-
哲学
-
すがちゃんねるPART3
-
UPLIFTで広告なしで体験しましょう!快適な閲覧ライフをお約束します!
ピンク・レディー 透明人間 1978
https://www.youtube..../watch?v=BtK8cOiyEsQ
浅田彰 『アイデンティティ・ポリティクスを超えて』
新潮2024年4月号より
そういえば、絓秀実が最初の本のあとがきに、
阿久悠が手がけたピンク・レディーの『透明人間』の
歌詞のラストを引用して、自分も
「消えますよ 消えますよ」と言って消えたい、
と書いていたら、柄谷行人が
「浅田君みたいに存在してから消えるならいいけれど、
もともと存在していない奴は消えられないじゃないか」
と言ったんですね。
/ ̄ ̄ ̄ `\
/:\___从__ヽ
i::/ '''''' ''''''' i 「絓秀実という病1&2」は今後
|:/ (●) , 、(●)|
(6 ,ノ(、_,)、 | 「すがちゃんねる」に吸収されました。よろぴく。
ヽ ト==イ ノ
\_ `ニ´_,/ - コメントを投稿する
-
興味深い記述があちこちあるのにやたら散らかってて引用だらけの本に当たると
絓秀実みたいだなー、と思う
cedosia
@cedosian
4月23日(火) 15:05 -
純一乙
-
>>1
続き。
僕はもともといつ消えてもいいと思っていたけれど、それを聞いて
「本当にもう消えてもいいんだな」と思った。強いて言えば、
それが僕にとっての一種の承認でした。その割には、
きっぱり筆を折ることもなく、ズルズルと今に至っているんですが、
こんなダラダラした生き方でも面白いと思ってくれる人がいればそれでよし。
単に怠惰であるがゆえに一定の距離を置きながら
時代と伴走してくることができたという自覚はあります。
浅田彰 『アイデンティティ・ポリティクスを超えて』
新潮2024年4月号より -
元・日本赤軍の重信房子は「この映画には、革命のために尊厳ある生命を犠牲にした、
私たちの時代の闘い方の欠陥が描かれている」と、ジャーナリストの田原総一朗は
「彼らは彼らなりに真剣にこの国のことを考えていたと思う。だが行き過ぎた行動のために
新左翼党派は壊滅することになった。他にやりようがなかったのか。私のなかには
残念な気持ちがある」とつづった。ほかフリーアナウンサーの久米宏、
ジャーナリストの金平茂紀、作家・森まゆみら6名が本作にコメントを寄せている。 -
おいおい、
全然、スガ亀花連合の言ってることと、違うじゃねえかよ -
久米宏(フリーアナウンサー)コメント
吉永小百合が3年前まで歩いていた文学部キャンパス
そこでひとりの大学生が殴り殺された
殺したのは“革マル派”だった
その後激しくなっていった内ゲバで100人以上が命を失った
殺すことで何かが解決したのだろうか -
太田昌国(民族問題研究)コメント
現状の社会を批判し、夢や理想を語るからこそ、
人びとの共感を得てきた〈革命〉の思想。
いつしか、それは嘘と欺瞞に満ち、
人びとの希望を打ち砕くような思想と実践に成り果てて、現在に至る
――日本でも、世界でも。
その腐臭に満ちた事態をもたらした根拠に迫らなければならぬ、
この映画のように。〈革命〉に、本来の、真の息吹を吹き込むために。 -
金平茂紀(ジャーナリスト)コメント
証言者パート、劇作パート、メイキング・パートが相乗的にかみ合って、
起きていたことをヒリヒリと浮かび上がらせていた。
時代の狂気のせいにしてはならない。今につながるテーマだ。 -
スガ亀花連合は、 ハメハメハ
-
花咲は正直どうでもいいがスガチンのご意見はちゃんと聞いてみたいな
-
久米さん愛してます。
-
大杉重男さんからは、『論樹』33号をいただきました。
大江、倉橋、藤枝らを扱った論考が載る。 大杉さんの大江論は、
尾崎真理子『大江健三郎の「義」』とそれを批判した絓秀実ユリイカ掲載論を受け、
大江を自然主義の系譜へと位置付ける。
『アンチ漱石』から、近年の「東アジア同時革命」へとつなぐ線
松田樹/批評誌『近代体操』
@matsuda1993
4月22日(月) 13:01 -
よくわからんが、
遅れてきた中上健次自己同一化系というのは、何かの勘違いではなかろうか?
と思うのだが。。。 -
ああ大江論か。・・・
別に中上の話してるわけではなかったw -
スガチンには赤チンを塗って
-
演歌のタイトルです。
「スガチンには赤チンを塗って」 -
X JAPAN の新曲。
「フォーエバー・スガチン」 -
もしかして今日は映画芸術の発売日?
-
絓 この映画は代島治彦監督が樋田 毅氏の川口大三郎虐殺事件を描いたノンフィクション
『彼は早稲田で死 んだ』(24)を原案にして作られた 映画ですが、僕なんかは樋田さんの本に
対しても異論が非常にあるわけで、批判も書きましたが(「対論 1968」22)、しかしそれ以上に
代島監督のこの映画はひどくなっているという印象を持ちました。この映画は、いわゆる
ブルジョアジャーナ リズムでは、「鎮魂」とか「暴力はいかん」とかと好評をもって
迎えられる映画なんでしょう。しかし、この映画をザッと見ただけでも、歴史を知れば、
当然、批判的な視点が出てくると思うんです。
今日はアナキズム研究家の亀田博さんも出席されていますが、亀田さんは当時のWAC
(早稲田大学全学行 動委員会)のメンバーということで よろしいですか。
亀田 途中からWACの枠組みで活動していました。
絓 樋田さんの本で非難されている ところの「暴力を肯定する立場」と
いうふうに言っていいですかね。
亀田 いや、直接的な暴力肯定ということはないです。 -
映画芸術座談会、なかなか濃いな
論争に発展するかな -
絓 花咲は映画に対してどうだった?
花咲 早大奥島(孝康、1994年~2002年早稲田 大学総長)当局を礼賛して終わる原作本
『彼は早稲田で死んだ』に輪をかけて最悪の歴史修正反共謀略映画だと思います。
左派陣営を利する映画にはならない。これで喜ぶのは公安当局とネトウヨくらいなもんでしょう。
僕はずっと早稲田のノンセクトで活動していましたが、日常的に革マル派に監視管理恫喝されていました。
先輩方から聞いた話によれば、70年代後半は基本的には革マル派以外の諸セクト及びノンセクトは
公然登場できる状態では無かった。 完全に地下活動ですよね。ゲリラ的に深夜に忍び込んで
ステッカー貼ったりとか。ほとんど中退・除籍 だし、集団登校/集団下校やお腹に少年ジャンプや
サラシを撒いて学内走っていたようです。それが90 年代初頭の反原理運動の高揚と1984年~85年に
かけての久しぶりの全学ストという中で、公然登場を「許される」ようになった。
私は入学後、ノンセ クトグループの一員として主として教育学園課題と 反原理課題をやって、
樋田氏が礼賛する奥島当局の 革マル派追い出しの煽りを受けたサークル部室撤去に対して反対運動
をしていた絡みで2001年7月3日に構内立ち入り禁止の仮処分を受けました。80年代後半から2001年
にかけての早稲田では、 革マル派早大当局―国家権力三つ巴の暴力支配は継続されていた。
その意味では川口君事件のときと 何ら変わりがない。
絓 この映画は基本的に歴史認識が全く間違っていると思うんです。「中核VS革マル」あるいは
「解放派VS革マル」という党派闘争を主線として歴史を語っていて、特に70年8月の中核派による
革マル派の東京教育大学生・海老原俊夫のリンチ殺害事件を起点にした「内ゲバ」の歴史観で語っている。
しかし、川口問題は内ゲバではないんですよ。ある意味では革マルが言うように、殺すつもりはなかったんだから。
海老原だって中核派は殺すつもりはなかった。そういう意味では括弧つきではあれ、「事故」と言ってもいいわけ
です。広義にゲバルトと言うの かもしれないけれど、海老原事件は内ゲバの起点でさえない。
僕の経験からいっても、69年の第二次早大闘争の5月にも凄惨なリンチがあったし、
その煽りで僕も革マルに川口君と同様の6、7時間のリンチを受けたことがありますけど、
幸か不幸かショッ ク死はしなかったですが(笑)。
それはともかく簡単に海老原事件を内ゲバの起点にすることはできな い。それは革マル史観ですね。
内ゲバなるものを「殺人」とストレートに考えるのが間違いなのであって、 そこで考えるべきなのは、
海老原事件のほぼ2ヶ月後の70年10月6日の山村政明 (梁政明)の抗議自殺 なんです。 -
図書館を注意深く検索するとときどき置いてありますね <映画芸術
-
スガチンも長時間リンチを受けたんか
意外と身体頑丈なんだ -
だから今までも生き延びてこれたんでしょw
-
ショック死しなかった方に驚くべき
-
リンチ殺人を肯定するピエマル
(ピエール・カクマル=普通名詞) -
なんか反論したかったらもうちょっと増しなこと何か書いてみろよ
そうしたら相手してやるよw -
『1968年』の絓秀実によれば、この偽史的想像力は1970年の華青闘告発といった事件によって、
歴史の主体として登場したマイノリティーが、権力者の歴史を正史たり得ないものにした。
そのポストモダン的状況が生み出したものだという。
大塚英志はその例にラヴクラフトやトールキンの復権を挙げている。
杜口
@snorkros1
昨日 18:32 -
ピエマルは激怒する前に
映芸座談会読んでから書きこめ -
既に全部読んでるよ。
(といっても座談会な。
データを取ってきたのはその6ページ分。
代島監督ともうひとりおばさんの文章は特にチェックしてない。)
どこの部分をスレに引用にしたら効果的か現在時間を措いて
精査しているところ。
いっつもこのくらいはちゃんと
物考えて行動してることを理解してくれw -
全文引用しちゃったらさすがにそれは失礼だよね?w
-
もちろん映画本編をみていることが大前提
クリマルの名前気に入ってくれたようでありがとう -
>>38
ここで絡んでる人(大体誰だかわかるのだが・・・)
この人がやってる行動の特徴、
特に言動的、言語的に見ていてほしいのだが。
これはさ、
何も西欧社会の基準を無理矢理当てがわなくてもいいんだけど、
誰かに、何か特徴ある人、それは任意で、恣意的で、テキトーな理由でいいんだけど
レッテル貼りをすることによって、彼らを村社会的な差別の構造に嵌めようという
ある種典型的なテクニックで釣りに来ている人であることは、
皆さんも分かるでしょ。。。
仮に、その任意のレッテル貼りの村社会ゲームの名を
「ユダヤ人」としよう。 -
「彼奴はユダヤ人だ!」ゲーム?
-
カクマル=ユダヤ人??
-
それはカクマルのファシズムというよりも、
反カクマルの中にあるファシズムの種だよね。
(大衆的なものの中にある根源悪。
大衆型あるいは村社会型ファッショと言おうか。)
それは一体どっちが悪いのさ?
両方悪いのか、
あるいはカクマルも反カクマルも所詮「根は同じ」
と考えるべきなのか。
それがある種排斥の形態を取るときは。。。 -
佐藤優が、映画の中で、
「まるで、魔女狩りの論理ですよ。・・・」
と言ってるのは、まさにそういう意味でしょ? -
長岡のユダヤ人
-
>>26
>>山村政明 (梁政明)の抗議自殺
彼のようなパフォーマンスはアートとしてしか捉えようがない。
美術館や劇場で展示や演技を見物するのと同じだよ。タイやビルマの坊さんに多いわな。
現実を変えたいなら、変えたい現実そのものに直接に働きかけるしかないダロウ。
そうでなければ、議会政治に頼るほかあるまい。
早稲田の人は山村のようなパフォーマンスが多いんだよ。 -
早大ノンセクトの限界ここに出ましたね。
-
スガや千坂恭二が68年問題にこだわる理由の一つに、彼らにとっての68−9年は
まさに人生を変えてしまった出来事に参加した訳で、彼らより年長のものは大学を卒業し、
社会に出て行ったが、スガや千坂は大学中退か、入学もしなかった訳で、そういう年代がスガより
幾つか年下の世代まで続いたんじゃなかろうか。
だが、無論のこと、革命による世俗的な出世を夢見てる人間もいた。
そういうのは石川淳の小説「至福千年」でも描かれてる通り。
それは現在のスガや千坂恭二の姿を見れば、一目瞭然ではないか?
赤軍派の場合は相当違うような。
文壇にすら反抗できないスガ秀実に期待する方が間違ってる。 -
スガが早稲田で70年10月6日に起きた山村政明 (梁政明)の抗議自殺を問題にするのは良いことだと思うが、
差別の問題は朝鮮人だけでなくて、数からいえば部落出身者はずっと多かったのではないか?
その点で議長が部落出身者だった赤軍派に希望を見出した若者は多かったと思う。連合赤軍の
森恒夫などもその一人だろう。
そして、革命が差別撤廃への希望を孕んでたことは紛れもない事実で、
それが三里塚闘争の原動力にもなっていたのではないか?
だが、先への希望が小さくなるにつれて、内ゲバは陰惨化して行った。
スガのやりたいのは1968年を媒介として左翼運動を解体し再生させることなんだろうが、
これに異議のある人はそういないと思う。
肝要なのはより広範なところから、より正直な意見が出ることではないか?
スガにしても、なぜ革マルから執拗なリンチを受けたのか、
そこから正直に告白して行かないとしょうがない。
森恒夫と永田洋子のペアをマクベス夫婦に見立てた「意味という病」の柄谷行人のような嘘は願い下げにしたい。 -
> スガのやりたいのは1968年を媒介として左翼運動を解体し再生させることなんだろうが、
> これに異議のある人はそういないと思う。
うーん、、、これはどうかな?
1968年的=再び大学を廃墟化するような運動、
建築物を廃墟化するような社会運動を再び招き寄せようという一部勢力の中には
既に左翼の中からの抵抗勢力が出来上がってるんじゃないですかね。
再び大学の中を運動とシラケの分割へと追い込み、
極少数の運動学生が学館を占拠し大多数の一般学生はノンポリの仮面を被せられて
そこには交通が途絶える。立看の数こそ数多けれど立看の主体とはいつも
数名数件の決まってる人たちしか裏では見当たらない。
まー80年代の日本の大学的状況というもの。
これを再び招き寄せたい(80年代は60年代と70年代の結果だからさ)
と考え欲望してる層は、実は相当限られてますよw -
結局、311反原発運動の波及から日本の運動に大きな分割が起きて
それがいわゆる旧態から続く1968年的左翼の層と
SEALSから展開して在特会に対する反差別のストリート的抵抗の運動へと集まった
旧スタイル左翼への批判的運動という、その二分割が十数年前には明確に起きたわけですよね。
もちろんこっちの新しい運動の方は、
1968年解釈を巡るスガ秀実への批判派としての小熊英二が中心の一人となった。
有田芳生や香山リカもそっちの運動に賛同しという展開だったけど、
68年復活派界隈の運動人脈は昔から続く縁戚のつながりの太さから
今でも形を残して続いてるけど、新しいスタイルとしての68年批判派界隈の運動は
もうどこかに消えてしまったではないかというのが、
旧来早大ノンセクト界隈やだめ連界隈左翼からの、新しい左翼界隈への批判、
愚痴として伝えられている。
いわゆる、「だめ連魂」の発言、宣言ですよね。 -
> 1968年的=再び大学を廃墟化するような運動、
> 建築物を廃墟化するような社会運動を再び招き寄せようという一部勢力の中には
> 既に左翼の中からの抵抗勢力が出来上がってるんじゃないですかね。
つまり、結果的に大学を廃墟してしまう運動というのは、
実は最も自分が大学に依存してる人達、いわば
病的依存が生じてる人達によって為されているというのが最大のアイロニーで
あるわけで、それがスガ秀実界隈に流れてる運動の実態ということですよ。
スガ秀実周辺の人脈こそが、高校中退の外山恒一まで含めて
最も大学に依存してる人達の人脈ですね。
この大学絶対依存性というのが、すごくキモい。 -
ちなみに柄谷行人というのも、
大学絶対依存主義者たちの在り方へは、共犯の立場でしょう。
あのひとの大学依存主義性もすごい。
結局その態度がNAMの運動全体を中途半端なものに止めてしまったのね。 -
> 建築物を廃墟化するような社会運動を再び招き寄せようという一部勢力の中には
> 既に左翼の中からの抵抗勢力が出来上がってるんじゃないですかね。
◯ → 一部勢力に対しては、既に左翼の中からの抵抗勢力が -
学生運動TV~君たちはどうシぬのか~
https://www.youtube.com/@kimishinu -
当チャンネルでは、
学生運動世代にインタビューして
昭和から令和までの事件やニュースが
彼らの目にはどう映っていたのかを
紹介する動画を投稿していきます。
青春の熱い日々は
どこから生まれ
そしてどこへ行ったのか。
彼らの胸の中で
人生を共にしてきたであろう
「正義」に語りかけてみましょう。 -
絓 つまりどういうことかと言うと、革マルの支配というのは「殺す」ということではなくて、
「生かす」ことなんですよ。キャンパスにおいて「生きさせる」ことによって支配する。そういった
「生きさせる」 支配に対して山村 (梁) 政明は抗議をして焼身自殺をしたというふうに、
後知恵的かもしれないけれども、捉えることができる。
この映画には革マルによる支配とは何だったのかということに対する歴史認識が全くないんです。
山村 (梁) 政明のことを想起せずに『ゲバルトの杜』なんていう無神経なタイトルをつけてしまう
この映画は何なんだろうという怒りがありますね。
あと、樋田さんの本にしてもこの映画にしても、今の早稲田は平和になったということになっています。
90年代の奥島総長による革マル派の早稲田大学からの括弧つきの「放逐」があって
平和になってよかったねというのが樋田さんの本の大前提で、この映画でもそうなっていますよね。
花咲 そこが最大の問題だし、そのことを象徴的に表しているのが、この映画のプレス資料の表紙で、
おもて表紙が大隈銅像あたりからヘルメットを被っている学生たちを撮った当時の写真で、
裏表紙がおもて表紙と同じ構図で今の平和そうに歩いている学生を撮った写真が使われている。
奥島当局の英断によって革マル派が一掃され、平和な学園が戻ってきたと言いたいんでしょうが、
トンデモないことです。
学生自治やサークル自治を当局のコントロール可能な領域に押し込めるために、革マル派を
地回りヤクザよろしく活用していたのを切り捨てただけ。企業が、反対勢力が弱体化すると見るや
否や総会屋を切捨てるのと全く構図は一緒です。
亀田 おもて表紙の写真は当時のものではないのですよ。
花咲 えっ、そうなんですか。 -
花咲 絓さんも『革命的な、あまりに革命的な」等で「ムーゼルマン(回教徒)としての平和」
と書かれているじゃないですか。 ムーゼルマンって、アガンベンが「アウシュヴィッツの残りもの』で用いた表現
ですけど、アウシュヴィッツにおいて、もはや生存のみが許されて、ユダヤ人としての誇りを剥ぎ取られた
ユダヤ人に対する呼称で、そこから革マル派以外の学生を「ムーゼルマン」として支配するスタイルのことを
「ムーゼルマンとしての平和」 というふうに書いている。
「早大アウシュヴィッツ「体制」とよく言われますが、「革マル・(大学) 当局・ 国家権力」の三つ巴での
支配体制があるなかで、革マルが弱体化して、大学当局と国家権力の直轄支配になればいいのか。
アウシュヴィッツ体制は全く変わらず、直接の看守が革マルから当局管理のガード マンと
剥き出しの警察権力に変わっただけで、アウシュヴィッツが解放された訳では全くない。
絓さんが「ムーゼルマンとしての平和」と言う意味でより支配が貫徹された状態なわけだから、
むしろ以前よりもムーゼルマン的な支配が悪化している。
絓 山村(梁)政明は、まさに、そこを問うて自殺したと言ってもいい。これは、単に一大学の問題
ではなく、「生政治」を問う普遍的な問題です。 樋田さんも代島さんも前提的に間違っているのは、
今は早稲田に革マル派がいないと思ってるということですよ。 -
>>57
> この映画には革マルによる支配とは何だったのかということに対する歴史認識が全くないんです。
> 山村 (梁) 政明のことを想起せずに『ゲバルトの杜』なんていう無神経なタイトルをつけてしまう
> この映画は何なんだろうという怒りがありますね。
スガちゃんこのフレーズはちょっと蓮實が入ってねえか?w -
ところで、革マル派って「生政治」と何か関係あるんですか?
-
何でも今風の概念当てはめればいいってもんじゃないんじゃない
-
雨宮処凛に聞いてみよう
-
生政治ってフレーズは、何でも使えそう
-
フーコーじゃなかったか?
今更フーコーかよと思うが -
山村君の自殺を都合良く解釈する人は何マルと呼ぶんだい
-
↑
またあんた出てきたけどそれ誤爆してんじゃねえの?w -
つーか、「生政治」という概念を当てはめれば、
それで何かを説明したことになるんかい?
全然ならんだろう。 -
なんでも生政治
-
なぜ早稲田に革マルが蔓延ったのかについては、根底に早稲田イズムという、
強烈な偶像崇拝があったからではないか?
「俺は早稲田だ!」という人は、東大出身の黒田寛一への崇拝を受け入れやすいと思う。
つまり、東大への媚びへつらいに繋がっている。
早稲田も東大も全然たいしたことないんだが。 -
生きさせる支配、ねぇ
一歩間違えれば陰謀論だねぇ -
なんでも性政治
-
結論 映画芸術2024年春号座談会
「革マル派とは、生政治である。」 (それだけ) -
これでスガちゃんもアントニオ・ネグリと並んだでーーーーー
-
大学にこだわるのがよく分からない
単に外に逃走すればいい
外は資本主義的論理が貫徹してるだけだけど -
要するに彼らにとっては居場所問題でしょ
大学しか居場所が見つからないんだよw -
issaku
@issaku14
5月1日
かつて、だめ連界隈が集まっていた、
早大文学部正門前にあるスナック「あかね」で村上春樹が、
いつも『少年マガジン』を読んでいたという話。私も久しぶりに行こうかな笑
issaku
@issaku14
5月1日
アウトノミア運動のアントニオ?ネグリの追悼特集が『現代思想』で組まれている
今だからこそ、運動の「実践」として「あかね」へ行く意味はあるのではないか
(無理矢理) -
早稲田あかね
@waseda_akane
5月1日
誤字しました。再投稿。
店自体は50年以上前からあり(屋号も同一)、ただスガさんは誤解していて、
当時の『あかね』は政治の時代の早稲田におけるノンポリの避難所としてあり、
そこに大学生の「村上くん」が来ていたと、先代のオーナーから聞きました。(坂本)
issaku
@issaku14
5月1日
RT、「あかね」という店自体は50年以上前から、あるそうです。
そんな前から、あったとは驚きです。まだまだ知らないことがあります。
ご教示ありがとうございます。 -
なんでもソーセージ
(さっきマクドナルドの朝食でソーセージグリル食べてきた) -
大学のサークル(笑)なんてどうでもいいだろとはならないんらだな
-
生政治がダメなんだって、要は裏でコソコソやるのではなく堂々と殺し合おうということでしょ
ノンセクト・ラジカルらしいと言えばらしい -
生政治批判だけはいまいちよく分からん
どうしたいわけ? -
花咲 樋田氏は奥島当局が革マル派を追い出して素晴らしいと言われていますけど、結局、
それは学園祭をつぶしてサークル部室をつぶして自治会をつぶして学館をつぶして当局
完全管理の新学館を作るってことでしかなかったわけだから、破壊されたのは我々のような
ノンセクトグループだけではなく全て のサークル含めた自主自治活動の基盤。
裁判所に仮処分まで出されて構内立ち入り禁止処分になったのは私を含む
ノンセクト活動家3名で革マルの活動家は仮処分どころか立ち入り禁止になったものは
一人としていない。
絓 以前にも「映芸」の座談会で話したことがあるんですが、映画の『ノルウェイの森』
(10トラン・ アン・ユン)は、68年第二次早大闘争の「英雄」で反戦連合の高橋ハム(公)ちゃんが
時代考証を担当しているから、映画に登場する各派のメットの色がものすごく正確なんですよ。
でも何かおかしいなと思って見ていると、革マルのメットが一つも出てこない。もちろん舞台は
早稲田だし、映画も早稲田大学でロケをしている。で、ハムちゃんから聞いたんだけど、
大学当局が「革マルのメッ トは出してくれるな」とハムちゃんにお願いしたわけです。それで、
舞台は早稲田なのに革マルのメットが出てこない奇妙な映画になっている。
革マル派が今も大学にいるのでなければ、 大学当局が革マルのメットを出さないでくれ
と言うわ けないですよ。
亀田 余談ですけれど、戸山キャンパスの向かいの「あかね」の前のオーナーによると、
村上春樹は「あかね」に来て「少年マガジン」をいつも読んでいたという印象が残っていたとのこと。
絓 村上春樹が現在でも98年早稲田の反戦連合にシンパシーを持っていることは、
今やわかっています。 俺はこの映画は内田樹とか石田英敬みたいな元(?) 革マル系文化人に
インタビューするのではなく、村上春樹にちゃんとインタビューすべきだったと思い ますね。
可能性はあり追求できたはずで、それだったらこの映画も多少は評価しますよ。
村上春樹は明確に川口君事件について『海辺のカフカ』 (2)で 書いているわけですから。 -
また、絓秀実が無茶を言うw
村上春樹にインタビューすべきだったとかw
絓秀実出演じゃ役不足なのか?
色々と手詰まり感がある。
他の人も言ってるけど、早稲田なんてほっとけば良い。 -
アントニオ・ネグリ 『帝国をめぐる五つの講義』
83ページより
主権の諸矛盾
こういうわけで、その内部の限界を不断の圧力のもとにさらし、そうすることで
その二重の性質を際立たせる分子的な動態によって、主権は規定される。
われわれが主権を二面性をもつ概念、ヘゲモニーの関係として捉えるとすれば、
いまの帝国的時代にいたる近代全体にわたって主権に刻印された一連の矛盾を発見する。
まず、臣民にとっての致命的な権力としての主権の近代的な軍事的装いを考えてほしい。
ある意味で核兵器はこのような特権を絶対的なものにした。この絶対権力はしかし、
ベトナムで焼身自殺を遂げた僧侶たちの抗議や自爆テロなど自殺の実行によって根本的に
揺るがされた。
〈生〉 そのものが帝国的主権への異議申し立ての努力のなかで否定されるとき、
主権が行使する死活的権力は効果のないことが判明するのだ。
身体に対する絶対兵器は、身体の自発的で絶対的な否定によって無効にされる。
言い換えれば、帝国の時代に軍事行動と警察行動を結合する管理のテクノロジーとなった
主権的 戦争状態は、生政治的な異議申し立ての形態と対比するなら、
堅固な基本原理をもつことをやめるのだ。
この意味で主権は、絶対的であると主張することができないだけでなく、
決定的な危機に突入する。
この文脈のなかで、主権は必然的に対話体とならなければならない。 -
>>57
> 絓 つまりどういうことかと言うと、革マルの支配というのは「殺す」ということではなくて、
> 「生かす」ことなんですよ。キャンパスにおいて「生きさせる」ことによって支配する。そういった
> 「生きさせる」 支配に対して山村 (梁) 政明は抗議をして焼身自殺をしたというふうに、
> 後知恵的かもしれないけれども、捉えることができる。
最初はスガが、
「山村梁の焼身自殺」ということで何を言いたいのかよくわからなかったが、
たぶん、スガの元ネタになってるのはネグリのこの話だろう。
もっともネグリは、他の場所でもこれと同じ話をしてるはずだから、
出典がこの本(『帝国をめぐる五つの講義』)と決まってるわけではないが。
>>84
> この絶対権力はしかし、
> ベトナムで焼身自殺を遂げた僧侶たちの抗議や自爆テロなど自殺の実行によって根本的に
> 揺るがされた。
> 〈生〉 そのものが帝国的主権への異議申し立ての努力のなかで否定されるとき、
> 主権が行使する死活的権力は効果のないことが判明するのだ。
> 身体に対する絶対兵器は、身体の自発的で絶対的な否定によって無効にされる。 -
絓さんが村上春樹に対談かインタビュー申し込むべきだ
もしかしたら村上春樹も色々と話の分かってる人に喋りたい気もあるかもしれん -
これで村上がゲバ杜を傑作であったと評価したら絓はどんな顔をするかな(笑)
-
すがさん あなたー
ちょっと パクリすぎじゃーー
あーり ません かーーー ??? -
毎回そうだが、スガ秀実は被差別部落や在日の人達、障害者らをダシに使う。
やっぱり、焼身自殺は馬鹿げてる。
山村政明が自殺した1970年代初めの朝鮮人差別自体はたいしたことなかった。
俺の幼馴染が在日と知った時も「あ、そうなんや」としか思わなかった。
大阪北部から阪神間は差別は殆ど無かったのではないか? -
>>85
> この絶対権力はしかし、
> ベトナムで焼身自殺を遂げた僧侶たちの抗議や自爆テロなど自殺の実行によって根本的に
> 揺るがされた。
これはあれやろう。
レイジ・アゲンスト・マシーンのファーストアルバムでジャケットになってる
ベトナムの僧侶が炎上してる写真の話やろう。 -
Rage Against The Machine
-
Lucian of Samosata(ルキアノス)が旅の同行者であり、
一時は同じ師を持つ同門の仲でもあったPeregurinusが目の前で焼身自殺したことを
諷刺した作品the death of Peregrinusを残してる。 -
アントニオ・ネグリ 『帝国をめぐる五つの講義』
107ページより
第2講義・社会的存在論について
われわれの方法論的考察の努力を続けるために、生政治の定義がフーコーにあってはどのように
現れているのか、それを出発点として生政治の定義について省察しなければならない。
生政治という用語は、 権力は、一八世紀の終わりから一九世紀の初めにかけて、一定数の規律的プロセス
を通して、個々人を 統治するだけでなくこのように人口(=住民)の形で構成されている住民の総体をどのように
統治することを目指すのか、その方式を規定している。
出所を特定された生権力を通して、生政治は、様々な主体が近代国家の発展の中で権力にとって
どの程度重要な事柄になるか、その程度に応じて保健、衛生、食、性、出産の運営にあたることになろう。
講義のこの箇所を展開する上で、ここではジュディス・レベルの要約カードに倣うことにしよう。
フーコーは、ある歴史的事実確認、つまり人口(=住民)の全般的な再生産の運営にあたるという意味で、
フランス絶対王政の古典的時代から権力は、人口(=住民)に関心を示し始めたという事実から出発する。
すなわち、保健、衛生、食などに関する再生産である。生政治の考え方には、生政治が現れる時代における
統治の政治的・機能的合理性の歴史分析が含まれている。本題に即して言えば、歴史的省察はここでは
リベラリズムの誕生に関わっている。リベラリズムにとって、常にフーコー的語法においては、
コストを切り詰めて領有の効果を最大化することにとどまらない統治の訓練を理解する必要があるが、
その一方で、とりわけ過度のものを統治するリスクによって特徴づけられる何ものかを理解する必要がある。
古典的な時代における絶対王政の国家は、自らの機能の成長を通して権力の展開をはか ってきたが、
フーコーによれば、リベラルな省察は、自らの目的を達成するための手段を統治の中に見出すための
国家の存在からではなく、社会から、すなわち国家に対する内部および外部の複合的関係から
出発するということなのである。 -
どうやらスガ秀実は、
2000年に入ったあたりから彼は「生政治」という言葉を覚えて
よく使うようになっているのだが(著作では革あ革から)、
ネグリの文章から照合すると、その使い方を間違えていますね。 -
>>84
>〈生〉 そのものが帝国的主権への異議申し立ての努力のなかで否定されるとき、
>主権が行使する死活的権力は効果のないことが判明するのだ。
>身体に対する絶対兵器は、身体の自発的で絶対的な否定によって無効にされる。
>言い換えれば、帝国の時代に軍事行動と警察行動を結合する管理のテクノロジーとなった
>主権的 戦争状態は、生政治的な異議申し立ての形態と対比するなら、
>堅固な基本原理をもつことをやめるのだ。
スガの表現してる文脈にこの認識を当てはめると、
「革マル派」というのは、単に生政治のことを指しているのではなく、
もっと厳密に言うとあれは「生権力」というのですよ。
そして生権力はもちろん生政治を行使することによってその支配を果たしています。
しかし、ネグリの文章によると、その生権力に対して異議申し立てをすること、
即ち米軍の存在に対してベトナムの僧侶が焼身自殺をすることもまたそれは、
「生政治的な異議申し立ての形態」と云うのですね。
つまり、生権力の行使してる生政治に対抗する行動の在り方もまた、生政治である
には違いないんですよ。 -
つまり、ネグリ的に考えれば、生政治に外部はありません。
-
スガ的biopoliticsというのは、むしろジョン・ラスキンのdirtダートやdustダストの用語を使って、
故郷の荒廃と不衛生を論じたエッセイのような美学的な要素が強いのではないか?
花咲やスガが口にする、早稲田のサークル活動の自由や主体性が失われたことに対する不満とか。
それらや山村政明の早稲田大学に対するアカデミックな失望に対して、
やはり同じくアカデミズムへの執着が強い革マルは互いに反発せざるを得ない。
革マルの読書好きは有名だったが、だからこそ大学教授も多数輩出したが、
中核派はコピーライターの糸井重里ぐらいが関の山w -
「主権」は革マル派にあり?
Sovereinty の所在を巡って。。。 -
◯ → Sovereigty
なんか随分とまたこれはヘンテコなスペルで書かせる単語なんだなw -
中核派は脱落者にも優しい。
俺が生き延びて来れたのは諸先輩のおかげです。
口幅ったいようだが、中核派の良さは強い世俗主義ではないか?
