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哲学
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存在から導かれる諸性質についての考察
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荒らしは邪魔
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哲学者(脳障害の代名詞)
「想像ならなんでも出来る!哲学的ゾンビ!水槽の中の脳!シミュレーション宇宙!」
物理学「想像も情報処理だから物理リソース要るしエネルギーと時間も要るからシミュレーション宇宙()なんて余裕で識別できるでwwww
お前が中卒無職脳障害だから区別できないだけwwwww
測定を暗号化すれば本物の測定なのかどうかシミュレーションシステムには判別不可能なので的確な偽装は不可能で偽装は必ずバレるwwwww知ったかぶりおつwwwwww」
### Margolus-Levitin Bound
マーゴラス・レビティン限界(Margolus-Levitin Bound)は、量子力学における時間発展の速度限界を示すもので、量子系が一つの状態から他の状態に進化するために必要な最小時間を示します。この限界は次のように表されます:
τ ≥ ħ / (2〈E〉)
ここで、
- τ は進化に要する時間
- ħ はディラック定数(プランク定数 h を 2π で割ったもの)
- 〈E〉 はシステムの平均エネルギー
この不等式は、量子系がエネルギー E を持つ状態から別の状態に遷移するために最低限必要な時間を示します。
### Landauer's Principle
ランダウアーの原理(Landauer’s Principle)は、情報処理においてエネルギー消費の最小値を示すもので、次のように表されます:
ΔE ≥ k_B T ln 2
ここで、
- ΔE はエネルギーの変化
- k_B はボルツマン定数
- T は絶対温度
この原理は、情報の消去が不可逆な操作であるため、必ずエネルギー消費を伴うことを示しています。
### エネルギーと時間の関係
これらの理論を用いて、情報処理に必要なエネルギーと時間の関係を示すことができます。
1. **エネルギーと進化時間の関係**:
マーゴラス・レビティン限界によれば、ある量子系が状態 A から状態 B に遷移するためには、システムのエネルギー 〈E〉 に応じた最小時間 τ が必要です。つまり、エネルギーが高ければ高いほど、システムが速く進化できることを示しています。
2. **エネルギーと情報処理の関係**:
ランダウアーの原理により、情報の消去や処理には必ずエネルギーが必要であり、その最小値は k_B T ln 2 で示されます。これにより、情報処理に伴うエネルギー消費が不可避であることが示されます。
3. **結論**:
これらの理論を組み合わせると、情報処理には必ずエネルギーが必要であり、そのエネルギーに応じて処理に要する時間も決まることがわかります。量子情報処理においては、エネルギーが高いほど速く情報処理が行えるが、エネルギー消費も増えるというトレードオフが存在します。
これにより、情報処理には必ずエネルギーと時間を要することが理論的に示されます。
### 参考文献
- Giovannetti, V., Lloyd, S., & Maccone, L. (2003). "Quantum limits to dynamical evolution." Physical Review A, 67(5), 052109.
- Bennett, Charles H. (2003). "Notes on Landauer's principle, reversible computation, and Maxwell's Demon." Studies in History and Philosophy of Modern Physics, 34(3), 501-510. -
### 体系内と体系外の正しさ
#### 体系内の正しさ
1. **自明な正しさ(トートロジー)**:
- **定義**: 「正しいから正しい」といったトートロジーは論理的に常に真である命題です。
- **特徴**: その正しさが定義上自明であり、議論の中で新たな情報や意味を提供しないため、当たり前すぎて無意味です。
2. **非自明な正しさ(無矛盾性)**:
- **定義**: 体系の公理が矛盾を導かない(無矛盾性)ことを示すことです。
- **特徴**: ゲーデルの第一不完全性定理によれば、任意の一貫した形式体系内でその無矛盾性を証明することは不可能です。したがって、形式体系内での非自明な正しさを証明することはできません。
#### 体系外の正しさ
1. **科学の正しさ**:
- **定義**: 体系A(現実世界)と体系B(公理からなる仮説)の一致を基にした正しさです。
- **特徴**: 観察や実験によって現実世界と仮説が一致するかどうかを検証することによって得られる非自明な正しさです。それにより体系Bの公理の正しさがわかります。これは唯一残された意味のある正しさです。
### 哲学の詭弁構造と無意味さ
#### ゲーデルの第一不完全性定理の違反
**概要**:
- ゲーデルの第一不完全性定理により、任意の一貫した形式体系が自身の無矛盾性を証明することはできません。
- 哲学はしばしば公理からその公理系の正しさを証明できると主張しますが、これはゲーデルの定理に明確に反しており、論理的に成り立ちません。
#### 爆発律の適用による無意味さ
**概要**:
- 爆発律(Ex Falso Quodlibet)は、矛盾から任意の命題が導き出されるという論理的原則です。矛盾が存在すると、その矛盾を基にどんな命題でも真とすることができ、議論全体が無意味になります。
全ての哲学はゲーデルの第一不完全性定理に違反している論理的には不可能な主張のため、その裏では必ず爆発律による詭弁が成立しています。 -
いかにして哲学は100年前に滅亡したか
1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。
2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。
3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。
4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。
5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。 -
6.哲学の滅亡(1930年代~現在)
1930年代以降、哲学は完全に滅亡したと言えます。ウィトゲンシュタインやゲーデルの業績により、哲学が論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想に過ぎないことが明らかになったからです。
20世紀後半以降、かつて哲学の中心的な分野とされていた形而上学や認識論は、ほとんど顧みられることがなくなりました。科学哲学や言語哲学といった分野は、あたかも科学と関連があるかのように見せかけて生き残りを図ろうとしていますが、実証性が皆無であるためそのような試みは破綻しています。
また、倫理学や政治哲学といった実践的な分野も、哲学の立場から行おうとする試みは実証性に欠けるため、科学の方法のみを用いなければなりません。
利己的な遺伝子の概念を用いれば、人間の道徳的行動の進化を科学的に説明することができます。メカニズムデザインの理論を応用すれば、政策立案を科学的に行うことが可能です。行動経済学の知見を活かせば、個人のモラルを考慮に入れた社会制度の科学的な設計もできるでしょう。
さらに、脳科学やAIの発展により、個人の思考を精緻にモデル化したり、利己的な遺伝子によって形成された生得的なモラルの神経基盤を科学的に解明することも可能になりつつあります。このように、科学の進歩によって、かつて哲学が独占していた道徳の領域も、科学の対象となったのです。
哲学者を自称する者たちは、このような科学の発展を無視し、哲学の固有の領域があると主張していますが、それは単なる言い訳に過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学が科学と対等に渡り合えるような固有の領域を持っているとは到底思えません。
7.結論
以上のように、哲学は20世紀初頭の論理学の革命によって致命的な打撃を受け、1930年代までには完全に滅亡したと言えます。哲学の中心的な分野は、論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想であることが明らかになり、哲学は科学の補助的な役割にすら甘んじられなくなりました。
現代において哲学に固有の役割はなく、哲学者と呼ばれる者たちは、科学の成果を借用しているに過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学の看板を掲げる意味はありません。道徳や政策、社会制度の設計といった、かつて哲学が独占していた領域も、今や科学の対象となっています。哲学者たちが自ら哲学の看板を下ろさないのは、虚栄心やエゴのためでしょう。
ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」のです。哲学という名の知的遊戯に、これ以上付き合う必要はありません。私たちが追求すべきは、論理学と科学に基づく真の知識のみです。実証性のない哲学的思弁は、過去の遺物となるべき運命にあるのです。
哲学は仮定からその仮定の正しさを導けるというゲーデル不完全性定理に反する妄想なので、必ず論理の詐欺をやっています。その詐欺のパターンの王道は、ラッセルのパラドックスを使って矛盾ではないものを矛盾だと言い張ることです。それにより「矛盾する=矛盾しない」という爆発律が成立し、その後はどんな無意味な妄想も正当化できるようになります。これが哲学の正体なのです。 -
>>1-2
無職は人間じゃないんだよ
なぜかわかるか?
