全て自分のスイングで処理している。」
と述べており、入団当初から教える事がなかったとのこと。 -
12: 「ぶーん」と飛躍するななC⊂( ●▲●)⊃ 2015/01/27(火) 00:49:39.38 ID:2vVnUPgNa
極限まで無駄を削ぎ落とした死ぬほどシンプルな動きなんや
あの打ち方ができたらそら打てるわってフォーム
ただ、あの動きを実践するのはホンマ難しい
自分をビデオで録画してみりゃわかるけど、どんなに真似しても前田ほど綺麗にできん
それを実戦のバッターボックスでやるんやで
16: 「ぶーん」と飛躍するななC⊂( ●▲●)⊃ 2015/01/27(火) 00:50:34.49 ID:hrS8GOUk0
>>12
俺らができんのはわかるけど、プロにも賞賛されるくらい難しいってことか -
栗山英樹は「ゆっくりバットを引いてタイミングを取ることで、一連の動きをすべて『動』から『動』にできる」
「何百回も目いっぱい速く振るのはどうしてもブレが出てくる。遅いスイングなら確かめながら振れるので、
極端に言えば、バットがどこにあるのか全部わかって、同じように振れる。
ゆっくりなスイングで振るということは確実性が増す。ゆっくりなスイングで遠くへ飛ばせる、速い打球が打てるというのはある意味『究極の理想』のはずなのだが、
そこに向かっているということなのだろう」と分析している。また、そのスイングで長打を打てることについて、栗山は「(前田は)下半身の使い方が非常に優れていることと、
力が外に逃げない理想的なスイングプレーン(スイング軌道)によって、無駄なくボールに力強さを伝えられている」と続けており、
前田のバッティングについては「究極のシンプル。『シンプル・イズ・ベスト』といわれる意味の、
本当の意味が前田選手なのかな、と思います」と評している。 -
?頭の位置が動かずに首から下だけ回している
?腰は回転を始めているがグリップはトップのままという「割れ」ができている
?バットが体に巻きついてヘッドが最後まで遅れて出てきている(インサイドアウト)
?左肘が体の前をスムーズに抜けている
?軸を回しきった深いフィニッシュ
バッターが「こうしたいな、こうできたらいいな、」と思ってるほとんどのことを体現しているから
「理想のバッティング」として語られている -
この点をポイントに前田選手の過去の打席を改めて見てみると、どの打席も同じ様に打ってる様に見えるのです。
どんなシーンも同じフォーム、同じタイミング。同じVTRなんじゃないかって思える程なんです。
トップの位置もブレていないし
軸もしっかりしていて一切の無駄が無いことが分かります(*´∀`)
そのためバットも最短で出てくるため
どんなボールでも対処可能というわけです
この点が他の打者と決定的に違う大きな点ではないか
実績豊富な他のプロ野球選手からも賞賛される打撃フォームの真髄がこれなんじゃないかと
思うわけです(*´∀`) -
「正確な日時は忘れたけど、浜松での試合だった。
外角のストレートをライトに運ばれたんだ。これは衝撃的だった。」
調べてみると1998年の5月に行われた試合である。
この衝撃で山本昌は打ち込まれノックアウトされた。
左のスリークォーターである山本昌にとって、
左打者への外角低めのストレートは勝負球、生命線ともいえる投球である。
「左打者への外角低めのストレートは100%打たれない自信があった。 -
打たれたとしてもバットに合わされてレフト方向に打たれた場合だけ。
そのあと、ジャイアンツの松井秀喜と小笠原道大に同じようなコースを打たれたことがあったけど、
二人のはレフトスタンドのあたりで、しかも東京ドームでの一発だった。
だから二人のホームランは理解できた。
でも、前田に打たれたのは未だにどうやって打ったのか、どこが悪かったのか理解できない」
左打者が左投手の外角ギリギリの球を引っ張ってライトスタンドに運ぶ。