それが未来にも繋がるとか、宣伝もしますw -
絓 森まゆみが「内田樹さんの証言、『あの頃、衆を頼んで集会に行くと、電車はキセル、
駅前の屋台のおでんやを襲ってただで食べ散らかす。普通のおとなしい学生がそのように豹変するのが
こわ かった』という言葉が、あの時代を解く鍵のような 気もする。」と評しているわけですが、内田が
言っているのは、要するに左翼は集団になると暴徒化して、これは人間の性みたいなものだ
ということですね。しかも、それに隣接して石田英敬の四宮事件への紋切り型の証言があり、
元 (?) 革マル系のコン ビの証言が一緒に最後の方に使われている。
しかし、 あの「おでん食い逃げ」は7年3月末の革マル派による三里塚野戦病院襲撃の折の
組織的な犯行なわけですよ。つまり、三里塚反対同盟とそれを支援する新左翼の「過激派」イメージ
を悪くするために、革マル派がマヌーバー的におでんの食い逃げをやったわけでしょう。
それをあたかも「人間って闇が深い ね」みたいな、似非ドストエフスキー的一般論に流 し込み、
それを映画全体の結論にして、それに森まゆみも感動するというふうな流れができているのは
非常にまずいと思いますね。内田樹の「おでん食い 逃げ」の証言については、すでにネット上で
反論が出ているみたいですけど。
花咲 元革マル系の内田樹と石田英敬の存在感が大 きい。佐藤優も革マルと関係があるとの噂もある。
絓 佐藤優は、革マル派が川口君を拉致してリンチ したのは「魔女狩り」と同じなんだと発言
をしてい ますが、何なんですかあれは。キリスト教研究の権威らしいから、何か深い意味があるん
でしょうか。ましてや池上彰まで登場して、俳優たちにウィキペ ディア以下の革マルと中核の違いを講釈する。 -
花咲 リンチしてるところを撮っているだけで意図 がよく分からない。
絓 「お前はブクロのスパイだな」と、ずっとワンパターンの台詞を言って殴ってるだけ。
リアリズムでもなければ不条理演劇でもない。俺がリンチされた経験で言うと(笑)、
リンチする側ももうちょっ といろいろなことを言いますよ。鴻上演出よりはポリフォニックでした。
俺が思い出してグロテスクで笑っちゃうのは(今だから笑えるわけですが)、
「お前ら小ブルには組織論がない、『組織論序説』を読め!」というやつで、そう言ったのは
革マルをすぐにやめちゃう奴なんですけど、そいつは読んでるわけだよ、黒田寛一の『組織論序説』を。
俺は 「組織論序説』は難解で分かんなかったからさ。
ついでに言うと、川口君事件当時の一文自治会副委員長で、リンチの現場にいなかったということに
なっている辻信一こと大岩圭之助氏が樋田さんの本で対談をしていて
「僕は革マル派の活動家が読んでいた理論的な本をほとんど読んでいなかった」と話しているけど、
そんなのは大嘘ですよ。 -
絓ってもしかしてここに来てたりするのか
-
花咲 亀田さんのインタビューをボツにしたことについては代島氏から説明はあったんですか?
ボツにしたんだから多少の説明はあってしかるべきだと思うんですけど。
亀田 ないですね。初号試写会で会ったときに「採用しなかった」って言われただけです。
樋田さんへの批判をガンガン話をしたから、絶対に使われないだろうなと予想はしていました。
代島監督が樋田さ んとは違う選択の仕方で早稲田解放闘争を持続したことを知り接触してきたので、
取材を受けようと思いました。
樋田さんが強調している「暴力と非暴力」 という単純な二項対立で応答をしたら、
樋田さんの本にインスパイアされた代島監督の思枠のなかにし か収まらないだろうという
事前のイメージを持って いましたから。
花咲 亀田さんの発言もあった方が映画に幅が出たと思うんですけどね。
亀田 図書館占拠闘争についてかなり語ったという こともあるのじゃないでしょうか。図書館占拠闘争
の話までいくと、代島さんが構想していた映画の展開に位置づけができないだろうと思いました。
早稲田解放闘争は結局、「非暴力主義」の樋田氏が離脱することで分裂したと言われていますが、
分裂ではなく離脱した樋田氏が見放されたと思っているのですけれどね。
樋田さんへの支持というのは、一文の早稲田解放闘争参加者のなかだけでも少ないと感じていました。
図書館占拠闘争をやったときのバックアップには一文のノンセクトの人も多くいたのです。
取材を受けたときから代島監督は樋田路線でいくだろうという思いでした。
絓 でも、樋田路線のはずが出来上がった映画は革マル路線になってしまったという。
花咲 『三里塚のイカロス』(V)は大津幸四郎と共同監督した『三里塚に生きる』からの流れだし、
『きみが死んだあとで』(21)は「108 山﨑博昭プロジェ クト」が背景にあるから制作意図が分かるけど、
今回の映画は作られた背景も代島監督のモチーフも全 く見えない。川口君事件の歴史修正的な歪曲
と相対化(無効化)にしか結果していない。端的に言って元革マル系のプレゼンスが大きく、
革マル派のプロパガンダに寄与するだけの映画とも見える。
絓 世間ではなかなかそうは見られないだろうけど -
亀田 「生活と自治」という生活クラブ生協の会員限定に配布される月刊誌に森達也監督が連載をしています。
その最新回で桐島聡の映画を撮りたいと書 いているのですが、三菱重工ビル爆破事件で死傷者が出たこと、
そういう活動が今の自民党の専制的な政府を跋扈させる原因になった。それに対し桐島さんは自責の念を
持たなければならなかった、と決めつけているのです。森監督も代島監督も結局はそういう発想で、
60年代後半、70年代世代の新左翼運動の責任という枠組みを作りたがっているのだろうな と思いました。
絓 要するに暴力はいけないということでしょう。 過激派になっちゃダメだよと。
花咲 新左翼の「暴力」が悪くて、リベラル的にぬ るくやっていればよかったと。国家権力の
「過激派キャンペーン」と同じ。樋田氏は自衛のための暴力すら否定するけれど、圧倒的な暴力に
よって保たれている秩序=平和に対して、非暴力をいう事は圧倒的な暴力を肯定支持することに他ならない。
樋田氏の理屈からすると2023年10月7日のハマスを中心としたアルアクサの洪水作戦は
「不寛容に対して不寛容」で対峙した辛抱足りない人々ってことにな る。2023年11月28日に早大当局は
イスラエル大使館と共催で企画を行い、そこに参加しようとしたムスリム系学生に対するイスラエル大使館
による警察権力の学内導入を許した。そうした状況も樋田氏、 代島氏は「平和な学園」として肯定するのか。
またML解放派ブント中核等のセクトがいないところで、全共闘運動なり教育学園現場における
ノンセクトの 運動というのがありえたのかということがありますよね。早大一次闘争にしても東大・日大の
全共闘運動にしてもセクトがいなければ有り得なかったのは事実だし、セクトの暴力によって
全共闘運動は担保 されていたわけでしょう。 全共闘運動もセクトが支えていた部分というのはあるわけ
じゃないですか。 それはあるし、否定できないですよ。
亀田 大学は本来、通過する場でしかないわけです からね。
絓 学生運動をやってても就職したりせざるをえない。そうすると、よくも悪くもセクトが必要には
なってくるんですよね。そんなことを言ってもしかたないんだけど。川口君事件については、ずっと
本も映像も含めて公には出ていなくて、俺も 「革命的 な、あまりに革命的な』以来、川口君事件の問題
に ついて多少は書いていますが、当時は資料がなくてね。でも、時間が経って川口君事件についてある程度
は公にできるようになったんでしょうが、この映 画にしても樋田さんの本にしても「内ゲバ」の捉え方が間違ってるし、
川口君事件の捉え方も間違ってるんですよ。 -
いやーしかし。
よくこれだけバカっぽい座談会を商業雑誌に載せたねえという感じ。
さすがに是枝監督の力作映画を最下位に持ってくる映画雑誌だけあるわ。 -
町山智浩さんに、雑誌映画芸術への評価を聞いてみたいですね。
-
人寄せパンダ?
-
新左翼マニアックマイナーおたく寄せパンダか
-
絓秀実という失敗
-
ノンセクトラジカルという珍獣
-
蓮實重彦にゲバルト批評して貰おう
-
秀実=左翼バックラッシュ主義
-
村上春樹や絓秀実の世代には革マル派問題は重要なんだろうけど
ここにいるのも爺さんばかりなのか? -
革マル派を知らぬ者は、未来の革マル派に騙される。
-
革マル派って他の左翼と何が違うの?
絓と笠井の本読んでもよく分からんかった
若輩者に教えてください -
革マル派のすごさと恐ろしさ=独善性、独善主義。
もともとそれは日本の歴史的文脈にとって日本共産党の問題であったけど
日共の路線が日和るにつれて、
コアな左翼の中で悪質な障害として立ちはだかったのが、
革マル派の組織主義と理論主義的な洗脳だった。 -
革マル派の場合は組織が強いのと同時に、
他勢力への排外主義的な暴力もすごかった。 -
中核派は全然違うん?
-
まーやっぱひとことで言えば、
革マル派は日本のナチスだと云われているということでしょう。 -
革マル派と中核派は兄弟だけど、
革マル派よりはまだ中核派のほうが左翼内の評判はいいねw
中核派は革マル派ほどは、理論的な意味不明さでツッパってない。 -
悪いが創価と顕正会の対立と何が違うのか分からない
内輪も内輪のミクロな差異を天と地のように錯覚しているんじゃないの?という
68年なら格好もついたのかもだが今だとセカイ系の痛い人じゃないのかと -
革マル派に笑うものは革マル派に泣く。
-
暴力を肯定すると革マル派の暴力は問題ないし他党派ももっと暴力的になれって話になりますな
-
いや、革マル派というのは結局、「意識」の問題なんですよね。
-
spartacus
@accentdeverite
18時間
今になって気がついたが、さだまさしの出世作の『関白宣言』って(たぶん)
『人権宣言』の向こうを張ってたんだな。「フォーク」から「ニューミュージック」に行って
「国民的」人気者になるあの潮流を、初期のタモリがおちょくりまくっていたのは、
さすがの嗅覚という気がする。 -
さだまさしによれば「関白宣言」もまた、生政治である。
-
あれはみんな失笑、苦笑でおちょくってたようなw
-
池田信夫
@ikedanob
石田英敬のような革マルの活動家(それも内ゲバの関係者)が東大に職を得たんだから、アカデミアの「透明性」なんてちょろいものだ。 -
絓秀実のような柳美里から文学界の誌上でセクハラ告発やられていた文芸評論家でも近畿大に職を得たんだから、
アカデミアの「透明性」なんてちょろいものだ。 -
革マルのサイバーセキュリティへの侵入力を舐めてはいかんだろ。
さだまさしの「関白宣言」は、現代の日本男子の女性化=インポ化に対する叱咤ではないか?
花咲の太陽肛門は世界に晒さなければ。太陽肛門は典型的なbio powerだな。 -
川口君事件の記憶(五)−『対論 1968』と『漂流 日本左翼史』の川口君事件記述
https://www.asahi-ne...st/kawaguchi_028.htm -
他の党派の拠点校では革マル派的な支配は無いもんなの?
-
スガや花咲とかダメ連の界隈は、理系の人間と組むべきで、全共闘にも山本義隆とかいたんだから、有り得なくない。
もっと良いのは彼ら自身で、リサイクル・テクノロジーの開発会社を作ること。
文系と理系が融合してこそ、バイオパワーだろ。
スガらの現状でバイオポリティックスとか言っても、文系だけで固めてたら説得力が弱い。
ヴィム・ヴェンダーズの映画「パーフェクトデイズ」を批判するより、
バイオ・リサイクル・テクノロジー開発で公共トイレに応用する方が、夢も可能性もある。
柄谷は山本義隆を馬鹿にしてたと聞くが、スガらは柄谷から離れるべきだろ。
造船の方ではリサイクルは鋼鉄のリサイクルは規模が大きくて、船に含まれる毒物や危険物を抜き取る作業には
ハイテクが活躍する余地もある。
燃料的には再生可能エネルギーとして最有望とされるアンモニアは毒性も高くて、
危険もあるが、燃料タンクの解体処理は非常に有望な事業だろう。 -
歴史修正/歴史歪曲映画「ゲバルトの杜」を批判する
@morihihan
9時間
闘うもの、闘おうとするものにとって害悪でしかない歴史修正/歪曲映画
「ゲバルトの杜」批判HP立ち上げました。管理者は絓秀実/花咲政之輔です。
これから批判の声を組織する拠点として機能させていきたいと考えます。
5/6 絓秀実の文章をアップしました。
https://freegaza.web.fc2.com
共に批判して行こう! -
なんやのこれはw
-
2024年5月中旬に公開予定の
歴史修正/歴史歪曲 映画「ゲバルトの杜」を批判するサイトです
2024年4月30日発売の雑誌「映画芸術」に?秀実・亀田博・花咲政之輔による
映画「ゲバルトの杜」徹底批判鼎談が掲載されています。 -
(2024/05/06)
イスラエルのガザ侵略を契機に、世界的に勃発している大学闘争に接しながら、
決定的に遅れている日本の学生運動(いや、学生運動のみならず、「運動」全般)にとって、
映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督)を--そして、同映画をめぐる製作者サイドに立った言説を--
無批判に受容することは、運動の停滞に、いや後退に加担することである。
このことを直視し、歴史を検証しながら、『ゲバルトの杜』を一つのケーススタディーとしつつ、
対抗する言説を紡いでいくことは、小さな一歩ではあるが、重要な一歩である。
『ゲバルトの杜』は、歴史認識上の多くの誤りと虚偽を含みながら、
あたかも「リベラル」であるかのごとく、流通しようとしているからだ。端的に言ってデマゴギーである。
多くの方々が、われわれの趣旨を理解し、声をお寄せいただくことを望む。
もちろん、われわれは異なった言説に対して狭隘ではないが、無原則に寛容であるわけでもない。
-絓秀実 -
絓先生はやはり歴史書としての68年史を書くべきなり
-
飯島 洋一
19分
【上映阻止!!~】運動も囁かれるドキュメンタリー映画『ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ』
原案の著者→樋田毅さん、ドラマパート演出→鴻上尚史さん、監督→代島治彦のシンポジューム
を聴きに【早稲田奉仕園】へ!!~現役早大生&OB.OG 多数の参集で大盛況だった~
皆んな【早稲田大学】が大好きなんだな!!~ -
むしろこのまま行くと ゲバ杜大ヒット満員御礼の予感か?
-
スガ秀実に見える関東の停滞は関西が台頭するチャンスでしかない、
というか、関西が出張るしかないだろ。 -
>>133
> 他の党派の拠点校では革マル派的な支配は無いもんなの?
法政大 → 中核派
明治大 → 解放派
早稲田以外で特定のセクトがその大学の
全体的な学生政治を支配しちゃうというのは
このくらいだけど、セクトといっても
大きなセクtというのは自ずからその数が限られてるからね。
東大が特定党派に独占されたということは、共産党(民青)を含めてないね。
東大はいつも多党派が共存している。
革マルもいれば中核派も、同じ駒場寮で部屋を持っていた。
もっとも建物や部屋の位置で棲み分けはあるわけだが。
京大の場合も全体が特定党派に染まることはないが、
熊野寮という場所は中核派が管理を独占してるね。
他にも東北大の学生寮とかも中核派だったと思うけど、
それも90年代までの話ではないかな。 -
しかし、法政や明治に比べても、早稲田大学の革マル派支配というのは
群を抜いてしつこくて強固だったわけだ。
このしつこい粘着性、占有性において革マル派独特の性質が滲み出ていたといえる。
正確には、法学部の自治会だけ歴史的に民青が取っていたわけで
革マル派の全体支配が露骨に力を示すのは、
早稲田祭などの幾つかの現場に限られていたわけだから。 -
法政の中核派支配というのもかなりの問題を含む
しつこくて独裁的な性質のものだったけど、
これは田中優子が総長時代に島田雅彦教授とタッグを組んで
追い出し作戦やって成功したんだよな。
島田雅彦も田中優子もこのとき相当苦労してやったらしいよ。 -
ああだから田中と島田はなんか組織の臭いが強い連中に粘着されているのかw
香ばしい叩かれ方をしているなと思っていた -
>>132
> 川口君事件の記憶(五)-『対論 1968』と『漂流 日本左翼史』の川口君事件記述
> https://www.asahi-ne...st/kawaguchi_028.htm
> ただ、スガ氏が、村上春樹の単行本化されていない中編小説「街と、その不確かな壁」
> (『文学界』1980年9月号)は「川口事件を引き起こすような早稲田の環境というものを、
> 壁に囲まれてほとんど死んだようになっている“街”に仮託してかいているんじゃないか・・
> というふうに読めるんだよね。」(p171)と述べているので、図書館でコピーして
> 「街と、その不確かな壁」を読んでみましたが、川口君事件当時の早大文学部に在学していた
> 私の実感とは、やはり違うように思いました。
ここで言ってるスガの記憶が、どうも思い込み的おかしいのは、
そもそも革マル派が独占的な仕切りで運営してた早稲田祭は長く続いていたが、
有名な文学研究会主催の柄谷行人講演会というのは、
その早稲田祭の中で十何年か続いたものだったんだよね。
その他音楽系のイベントでは早稲田祭でもかなり強烈なラインアップが組まれて
活況を呈していた。
要するに早稲田祭の前後する期間に「死んだように過ごした」人たちというのは、
早大の中にいるその他左翼の人たちだけで、
そんなの民青とノンセクトを含めていつも大した数いなかったんだよ。
これもスガ秀実の捏造記憶であり、細工されたイメージ語りなんじゃないの? -
要するに、80年代から90年代の東京で大学キャンパス的な実情をいえば、
早稲田大に比べて、他の大学、つまり革マル派支配なんかなかった
大学の実情と性質がどうだったかと思い返せば、
もう既にどこの大学でもほぼ同じように左翼は死んだように廃墟化された
世界の上で亡霊のように行ったり来たり活動してるだけだった。
つまり、他の大学を見れば、それが革マル派支配とは全然関係ない
時代の実情だった(浅田彰に云わせればシラケと新人類のの時代)
ということははっきり証明できるわけです。 -
國學院大 → 革マル
奈良女子大 → 革マル -
奈良女の革マルが結構強力だった。
-
奈良女は恐いよ
-
沖縄国際大 → 革マル
-
まあ、結局は金なんだよ。
企業に乗り込んで10億単位で引っ張って来れる役者じゃないと。
柄谷でも慈善団体から1億5千万円を恵んでもらうぐらいが精々だ。 -
知り合い曰く奈良女の革マルは弱いから存在を許されているらしいが
-
つまりそれは外面と内面が完全に分裂してる女たちということでしょ。
まさにそれは革マル女らしいw -
革マル神話解体
-
0663考える名無しさん 2024/05/06(月) 22:42:40.990
ヘーゲル哲学研究第19号 こぶし書房
【公募論文】
『精神現象学』における「承認論」の新展開 斎藤幸平
身体と言語 「精神哲学」における二つの表現 池松辰男
ヘーゲル哲学におけるオイディプス問題 鈴木亮三
0664考える名無しさん 2024/05/06(月) 23:58:04.530
幸平ちゃんはなんでそっちの方向に行くねんよwwww -
スガの僚友の千坂恭二が冴えてる。
近代の超克についての千坂の発言。 -
346 吾輩は名無しである ▼ 2024/05/08(水) 10:51:49.91
蓮實は絓を叱るべき
映画を批評するなら演出やショットで評価すべき
内容で批判するなんて愚の骨頂 -
『帝国とその彼方 アントニオ・ネグリ講演集上』
ちくま学芸文庫 15ページより
社会的存在論の変容を考えるときには、ポストフォーディズム的でポスト産業主義的な段階
においては、非物質的労働 (すなわち、知的、情動的、関係的、言語活動的な労働)が
価値増殖の中心的要素として出現したことによって、資本主義の蓄積が抜本的に修正される
にいたったという事実にたどりつきます。
社会全体が労働に就くとき、社会的協働が生産性の基盤になります。
しかし、社会が資本のもとに実質的に包摂されることは、社会生活全体が
資本の関係性のなかに巻きこまれることを意味します。
マルクスにならって、資本とは搾取する者と搾取される者との関係であることを考慮するなら、
そのと きには生そのものが搾取されていることがわかるでしょう。
資本と主権国家は生権力として現れます。
そして、両者の活動を支えているコンテクストは生政治的なコンテクストと定義されます。
搾取は生のさまざまな様式を横断します。ひいては、解放への欲求も、それ自体、
社会のあらゆる分節化に立脚したところで生じます。 -
絓秀実の SEX POLITICS
-
まあ、頭脳労働なんてのは有り得ない。
頭脳労働なんてのは全部、ゲームか遊戯だ。
真の労働は体をすり減らすものであって、膝の軟骨が無くなったりしなければならん。 -
68年語りは労働だろ
そういうことにしないとスガ周りは無職だらけになってしまう -
しかし事実は無職なのじゃww
-
やっぱり新左翼系は無職じゃないと格好がつかぬ
汗水垂らして出る理論の説得力に悲哀が勝る -
>>162
蓮實ってよく考えると無茶苦茶な批評なんやな -
蓮實が示したこのスタイルの批評に当時賛同して
グループ形成したのが、スガ、渡部、金井美恵子
といった人たちであった。
80年代当時においてはそれが革命的なスタイルだった。
しかしなぜだかそういうプロセスの存在はもう忘却されていて
批評の幼児的退行が目下起きている。
即ち、バカ左翼的主張の復活。 -
フォルマリズムでしょうか?
-
単なるフォルマリズムよりも先を行ってる。
柄谷行人に蓮實批評グループを対応させた場合。
個人において、相手の内面を問わない、
作品を見るにあたっても作者の内面は問わない、
作者の立場は作品の自律性と関係ないという
作品主義が、80年代当時の流れとして成立してました。 -
芸術作品を見るには、やっぱり作品主義が正しいんですよ。
今になって花咲及びその背景にある幼児的左派に対応してる
作者の政治的立場主義というのは、
二〇世紀の批評からもはや時間をおいて、
恐ろしい退行現象が目下起きているように見えますね。 -
作品主義の系譜
ロラン・バルト → ジャック・デリダ → それから日本に入ってきた。 -
でも批評による芸術作品の人畜無害化になりませんか?
-
逆に芸術作品なら差別だろうがなんだろうが何言っても関係ないと
-
芸術作品はそれでいいんですw <芸術とは社会の人畜です。
少なくともそれが80年代の到達点だし
この最終結論は、芸術にとって 基本的に変わりようがない。 -
あんたらは、
なんでマルキ・ド・サドとかセリーヌの文章が作品として成立してると思ってるの? -
芸術作品なら何言ってもよくて批評や論文は駄目という根拠って何ですか?
-
中上健次とか柄谷行人だって正体は人畜なんですよ。
むしろそれらを超えてる鬼畜とても言うかww -
中上も物語内容はつまんないからな
-
大学的な論文でなければ何でも言えますよ。
だから20世紀の段階では、批評でも本来は何でも言える批評を志向してたはずなんだけど、
しかしその態度がどこかで裏切られて
結局、批評の文壇主義が勝ってしまった。。。
それが目下の現状です。
こういう裏切りの責任は(文壇主義の勝利)
柄谷とかスガの自己保身にありますね。 -
しかし現状は、やっぱりたぶん、退行現象なんですね。
ネット社会に原因を持つ幼児返りというに近い。 -
新左翼連中はこのまま完全に時代に置いていかれそうで怖くて68年を懐かしむ同志と連んでいたら逆に気が大きくなって再び万能感を得たという見方はどうか
-
柄谷、蓮實、浅田らが党派を組んだおかげで、文芸界隈の多声性が失われたろ。
それについて、スガや渡部直己、千坂恭二らのように若い頃からずっと文学を読み続けてきた者らは、
気付いてたはずなんだよ。
俺なんか爺になってやっと最近の小説を読み始め、文学界隈の事情を観察し始めたばかりだが、
山田詠美が可能涼と、川上未映子が阿部和重と、というように柄谷の子分的存在と結婚するというような、
ここまでして女性作家は文壇に生き残りたいのかと俺が驚くような現状なら、
多声性が消滅したのも無理はないと、柄谷、蓮實、浅田らの反省があってしかるべきだろう。
フォルマリズムとか、何を時代錯誤なことを言ってるのか。
今の若手作家はフォルマリズムを完全に見離してるというのに。
世界情勢からしてフォルマリズムはとっくに終わっている。
。 -
スガや花咲が早稲田に拘るなら、小保方春子をリサイクルしろよ。彼女の再生利用でバイオパワーに取りつけば良い。
-
昔は吉本、江藤、丸谷とボスが何人かいたから
村上春樹は丸谷、福田和也は江藤が庇護してたからな -
>>186
そもそも、柄谷、蓮實や浅田らはフォルマリズムの意味を分かってないwww
彼らは学歴と本を沢山読んでる点では高レベルなんだが、直観力が非常に低いんだ。
こいつらはなんぼ勉強しても無駄。浅田と岡崎とプラスワンの鼎談での磯崎新論とか、
ただの無駄話だから。 -
ダイアモンド☆ユカイ+木暮“shake”武彦のDiamond Shake
「Jumpin’ Jack Flash」のカヴァー公開
2024/05/08 12:00掲載
レッド・ウォーリアーズ(RED WARRIORS)のダイアモンド☆ユカイと木暮"shake"武彦のユニット、
Diamond Shake。カヴァーアルバム『ロックンロール黄金狂時代』からローリング・ストーンズ
(The Rolling Stones)「Jumpin’ Jack Flash」のカヴァーをリリース。YouTubeほかで聴けます。
https://www.youtube..../watch?v=8ARtzdyQxXI -
サド、セリーヌ、パゾリーニ、・・・・
-
特にパゾリーニの場合は非常に自覚的なコミュニストだった。
-
しかし本当に文章良ければ物語内容が糞下らなくてもいいってみんな思ってんの?
-
いや中上に関しては言えば物語内容は、凡庸な構造から元は取られてるとしても
それなりにいいよ。 -
けっきょく得意技の問題では?
-
森田 曉
代島監督、原作者の樋田毅さん、鴻上再現ドラマ監督。
4日
リンチ加害者による非公開証言を元に再現映像を作成したという。
樋田さん、大岩圭之介との対談は文藝春秋社内で収録。
樋田さんによれば、辻信一こと大岩は、革マル派の暴力は、暴力を無くすための暴力と語る。
代島監督は、死者のことだけ関心のようだ。
早稲田の現役学生が20人ほど観客席に。
武部 伸一
森田 曉 さん
私も参加して、若い彼女たち(女子の方が多いように感じました)が会場にいた事、感動しました。
森田 曉
早稲田大学が川口君を殺した!クラスメイトが語る。栃木から来た友人。
森田 曉
長島さん。
横山哲也
そうなんです!『…はワセダで死んだ』やなくて『…はワセダに殺された』。
森田 曉
映画を二回見ての感想。川口大三郎君を追悼する映画ではまったくない。
樋田さんの本の一番の成果が辻信一の正体を暴露したことにあるように、
内田樹、石田英敬という二人の東大革マル派に自白させたことがこの映画の最大の成果だと思います。
森田 曉
本人たちは、あたかも周辺的存在であったかのように強弁していますが、
有名なおでん食い逃げに関与していたり、Zヘルかぶってビラまいていたり。
かなり中枢に近いことが回顧映像からわかります。
森田 曉
公安警察と日本共産党がまったく登場しないことが不思議でした。
2時間 -
issaku
@issaku14
13時間
安倍晋三、どう考えても、本当に殺されて良かったとしか思えない。 -
文芸批評は内容も文章も問われるだろうけど名文で下らないこと書かれるよりは駄文でも頭いいほうがいいだろ
-
陰謀論と言えば革マルだったのに反革マルが陰謀論にハマってどうするのか(笑)
-
よいも悪いも、それはすべて
最初から「商品交換」の論理で動いてるから全く関係ないんだよね。
それが柄谷行人の論理ですよ。
だから嫌だったら自分で別の交換論理を作ってやっていくしかない、
ということになる。 -
×陰謀論と言えば革マル
◯陰謀論と言えば新左翼 -
>>186
フォルマリズムと言えば、一応は文学や美術の用語と思われてる傾向は強いようだが、
元々は英米では1870年代から1920年代にかけての法学の用語なんだよ。
そこから、文学のフォルマリズムは派生した。
蓮實重彦はコーナーに追い詰められたはずだが。 -
すがちんは、あいつらは何もわかってないと言う「老害批評」をがんばってほしい
-
>>190
> ダイアモンド☆ユカイ+木暮“shake”武彦のDiamond Shake
> 「Jumpin’ Jack Flash」のカヴァー公開
> https://www.youtube..../watch?v=8ARtzdyQxXI
やっぱり花咲の歌い方はダイアモンド☆ユカイの歌い方と似てるね。 -
絓秀実氏と1年以上ぶりに歓談。
たぶん池上彰&佐藤優の悪口大会になると予測し、
絓氏らの映画『ゲバルトの杜』徹底批判座談会掲載の『映画芸術』最新号を
事前に読んでおこうと本屋に入ったが置いてなく、ふと視界に入った
池上&佐藤の左翼運動史概説対談シリーズ最新刊を衝動買いしてしまう本末顛倒。
外山恒一
@toyamakoichi
17:35
池上彰&佐藤優による左翼運動史解説には(私や絓秀実氏や笠井潔氏のそれと違い)
それが〝今〟の若者たちにとってどう重要なのかという視点が欠落しており、
単なるオヤジどもの思い出バナシにしかなっておらず、
しかも若者たちに他人事としての表層的理解を提供してるだけという点で有害でさえある。
外山恒一
@toyamakoichi
17:43 -
>それが〝今〟の若者たちにとってどう重要なのかという視点が欠落しており、単なるオヤジどもの思い出バナシにしかなっておらず、しかも若者たちに他人事としての表層的理解を提供してるだけという点で有害でさえある。
お前やスガは違うと? -
若者なんか知るかでいいよオッサンなんだし
-
いやスガちゃんそもそもあんた何歳まで生きるつもりなん?
-
普段から懐古ばかりしている連中は他人の懐古の仕方に煩い
そういうことでしょうかね -
イスラエル批判が反ユダヤ主義になるのはおかしい
ロシア批判が反スラブ主義ではないだろと
欧米ではなかなか難しいのも分かるけどさ -
パレスチナ連帯を叫ぶ新左翼連中もある物事をお気に入りの二項対立に持ち込む仕草に慣れ親しんでいるからな
「も」というかこいつら以上に特定の二項対立にこだわる集団はそういないか -
花咲は極端で絓などはネオリベとその他の最終戦争が近い!的なノリではないでしょう
-
spartacus
@accentdeverite
バディウに『ユダヤという言葉の射程』(2008)という時評集がある。この本の前後、イスラエル批判に対して「反ユダヤ主義」の批判を浴びたバディウが、反ユダヤ主義批判とイスラエル批判が矛盾しないことを説き、普遍主義的(ユダヤでもアラブでもない)パレスティナ国家樹立を唱えた論集だった。イスラエル批判を反ユダヤ主義として封じ込める論調は、これ以前からはっきり存在していた。(かつての盟友であったミルネールの『民主的ヨーロッパの犯罪傾向』に対する反措定である。)
いまや、西欧ローカルな議論として片付けてもいられないので、日本語に訳されるべきかと思う。 -
https://news.yahoo.c...c6f64d91c8dedc1d0ff2
外山氏は「今回みたいなことがあると『供託金をもっと高くすべきだ』という話が必ず出るが、今でも十分高い。別の形のほうがいいのではないか」と疑問を呈する。
「諸外国では、供託金ではなく署名にしているところもある。運動の実績があったり、普段からいろんな主張をしている人は集めやすいので、お金がなくても出られる。日本で今問題になっているような単なる売名行為の人は、供託金を払えても数千人の署名を集めることはできないと思うので、そういう制度にしたほうがいいのではないか」
黒川んところなら集めるだろ -
外山もAbemaのTV出れる時代かよw
-
外山って何気に芸能文化人としてもしかして成功してる?
-
迷惑系YouTuberの癖に同族のこと何も分かってないのか
-
なんと速水健朗とパックンがだめ連を論じてるぞ!
【だめライフ愛好会】ゆるさに寛容な社会を?大学は人生の夏休み?常識って何だ?
ちゃんとすぎる社会を議論|アベプラ
https://www.youtube....v=2D6y5p8y93w&t=590s -
パックンも認識していただめ連。
-
【選挙妨害】規制が必要?自由はもう守れない?民主主義が揺らいでる?
革命家の外山恒一&大空幸星と考える|アベプラ
https://www.youtube..../watch?v=_GnUeCedVPw
外山恒一の特徴は何かを喋っているように見えて実は何も喋ってないということ。 -
生政治
wikiより
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生政治(せいせいじ biopolitics)とはミシェル・フーコーが提案した支配の概念である。
概要
現代社会の支配体系の特徴として、例えば政府等の国家が市民を支配する際に、
単に法制度等を個人に課すだけではなく、市民一人ひとりが心から服従するようになってきたとして、
個人への支配の方法がこれまでの「政治」からひとりひとりの「生政治」にまで及ぶようになった
と説明する。これを「生政治学(Bio-politics)」という。これはフーコーの著書『監獄の誕生』の中で
言及される主要な概念のひとつで、この例を示すために、「パノプティコン」の例がよく使われる。
近代国民国家の支配の方法として、法制度といったものを「外的」に制定するだけではなく、
法制度を「倫理」として各個人の「内的」な意識レベルまでに浸透させるようになってきたと説明する。
彼は後に、支配が各個人の倫理レベルにまで及ぶとする一方で、その支配に対する「抵抗」もまた
人それぞれであるとした議論を『性の歴史』で展開し、この議論はこれまでの集団主義的、
マルクス主義的な社会運動とは違う個人の意識をより尊重する事を主張するポストマルクス主義や
新しい社会運動、さらにはゲイ・レズビアン運動といった主義や運動の存在根拠として言及される。
2019年以降のCOVID-19騒動で注目された言葉である。この騒動では、市民側が
「生政治をもっと厳密に行え」「我々を統治せよ」と要求するという状況が生じた。 -
花咲政之輔や関連の人間のライブをyoutubeで見たが、面白い。
花咲が左翼運動史の映画を撮れば良いのでは? -
花咲の演劇は鴻上尚史より面白いのでは?
-
花咲は東浩紀の物真似できるかな。
やれば受けること確実だぞ。 -
> Tosei Moriwaki / 森脇透青
> @satodex
> 13分
> 「これをしてないのはおかしい」、というような在り方をぼくは根本的に拒否する。「野菜は美味しいから食べる」のだ。
どうかなあ?
「これをしてないのはおかしい」的な思考というのが、
まさにデリダの思考であり、柄谷の考え方でもあるんじゃないのかな?
