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哲学
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哲学にわかの>>1を助けるスレ
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西洋哲学の存在っていう概念があまりに物質的に捉えられすぎてる気がして色々考えてるんだけど
まず何かが存在してそれが運動するっていう形式が基本の考え方だと思うんだよ そうするとじゃあ物が何も存在しない時に空間や時間はどうなっているのかとか、そもそも時間や空間の存在はどういう事なのかっていう疑問が生まれるわけでしょ? - コメントを投稿する
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だからそもそも「存在する」っていう事を動詞的に捉えて、存在自体も一つの運動だと考えると色々解決されるような気がしはじめてるんだけどどうなんだろう
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物理的な運動の前段階に存在論的な運動が起こることによって存在が実現するって考えると、存在と運動を二元的に捉える必要が無くなるよね?
そうすると色んな問題に説明が付けられると思うんだよ -
まずさっきの時間と空間の問題だけど、これらは存在している事物じゃなくて、存在論的な運動同士の間に生まれる関係というか、隙間みたいな物だと考えることができる。運動を矢印だと考えれば、その矢印同士の距離とかズレの部分
こう考えると時間とか空間は存在論的な運動が起こって初めて生成される概念だっていうことになる。運動の隙間だっていう風に考えると、時間や空間の質自体が新たな運動が起こることによって常に変化していってることになる。 -
だから運動の連鎖の中で、常に変性し続けるある隙間の中で過ごしているこの世界の中の人間は、空間の果てや時間の果てへは近付き得ない。なぜなら人はたくさんの矢印の隙間の中にいる存在者であって、その矢印自体に触れることは叶わないから
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あといまこうして物を見ている主観っていうのがあると思うんだけど、主観の流れっていうのも存在論的な運動で説明できると思うのよ
意識っていうのもある種類の空間性や時間性を持っているけど、それも意識に関する存在論的な運動の隙間に生まれてるものだと考えると、さっきの時間・空間と同じ形式で説明出来る。 -
ここまで考えた時に、実在論と観念論の話に目を向けてみたい
カントでいう「物自体」と「現象」の差、ここっていうのは人間が知覚を通してしか世界を見られない以上どうしても埋まり得ないっていうのは基本的な話
だけど存在論的運動を頭に入れると、たとえこの世界の中に「物自体」があったとしても、この世界が空間と時間っていう隙間の中である以上、その中にいる我々は物自体の存在論的運動自体には近付き得ない事になるよね -
そうすると「物自体」っていうのも、意識に投影された現象と同じように、存在論的運動がこの空間に表出してる一つの形式でしかないように思えてくる
そう考えると実在論と観念論の区別って壊されることにならない? -
自分でもだいぶ乱暴な論理な気がするので推論的に正しい道筋を辿れてるかどうか教えてほしい
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英語かドイツ語で書かないと何言ってるか分からない
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>>10 ゴメソ
今日哲学のテストだったから自由記述のところに書いてみたわ ダメ元で -
まず、存在を「存在する」として動詞的に捉える発想自体は珍しくない
そのうえで指摘すると
>まずさっきの時間と空間の問題だけど、これらは存在している事物じゃなくて、
>存在論的な運動同士の間に生まれる関係というか、隙間みたいな物だと考えることができる。
>運動を矢印だと考えれば、その矢印同士の距離とかズレの部分
>こう考えると時間とか空間は存在論的な運動が起こって初めて生成される概念だっていうことになる。
ここでいう「存在論的な運動同士」の複数性とは何かとは問われうるだろう
時間や空間が伴うとはいえ、「存在論的な運動」自体の複数性はいかに捉えられるのか -
>>1
哲学(笑)自体にわかだから問題ない -
大体合ってんじゃねえの
素粒子の世界だと世界を構成する原子や素粒子は波(=運動)であると同時に粒子(=存在)であることが確認されてるし
ヒモ理論はこれを更に波と粒子も同じものからできていてその何かが発散するか渦を巻くかで
波になるか粒子になるか決まるって説明しようとしてる
ついでに言えば哲学側からも似たような推論はあって
なんでも全ては始め時間として生まれ時間が死んで永遠になると空間や物質となる、みたいな感じだったはず
ドゥルーズとか西田幾田郎がこの辺やってたと思う -
>>8
これってつまるところ「人間に見えるりんごはりんごが持ち得る一形態にすぎないのだからどこまでがりんごなのかは定義できない=りんごそのものには触れられない」って言ってるだけで
それって要は「『りんご』を定義せよ」って言ってるだけという気もするね
そうなると唯物論と観念論がそれぞれの立場からりんごを定義しようとすることは止められないと思う
一瞬統一しても堂々めぐりになるというか
ただ「りんごの果実」も「齧られたりんご」も「まだ存在しないりんご」も等しい存在だと捉えるっていうのは面白いと思う -
>>12 そう、そこは確かに課題だよね
>>14 物理学の哲学、特に量子論の分野とも通じるところが多いような気がする
>>15 いや、伝わりづらいんだけどちょっとニュアンスが違うんだわ
「人間に見えるリンゴ」云々だけだと普通の観念論になってしまう。
俺が言いたいのは、観念論でいう、人間には触れられない「リンゴ自体」っていうものがあったとして、そのリンゴ自体も前存在的な運動によって発現してるってう図式。
そうすると、実在論が扱ってる「物自体」、ここでいうリンゴそのものっていうのも、結局その前に運動によって発現させられてることになる。運動によって我々のいる時間と空間の中に投影されてるって感じ。
そうすると観念論と実在論って本質的に差が無くないかっていう話にならない? -
真空の中に張り詰めた胸とブラジャーがある。存在。
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真空の中に張り詰めた胸とブラジャーがある。存在。
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真空の中に張り詰めた胸とブラジャーがある。存在。
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判官贔屓
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>>16
そのイメージで話してるぞ
りんごに触ってるんじゃなくてりんごの存在曲線上の一点に触れてるって捉え方でしょ
りんごが存在する理由を「りんごの木から実った」のか「りんごのイデアから流出した」のかを問わずに
ただりんごの存在が無から有になったって捉えるってことだからそういう意味では唯物論と観念論を包括できるけど
ただどうやって現れたかを問わない以上はその探求を止めることはできないし、それぞれの理論の中身には干渉できないんじゃないかなこのモデル -
>>21 すまん早とちりした
確かに無限遡及になっちゃいそうな気はするんだよなぁ。
存在の運動の解釈を無から有に変える動きじゃ無くて有を常に有であり続けさせている力みたいに考えれば、世界の中でのリンゴの発生(木から実ったetc)も存在の運動の変質の投影として考えられるかなぁとも思ったんだけど -
紹介ってしょっぱい屈辱の味なんだろうな。
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しぉっかい アジ の 馬刺身開く。nein eqipueal non
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蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅
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