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「老害」は時代のせいじゃない…70代で「取り残される人」と「取り残されない人」の決定的な違い [きつねうどん★]
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変化する流行や時代の中で「普遍的なデザイン」を目指すプロダクトデザイナーの秋田道夫氏。今回は、同氏の著書『仕事と人生で削っていいこと、いけないこと』(大和出版)から一部抜粋・再編集し、年を重ねていくなかで取り残されない生き方のヒントを探ります。
「服装」と「言葉選び」が素敵な60代に向かって年を重ねていくコツ
エイジレスな自分でいたいと思います。60歳になったとき、「わたしはすでに70歳」と思うようにしました。実際に70歳になったら、もう10年間70歳ですから、70歳の大ベテランです。実際の70歳を迎えたとき、もう自分には「年齢はない」と思うことにしました。80歳のシミュレーションもしません。
これも「よきにはからえ」です。誕生祝いのメッセージもなくてかまいません。小さいケーキを2つ買って、晩御飯のあと、妻としゅくしゅくっと食べて終わります。
年下の人に「秋田さんみたいに歳を取りたい」と言っていただくことがありますが、その意味するところは「服装」と「話題や言葉のチョイス(選び方)」にコツというか、何かポイントがあるように思います。常に「今」を面白がり、「今という時代」と仲良くしてきたことが、そう思ってもらえる理由なのかもしれません。
見た目の部分で言うと、服装のセンスに関しては、若い頃からの積み重ねだと思っています。ただ、ひとつ大事なのは、値段ではなく、清潔かどうか、新しいかどうか。古いものでもかまいませんが、古臭くならないことです。髪や体のメンテナンスも大切です。わたしは20日に1回散髪に行き、1ヵ月に1回は歯科医院、1ヵ月半に1回は病院に通っています。
エイジレスに年を重ねるには、そうした「最低限、おさえるところはおさえる」という心がけが必要ではないかと思います。
「安全な恰好」をすることも一つのセンス
わたしは、サンダルは履きません。そして、必ず長ズボンと靴下を履いています。「サンダルはダサいから」ではありません。どれもケガをしないようにする心構えです。不意の出来事ってあるものです。ちょっと角に足をぶつけただけでもケガをすることがあるから、サンダルはいけないのです。
そういう意味で、靴下も必要だし、長ズボンも履かないといけません。半ズボンの男性がベビーカーを押しながら歩いているのを見かけることがありますが、ベビーカーにも突起があるので、急いで動かしたときなど、切り傷を作る可能性があります。
わたしの中では、サンダルを持っていること自体がダメです。とにかく外出するときの半ズボン、裸足、サンダルは厳禁。いつ地震があるかわからないし、急に気温が下がって寒くなることもあるので、ラフすぎる格好の人は油断のかたまりに見えます。ラフな格好で乗り切れる人もたくさんいますが、センスは「流行を越える」ものです。みんながしていても、そうでない「安全な格好」をすることこそ、センスだと思います。
わたしは寒がりで、「伊達の薄着」をするとすぐ風邪を引くので、半袖もあまり着ません。夏でもTシャツの上にカーディガンを着ていることが多いです。ファッションがどうという以前に、身を守ること、とっさの事態にも対応できる身なりでいること。これも日常に欠かせない心構えではないでしょうか。
「前に出たい欲」をコントロールすることが「老害化」防止のカギ
「老害」という言葉があります。年配の人の行状を批判するのによく使われる言葉ですが、その言葉を聞くたび、「なぜ誰もがいずれ確実に歩む道だという発想を持たないんだろう」と「老害側」のわたしは思います。
まあ、「自分だけはそうならない」と思いたい気持ちはよくわかります。根本的な話をすると、老害というのは、元々問題のある人が歳を取っただけというのがわたしの結論です。いわば若くても「老害性の人」、つまり「場所をわきまえず大声で威嚇するようなタイプ」はいるでしょう。つまり、歳を取ったからみんな「声が大きくなる」わけではありません。あるとき、こんなふうに嘆く人がいました。
「昭和の時代に自分の意志を押さえつけられて育ち、今、自由な行動が許される立場になって、どうしていいかわからない」。 - コメントを投稿する
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わたしは昭和の真ん中生まれですが、このように都合よく「時代」を持ち出して言い訳に使うことにはまったく共感を覚えません。時代のせいにしてはいけないと思います。
わたしは昔も今も言いたいことを言っています。人に言われたことに従っているなら、それは自分がそういう性格だというだけです。「老害」と言われる側も、元々若いときから自己中心的だったり、人に理不尽な要求をする性格だったりするわけで、それを時代が許していただけの話です。
若いときに「大人はわかってくれない」と言っていた人にかぎって、歳を取ったら「今どきの若い者にはわかってもらえない」と言います。もちろんわたしも、世代間のギャップに戸惑った経験はあるし、「『今どきの若い者は……』なんて言えたら気がラクだな」と思うこともあります。でも、言いません。
「江戸っ子はかっこよくそばを食べるために、つゆをつけたくてもほとんどつけない」という話がありますね。わたしにもそういう考え方があって、ずっとそう生きてきたので、「我慢慣れ」しているのです。「老害になるかメンターになるか」というテーマの本も出ているようです。
そのわかれ目は、必ずしも年齢ではないとわたしは思います。「前に出たい」という欲をコントロールして、「相手を認め、やらせてあげること」の価値に気づき、実行できるかどうかです。それができる人は、たとえ若くてもメンターになることができますし、どんなに年を重ねても老害になることはないでしょう。
https://gentosha-go.com/articles/-/66996 -
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