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クラシック
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名曲名盤は「自分で聞いて判断」する時代
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誰々の選曲とかが無意味な世界 - コメントを投稿する
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と言えよう
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自分には宇野珍や吉田、ハル君らがアホらしく感じるぜ、悪いけど。
もう20世紀で終わったよ、この連中。 -
物事の価値・判断の基準は、結局自分がどう思うかということでいい
周りの人たちがどうの、昨今の流行がこうの、なんてどうでもいい -
令和=西暦から18引く(018→レイワ)
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とは言え、大まかな人気・不人気の傾向は販売店の売上げとしてそれなりに出てくるわけで…
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肝心なのは自分と正反対の意見や好みでも相手を頭ごなしに非難や否定をしないことですね。
寛容の精神が大事かと。
相手を認めた上で自分はこうだという信念を持っていればよろしいんじゃないかなあ。
クラシック音楽マニアの皆さんはどうも狭量な心の人が多いように思います。自分も含めて。 -
他者の好みが自分と異なって「悪趣味」や「軽薄」などの感想を持ったとしても
わざわざ他者にそれを伝える必要は無いからね
世の中に「悪趣味」や「軽薄」は一定数存在するし根絶もできない -
一応他者の意見や感想に耳を傾ける
これが無いと只の意固地、へそ曲がりになっちゃうからね -
人間ひとりひとり顔が違うように、好みも違うのが当たり前
俺も名盤・人気盤投票の類の記事は興味も関心も無い -
名盤紹介の本とかは、初心者にとっては、よすがになる場合があるから、全く無意味とは言えない、と言えよう
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でもねえ、平成になってもフルトヴェングラーやカザルス推されてもね
饒舌な大人を信用して貴重なお小遣いでそれらを買った学生がかわいそう -
また不思議な括りが出てきた
作曲や演奏、あるいは商品化などにおいて初心者や熟練者といった違いは存在する
一方で自宅や演奏会などで楽曲を楽しむことについて
初心者や熟練者といった区分が存在するのであろうか?
知識や経験が豊富なことによる弊害も存在するはず -
>知識や経験が豊富なことによる弊害も存在するはず
そういう面も場合によってはあるだろうが全くの初心者が1時間もかかる交響曲を楽しめるわけないじゃん
年末の第九がいい例 -
まあまあみんな、故 小山観翁さんだって最初から芝居通だったわけじゃないのと同じだよ
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緩徐楽章を昼寝でやり過ごして最終楽章の盛り上がりだけ楽しむのもありだと思うけど
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寝ているとイビキがうるさいとつまみ出されるもんよ
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とはいえ、好みの傾向は大概一致している
金管やってる人は大体がシカゴ響推し -
「初心者が1時間もかかる交響曲を楽しめるわけない」
こういう根拠の伴わない言説ってどこからくるのかね
映画や演劇、あるいは他の演奏会とか1時間、2時間はあたりまえ
そのために緩急を含む各種演出がある
また演奏会経験がたくさんあっても楽しめていない集団がいることも事実 -
でもねえ、ソナタ形式でどこから展開部で再現部でこうなるとか
変奏曲で主題がどうなったとか全然わからないとやはり厳しいんじゃないかなあ -
絵画とかの展覧会でいつも思うことがある
一生懸命に脇の「題名」や「作者」や「技法」や「作成年」が書かれたプレートを熱心に見て
絵画そのものは一瞥して通り過ぎる人たち
まぁ本人が楽しめていると感じているならそれもありかな -
今は田舎オケでも全世界に配信する時代だからなあ
少ない録音でスターを作った時代とは違うわね -
ある程度クラシックを聞いてる人なら自分で聞いて判断できるだろうけど、
全くの初心者がクラシックを聞こうと思った時に「自分で聞いて判断しろ」って言われたら嫌な気分になって興味を無くすだろうね -
俺はなんの知識も経験も無い餓鬼のころに、親父が持っていたクラシックのLPレコードを聴いて単純に感激・感銘してたけどね
ソナタ形式がどうのこうのとか、変奏曲で今のは何番目の変奏だったとかサッパリ解らなくてもね -
「なんだか明るくて楽しい散歩に行きたくなる曲だね」という感想と
「音楽史における画期的な…」
「作曲者の込めた思いを指揮者があまねく…」などという感想と
優劣が付けられるのかな?