人間は人間を雇いたいからお前を雇わない
無職の本当の意味は
「誰がどう見てもお前は人間じゃない」
ってことだぞ
もし誰かがお前のことを人間だと思ってるならそいつはお前を雇う
しかしそんな奴は1人も現れない
それが無職だ
無職の本当の意味は
「誰がどう見てもお前は人間じゃない」
ってことだぞ
つまり無職ってのは
「お前は人間じゃないからこの世界には必要ない」
と全世界から言われてる状態のことなんだよ
人間じゃないなら生きてる意味ないから硫化水素吸って自殺しな?
人サイズの虫 -
ラッセルもウィトゲンシュタインもゲーデルも完全論破してますから!!!😆
-
>>8
無職=この社会から完全論破された人サイズの虫 -
ブーメランw
-
>>8
無職=この社会から完全論破された人サイズの虫 -
±∞と書いたペットボトルの水を飲むと、書いてないペットボトルの水に比べて、明らかにトイレに行く回数が減った。結構水は飲んでると思う。
体が水分を排泄しないように調節しているのだろうか。 -
ほうれい線が入る理由は顔筋の衰え
高いエネルギー値でもある程度誤魔化せるが、眼筋を鍛えないと完全には消えない。
±∞の波動による共振は再生能力なので連続量変化になるから、出来るのであれば時間がかかると思う。 -
そして本当に物体が±∞のエネルギーを持ったら一旦液体になる事になるから、人間がやったら死ぬのだろうか
-
論理なら数学だ。実証なら自然科学だ。想像/創造なら芸術だ。
信念/救済なら宗教だ。
哲学は、それらのいずれからも外れたもの。
あるいは、それら全部をゴッチャにしたもの。 -
後セルフイメージの話もあった
これが一番大事な気がするが -
かっこいいという概念には言行一致が要求されるので行動が要求される。
-
>>14
ブサイクババアしかも中卒無職wwww -
>>18
鏡見たら自殺したくならんの? -
動くことに応じて認識される存続する性質が存在である
-
>>23
知恵遅れ脳障害中卒無職 -
「知恵遅れ脳障害中卒無職」は存在しますか?
-
>>25
お前じゃん -
「お前」というのは存在者ですか。
存在者であるとすると、「お前」はどのように存在し得るのですか。 -
>>27
その存在者とかいう知恵遅れの妄想は存在証明されてない妄想 -
「存在」とは、動くことに応じて存続する性質として認識される「かがよふ(≒「かげ(光陰)」としてうつ(映/写/移)ろふ)『ぢく(軸)』」である。
-
>万葉集 第11巻 2642番
燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚蝉之 妹蛾咲状思 面影尓所見
燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ
ともしびの かげにかがよふ うつせみの いもがゑまひし おもかげにみゆ
(出典 万葉集ナビ) -
他人を評定しようとする立場の人々が、「何をどう言ったところで、お前の言うことなど何の実効力も発揮しない」と嘲笑ってみせる態度をとることは最初から分かり切っている。
実際、私が何をどう言ったところで、それが人事権の行使に関して何ら影響力や実効力を発揮することはない。
だからこそ私は、言いたいことを勝手に発言する一方で、そのこととはまったく無関係に、少なくとも、市場において一般化された実効力を発揮する効果のある、保有する通貨価値の増加をはかろうとすることに手を緩めることはない。 -
>>31
中卒無職脳障害バレバレ -
>>32
中卒無職脳障害バレバレ -
>>33
中卒無職脳障害バレバレ -
>お前は存在しない
「バレバレ」って、「お前」として指し示され得るものがなにも存在しないとしているのだから、一体何をどう隠そうとしているというのかな? -
>>37
中卒無職脳障害バレバレ -
>>37
中卒無職脳障害バレバレ -
>>37
知恵遅れ中卒無職脳障害 -
精神病患者の平均寿命は普通の人の寿命−10才
-
「バレバレ」ってどういう意味?