まさにそれが、統整的思考というか。・・・・
つまりその思考は「不在」から始めてるでしょう。 -
> 「野菜は美味しいから食べる」のだ。
それだと単にさっきまで現前していたものの、単純な反復を肯定しなおしてるだけでしょう。 -
青汁はまずいけどまず飲んでみる。
是柄谷行人也。 -
まん汁はまずいけどまず飲んでみる秀実
-
> 「野菜は美味しいから食べる」のだ。
しかしそこには思考がない。 -
スガ周辺の幼稚化
-
>>「野菜は美味しいから食べる」のだ。
これはホリエモンだろw
ゴリゴリの健康主義を否定し、本能的な味覚を大切にする点で、バイオパワー的でもあるw -
猿のオナニーは、
きもいいから、きもいい。
ひたすらその同語反復だけ。
外部がない。
他者の声は聞こえない。
即ち、猿にとってオナニーは死の欲動となる。 -
「不在の神」を現代思想に導入し直したデリダは、
やっぱり偉大だ。 -
しかしそこに、不在の神が再びいなくなると、そこにはスガ秀実主義が生じている。
-
猿のオナニーは、トートロジー。
-
最近ラジの発狂が増えてるのって、朝ドラ『虎に翼』で女性弁護士がバズり始めたからだから、ラジはテレビ捨てた方がいいぞ、精神安定のための
-
朝の連続ドラマ主演
まん汁ひかり -
花咲政之輔一座のライブを誉めたものだけど、日本の音楽や演劇が1970年前後で
時間が止まってしまったのかも。
1968年は現在の日常になってる。
土方巽や唐十郎の時代から何も変わってないのでは。 -
外山恒一から、つばさの党へ?
-
つばさの党を見てると、日本でもここに来て本当にナチっぽい政党が出てきたなー
という感慨を抱くな。 -
はてさて、
日本の元祖自称ファシストこと外山恒一はどう考える? -
根本 良輔(ねもと りょうすけ、1994年6月21日 - )
は日本の会社経営者、政治活動家、つばさの党幹事長。
来歴
東京都練馬区生まれ 。芝浦工業大学を卒業後、東京大学大学院へ進学し(のち中退)[3]、
電気工学の研究に従事する。その後つばさの党黒川敦彦代表の知遇を受け、
IT会社経営の傍ら、政治活動に参加する。
2021年の「東京都議会議員選挙」と「葛飾区議会議員選挙」に出馬したが、落選した。
区議会議員選挙においては、115票差での次点だった[5]。
選挙運動では、コロナワクチンの危険性に警鐘を鳴らし、AV産業への規制を訴え、
医療政策として筋トレで免疫力を上げることなどを訴えた。 -
>根本 良輔(ねもと りょうすけ、1994年6月21日 - )
>は日本の会社経営者、政治活動家、つばさの党幹事長。
なんなんだ、こいつは? -
つばさ以前からああいうタイプの泡沫政党はいくらでもあったし街宣妨害なんか昔の方が酷かった
昔との違いは通信技術の差(個人がテレビのように生放送を行えるようになった)だろうか
権力が技術への恐怖を利用するために過剰に騒ぎ立てているのではという疑いを持つべきだろう
ドローン規制やバイトテロを受けての企業の対応なども同じような危うさがある
技術と政治は対立するから上手くバランスを取ればいいという発想は技術と政治の間に明確な断絶があるという認識に基づいているはずだが果たして今の新自由主義社会においてその認識は妥当か -
訳の分からない文章になったw
我々の頭の中にある 民間(個人、新興企業、革命家)の技術 対 政府(集団、既存企業、抵抗勢力)の規制 という構図を利用されたら怖いなという話
寿司ペロ事件と当該企業の対応の結果爪楊枝が卓から消えたが、単なるコストカットではないのかと
どーもうまく化かされているようで、なんだか釈然としないのだ -
技術革新→規制→技術革新……の流れがネオリベ的に最適化されつつあり、茶番のような、もしかしたら仕掛け人のいない陰謀なのかと想像して薄気味悪くなる
小池百合子の家の前で迷惑動画配信されたから何だ、醤油差しに唾液が付いているかもしれないから何だ
そんなの別にどうでもいいだろう -
>>247
>つばさ以前からああいうタイプの泡沫政党はいくらでもあったし街宣妨害なんか昔の方が酷かった
>昔との違いは通信技術の差(個人がテレビのように生放送を行えるようになった)だろうか
>権力が技術への恐怖を利用するために過剰に騒ぎ立てているのではという疑いを持つべきだろう
それだと認識力が外山レベルでしょうw
外山は、オウムを解散させたり強制捜査したりすることが違法で、
自由の原則に反するとか、およそ陽の目に当たるメディアの舞台では
絶対言えない有り得ないことを主張してきている人物だよ。
あれを真顔で論じるには、相変わらず当たりません。
つばさは、それにしてもやっぱり、際立って異常化してるのよ。
それでこの異常化の前提は、
立花孝志からガーシーと経て、ちゃんと前兆があり、前提の系譜ははっきり辿れる。
街宣妨害は以前からあったというなら、以前といってもそういう暴力的妨害が
罷り通ったのはかなり昔の話、70年代とかそういうレベルの歴史でしょう。
最近の流れとして、つばめは顕著であり、かつ症候的であるというには変わらないでしょうに。 -
>>250
俺は外山のようなアナキストじゃないよw
ただ馬鹿な個人、悪い個人に対する企業や政府、社会と言ってもいいか、の反応、講じられる対策の胡散臭いケースが増えたなと思っている
選挙妨害は、まぁ確かに問題だが、寿司ペロ事件の流れは、あれはやっぱりまずかったね
飲食店で爪楊枝や調味料が卓から取り払われたことに市民はもっと違和感を覚えるべきであった -
最首 悟
1日
だめ連編『だめ!』:道場親信(だめ連友好社会学徒);
「だめ」を意識して、それを恐れるあまりに煮詰まってしまう、いきづまってしまうというのが
コミュニケーションという観点から見た「だめ」という問題であるといえよう。
おそらく必要なことは、自分の「だめ」がもっている業の深さを知ること、
また折り合いをつける方法を見つけていくことであろう。
ここで重要なキーワードとなるのが、「脱力」ということばである。
つまり、「だめ」をこわがらずに積極的に自分の「だめ」とつきあうことである。
もちろんこれはいうだけなら簡単なことであるが、私自身苦手なことだ。
(245p、河出書房新社、1999) -
つばさの党メンバーが逮捕されてるが
黒川敦彦は元々立花孝志のN党で幹事長をやってた人間であるらしい。
N党といえば、スガスレでも最早有名な尾崎全紀氏が立候補してる。
つばさの党には尾崎全紀の絡みは何かないのだろうか?
黒川敦彦からスガ秀実まで・・・・
すごいアソシエーションだ。。。。 -
花咲政之輔やダメ連も人脈がバラエティに富んでるが、
年長組の例でも、最首悟、山本義隆、小野田襄二とか、色んな人と組むのが流行ってるような。
つばさの党の黒川敦彦は維新の党の橋下そっくりだが、工学部出身だけに発言が具体的なんだろうな。
一緒に逮捕された根本良輔も工学部出身。 -
花咲政之輔 Masanosuke Hanasaki
@un0ye9pWZ8b2Q0t
7時間
これは全く支持できない。
セクト【一般】の批判はナンセンスで個別具体的に批判すべき。明大当局の弾圧や規制は結局セクト弾圧を口実にしても全自治団体/サークルへの規制なので、それは明大当局を批判すべきでその口実になったセクトをそのことをもって批判するのはおかしい。当局と警察権力の思うつ
ぼでしょ。これじゃ民青や統一協会と変わらない。
明治大学立て看同好会@新左翼運動史学習会5/18
@tatekan_MU
12時間
この学習会は、セクト対策を名目に私たちの活動を弾圧してきた当局への批判から思い立ったものです。
政治セクトへの警備を理由にタテカンやビラを禁止するならば、当局は学生に対してちゃんとした説明をするべきですし、
「セクトは危険」=「政治的なものは危険」という当局の論理は間違っています。 -
明治大学立て看同好会@新左翼運動史学習会5/18
@tatekan_MU
【5月のイベント告知】
「新左翼運動史学習会
一セクトを正しく恐れよう一」
○○派と××派の違いって?
内ゲバって何?
何で明治大学は「棒禁止」なの?
○○大学の△△サークルって危険?
など、皆さんの疑問に答えます!
日時:5/18(土) 16:30
場所:明大前近辺 -
どうも映画芸術の座談会以来、彼らの発言で気になってる点があるのだが・・・
>>225
>これは全く支持できない。
>セクト【一般】の批判はナンセンスで個別具体的に批判すべき。
>明大当局の弾圧や規制は結局セクト弾圧を口実にしても全自治団体/サークルへの規制なので、
>それは明大当局を批判すべきでその口実になったセクトをそのことをもって批判するのはおかしい。
私はもう、大学内における左翼的なセクト活動自体の規制はやってよいという立場なんだが。・・・
しかし私の立場はさておき、、、、
スガと花咲の発言を読んでると、彼らの場合は、セクトにはいいセクトと悪いセクトがあって
むしろセクトの働きで学生運動が長く維持できたんだから、セクトはあるべきなんだという
発言が出てるのよ。
しかし、スガと花咲のこの発言は、ちょっと斜めから裏読みしたほうがいいと思う。
つまり、彼らは、(そこに外山恒一も含む)願望としては、
彼らが新しい「セクト」を作りたいと思ってるのね。
つまり、この発言は、スガが以前から繰り返してきている党派待望、
党派願望の発言に符合してます。 -
外山に黒川を非難する理は無い
急に外山が出てきたのは黒川らの行動を知った人民(笑)が、外山が今までやってきた「過激」なパフォーマンスは(自称ファシストにしては)実はかなりヌルいものだったのではないかと考えてしまうのではないかという不安からではないか -
『ネグリ、日本と向き合う』 (NHK出版新書)
伊藤守 アントニオ・ネグリの現在 14ページより
アントニオ・ネグリは一九三三年にイタリアのヴェネト州パドヴァに生まれた。
父親は モデナ(ボローニャ近郊の小都市)の近くの町役場に勤め、イタリア共産党の党員であった。
彼が二歳のとき、父はファシストに暴行、追跡され、亡くなる。母親は小学校の教師を務めながら
極貧の生活のなかで三人の子どもを育て上げた。
一九六〇年代はじめネグリが大学を卒業するとき、彼の言葉によれば、二つの新しい人生の道が
開かれていた。研究者の道をめざすか、政治活動家の道をめざすか、その二つの道である。彼は、
どちらの道も手放すことなく、両方の道を歩んだことになる。
一九五六年に起こったハンガリー動乱のさなかに創刊された「クァデルニ・ロッシ」 (赤い手帖)に参加、
それ以降、彼は政治活動に積極的にかかわるようになる、フランス、 アメリカそして日本でも学生運動が
高揚した六八年、イタリアでも同様に運動が盛り上が りを見せた。翌年の六九年にトリノのフィアット
自動車工場で争議が起こったことをきっ かけに労働運動も激化し、イタリア全土が騒乱状態になる。
こうしたなか、ネグリは六ル 年に創設された「ボテーレ・オペラティオ」(労働者の権力)という組織に参加した、
これはキリスト教民主党と手を結び体制内化したイタリア共産党を批判する先鋭的な組織で、彼は
その指導的な役割を担っていく。
しかし、その後、七五年に「ボテーレ・オペラティ オ」はセクト=組織であることを自ら否定し、
労働者自身の自発性と自主管理を重視する 大衆的な運動をめざすようになる。
これが「アウトノミア」(労働者自治)の運動の出発点であり、
ネグリはその運動体の理論的指導者として活躍する。 -
同上より
「アウトノミア」の運動は一九七四年から七八年にかけて高揚期をむかえ、
ミラノやボローニャを中心に、自由ラジオ、工場占拠、住宅占拠など多様な形態で展開される。
資本によって管理された労働の拒否、行政や政府に奪われた自治の再所有と自主管理等々、
セクト主義を排したあらたな抵抗と社会的紐帯を構成する行動が組織された。
しかし、七七年春ボローニャとローマで行われたアウトノミアの大規模な運動に対して
激しい弾圧が 行われ、特にボローニャでは戦車が出動し、ボローニャとローマで何人もの
死者が出る惨事となる。
こうした厳しい状況のなか、一九七八年、「赤い旅団」による元イタリア首相モロの
誘拐暗殺事件が起こる。ネグリは「赤い旅団」の最高幹部としてこの暗殺に関与したとして
不当逮捕され、モロ殺害容疑、国家に対する武装蜂起容疑、国家転覆罪容疑で起訴される。
それにくわえて、七九年四月七日、運動のリーダーたちの一斉検挙が始まり、
ネグリを含めてアウトノミアの理論的指導部とみなされたパドヴァ大学政治学部の教員六六名が
逮捕され、その後イタリア全土で五〇〇〇人以上が逮捕投獄された。 -
> しかし、その後、七五年に「ボテーレ・オペラティ オ」はセクト=組織であることを自ら否定し、
> 労働者自身の自発性と自主管理を重視する 大衆的な運動をめざすようになる。
> これが「アウトノミア」(労働者自治)の運動の出発点であり、
> ネグリはその運動体の理論的指導者として活躍する。
> 「アウトノミア」の運動は一九七四年から七八年にかけて高揚期をむかえ、
> ミラノやボローニャを中心に、自由ラジオ、工場占拠、住宅占拠など多様な形態で展開される。
> 資本によって管理された労働の拒否、行政や政府に奪われた自治の再所有と自主管理等々、
> セクト主義を排したあらたな抵抗と社会的紐帯を構成する行動が組織された。
このように、早大ノンセクトの原点であったはずのアウトノミア運動とは、
自らセクト主義を自己否定することによって、「大衆」的なものの中に飛び込み、
拡大できた勢力だったとここで書かれているよね。
即ち、これはスガ秀実が花咲に対して吹き込んでいる運動と思想の実体とは
本来まるっきり逆のものではなかったのかい?? -
花咲がやっていることは要は68年懐古主義でしかないと
-
これですね。
>>105
> 花咲
またML解放派ブント中核等のセクトがいないところで、全共闘運動なり教育学園現場における
ノンセクトの 運動というのがありえたのかということがありますよね。早大一次闘争にしても東大・日大の
全共闘運動にしてもセクトがいなければ有り得なかったのは事実だし、セクトの暴力によって
全共闘運動は担保 されていたわけでしょう。 全共闘運動もセクトが支えていた部分というのはあるわけ
じゃないですか。 それはあるし、否定できないですよ。
> 亀田 大学は本来、通過する場でしかないわけです からね。
> 絓 学生運動をやってても就職したりせざるをえない。そうすると、よくも悪くもセクトが必要には
なってくるんですよね。そんなことを言ってもしかたないんだけど。 -
大学内にセクトがないから、学生運動というのは継続的に繋がっていかない。
別にいいじゃないですか!
学生運動が繋がらなくても。
何も大学内部の運動が特に断絶なく、
継ぎ目なく繋がっていたとしても
それで何もよいことはない!
是、歴史の経験が完全に実証済みね!www -
だから真の運動の拠点とは、常に大学の外にあるべし。
こっちのほうが、
マルクスとエンゲルスがずっと考えていたことに近いです。 -
しかし、要するにセクトの論理というのは、
大学にあるセクトのサークルにとって、
セクトの本体というのが常に大学の外にあるから
大学のサークル支配は長続きするんだというのが理屈になってるのねw -
吉野うごく 文フリ東京I-44
@Ugoku_leftwing
10時間
成田講演会、反対派が暴れて警察が来るらしい
#五月祭2024 -
ネグリのアウトノミアというのはイタリア版パンクのdo it yourself精神だろ。
工場占拠と言っても、機械の操作や修理は出来るけど、
営業や会計は出来んとか、分らんというのじゃ話にならない。全部できなければ自律性はない。
それがスガらの欠点じゃ?ライターとかパフォーマーとか目立ちたがりばかりだから。
それに、早稲田の外と言えば「あかね」ぐらいしかない訳で、絶対的なスペースの問題もあるんじゃ?
あかねの画像を見てると暗くなるww
黒人の公民権運動でも、仲間の家のハウス・パーティーで皆で踊ったりしてた。
早稲田と言えば、かぐや姫の「神田川」で3畳の間借りにカップルが住む話に近い。
労働者として大学に入学したネグリは秀才で教授になり、終始大学に籍があった訳で、
スガや花咲も優秀だったら早稲田の教授になってたろうが。
今は早稲田だけじゃなく、部外者が学内に立ち入るのを歓迎しないところが殆どでは? -
絓一味がやろうとしている(た)のはそんなにガチな政治活動ではなく新左翼がまた盛り上がれば良いな〜とかその程度のノリではないの?
-
スガ秀実の内面にある妄想と野望を低く見積もってはいけない。・・・
きっとフタをあけてみれば驚愕
大爆笑 -
すがちんはもう終活するようなお年のご隠居さんなんだからお手柔らかに
昔は良かった68年ってぶつぶつ言ってるテープレコーダーなんですよ
適当に褒めてちやほやしとけば機嫌良いんだからさ -
秀実と並ぶ存在とはドリフの大爆笑
-
初期宮下公園の牧歌的な美しさというのはこの映像の中に残っている。
しかし、最終的な段階の宮下公園というのは
やっぱりある種の袋小路に陥っていたと思うよ。
日本映画 |渋谷 1960年代 | Nostalgic Japanese Movies | Shibuya 1960s
https://www.youtube..../watch?v=_Olu3mCaUjI -
セクトとノンセクトの全体的な比率というのは
ローパワーの移動体の燃料の粘稠度が概して低いのに対して、
ハイパワーの燃料の粘稠度が概して高いことのアナロジーがあるかも。
運動が高揚してる時はセクトが、その逆の時はノンセクトが優勢になる傾向があるのではないか?
ただし、粘稠度の高い燃料を使用する時には燃料タンクは総体的に大きくなければならないか、
揺れとかの自然な攪拌が起きる状況が必要だろう。 -
それは前近代から近代への移行型革命の場合でしょ?
つまりそれは、
ロシア革命、中国革命、
そしてその後に続いた一党独裁型の革命ということ。
もっともそういうクラシックな移行期革命の場合さえも、
本当にまともな人は横に逃げ出すと、私は思うが。 -
たとえば、ロシア革命のときに亡命したのはナボコフがいる。
まーナボコフを、まともと見るかいなかというところで
人の意見は分かれると思うがw
バフチンなんかはロシアに残っていたわけだけど
結局シベリア送りになってるでしょう。
エイゼンシュタインなんかも、スターリンの顔色伺いながら
なんとか映画撮ってたわけだけど、それだってかなりキツそうな感じが
だんだん映像の中にまで滲み出てくるようになってる。
しかしエイゼンシュタインの映像の中にある奇妙な単純さというか
奇妙に明晰な構図の取り方というのは、あれはやっぱり
一党独裁型の単純化された思考の影響かなという気はするな。 -
エイゼンシュタインは、パースペクティブの取り方がものすごく単純。
-
ボルシェビキは最初からボルシェビキだったと考えるのが正しいと思う。
つまりボルシェビキとは最初から、スターリン=プーチン的要素が生きていた。
何もロシアのあれは今に始まった話ではない。 -
中国共産党の体質も最初から今と変わらないはず。
何も資本主義化して特に変質したはずがない。
毛沢東の時代も今も何も変わっていない。
誤読していたのはずっとフランスの68年的な知識人だけ -
同様に、スガ秀実は、今も昔も未来も同じスガ秀実だし、
花咲は、今も昔も未来も同じ花咲である。
みんな勘違してはいけない。 -
1949年の中国革命が実はフランス革命とも類似していた要素があるとしたら
それは自由を掲げながらも実際はジャコバン的な恐怖政治によって統治していた
という歴史でしょう。
しかしフランス革命の場合は1789年であって、近代といっても
まだ随分と初期で昔の事件だったんだよ。 -
自由を掲げる政権というのがそもそも矛盾めいている
-
でも政権がもし自由を掲げてなかったら、そこでは性的エロスが喚起されないのね
-
石丸とかいう田舎の市長が話題だが、これもネオリベポピュリストで何というか、末期だな
-
極右 対 ネオリベ 対 YouTuber
そういう時代 -
『ネグリ生政治的自伝』
作品社 51ページより
イタリアでは、一九四三年から四五年にかけて、たいへん強力な抵抗戦争が行なわれました。
二十五年経った一九六八年にも、その記憶はまだ生 きていました。というのは、
反ファシズムの闘いは階級闘争と結びついていたからです。少なくとも、北部イタリアでは、
貧しい人々は反ファシズムでありつづけていました。
六〇年代から、議会外左翼がすべての社会階層、とくに工場のなかに浸透しはじめました。
こうして共産党中央との決裂が起き、そのことが党が衰退するきっかけになりました。というのは、
そのとき反対派になったのは、まさに労働者にほかならなかったからです。
今では、想像しにくいことですがね ------。それに、イタリア共産党は、ソビエト路線に反発し、
西欧的な価値観に抜きん出て開かれた党だったので、新左翼を弾圧するということは当然のごとく
「自由世界」の諸党の公認システ 人のなかに参入することを意味していました。そこで、人々は
反応したのです。もし、フランス において、ルノーやシトロエンで新左翼が多数派を占めた場合、
何が起きたかを想像してみてください。
フランスでは、一九六八年五月の出来事のあいだ、労働者は運動に追随しませんでした。
労働者ではなくて、知識人が運動を引っぱったのです。ところが、イタリアではその逆でした。
「歴史的妥協」を拒否し、闘争を遂行したのは、知識人ではなくて、労働者だったのです。
八〇年代、それから一九九七年にイタリアに帰還してから、私が監獄生活をともにした
「赤い旅団」の囚人たちは、みな庶民階層の出身者です。
彼らは本当に革命をしようと思ったのです。 -
『ネグリ生政治的自伝』
作品社 52ページより
---彼らは平和的な移行の道が可能だとは考えなかったのですか?
当時は、誰一人そうは考えませんでした。私もまたそうは考えませんでしたね。
今でもまだ、私は国家の暴力が存在していると思っています。
そして、それに対する答えは非暴力ではありえても、絶対に
「平和的」ではありえないと考えています。
いずれにしろ、レジスタンスしかないのです。資本主義も平和的ではありませんよ。
資本主義は暴力なしには存続することができないのです。
市場と交換は市民生活の自然な形態なのだから、資本主義は自然なのだというふうに
語られています。富や〈生〉の生産形態や再生産形態を考え、実現するには、
ほかのやり方はないと信じ込ませようとしているのです。
ところが、それはすべて暴力によって成り立っているのです。
当時、問題は平和的な道を求めることではありませんでした。
問題は、そうした暴力に対し て私が行なったようなレジスタンスでいくのか、
「赤い旅団」がやったようなそうした暴力と同 じ暴力--武装された--を
使うのかという選択の問題だったのです。 -
綿野恵太
@edoyaneko800
1時間
「階級」と諸君がひとこと言ってくれれば、 ぼくは喜んで手をつなぐ。
「弱者男性」といっているかぎりは一緒に闘わない。 -
水谷 保孝
12時間
代島治彦氏の監督作品『ゲバルトの杜』について、絓秀実氏と亀田博氏と花咲政之輔氏が
鼎談で、多くの問題点を突き、鋭く批判されています。
絓氏は文芸評論家であり、日本の1968革命論の第一人者です。亀田氏は川口大三郎君虐殺
にたいする早稲田解放闘争をWAC(早大全学行動委員会)として牽引されました。花咲氏は
1980年代後半から2001年にかけて革マル派・大学当局・国家権力による早稲田暴力支配と闘い抜かれました。
お三方が語られている批判点は、その実体験にもとづく生きた具体的なものであり、
早稲田暴力支配の冷静な分析に踏まえたものです。たいへん説得力があります。鼎談での
論点のひとつひとつが、なるほど、そうか、と思うことばかりです。
代島氏はこの批判にどうお答えになるのでしょうか?
誠意ある対応が求められているのではないでしょうか。 -
クレーマー老人にどう対処するか問題
-
カーネマンみたいな疑似科学で政治を分析していた人と手をつないでも仕方ない
-
弱者男性もどうでもいいけどなw
どっちもどっち -
『ネグリ生政治的自伝』
作品社 85ページより
優生思想(Eugenisme)
哲学というのは、常にたいていは優生思想の顕場みたいなものです。
それを免れているのは唯物論的思考の伝統だけですね。私は最近、「怪物」の問題について
大いに研究しましたが、哲学者のなかには怪物はそれほどいませんね。
逆に、優生思想は、近年における権力の擁護者にいた るまで、恒常的に見出すことができます。
---優生思想というのは、概念としていうと、生命体を鋳型にはめる企てですね。
そうですね、完全に鋳型にはめるということです。その観点からすると、ナチズムというのは
そのもっとも極端な形態だと言えるでしょう。
---アリストテレスからナチズムへというのは、ちょっとおだやかな話ではないですね。
アリストテレスがナチであると言っているのではありません。また、そこに連続性を見出そう
というわけでもありません。しかし、この点において、何かはっきりくり返されているものが
あるように私には思われるのです。 -
『ネグリ生政治的自伝』
作品社 86ページより
われわれが考えようとしている 〈生政治〉は、優生思想とは逆のものです。われわれの考える
〈生政治〉は、さまざまな形態が開花するのにまかせようというものであって、なぜなら、
自然と文化のあいだに違いはないと私には思われるからです。
実際、自然というものは、いつでも第二の自然、第三の自然、第四の自然なのです。言いかえるなら、
そこには「異種混交」(hybrida- tion)がすでに恒常的に存在しているわけです。われわれが関心を
もつのはそのことであり、そこに介入しなければならないのです。しかし、権力がそこを奪い取って、
それを統制装置の基盤にしてきたのです。
〈生権力〉に対して〈生欲望> を対置しなければなりません。〈生〉の欲望、その力、その豊かさ、
そういったものだけが、われわれが〈生権力〉に対抗させることができるものなのです。
権力は〈生欲望〉に限界を設ける必要があります。
権力が〈生〉に対して二つの矛盾した態度をとるのはそのためです。
権力は、一方で、主体、マルチチュード、〈特異性〉サンギュラリテといったものを発明や抵抗を
可能にする絆として関係づけて、いわば自ら〈生〉の組織者として機能しながら、他方で、
そういったもののすべてを統制しようとするのです。哲学や優生思想の問題は、ひとえに、
存在論的原理つまり存在の組織原理を、存在に課される指令や位階制の原理と一体化
しようとするというところにあります。 -
『ネグリ生政治的自伝』
作品社 87ページより
---そうです。しかし、それは危険であるだけでなく、恐るべき倒錯でもあります。
今も命脈を保 っている哲学的優生思想の問題は、数世紀にわたって君臨してきたある
タイプの思想が、存在の原理は存在の支配の原理でもあるということを主張しているところにあります。
これは出発点か らして歪んだ思想です。
このような原罪の起源が明らかになるには、ポストコロニアル的な研究やフェミニズムの研究を
待たねばなりませんでした。 これまで、植民地の人間には、帝国主義的なヨーロッパ中心主義の価値体系
に立脚した世界が押しつけられていたのです。
同様に、女性に対しては、家父長制の原理があてがわれていました。スピヴァク=デリダを翻訳した
アメリカ 在住のインド出身の女性思想家のやっている研究、ポストコロニアリズムとフェミニズムの
批判的総合によって、このあたりの問題が徐々に明瞭になってきています。
というのは、このような方向の研究は、優生思想のまやかしをはっきり指摘することができるからです。
これはたいへん興味深いことだと思います。なぜかというと、これは、現在もっとも重要な二つの差異の理論
である反植民地主義とフェミニズムを同じ土俵にのせながら、存在論的なパースペクティブを構築すること
を可能にするからです。優生思想に対する批判作業を通して、この二つの理論は
〈共同的なもの〉の建設に向かうことができるのです。 -
ネグリの発言によると、哲学の伝統の中には、
元々優生思想に近い元型のようなものがあって、それが最も顕著な形を帯びたのが
近代ではハイデガーとナチズムの事件だったという。
ここでちょっと気づいたのだが、
柄谷行人の思想について、我々が毎回違和感を抱き続ける由縁は、
実は柄谷が暗黙に自己表現したがっているものが、
暗黙に自分を中心にした優生思想のナルシズムだということが、
なんとなく伝わってくるからではなかろうか? -
つまり柄谷行人の場合は、あれが無自覚な優生思想のタイプの反復だということにある。
-
もしかしたら書き込むスレ間違えておられるかも?
-
> 近代ではハイデガーとナチズムの事件だったという。
現代か -
>>302
すまない -
スガはNAMにもいたことあるんだからこれはこっちで論じていいんだよw
-
成田祐輔もそうだね
-
イタリアは1930年代半ばからファシスト政権がエチオピア、スーダン、エリトリア、エジプトなど
東アフリカに権益を持って来たが、それら地域への戦後の考古学的認識が劇的に変化したことが、
ネグリのアナキズムを加速させたのではないか?
東アフリカの古代ヌビアは長らくエジプトと交渉を持って来たが、エジプトとの文化的関係は対等か、
あるいは優位ですらあった可能性も最近は指摘されるようになってきた。
ヌビア人は北アフリカの地中海沿岸部の人間よりも、概して遥かに色黒だ。
そして、エジプトやヨーロッパ全体では、ヌビア人の文化への評価を拒む勢力も強い。
ヘーゲルなどもただの人種差別主義者と言って良い。たぶんネグリはそう思っていた。
つい最近では、ヌビア人が紀元前1世紀頃のインドの仏教彫刻の製作を請け負っていた証拠も出てきた。
文学でも、ブロンズ時代末期のナイル川上流のイシスの寺院の神官による?「ウェナモンの手紙」は、
諷刺文学として高評価されて良い。
ミカエル・バフチンのカー二ヴァレスクの起源は古代ナイル上流のnavigium isidisが
モデルであることもはっきりしている。これも、ここ数十年で分ったこと。
navigium isidisの光景を圧縮したのを、多分ボーイ・ジョージのkarma chameleonの映像が再現してる。
ボーイ・ジョージはカーニヴァルの起源がヌビア人にあることを見抜いていた。 -
そういう価値転換のやり方ではヌビア人(ナイロート)と例えばアメリカ黒人(ギニア地域のルーツ)の間に楔を打ち込み直されるだけではないか
恐らく、ヌビア人は肌が黒いという以外は西欧的価値観における「優等生」である
形質の話をしよう
少し前、ある南スーダン出身のモデルの「汎人類的」美しさが話題になったが、彼女の手足はすらりと長く頭は小ぶりで長頭であり苦笑してしまった
肝心の肌の色も光の加減によって青く輝く濡烏色であり、アメリカ黒人に典型的な焦茶色の肌では無かった
これは細かい違いなどではなく当事者達にとって目を逸らし得ない違いである
実のところ、「黒人」にとって黒人は多様な集合である
押し付けられたレッテルをただ垂直に押し返すだけでは限界があることを知らなければならない -
頭悪い奴はどれだけ本読んでも馬鹿の典型
-
無自覚な優生思想はやめましょう。
-
元来典型的な優生思想として始まったのがユダヤ主義 ユダヤ教のこと (一神教は素晴らしい。)
-
つまらなくて馬鹿という気の毒な奴やな
-
↑
他人への嫉妬だけで生涯終わったといういつものネトウヨですね。 -
ネトウヨも優生思想の疎外されたパロディ
-
>>306
ブラック・カルチャーが1980年代以降の世界の大衆文化をリードしてきたことは間違いないが、
これからはハイカルチャーまでがブラックカルチャーに席巻されるであろうことも間違いない。
そういうことがようやく、日本人にも分かるようになりつつある。 -
ネグリが使ってるターム
1 生政治
2 生権力
3 主権
4 マルチチュード
5 生欲望 -
ゲバルトの杜
https://youtu.be/5mp...?si=5dnP1Ze8-L4lkSWE
平野啓一郎/村田沙耶香/町田康/鴻上尚史/長久允/内藤瑛亮/藤井道人/
深緑野分/柴崎友香/村山由佳/岸政彦/吉本ばなな/木原善彦/綾辻行人/
道尾秀介/松田青子/藤野可織/井上荒野/巖谷國士/塩谷舞/佐藤究/保坂和志/
新川帆立/李琴峰/柳美里/夢枕獏
バカリズム秋山竜次 -
> バカリズム 秋山竜次
ここが妙に気になる。 -
成田悠輔の場合はあれ完全に優生思想なんじゃないの?
-
ロシアが失った主権を取り戻しに来ている現在、
「帝国」論はどうなるのか? -
西村博之の中にさえ優生思想の構造はあるね。
-
四方田 犬彦さんは森田 曉さんと一緒にいます。
57分
5月29日の毎日新聞夕刊に代島治彦監督の『ゲバルトの杜』について寄稿しました。
WEBではそれより前に掲載されることでしょう。
1972年、つまり革マルによる川口大三郎君リンチ殺害の年に大学に入学し、在学中に
同級生一人、隣りのクラスの学生一人が殺害された者にとっては、複雑な気持ちで観た
ドキュメンタリーでした。
現在では誰も語らなくなった内ゲバを想起させたことの意味は理解できますが、ランズマンの
『ショア』の後で、はたしてもうした無邪気な事件再現映画が可能なのかという、映画研究家としての
基本的な疑問もあります。
・・・と考えていたところで、『読書人』5月24日号が到着。森田暁がこのフィルムに対し、
仮借ない批判を述べています。う~む、同時代の活動家だからこそいえる発言で、
傾聴すべきところが多々あります。ご一読のほどを。 -
週刊読書人
47分
週刊読書人2024年5月24日号は発売中!
■巻頭特集
【特集】対談=代島治彦・森田 暁
暴力支配の時代をどう観るか
映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』公開を機に
https://dokushojin.net/news/561/ -
聖教新聞を読め!
産経新聞を読め!