よほど超人的なパワーがあり、尚且つ長いリーチを持っていないと不可能と思える -
それを決して長距離打者と言えない、しかもアキレス腱の故障から復帰して3年目の、
まだ足を引きずる場面も珍しくなかった前田がライトにホームランする。
打たれたほうの衝撃は想像できる。
因みにこの年の前田は100試合に出場するのがやっとで、本塁打は15本だった。
「ぼくは左のいい打者が出てきたときは、だいたい外角のストレートで勝負した。
松井や鳥谷敬なんかがそうで、彼らは最初は打てなくて2年ぐらいは楽な打者だった。
でも、前田には通じなかった。」 -
山本昌の代名詞と言えるスクリューボールは、身につけた当初は右打者専用だった。
左打者に使うにはコントロールが難しいからだ。
だが、決め球の外のストレートを引っ張ってホームランにするような打者が現れては、
使わない訳にはいかない。
「だからぼくが左にもスクリューを使うようになったのは前田の存在が大きかったね」
痛打の記憶もあるが、会心の投球もある。
ものにした「左のスクリュー」を、前田に2球続けた事がある。
「2球とも自打球が足に当たって試合が中断した。3分くらい中断になったんじゃないかな。
さすがに前田も嫌気が差したみたいで、3球目はバット振らずに見逃し三振になったよ」 -
先発投手の山本昌と代打に回るようになった前田は対戦の機会がなくなった。
二人の最後の対戦は2007年である。
「すれ違いになっちゃったからね。引退する前に一度は対戦したかったよ。
彼の若い頃、市民球場で打撃練習の様子を観察したのを思い出すなあ。
準備運動しながらしっかり見たことがあったけど、鬼の形相だった。
その怖しい顔も忘れられないが、芯でとらえたい感じの打球音も忘れられない」 -
仏教の目的はたった一つ
苦の消滅です -
修行僧達はこの苦しみを断ち
苦しみの無い世界
涅槃に到達することが最終目的です -
人間とゆうのは様々な欲に縛られてるわけです
物欲であったり金銭欲 地位欲 食欲 名誉欲
欲があるから人は煩うのだ 悩むのだと
そう考えたお釈迦様は王子という身分を捨て修行し
解脱して悟りを開きます
この世の苦しみからの解放 それが解脱です
お釈迦様は無駄なもの(煩悩)を捨て人間としてシンプルに生きようとしたのです
欲を捨てることにより真の自分を解放したのです -
その煩悩、苦しみの尽きた境地を涅槃(ねはん)といいます。仏教徒が目指すゴールです。
仏教では、善と不善とを明確に区別しています。
善とは過失がなく、よい結果をもたらすもの。
不善とは過失があり、悪い結果をもたらすものです。
私たちを煩わせ、悩ませ、苦しめる不善のはたらき。それが煩悩です。
「もろもろの悪いことをなさず、もろもろの良いことを行い
自らその心を浄くすること。これが諸仏の教えです」 -
煩悩を捨てさったお釈迦様によるダンマというシンプルな教え
お釈迦様は簡潔に分かりやすくシンプルに教えていましたが
後世の人間により複雑で分かりにくい教えへと変化していきました
http://www.dhamma.com/ja/ -
お釈迦様は天才です
十代の頃から勉強もスポーツも万能の天才少年だったのです
天才ゆえに人にシンプルに説明することが出来ました
http://www.j-therava....net/kogi/kogi6.html -
お釈迦様は王子の身分で金銭的にも
物質的にも恵まれていました
ただ人間にとって、ものごとが上手うまく行っているときほど見えない穴もまた大きく掘られているのです。
豊かになればなるほど、同時にその穴もまた大きくなっていくのです。
ですから、幸福というものは物質的なところで掴むものではなく、精神的、心で掴まえる豊かさこそが真の豊かさと言えるのです。
お釈迦さまはそのことに気づき、出家をされて心の豊かさを追い求められたのです。 -