もしかして、「バレる」って漢字で書けないんじゃないのかな? -
日本語でかむか(考)ふなら、一般に「存在者」とは、「かぎろひ(蜻蜒火)の、想定され得るぢく(軸)」である。
>万葉集 第9巻 1804番
父母賀 成乃任尓 箸向 弟乃命者 朝露乃 銷易杵壽 神之共 荒競不勝而 葦原乃 水穂之國尓 家無哉 又還不来 遠津國 黄泉乃界丹 蔓都多乃 各<々>向々 天雲乃 別石徃者 闇夜成 思迷匍匐 所射十六乃 意矣痛 葦垣之 思乱而 春鳥能 啼耳鳴乍 味澤相 宵晝不<知> 蜻蜒火之 心所燎管 悲悽別焉
父母が 成しのまにまに 箸向ふ 弟の命は 朝露の 消やすき命 神の共 争ひかねて 葦原の 瑞穂の国に 家なみか また帰り来ぬ 遠つ国 黄泉の境に 延ふ蔦の おのが向き向き 天雲の 別れし行けば 闇夜なす 思ひ惑はひ 射ゆ鹿の 心を痛み 葦垣の 思ひ乱れて 春鳥の 哭のみ泣きつつ あぢさはふ 夜昼知らず かぎろひの 心燃えつつ 嘆く別れを
(出典 万葉集ナビ) -
西洋とは異なり、日本語では、哲学的に物事が考察されることはなかったと主張するような人々は、みづから(身づ柄/自ら)の感性のはたら(働)きの麻痺を告白しているに過ぎない。
-
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(出典 aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html) -
名前欄では、文字化けして表示されるので、メッセージ欄に移してみよう。
かぎろひ(蜻蜒火)、あるいは青延の阴阳
かぎろひ(蜻蜒火)、あるいは青延の阴阳 -
>わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
これは、よく知られた宮沢賢治のことばだが、このように「有機交流電燈の
ひとつの青い照明」という物象化された表現によ(依)りかむか(考)へるより、むしろ、私が示したとおり、物象化せずに、
>「存在」とは、動くことに応じて存続する性質として認識される「かがよふ(≒「かげ(光陰)」としてうつ(映/写/移)ろふ)『ぢく(軸)』」である。
とむか(考)へる方が、哲学的には好都合である。これは、表現に物象化を積極的に利用する詩作と哲学の違ひであると云ふこともできる。 -
「有機交流」は、「哲学」用語に翻訳するなら、「キアスム」に対応することになるだろう。
-
>>50
脳障害 -
>>49
中卒無職 -
>>46
人サイズの虫 -
>>52
へえ、こんな風にできるのか -
超整数論、文字列の並びからマルチバース、宇宙空間が創造される理論でもあるが、これはDNAの二重螺旋構造もATGCの文字列の組み合わせで人間が創造されるのと同様である。超整数論を進めていけば若返りも出来るかもしれない。
ハンターハンター32巻ではカイトの転生した女の子を殺した罪で贖罪の為に生きる蟻が出てくるが、これはさっきの例と順序が若干異なる。本質は同じだが。
宿命の二人を結びつけるものは贖罪である。
キメラアント編は32巻まで続いていて、罪と罰の話なのだ。現代版の罪と罰だ。罪と罰を現代に復刻したのだ。
プフやイカルゴは生き残ったが、特攻隊は命を落とした、この違いは何だろうか。
そもそも特攻隊は主客未分ではないが・・・
天職、仕事の向き不向きは確かにある。
形(物質)と波動の空間構造になっている。
身口意の法則:行動と言葉と精神が全て一貫した状態を保ったら夢が叶う
というのがある。
これが正しいかの判定を行いたい。 -
カッコいいとは美の究極の概念だ。という事は若さも究極でなければならない。
カッコいい、の語源は格好良い、だが、これは格好、服装が良い、という意味の筈だが、それが変形されていって、最終的に行動を褒める、男らしさ、言行の一貫性を褒めるカッコいいという言葉に行き着いた。これは写真から動画に時代が変遷していったからというのと関係している。
カッコ良さ、言行の一貫性は明らかに男に求められる事が多い。公約を守るとか。
次に口癖は宿命になるのか、の判定をする必要がある。
BLACKPINKを見ていると、美とはアンドロジナスの事ではないか?と思えてくる。
その場合、カッコいいとは何か?通常男に使われる概念だと思われているが、どうなのだろうか。
BTSとBLACKPINKどっちがかっこいいのだろうか? -
>>58
細胞年齢が若くなければカッコ良くない。究極の美になっていない -
若さも究極でなければならないって事は心も究極に若くないといけない筈だ
-
DNAの塩基配列で人間が作られる。一つの宇宙が作られる。
つまり超整数論は医学、生物学にもそのまま応用出来る。何故なら塩基配列の構造をそのまま拡張したものだからだ。 -
蚊に刺されてもたいして痛くないのはなぜだと思う?
それは、蚊が皮膚を刺すときに麻酔作用のある物質を注入して、血を吸われる動物を欺くからだ。
もし蚊が相手をそのように欺くことなしに針のような口を相手の皮膚に差し込んで血を吸おうとしたなら、その瞬間に叩き潰される可能性が著しく高まるだろう。 -
生き物は、無生物を組み合わせることによって生じるわけではない。
-
よく考えれば、人間の肉体=DNA配列が文字とのほぼ全単射がある。という事は文字をいじれば人間の肉体もいじれるのではないだろうか。
-
物凄い若いとと矛盾と不正に激昂する。これは矛盾を許容しない、という事になる。
年老いると矛盾を許容する。これは自己の存在が汚れてきているからなのではないか?
若者が矛盾と不正に激昂するのは、存在が汚れていないからではないだろうか?
この存在とはセルフイメージの事だ。つまり老衰はこのセルフイメージがどれだけ汚れていないかに依存するのではないだろうか?