読書人を読め! -
一般人にはどうでもいい細かいセクトの違いみたいなものにこだわってあたかも世界的な問題かのように取り上げるのは日蓮正宗系新興宗教群と変わらない
顕正会が創価学会がこんな酷いことをしていて〜
知らんがな -
どこの世界いってもそういう構造はあるんだから、結局しょうがないということでしょw
-
構造と関わらずには生きていけないかもしれないが、はまり込みすぎじゃないかって話だよ
駅前で富士山のプリントされた新聞配ってる人らと同レベルでいいのかと
今の絓一派はあまりにセクト主義的だろう -
> 今の絓一派はあまりにセクト主義的だろう
それがスガの欲望であり本音なんだから。
結局しょうがないんでしょうねw -
それはそうです
-
左翼ナルシズム
-
水谷保孝
@y_mizutani1945
5月22日
『情況』が出ました。興味深い論考やインタビューのなかで
代島治彦監督『ゲバルトの杜』の映画評が2本。
一つは評論家・劇作家の菅孝行氏の「腑に落ちぬ幾つかの事柄」。
もう一つは私の投稿「川口君追悼とは真逆の虐殺者免罪映画」。
単刀直入に問題点を批判しています。『情況』を購読してください。 -
花咲政之輔 Masanosuke Hanasaki
@un0ye9pWZ8b2Q0t
5月22日
「ゲバルトの杜」最終試写会で、「これは虐殺者を美化する映画だ!」
と叫んで決起した水谷保孝さん(元革共同)が「情況」2024年春号(5月22日発売)
に映画評を寄稿しています。
皆さん、購入/一読の上、
我々と共にこの醜悪な歴史修正/歪曲映画を批判していきましょう! -
ネグリの進化論
主権 → マルチチュード → そこで「民衆」という失敗した概念は回避して → 怪物?? -
issaku
@issaku14
17時間
読書人で映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』監督の代島治彦と対談している森田暁さん
とは5年半前、千葉雅也×小泉義之×立岩真也でバッタリ会った後に2人で飲んだのが最後
ですかね。私が学生の頃に森田さんの家の蔵書整理のお手伝いをしに行ったこともありましたが、
元気みたいで良かったです。
issaku
@issaku14
2018年11月12日
今日は東大時代の四方田犬彦の同級生の森田さんと久しぶりに飲みました。
何年ぶりかわからないくらいお久しぶりでしたが、お元気そうでなによりでした。 -
なんや森田さん実は四方田犬彦と同級生だったのかw
森田さんとはかつてSM嬢を連れて横浜赤レンガ倉庫を
一緒にデートした冬の日の思い出が懐かしいです。。。 -
羨ましいねw
モテた人は良いねww -
別にそういう話ではない。
なんであの日にSM嬢がいたのかもよくわからない。
たぶん森田さんにもわからない。 -
森田暁 → 開成高校
四方田犬彦 → 教駒高校 -
絓秀実 → 長岡高校 (どこそれ?)
-
積雪地帯をバカにしてはいけませんね
-
スガ、四方田、渡部、千坂らはとっくに終わってるんだが、それを「情況」は受け入れないだけ。
年齢的に花咲やダメ連にはまだ可能性がある。それだけの話。 -
スガその他の老人が煩すぎるので、成田が切腹しろと言うのも分かる。
-
新左翼と暴力団はもうダメやね
ジジイしかおらん -
腕力のみが頼りの組織が高齢化してなおかつ高齢化に無自覚であると、ここまで惨めな有様になるのだな
-
年金生活者が「革命」ってさあ 笑えるんですけど
-
いやそれは年金生活者だからこそ革命なんですよ。
昔柄谷がそういう話をして「リタイア系」の意味を説明していました。 -
要するにやることなくなった人たちはみんな革命やれということですね。
定年になってから真のアソシエーション。 -
代島監督と森田さんの対談読んだ。
こっちのほうが映画芸術よりも十倍くらい面白いぞww -
それに比べると、
映画芸術の座談会は何か悲惨に見えるんだよなあ・・・
あの無惨さの印象は一体何なんだろうか? -
スガは蓮實重彦と柄谷行人の文芸評論を受け入れてるだろ。
蓮實や柄谷に反旗を翻すことすらできないスガに何も期待できんよ。
スガが花田を引き合いに出すのは、蓮實や柄谷の為に吉本隆明をを牽制する為でしかなかった。 -
週刊読書人 2024年5月24日号
対談=代島治彦・森田暁
森田
まず、代島さんにお尋ねしたいのですが、そもそも、どうして本作のタイトルを
『ゲバルトの杜』にしたんですか?
代島 僕は昔から村上春樹が好きで、昨年刊行された『街とその不確かな壁』(新潮社)
の元になった。八〇年に『文學界』(文藝春秋)に掲載された中編小説を当時読んでいた
んですね。僕にはあの話が暴力の杜となった早稲田大学キャンパスの話に思えたんです。
もともとそういうイメージもあったものですから、今回『彼は早稲田で死んだ』を原作に
したものの、あくまでもそれは原案であって、映画はそこからさらに広げた世界にするべく、
川口さんの事件を起点にして、それ以降の党派間内ゲバがエスカレートしていくまでを
描きました。そこで行われた暴力を当時の言葉のゲバルトに置き換えて、シンプルに
『ゲバルトの杜』にしたところです。
森田 そこに概念移行があるわけですよ。僕の同世代の友人、つまり団塊の連中に
言わせると、「ゲバルト」という言葉に否定的な意味だけを持たすのは、
信じられない話です。 -
『ゲバルトの杜』というタイトルは、
なんといってもゴロが良いでしょうw
このタイトルを作ったのは、
代島監督の勝ちだと思いますよ。
暴力に対する世代的な思い入れは色々あれど。。。 -
> 代島 僕は昔から村上春樹が好きで、昨年刊行された『街とその不確かな壁』(新潮社)
> の元になった。八〇年に『文學界』(文藝春秋)に掲載された中編小説を当時読んでいた
> んですね。僕にはあの話が暴力の杜となった早稲田大学キャンパスの話に思えたんです。
これはスガちゃんが言ってたのと同じこと言ってるね。
やっぱりスガちゃんの読みが当たってたのかな。 -
スガって自分の気に食わない著者や作家に対して言論で批判するだけでなく
トークライブの会場や大学の授業に行ったりして業務妨害してないよね? -
まー、スガが悪口言ってるときは必ずその場にいない相手に限るからねw
-
メガネを弾き飛ばされたらかなわんからですか?w
-
秀実の法則
-
わかった!
日本のマスコミネタのターゲットにとって、
ジャニーズの次は革マル派なんだ! -
今まで長い間語れなかったものを突然語りだすことによって、
そこにはマスコミ業界の剰余価値が生じるという法則ですねw -
代島の『ゲバルトの杜』という映画はアンチヒーロー映画そのものだろう。
こんなマイナーな映画をド田舎に住んでる俺が見れる訳も無いが、推測で言うと、
暴力の森といえば、文化的人間のボキュちゃんはすぐにウイリアム=テルを思い浮かべるが、
この映画にはそういったヒーローは多分いない。
革マルのクロカンはただの詐欺師であってヒーローではないし、
革マルはヒーローを産みだす能力すらない。
息子の頭上のリンゴを射落とした後の
ウイリアム=テルの「もし、俺の矢が誤って息子を直撃してれば、お前らを皆殺しにしていた。」
が、森の暴力と自由の関係ではないか?
ウイリアム=テルのドイツ語の「森」は山間の森だろう。英語のwoodやforestも山だ。
植木枝盛の「自由は土佐の山間」よりいずるもそこから来てる。 -
今日渋谷で見てきましたよ。
午前中の初回。
封切りされたのは一昨日。
客の埋まりは八割型か。
しかしびっくりしたのは、
というのか壮観だったのはその年齢率かなw
見事に老人だらけ。
たぶん私が一番年下だったのではないかな?w -
まー、まず見て分かったのは、この映画にヒットはないな、、、ということかな。
-
やっぱり党派的な内ゲバ事件と何か内的な関わりを経験として持ってる人間でなかったら
この映画には入り込めないね。
つまり、他者にはとても開かれてる映画には見えなかったわけだ。
この映画的退屈さとは、作品の何に原因があるのだろうか?と考えたな。 -
老人がみんなシルバー割引使って見に来る映画。。。。
それだと余り儲からないのでは?w -
このスレの老人率の高さも前提だろ。
-
しかしスガより上はおらんだろw
-
柄谷世代とかいるんじゃないの?
あと中上世代とか -
スガが柄谷と蓮實を激しく攻撃すれば、スガを見直すかもな。
話はそれからだ。 -
そんなことは起きませんからw
-
絓の批評って蓮實の影響なんてあるか?
-
そりゃ大アリだよ。
あなたちゃんと歴史的にスガの仕事を追ってみなよ。 -
スガの場合、柄谷よりも蓮實の影響のほうが全然大きいでしょ。
-
スガの場合、左翼の泥沼から一回蓮實が救い上げた。
しかしそこから二十年くらい時間が経ったら
結局また元の左翼にそのまんまの形で戻っちゃたという筋ですね。 -
蓮實自身が弱冠の左傾化したからね
-
スガの影響的起源というのは吉本隆明と蓮實重彦でしょう (実は花田清輝殆ど関係なかったwww)
-
要するに、吉本隆明を殺すというバイアスが働くのは、元々その逆だったから。
-
4126mine
@4126min
22時間
映画「ゲバルトの杜」紹介の冒頭コメントは元日本赤軍の重信房子氏
あさま山荘事件後に発覚した同志殺害について同氏は
「我々は、こんな革命は、いらない」として新左翼全体に自己批判を呼び掛けた(1972年3月)
過度な暴力に先鋭化した武装闘争がセクト間のテロに及ぼした影響は大きい
前史を知るべき -
中川文人
@NakagawaFumito
23時間
『ゲバルトの杜』は反革マルの人たちの間でものすごく評判悪いけど、
革マル派はこの映画をどう評価しているのか。とっても気になる。 -
新左翼の中の反革マルね
印象操作はちょっと -
2位じゃダメなんですか?
-
スガも都知事選出よう
-
外山恒一
@toyamakoichi
2時間
私の学歴は低いが、多い。ただし革命業界では中卒は東大などのFラン大を出るより
はるかに高学歴だし、しかも私が最も勉学に励んだのは獄中の2年間で、かつ
獄則への不服従を貫いたことが評価されて中退(仮釈放)ではなく満期出所、
つまり正確には私の最終学歴は国立福岡刑務所卒である。
@official_yugioh
10時間
こんなに沢山の高校を中退してる人初めて見た -
素晴らしき楽観主義
-
神は何故この子を育てたのだろうか?
-
絓秀実氏と外山恒一氏の早稲田大学ノンセクトへの関与は、まだ紙に書き残されていないのではないか。
tkurinami 駆け出しアクティビスト
@tkurinami
昨日 6:40 -
↑
これはありがちで典型的な誤認識だなw
スガが花咲を引っ掛けたのは、もう早大ノンセクトの終了の時期だよ。
それも花咲が卒業して四、五年は経った頃だろう。
それ以前の早大ノンセクト的な認識では、
スガ秀実は敵ということになっていた。
スガは自分からノンセクト系に近づいてきたわけだが、
それはもう、だめ連がメディア上で有名になってからのことだった。 -
外山に関して云えば、田舎のオノボリさんよろしく
東京にやってきて初めて
早大ノンセクト系の人脈に彼が接したとき
なんてすごい人達なんだとショックを受けたようなことを
どっかで書いていたと思うが。。。
そういう外山の驚き様を含めて、認識が余りにも田舎者なんで
話にならない。
だから外山の方から早大ノンセクトに影響与えてるようなことは全くないですよw -
だからスガ秀実も外山恒一も、早大ノンセクトには全く関係ないですね。
-
社会は、タメハラの時代へ
-
千坂 恭二
2023年5月29日
善意の左翼は駄目だろう。
善意の左翼は、現状の左翼反対派的な補完存在か、
自己の権力悪に無自覚な最悪の存在になるだろう。
左翼は、確信犯的に自己の悪を踏まえた存在でなければならない。
左翼のリアルはそこにこそあるといえる。 -
しかし、
千坂の路線をそのまんま突き詰めると本物のナチが現れるという構造も
既に歴史が証明済みです。 -
スガと花咲と外山は、果たして本物のナチになれるのか?
-
自己の悪を認識しつつ恥を覚えながらしっかりとタテマエの統整的理念を掲げるのが一番「カッコいい」よ
千坂や絓のように厨房的露悪趣味の境地で悟りを開き切るのは不幸だ -
外山、絓や千坂が部落の青年を革命の起爆剤に使おうとしてることは明白で、
そのことに対する自覚を千坂は悪の認識と言ってるだけ。
だが、それがファンタジーに過ぎないことは1967年の石川淳の小説「至福千年」を読んだ方が良く分る。
主役である冷酷非情な陰謀家である幕末江戸の賀茂神社の神官は江戸の賤民による革命を企てるが、ストーリーは荒唐無稽なマジックによって展開していく。
革マルは差別撤廃運動には関わらなかったが、革マルにも中核派や社青同と同じか以上の被差別部落出身者がいたはずなんだよ。それを内田樹なんかもとぼけた顔してババンバンww -
ほんとは、外山、千坂や絓らは革命なんて本気で考えてない。
絓は少しでも自分の本を売りたいだけで、千坂は本を出して親戚にエエカッコしたいだけ。 -
まー彼らの正体とは、純粋な権力欲ということだよねw
-
スガナチの時代です
-
(AMAZONレビューより)
『彼は早稲田で死んだ』には当時、革マル派の暴力支配の象徴であった大岩という人物が登場する。
「スローライフ」を提唱する社会思想家の辻信一である。
樋田氏は大岩に「なんで、あんなことを」「なんで、あんなことに」と説明を求める。
しかし、大岩は「理屈で説明したら、それは嘘になると思う」
「いくら因果関係を説明できたとしてもそれは後付け」としか答えない。
樋田氏はそんな大岩の態度に苛立つ。
が、私はこう思った。テロリストの心情とはこういうものなのだろうと。
暴力とは、考え抜いて結論を出して行使するようなものではない。
あれは、考えることを中断して行使するもの、気がついた時には行使しているもので、
動機は後で刑事が考えるものなのだ。
だから、大岩は誠実に答えている。私はそう思った。
しかし、非暴力の樋田氏にはピンとこなかったのだろう。 -
辻信一=大岩は、映画の中でどこに出てきたんだろう?
とずっと考えているのだが、
たぶん大岩は映画には出てないよね? -
それはそうだ
血気盛んな若者のやったことという前提が頭から抜けている人は多い
バイトテロと同じとまでは言わないが -
辻信一
辻 信一(つじ しんいち、1952年 - )は、日本の文化人類学者、環境運動家。明治学院大学名誉教授。
環境・文化アクティビスト。文化人類学者。NGO「ナマケモノ倶楽部」代表。
1952年、東京生まれ。兄は建築家・環境運動家の大岩剛一(1948-2019)。
「辻信一」は、尊敬する哲学者、鶴見俊輔から授かったペンネーム。
1972年、早稲田大学文学部入学、同年冬退学。
1977年、北米に渡り、さまざまな職業に従事しながらカナダ、アメリカの諸大学で哲学、文化人類学を学ぶ。
1988年、米国コーネル大学で人類学博士号を取得。
博士論文は「Tradition and Social Change:
An Ideological Analysis of the Montreal Jewish Immigrant Ghetto in the Early Twentieth Century」。
その後カナダ・マッギール大学研究員としてモントリオールに在住。その間、日本の諸雑誌に寄稿。
1988年に『ヒア・アンド・ゼア――北米大陸ホーボー通信』(思想の科学社)、
1990年に『日系カナダ人』(晶文社)を上梓。1989年から1990年にかけて、
メキシコのエル・コレヒヨ・デ・メヒコ大学院大学客員教員を務める。
1991年に帰国、明治学院大学国際学部教員として文化人類学などを担当。
翌1992年には国際会議「もうひとつのコロンブス500年――先住民族の英知に学ぶ」を主宰。
先住民族、マイノリティ研究、身体性などをテーマに研究・執筆活動を行いながら、
社会運動や環境運動への関与を深める。また学生や一般の希望者を募って、
北米、中南米、アジア各地へのフィールド・トリップやツアーを実施。
現地住民との親密な連携を基礎に独自の「エコカルチャー・ツーリズム」をつくり上げた。 -
四方田 犬彦
7時間
5月29日に「毎日新聞」夕刊に代島治彦の『ゲバルトの杜』について批評を寄稿したところ、
それを不正確に、引用箇所と自分の文章の境目を曖昧にしてFBに引用している何某がいました。
これは文筆家として実に迷惑な話です。ここに誤解がないように、ヨモタの文章の3分の2を
キチンと引用しておきます。
傷をつけた人間を信じることはできないが、つけられた傷は信じることができる。
傷跡とは、事件の直後に体験した危機と苦痛を克服し、自分がより高い次元で生き延びたこと
の証左だからだ。もうだいぶ昔のことだが、この言葉を切実に信じたいと思った時期があった。
だがもしここに、触れるたびに血が吹き零れるような傷があるとしたら。
いつまでも癒されることのない、不条理な傷があったとしたら。
人はそれでもその傷を信じることができるだろうか。
できるかぎり傷に触れないように心掛け、眼を逸らし、あたかも傷など最初からなかったと
信じながら、生きていこうと決意するのではないだろうか。
1970年代に新左翼のセクトどうしの間で生じた(そして現在も終わっているわけではない)
「内ゲバ」、つまり党派間暴力による凄惨な殺し合いのことである。 -
1972年に大学に入学したわたしを見舞ったのは、内ゲバの恐怖だった。相対立するセクトが
ただちにわたしを勧誘に来た。彼らの正式名称は驚くばかりに酷似しており、機関誌の名前
は同じだった。何も知らないわたしは、理論的にどこがどう違うのかと無邪気に尋ねた。すると
彼らはたちまちお互いの敵のことを激しい言葉で罵倒しだし、わたしを当惑させた。
わたしはどちらのセクトとも無縁なままに終わったが、事態はそれだけではすまなかった。
夏休みが終わったころ、わたしを最初に勧誘に来た学生が対立セクトに捕われ、惨たらしい
殺され方をした。彼は二年留年して、わたしの学級に滑り降りてきた「同級生」であった。
翌年度の学期末には隣の学級の学生が、今度は友人の引っ越しの手伝いに出かけていった
ところで、あるセクトに近い人物と見なされ殺害された。危機を察し逃げ延びた別の学生は、
その足でパリに逃げた。この学生と寮で同室だった学生は2年後、白昼のキャンパスで、
衆人環視のなかで殺害された。表向きは華やかなキャンパスライフの背後には、実は広大な
死の脅威の空間が拡がっていたのである。
その後わたしは大学の教員となり、いくつかの大学で教鞭を執った。同僚となった教師たちは、
つい今しがたまでキャンパスで起きていた殺人について、例外なく堅い沈黙を守っていた。
だが目に見えない痕跡は消えていなかった。同僚の一人は活動家であった夫を、白昼に路上
で殺害されていた。別の同僚はかつて数多くの暴力事件の頭目的存在であったにもかかわらず、
あたかもアルゼンチンの市井に潜むアイヒマンのように過去を隠蔽し、静かな教授生活を続けていた。 -
大学を卒業して三十年以上の時が経ったとき、わたしはいくたびかの逡巡の後、
『歳月の鉛』(工作舎)なる書物を執筆した。自分が過ごした、暗く陰鬱な大学生時代を
回顧したもので、題名は、退廃した学生運動のなかから爆弾闘争が身を擡げてくる
ドイツ・イタリアの1970年代が、「鉛の歳月」と呼ばれたことに起因している。
わたしの著作のなかでもっとも陰鬱なものであり、書く作業は困難を極めた。
ただわたしは文筆家として、どうしてもあの時代を正確に見つめ直しておきたかったのだ。
代島治彦が監督した映画『ゲバルトの杜』が公開されている。1972年11月、早稲田大学で
川口大三郎という学生が、当時大学キャンパスを支配していた新左翼セクトの面々に監禁され、
リンチ殺人の犠牲になった。この事件をめぐり当時の彼の同級生や目撃者、セクトの近傍にいた
評論家たちが証言するといったドキュメンタリー作品である。事件そのものも、おそらくこんな感じで
あっただろうという感じで、物語として再現されている。代島は世代的には内ゲバ最盛期の大学を
直接は知らないが、以前にも、1968年の佐藤首相訪米阻止闘争の際に機動隊に殺害された
山崎博昭の事件を探究する『きみが死んだあとで』を撮っている。これまで日本映画界が重い沈黙
のなかで回避してきた内ゲバ殺人を主題とすることが、彼にとって論理的な必然であったことが、
ここからも理解される。
映画評論家としてのわたしと、内ゲバの時代を生きた者としてのわたしは、この映画を見た後で
思いが分裂している。前者はいう。これはドキュメンタリーとして破綻している。『ショア』で
ユダヤ人絶滅収容所についてドキュメンタリーを撮ったランズマンであるなら、撮影は生残者の
インタヴューに留め、事件の再現場面の撮影など絶対認めなかっただろう。王兵から
ネーメシュ・ラースローまで、世界の最前線に立つ監督たちは、この『ショア』の提示した
表象不可能性という問題をめぐって、何とかそれを克服しようと切磋琢磨を重ねてきた。
映像の政治学という文脈からすれば、代島はそうした問題にあまりに無頓着であり無防備である。
映画のなかで再現場面を演出した鴻上尚史は、最後にこれはお笑いですよといわんばかりの
批評的註釈を残しているが、これも感心できない。 -
大山 千恵子
最後の3行に、同意します。
16分 -
「ゲバルトの杜」闘争を楽しむ限界新左翼界隈
-
スガや花咲が多分言いたいバイオポリティクスや、セクト&ノンセクトの混在によるhybridity交雑が
ここ10年くらい世界で盛んに問題にされてるのに対しての、従来からの革マルの単独主義は時代遅れに見える。 -
スガや千坂らの世代のセクトの人間の出世志向は相当に強かったのではないか?
政治局員を目指すみたいな。そのために論争術や喧嘩術を磨くとか。
こういうのは年寄連中が正直に語ってくれないとしょうがない。
正直に話せば、連合赤軍の悲劇が何故生まれたのかが分かるのではないか?
それを柄谷行人のように「意味という病」で曖昧にぼかしてしまったらしょうがない。
そういう点で、68年問題についても、柄谷の子分だったスガに何が出来るのか?という疑問がある。
もっと適任者がいるだろ。重信房子もその一人だが、その一人でしかない。 -
アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート 『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』
NHK出版 191ページより
左翼の教会を焼き払え!
伝統的な左翼の政治思想家やオルガナイザーのなかには、二〇一一年の闘争のサイクルが
気にくわない者もいれば、それに警戒心を抱いている者さえいる。 彼らはこう嘆く、
「ス トリートは人でいっぱいだが、〔左翼の〕教会は空っぽだ」、と。
教会が空っぽという表現の意味は、たしかにそれらの運動のなかにはたくさんの闘いが存在
してはいるけれども、イデオロギーも集中的な政治的統率力もそこにはほとんど存在しない、
ということである。そのうえで彼らはこう推論するストリートの抗争を指揮することの
できる党やイデオロギーが存在するようになるまでは、またその結果、教会が人でいっぱい
になるまでは、いかなる革命も起こらないだろう、と。
だが、じつはまさにその正反対なのである! 私たちに必要なのは、左翼の教会を空っぽにし、
その扉を閉ざし、それを焼き払うことなのだ!
それらの運動は、指導者を欠いているにもかかわらず強力なのではない。そうではなくて、
まさに指導者を欠いているからこそ強力なのだ。マルチチュードと同じく、それらの運動
は水平に組織される。そして、あらゆるレベルで民主主義の重要性が強調されるのだが、
それはたんなる美徳を超えたもの、言いかえれば、運動が保持する権力の鍵にあたるものなのだ。 -
さらに、それらの運動が掲げるスローガンや、そこで交わされる議論は、きわめて広範囲に
普及することになった。だが、そうしたスローガンや議論は、それらが表現していた
さまざまな立場を、固定したイデオロギー的路線へと集約させたり、規律化したりすることが
できなかったにもかかわらず、普及したのではない。
そうではなくて、まさに集約も規律化も不可能であったからこそ、それらは普及したのである。
そこには、人びとに何を考えるべきかを告げる党幹部は存在しない。その代わりに存在する
のは、多様きわまりない見解に対して開かれた議論の積み重ねである。それらの見解は、ときに
は互いに矛盾することさえあるかもしれない。しかし、たいていはゆっくりと時間をかけて、
首尾一貫した展望を練り上げてゆくのである。
もしアナーキーという言葉が、混沌や混乱、無秩序を意味するというなら、それらの運動に
見られる指導者の欠如や、党のイデオロギー的路線の欠如は、アナーキーを意味するものだと
考えてはならない。 指導者と集権化された構造こそが、実効力のある政治的プロジェクトを
組織するための唯一の方法であるという考えは、政治的想像力が悲惨なまでに欠如した、
何という哀れな考え方だろう! -
二〇一一年の闘争のサイクルと、近年における他の無数の政治運動を活気づけたマルチチュード
が、組織化を欠く、無秩序な存在ではなかったということは、改めて言うまでもない。
じっさい、組織化の問題は、それらの闘争や運動において議論され、実験された、もっとも
重要な主題だったのである――すなわち、どのようにして集会を運営するのか、どのようにして
政治的な不一致を解決するのか、どのようにして民主的な仕方で政治的な意思決定を形づくるのか、
というように。
変わらぬ熱情をもって自由、平等、〈共〉の原理を守りつづけている人びとにとって、
今日もっとも重要な課題は、民主主義社会を構成することなのだ。 -
左翼の教会を焼き払え! = スガ秀実新党構想を焼き払え!
-
早大ノンセクト系とは、今まで彼らが党派を持たなかったから
一定の成功を作り出すことができたんだ、ということが
どうやらよく理解されてないね。
つまり、日本の運動では、早大ノンセクトから発した運動のみが
アウトノミアを模範として仰いできた。
その方針が今まで正しかったのだということ。 -
花咲 政之輔
11時間
闘うもの、闘おうとするものにとって最悪の歴史修正/歪曲
映画「ゲバルトの杜」を徹底批判する
シンポジウム
日時:7月6日(土)午後2時30分開演(午後2時開場)
場所:新宿区角筈地域センターレクリエーションホール
(東京都新宿区西新宿4丁目33?7 :
京王線 初台駅下車 東口から徒歩10分:都営地下鉄大江戸線 都庁前駅下車(A5出口) 徒歩10分:京王バス新宿駅西口から(京王デパート前20番バスのりば)中野駅行き又は中野車庫行き
十二社池の上下車 徒歩3分:WEバス新宿駅西口から(京王デパート前21番バスのりば)A ワシントンホテル・西参道行き パークハイアット東京前下車 徒歩1分)
パネリスト:
絓秀実(文芸批評家:「1968年」「革命的な、あまりに革命的な」)
菅孝行(評論家/劇作家:「ことにおいて後悔せず 戦後史としての自伝」)
大野左紀子(文筆家/元アーティスト:「高学歴女子の貧困」)
照山もみじ(日本文学研究:疎外者(アウトサイダー)の自己幻想―中島梓の「少年」)
河原省吾(京都産業大学教員/臨床心理学)
花咲政之輔(太陽肛門工房主宰/早大構内立ち入り禁止処分者 )
入場無料:先着80名(80名に達した段階で〆切ます)
(予約・問)morihihan@gmail.com
【黒須・北新宿ひまわり会:7/6実行委】 -
> 入場無料:先着80名(80名に達した段階で〆切ます)
このイベントで何人動員できるのかは、
結構観物ですね。 -
内ゲバの歴史に対する
人民的なトータルな判断力の
反応が知りたい。 -
しかし菅孝行もよく出てきたね。
スガは菅孝行なんて馬鹿にしまくってたんじゃないの?w -
> 大野左紀子(文筆家/元アーティスト:「高学歴女子の貧困」)
この女が全然ダメ
この女は名古屋系左翼の癌でしょうw -
花咲まだやってんのか
ゲバ杜で食っていくつもりなのかと思うレベルw -
花咲政之輔精神分析
-
大野左紀子
@anatatachi_ohno
4時間
映画「ゲバルトの杜」を批判する シンポジウム。なんでお前がここにおるんじゃという方も
いると思います。私も依頼を受けた時そう思いましたが、絓秀実さんの推挙ということで
謹んでお受けした次第です(面識はありませんが、絓さんのアンテナに引っかかってたと
知って驚いたと同時に嬉しいです)。→
大野左紀子
@anatatachi_ohno
4時間
「暴力/非暴力」の単純化問題や、事実が歪曲されあるナラティブに落とし込まれて
受容されること(某救援活動で体験)について、何かしら話せればと思っています。
当初、私の代わりとして推薦させてもらった東京の若い方のテキストが載っているのはこちらです。 -
大野左紀子
@anatatachi_ohno
1月31日
RT 原作の『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』
(樋田毅、文藝春秋社、2021)について、『自称・救援ノート』(固定ツイ参照)で
中﨑クルスさんが書いています。本の感想のみならず、名古屋での一連の件の
背後にあったものを筆者自身の実存と絡めて考察した非常に興味深いテキスト。 -
> 闘うもの、闘おうとするものにとって最悪の歴史修正/歪曲
> 映画「ゲバルトの杜」を徹底批判する
> シンポジウム
> 日時:7月6日(土)午後2時30分開演(午後2時開場)
> 場所:新宿区角筈地域センターレクリエーションホール
これ自体が起きてきたことは、一つの精神分析的な症状 -
それで「内ゲバ」の一般論だけど。
内ゲバというのも、左翼というシステムで徴候的に、あるいは周期的に起きている
症状の一種です。
だから基本的に根絶は無理。 -
最近あった日本の内ゲバ事件とは、
非暴力主義を自称する前提のもとで、
全く偽善的な仮面によって起きた内ゲバで
NAMの事件にあったNAMとQの争闘ですよ。
あれももちろん内ゲバの一種でした。
しかもネット社会でしかありえないような
奇妙な物理的暴力の行使を排除した実質的な暴力性の精神だった。 -
それで今回のこれ
> 闘うもの、闘おうとするものにとって最悪の歴史修正/歪曲
> 映画「ゲバルトの杜」を徹底批判する
> シンポジウム
> 日時:7月6日(土)午後2時30分開演(午後2時開場)
> 場所:新宿区角筈地域センターレクリエーションホール
によって明らかに出てきた事実とは、
日本社会で次の左翼内ゲバをはじめる主体があるとしたら
それは、スガ秀実=花咲政之輔によって、
具体的暴力の火蓋が切られるのだろう、という確実性に他なりませんwww -
ここで重要なのが、現代思想ネグリ特集号に出てきた國分功一郎のネグリ論ですね。
-
北朝鮮が今飛ばしているウンコの入った風船爆弾
あれも内ゲバですか? -
菊池 壮一
4日
「彼は早稲田で死んだ」の渋谷ユーロスペースでの公開が昨日で終わった。
1972年革マル派のリンチによって殺された早稲田大学文学部2年生
川口大三郎君の事件を取り上げたものである。
役者が演じる事件の再現部分は学芸会程度で失望したが、原作者で
反革マルの先頭に立った樋田毅を始め、元岩波書店社長の岡本厚や内田樹ら
当時を知る著名人本人がたくさん出て知っていることを語る。この部分は
相当に重要であると思った。
暴力を肯定する革マルに対して、樋田が率いる一般学生集団は「非暴力」で
学園を正常化しようとするが、結局は何度も襲撃を受ける中で
「防衛のための暴力」を認めるべきとの一派(黒ヘルグループ)が出現し、
それに樋田は最後まで抵抗。時とともに一般学生が離れていく中、
樋田の闘争は挫折・終結する。
この映画の主題はそこである。「暴力に対する暴力は正しいのか」を問うているのだと感じた。
私は当時、襲撃されて復帰集会に参加した樋田が、黒ヘルを被るようにすすめられ、
それを断る現場を目撃している。その真意を今理解した。
多くの若者も観るべきだと思うし、「出版稲門会」等ももっとかかわるべきではないだろうか。
「正しい暴力(戦争)はないのだ」のムーブメントは今や地球規模で認識しなければならない問題であろう。
#早稲田大学 #出版稲門会 #彼は早稲田 -
森田 曉
日本共産党が、一年前から、新日和見派に対する大々的な査問を開始したことが重要なのに、
この映画では全く看過されています。
3日
山川宏
でも、それはまた別の話し。一本の映画にそんなに色々なことをいっぺんにぶち込むことなんか出来ない。
23時間
森田 曉
山川宏 さん 早稲田の特殊事情で、革マル派に対抗して、法学部民青を中心として諸派が周辺に
あるような構図が第一次早大闘争のころからあったのです。最初の勤め先の社長は、
第一次早大闘争時の法学部ノンセクトで、内田雅俊(後の弁護士)さんと一緒に無党派で
法学部自治会常任委員をしていましたが、1969年の卒業式粉砕闘争を宮崎学と一緒にやっています。
社長の還暦祝いに、反天連の天野さんの代わりに出席しましたが、宮崎学さんもいました。
他は、社会評論社の松田さんなど、新左翼系の出版社の人ばかり。
22時間
山川宏
森田 曉 さん、第一次早大闘争なら、水谷保孝さんもいたはずですね。
22時間 -
森田 曉
山川宏 さん これも映画であつかわれていませんが、第一次早大闘争当時からいた中核派
(たいした勢力ではありません)の大部分は、小野田襄二派として、第二次早大闘争の反戦連合となった
ようです。水谷さんではなく、駒場の社青同解放派のひとりから聞いた話です。早稲田と東大駒場の
中核派のほとんどは1968年春には小野田派だったということです。
21時間
山川宏
森田 曉 さん、ですね。「やったぜベイビー」の早稲田反戦連合。小野田さんとしては、
埼大反戦連合とは違う「鬼っ子」だったようです。水谷さん含む早稲田中核派はもちろん
彼らを批判しました。上野高校の先輩がいましたので聴いています。
69年春の学生大会で、せっかく革マル執行部をリコール、全共闘派が多数を取ったのに、
「気がついたら」壇上から逃げた革マルを追いかけ、「気がついたら」自治会室に
逃げ込んだ革マルをリンチしてた。「フランケン高島、血を吐いて倒れる」ってヤツですね。
もちろん革マルはこの「リンチ」事件と事後の反戦連合のビラをしっかり政治利用、執行部を取り戻した。
中核派が批判するわけです。
20時間
森田 曉
山川宏 さん 反戦連合による襲撃は、民青1200、新左翼系ノンセクトの文闘連900、
革マル派800という中で、文闘連と革マル派のボス交による共同提案の可決と、
1969年入学で当時は無党派後に叛旗派の友人から聞いています。
執行部リコールの可能性はなかったと。
19時間
森田 曉
可決に対する不承認の意思表示
19時間 -
山川宏
森田 曉 さん、よくわかりません。僕は当時の中核派活動家から聴きました。せっかく
執行部交替のチャンスだった。投票で「負け」が見えた革マル執行部が立ち上がっていきなり
逃げ出した、と聴きました。とにかく執行部を押さえておけば良かった、のに、ブント系と
反戦連合が会場をあとにしてリンチに向かってしまった、というのが中核派の見解です。さて。
19時間
森田 曉
山川宏 さん 私の聞いた話とかなり違いますね。
府川充男さんの書いている内容は、山川さんとほぼ同じです。
15時間
森田 曉
山川宏 さん 友人の高校の同級生で1969年一文入学(後に新潮社雑誌編集者)がいます。
彼から519学大の話を聞いたことがあります。後日、文学部の建物屋上でビールを振る舞われたと。
学大への協力への感謝だと。早大全共闘で第二学館に立て籠もっています。中核派の話は怪しい。
13時間
森田 曉
ノンセクトが革マル派に協力して、民青に対抗したという話です。
13時間 -
文芸誌とは生権力である。
-
果たして、
生かしてやる権力か?