はじめて世間に出たお釈迦さまは、最初にみすぼらしい身なりをした老人に出会います。
「こんなふうにして毎日毎日遊んでいたところで人間というものは皆この老人のように老いていくのだ。
いまはこうして老いを忌いみ嫌うけれど、自分もまた老いて、みにくくなっていく存在だ」お釈迦さまはショックを受けます。
次に、お釈迦さまは病人に出会います。 -
それまで病気らしいことは一度も経験しなかったお釈迦さまはここでもショックを受けます。
「なるほど人間というものは自分が健康なときは病人を見て忌み嫌うけれど、
自分もまたいつかは病気にかかってそれが原因で死んでしまうこともあるのだ」
病気になったら、億万長者と言われようがどんなに高い名誉に包まれていようがそんなことは全く関係なく、
無価値になってしまうのです。
次に、死んだ人を目撃して「ああ人間というものはただこれだけの存在なのか。
ただ死ぬためだけのために一生を頑張って生きているものなのか -
お釈迦さまは若くしてこのような人生の実相というものを洞察し、それでは人間として避けることの出来ない、
こうした苦しみからどうしたら脱却して生きていく方法があるのだろうか−真理の道を追求しはじめたのです。
最後に出会ったのは出家者でしたが、この出家者を見てお釈迦さまははじめて自分の求める道、方法が分かってきたのです。
そこからお釈迦さまの求道、修行の旅は始まり、そしてついに真理を見つけるのです。
「ついに解かりました。 すべての悩み苦しみを乗りこえた真理を見つけました」と、お釈迦さまは言います -
仏教というのは、お釈迦さまが真理を見つけたとおなじように、私たちひとりひとりもまた真理を掴めるよう修行する方法を説くものです。
現在では我々の想像できない、見方をまったく変えた確かな方法で世の中を、そして自分を見る方法。
それが、Vipassanâ で vi (明確に、詳細に)という言葉と、
Passanâ (観察する)を合わせてヴィパッサナー冥想法と呼んだのです。
ヴィパッサナー冥想は決して苦行ではありません。
心身ともリラックスさせることがまず大事です。 これはあくまでも実践方法なのです。
お釈迦さまは、心を清らかにして解脱を体験する方法としての冥想法を勧めているので、他の瞑想法とはちがって、
どんな人にでも簡単にできる方法を指導しているのです。 -
涅槃とは欲望の炎が吹き消えた境地の事です
歴史上 そこに到達したのはお釈迦様だけでしょう
後世 涅槃とは釈迦の死に際し極楽浄土の意味で用いられてますが
本来は欲望の炎が消えた境地の事です
http://kusyami.com/kusyami/k_nehan.html -
http://s.webry.info/...1301/article_30.html
比丘(びく)よ、この舟から水を汲み出せ
汲み出せば、速く進むだろう
貪欲と怒りを断ち切れば
涅槃に到達するだろう
この舟」とは「自分」のことです。「水」とは「煩悩」のことです。
舟から浸水した水を汲み出せば、舟は沈むことなく、舟は軽くなって速く目的地に到達します。
そのように、自分から貪欲や怒りのような煩悩を汲み出せば、涅槃に速く到達できるのです。 -
西洋の文明の、物理学、哲学、心理学、経済学など、
どれほど進歩しても、2600年前にお釈迦さまの説かれた
哲理を証明するだけで、
今後進歩すればするほど、仏教に近づくだけであることが
書かれています。
孫悟空がキント雲で世界の果てを目指しても、
お釈迦さまの手のひらから外へは
抜け出せないイメージそのままです。
仏教は、お釈迦さまが仏智を体得し、
宇宙の真理を説かれたものです。
つまり、三世十方(いつでもどこでも)を貫く真理を
説かれたものということであり、
信じる信じないの一宗教的なものではないということなのです。 -
「まさか物理学より広い世界観はないでしょ?」
とあなたは思っていませんか?