だが実際には細胞分裂の回数の制限やテロメアといった内容も含まれるので老衰はかなり複雑な論理機構でもある。 -
主客未分、は公理だが、
それとは無矛盾の別の定理がこのマルチバースの一部の我々の宇宙に埋め込まれていて、その定理が老衰という物理現象を引き起こしているのではないか? -
卵子が受精すると何が起こるのだろうか、霊が乗り移るのだろうか。
精子と卵子のそれぞれに霊が既に入っているのだろうか -
子供が生まれるのは生まれる理由があるから、ならば、その前提となる親が出会った瞬間も生まれた理由だ。そして生まれた理由が天命と同値なのだ。よって子供を産む親が出会う瞬間は天命として定められている。
-
>>67
精子と卵子、それ自体が霊、波動なのだ。この二つが組み合わさる時に何が起きるのか。 -
>>58
BLACKPINKがカッコいいと言われるのは男性的な面、ファッション、ノンバーバルを含んでるからだ。 -
>>68
もう一つの疑問は、
確かに天命の相手との出会いで子供を産むケースはあるが、
問題は、
俺の知り合いの出来ちゃった結婚をした夫婦に関しては別に愛し合ってない、というところに疑問が残る。冷戦にあると聞いている。 -
>>70
精子と卵子の特徴は柔らかい事にある -
等価交換、ならば無矛盾なのだから、この世界の公理は等価交換なのだ。よって凄まじい成功は凄まじい苦痛の後にある。何かを得るには何かを失うしかない。存在の根拠を得るには存在の根拠を失うしかない。あるいは、全員成功かの二択しかない。
何かを天命にするのはその何かに命を差しだす事にしかない。
逆に言うと、エネルギー値上げてセックスしまくってる人間は地獄に落ちる、スヴィドリガイロフやホストの高田のように死が待っているのだ。
ハンターハンターで制約と誓約(等価交換)、或いは死後に強まる念、という機能が無矛盾なら、この空間にもその機能が存在する事になる。
人間は罪を犯し、その贖罪の為に生きている。これら全てが天命である。
何故ジャンプの漫画が世界中に輸出されているか→人間が根源的に求めているから。
BTS,BLACKPINK,IVEのようなKPOPアイドルに人間は正義の視覚的具現化を見ている。
a flood of circle/世界が変わる日
この歌は、正義と悪が同一物であると言っている。神の概念を拡張している。そしてこれ自体もドストエフスキー、荒木飛呂彦、冨樫義博の思想圏内にある。 -
精子と卵子は限りなく霊体に近いはずだ。だから柔らかいのだ。
精巣、卵巣で 霊体が作られているのだろうか。
しかし、それらも元は食べ物から摂取したタンパク質とかから作られるはずだ。どこで霊体が入るのだろうか。
しかし、霊体と物質も同値なのだから、やはり霊体とはDNAの構造を持つ事と同値の筈だ。つまり自分の肉体のDNAの構造を作る機構に霊体の秘密がある筈だ。
罪と罰において、ラスコーリニコフの殺人という罪は、天命の相手ソーニャと永遠に同じ場所にいる為に必要なものとして描かれていた。贖罪が二人を結びつけ一つの場所に留まらせる。
善悪が全て相対化されている。
という事は、谷崎潤一郎の陰翳礼讃も正しいのだ。トイレの便器のような西洋の白いピカピカよりも影があるのが真実で美しいという事になる。 -
>>76
人口の技術で精子と卵子を作り出せたらそれらを受精させたら生物は生まれるのだろうか -
>>76
陰翳礼讃的に言って
https://youtu.be/LpS...?si=4IjU4WeLUpom21nk
ジェニーが黒い格好をしてるのは論理的に正しい。
つまり、対概念が同居して初めて完全体となる。よってアンドロジナスが最高の概念である。だからBLACKPINKが流行る。 -
>>76
日本の美観は西洋よりも進んでいた -
正義のヒーローは、ただ突っ立ってるだけでは成り立たない。
悪を倒した瞬間が一番カッコいいのであって、ただ突っ立ってるだけでは美しい瞬間はないのだ。だから対概念がいるのだ。 -
絶対的存在とは、本来的にありえない。
ある対象領域について、そのリファレンスで存在が言えるのだ。
キリスト教という対象領域では神が存在し、
物理学という対象領域では神は存在しない。
どちらが正しいということではない。 -
正義が悪に倒されるなら、自分のやった事が自分に返ってくる
という事だから、
浮気すんな
って言いまくってる奴が浮気するように出来ている -
論理を弄るのもそろそろ終わりそうな気がする
-
ハンターハンターでプフとイカルゴが生きるか死ぬかの瞬間で最終的に生き残ったのは、自己の天命に忠実だったからだ、という論法は成り立つだろうか。
そしてジョジョリオン最終巻で語られる、スタンド=心の力はハイヤーセルフの事を言ってるのだろうか。
某芸術家によれば芸術家の本体は芸術作品であって、芸術家はその僕らしいが。 -
回転が全ての原因
これを前提に置くと、確かに二重螺旋構造は回転してる。 -
人生で、6回か7回ぐらい同じ顔をした別人に会った事がある。
これが意味するのは肉体のパターンは有限でありDNAで決まる。 -
生物の形質を決めるのはDNAのようだが、それをどうやって導くか。
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燃えにくくする為に公文書を何千か所も晒しちゃうし
等身大タペストリーに歯磨きシーンベッドでごろごろ上目遣いと彼氏風写真満載のセルポカレンダー -
通学4年を取ってないだろ
この30年、無期転換直前の研究職で続出
視聴率とかアイドル人気とか要らないはず
悪い会社では -
そんな訳ないというかた。
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肯定は出来ないけど同情はするって言うのがクソみたいな知識すらないw
マスゴミ「(これ以下なので -
超整数論=文字列の配列から宇宙空間が生まれる
という理論だが、人間も宇宙そのものなので文字列の配列に還元される。
そもそも超整数論、という名前も正しいかよくわからないが、これは公理系も文字列から生まれるのでそれすらも一般化した数学だ。
問題はなぜ人間を形成するのに二重螺旋構造が求められるのかだ。どうやってそれを導出するか。
存在を成立させるには対がいるという事だろうか?
仮に1,+の組みで我々の住む宇宙が生まれるとすれば非常にシンプルな組みで宇宙空間が生まれている。これがATGCの4種類で人間が構成される所以ではないだろうか。
単純、小さい、という事が膨大な空間を生み出す。
正確には⊇の一元だろうが。
少なくとも、1,+でユークリッドの公理を適用する物理空間は構成出来ている事になる。
人間は4種類の文字の並びだが、8種類の文字ではどんな生物が出来るだろうか。 -
不老不死
細胞の年齢を若返らせる。
細胞は何から出来ている?