書かせてやる権力か? -
九丸鮪
@9juIaVcLOOQJhZ8
6月2日
尊師が90年代に中核派の活動家から聞いたという
「松崎は革マルかどうか以前に松崎が革マル」て断定は、どうも真実だったよう。
『松崎明秘録』で明かされたような黒田寛一との軋轢はあり、
その過程で死者が出たのも事実だろうけど、
それは革マル派が誇る内部思想闘争における炎上事例の一端にすぎまい。 -
黒田寛一は殆ど全盲に近かったんだろ。
それなのに革命軍の指揮を執るとか、信じられないような話だな。
全盲の指揮官とか有り得ないと思うが。
オイディプスは父殺しの罪が発覚してからも戦争を指揮したことで、
彼の視力が健全だったことが証明されたという見解があるのだが。 -
クロカンの場合もどうも「全盲」というのは怪しいね。
これは虚偽であり半分は目が見えていたんでしょう。
ある種そういう神秘化、神格化的なフィクションを作りたがるところが
近代初期的な左翼組織の特徴なんだろう。 -
とにかくクロカンは東大には合格してるわけだから。
卒業したのかどうかまでは憶えてないが、
東大受験まではそれができるだけの視力があったわけだ。
その後どういう経緯によって失明までいったのか、
たしか病気だったと思うが、
よくわからない、神秘的なヴェールに意図的に包んでる気配がありすぎるねw -
最初から視力ない人が東大合格までいくのは物理的に無理だろうねw
-
クロカンがかつて昔
戦後初期の時代にやっていた騙しと
同じような騙しを、今では
スガ秀実が、外山恒一や花咲政之輔を相手に
利用しながらやっていると? -
すがチンがやってんのは批評というよりも老害というか単なるハラスメントなんではないの?
-
まー老人になったイタズラっ子世に憚る
というパフォーマンスかなw -
メクラのクロカンがストリップのかぶりつきでフル勃起していたとかあるあるww
スガのメガネが柳美里のアッパーカットで吹っ飛んだ話も眉唾のような。 -
座頭市も本当は目が見えているよねw
-
柳美里の逸話は本人が文芸誌に掲載した証拠の文章があるよ。
-
あんたそういうのは
今風の言い方でいえば「陰謀論」というのではないかい?
あんたの本質はw
合意の芝居でそれだけ商業誌文學界の紙面を賑わせることができるなら
それは両者とも大した役者だよww -
同人誌en-taxiなんて最初から偽りと欺瞞の雑誌だったやないかい。
-
福田和也先生に真相を聞いてみよう
-
sarah(サラ)
@sarahfx1
3時間
幼少期の性被害に気づかず大人になってからようやく気づくって私のことだな。
大学時代、ある日突然蘇った忌まわしい記憶。
自宅を訪問した営業マンに後ろ向きになって手を出してと言われて
オ◯ニーの相手にされた記憶。大人になるまで思い出したこともなかったし
夢かもと思ったけど。 -
癲癇老人左翼日記
-
正しい暴力という定義が可能なら
確かに、柳美里がスガ秀実の眼鏡を吹き飛ばした
ビンタ打ちの暴力とは、最も正しい暴力の姿であった。 -
知性の象徴であるメガネを吹き飛ばすというのが良い
-
ハレンチ学園の知性
-
>>454
俺の中学時代の友人が尼崎のストリップ劇場で見たのはかぶりつきの眼鏡の中年男が、
ストリッパー嬢に眼鏡を取り上げられて
嬢「おっさん、ええことしたるわw」で、万個に眼鏡をこすりつけたんだが、
オッサンは「ああ、汚い汚い、やめてくれww」だったというwww -
モーレツ
-
柳美里の正しい暴力
-
ブルース軍団の間違った暴力
-
絓秀実のハレンチ学園
-
デジコレで絓秀実のハレンチ学園論が掲載されてる雑誌が読めると流れてきたので読んだ。
寺山修司のお面をかぶる女子高生が結構いたって謎記事に脳が全部持っていかれた。
ねどころみつき
@takasinanana
6月4日(火) 23:04 -
↑
読んでみたけど相変わらず。
実に下らない文章だとしか思わなかったよw -
小ブル急進主義者は悪趣味がお好き
-六八年革命と『ハレンチ学園』 絓秀実
より
しかし、『ハレンチ学園』は端的に言えばあからさまにセクハラを描いた
マンガにほかならない。それを「健康な」エロティシズムだなどと言う文脈は
存在しえなくなったのだ。今や、十兵衛が山岸やヒゲゴジラをセクハラとして
告発する時代に入り、それゆえ、彼ら男たちはロマンポルノに行くほか
なくなったのである。
だが、本当に問題は解決されたのか。セクハラと性関係(エロ)との境界は、
決定的なレベルで曖昧であるしかない。同じ性的行為を行っていても、相手の
(とりわけ女性の?)主観によって、ある時不意にセクハラだと告発される可能性
は排除できないからである。
そこには、もはや、『ハレンチ学園』のごとき「テッテ的」に馬鹿馬鹿しい急進主義
が存在する余地はない。あるのは、生真面目な告発(と、それへの脅え)のみである。
六八年革命がいまなお持続しているとして、しかしそれが『ハレンチ学園』のような
バッドテイストな急進主義を排除したところでの持続だとしたら、それは
いかにも退屈なことではないだろうか。今必要なのは、新しい「ハレンチ学園』かも
しれない。もちろん、それは十兵衛たち女がフェミニズムに目覚めることを阻止せよと
いうことではないにしろ、である。新しい『ハレンチ学園』が「山岸が脱ぎ、
十兵衛が吠える!」がごときクィア―なものである可能性もありうるだろう。 -
しかし、一口で「下らない」といっても、
実にそれもまたスガ秀実らしいハニカミ方の故であって、
1999年の広告に発表されているこの文を巡って
今となってはある種の出来事の発端となっている
事件の起源について、徴候と予感を
ここから読み取ることもできるのだろう。。。。 -
あの顔でエロオヤジなのはむしろ面白味に欠けるな
-
スガ秀実新党構想としてのハレンチ学園
-
たとえスガ新党が作れたとしても、つばさの党ぐらいしか具体像が思い浮かばないのだが
-
issaku
@issaku14
5時間
「くだらぬ本を読む暇があるなら、『資本論』全巻を読め。」(柄谷行人) -
映画『ゲバルトの杜』批評 虚偽と歪曲に満ちた代島「内ゲバ」史観
人民新聞
2024年6月3日 18:31
元革共同 水谷保孝
注…本紙5月20日号掲載の本記事に、著者の校正を反映できていない部分があったため、
全て反映したものを掲載します。水谷さん、読者の皆様にわびします。(編集部)
5月25日から一般公開される代島治彦監督の映画『ゲバルトの杜――彼は早稲田で死んだ』が、
賛否を呼んでいる。「学生運動の負の側面=内ゲバを描いた」という評価の一方、
「事実から逸脱し、警察・大学当局の目線そのもの」と批判もされる。
そんな中で、後年に早稲田を卒業した編集部関係者から、本作の批評の提案が出た。
「内ゲバは肯定できないが、それは当たり前の事で、その先が大事だと思う。本作の構成は、
結局今の大学管理体制の肯定にしかなっていない。川口君事件は、その開始になる重要な事件だ。
早大では革マルの大学支配が続き、多くの学生が政治や運動そのものが嫌いになる。
ノンセクトも弾圧され続けた。大学の脱政治化の端緒だ。それこそ早稲田大学当局も(無意識的に)
狙っていることだ。川口君事件の時には、リンチされている時に大学事務局にも連絡が入ったそう
だが無視されたそうだ」とのことだ。
そこで事件に近い人からの批判を掲載するため、70年安保闘争のDⅤD『i怒りをうたえ』上映会
でご一緒した水谷氏に、原稿依頼をした。(編集部) -
1972年11月8日、早稲田大学2年生の川口大三郎君が革マル派によって拉致・監禁・
リンチ・殺害された。川口君虐殺に対し、WAC(早大全学行動委員会)を先頭に、数千・万余
の早大生が全学部で立ちあがった。
同映画は、川口君リンチ殺害状況を、「当時の資料をもとに」「想像力をたくましくして」
(『創』5月号代島氏インタビュー)、鴻上尚史氏が脚本・監督した短編劇(16分)が冒頭にある。
途中でリンチ・殺害場面が繰り返し流れ、最後も同場面だ。この短編劇が映画の基軸とされ、
当時の早大生の証言や、元革マル派の語りなどが配置される。
異様なのは映画の最後だ。激しいリンチを受け、息絶える劇中の川口君の姿に被せ、
虐殺側の佐竹実の自己批判書全文の朗読音声が長々と流れる。
逮捕され、ほぼ全面自供した佐竹(革マル派一文自治会書記長)が、警察管理下で書いた
自己批判書。それが虐殺行為への禊ぎとされている。 -
だが川口君の虐殺は、革マル派中枢の根本仁と藤原隆義の指示・同意のもと、村上文男(二文)
を現場責任者とした。同派はそれを隠し、「一部の未熟分子の行為」にすり替えた。映画の朗読は
それを追従している。また「社会的責任」の名のもとに、労働者人民が暴力行使すること自体を否定する、
警察の論理でもある。
しかもリーダー(村上がモデル)が、「おい、川口」と繰り返し叫ぶ声を、鴻上氏が
「鎮魂歌みたいでしたね」と語る。それこそ虐殺の免罪ではないか。未だに革マル派組織
および佐竹、水津則子、村上ら虐殺実行者は、誰も早稲田の暴力支配と川口君虐殺への
自己批判も謝罪もしていないのだ。
よって本作は「内ゲバ検証」の映画になっていない。両監督が単に内ゲバを映画の題材にし、
「川口事件」をその「入口」(代島氏の言)として利用しただけだ。だがそれは実は、
中核vs革マル戦争を真正面に据えていないことの証左だ。 -
代島氏の「内ゲバ」論は、中核vs革マル戦争の死者が出たケースだけを「内ゲバ」
とする誤りを犯している。
代島氏は、革マル派による数多の組織的・計画的なテロ――早大内での他党派・無党派活動家
への数々のリンチ、東大安田講堂防衛戦からの敵前逃亡、三里塚野戦病院車への襲撃、
破防法弁護団への襲撃、東京・杉並区民へのナーバス作戦、国鉄当局と結託した動労革マル派
の暴力支配――などを隠ぺいしている。
「権力は中核派の首根っこを押さえているが、わが革マル派は下の急所を握っている」と、
警察=カクマル連合を公言した事が不問に付されている。
革マル派の「革命」とは、「権力と闘う他党派を背後から襲撃・解体する」ことと、「党首・黒田寛一
を神とする組織づくりの自己目的化」だ。
67年羽田闘争の「十・八救援会」以来、今日も営々と活動する救援連絡センターは、革マル派を
救援の対象としない。その理由を、代島氏・鴻上氏は考えたことがないのか。
本作は他面では、私たち中核派のテロル行使の必然性や幾つかの誤りの検証もやっていない。
虚偽と歪曲に満ちた代島「内ゲバ」史観は、警察の反過激派プロパガンダに似ている。 -
デジコレで、絓秀実幻の68年論(単行本未収録)、「68年革命と「ハレンチ学園」」が読める。
ハレンチ学園は68年連載開始、学生たちは「ナンセンス」だけでなく「ハレンチ!」をヤジにした。
「絓秀実」という筆名の誕生も語られていて貴重。
個人的には、スガ68年論の入門は、『革あ革』よりもまずはこれ
pic.twitter.com/uRdj5K4ltk
松田樹/批評誌『近代体操』
@matsuda1993
6月3日(月) 19:46
https://twitter.com/thejimwatkins -
絓一味のどうしようもなさを映画にする人はいないか
-
平野 悠
49分
「24年5月の日々・・・。」
ユロースペースで「ゲバルトの森」を鑑賞。なんてことだ、78年?の早大、
革マルのリンチ殺人に怒る学生たち。
新左翼同士の内ゲバ(100人以上が死んだ)はここから始まった。なんとも情けない。
いやはや辛い映画だったがそれほど目を背けるシーンはなかったな。
帰りがけに受付で鴻上尚史著「ヘルメットをかぶった君に会いたい」(ポット出版)を購入。
これが抜群に面白い。鴻上さんてクールジャパンみたいな番組をやっていて「つまらん男だ」
と思っていたが、いやはやすごい人だ。ファンになった。是非読むといい。
現在足立正生監督が執念を燃やして準備中の先頃「死ぬ時は自分の名前で死にたい」
とのたまわった「東アジア反日武装戦線~桐島聡」の映画の制作が始まったらしい。
(まだ情報公開の許可は降りていない)
関連して連続企業爆破事件の「狼を探して」のドキュメントを見る。これもすごいな。
5月は囲碁が趣味の私。「碁盤切り」を見るが期待したほど面白くなかった。ついでに猿の惑星も。
イベントもあの「光の輪」の上祐さんとのトーク、田家さんとの音楽トーク、飲み会も数多く、
結構頑張って毎日を送った。
いやはや、田家さんとのトーク、前日までチケットが数枚しか売れていない。
そろそろ自分が偉そうにステージに上がるのはこれが最後かなって思うが、
なんと当日50人以上のみんなが駆けつけてくれた。嬉しかったな。
「まだやれるじゃん平野」って思ったな。
80歳は目の前に迫ってきている。
世田谷の静かな郊外な住宅地。日当たりのいい幸せな場所で一日の大半を過ごす。
家々は寝静まって見事に咲き誇った紫陽花、むくげが甘く匂う。
私はベランダで月明かりを顔に浴びて微笑している。
沈黙のうちの風の中。夕暮れに
雨が愛撫のように降ってくる。そしてまた月が顔を出す。
私は孤独な心で夜更かしをする。
雨はささやきながら昔話を思い起こさせる。
君はもう眠るが良い。雨はそこにいる。 -
鈴木 泉
5日
某歴史修正映画への悪しき反動なのだろうか、
内ゲバに対する肯定的な言説をときに見るが(念のために記すが、
その当該映画への批判そのものの中に見られるものではない)、
そんなものにはおよそ意味がなく、害悪でしかないと思う。
冗談も大概にして欲しい。人殺し(そのものかそれを招くものでしかない)と
見切ることが始まりだ。その限りで、安保法制反対運動の際に、
人殺し集団と共闘出来る訳がない、と言った音楽評論家の言葉は今なお正しいと思う。
もちろん、何を内ゲバとするか、ゲバルト=暴力の意義をどう捉えるかは全く別の話しではある。 -
松田樹よあなたはもう人間やめなさい
-
セオ マサフミ
川口事件は72年。鴻上の本なんか読む気しないけど、
「ヘルメットをかぶった君」って革マル?
文連革マルに目立った女子学生いたけど、事件の後、行方不明になった。
2時間
森田 曉
セオ マサフミ さん その通り。水津則子のことです。
21分
森田 曉
川口大三郎君リンチ殺人犯のひとり。
13分 -
> 「ヘルメットをかぶった君」
早速この小説
図書館でオーダーしてみました。 -
結局68年は何の良い影響も残さなかった
いつまでも6868と言ってても仕方ない -
スガが永井豪の「ハレンチ学園」に目を付けたのが面白い。
永井豪は、彼が慕う手塚治や師である石森章太郎のような絵の上手い人の正反対なんだよ。
手塚や石森みたいに流麗な線の細身で顔のスッキリした良い顔の人物なら、
そんなに長身でなくても十分カッコいい人物になるし、
その方が繊細で魅力も増すが、永井は絵が下手糞だから、
女を描いても脚は長いがやたら太ももが太いとか不細工なんだよ。
とにかく、永井の各男女は骨太で首が太くて肩幅広くて、脚も太くてズドーンと長くて間延びしてる。
だが、これがスガ秀実の好みなんだよ。物質的という言い方も出来るだろう。
ハレンチ学園では男が悪いが女も嫌という程痛烈な仕返しをやるだろ。
男と対等に渡り合える頑丈な女がスガの好み。
ギリシャ文明とエトルスカン文明は同時代に近くて美術では両者は何かと比較されることが多いが、
ギリシャの繊細さや流麗さに比べて、エトルスカンの人物は何でも骨太に描かれる。
手塚治や石森の描く美少女は華奢でいかにもな美少女だが、案外手塚、石森らは家父長的な人物だった気もする。 -
ハレンチ学園の女性像は革マルの女
-
ローズマリー
@rosemarymama
12時間
ゲバルトの杜という映画の批判をずっとしてる人がいて気分悪い。
自分が思ってたのと違うのかもしれないけど、そこまで言う?
私も思ってたのと違ったけど、なるほどと思ったし、
そんな風に向かってしまった青年達の事もわかったけどな。 -
osei Moriwaki / 森脇透青
@satodex
3時間
批評家にしろアーティストにしろ「プチブルの遊び」的な批判はつねにあるが、
階級的な自覚が無いのはおかしいとしても、最終的にはそんな批判は的を外している
としか言いようがないし、自分を何か絶対的に「貧」の側に置いて
誰でも攻撃できるような態度に緊張感はない。
Tosei Moriwaki / 森脇透青
@satodex
3時間
プチブル急進主義批評宣言である。 -
> 「プチブルの遊び」的な批判はつねにあるが
それは批評活動の無責任性のことを指すのだろうが、
しかし何より、プチブルと云われるときは、
ブル、つまり権力に対する追従性のことを指しているのだろう。 -
森脇の性質についていえば、外山のところに従いていったり、
かと思えば吉永のところへ従いていったりと、
話題のあるところ、あるいは権力の集まってるところなら
そのまま従いていける変わり身の早さみたいな態度を指して
他人からは、あいつプチブル的だと謂われ易いのだろうね。。。 -
マルクス・エンゲルスがその言葉を使った伝統以来、
プチブルという言葉が指しているのは、
ある種権力のゲームなんだという視点を見落とすところが、
森脇にとっては真の意図なのかなとは、見受けられる。
プチブルという言葉の意味内容が権力のゲームということもあれば、
それを他人に向けて規定して言うという行為遂行的次元においても
それはまた別の権力のゲームを意味している。 -
> ブル、つまり権力に対する追従性のことを指しているのだろう。
つまりこれが、スガ秀実の本質といえる。
スガ秀実自身は無意識には、自分の性質について正しく
気づいていることを意味しています。 -
スガは渡部直己のセクハラ事件で言いたいことをストレートに言えなかったのを、
何重かのオブラートに包んで仄めかしてる気がする。
サックリ言うと、文壇や文芸出版業界でもジャニー喜多川や、松本人志の件のようなことがずっと続いて来た。
いわゆる文学部の女学生や女性教師、女性作家らのパパ活ですな。
なぜ、批評家らの北条裕子「美しい顔」への誉め言葉はあんなにも具体性を欠いていたのか。
なぜ、女性作家やライターらの自殺は多いのか。
なぜ、美人女性作家は文学新人賞で有利なのか。
スガの「ハレンチ学園」への傾倒は女による暴力による反撃への賛意の面があると思う。 -
>>486
>>批評家にしろアーティストにしろ「プチブルの遊び」的な批判はつねにあるが、
階級的な自覚が無いのはおかしいとしても、最終的にはそんな批判は的を外している
としか言いようがないし、自分を何か絶対的に「貧」の側に置いて
誰でも攻撃できるような態度に緊張感はない。
森脇は良いことを言ってる。
浅田や田中やその他左翼がウクライナ戦争でロシアや中国の側に立つのは間違いだ。
資本主義を否定するなら、まず市場経済への適応力で
英米その他の先進国と渡り合えるスキルをロシアや中国は身に付けてからにするべきだろう。 -
小ブル急進主義者は悪趣味がお好き
-六八年革命と『ハレンチ学園』 絓秀実
より
六八年革命の核心が、哄笑とナンセンスの急進主義にあったことは、当時、
最も屹立的なカウンターカルチャーとして学生が愛読していた、つげ義春の
「難解」な漫画『ねじ式』における-「徹底的」ではなく-「テッテ的」という
キーワードに即しても知られる。「造反教官」として六八年革命に同伴してい
た詩人・天澤退二郎は『ねじ式』を論じて、われわれのラディカリズムは
「徹底的」ではなく「テッテ的」なものであるべきだと考えていた。
生真面目なラディカリズムではなく、バッドテイストな急進主義者で
なければならぬ、ということである。考えてみれば驚くべきことだが、
今や宮澤賢治研究で知られる学匠詩人と三島由紀夫が同じことを
言っていた時代があったのである。 -
森脇透青は朝から覚醒剤でもやってるのではないか
-
詩人集団の「凶区」に金井美恵子が入って直ぐに鈴木志郎康は脱退したんだが、
スガはフォルマリストの蓮實重彦を経由した金井派で、俺はマティリアリストの鈴木派なんだな。
これで違いが分かった。
スガの物質に重みは無い。 -
カリオストロ伯爵
@EtoJun19321225
18時間
三島賞選考会で、中上健次が大江健三郎に終始「お前死ね」って暴言吐いて、
大江はヘラヘラ応じ、他の選考委員の江藤淳・筒井康隆は止めずに選考続けてたの
全員狂人すぎて好き。
(福田和也が宮本輝から聞いたエピソード、福田・坪内祐三「暴言」367頁より) -
そうそうこれがリアルな
中上文壇と大江健三郎の関係だったのwww
今の人はこのことを知らなすぎ。
そして現在の文壇関係者はこの事実を隠蔽しすぎ。 -
文壇型記憶消失症候群
-
中上健次はトリックスターだった?
-
平野 悠
2日
「鬼才足立正生監督・執念の映画制作が始まった。桐島聡~そして内田洋として...」
先頃「死ぬ時は自分の名前で死にたい」とのたまわった「東アジア反日武装戦線~桐島聡」
の映画の制作が始まった。この6月についにクランクインする。
今日からオーデション。約1000人の応募者の中から100人と直接面接するらしい。
役者古舘寛治氏の主演決まったらしい。
応募写真を見たがなんともイケメンが多すぎる(笑)
足立さんの脚本も14稿と進みその意気込みがすごい。(ついてゆくのが大変)
さて映画のタイトルだがこれもまだ仮の状態だ。
監督は「逃走完徹!」
にこだわっているらしいがわたしゃ
「暁の逃亡者~キリシマ潜伏やめるってよ!」
と対案を出しているがまだどちらも決まらないし、もっと素敵なタイトルが出るはずだと思っている。
昨年の「REVOLUTION +1」は統一教会と、国葬と安倍元首相の暗殺事件を扱った映画で
たくさんの共感を呼び素晴らしかったが、多くの映画館の上映拒否により見事に採算割れ
となったが、今回はそんなことはないだろうし、なんとか森達也監督の大ヒット作品「福田村」
に肉薄したいと思うのだが。
う~ぅカンヌに行きたい。来週あたり監督のインタビュー記事を載せたい。 -
>>三島賞選考会で、中上健次が大江健三郎に終始「お前死ね」って暴言吐いて
何年の三島賞で何の作品を巡って中上と大江がもめたのかを書かないところが、何ともww
新潮社が文壇の穢れの集積所なんだよ。そこで中上が大江に「お前悪人、死ね」と言ったってなww
中上自身も悪人だろうがww
文壇人や編集者なんて全員悪人だろうw -
ラジ君
-
ガースーは死ねとか言われたら泣いちゃうよ
-
大野左紀子
@anatatachi_ohno
6月10日
1958年生まれ(私とほぼ同じ)の監督は、今の若者が超ノンポリ化していることに
自分の世代の責任を感じてこうした映画を撮っていると聞いた。
しかしこの映画のメッセージは縮めて言えば「正義の暴走こわい」だろう。
ますます超ノンポリ化が進むのでは?と思う。 -
正義の暴走こわいじゃなくて、正義の暴走意味ない。
これが正確ですね。 -
こんなしょうもない女呼んで、一体何の意味があるの?
-
>>507
じゃあ、お前が行けよ。 -
ギャラ、高いよw?
-
一発二万やな
-
>>509
スガは金持ってるぞ。 -
そりゃ嘘や。
いまだに本は買わずに坂戸の図書館にリクエストしとるよw -
単に年金生活者の極意やろう
-
これから死にに行く老人が蔵書なんか増やしたって意味ない。
その金でうまいもん食うか。
うまい酒でも飲んで死ぬか。 -
中川文人
@NakagawaFumito
6月11日
批評としては、これが一番、いや、これが唯一まともだ。
この映画、「革マル勝利の物語」に「内ゲバの物語」という仮面を被せているって感じなんだよな。
大野左紀子
@anatatachi_ohno
6月10日
『ゲバルトの杜』、断片的に感想を書く。好みの問題かもしれないが、
冒頭のギターの割れた音が演出過剰な感じ。
少し前のNHK「映像の世紀」で当時の学生運動?内ゲバを扱っていたが、
あの深刻そうな情緒過多なテーマ曲が流れるたびに何か陳腐なものを
見せられている気分に。それと似たものがあった。 -
あれを「革マル勝利の物語」と読んでる人が何人かいるのだけど、
なんでそう読めるの?
そこが結構不思議だ。 -
監督の意図としても原作者の意図としても
まさか、「革マル勝利」というのはちょっと考えられないよねえ。・・・・ -
68年的な、あまりに68年的な
-
>>331
>「ゲバルトの杜」最終試写会で、「これは虐殺者を美化する映画だ!」
>と叫んで決起した水谷保孝さん(元革共同)が「情況」2024年春号(5月22日発売)
>に映画評を寄稿しています。
特に元中核派の水谷さんとか
「虐殺者」という名指しは、
少なくともマルさんだけでなくて
中核にも解放派にもみんな当てはまりますよ。 -
革マル勝利と思っていたら、
久米さんのこういうコメント、
とてもサイトに載せないよねえ・・・
>>10
>久米宏(フリーアナウンサー)コメント
>吉永小百合が3年前まで歩いていた文学部キャンパス
>そこでひとりの大学生が殴り殺された
>殺したのは“革マル派”だった
>その後激しくなっていった内ゲバで100人以上が命を失った
>殺すことで何かが解決したのだろうか -
スガ一味の党派性が普通に怖くなってきた
案外外山もマジのファシストだったりして -
絓秀実の下剋上ストーリー
-
革マルとしては「革労協と中核派を相手に良く健闘し、
我々は生き残ったことを我々の勝利として誇ろう」という思いだろ。
その革マルの健闘を支えたのが早稲田大学から流入する年間二億円以上もの資金や、
JR労組からの資金援助だった。
だが、革マルの資金源は激減しつつある。 -
すがや花咲に過去授業に乗り込まれたり活字で名誉毀損された人間は
その内ゲバならぬ単なるゲバルトを告発すべきでは? -
映画を観た訳じゃないが、少なくともこの映画は革マルを糾弾してる訳だろ。
甘い面はあるかもしれんが。
それなのに、駄目の烙印を押すばかりか、糾弾迄されるんじゃ、映画制作側の逆切れまであるだろ。
スガや花咲が製作するしかないと思う。 -
ヒデザネの杜
-
歴史修正/歴史歪曲映画「ゲバルトの杜」を批判する
2024年6月13日 01:24
名著「NAM批判」で知られる吉永剛志さんからコメントいただきました。
熟読を!そして皆さん醜悪極まりない歴史修正/歪曲映画「ゲバルトの杜」を共に批判していきましょう!!
7/6土シンポジウムにも結集を!!!
予約埋まりつつあります。
今すぐ morihihan@gmail.comにご予約を!
映画『ゲバルトの杜』を批判する 吉永剛志(倉庫労働者/地域・アソシエーション研究所)
ここずっと、「内ゲバ」という言葉が、現状を結局は変えたくないためのいい口実になっている。
この映画はその典型だ。「内ゲバ」と「正義の暴走」に警鐘を鳴らしているつもりだろう。
が、時代錯誤でじり貧もいいところだ。真に受けたら真綿で首が絞められるようにやられていくだろう。
それは何かが間違っていて、物事を直視して思考してないからだ。
https://note.com/fre...8f5b?sub_rt=share_pb -
>>526
> それなのに、駄目の烙印を押すばかりか、糾弾迄されるんじゃ、映画制作側の逆切れまであるだろ。
> スガや花咲が製作するしかないと思う。
革マル的な(革共同両方同じ)ウンザリするものの存在論というのがあるわけであって、
2024年の今この瞬間に、そのウンザリするものの存在論を繰り返し、
再生産しているものの主体こそが、花咲とスガに他ならない。
これは明らかでしょ。
吉永の言ってることは相変わらず、力関係に媚びてるだけ。 -
>2024年6月13日 01:24
>名著「NAM批判」で知られる吉永剛志さんからコメントいただきました。
やめてくれこの馬鹿発言w -
68年をやり直す!
絓秀実です -
Hard Blow!(亮チャン応援隊)
@hardblowblog
17時間
革マル派のトップだった黒田は普段は決して姿を見せず、
運動の指針は彼の肉声を吹き込んだカセットテープを通して伝えられていたという。
ショッカーみたいでしょ? -
革マルはショッカーだった。
-
つーかそれって、仮面ライダーのショッカーが革マルを真似たのでは?
-
仮面ライダーは中核派だった。
-
仮面ライダー作ったのは石森章太郎か・・・
-
NEGI ネギ
37分
本日、渋谷ユーロスペースにて映画『ゲバルトの杜』鑑賞。
大友良英さんの音楽が素晴らしく、鑑賞するならなるたけ前方の席をお勧めします。
写真は受付で売られていたメット柄手拭い(買わなかったけど)。
原案となっている樋田毅『彼は早稲田で死んだ』について、
森まゆみさんと思しき方が「女性の視点がない」と指摘されています。 -
マリリン
5つ星のうち4.0
女性の視点がないような
2021年12月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
50年ぶりにあの「暗い時代の早稲田」がよみがえり、つらかったです。
革マル派の暴力支配で大学に来られなくなり、卒業できなかった一般学生も多いのに、
最も暴力を振るったとされる革マル幹部大岩圭之助がそのご、アメリカで大学に通い
(無期停学だったはずだがどうやって)、大学教員になって、反省の色もないのに驚き。
「そのあたりというのは僕の中でもぽっかり空いたエアポケットみたいなもの」
「僕たちは一生の間、何度も転向し続けて生きているわけです」。
その辻信一の提唱する「スローライフ」や「キャンドルナイト」を信じられるはずがない。
著者の努力を多とするが、川口君事件で逮捕された実行犯の名前を明らかにして欲しかったし、
裁判、判決についてももう少し詳しく叙述して欲しかった。それが事件の全貌だろう。
辻信一は「僕はその場にいなかった」と言っているが、その裏は取れていない。
また、女子学生はあの中でどう生きたのか。私の記憶では、革マル派の女子学生を「女マル」と呼んで、
革マルに占拠された第一学館内部に妄想をたくましくしていた男子学生の言動に大きく傷ついた覚えがある。
そして、対革マル闘争を戦った著者は朝日新聞社員になれてよかったが、クラスメートの女性たちはどうしていますか。
あの当時、女子学生に就職口などほぼなかった。新聞店に住み込みで炊事をしていた女子学生、
風俗に近い店で働かざるを得なかった女子学生、一人一人を思い出す。
みんな三畳間でトイレ共同、炊事室には焜炉が並んでいた。
91人のお客様がこれが役に立ったと考えています -
https://i.imgur.com/MgJEuiU.jpg
もうすぐ終了です -
>>539
サンキュー試してみる -
革マル逃亡犯の辻信一はキャンドルジュンに生成変化した。
-
あーあ
-
アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート 『コモンウェルス 下』
NHK出版 262ページより
革命的暴力
議論がここまで進んだ段階で、必然的に読者はこう問うにちがいない-「革命は暴力的でな ければならないのか?」と。
答えはイエスだ。が、それは必ずしも一般に考えられる意味での暴力 ではない。 革命は必ずしも流血を必要としないが、
力の行使は必要とする。
とすれば、より良い問 いの立て方は、暴力が必要かどうかではなく、どのような種類の暴力が必要か、ということだ。
そして蜂起と制度の創設との結びつきについての私たちの分析によれば、この問いは二つの異なる開争領域
-支配権力に抗する闘いと、マルチチュードを作り上げることで別々に考慮されな ければならない。
第一の闘争領域では、自由の獲得のために力が必要とされる。 なぜなら支配権力が力を押しつけ てくるからだ。
奴隷として虐げられていたイスラエルの民はモーセに率いられ、平和のうちに喜んでエジプトを出ただろうが、
エジプト王 ファラオ は戦いなしに彼らが去っていくことを許さなかった。
一般に、支配者はその権力が脅かされると暴力をもって対応しようとする。自由への生成 liberation には支配権力に対する
防衛的な闘いが必要であり、社会は複数の陣営に分裂して長期の闘い――内戦――を強い られる。しかしそうした戦いで
あっても、必ずしも凶器や流血を必要とするわけではない。 -
グラムシは、先に述べた「機動戦」 (その典型はサンクトペテルブルクの冬宮襲撃や、
サンチアゴ・デ・ キューバのモンカダ兵営襲撃といった武装蜂起だ)と「陣地戦」
(一般に文化的・政治的領域にお ける長期化した非武装の闘いを含む)の区別にもとづき、
特定の状況ごとに適切な力と武器の種類があるとしている。グラムシは武装闘争に対して、
原理的にはなんら反対していない―その点は 私たちも同じである。
要は、兵器は必ずしも最良の武器ではないということに尽きる。支配権力に対して
何が最良の武器かは-銃、平和な街頭デモ、脱出、メディア・キャンペーン、労働ストライキ、
ジェンダー規範の侵犯、沈黙、 皮肉などなど武器はたくさんある状況次第なのだ。
「状況次第」という表現があまり満足のいくものではないことは承知している。けれども
私たちにできるのは、状況ごとに何が最良の武器かを見きわめるための基準を提供すること
でしかない。 第一の、もっとも明白な基準は、どの武器と戦略がもっとも効果的で闘争に
勝利できる可能性が高いか、である。
肝に銘じておくべきなのは、大きな破壊力をもつ武器が必ず勝つわけではないということだ。
それどころか今日では、「非武装のマルチュード」のほうが武装集団よりはるかに実効性があり、
脱出のほうが正面攻撃より強力である可能性が高まりつつあると私たちは見る。この文脈でいう
脱出とは多くの場合、妨害行為や共同作業からの離脱、さまでまな対抗文化の実践、
全般化された不服従といった形をとる。 -
なぜこうした実践に実効性があるかといえば、生権力は常に自らが支配する主体性に「従属」
しているからだ。主体性がその領域から退去すれば、そこには生権力にとって許容できない真空が
生まれる。二〇〇〇年をはさんで世界各地で巻き起こったオルターグローバリゼーション運動は、
おおむねそのように機能した。管理の連続性に裂け目を創り出し、そこに生じた真空に新しい文化表現
と生の形態を吹き込んだのである。実際、これらの運動のあとには不服従の戦略、新しい民主義の言語、
そして倫理的実践(平和のための実践や、環境に配慮する実践など)といった武器の備蓄がたっぷり
残されている。やがてそれらは新しい反乱を率先して開始する者たちによって採用され、
再配備されることになるだろう。 -
『コモンウェルス』という本は相当面白いね。
-
emancipation と liberation の違い。
-
必然的に読者はこう問うにちがいない
-「革命は暴力的でな ければならないのか?」と。
答えはイエスだ。
が、それは必ずしも一般に考えられる意味での暴力ではない。
革命は必ずしも流血を必要としないが、力の行使は必要とする。
とすれば、より良い問いの立て方は、暴力が必要かどうかではなく、
どのような種類の暴力が必要か、ということだ。 -
キャンドルジュンへの生成変化や
-
キャンドルジュンへの寄付をお願いします
-
やっぱりネグリは言うことが一味違うぜ
-
NEGI ネギ
16時間
昨日観た映画『ゲバルトの杜』、出演の遠藤琴和という女優が、
今時の若者にしては珍しい感じの顔立ちだなあ、目じからだなあ、誰かと被るなあ、
とつらつら考えていたら、ああ、梶芽衣子か!とひとりごつ。
異論は多々あるかもしれませんが。梶芽衣子と言えば、この藤田敏八監督の
『修羅雪姫』がもう完全にパーフェクトという、頭痛が痛いくらいの形容が冠される作品で!