天才的な物理学者たちは、
驚くべきことを発見しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
●2000年前に物理学を先取り
20世紀の爆発的な科学の進歩によって、
ミクロの世界から大宇宙まで、
物理学は急速に自然のしくみを解き明かしました。
その現代物理学の柱が2本あります。
■相対論
まず一つ目は、時間と空間の関係を解明し、
現在はカーナビなどに使われている『相対論』です。
光に近い速度では、時間がゆっくり進み、
空間はゆがんでしまうという想像を絶する理論です。
たった一人で作りあげた天才、アインシュタインが、
何と、物理的な考えを究極に突き詰めていくと、
仏教に説かれる概念と、
酷似したものがあると言っているのです。
さらに、次のようにも言っています。
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものが
あるとすれば、それは仏教です -
■量子論
もう一つは、ミクロの世界を解き明かし、
パソコンや携帯電話、半導体などに使われ、
現代生活になくてはならない『量子論』です。
その内容は、
「すべての物質は波であり、粒子である」という、
これまた想像を絶するものでした。
ところが、量子論をつくった代表的な3人、
ボーアと、ハイゼンベルク、シュレーディンガーも、
東洋思想を学んでいます。
量子論の父、ノーベル賞物理学者
ニールス・ボーア(1885〜1962)
原始物理学論との類似性を認識するためには、
われわれは仏陀や老子といった思索家が
かつて直面した認識上の問題にたち帰り、
大いなる存在のドラマのなかで、
観客でもあり演技者でもある我々の位置を
調和あるものとするように努めねばならない。
波動方程式によって
ミクロの世界を
波として説明したシュレーディンガー(1887〜1961)
は著書の中で、波動方程式が、
東洋の哲学の諸原理を記述していると語り、
次の言葉も有名です。
西洋哲学は東洋思想の輸血を必要としている。 -
ミクロの世界を、粒子として説明した、
ドイツのノーベル賞物理学者
ハイゼンベルク(1901〜1976)は、
日本のすごさの原因を次のように考えています。
過去数十年の間に、日本の物理学者たちが
物理学の発展に対して
大きな貢献をしてきたのは、
東洋の哲学的伝統と、「量子力学」が、
根本的に似ているからなのかもしれません。
その代表、中間子論により日本初のノーベル賞を受賞した
湯川秀樹(1907〜1981)は仏教から多くを学んでいます。
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた。」 -
世界初の原爆を開発した責任者、
語学の天才オッペンハイマー(1904〜1967)
は語学に堪能で、仏教も学んでいました。
「原子物理学の発見によって示された人間の理解力は
必ずしもこれまで知られていなかったわけではない。
また、べつだん新しいというわけでもない。
我々の文化にも先例があり、仏教やヒンズー教では
中心的な位置を占めていた。
原子物理学は、いにしえの智慧の正しさを例証し、
強調し、純化する。
「ブーツストラップ(靴ひも)理論」により、
素粒子「クオーク」を用いず、
最新の実験結果を説明した
カリフォルニア大学物理学科長
ジェフリー・チェ(1924〜)
は、仏典の説く宇宙モデルと、
自分の理論が同じ概念であると知り、
愕然としたと言います。
「1969年のことです。
当時、「東洋哲学」の勉強をしていた高校生の息子が、
大乗仏教について私に話してくれたときの驚き、
悔しさはいまでも鮮明です。
私は、仏教とはおそろしく非科学的な感じの概念と
思っていましたから、
私の理論との結びつきにひどく狼狽しました。
それから、ずいぶん時間はかかりましたが、
当初の狼狽や当惑は、
やがて、畏怖(いふ)の念に変わっていきました。」 -
また、素粒子の世界だけではありません。
1980年代後半に生まれた『複雑系』の研究をし、
シュレーディンガーの主著の日本語訳でも知られる
中村量空(なかむらりょうくう 1948〜2001)は、
「私が仏教の縁起に関心をもったのは、
複雑な世界の実態を説く縁起(因縁果の道理)の世界観が、
現代の複雑なシステムの理解に強いインパクトを
与えるだろうと思ったからである。
人や物の結びつきを説くこの世界観に立てば、
何らかのパースペクティブ(見通し)が得られるにちがいない。
そこから現代科学の探究する複雑なシステムを見れば、
どんなイメージがわいてくるだろうか。
縁起のアイデアを現代科学に生かそうという試みは、
むしろ新鮮な刺激を