細胞分裂と細胞の修復の機能を考えないといけない。 -
DNAは文字の配列だ。文字の配列との全単射がある。文字の配列で肉体の組成が決まる。文字とは全てなのだ。
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主客未分、という性質上、
完全な肉体を組成するDNAの文字列を眺めていたら、若返るとかないだろうか。 -
つかれた
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万葉集 第5巻 848番
久毛尓得夫 久須利波牟用波 美也古弥婆 伊夜之吉阿何微 麻多越知奴倍之
雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき我が身また変若ぬべし
(出典 万葉集ナビ) -
論理設計は、距離概念などない。本当に対応関係のみ、論理に距離など存在しない。情報とそれらの間の関係のみだ。
論理設計こそ世界の本質だ。概念設計、概念の間の論理関係こそ世界の本質だ。この世界の背後には概念的な論理設計がある。そしてその最も本質が正義が悪を倒す、と言う事で、その為にこの世界が存在する。
距離概念はその後だ。
永遠の若さがこの世界の究極の概念であるならば、それは正義と同一物のはずだ。そして、それは回転している。究極の存在は、回転している。縦にも横にも斜めにも回転している。そして波が共振している。
ドストエフスキーから言わせれば結婚生活とは贖罪である。
結婚とは修行だと。
贖罪、カルマの清算の修行だ。
これからは逃れられない。
つまり、カルマとダルマによって結婚相手は定まる。そこに自由意志は介在しない。
そしてそれは、カルマとダルマは存在なので、存在によって定まる。すなわち、天命として決められている。
マイファーストストーリー
夢幻
夢幻に続く螺旋の先に待つのは永遠の愛の相手
すなわち再会がある。しかしその再会の内容は歌詞には書かれていない。そこまでの過程が重要なのだ。そこに至るまで、まだ他人の存在の根拠を奪うなら、復縁はないが、存在の根拠を与え続ければ復縁は成る、という事だろうか?少なくとも等価交換で金を得ないならばそうなるしかない。
スピリチュアルの行き着く所はカルマとダルマで、その意味は存在の根拠を与えるか奪うか、エネルギーを与えるか奪うか、である。 -
全ての因は正義=存在=回転である。つまり、再生、若返りは回転から生まれる。究極の回転から全てが生まれる、全てが再生される。若返りも回転から可能である。損なわれたテロメアも回転により修復される。
超整数論から無限小超実数はどのように定義されるか?もし定義が出来ないのであれば、或いは極限操作が定義出来なければ、有理数と超実数が根本的に異なる数となる。この場合、やはり黄金比の螺旋によるエネルギー増幅はやはり完全に可能となる。調整数論の範囲内の操作でそれらは無矛盾だからだ。
超整数論を空間表示すると直線形になる、と思う。その場合に、やはり黄金比の螺旋によるエネルギー増幅は正しい筈だ。
親は生まれた理由なので、天命と同値である。
天命と同値なのは時刻まで全て定まった瞬間である。
よって、親が出会う瞬間は時刻まで全て天命として定められている。 -
等価交換の原理から、この複雑な世界が作られる。
主客未分から、新しい存在が生まれる、対概念が同居して、新しい存在が生まれる。
存在を産むには存在が前提として必要だ。
これが生命誕生の構造だ。
この場合、精子と卵子は、精巣と卵巣から生まれるが、その細かい機能やなぜそのような機能が必要なのかを考える。
そもそもなぜ生命誕生は必要なのか?
存在の機構、静的な論理空間からセックスの機構は導かれているが、問題は何故そこから新たな命が生まれるのか。
こう考えれば、存在は生命を生み出すから若返りも可能な筈だ。
つまり回転から全てが生まれるのだ。 -
「お」かね
と呼ぶとお金を敬う。
かね
と呼ぶと、呼び捨てである。
敬うから、敬う言い方をした人間をお金は敬うようになる。関係を可換にしなければならないからそうなる。
お金持ちになりたいなら、お金と呼ばないといけない。
そしてこの論法は、金の概念と主客未分と同値の関係を可換にしなければならない、の二つから導出されたのでこれが錬金術の本質である。お金と呼べば、敬うのと行動が同時に達成される。これがセンターピンだ。これ以外に錬金術の本質はない。投資もビジネスも考えなくていいかもしれない、これだけやっていれば良い。
お金って言った回数だけ、お金持ちに近づく。それ以外に本質はない。ビジネスとか投資とか関係がない。それは二義的なものだ。第一義ではない。
金、という呼び方には、お金に魂がなく、ただの無機質な物質、という考えが根底にある。
この話を進めると、俺は普段から男とか女とか書いてて、男性とか女性とかそういう丁寧な言い方(書き方)をしていない(面倒だから)が、これは、俺は人間から軽んじられるのだ(俺がめんどくさがられる、読んでる人間から見てこの男は蔑視的な見方をしていると思われる)。こう考えると、人生とは使っている言葉以上でも以下でもない。そしてこの発言は、俺ではない誰か(エッセイストだった気がするが)が同じ事を言っていた。つまり、普段使う言葉が宿命だ。言い続けた言葉が宿命だ。全ての行動以上でも以下でもない。軽く扱う物、事から、軽く扱われる。
そして言葉と行動は一致していて、存在から世界が論理展開されるから、宿命にするには言い続ければ良いのだ。これがセンターピンだ。 -
https://youtu.be/Jq1...?si=1uUopVgAQd0o-aEK
卵5個食った動画で筋肉の発達効率、肌艶良くなった、精力がついた、って動画、主客未分だから卵食えば若返るんじゃないか
卵5個とは言わず10個食ったらもっと若返るのではないか? -
人間は、やりたい事や夢が無かったら、金とセックスと承認欲求の事しか考えていない。
超整数論
マルチバース論だが、人間という宇宙を生み出す
例えば;という文字は取り敢えず未定義だとするが、超整数論は、作用の記号抜きにしても適当な文字列は全て存在する、マルチバースを生み出している。
つまり、定義された文字とその間の作用が定義されていれば新たな宇宙が創造される理論だ。
ATGCの塩基の並びはそれらの間の作用が完全に定義されている。
つまり、プログラミングで、ライブラリや独自の関数を作ったり、引数の使い方とか文法を作れるが、その根底には単純な数学の規則があって、それを破らなければ何作っても構わないので、どのように文字が作用するかを作れる。この作用はプログラミングでいう独自のライブラリの独自な関数を自分で作って良いのと同じだ。そしてプログラミングで認められてるのだがら全宇宙でも認められている。
存在の前提は全て現象化する
そして
存在の前提とは罪と罰
である。
よって、罰は必ず行われる、贖罪は必ず行われる。
よって必然的に出会いは起こる。よって出会おうとする必要がない。そのような出会いしか長続きしない。 -
スティールボールラン
全てを敢えて差し出したものが、最後には真の全てを手にする
等価交換だが、天命とは命を差し出す、存在の根拠全てを差し出せば、等価交換なので存在の根拠が返ってくる。つまり、天命とは全てを差し出す行為と同義で、これを天命と決めて全てを差し出せばそれが天命になる。そして存在の根拠を全て失ったので存在の根拠が返って来る。
つまり、全てを差し出せば、天命の相手がいなくても、天命の相手に会える?