異論は多々あるかもしれませんが。アマプラにあがっているのかなあ。
ちなみにこの作品見た衝撃で続けて観た『修羅雪姫・怨み恋歌』は共演の岸田森にちょっと吸血、
もとい精気を吸われている感じがあって、ちょっと残念でした。 -
> 昨日観た映画『ゲバルトの杜』、出演の遠藤琴和という女優が、
> 今時の若者にしては珍しい感じの顔立ちだなあ、目じからだなあ、誰かと被るなあ、
> とつらつら考えていたら、ああ、梶芽衣子か!とひとりごつ。
確かにこの女優は結構面白いかなとは思った。 -
もし、花咲とスガが今回やった問題提起に何か意味があるとすれば、
それは現状というのが、言説の状態としても、政治の状況としても
表現の弱者性地獄に陥ってるということ。
これは全世界的なトレンドの流れにも見えるんだけど、
特に日本でこの流れを作り出した犯人=主体といえるのは、
スガ秀実とはまた別の種類の「小ブル急進主義者」であり、
小ブル政治の観点からの姑息な成功者といえる杉田俊介的なものの責任だろう。 -
言説の弱者主義、そして政治の弱者主義が、何を隠蔽していて、
そして何が悪いのか?
そして60年代以来の伝統としてある左翼的な、
または右翼の中にも昔から根強かったはずの、
革命的な正義の暴力主義というのが、弱者主義とはまた違った意味で、
それは政治的な何を隠蔽し続けてるのか? -
> 言説の弱者主義、そして政治の弱者主義が、何を隠蔽していて、
> そして何が悪いのか?
まず、これが隠蔽するものは、偽善と偽善者主義の在り方ですね。 -
> 革命的な正義の暴力主義というのが、弱者主義とはまた違った意味で、
そして、これが隠蔽してるものは、権力的なもののナルシズム。 -
暴力とは何かを隠蔽する。
-
『落窪物語』でも読んだら。
統治権力は、どのようにして自らの振るう暴力の正当性を確立すべきものか、きちんと指南されているよ。 -
革命を語るなら絓秀実の下へ、これが絓秀実の反革命的役割
-
歴史修正/歴史歪曲映画「ゲバルトの杜」を批判する
@morihihan
7時間
闘うもの、闘おうとするものにとって最悪の歴史修正/歪曲映画「ゲバルトの杜」。
https://freegaza.web.fc2.com
東大駒場寮潰しの尖兵だった石田英敬がトークショーに出演すると聞いて
急遽渋谷ユーロスペースで抗議の情宣をしてきました。
ビラ捌けもよく、熱い共感が円山町に広がりました。 -
まじかよw
ここまで来ると
これちょっとヤバくねえか? -
あのラブホ街の真ん中で情宣行為してきたのか?w
-
情動行為の最中に情宣行為をドピュッと
-
花咲はだんだん原一男の「ゆきゆきて神軍」化してきたね。
-
ゲバ杜をシノギにするなw
-
暇空茜とかと大差なくなってきたな
-
> 情動行為の最中に情宣行為をドピュッと
情事行為の最中に情宣行動を -
花咲政之輔の「ゆきゆきて革命」
-
絓秀実の「全身ハレンチ学園」
-
東京でハードコア的な話がしたかったら、北なら足立区千住、南なら大田区蒲田あたりだろうな。
渋谷じゃ絶対無理、ファッション・ピープルしか集まらんだろ。
まあ、スガや柄谷の読者層が渋谷あたりをうろうろしてるドンクサクて無気力な人達だからしょうがないかw -
渡部直己の「極私的セクハラ」
-
これがぺぺ長谷川死後の現実かよ
-
「68」年で商売しようとするなら
すが一派に対して挨拶や相談を事前に済ませておかないと
今回のように批判されることになる
賢者は歴史に学ぶべし -
68年利権
-
それじゃあ隙間商売人の世界やんかw
-
そんなセコい物の考え方でとても革命なんか到達しませんよ
-
7 / 6土【歴史修正/歪曲映画「ゲバルトの杜」を批判するシンポジウム】
当日は特典として、「映画芸術」夏号(7月末日刊)掲載予定の、
絓秀実「代島治彦『ゲバ杜』とその言説・徹底批判」を資料として
先行配布することが決定しました!ご予約morihihan@gmail.comまで。
花咲政之輔 Masanosuke Hanasaki
@un0ye9pWZ8b2Q0t
33分前 -
すごいなこれ。
特典オマケつきやで。 -
以下檄文を附したビラを配布しています。
先日も、東大駒場寮潰しの尖兵だった石田英敬トークショー会場(渋谷ユーロスペース)前にて抗議情宣。
渋谷円山町に熱い共感が広がりました。皆様、今すぐ予約を!
映画「ゲバルトの杜」を徹底的に論じ、批判するシンポジウムを開催する。
1972年11月8日、早大第一文学部学生・川口大三郎は早稲田大学文学部キャンパス内において、
自治会を掌握、大学当局と淫靡に結託して、ほぼ一元的に支配していた革マル派の学生によって
拉致され、8時間にも及ぶ拷問とリンチの果てに虐殺された。川口を、革マル派の敵対する
中核派の「スパイ」と誤認しての出来事だった。したがって、これはいわゆる「内ゲバ」
ではないし、そもそも「内ゲバ」とは、きわめて問題含みの概念である。この事件に接した
早大万余の学生は虐殺に抗議し、革マル派の支配を打破すべく決起した。これが、
一年以上にわたって展開された「早稲田解放闘争」である。
当時の日本は、「1968年の革命」の後期にあったが、全国での闘争はまだまだ持続していた。
三里塚闘争であり、入管闘争であり、差別糾弾闘争であり、フェミニズムが確実に萌芽し、
「障害者」解放闘争も盛んに提起されていた。早稲田では、69年春にノンセクト学生が決起して
第二次早大闘争が展開された。革マル派と当局の結託によって、一旦は沈静化された早大全共闘運動
であったが、その潜勢力と提起された問題は持続していたのである。1970年10月には、
第二文学部学生で、「帰化」朝鮮人二世であった山村(梁)政明が、革マル派の支配と弾圧に抗議
して焼身自殺している。川口大三郎も、当時の「68年」的課題であった部落差別反対闘争に関心
を抱く、「ノンセクト」の学生であった。
早稲田解放闘争は、多様な傾向を持つノンセクトの学生によって担われた。それに加担してコミット
する政治党派もあった。しかし一年余の闘争は、全国動員で闘争の圧殺を図る革マル派、それを
支える大学当局、そして当局によって導入された国家権力と機動隊の前に、敗北を余儀なくされていった。
以後、早稲田では再び、革マル派の支配体制が再建されたのである。
「革マル派を背景にした『平和』」である。 -
1990年代、奥島孝康総長が中心となって、早稲田から革マル派が一掃されたという虚言が流布されている。
映画『ゲバルトの杜』の原案となった樋田毅の『彼は早稲田で死んだ』(文春文庫)は、そうした虚言の上に
立った「ノンフィクション」である。『ゲバルトの杜』も、その観点を踏襲している。
しかし、奥島が根絶しようとしたのは、革マル派の支配ではなかった。早稲田解放闘争の後も地道に活動
を持続してきた、サークルを中心とするノンセクトたちの運動の基盤を解体しようとしたのである。
奥島は、サークルが密集していた地下サークル部室の撤去を敢行した。これに対して、多くの早大生が
決起したことは言うまでもない。2001年7月31日には、1500人余の学生が本部キャンパスを埋め、
昼夜を問わず徹夜で抗議行動を行った。これは、日本学生運動史上、最後の大衆的な学園実力闘争である。
同時期の、東大駒場寮廃寮反対闘争とて、これほどの盛り上がりはなかった。
以後、革マル派のみが、当局の黙認のもとに早稲田に淫靡に根を張り、川口事件以前と変わらぬ支配が、
目立たぬかたちで持続している。『ゲバルトの杜』は、このような支配を肯定することで成り立っている映画
なのである。それは、映画全編に横溢しているメッセージだ。この間の代島治彦監督の諸発言も、それを裏付ける。
このような大学の支配体制は、決して個別早稲田の問題ではない。全国の全ての大学が、サークルやタテカン等、
学生運動の基盤を根絶やしにすることで、学生への支配と管理を巧妙に行っているのであり、それは大学のみならず、
すべての社会領域に及んでいる。しかも、一方では「リベラル」を公然と謳いながら、である。映画『ゲバルトの杜』
は、そのような趨勢に掉さして登場した、きわめて悪質な映画なのだ。 -
昨今、イスラエルのガザ侵略に対して、世界的に学生運動が、何度目かの勃興を見せている。
日本においても、多少の兆候は見られる。しかし、とりわけ日本では、「気持ちは分かるし、
意見を表明するのはいいが、暴力はいけない」という声に怯えつつ遂行されているように見える。
何せ、「デモは暴力だ」と言った政治家がおり、それはそれで「正しい」からである。たとえば、
かつてジグザグ・デモは「合法」だったが、今は「違法」なのだ。
確かに、日本のみならず世界の運動において、「暴力」の遂行に過誤はあっただろう。しかし、
運動とは試行錯誤と誤謬のなかで結実していく過程にほかならない。「正しく」運動しようとする
ことは大切だが、それが「正しく」結実するかどうかは、運動のなかで検証されていくしかないのだ。
われわれのシンポジウムは、『ゲバルトの杜』の批判的な検証をベースにしながらも、映画、
演劇、暴力、セクシュアリティー、差別と、多岐にわたっていくだろう。それは、歴史の検証
だけではなく、現在の運動のありかたに及ぶはずである。
望みうる最良の、多様なパネリストを結集した。多くの方々の参加を望む。
絓秀実 -
ゆきゆきて、神軍
『ゆきゆきて、神軍』(ゆきゆきて、しんぐん)は、1987年公開の日本映画。
太平洋戦争の飢餓地獄・ニューギニア戦線で生き残り、「神軍平等兵」と称して
慰霊と戦争責任の追及を続けた奥崎謙三の破天荒な言動を追うドキュメンタリー。
今村昌平企画、原一男監督。日本国内外で多くの賞を受賞した。
キャッチコピーは「知らぬ存ぜぬは許しません」。 -
あらすじ
奥崎謙三は第二次大戦中に召集され、日本軍の独立工兵隊第36連隊の一兵士として激戦地ニューギニア
へ派遣されていた元日本兵。ジャングルの極限状態のなかで生き残ったのは、同部隊1300名のうちわずか
100名。かつて自らが所属した第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを
知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を
追い求める。すると、生き残った元兵士たちの口から戦後36年目にしてはじめて、驚くべき事件の真実
と戦争の実態が明かされる。元隊員たちは容易に口を開かなかったが、奥崎は時に暴力をふるいながら
証言を引き出し、ある元上官が処刑命令を下したと結論づける。この間、元兵士の親族は途中で同行
から降り、以後は関係者が(実際の身分は明かさずに)その代理を務めた。映像として記録されるの
はこの下りまでである。
映画の結末で、奥崎が元上官宅に改造拳銃を持って押しかけ、たまたま応対に出た元上官の息子
に向け発砲し、殺人未遂罪などで逮捕されたことが字幕で紹介される。
映画外の話題となるが、奥崎は懲役12年の実刑判決を受けて服役し、満期出所後は神戸市で
妻とバッテリー商を営みながら、天皇の戦争責任を訴え、2005年に亡くなるまで
アナーキストとして活動した。 -
ゆきゆきて、革命
-
こりゃあ完全に、絓と花咲を試写会に招待してしまった団体のミステイクだろうw
-
セクト・ラジカル
-
サークルを中心とするノンセクトたちって現役の早大生なの?
-
絓一味がいる限り日本に革命はない
-
石田英敬は柳田国男の姪と結婚した文化人類学者石田英一郎の関係者ではないのか?
柳田国男はプロップの民話理論などロシア・フォルマリズムの研究のために、石田英一郎を取り込んだ。
柄谷や革マルにそれは良く似合う。 -
なぜ柄谷の読者や革マルに女が多いのか、しかもブスばかり。
-
すがちんは白井総長とその息子や岩崎稔については何か言ってるの?
-
> なぜ柄谷の読者や革マルに女が多いのか、しかもブスばかり。
それは中核や解放派よりも革マルのほうが、理論的な順序立てと
理屈でだんだん攻めていくという段取り的な態度に強いからだろうねw
女は言葉と理屈のほうに結局弱いんだよ。
それに対して中核の女性オルグなんて半分は強引にレイプして
持って行くというようなもんだろうw -
ちなみにテレ朝の大下さんのやってる昼のワイドショーで
週替りで出てくる女性の大学教授に慶応SFCの教授だが
奈良女出身の女がいる。
このひとも大変理詰めで責めてくる女性のタイプなんだが
卒業してるのは奈良女というだけで、
奈良女でしかも理論の弁が立つ女というのは
きっと革マルやってたに違いないと、
どうしても想像してしまうものだww -
> すがちんは白井総長とその息子や
白井聡が最初の本レーニン論の講談社ブックでデビューしたときに絓は、
やたらに白井のことを持ち上げて高く買っていて
あかねの座席にふんぞり返りながら、
白井の宣伝みたいな話をしていたものだったが、
そのときは絓はまた、早稲田元総長の息子とか
そういう泊ツケというか階級的な形象が好きでたまらないから
またそういう単純な権力贔屓でそんな話してるのかぐらいにしか思わなかったのだがw
だから最初のそういうイメージで、ついでに白井聡のイメージまで悪くしたものだったが、
その後数年たって、なぜだか絓と白井はかなりキツイ仲違いをして
仲悪い関係になったみたいだったな。
具体的に何があったんだろうか?
まー何となく分かるような気もするがww -
ピエマル デマばかり流してないで消えろ 醜いよ
-
デマ?
どこがw -
反革命ヒデザネ
-
https://freegaza.web.fc2.com/
闘うもの、闘おうとするものにとって害悪でしかない
≪歴史修正/歴史歪曲映画≫
「ゲバルトの杜」を批判する
※7月6日土午後2時30分~@新宿区角筈地域センターレクリエーションホールシンポジウム特設ページ
ーーーーーーーーーーーーーーーー------
2024年5月25日(土)から残念ながら公開されてしまった歴史修正/歴史歪曲 映画「ゲバルトの杜」を批判するサイトです
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2024年4月30日発売の雑誌「映画芸術」https://eigei7.hateblo.jp/に絓秀実・亀田博・花咲政之輔による
映画「ゲバルトの杜」徹底批判鼎談が掲載されています。購入し、お読みください。
そして共にこの醜悪極まりない映画を批判していこう!! -
> 前田年昭(組版労働者)
>
> 自由民権運動の元闘士が「国権」にとらわれ転向をとげた姿を見て、北村透谷は「会ふ毎に嘔吐を催ふすの感あり」と書いた
>(「三日幻鏡」1892)が、半世紀前に「国際主義と暴力」を称揚しながら今、しれっと「非暴力」と言い出している元活動家に対しても、
> さらにその時流にのって「当時から非暴力を主張していた」と説教しに現れた〈樋田本〉を見ても、私は同じ思いに駆られる。
> 私は〈樋田本〉を許せない。
>
> (2024.5.14) -
> 半世紀前に「国際主義と暴力」を称揚しながら今、しれっと「非暴力」と言い出している元活動家に対しても、
> さらにその時流にのって「当時から非暴力を主張していた」と説教しに現れた〈樋田本〉を見ても、私は同じ思いに駆られる。
> 私は〈樋田本〉を許せない。
ここで前田年昭が書いてる
> 半世紀前に「国際主義と暴力」を称揚しながら今、しれっと「非暴力」と言い出している元活動家
というのが、まさに今ここで
>>598
で粘着している人間の正体ですよ。 -
なんとか丸とかいうレッテル貼りの卑屈な物言いで、
このスレに粘着してる人物の正体だが、
要するに、この人もまた昔あかねにいた人物なんだろうw -
ピエマルは7月6日のシンポに行くんだろうか?
-
今のところ行く予定はないよw
お呼びがかかれば行ってもいいけど -
真に他人に向かって暴力を行使できる資格のある人というのは、
それを別に、一般人たちに向けて同意を求める必要なんてないと思うんだよね。
それなのに何故、絓や花咲は、
そういう本来勇気を必ず必要とするはずの行動について、
いちいち一般的な普通の人たちへ同意を求める必要があるわけ?
まずはその点からいって、精神性が貧弱というか、
最初から日和でしょう。 -
精神情弱なものたちの時代遅れな、
遅れてきた暴力肯定主義=絓秀実、花咲政之輔、外山恒一、 -
他力本願の隠語
-
「オレらのシマ、メシの種(68年)を荒らすな!」
「68年の真理を所有してるのはオレらだけだ!」
彼らの苛立ちはどっちなんだろ
それこそ「内ゲバ」みたいだ -
> 他力本願の隠語
これ次のスレタイに入れましょうww -
それだとちょっと意味がわからんでしょ
-
絓の本のタイトルなのか
読んでねえ -
今回のような、スガの強硬な革マル糾弾は、スガ的には柄谷からの離反の意思表明なんだろう。
柄谷は親革マルだから。
革マルもこぶし書房の解散などで弱ってる。
柄谷や蓮實、浅田らの反応も興味ある。 -
中核や革労協VS革マルの力のバランスが崩れ始めたことは間違いないんじゃ?
-
岩野卓司
@MXUPyL7gHGF6naa
現代を代表するアナキスト森元斎氏が7月20日(土)14:00から明治大学和泉図書館ホールで特別講義
「反暴力の方へ、おもむろに」(教養デザイン研究科主催)を行ないます。
丸川哲史、田中ひかる、佐久間寛の三氏もコメンテーターとして参加。どなたでも無料で参加できます。 -
> 明治大学和泉図書館ホールで特別講義
> 「反暴力の方へ、おもむろに」(教養デザイン研究科主催)を行ないます。
この、
>反暴力のほうへ、おもむろに
っていうタイトルの意味がちょっとわかんないよねw
また、暴力というのは両義性がなんなんだとかいう
お茶を濁すような話で、ある種の暴力形而上学を語るんだろうか?
アナキストの語る暴力論なんていうのは
大体こういう無責任などっちつかずの水掛け論が殆ど
というのが、現状なんですw -
> また、暴力というのは両義性がなんなんだとかいう
> お茶を濁すような話で、ある種の暴力形而上学を語るんだろうか?
これが7月6日の結論になるということも、
もう目に見えている。
それ以上のことが語れる力量のあるパネラーなんか一人も入ってないよw -
> それなのに何故、絓や花咲は、
> そういう本来勇気を必ず必要とするはずの行動について、
> いちいち一般的な普通の人たちへ同意を求める必要があるわけ?
ここに映画ゲバ杜の中で語られている内田樹発言の真意があるんですよ。
赤信号みんなで渡れば怖くない。
つまり、皆がやっていいと言ってるから私もやります、
というのは、現実には最も卑劣な暴力の形態だということでしょ!
それが、内田樹の語っていた成田闘争おでん屋集団食い倒し事件の
真意なんですw -
> つまり、皆がやっていいと言ってるから私もやります、
> というのは、現実には最も卑劣な暴力の形態だということでしょ!
つまりそれが言葉の正確な意味での「イジメ」というとでしょう。
つまり、日本人が最も得意としてる技ですよそれがwww
内田樹が映画ゲバ杜で暗黙に言わんとしてることをここで汲み取れば、
全共闘も革マルもその他党派的なセクトも
おまえらみんなやってることの内実は常にイジメであって
それは日本人として太平洋戦争やってたときから全然変わらない体質じゃないか
ということです。
もちろん、絓秀実というパーソナリティの本質的傾向性も、イジメですw -
バカ田大学の杜で、ブルース軍団がやってた運動
=実質的な活動内容というのも、イジメだよね。 -
うーん内ゲバも早大の革マル支配も学生運動も興味が持てんなあ
-
話の腰を折って悪いが、
>>592
石田英一郎の「河童の話」を元革マルの松岡正剛の千夜千冊が取り上げてるので気になった。
石田英敬と柄谷行人の繋がりが柳田国男とその姪の婿である石田英一郎を通じてのものかも。
松岡は石田英一郎にナラトロジーの認識があったことに驚いたような口ぶりだが、石田はロシア語教師の
ニコライ・ネフスキーを通じて、多分ロシア・フォルマリズムの手ほどきを受けてた。
だからこそ、柳田は自分の為に、姪と石田を結婚させたのだろう。 -
いやみんなで、すら怪しい
あわよくば俺が安全地帯にいる間に他のみんなが革命をやっておいて欲しい、がホンネでしょう
つまり、他力本願 -
>>626
君何か活動してるの?革命(笑)のために? -
偽善者だな
-
アリバイ作りとか内ゲバ肯定とか何言ってんだこの馬鹿
-
非凡なる暴力の技、
皆から見捨てられてるところでこそ勇気を持ち暴力行使した。
→ これは「正しい暴力」と言ってよいのでは。
それに対して、
バックに集団の力を背景にして
皆がやってるから私もノリで一緒に暴力を振るった。
つまり、凡庸な暴力の生態。
赤信号みんなで渡れば大丈夫。
→ これが「悪い暴力」の典型でしょう。
ゲバ杜の再現ドラマで試されていたのは、
実態は凡庸な惰性の暴力としてある
集団的な錯誤の有様ですね。 -
安全地帯で他力本願はオマエだろw
-
> アリバイ作りとか内ゲバ肯定とか何言ってんだこの馬鹿
ならば、内ゲバ肯定しなくてもイジメは肯定したいのではないか? -
>>631
薄ら馬鹿は退場願います -
俺は気に食わない映画に文句を言うシンポジウムをやったりしているんだぞ!行動しているんだ!
はいはい偉い偉い(笑) -
>>631
これだと山上はおろかもろもろの孤独な犯罪者や殺人者や性犯罪者は正しい暴力として肯定されるね -
>>631
> 非凡なる暴力の技、
> 皆から見捨てられてるところでこそ勇気を持ち暴力行使した。
> → これは「正しい暴力」と言ってよいのでは。
だから山上徹也のテロリズムというのは、限りなく正しい暴力には近いんですよ。 -
山上徹也は本人の内面で理論的には錯綜していただろうけど、
限りなく同情するに値するテロルの暴力だった。
だから島田雅彦はそういう発言をしてしまったし
(後でバッシングを浴びた)
日本赤軍だった足立正生は山上徹也の伝記映画を作って
それなりの評価を受けた。 -
> だから島田雅彦はそういう発言をしてしまったし
> (後でバッシングを浴びた)
> 日本赤軍だった足立正生は山上徹也の伝記映画を作って
> それなりの評価を受けた。
それに対して、
絓秀実や花咲政之輔や亀田博みたいな連中は、本当に最低な男たちだぜ。 -
正しい暴力というのは多くの場合、グレーゾーンで為されている暴力だろうね。
-
何にせよスガ一味がどのような形であれ暴力を行使する日は来ない
本当は花咲でさえ分かっているはずだ -
幼稚なヒロイズムだな
-
わかったわかったわかった
犯人は荒井晴彦だったwww -
革マル以外の党派の拠点校だと他党派やノンセクトも自由に活動出来るのけ?(ぶっちゃけ革マル派も)
早稲田が馬鹿な大学だとしてそんなんとっとと見捨てりゃいいじゃん
早稲田に寄生させてとお願いしてるようにしか見えない -
スガチンはまだ大学に理想と希望を持ってるんだね
-
ピエマルという名は クリハラの妄想がクロカン謀略論の肥大化した嫉妬と怨嗟に色どられた妄想にそっくりなことに由来してる
ところで、7・2のイベントは招待なし 無料で誰でもはいれるんだろう? -
↑
うるせえぞ亀田博 黙れwww
この通り、
おまえなんか代田監督から回避されて当然だろ? -
まったく自称アナキストの笑える正体がこれだよw
-
そういえばICUと革マルの関係性を巡って
語るスレが最近共産板に立ったみたいだから。
詳しく知りたい人はそっちを見てねw
https://mevius.5ch.n.../kyousan/1717008847/ -
バカ田の杜で
-
そういえば映画の中で石田英敬が引越ししてる最中に
中核派か?ゲバに襲われ、石田は逃げられたが
引越しの手伝いをやっていた友人が殺された(四宮君か)
という話をしていたが、その友人がICUの学生だったな。 -
ICUに70年代いたのも革マルですよ。
先に革マルは女子が多かったという話もあったが
それと同様で、
理論的な口先の段取り工作に弱いというのが
ICU学生の特徴だったんだろうな。
それは別に今でも変わってないよ。
今のICUは小室圭さんと紀子の娘二人の大学であって
皇室御用達に成り果ててしまったけどww
あとは柄谷浅田にとって昔の盟友だったはずの
岩井克人が名誉教授に収まりましたと。 -
映画芸術に絓花咲等によるゲバ杜批判が出たところから
今回一連の事件に火がついたわけだが、
どうも「映画芸術」というのが変な雑誌だということがあると思う。 -
荒井晴彦
荒井 晴彦(あらい はるひこ、1947年1月26日 - )は、日本の脚本家・映画監督。
日本映画大学教授。
季刊誌『映画芸術』発行人、編集長。
若松プロダクション出身。東京都生まれ。
東京都立立川高等学校卒業。早稲田大学第一文学部除籍。
主な作品
映画
『赫い髪の女』
『遠雷』
『Wの悲劇』
『ヴァイブレータ』
『大鹿村騒動記』
『共喰い』
『幼な子われらに生まれ』
『火口のふたり』 -
受賞
1980年 『赫い髪の女』、『神様のくれた赤ん坊』、『ワニ分署』で、第3回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞
1982年 『遠雷』で第3回ヨコハマ映画祭脚本賞を受賞
1983年 『遠雷』、『嗚呼!おんなたち 猥歌』で、第5回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞
1984年 『Wの悲劇』で、第58回キネマ旬報脚本賞、第39回毎日映画コンクール脚本賞を受賞
1986年 『Wの悲劇』、『ひとひらの雪』で、第9回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞
1988年 『待ち濡れた女』、『噛む女』、『リボルバー』で、キネマ旬報脚本賞を受賞
1998年『身も心も』で新藤兼人賞・金賞を受賞
1999年 『皆月』で大阪映画祭脚本賞を受賞
2002年 『KT』『事故』で、第5回日本シナリオ作家協会菊島隆三賞を受賞
2003年 『ヴァイブレータ』で、第77回キネマ旬報脚本賞、第59回毎日映画コンクール脚本賞、第25回ヨコハマ映画祭脚本賞を受賞、第6回ドーヴィル国際映画賞脚本賞
2006年 『やわらかい生活』、『愛妻日記』、『指』で、第9回日本シナリオ作家協会菊島隆三賞を受賞
2011年 『大鹿村騒動記』で、第85回キネマ旬報脚本賞、第35回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞
2014年 『共喰い』で第87回キネマ旬報脚本賞、第68回毎日映画コンクール脚本賞を受賞[2]
2016年 『この国の空』で第67回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞
2024年 『花腐し』で第33回日本映画プロフェッショナル大賞・監督賞を受賞[3] -
花咲政之輔 Masanosuke Hanasaki
@un0ye9pWZ8b2Q0t
6月17日
7 / 6土【歴史修正/歪曲映画「ゲバルトの杜」を批判するシンポジウム】
当日は特典として、「映画芸術」夏号(7月末日刊)掲載予定の、
絓秀実「代島治彦『ゲバ杜』とその言説・徹底批判」を資料として
先行配布することが決定しました!ご予約 -
このように絓秀実のゲバ杜批判の文章も
次号の映画芸術に出る予定だと云う。
ここでは荒井晴彦が黒幕的に動いてるのだろうか? -
著作
・昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫(2002年・太田出版)笠原和夫との共著
・シナリオ 神聖喜劇(2004年・太田出版)原作 - 大西巨人 -
特定の映画製作のために書かれたわけではないのでレーゼシナリオと言える。
・争議あり - 脚本家・荒井晴彦全映画論集(2005年・青土社)
・-脚本家 荒井晴彦の仕事- 嘘の色、本当の色(2012年・川崎市民ミュージアム) -
> ・昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫(2002年・太田出版)笠原和夫との共著
これは絓秀実も共著でしょう。 -
若松プロダクションには逆らえない、
というような体質が
今でも日本の映画界には残っているのだろうか?
そこが今回、内ゲバ暴力の擁護を巡る言説にとって
何故そういうものが出てくるのか?
という謎を解く鍵になりますね。。。 -
> 1980年 『赫い髪の女』、『神様のくれた赤ん坊』『ワニ分署』で、第3回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞
『赫い髪の女』
原作は中上健次の「赫髪」ですね。 -
> 1982年 『遠雷』で第3回ヨコハマ映画祭脚本賞を受賞
「遠雷」もいい映画だったよねえ。
原作は立松和平だ。
立松和平も同世代で早稲田ですね。
(立松は政経学部だった)
あとこの人は学年的には中上健次と同じ学年なんだな。 -
> 2003年 『ヴァイブレータ』で、第77回キネマ旬報脚本賞、第59回毎日映画コンクール脚本賞、第25回ヨコハマ映画祭脚本賞を受賞、第6回ドーヴィル国際映画賞脚本賞
映画の「ヴァイブレータ」
なかなか面白かったですよ。 -
> 2014年 『共喰い』で第87回キネマ旬報脚本賞、第68回毎日映画コンクール脚本賞を受賞
「共喰い」は青山真治監督作品でしょう。 -
すがは自分より知的に「格下」と思ってた連中が大学教授になっていい生活してるのを許せないんだよ
朝日新聞記者だって退職金もすごいんだろうし相当な年収だったんだから -
その通り、絓的言説の起源とはすべてが「嫉妬」ですよね。
-
絓が東大に行かなかった理由を知らない
ピエール知ってる? -
二浪で代ゼミの小田実が管理人やってた学生寮住んでたけど
学習院大文学部しか入れなかった新潟県人のスガ秀実は、
東大なんて最初から滅相もない
高嶺の花だったに決まってんでしょw -
その点二浪で早大一文受かった花咲政之輔はエライねw
-
スガがやたら強気になってるのは赤軍派が元気を復活させてるということだろうな。
赤軍派は非常に優秀な人が多いので、活発にやれば良いと思う。
荒井晴彦の映画「花腐し」も柄谷への皮肉だろう。 -
頑張れば早慶くらい余裕だったろうに
どうして学習院? -
それは受験の序列と全然関係ないからww
-
絓秀実の読者に受験偏差値信じてる人がいたとはちょっと吃驚だ。
-
ここで、映画製作の体制における前近代性、
というのが、日本で戦後の映画界に長く残っていた理由
は何だったのかを考えてみようか。…
ヤクザの暴力団、任侠的な組織が
戦後の資本主義的近代化の中で浄化されていく中、
(大体日本の映画業界でヤクザ関連組織の浄化が徹底されたのは80年代だが)
それでもまだ残っている映画製作の前近代的体質を引き継ぐ
という形で業界に入り込み、結果的にうまく機能したのが
新左翼の人脈による制作の体制であった。。。……
たぶんこういう理由から映画製作の現場では、ヤクザ主義的な
制作の前近代的体質というのが、いつまでも最後まで生き残ってしまったんだな。 -
そこで70年代に映画製作の現場で、半ばは汚らしいように見える
映画製作の泥仕事を引き受けていって、業界に入り込んでいった組織として
ひとつは若松プロダクション的な新左翼系人脈による
映画製作の会社があるわけです。 -
ここに映画業界に於いて、
ヤクザ的仕事の流儀と若い新左翼人脈との親和性というのが生まれます。
大体60年代から80年代の日本の映画業界にあった台所事情ですね。 -
映画業界とヤクザ関連の歴史
-
~彼はバカ田で死んだ~
-
ジャン=ピエール・カクマル著
『嫉妬と妄想の記憶装置』 -
絓秀実の読者にも前近代的な土人というのが沢山混じってるみたいだな。
-
ここまで見ていくとバカ田大学というのも相当罪深い大学だね。
だから、問題は新左翼というよりも、本当は「バカ田」
という成り立ちに焦点があるのではないか?