どっちかというと後2つの方が劣っている感想の気がする
あと同じ曲を何回も聞くと飽きるんですよ
様々な曲に演奏したり聞いたり曲の経験が増えると
技法が稚拙とか独自性が薄いとか擦れた感想を抱きがちになる気がする
一方で自分の子供の稚拙な演奏には感極まって涙とか -
音楽は結局、頭で聴くのではなく心で聴くものなのでは?
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心も主として頭の中に存在するものでは?
手足の欠損や心臓移植を伴っても心はある程度連続してあるわけで -
知性や理性でなく感性という意味でしょう
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記憶力が無いと音楽を楽しむことは不可能
そして記憶を司るのは脳 -
AMラジオでも感動するんだよね。
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「感性」と「知性」や「理性」は明確に分類できないと思っている
ある状況で「憤怒」や「報復」を解消や実行するにしても
カッとなって刺し殺したは「感性」の典型例で
相手や司法機関や社会情勢等を調べて完全犯罪を試みるのが「知性」
どの程度の未来予測かや判断材料の系統性や多寡による違いにすぎない -
ディスティングイッシュできなくても感性品性知性の3つのバランスは人として大事
そのベースにあるのは人間性だが -
でも楽曲や演奏の感想を述べるのに
「大きな音で迫力があった」
というのは素朴な無知のようで躊躇われる -
>>33
気持ちよく聴こえる様に大きな音で鳴らすというのは実は結構難しい -
>>34
大きな音とよく通る音は全くの別物 -
○○がけなしてたら聞いてみる
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サブスクの時代になって
マイナーレーベルも聞きやすい時代 -
近所に音楽大学があって無料とか千円くらいで演奏会を聞くことができる
そうすると演奏や選曲が多少自分の好みと異なってもおおらかに感じられる
逆に数万円とかのチケットで自分にとって高額だと
少しでも自分の好みと異なるとすごい悔しがりそう
音楽批評とか貧困層が無理して聞くから必要なんだよね
レコードやコンサートが相対的に高額だったからね -
議論百出ですなあ。
皆さんそれぞれ言ってる事に納得しています。
ひとりひとり好みも傾向も違うから、音楽って面白いのでしょう。 -
名盤という言葉自体が無意味なものになっているような気がする
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それは突然やってきた。
心の奥にある特別な部屋だ。長い人生で誰にも触れさせず誰も招き入れたことはない。大切に守ってきた。
だが菩薩は、いまだ聴いたこともない音色と輝かしくも優しい笑顔で突然やってきたのだ。
この音色はなんだろう。
この笑顔はどうしてだろう。
繰り返し聴くうちに気がついた。
感性の部屋を理屈付けする必要はあるまい。あふれ出る情感には感性でこそ応えるものであろう。
そしてわかった。
これが、これこそが菩薩が奏でる無垢なる調べである。
我が菩薩、辻井伸行さんに大感謝。 -
自分にとっての名盤にたどり着くまでに、買って失敗したディスクのなんと多いことか
めぼしい録音を一通り聴かないとやっぱり最高点と最低点が分からないからね -
好みは変わるので持っておけばイイんやで
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好みは時間経過でも変わるし 気分や状況でも異なる
最高最低ではなく それぞれ気分や目的に適不適といった観点が必要
音楽自体に浸りたいのか
勉強や作業のお供なのか
などなど
単純に星の数での評価は無意味 -
でも何度聴いてもダメっていうのあるだろう
5年10年ぶりに聴いてもやっぱりダメというのも
俺は速攻で中古屋行きにしちゃう
まあ中にはまた買い戻すディスクもあるけどね -
売ったところで買値の1/50とかでしょ?だったら置いておけばいいのに
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俺もすぐ売っちゃうな
持ってたくない
売ってスッキリ
金の問題じゃない -
よく名盤(その作品の代表的な盤)と言われるものでピンとこない録音って結構ある
ベートーヴェンの交響曲だったら、C.クライバーの5番とか、ベームの田園とか
前者ならモントゥーやバーンスタイン、後者ならクレンペラーやクーベリックのほうがよっぽど好き -
もともと"名盤"の選定基準が無い
例えばある"名盤"が存在するとして
国や地域によって"名盤"が流通していなかったらどうするの?
所詮は姿を変えた宣伝広告 -
>国や地域によって"名盤"が流通していなかったらどうするの?
別に問題ないだろ
まさか世界中どこでも入手できるのが当然だと思ってるのか?
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