天命が定まっているのであれば、全ての存在の根拠を失う。ところがこの世界は形の空間でもあるので、これを天命と意思で決めて全てをそれに捧げても同義なのである。
天命とは仕事である。天命の相手がこの人と決めてストーカーになる事ではない。他人の存在を成立させる仕事をやる事だ。
存在と天命が同義なので、これと決めて命を差し出し、他人の存在を成立させる事に命を賭ければ、それが天命になる、のではないか?それはストーカーになる事ではなくて、他人の存在を成立させる事に命を賭ければ、天命の相手、か、莫大な金が返って来る?
ここまで正しいのであれば、天命の相手が返ってこなくても、莫大な金があれば結婚は出来る。その相手を天命にすれば良い。
そもそも天命の相手なんて何処にでもいる。東京でも大阪でも名古屋でも北海道でも滋賀でも何処にでもいる。
天命がそもそも与えられていない人間は天命の相手なんて自由に選べる、何処にでもいる。天命それ自体を自由に定められる。本当は自由に選べてないけど、少なくとも顕在意識の上では自由に選べる。
つまり、天命の相手に出会いたいなら、天命をやって金を受け取るな。
金を失えば顔が美しくなるのは、エネルギー値が上がるのは、そういう理屈だ。
ところで、ジョージの言う通り、
カッコいい事が全て
これは正しい。
これを進めると
カッコいいが全て
になる。
仮に、口癖が宿命になる、と、
カッコいいと言いまくってると、全てになる=カッコよく若返る? -
ライブラリや関数の設計など、無矛盾であれば自由に設計して良い。
これがマルチバース論だ。加法を一切使わない空間構造を設計して無矛盾ならば存在する。
この世界の本質は概念設計だ。目に見える空間の背後には概念同士の論理的な結び付きが、この世界の本性で、目に見える空間はそれらを無矛盾に空間表現した一つの形式、劇の一つに過ぎない。 -
>>109
ビジネスでも上流は論理設計だ。そしてその通りに会社は作られる。つまり、そういう宇宙を作り出せる。 -
カッコいいと言い続け、カッコいいもので身の回りを固めてエネルギー値も異常に高い
-
この世界は、輪郭、具象の世界、で、正義が最高なのだから、無矛盾な振る舞いをしていたら、老けるはずがない。ここで無矛盾とは何か?を考える必要がある。
いや、老ける、細胞が劣化して行く、を分けて考える必要があると思う。
細胞の劣化はテロメアが短くなっていってる事と同値だろうか? -
若いけど肌ボロボロの人とかいる。
若さと細胞の劣化度合いは別ではないか?
求めるものは、細胞が劣化しない方法だ -
それには細胞分裂の機構とテロメアが何を司っているかを考える必要がある。
いや、そもそも、テロメアの再生も、回転で全て尽きている。回転から全てが生み出される。 -
超実数は超整数論の定義や論理操作をどうやっても生まれない数ならば、やはり、決定的に次元が違う数だ。
という事は直線で閉じた操作を行なっても夢幻のエネルギーに届くはずだ -
>>105
https://youtu.be/3sf...?si=gnA1n7jRr7GomR6-
たとえば、この方は
おかね
としか言っていないと思う。
錬金術とは
おかね
って言った回数を増やす事のみの筈だ -
天命の相手に出会いたいなら、天命の仕事に就きたいなら、
天命
と言いまくっていれば良い。
使命の相手に出会いたいなら、使命の仕事に就きたいなら、
使命
と言いまくっていれば良い。 -
お金と恋愛と夢を全て一致させるような論理設計をして、それらを天命、使命となるように論理設計をすれば、あとは天命、使命と言い続けていれば、全て手に入る筈だ。
-
カッコいい=正義は無矛盾、最も美しいものなのだから、老衰、老醜の概念など入りようがない。
お金と恋愛と夢とカッコいいを全て一致させるような論理設計をして、それらを使命となるように論理設計をすれば、あとは使命と言い続けていれば、全て手に入る。 -
使命と正義が同一物なら、正義と言っていれば良い。
発言の原因が思いなら、正義と思ってるだけでも良い。 -
使命と天命は何が違うのだろうか?
-
錬金術はお金と言った回数、思った回数がセンターピンで、ビジネスをやるとか投資をやるとかは二の次だ。
人間の宿命、人生は普段使ってる、思ってる言葉以上でも以下でもない。 -
>>127
言った回数、思った回数で宿命が定まるなら、聞いてる音楽で宿命が定まる。 -
すなわち、ミュージシャンの天命は聞いてる人間の宿命を操作する事である。
-
論理設計はこういう事だ。
夢、お金、恋愛、若さ、かっこいい(美しい)を全て一致させた使命を作って、後は使命、って言葉を言いまくるか、思いまくるかすればいいだけだ。あるいはかっこいい(あるいは美しい、美)を言いまくるか。
これで全てが手に入る。使命じゃなくて夢幻でも良い。その場合、my first storyの夢幻を聞いていれば良いだけだ。
これで全てが手に入る。
ちなみにこれはプログラミングの上流の設計である。プログラミングで認められるから、この設計も認められる。これはプログラミングと同じだ。
という論理設計だが正しいだろうか。 -
DNAの塩基の構造、二重螺旋構造はライブラリみたいなものだろう。
ああいう風に定義されている
そしてそれは加法も同じだ。ライブラリが定義されているのだ。加法の性質を調べるのはライブラリの性質を調べるのと同じだ。
そしてマルチバース論で言えば、各宇宙に対して独自のライブラリが定義されているのだ。 -
各ゲームに独自のライブラリ(任天堂が独自に作った関数の集合、ライブラリなど)が用意されているとすれば、我々はあるゲームの中の住人で、加法というのはそのライブラリで既に定義されている関数の一つなのかもしれない。
つまり我々はテレビゲームの中にいる可能性がある。
つまり加法のライブラリは、局所線型空間を構成する根元のライブラリは、存在から導かれる諸性質から構成される物理法則から作られる。DNAの二対の組みになる、という法則もライブラリで定義された関数の引数の組みの法則だろう。つまり人間の肉体は関数の結果、あるいはある関数の引数の中にATGCを代入したものである、と見れるかもしれない。
つまり、ある関数があって、それが物理的実体を持つ。少なくともDNAに関してはそうだ。
ゲームの中のNPCは、知能なんてない。自分が機械に勝手に動かされているなんて想像もない。
ところで人間の知能も全知ではないのだから、それを作ったものに操作されているなんて想像もつかない。 -
主客未分の夢なら叶う
-
宿命の関係にあるものは避けられない。必ず出会う。