樋田毅の原作は多分そのことを仄めかしながら示している。 -
革マル派は何故「早稲田大学」を標的に執着し狙ったのか?
-
そもそも解放社(革マルの本部ビルとこぶし書房の本社を兼ねている)のビルを
早大正門の真裏、鶴巻町に建てているくらいだから
最初から早稲田大学を彼らが死守する積もりだったのは明白だ。 -
ブルース軍団みたいな集団が90年代に存在したという事実も
根本的には「バカ田大学」という病理の上に
その存在が成立している。 -
バカ田大学以外に有り得ないでしょ?
-
若松プロダクション(わかまつプロダクション)は、映画監督の若松孝二が設立した、
映画の制作プロダクションである。通称若松プロ。
1965年設立。設立当初の製作の中心はピンク映画であったが、初製作作品である『壁の中の秘事』
から一貫して単に性的興奮を刺激するものでなく人間性・社会性を追及する監督の表現主張の強い
ものであった。その後、ピンク映画の低迷や日活ロマンポルノ製作の終了などもあり、製作作品
はピンク映画ジャンルを離れ、性愛を主題とするも一般的なジャンルに分類されるものに移行
している。また、1971年の『赤軍 - PFLP・世界戦争宣言』や2007年の『実録・連合赤軍
あさま山荘への道程』に代表される政治を主題とする作品も製作している。
低予算ながら芸術映画作品を次々と世に送り出した事や、梁山泊さながらに日本映画界に優秀
な人材を送り出した事が評価されている。
また遠山美枝子は『赤軍 - PFLP・世界戦争宣言』の興行の手伝いをしていたが、
1972年1月に山岳ベース事件で殺害された。日本赤軍の和光晴生は1970年代初頭、
若松プロダクションのスタッフだった。
また、海外映画の買付・配給も行っていた。
2012年10月17日に若松が亡くなった後は活動停止状態にあったが、2018年、
再始動作品として『止められるか、俺たちを』を公開した。 -
若松プロダクション出身の代表的人物には、足立正生、小水一男、沖島勲、高橋伴明、
福岡芳穂、成田裕介、秋山道男、浜野佐知、福間健二等がいる。
なお、若松プロに関係して仕事をした人たちには、大和屋竺、松田政男、
佐々木守、山本晋也、荒井晴彦、田中陽造、曽根中生、大島渚、唐十郎、
山口清一郎、山下治、鈴木則文、神代辰巳等がいる。
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の撮影の時期から若松の三女である
「尾崎宗子」(おざき・のりこ)が若松の映画製作を手伝うようになる。その後、
2012年に若松が亡くなった後、尾崎が若松プロの業務を引き継ぐこととなった。
2022年に若松プロの法人格が消滅したが、各種権利は尾崎が経営している会社
「スコーレ株式会社」が管理している。 -
若松プロ自体はもう消滅してるんだな。
-
著名な作品
壁の中の秘事(1965年)
犯された白衣(1967年)
女学生ゲリラ(1969年)
性賊 セックスジャック(1970年)
赤軍 - PFLP・世界戦争宣言(1971年)
天使の恍惚(1972年)
水のないプール(1982年)
スクラップ・ストーリー ある愛の物語(1984年)
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2008年)
キャタピラー(2010年)
11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち(2011年)
海燕ホテル・ブルー (2012年)
千年の愉楽(2013年)
止められるか、俺たちを(2018年) -
1 映画業界とヤクザ関連の歴史
2 映画業界と新左翼関連の歴史 -
すがちんも都知事選に出ればよかったのに
-
絓秀実だってもうちょっと丸くキャラ改造に成功していたら
山本晋也監督ぐらいにはなれたのではないか -
今回の都知事選、外山恒一がやったことの下らなさについて再認識させられそうだw
-
外山恒一とつばさの党
さてまともなのはどっちよ? -
荒井とスガや花咲が映画を撮るなら、カンパはする。
-
山本晋也監督のトゥナイトが懐かしいね
あのひともハレンチ学園系のキャラだったが -
荒井晴彦監督で、絓秀実脚本、
出演花咲と太陽肛門スパパーンで、
ハレンチ学園のリメイク作りますか? -
test
-
ハレンチ学園にも山本晋也にもエロは無いww
スガにも多分w -
樋田毅記者も誠実に書いた本を
早大生でさえなかったよく知らない評論家から言い掛かりをつけられて迷惑だろうに -
樋田毅が早大卒の朝日新聞記者だったのに対して
絓秀実及び取り巻きのグループというのは、
およそ樋田さんとは住む世界の違う住人で
異郷の世界でしょうね。 -
それに対して代田監督というのは、どうやら樋田毅側の人間だということもわかる。
代田樋田の世界に対して、絓花咲そして若松プロ系の人々というのは(若松ファン含めて)
ちょっと住んでる世界が違うんだよね。 -
今回ゲバ杜の映画を硬公開してみてわかったことは、
代田監督というのが、まず左翼、新左翼の世界についての素人であるということと、
そして第二に、代田監督は映画の素人でもあったということではないだろうか。
代田監督のキャリアを見ると、彼は58年くらいの生まれで、
早大政経学部を卒業してからは博報堂関係で長く仕事をしていた人
のようである。
新左翼の素人と云われても彼だって学生時代から革マルやノンセクト
を横に見ながら生きてきたんだよ、と云われるかもしれないが、
しかしその世代が、フランツ・ファノンやサルトルのテキストを読んで
育ってきたなら、「革命的暴力」という言葉の使い方について
もうちょっと慎重な素振りが示せたはずではないのか?
またあの程度の哲学的総括で終わる映画を作ってしまえば、
公開と同時に巷に眠っている新左翼ファンの人間たちから
轟々と批判なり非難の嵐が巻き起こってしまうのではないかという
懸念も十分に考えられたはずである。
(そしてその非難の嵐は本当に起こったww) -
> 今回ゲバ杜の映画を硬公開してみて
→ ゲバ杜の映画を公開してみて ◯ -
それでも今回の絓一味の反応は明らかに異常
お呼びでないのに急にしゃしゃり出てきてギャアギャアと
往年の解◯のようだ -
そして何より巷に眠ってた新左翼主義ファンたちが
ゲバ杜に許せなかったのは、代田監督が映画に起用した知識人、
ご意見番というのが、池上彰、鴻上尚史、佐藤優、といった
見事にテレビ的な有名人たちだったという
余りに博報堂的な人選だったことでしょうww -
「代田」監督って誰のこと? 映画も見てないで粘着しているのがミエミエ
-
大学が管理を放棄して革マル派への肩入れも放棄してノンセクトから革マル派まで入り乱れるアナーキーな自然状態にしろってのが絓の主張?
-
代島治彦監督ねw
そんなもん誰にも記憶間違いはあるわなw
映画は見てるに決まってるだろう。
書かれた文章の内容を見れば。 -
>>710
> 大学が管理を放棄して革マル派への肩入れも放棄してノンセクトから革マル派まで入り乱れるアナーキーな自然状態にしろってのが絓の主張?
基本、絓にしても花咲にしても、あれは何も考えないで物を言ってる。
何も考えないでただただ最初にテキトーな言葉だけが出てくる発言のスタイルとは、
外山恒一のスタイルに顕著だが。
なんでもいいからとにかく1968年時代の大学をまた復活させろ、と
彼らは言ってるだけです。 -
代島 治彦(だいしま はるひこ、1958年 - )は、日本の映画プロデューサー、映画監督、著作家である。
埼玉県に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。
博報堂に勤務したのち、雑誌編集者、放送作家、広告プランナーなどを務める。
1988年にはスコブル工房を設立する。
1992年、オムニバス映画『パイナップ・ツアーズ』の製作を手がける。
1993年に開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭では、世界先住民映画祭をプロデュースする。
1994年から2003年まで、映画館BOX東中野(2004年以降は「ポレポレ東中野」)の代表を務めた。
2006年に監督したテレビ番組『戦争へのまなざし 映画作家・黒木和雄の世界』は、
ギャラクシー賞奨励賞を受賞。2006年から2011年にかけて、全10巻のDVDシリーズ
『日本のアウトサイダーアート』で監督・撮影・編集を手がけた。
2011年、代島の監督した映画『まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎』が公開される。
同年、著書『ミニシアター巡礼』が大月書店より刊行される。
2012年、岩佐寿弥監督の映画『オロ』を製作する。
2014年、大津幸四郎との共同監督による『三里塚に生きる』が公開される。
2017年4月、『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ〜』を渋谷アップリンクにて公開。2017年9月、『三里塚に生きる』の姉妹編『三里塚のイカロス』をシアター・イメージフォーラムにて公開。
2018年1月、『三里塚のイカロス』が第72回毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞受賞。 -
> 埼玉県に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校を経て、
なんだ代島監督は花咲の先輩だったのかよw -
映画
パイナップル・ツアーズ(1992年) - 製作
アフガン 戦場の旅 記者たちは何を見たのか(2002年) - 特別協力
まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎(2011年) - 監督
オロ(2012年) - 編集・製作
三里塚に生きる(2014年) - 監督・編集・製作
まるでいつもの夜みたいに(2017年)-監督・撮影・編集・製作
三里塚のイカロス(2017年) - 監督・編集・製作[9]
きみが死んだあとで(2021年) - 監督・制作
ゲバルトの杜 〜彼は早稲田で死んだ〜(2024年5月 公開予定) - 監督 -
映画ゲバ杜は、それがとてもテレビ的な構図に展開だなとは思ったが、
映画的なシークエンスの連なりは感じなかったんだよね。
だから全体としては退屈な時間性の映画だったし
あの映画を他者に向けて開くというのは難しいだろうと思った。
つまり、ゲバ杜は話題にはなっても、あれだとヒットは無理だろうと考えた。
新左翼マニアの人や事情通が見たら飽きはなかっただろうが、
普通の人が見てもあの映画に内在するということはないだろう。
そんな風に考えましたが。。。… -
特に、テレビ的なドラマ仕立てで安っぽい、
というか、安上がりのセットでも工夫すれば
そこにあった特異な空間性を再現できたはずなのだが、
そういう安っぽいドラマ仕立てで収まってしまったのは、
やっぱり再現ドラマのパートですね。
早大文学部の校舎を実際に使って撮影してるのだろうが。
テレビなら有りがちな再現ドラマだったが
映画ならもっと創意工夫で特異な空間性を作れる可能性は
あったのではないか?と。。。 -
それは決して、セットの安上っぽさや予算の問題ではない。
映画的特異の空間性を実現することは。 -
◯ → セットの安っぽさや
-
代島の映画の欠点は、学生左翼運動の中に潜む差別問題への視点のどうしようもない希薄さではないか?
元々が、内ゲバが激化して行ったことについては、被差別部落出身の学生たちにも大きな責任があるんだよ。
彼らは頭脳明晰で勇敢な戦士だったが、内ゲバ闘争の主力も担っていた。
確かではないが、差別撤廃運動をやらなかった革マルにも多くの被差別部落出身者がいたろう。
川口君殺害犯の一人とされる辻の苗字もかなり微妙なことに気付いてる者も多いだろう。
差別問題について言及を避けてきた革マルや黒田寛一の責任が大きいことは言うまでもないんだよ。
内田樹の賞賛は間抜けの一語。
新左翼学生運動の中の差別問題に言及する映画でなければ意味がない。
それに荒井晴彦が応えるというなら応援者は増えるはず。 -
ぶっちゃけいえば拷問シーンが下手だということでしょう
-
若松プロのファンということで有名なのは、宮台真司
-
たかが一映画如きにパレスチナ連帯と同じくらいアツくなれる花咲はすごいねやっぱり
-
柄谷行人の大嫌いな中核派と赤軍派がスガ秀実らのバックにいるということは、
この映画への批判や糾弾はスガや花咲らの柄谷との絶縁宣言にもなってる。
柄谷としてはかつて可愛がってたこともある?スガに背かれたのも時の流れか勢いなのか、
という気もする。
バーグルエン賞の賞金の一部でも残ってれば、革マルにでも流れてる可能性も。
我々は所詮は部外者。 -
拷問シーンといえば上手いのはやっぱりタランティーノ?
-
このスレにいる人はleft aloneは観たの
-
LEFT ALONEは、ジャーナリズム的な意味では資料の宝庫だけど、
映画としての評価はちょっと点数がつかないんじゃないかな。 -
その点ドキュメンタリー映画の技術としては原一男が断然上だね。
-
今、レフト・アローンのサイトでストーリー1,2を見てきたが、個人的には特に驚くことも無かった。
題名的に、時代に取り残されたとか、
置いてきぼりを食らった孤独な運動家としてスガ秀実が捉えられてるように感じた。
置いてきぼりと言えば、
花田清輝的には謀反の謀議が発覚して平清盛の為に南方の遠い鬼界が島に島流しに遭った俊寛を思い浮かべるが、
同時に島流しに遭った他二人は後に無邪気な祈願によって許されて都に帰還するが、
俊寛は許されないことや娘の手紙に絶望し自害する。
そもそも、俊寛の転落は女色におぼれて反乱側に引き込まれたのが原因だったが、そういう性格の弱さや、
安っぽいかもしれないが権力者を喜ばせるかもしれない行為に加担しない俊寛の臆病さや偏屈なプライドには可愛げが無い。
俊寛の遺骨が都に持ち帰られる。
俊寛のそういう宿命的な置いてきぼりが、映画監督のスガ秀実への関心になっている。
俊寛は左翼に対する皮肉のモデルとしてよく使われたこともあったが、「レフトアローン」は俊寛再見という気がする。
つまり、この映画は俺的には俊寛=スガ秀実だが、今のスガは違うんだろう。
やっぱり、新左翼運動の総括なら、関西や関東で関西ブント、革労協、中核派らの残党とかに取材しないと成立しないと思う。
スガや柄谷、津村らよりずっと鋭い人が一杯いる。 -
いやあの映画が計らずも示してしまっていることは、
このひとには(絓秀実)本当のところ、
革命も左翼にも動機が何もない、ということなんではないの? -
つまり外山恒一と同じということ
-
動機が何もないから逆にラディカルだと考えるのか、
あるいは常識的に考えて、
革命運動に動機がないというのはやっぱり疚しい、と考えるのか? -
あえて絓秀実の動機ということで言えば、それは小ブル型の権力志向
ということしかないでしょう? -
浅田は上越出身で学習院中退のこのひとのこと土人あつかいしてないの?
-
浅田だったら内面では土人階級に対する秘かな憧れもあるんでしょう。
-
浅田は血筋的には関西ブントが似合いなんだろうが、運動の当事者ではない。
浅田が運動をやってれば、普通は関西ブントから赤軍派に行ってたろう。
浅田は生れ的に下層だから、「土人」を罵倒語として使えた。
スガが中核派や赤軍派のシンパと一緒になって、「ゲバルトの杜」を糾弾していることは柄谷の権威の崩壊を意味してる。
荒井晴彦や井土紀州とか、スガに関係した映画監督は中上健次の「枯れ木灘シリーズ」や「千年の愉楽」をリメイクした
ような作品ばかりだな。
こういう傾向も見通しは明るくないだろ。取り敢えずは終わってるんじゃ?
井土紀州が脚本を書いた「溺れるナイフ」という題名はポランスキー「水の中のナイフ」を動的な実態で変えただけだが、
中身は中上健次の「枯れ木灘」のリメイク。
沈滞したセッティングの中にふらりと現れたヒッチハイカーや移住者はやはり、沈滞を止められない。
「レフトアローン」はスガへの揶揄混じりの同情という感じだが、置いてきぼりにされて立ち直れないのは
井土紀州監督自身だろう。
我々が期待する映画監督は荒井や井土ではないだろう。
もうすぐ出てくる気はするが。 -
なんでも部落くんはどこで部落に対するロマンを養ったんだい?
-
>>739
中上の文学や若松孝二グループ、井土紀州らの作品を見れば一目瞭然だろう。
君はどこでも目隠しされて来たのかい?
あるいは君は目開きメクラなのかい?
或いは文学を読んでも分からないとか?
少なくとも、浅田や柄谷を含めた彼らの文学や映画が部落問題と深い関りを持って来たことは重い事実だ。
君が柄谷モドキなら、正直に認めたらどうだ。 -
そうやって部落という存在を非現実的な程大きく考えようとする態度がロマン主義だと言っているんだよ
あんた、サンカも好きだろ -
絓スレらしいと言えばらしいが
-
何で俺が柄谷信者なんだよw
柄谷の非常民に対する憧れはあんたに似ていると思う -
>>744
俺は738で将来性の無さを言ってる。 -
君らには読解力も、普通の勘もない。
-
新左翼の非知性主義は柄谷や浅田が良く口にするところではあったが、スガスレも非知性的なところは同様。
-
君らの読解力ではすべてのテキストが絶望的に読めない。
-
こんな馬鹿阿保ばかり引き連れてスガ秀実は何をやろうというのか。
-
そういう「特殊」なものへの憧れというのが例えばアイデンティティポリティクスを推し進める力になっているとまだ分からないのかあんたはw
ポモはその意図に反して結果的に(ネオ)リベラリズムの正当化に一役買ったんだよw
あんたみたいな態度が許されていたのは精々2010年辺りまでだ
鈍いのはどっちだよw -
スガのゲバ杜闘争(笑)だってある種のアイデンティティ政治じゃないのか
-
すがちんは自分のルサンチマンだらけの青春を
大勢の人を動員して肯定することに成功したね
おめでとう! -
絓秀実 逆から読んだら みでひがす
-
>>751
>>そういう「特殊」なものへの憧れというのが例えばアイデンティティポリティクスを推し進める力になっているとまだ分からないのかあんたはw
738をまともに読めば、特殊なものへの憧れなど全くないことが分かるはずだが。
お前は俺と同じ地元の共産党のゴミだろ。
お前と俺ではレベルが10段違う。
俺を地元の共産党がストーカーしてるが、俺の地元の共産党のゴミには俺は一切興味ない。
それだけ、レベルが違う。
共産党には全国的に優秀な人は入ってこない。ゴミしか残らない。ゴミの集積が共産党だ。
それは宮本顕治が文芸評論の懸賞論文に応募し出した時から始まった。 -
私をパネラーに推して下さった絓秀実さんから伺ったところでは、
”この映画は「リベラル左派」あるいは「何となくリベラル」と、
「われわれ少数派」を分ける決定的な試金石と確信して”いるとのことです。
このあたりに関心のある方も是非ご来場下さい。無料です。
大野左紀子
@anatatachi_ohno
13:52 -
それはね。あんたたちの物言いをそのまま引っ繰り返して使って
「われわれ絶対馬鹿」
という種族の登場を意味してるのよ。 (新土人主義) -
われわれ少数派www
絓一味は中学生の集まりなのか? -
リベラルの欠点は、紀元前5世紀のギリシャとペルシアの戦争で
デモクラットのギリシャが内部の裏切りの連続でペルシアに負け、
愛国のギリシアがペルシアに勝利したように、デモクラットの弱みは裏切りなんだよ。
左翼の転向=裏切りに対して、映画監督・若松孝二はヤクザのケジメや仁義を対比した。
浅田彰も同じ磯崎新陣営内の建築家の裏切りに対して仁義を持ちだして脅かしたところは
さすがに関西ブントの血は争えない。
デモクラットは裏切るから、現代の日本でも人気がない。
それはスガ秀実にも切実な問題なんだよ。 -
けっきょくスガの本質というのもまた、我々団だったんだなw
-
どうせ大野という女は、スガが最後にやれそうな女リストに前から入っていたのではないか
-
>>751
> そういう「特殊」なものへの憧れというのが例えばアイデンティティポリティクスを推し進める力になっているとまだ分からないのかあんたはw
> ポモはその意図に反して結果的に(ネオ)リベラリズムの正当化に一役買ったんだよw
> あんたみたいな態度が許されていたのは精々2010年辺りまでだ
> 鈍いのはどっちだよw
今回一連の流れで、特殊なものへの同一化への憧憬、欲望によって
自らの行動がずっと起動してることが分かるのは、
やっぱり花咲なんだろうと思うわけだ。
花咲は最終的な自分のアイデンティティ、
これまでバカ田大学という甘ったれた世間離れした
腐敗した土壌の上で培ってきた自らのアイデンティティ
=ナルシズムに死守する方針で出てきた。
結局、動機の構造として、特殊なものへの同一化することができると
信じてるナルシズムを根拠にして行動してきた、
花咲よりは少々哲学の事情通といえる絓秀実にとっても、
やっぱり構造が同じものです。 -
特殊なものへの同一化ができると信じていて
(それはネグリ&ハートの概念でいえば「emancipation」だが)
そういう自分の幻影にしがみついて生きてきたという意味では、
外山恒一も同様。
だから彼等は「我々団」を名乗るのです。
(つまり我々団のナルシズム的幻想性に結束性) -
我々団=自分しか見えていない左翼性(右翼も?
つまり共に政治性を意味するが)のこと。 -
emancipation と liberation の違い (ネグリ&ハート)
-
若松プロ的なもののアイデンティティが今問われています。
-
>>762
> 結局、動機の構造として、特殊なものへの同一化することができると
> 信じてるナルシズムを根拠にして行動してきた、
> 花咲よりは少々哲学の事情通といえる絓秀実にとっても、
つまり、
「LEFT ALONE」の不可能性。 -
絓は書いてることと比べて実際にやってることがしょぼ過ぎてなあ
早稲田とか果てしなくどーでもいいw -
アイデンテティ・ポリティクスを巡る
emancipationとliberationの違い
emancipation= アイデンテティへの同一化しようとする政治
民族主義やセクト主義、学歴主義から地域主義、全体主義に統一主義、
その他アイデンティティについての原初的かつ幼児的に発生する
憧憬の欲望が、これに当たる欲望である。
それに対して、
liberation= アイデンテティから自由になる政治
leiberationにおいてアイデンティティとは単なる手段に過ぎない。
いつでも脱ぎ捨てられることが可能な軽い実体になると同時に
アイデンティティ自体の存在とは、その複数性に於いて必ず肯定されるようになる。
決して一者主義や全体主義、カリスマ支配には至らない。
(ネグリ&ハートの「コモンウェルス」より) -
スガとか花咲、そして外山の示している解放への欲求とは、
これの前者、emancipationとしての
強烈な自己自身への同一化への願望に過ぎないんだよね。
これはまだ非常に未熟な政治的コミュニズムの段階です。 -
絓の最後の仕事は革マル派批判、黒田批判の書になるんかな
あんま興味わかないが -
あらら、内弁慶のピエさん 今はこんなところで暴れてるんか
ベンケイガ、ギナタヲモッテ、サー -
〇ベンケイガナ、ギナタヲモッテサー、シコロシタトヨ
×ベンケイガ、ギナタヲモッテ、サー -
↑
全然意味わかんねえよwww
これもやっぱり亀田博がやってんのか? -
亀田博70歳ますます意味不明中
-
ゲバ杜粉砕!
-
亀田さんって、立派なひとじゃないの?
少なくともピエールよりは
アナーキズム図書館作るというし、統一救対の事務局長年やっている
ひとでしょ?
それにくらべてピエールは? -
個人投資家
-
別に大臣やってようと社長やってようと
内面覗いて見たらトンデモな人はいるわけであって
肩書なんだからマシだろうとかアリバイになるだろうとか
そんな話してもしょうもない。
このスレでの問題は、何か文句があるなら
中味のあることを書いてきてくださいということ。 -
本当に話しててバカバカしくなるのは、
あの人は大学教授なんだから偉いに違いないとか
何冊本を出してる人なんだから増しであるに違いないとか
そんな風に決めてかかってきて
せっかくの論争を台無しにしてしまう人が
左翼や哲学の空間でも多すぎるということだよ。
スガが文芸評論家なれたとか大学教授にもなれたとか
誰某はなれてないだろうとか、そんな偶然性や籤引きみたいな
勝ち負けの話に還元して、話の矛先を折ってしまうような奴が
一番馬鹿馬鹿しいんだよ。
要するにそういうこと言う奴は、いつもそういう
物事の表面においてしか物が見れてないのだろうとしか言いようがない。
外見や肩書で勝ち負けを決めるというなら、そんなの社会の無情な
運であり骰子の問題だとしか言いようがない。
どこに目が付いてるんだ?ということだな。
とにかく論争になっていることの内容で物を言えよ。 -
> スガが文芸評論家なれたとか大学教授にもなれたとか
> 誰某はなれてないだろうとか、そんな偶然性や籤引きみたいな
つまり彼がそんな風になれたというのは、どれだけ汚いことをやってきて
キモい業界の中で成り上がれたのか、事実はそういう中味にしか過ぎないんだよ。
同様、救援班やろうと図書館作ろうと、その他何をやろうと
亀田博はやっぱり亀田博である。
だった。 -
> つまり彼がそんな風になれたというのは、どれだけ汚いことをやってきて
> キモい業界の中で成り上がれたのか、事実はそういう中味にしか過ぎないんだよ。
そして論争というのはそれが真に行われるときは、
必ずそういう時代的な表面からは引き剥がされて
普遍的な土俵の上で勝負が為されることになる。
また為されなければならないというルールがある。
しかし悲しいかな、哲学や左翼の舞台というのが
実際には最も権威の名前に弱くて、
脆弱な精神によって生き永らえてる世界である。
だから何処であろうと論争が起こる場所なら
常に日々の抵抗あるのみである。
匿名掲示板だろうと5ちゃんねるだろうと
あかねだろうとバカ田の杜だろうと、
みんな同じこと。 -
はい乙
それで一番内容のないのがピエール -
↑
だったらもうオマエが突っ込む必要はないからw
オマエがここに来なければ収まる問題だということ。
あんたに書く資格なしだよ。 -
馬鹿が居着いて延々荒らしてるな
-
絓スレが現在の体制になって数えてこれが7つ目のスレですよ。
2001年の春くらいだったかな。
新規に絓のスレが始動したのは。
それをここまで引っ張って来れたのは
今まで三年間ほど、内容あってのことですから。
そうじゃなかったらここまで絓ネタで引っ張ってくるのは、
無理ですw -
◯→ 2021年の春くらい
-
殺し合いと簡単に一緒にするなよ
アホか -
いやこういうものは単なる言葉尻から最初に始まるんだよw
-
絓マル派の誕生か!?
-
あー、それ!
絓新党(構想)の名前は、「スガマル」がいいねw
それで決まりかな? -
スガマル結党第一回集会
7月6日新宿角筈地域センターレクホールへ GOです!! -
革マル派から絓マル派の時代へ
-
ちょうど、こぶし書房も廃業宣言したところだし、
入れ替わりにはもってこいのタイミングだ。 -
廃業の知らせ
有限会社こぶし書房は、1959年の創業以来65年(法人化以来55年)にわたり、
読者の皆様、著者・執筆者の皆様にご愛顧いただいてまいりましたが、諸般の事情により、
2024年6月末日をもちまして廃業することになりました。
これまでご支援ご芳情を賜りました皆様に深く御礼申し上げます。
弊社の刊行物につきましては、一部ネット書店にあるもの以外は、弊社に在庫はありません。
弊社に直接ご注文いただきましても販売することはできません。あしからずご諒解ください。
有限会社こぶし書房 -
樋田や代島を批判するのはいいとしてこんなのが出てくる余地がないくらい検証してなかった怠慢を恥じることも必要なんでは
なんかちょっと滑稽ではある -
絓マル初動からダメすぎです
-
癲癇左翼老人日記の連載をお願いしたい
-
三月十九日(土)
〔…〕三時過ぎ、東京堂書店ふくろう店で店員さんに仕入れた古本の値段を記入して
もらっている間に、『サイゾー』の最新号を立ち読み。各界の噂やゴシップの特集だが、
文壇関係の噂の情報精度の低さに驚く。
新宿の文壇バー「風花」の敷居が高いなんて知ったかをこいていて、しかも、
その「風花」で絓秀実と佐藤正午が殴り合いのケンカをしたんだって。長崎在住の
佐藤正午がわざわざ上京して、わざわざ夜の新宿にやって来て、わざわざ「風花」
に顔を出すわけはないよ(佐藤さんのエッセイ──実は私は愛読者──を一篇でも
読んでみな)。
「風花」で絓さんとケンカしたのは佐藤は佐藤でも佐藤洋二郎の方だよ。それに、
さらに正確に言えば、絓さんは〝非武装攻撃〟の人だから、「殴り合い」ではなくて
一方的に殴られただけ。 -
佐藤洋次郎の正しい暴力
-
福田 直接的コミュニケーションね──「風花」でも、一時はよく作家とか編集者が
直接的に殴りあってました。
坪内 たいてい絓秀実すがひでみさんが流血してる。絓さんって、本人は殴らない
んだよ。殴られるまで、とにかく怒らせるの。
福田 ワタクシが最初に「風花」に行ったとき、絓さん、山崎行太郎に殴られてたもん。
坪内 絓さんが殴られるじゃない、それで血だらけになるじゃない。するとね、
なぜかいつも島田雅彦さんが居合わせて、その血をハンカチで拭いてあげるの。
「島田さん、いつも大変だね」って言ったら、「僕は風花のナイチンゲールです」って。
福田 わははは。
坪内 「風花のナイチンゲール」と言ったよ。 -
なんでこんな人が今頃になってから、内ゲバと革命的暴力の語り部やってるの?w
-
非武装攻撃のナルシシズム
-
それってマゾヒズムじゃねえ?
-
革命のマゾ男秀実です。
-
ピエさん、こんなスレを長々続ける意味何もないと思うぞ
それも匿名でさ
せめて自分はコテハンでやれよ、ピエールでもピエマルでもクリハラでもいいから
その方が、抵抗の精神が鮮明になるよ -
まだ亀マルの亀虫=風船デブのゴロゴロがこのスレには出没してるの?
-
> こんなスレを長々続ける意味何もないと思うぞ
悪いけど、
このスレはどう見ても5ちゃんねるに於ける最強スレであって
数多あるスレ数の中でも断トツの面白さを誇ってるスレだよw -
時々、亀マル派なんていうとんでもないキワモノ蟲が、
死角から視界に登場してくるしな。 -
「すがちゃんねる」とは5ちゃんねる史上最も存在意義のある輝かしいスレの誕生です。
実際現在の文壇政治とはここから変わっていたのです。
(それが見えてない奴はただの馬鹿) -
風船デブの後期オタク七〇歳は、早く自分のガリ版新聞にだけ専念しなさい!
-
亀田はあのガリ版新聞出してて一体何の意味があるんだよ?
まずは自分でそこから説明すべきだろw -
なんでインターネットの時代にも敢えてガリ版の新聞出す必要があるの?
まずは一般人読者にとって、そこのところが摩訶不思議だろ? -
ピエはすぐに血圧上がって、譫妄状態に入るんだなwww
-
月刊情報紙「アナキズム」第38号(月刊情報紙「アナキズム」誌編集委員会)
残り1点
¥300 税込
¥5,000以上の購入で送料無料
送料についてはこちら
カートに入れる
お気に入りに追加
https://acclaim-coll...6b05ce75b2003651780a -
今どきのガリ版新聞も不思議だが、
しかもこの紙に料金三〇〇円とう意味がまたわかりません(送料別)
おまえ本当にアナキズムの革命目指してるならこの新聞は
フリーペーパーで本来無料で配るべきものだろう?
どういうことなんだ?w -
しかも寄稿者が、
究極Q太郎に、酒井隆史に、森元斎、栗原康、…
と惨惨たる面々ww
亀マルがよいしょ頭下げて一生懸命先生に護摩擦ってる姿が
もう目に見えるようだぞ。 -
教えてやろう。
カメマル編集長の
(といっても一人で自演してる新聞にしか見えないのだがw)
ガリ版新聞「アナキズム」には
(不定期刊?あるいは季刊なの?)
匿名掲示板のちょっとしたスレほどの情報量も入ってません。
匿名掲示板で探したほうがまだ意味のある情報を拾えますから。 -
カルメン・マキや!
-
>月刊情報紙「アナキズム」
月刊だった!
ショックだ -
ピエマルというのはピエさんの革マル好きから付けられた名前で妥当でしょうが
亀田さんはアナーキストで反革マルですから亀マルというのは失当で
亀アナが良いですね -
> ピエマルというのはピエさんの革マル好きから付けられた名前で妥当でしょうが
ハイ、完全に間違い。
ピエさんなら亀田の数十倍くらい革マル派のことを
諸々の成り行きから憎んでるよ。
亀田博というのは、本人これだけフザケた文章しか書けない
下らない人間なのに、いい加減
ここ絓スレでフザケた真似をするのをやめろ。
さもないと本当に痛い目に遭うのは亀田博本人だぞ。 -
しかし本当に、
なんでこんな発達障害の大人みたいな七〇歳の親父が
あかねのスタッフには紛れ込んでたのか?
まーそれは、だめ連だから宿命的にしょうがなかったのか。
亀田にはたしか娘もいたはずだが。
娘ももう結婚してておかしくない年頃なんだろう。
今回スガ事件の副産物として、脇役みたいに今まで
あかねや早大ノンセクト界隈の横にいた亀田博という
人物の実態についてたっぷり堪能させてもらったが。
まー吃驚とはいえ、左翼、そして早大ノンセクトが
招き寄せた人間像としては、まーこんな人物がいても
しょうがないのかな、、、という感じだな。 -
坪内 「風花」に行くと絓秀実すがひでみさんがよくいるじゃない。そうすると
かならず血の雨が降るというね。俺がすごく好きなのは、絓さんは言うことは言うわけ。
でも、絶対に手は出さないんだよね。なんて言うんだろう
「非武装攻撃」とでも言うのかな(笑)。
佐伯 そうなんだ(笑)。僕は居合わせたことはないけれど、情景は浮かぶな。
坪内 あれは好きだったよ。武装してないのに、攻撃するというね。
やられちゃうに決まってるのに。しかも、けんかになるときにかぎって、
なぜか島田さんがいてね。血だらけになっているのを拭ふいてあげているという。
佐伯 本人曰いわく「僕は『風花』のナイチンゲールだから」と(笑)。 -
新党絓マル派の場合
大野佐紀子の役割が、股間のナイチンゲールかよ? -
福田和也「罰あたりパラダイスVOL.115/
文壇の猛者たちが激闘を繰り広げてきた文壇バー『風花』二十周年パーティの夜」
(『SPA!』2000年5月31日号、『罰あたりパラダイス 完全版』)
舞台では、山田詠美さんが挨拶している。
「私は前に新宿でバイトをしていて、新宿っていっても別にそんなに怖い事はない、
って思っていたんですが、『風花』に連れて来られて、やっぱり新宿って治安が悪いんだぁ、
と思いました。」
実際、『風花』は治安が悪い。オレが最初に『風花』に来たのは、九年前、
『三田文学』の先輩の山崎行太郎さんに連れられてのことだった。その日いきなり、
山崎さんと絓秀実さんが殴り合いのケンカになった。
その後も絓秀実さんが柳美里さんに殴られたり、
絓さんが某作家に殴られて大ケガをしたり······。
「それじゃあ、絓さんばっかりが殴られているみたいじゃないですか。」
「その辺が、絓さんの気高いところでね、やたらカラムけれど
物理的攻撃にはからきしというところが素晴らしい。」 -
そんな絓秀実が何故いま、2024年に、
自らを「革命的暴力」のシニフィアンとして
屹立せんとしているのか?