サイエンスに与えてくれるような気がする。」
と述べています -
「従来は、宗教と科学というと、
両極端にあり、対立するもの、
そして相容れないものと考えられてきた。
たしかに、「ニュートン力学」のレベルの科学は、
宗教とは相容れない。
そして、一般の人が心の中に持っている
「科学」という概念は、
実はほとんどの場合
「ニュートン力学」のレベルにとどまっている。
だから、宗教と科学が対立して見えるのだ。
20世紀に入ってから、科学は大きな変容を遂げた。
アインシュタインの「一般相対性理論」や、
素粒子の物理学である「量子力学」など、
従来の「ニュートン力学」の概念を
大幅に塗り替える理論が確立したからだ。
とくに「量子力学」は、少し深く読むと
宗教的な概念と決して矛盾しないような
解釈が可能になってくる」 -
あるところに、
お釈迦様が多くの人たちから
尊敬される姿を見て、
ひがんでいる男がいました。
「どうして、あんな男が
みんなの尊敬を集めるのだ。
いまいましい」
男はそう言いながら、
お釈迦様をギャフンと言わせる
ための作戦を練っていました -
ある日、その男は、
お釈迦様が毎日、同じ道のりを
散歩に出かけていることを知りました。
そこで、男は
散歩のルートで待ち伏せして、
群集の中で口汚くお釈迦さまを
ののしってやることにしました。
「釈迦の野郎、きっと、
おれに悪口を言われたら、
汚い言葉で言い返してくるだろう。
その様子を人々が見たら、
あいつの人気なんて、
アッという間に崩れるに違いない」
そして、その日が来ました。 -
男は、
お釈迦さまの前に立ちはだかって、
ひどい言葉を投げかけます。
お釈迦さまは、ただ黙って、
その男の言葉を聞いておられました。
弟子たちはくやしい気持ちで、
「あんなひどいことを言わせておいて
いいのですか?」
とお釈迦さまにたずねました。
それでも、お釈迦さまは
一言も言い返すことなく、
黙ってその男の悪態を聞いていました。 -
男は、一方的に
お釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、
しばらく後、
その場にへたりこんでしまいました。
どんな悪口を言っても、
お釈迦さまは一言も言い返さないので、
なんだか虚しくなってしまったのです。
その様子を見て、お釈迦さまは
静かにその男にたずねました。 -
「もし他人に贈り物をしようとして、
その相手が受け取らなかった時、
その贈り物は一体誰のものだろうか」
こう聞かれた男は、
突っぱねるように言いました。
「そりゃ、言うまでもない。
相手が受け取らなかったら
贈ろうとした者のものだろう。
わかりきったことを聞くな」 -
お釈迦さまは
静かにこう続けられました。
「そうだよ。
今、あなたは私のことを
ひどくののしった。
でも、私はその ののしりを
少しも受け取らなかった。
だから、あなたが言ったことは
すべて、あなたが受け取ることに
なるんだよ」 -
人の口は
恐ろしく無責任なものです。
ウワサとか陰口というものは、
事実と違って、
ずいぶんとでたらめなことが
よくあります -
自分を非難されるようなことを言われたら、
たいていの人が、ダメージを受けます。
傷ついて落ち込んでしまったり、
腹が立ってイライラしたりすることも、
あるでしょう。
でも、お釈迦さまは、違いました。
人前で恥をかかされることを言われても、
ちっとも動じません。
-
その場を立ち去ることもせず、
じっと相手の話を聞いているのに、
口応えもしません。
それでいて、まったく
傷ついたり怒ったりしないのです。
お釈迦さまは、
相手の言葉を耳に入れても、
心までは入れず、
鏡のように跳ね返しました。
ですから、
まったくダメージを受けないのです -
言葉は時として、
人の心を傷つけることのできる
ナイフになります。
しかし、
心がナイフより固くて強ければ、
痛くもかゆくもないのです。
ひどいことを言う相手を責めても、
仕方ありません。
それより、
自分の心を強くする方が、
簡単で効果的です。 -
仏教の世界には
1日一食は聖者(釈迦)の食事
1日二食は人間(日本人)の食事
1日三食は獣(白人)の食事
という言葉があるそうです -
仏教的な観点からすると、
 
食事=他者の命を奪う行為
 
自分の生命維持に必要な分だけ、他者の命をいただくと言う意味で
一日一食は聖者の食事
と考えると、納得せざるをえません -
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-
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