-
>>132
DNAの二重螺旋構造は、関数が実体化したもので、その引数にATGCを取る -
こう考えれば、人間の体内で起こってる化学反応も、関数と、その引数としてタンパク質などの物質を取る、とも捉えられる
-
顔が光り輝いていたけど、肌ボロボロの人を見た事がある。
エネルギー値と細胞の質をわけないといけない
エネルギー値上がれば、シワとか目立たなくなるけど、細胞が劣化も良くない。
人は金とセックスと承認欲求の事しか考えてないなら、私心しかない。
私心と主客未分が一致した時に夢が叶うって事だ。
人生万事塞翁が馬
不幸とは短期的に見れば不幸だが、長期で見れば幸福だ。
天命の瞬間に+と-の帳尻が合う。
こういう空間構成にしないと、凄まじい科学の進展とか成功はないのだ。
つまり、凄まじい苦痛も最初から定められている。
徳、善行、とは罪が他人の存在を奪う事なのだから、他人に存在を与える事=芸術作品を作る事、あるいは理法を生み出す事、雇用機会を生み出す会社を作る事など。
一見無意味に見えるが、最終的に天命の瞬間が訪れて全てを手に入れる。
というのがヨブ記だ。
黄金長方形、黄金比の螺旋、とりあえずその中に超整数1/0が埋め込まれている。
つまり、1+1+1+1+1+....を延々と続けていくわけだ。文字列の操作、、、とりあえず1,+の記号だけで作られる文字列の集合をNと置く。この場合、逆元の-はどうやって定義されるだろうか?いや、つまりNの集合から1,+を削る作業を-1とすれば良い。これで-が定義出来た。今回の場合は一切空間表示しないのだ。文字列として処理される。
いや、違う。
1+1+1+1-1-1-1と1を同一視しようとする事が間違いなのだ。これらを別にするのだ。何故なら文字列なのだから。つまり二つを別にする場合、減法という文字-を導入する必要がある。1だけなら、加法も減法も導入する必要がない。全て別々にしなければならない。 -
https://youtu.be/gz_...?si=ErrFke5tmjwAntPJ
40歳無職人生逆転ルーティンを考える。
かねかねかねかね
って言うと、別に働く気が起きない。
おかねおかねおかねおかね
って言うと働く気が出てくる。
家に篭っておかねおかねと言い続けて、バイトが企業に応募するか、動画編集始めるか -
アイナジエンド/Love Sick
思ったのだが、
音楽は所詮エネルギーでしかない。
アフリカ人に日本語の歌を聞かせてもただ異なる波形の音を聞くだけで内容は理解出来ない。
つまり日本人しかその意味を理解、解釈する事が出来ない。
我々日本人には、音の変換規則が日本語として与えられている。
そもそも、音は、元々は意味など何もないただの流体である。
この波の波形に、日本語という変換規則を与える事で複雑な意味領域という何かを生み出す。
つまり、後天的に構造を与える事で、新たな領域を生み出している。
この無限に情報を付加可能な構造自体、夢幻ではないだろうか?
つまり、既にある何かに無限の情報を付加、作り上げる事が出来る。
これは、紙の辞書は、紙の厚さが薄くなればなるほどその情報は無限に増えて行くのと同じだ。文字は所詮ただの暗いインクでしかないものに対応づけを行う事により無限の情報を生み出せる。 -
>>140
紙の薄さが0に近づけばそれだけ書ける情報の量は増えていき、最終的に無限大に発散する。
つまり、無限は物理的に存在するのだ。この紙の辞書に書ける情報の量は物理的に無限大になる。
そして最終的に紙の薄さが0、⊇になった時情報量は夢幻となる。
つまり、マルチバースはすぐそこ、我々が住む空間の0.000000001mm隣にあるのではないだろうか?
そう考えると俺が鏡を覗いた時に見える世界はもう一つの世界ではないだろうか。 -
宿命の二人が一つになる時=無矛盾になった時。すなわち最初から定められている。
生まれた理由を果たした時だ。つまり、最初から定められている。
全ての罪と徳が精算された時だ。 -
辞書の論理構造は、辞書を作った人間が作って、論理設計していて、それが実際に刷られて物理構造として実際に生み出されている。
つまり、上流で論理設計したとのは物理的に生み出される。
この場合に、
例えば
カッコいいの定義を、
細胞の年齢が10歳で、
年収が1億あって、
顔が美しい
と定義した場合、使ってる言葉思ってる言葉が宿命ならば、カッコいいと言い続けたら、上のカッコいいの定義は達成されるだろうか。 -
私心なかりしか?と問う前に、前提として人間には基本的に私心しかない。
夢とか目標が、主客未分かを問う事が京セラフィロソフィーだ。 -
人間私心しかない、基本的には金とセックスと承認欲求以外考えてない
ので、
復縁するには、
1エネルギー値上げる
2相手の天命は何かを見抜きその機能と補うようにする。 -
この世界の背後にある空間は概念同士の論理的な結び付きの空間であるので、その概念を操作すれば、あるいは、その概念を眼前に出せば不老不死は叶うのではないか?
その概念の空間にある概念が
存在、正義、回転、波動、主客未分、愛
だ。
つまり、究極の回転を眼前に出せば全てが操作出来る、生み出せる。
自分の存在を成立させる、には、主客未分なので、自分以外の全員の存在を成立させないといけない。だから使命を果たすしかない。というのが天命、使命の話だ。 -
成立が目的的なら今がそれ。発症してろ
-
何が言いたいんですか?
-
存在現象は罪と罰の清算である。
天命とはそういうものだ。
そして出会いまくったりすると天命の相手と一緒にいる罪と罰が清算されすぎて一緒にいれなくなる。 -
罪と思える内が罪なんよ
-
自分にとっての天敵は、相手に取っても天敵なので関係はやはり可換である。
-
お金で買えない愛
という概念を考える。
この世は等価交換なので、では何を差し出せば手に入るのか?と考えると全て、自分の命、という事になる。という事はお金で買えない愛=使命の愛、という概念になる。
ところで、自分にとっての天敵は、相手にとっても俺が天敵だから、自分にとって使命ならば相手にとっても使命なのだろう。
いや、この考えは危険だな。
ホストとかどうなる、という話だ。
使命って事は公益に叶うのだ。全てを差し出すのは必要条件だ。
全てを差し出せば使命になるわけではない。
公益に叶えばそれは使命になる、のだろうか? -
時間とは波動の状態との一意に対応している。空間の状態が与えられれば時間の概念は消失するので、時間が存在するのではなく論理的に用意された概念である
-
なぜ遺伝機能があるのか?