(股間を?) -
その「股間を」というのは、
あながち間違った解釈ではない。
何故なら、赤軍派的なものの存在論から若松プロ的なものの系譜に至るまで
暴力のおメージが何らかの形で、男根性、男根主義に重なり合うことが
そこに享楽のイメージと実質を与えてきた。。。
そういうファルス的な機能として、暴力のイメージとは、
引き受けられていただあけだからだ。。。。 -
恐怖政治=ジャコバン派的なものの起源ですね。
-
> 童貞
◯→ 包茎 -
ジャコバン派というのは元々その歴史の最初から性的な意味付与だったわけでしょう。
(フランス革命当時) -
7月6日のシンポで、絓と花咲が日本の左翼に取り戻したいと考えてるのは
このジャコバン主義の形象のことに他ならない。
そしてジャコバン主義の亡霊といえるものが、
若松プロが、日本赤軍の崩壊の後も作り続けた一連の映画です。
80年代以降の若松プロだね。 -
そしてその正体の方を最初から種明かしすれば、、、
ジャコバン主義なんていうものは、その男根性にしても
逆にその女陰性にしても、
実態は、正体は、実に下らない、
間抜けなものの事実だということです。
(即ち絓的なキッチュ、此れ見よがし) -
若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年〈昭和11年〉4月1日 - 2012年
〈平成24年〉10月17日)は、日本の映画監督・映画プロデューサー・
脚本家。宮城県出身。本名は伊藤孝(いとう たかし)。
宮城県遠田郡涌谷町出身。父親は馬喰で獣医をしていたが大酒飲みで、
孝は幼いときからこの父に反抗しながら育った。農業高校二年時中退、家出し上京。
職人見習いや新聞配達、新宿安田組の大幹部だったヤクザ(荒木恷)の下働きなどを経験。
1957年、チンピラ同士のいざこざから逮捕され、半年間、拘置所に拘禁され
執行猶予付の判決を受ける。 (その時の経験により後に監督デビュー作の
『甘い罠』は“警官を殺すために映画監督になった”と豪語した通りに
警官殺しの映画になっている。)
その後、職を転々としテレビ映画の助監督になる。弟子の井上淳一は「
私の師匠若松孝二は若い時、新宿の安田組にいて、撮影現場の交通整理をしていて
助監督になった人です」と述べている。 -
ある現場でシナリオの改変に腹を立ててプロデューサーを殴り、その場でクビになる。
その後ピンク映画の企画が巡って来た事が転機となり、1963年にピンク映画『甘い罠』
で映画監督としてデビュー。本作の制作にあたり、若松は自ら制作費の150万円を出して
撮影した。低予算ながらも圧倒的な迫力ある映像でピンク映画としては異例の集客力をみせた。
若松は「ピンク映画の黒澤明」などと形容されヒット作を量産する。若松孝二の映画作り
の原点は“怒り”であり反体制の視点から描く手法は当時の若者たちから圧倒的に支持される。
1965年『壁の中の秘事』が日本映画製作者連盟推薦の大映作品などを差し置いて
ベルリン国際映画祭正式上映作品となり、評論家による「国辱」発言などもあって
センセーショナルな騒動となったことから、若松の名前はピンク映画業界を超えて
一般に広く知れ渡った。また、それ以降亡くなるまでスキャンダラスな作品を
エネルギッシュに次々と発表することとなる。 -
1965年「若松プロダクション」を創設、足立正生や大和屋竺などの人材が集まる。
作品は学生運動を行っていた若者たちなどから支持を受けたが、若松自身は
「学生運動を支持するために映画を作ったことはなかった」と語っている。
自分自身が面白いと思った映画を撮っているとのこと。 -
ところが日本はさることながら、
実は西欧の左翼こそが、どうしてもこのジャコバン主義の影響は根強い。
ヨーロッパの左翼もアメリカの左翼も、グラスルーツ的な次元においてこそ
どうしてもジャコバン主義を手放さないから。
そういう傾向がありますね。
これはよく花咲が引用してる元の海外サイト。
作ってるのはアメリカでみたいでチョムスキーが推薦文を書いてます。
↓
https://jacobin.com/ -
大島渚「愛のコリーダ」のジャコバン主義性
-
ジャコバン主義とは、他者に対しては恐怖を与えるのと同時に、
その視線の中において、性的に屹立する。
政治の次元で出現したそういう性的形象。 -
ジャコバン派からボルシェビキへ
-
ジャコバンもそうだけど、
ジャコバン的なものはその後ヨーロッパの歴史で
弾圧の歴史も受けているわけであって、
今の左翼主義的な暴力の在り方と直接繋がっているのは、
レーニンの「国家と革命」でしょう。
人民の人民による武装する権利。 -
花咲がフランス人的なら絓はドイツ人的
-
暴力のキリスト-----絓秀実
-
イッサクはイギリス人
-
ピエールさんが革マル嫌いなんて初めて聞いたが、亀田さんを痛い目にあうぞなんて脅すのは
いかにも革マル好きらしいんじゃないの?
一知半解の若松プロ解説、下らん -
↑
だからそれがおまえの読解力なんだろうw
零点。
亀田博の事情についていえば今回よく分析できたから
それは後で話してやるよw -
ピエールは何人?
-
「痛い目に遭うぞ」というのは通常日常的な用法でも二つの意味に取れる。
1 物理的な意味で痛い目に遭うぞ
2 精神的な意味で痛い目に遭うぞ
この1と2の意味を混同させることによって非常に
詐欺師的なロジックの壁を作り出した人が実は最近いて
それが柄谷行人の「NAM原理」である。
柄谷行人の言動というのは、多くの部分において
あれは暴力だったのか?あるいは暴力的だったのかといえば、
デリダならあれは完全に暴力だったと言うだろう。
柄谷のロジックというのは、俺はまだ物理的な暴力は振るってないんだから
非暴力なんだよ、とうそぶくものである。
しかしその他言動的な策動のレベル、他社に対する脅迫性から
振る舞いのレベルでは完全に最初から暴力的だったもの。
これが柄谷的ななる言動のトリック。ある種の詐欺行為ですねw -
行人?
-
カラタニコウ人
テュルク系少数民族であろうか -
早稲田とかどうでもいいから早く党作って国家権力奪取してくれ
-
要するに、かつて若松プロが存在していたことの間接的な影響というのが
実は柄谷行人にまで及んでいたということでしょうw
柄谷自身は若松プロなんて最初から馬鹿にしていて
殆ど見たことないんだろうけどさ。 -
まー本当のところはそれを露骨に馬鹿にしていたのは、浅田彰w
-
ほんとうはにほんでかくめいなんておこせるなんてだれもおもっていないんだ
しんさよくのみんなもそろそろげんじつにめをむけるときなんだ -
股間がナイチンゲール
-
去勢されているのに滾る性欲がセクト主義を産む
-
68年文化なんて80年代で失笑の対象だったな
恥ずかしくなかったのはゴダールとヴェルヴェットアンダーグラウンドくらいかな -
処女ゲバゲバ
-
内田裕也&若松孝二
-
piesann
oie
ピエさんの知っている文壇ってどこにあるの?福田和也も坪内雄三もいない、柄谷後塵
ピエさんあなたの言う文壇はどこにあるm¥の?
ピエエささんあなたの憧れる文壇はどこにaruno
ピエさんの住むという文壇はどこにあるの? っここで暴れれば文壇も注目してくれるというんできmmita -
piesann
oie
ピエさんの知っている文壇ってどこにあるの?福田和也も坪内雄三もいない、柄谷後塵
ピエさんあなたの言う文壇はどこにあるm¥の?
ピエエささんあなたの憧れる文壇はどこにaruno
ピエさんの住むという文壇はどこにあるの? っここで暴れれば文壇も注目してくれるというんできmmita -
スレは貴重だからキレイに使いましょう
-
ピエさんの文壇は坂戸にあります。
-
坂戸文学の誕生
-
性と暴力
-
ジャン・ジュネ
-
泥棒日記
-
ジャコバン派(ジャコバンは、フランス語: Jacobins, IPA: [ʒakɔbɛ̃]; Club des Jacobins、
英語: Jacobins, Jacobin Club[3])とは、フランス革命期の政治結社である。
通称の由来はパリ・サントノレ通りのジャコバン修道院を本部としたことによるが、
正式名称は「憲法の友の会」(Société des Amis de la Constitution)、
「ジャコバン協会、自由と平等の友」
(Société des Jacobins, Amis de la Liberté et de l’Égalité)である。
内容は時期によって異なるが、マクシミリアン・ロベスピエールが中心となって
急進的な革命の推進を行った時期が有名。フランス革命を主導した主流で、
恐怖政治で活躍し、テルミドールのクーデター以降、一転、没落の道をたどる。
国民公会で左の席に座ったことから左翼の語源となり、恐怖政治
(仏: La Terreur、英: Reign of Terror)は、テロ、テロリズムの語源となった。 -
1795年、すべての政治クラブの活動が禁止されると、地方に存在していた
ジャコバン派の勢力も急速に衰退する。ただしナポレオンによる
ブリュメールのクーデター(1799年)時にはフランス全土におよそ一万人の
ジャコバン派とされる実勢力はあった。しかしナポレオン体制下でも引き続き弾圧を受け、
政治的勢力としての存在は消滅した。
ジャコバン派の思想そのものはバブーフら共産主義の先駆とされるネオ・ジャコバンや、
フランス7月革命、1848年革命などの19世紀の諸革命を通して受け継がれ、
共産主義思想やロシア革命に受け継がれるのであった。 -
ネオ・ジャコバン
恐怖政治的な革命独裁を信奉した一派で、ブランキ派や第一インターナショナルの
労働者らとともにパリ・コミューンの評議会を構成した。
後発の最も過激な平等主義者のグループ。あまりに極端な主張であるため、
一部でしか支持を得られず、また弾圧の対象でもあった。
私有財産の廃止を求めるなど、分配重視の初期社会主義的な主張をしていた。
共産主義のルーツとして知られ、フランソワ・ノエル・バブーフ、
国際的な職業革命家のフィリッポ・ブオナロッティなどがそのメンバーとして挙げられる。
革命中は勢力を誇ることはなかったが、むしろ革命後の19世紀の諸革命で
その思想を浸透させ、ジャコバン主義を共産主義へとつないだ。 -
日本の「ネオ・ジャコバン」といえるのが、
スガ、花咲、外山といったグループ形成ですね。 -
ネオナチならぬネオジャコバン
-
ネオ・ジャコバン・つばさの党
-
フランス革命から学ぶ
-
北朝鮮は未だにスターリン批判を認めていません。
-
スターリン批判を認めないというポイントにおいても、
それはやっぱりスガマル派と特徴が重なるねえ。。 -
彼らにとっては、スターリン批判を認めないという態度が、
去勢の否定、
去勢の拒否になってるんでしょう。 -
外山恒一のファシスト宣言もやっぱり去勢の拒否。
-
マルコム・マクラレンその可能性の中心
-
マルコム・マクラレンは確かに、絓秀実とスタイルが似ているかもねw
-
去勢を行う者が家畜が去勢を嫌がることを知らないとでも思っているのか
-
去勢する側が去勢から逃れようと家畜の鼻先が向かう方向も予想できないと絓らは本気で信じているのか
-
ピエマルことピエール栗原の母・笛子でございます。愚息がいつもご迷惑おかけして、
申し訳ございません。先日も、「母ちゃん、俺は文壇のフハイを告発する、裏の帝王なんだよ」と申しますので、
その文壇というのは何処にあるんだい、と聞きますと、「坂戸に風花というのがあって、そこが中心なんだけど
最近、鎌倉文壇というのも、亀という奴が中心に、うごめいていてね、俺を攻撃してくるんだ」と申しますので、おや、坂戸かい。それはお前の好きな
革マルの裏本部の近くじゃないかい、そこに任せておけばいいんじゃないのかい、とたしなめました。
しかし、愚息は母の忠告も聞き入れようとはせず、一心にスマホに向かって一日を過ごしております。(続く) -
カメマルの妨害工作は、革マル派よりも北朝鮮のウンコ入り風船よりも嫌らしい
というのがよく分かったよ。ww -
カメマルも昔は宮崎学のゴーストやって突破者書いたんだもんな。
小説書くくらい屁でもないんだろうw -
6月25日
樋田毅『彼は早稲田で死んだ』に書かれていない事、について今度書きます。
早稲田解放闘争の人脈で書かれていない人物が誰であるか、第五章で書かれていない事は何か。
前者は執行部の中の行動委員会・自衛武装派、後者が統一教会です。
私は執行部の名簿の所と行動委を「激しく非難」の所だけです。
私のその二箇所は書かざるを得なかったから書いていますが、私の2Tクラスの全学で
最初の声明文、あれは問われて大体こうだったと私が書いて送ったのですが私の名前はないです。
「九原則」を書いたのは私ですがそれも書かれていません。
『記者襲撃』では名指しこそしていませんが統一教会犯人説です。
統一教会犯人説の「可能性が高いなあと思わせるような叙述」(島薗進『状況』2023冬)
になっている。『彼は早稲田で死んだ』では右翼と暴力団だけですっぽりとそれが一切
書かれていない。川口君が統一教会系サークルに居た事もそれから離脱した事も書いてない。
だからこのままで統一教会の教科書です。
つまり統一教会に居た川口大三郎は極左の革マル派に殺されたんだと、
反共団体としては願ってもないプロパガンダ用テキストなのです。
文藝春秋が避けたかもしれません。統一教会の男は川口君のお墓参りの時に
お寺さんにもそれを配っていたそうです。
今度じっくりと書いてみます。これが私の違和感です。 -
河原省吾 Shogo Kawahara
@kawahara_shogo
統一教会のことが 殆ど出てこない
他方この本では 非暴力や寛容がテーマとなっている
その結果 統一教会が配れる本になっていることに 私は衝撃を受けた
樋田さんは予想しなかっただろうが
非暴力や寛容の精神によって ある種の 「脱色」や「聖化」 がなされ
統一教会が利用し易くなってしまった -
ここに来て変な説が出てきたな。
-
Y. Nozaki, Prof.(Development Studies): 野崎泰志
@yasushi61
6月25日
樋田毅『彼は早稲田で死んだ』に書かれていない事、について今度書きます。
早稲田解放闘争の人脈で書かれていない人物が誰であるか、
第五章で書かれていない事は何か。前者は執行部の中の行動委員会・自衛武装派、
後者が統一教会です。私は執行部の名簿の所と行動委を「激しく非難」の所だけです。 -
> Y. Nozaki, Prof.(Development Studies): 野崎泰志
> @yasushi61
こういう人のことを「陰謀論」というのではないの? -
> 河原省吾 Shogo Kawahara
> @kawahara_shogo
あとこういう人は、横から陰謀論に輪をかけるひと。 -
いよいよセクト主義の色合いが濃くなってきたな
-
ここまで大騒ぎするほど重大なことならさっさと早くに検証しとけよって話だよなあ
映画化される今まで何してたのっていう -
それでこの河原って野郎が7月6日には登壇するの?w
-
スガチンはなんでまた今さら早稲田の革マル支配なんて言い出したん?
何十年前からの話だっつうの -
河原者
-
マルコム・マクラレン= セックス・ピストルズをデビューさせたプロデューサー
-
河原省吾や野崎泰志らは民青―共産党なんだろ。
原理主義―統一教会とは、4‐50年もずっと昔から民青ー共産党は
激しく対立してたらしい。
昔、こっくりさんて流行ったろ、あれだ。
色んなサークルに入り込んでたらしい。
全部、ネットで調べたww -
統一はアメリカの後ろ盾があったからあらゆる大学にいた
というか、アメリカの対東アジア戦略群におけるハブになったから大学構内で彷徨いたりしていたわけだがw
元々は一介のプロテスタント系新宗教でしかなかった統一 -
原理研が強かったのは青山学院ですね。
あれは当局が自ら学生運動潰しのために招き入れたのではないか
と云われていた。 -
労働拒否から去勢拒否へ
-
7月6日の集会に共産党が参加したがってるのか。
何らかの形で7日の都知事選で小池百合子陣営にプレッシャーを掛けられる可能性を狙ってる?
スガや花咲がどれだけ目立てるのか、チャンスだな。 -
アキノリ将軍未満って、あかねで一回会って話したことあるんだけど、
今回の都知事選に出てるのかw
あいつはいったい何者なの? -
どうでもいい
外山と同じくらい、どうでもいい -
とにかく、一昔前は、
「非暴力攻撃の人」なんていうキャッチフレーズで
通っていた人物の絓秀実が、なんで今頃になってから
やっぱり自分は暴力が欲しいとか言い出したのか?
そこの矛盾点からまず、7月6日は突くべきだろう。 -
「REVOLUTION+1」の足立正生が監督を務める「逃走、貫徹!(仮題)」が
7月上旬にクランクイン。古舘寛治を主演に迎え、新左翼過激派集団である
東アジア反日武装戦線「さそり」の元メンバー・桐島聡の最期の4日間を描く。
桐島は1975年に連続企業爆破事件の被疑者として全国に指名手配されたが、
逃亡から約49年後の2024年1月25日に病院へ搬送され、4日後の1月29日に死去した。
死亡の直前、担当医師に本名である“桐島聡”として死にたいと語ったそうだが、
そこには多くの謎と、逃亡生活の終焉や自らの死を予感した決意が含まれていた
という。逃亡中は“内田洋”という偽名を使用し、地方都市で絶望的な孤独の中にいた
桐島。本作は、彼が逃亡生活に見出そうとしたものと向き合っていく。
撮影を担当するのは、足立と日本大学芸術学部映画学科からの学友で、多くの
テレビドキュメンタリーを手がけた山崎裕。さらにエグゼクティブプロデューサーとして、
ロフトグループの創業者である平野悠が参加している。足立の熱望によって古舘が
桐島役で出演したほか、5月に行われた2800人参加のオーディションから選ばれ
たキャストも出演する。
足立、古舘のコメントは以下に掲載している。 -
足立正生 コメント
警察による誤認手配に50年間追われ、辛苦の逃走を続けた青年・
桐島聡が獲得しようとしたものは何か。
彼の生き様は、地獄の沙汰では済まない残虐世界だったのか。
しかし、同時に、死の間際に「私はキリシマサトシだ!」と名乗り出て
表現し、獲得しようとしたものは何か。
それは、彼が生きた怨念となった「革命への確信」への証だったのだろう。
それらは、映画でしか描けない。
古舘寛治 コメント
ある日、足立さんと初めて会った。やるしかないと思った。
言葉にしがたい個人の魅力というのは人の動機付けになるんだなと驚いた。
お金が動機でないということは反資本主義的であろう。
この映画のスタートとしてまずは上々である。 -
女学生ゲリラ
-
週刊読書人2024年6月28日号
映画『ゲバルトの杜』対談批評(水谷保孝) -
北朝鮮のインターナショナルからロバート・ワイアットのインターナショナルへ
-
ピエマルことピエール栗原の母・笛子でございます。いつも愚息がご迷惑をおかけしております。
あれでも愚息は、子供のころは母親思いで、「母ちゃん、俺おおきくなったら革マルの政治組織局員になって
母ちゃんに楽させてやるんだ」というのが口癖でございました。でも、お前、POBってなかなか難しくて、勉強が大変だというよ、と申しますと
「俺は理論家肌だからね、すぐに出世してみせるよ」と意気軒高でございました。
御尊師様の御本はもちろんのこと、マルクス様、エンゲルス様、レーニン様、トロツキー様の御本を取り揃えては、ちゃぶ台に積み上げ、
時々ちゃぶ台返しを繰り返す日々が続きました。(続く) -
カメマル自称編集長全然おもしろくねえよww
どうしたんだ?
カメマルだって二十数年前は突破者のゴーストやって
ベストセラーなって柄谷の書評が朝日に出たんだろう -
具体的な内ゲバ行為、そして内ゲバセンスというのは
現在進行系でカメマルによって体現されてるパターンですよ。
内ゲバ的な暴力の本質、そしてパターンとは、
それが「他律的暴力」ということにあります。
(それに対して山上徹也のようなローンウルフ型、
単独性のテロリズムというのは、自律型の暴力です。
この場合は、山上個人の理論的な動機形成の能力の
レベルは問わない。
結果的に安倍晋三が暗殺のターゲットにされている
全体的な報復テロルの構図は、ほぼ妄想、狂人といえるレベルのもので
稚拙な設計図の書き方である。しかし、その行動の単独性と自律性においては
山上徹也には評価すべき側面もあるものだ。) -
そして、絓秀実型攻撃(暴力?)の特徴というのも
それが往々にして他律的な押し流されというのが、
かなり見え見えなんだよね。 -
つまり、周囲の顔色を伺いながらやってる暴力というタイプ、
つまりやってることの本質は「イジメ」というのが'正しいレベルねw
暴力行為における集弾性(他律性)と単独性(自律性)。
この辺も暴力行為の質を見分けるカテゴリーになります。 -
ピエさん乙www
相変わらず何が言いたいかサッパリわからないが
興奮しているのだけは伝わるよwwwwwwww -
↑
それはあんたが読解力ゼロ厨に近いのと、
自分の相手がこういう状態であって欲しいというのを
投影してるだけ。
興奮していたら普通論理的で自律的な文章は書けませんからw -
ガリ版刷りの料金300円なら
こんな頭で誰でも編集長を名乗っていいと思っていたら恐い。
世の中崩壊しますよw -
もうこれで日本のアナキズム業界は終わってるんとちゃうん?
-
いつ始まったというのか
-
亀田博自分探し系
-
本来「自分探し系」というのは資本主義社会の疎外されたイデオロギーであるはずのもので、
それはアイデンティティ獲得系の想像的自己、想像的社会像の持ち方である。
これは資本主義社会の方から投影されて強いられている個人的意識であることは
かならい明瞭に実証できるはずなのだが、
如何せん、一言で「アナキスト」というとき、
そこには広く大衆社会的な人間の想像性というのを含んでしまうことになる。
実際に政治的アナキズムが社会で流行るときには。
しかしもうこの段階では、アナキズムと云っても、思考における柔軟性としての
アナキズムなんていうものは、最早全く含まれていない、失われています。 -
思考における柔軟性として思考のアナーキーが最早欠如してる態としての
現実的に存在してるアナキズム。。。 -
それは要するに今までドゥルーズや、あるいは柄谷行人が表現してきた
思想としてのアナキズムにとっても盲点にあたるものである。
最早この現実に目の前にあるアナキズムと遭遇したとき、
思想としてのアナキズムは終わっています。
ドゥルーズだろうと柄谷だろうと、
やっぱりあれは嘘を言っていたのだということがわかります。 -
そもそもだからマルクス本人はアナキズムを嫌っていたわけでしょう?
-
アナキズムはいつでも死ぬし、
同様、コミュニズムもいつでも死ぬ。 -
今現在資本主義からの出口なんて一ミリもないことに腹括れない奴は薄ら馬鹿だよ
-
それでも自分がやってる行為の意味が、自分探し系とか、
言ってることは資本主義イデオロギーの単なる延長ではないか?
という疑問とか、そのくらいのことには簡単に気付けるはずでしょう?w -
少なくともネグリ&ハートとか読めばその程度のことは書いてあるわけよ。
-
そんなこと誰でもいっていることでしょ
ピエさんの独自性は、その出口を脳内5chの「永遠の今」に見出していることw
つまりピエマルということですね
自律的かもしれんが論理的では全くないわな
そこは亡きKKと同じ、陰謀論と誤爆の世界、草
はい、また興奮して書き込みの連投始まり始まり
誰か次のスレ用意してね -
だから亀やんには、その問題も含めて、幾つもの同様
基礎的なことの欠如が発見されうるんだよw
それはこのスレでも今まで繰り返し言っている。 -
要するにかつては存続してきた早大ノンセクトをどう捉えるのか?
という問題にもこれは繋がっていきますね。。。 -
ぶっちゃけ、平井玄の亀田博評とかは、どうなってるの?
-
>>945
> つまりピエマルということですね
> 自律的かもしれんが論理的では全くないわな
> そこは亡きKKと同じ、陰謀論と誤爆の世界、草
これ本気で言ってるレベルの読解力しかないなら、
「編集長」を名乗ってるのは、もうあらゆるレベルでヤバいよね。
それは個人の生活がヤバいというよりも
社会的な害悪となって溢れで出てくるのが怖い。
誰が亀やんを止めれるのか?
人間七〇超えてもまだ脳が変わりうるとか
そういうことは有り得るのか??? -
実際人間の脳とは百歳超えてもずっと細胞交代はしてるでしょう。
-
吉永剛志
@take4luckylong
6月21日
ルソーはそんなことまったく『社会契約論』で書いていない。
「内ゲバ」もそうだが、結局通俗的なイメージの追認。
ルソーについて書かれている王寺賢太『消え去る立法者』を読もう
>「何が全体の利益かを話し合うのが民主主義であり、
話し合いで決着がつかないなら多数決で決めろとルソーは書いている
沢辺均
@sawabekin
6月21日
ルソーがどう言ってるかは、別な問題としてあらためて議論するのがいいんじゃないかな?
「日本の左翼のように自分の意見が多数派の時は「これが民意だ」と
多数であることを誇り、自分の意見が少数派の時は「民主主義=多数決ではない」
と二枚舌を使うのは、単なる詐術だ」が妥当するか? 両立する? -
吉永剛志
@take4luckylong
6月21日
繰り返しますが下記こそ、「内ゲバ」、「ルソー」、「民主主義」と同じく、
通俗的なイメージですね。私はそんな「日本の左翼」なるものを見たことないですよ。 -
イメージがリアルだろうと通俗的だろうとどちらだろうと、
大学の教室内でリンチをやってる革マル派の行動が
絶対的に馬鹿だろう。
今問題になってるのはそういう問題です。 -
イメージがどんなにリアルだろうと通俗的だろうと
あるいは内在的になっていようと、
そこで人の生死が問題になってるときは、即刻行為をやめるべきだろう。
これは今問題になってるガザとイスラエルの止まらないゲバルトにおいても
やっぱり同じ話である。 -
早稲田の界隈で、今一番見落とされてる問題とは、
1972年当時の川口君事件の具体的な暴力自体は
最初から革命的でもなんでもなかった。
下らないイジメに類する暴力であったという話でしょw -
吉永剛志
@take4luckylong
6時間
今日は、新宿で、王寺賢太『消え去る立法者』読書会。わたしレジメ。
絓秀実主催の自主ゼミ。王寺さんも出席。いろいろ聞きたいことがあるので楽しみだ。 -
結局スガはまた、
今回7月6日シンポやることでさ、
左翼のまともな陣営からは自分が浮くだろうから、
アカデミズムのネックだけは、
前もってしっかり押さえておこう
と思ったんじゃねえの? -
それでもやっぱり自分は、暴力への権利=権力が欲しいと?
-
「雑の権力」
-
外山恒一がよくスガ秀実のことを日本一の文芸批評家と持ち上げるが、文壇に外部性をもたらすという意味で、
スガらの主催する集会に意味があるのではないか?
それは柄谷の主張するアソシエーションが内向きでしかなく、
柄谷周辺の文壇強化というような我田引水的だったのとは逆をスガは目指してると見える。
花咲の協力が大きいんだろうが。 -
それだけ日本の文壇というのは、障害者連中の集合体だということでしょう。
絓秀実レベルで優等生面して振る舞ってられるというのは。 -
大江健三郎みたいな最も実績持ってる者さえ、
あれだけ追い込まれてしまうというのは。
今は村上春樹がその同じ構造で挟まれているわけだが。 -
絓秀実よりも更に低い障害者が外山恒一
(純粋中卒者、高校中退歴5回?) -
> 高校中退歴5回?
まったく親には一体幾らの金を払わせていることやらw
とんだ穀潰し人生だよな。 -
しかしそういう息子の場合、産んで育てた親というのにも
大抵は責任があるのでは?
むしろ親が明らかに馬鹿だというケースは多い。
その逆に、親には余り責任がなく
ただ子供だけが不幸にもグレてしまったというケースも多いのだろうが。 -
ノンセクト・ラジカルには後者が多そうだ
なんだか、そういうある種の滑稽さがある -
7/6シンポが満席で受け付けを締め切ったらしいが、誰か申し込んだひと居る?
ピエさんは申し込んだんだろうか? -
あんたなんでそんなに気になるの?w
-
ピエさんギャラが物価高に乗じて高騰中
-
ヘルメットをかぶったピエに会いたい
もちろんZヘル -
spartacus
@accentdeverite
11時間
同時に、自分が関心を持ってきた50s-70sの学生運動の歴史には言及がほとんどないので、
あれは「大学の自治」とは似て非なる突然変異かもな、と自問したり。 -
いやむしろ今どきの新しく起こってきてる学生運動というのは
(学費値上反対を中心にして)
自分たちは参加的な意識をもって学生自治をしたいけど
しかしそれは68年的な昔の悲惨な学生運動と、
私達は絶対に一線を画すものだという意識があるんじゃないの。 -
例えば、「だめライフ研究会」の自然発生的な形、
自生的なブームとして数年前から顕著な現象は、
だめ連が昔やってた運動と出版されてる本を参照しながら
大学生が自らだめ連の生活スタイルというのを研究して
学び始めるということが起きてきた。
これはだめ連の当事者たちも吃驚した自然発生の現象だった
わけだが、しかし、彼らの話を改めて聞いてみると
政治的なだめ連というのは別で、大学生たちは
スローライフのまったりした生活の可能性ということで
だめ連を真似ているのだということが分かってきたわけだ。 -
だめ連は好きで憧れはあるけど、しかし私達は政治的なだめ連というのは
牽制したいです、という人たちが結局多いということなんだな。
昨今の、だめブームも。 -
だから68年的な学生政治のイメージに同様拒否の反応を持つというのは
むしろ健全なことなんでしょうw -
秀実、外山、花咲、、、、 こういう人達の正体は、むしろ病原菌。
-
柄谷、浅田、蓮實「ボキュ達も行くよ!」
ところで、鳴り物はなんかあるの?
バンドとか呼んでる?
呼ばなきゃダメだろ。 -
三宅:戦後民主主義
王寺:68年
二人で討論してほしい -
コンドームを被ってないお客は入室禁止です。(感染病防止のため)
-
学習院大学に関しては、
「全共闘時代は、早稲田大近いから革マル派だった〜」と絓秀実が
「対論1968」で語ってたけど、80年代以降はどうだったんだろ?
私も気になる。
倫敦症候群(8/14・寿町フリーコンサート)
@londonsyndrome1
12:33 -
それ、80年代以降は、何もない、無風というパターンw
東京でも多くの大学はそのように無風化しました。 -
ソラヒマさんのそら
-
自治会は革マルだったはず
早稲田以外にも東北大、奈良女、津田塾等当時の拠点校から人が来ていたはず -
大島渚の映画「日本春歌考」(1967年)では、
冒頭のシーンに、学習院大学の構内にあるモニュメントである
ピラミッドが出てくる。
絓秀実はこの映画見て学習院大に入りたいと思ったのかな? -
ピラ校はもうないよ
-
京都駅徒歩5分に広がる被差別部落「崇仁地区」はなぜ生まれたのか?
現地を巡りながらこの街が存在した経緯を徹底解説し、日本の闇を紐解きます。
日本創生TV
https://www.youtube..../watch?v=eE3gXAk1nvU -
キャピタル17万円とかそんなに暑いんだ
キシダジンクスが真実味を帯びる -
若者は興味持たれて2年連続スルーだよ
-
あれは軽い睡眠時無呼吸症候群についてもクレカ情報渡したくないわ
インタビューもあるけど
そりゃホモもいろんなタイプいてないの? -
色物職業ドラマ主演=王道ジャニーズ
-
旭川のZ世代ヤンキー女すげえよ、
橋から勝手に落ちた。
札幌の首拾った女も、すごすぎる。
北海道って何か病気抱えてる? -
映画『シャイニング』の妻ウェンディ役 シェリー・デュヴァル死去
2024/07/12 00:35掲載(Last Update:2024/07/12 02:16)
スタンリー・キューブリック監督のホラー映画『シャイニング』にて、
斧がドアを突き破り、恐怖におののく姿はあまりにも有名。
『シャイニング』では妻ウェンディ・トランスを演じた俳優のシェリー・デュヴァルが死去。
1989年からの生涯のパートナーであったダン・ギルロイがThe Hollywood Reporterに
語ったことによると、デュヴァルは7月11日、テキサス州ブランコの自宅で糖尿病の合併症
のため睡眠中に亡くなりました。Varietyも亡くなったことを確認しています。
75歳でした。 -
The Shining (1980) - Here's Johnny! Scene (7/7) | Movieclips
https://www.youtube..../watch?v=WDpipB4yehk -
坂戸市ってとってもシャイニング
-
ギガ返して
-
格差を早期段階で押し付ける事には弊害も多い
-
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 87日 14時間 49分 1秒 -
5ちゃんねるの運営はUPLIFT会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《UPLIFT会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
4 USD/mon. から匿名でご購入いただけます。
▼ UPLIFT会員登録はこちら ▼
https://uplift.5ch.net/
▼ UPLIFTログインはこちら ▼
https://uplift.5ch.net/login
↑今すぐ読める無料コミック大量配信中!↑