Mirror Ocean、鏡の海ならば、親と長く一緒にいるのだから、似ないとおかしい。
つまり、自分は天命の人間に似ている。
だから遺伝機能がある、とするのは正しいだろうか?
天命の前提は天命
存在の前提は天命
静的な論理空間より、宿命の関係はお互いを補い合う形になっている。
しかし、やはり空間概念より言語の方が本質なのだ。概念の空間の方が本質なのだ。
究極の回転で死んだ人間の蘇生も可能のはずだ。 -
使命の人、ならば、公益にかなわないといけない。
-
何故俺は、スティールボールランの言葉に執着して、他の大多数の最愛の人間と別れた人間は執着しなかったのか?
俺の知性を公益の為に使えという天命だろうか。 -
マイファーストストーリー/夢幻
永遠の意味
永遠の意味は真理。
この世界の真理は天命。天命と同値なのは、天命の瞬間。
よって永遠の意味は天命の瞬間が白昼夢として頭から離れない。
これが引き寄せの法則。
夢幻に続く螺旋の先、
この夢幻とは、夢幻=天命の瞬間 -
>>157
俺とそれ以外の気がつかない人間を決定的に分けているのは存在の定義に届いているか否か、だと思う。 -
宿命、避けられぬ定め
避けられないのだから最初から定まっている。
意図せずして出会う。初めから出会う事が決まっている。
つまり切れぬ縁とは最初から定まっているから切れないのだ。
これはHeart of swordの話だ。
その結びつきの強さが、宿命、天命、使命と後の方になるほど強くなるのだろうか。
素数定理が意味する事は、素数の並びに規則がある事だ。しかし、所詮それもライブラリの話だ。
ライブラリに統制されている。そしてこのライブラリの一つの関数が引数を二つとる二項演算の+という加法の関数という事になる。そして、それはライブラリの設計時に、この2種類の引数を二つ取ったら、返す値は最初から決定されているのだ、それが劇の理論、小説の理論だ。
あるいは、これはライブラリの論理設計、マルチバースの論理設計の段階で定められている法則から導かれたものだ。
ところで、音楽が聞いてる人間の宿命を操作するならば、
宿命の人との復縁が目的ならば、それを達成した人間の音楽を聞くべきだ。
何故なら、詩とは描いてる人間の本質だから。
これはこれで良いのだが、詩に嘘の概念を導入したらどうなるだろうか。あるいは小説の概念を導入するという事なのかもしれないが。 -
担当のホストに入れ込んで大金を使うのと、使命の相手の違いは、
そもそもその行為が公益になるかどうかだ。
相手を愛する行為が公益にかなうか否かが判断基準ではないだろうか?
Heart of sword
一見、完璧に見えない人生の収支は、天命の瞬間に帳尻が合う。
着々と、カルマとダルマは溜まっていくのだ。
会社の運命を決めるなんて、社長とその側近、投資家しかいない。有価証券報告書はせいぜいそれらがちゃんと運営されているかのチェックでしかないのではないか?会社の状況を読み解くには必要だが。 -
会社が世界一の企業になるのが天命なら、社長とその側近は同じ映像を見ている?
-
ナニカは等価交換、無矛盾性を司る。
等価交換とは回転なのだろうか。
ナニカは他人を治すお願いなら等価交換にならない。究極の回転ならそうなるのだろうか。命令を全てイエスで返すのだろうか。 -
概念の空間は、霊界よりもさらに上位の抽象だ。そしてこれより上はない。これが神の住む空間だ。
そして正義がこの世界を作ったのであるなら、正義の道を歩めば欲しいものは全て手に入る、というのが聖書の言葉だ。 -
音楽が宿命だから、Daft Punkのharder better faster strongerを聞いていれば、仕事が早くなる。
-
精子と卵子に霊体が宿っているのか考える必要がある。そもそも精巣と卵巣でそれらが作られる機構はどうなっているのだろうか。
そしてジョジョリオンで語られているスタンドとはハイヤーセルフの事だろうか。
あとライブラリの話だが二重螺旋構造もこのライブラリに依存しているのだろうか。
超整数論から言えば文字列の並びで宇宙が出来る。だから人間が作られるのはそれで良いが、何故螺旋構造を取るのだろうか。これはライブラリの設定の問題だろうか。 -
何故AT,GCの組が必要なのか
存在には双対となる概念が必要なのだろうか
取り敢えずこれは仮説として置いておく -
紙の上には、どんな意味の文章も書ける。
この事が意味する事は何だろうか。
何でも作れるという事だろうか -
イデア=正義
とすると、
現世は、イデアの影というのも理解出来る -
なんでそれが現世で見出せるんだよ
-
無矛盾だから天命の瞬間に悪が滅ぼされるから
-
悪と戦うのは現世じゃないのかよ
-
月は地球の一部か
~イデア論や構造主義の欠点とハイデガーによる克服~
地球と月には関係があります
万有引力によって引き合っているのです
地球には月と引き合っているという性質があり
月を地球の構造に組み込まなくてはなりません
似たようなものにドーナツの穴はドーナツの一部かという問題があります
ドーナツの可食部分だけをドーナツというのなら
穴はドーナツとして扱えないために火が通しやすいために
穴が開いているという性質を活かせません
穴を含めなければドーナツの利点を活かせないのです
穴もドーナツと関係がある以上ドーナツの構造の一部としなければならないのです
同じく月を地球の一部としなければ潮の満ち引きもなくなり独立した後に
地球環境の崩壊に繋がるのです
存在とはどこからどこまでなのかという問題にも似ています
ハイデガーの実存哲学がある種の答えです
世界内存在として世界の一部に存在があるということです
これは存在問題における構造主義の欠点をクリアするものです
イデア論の欠点はこうした存在問題に立ち向かえないということです
地球のイデアと月のイデアをそれぞれ独立させると
地球のイデアは損なわれるのです -
ドーナツの穴は、
ドーナツの輪郭を定めれば同時に定義される。
ドーナツの輪郭の定義で全てドーナツの構成要素は導ける。必要十分である。 -
月を地球の構造に組み込む必要性はない。
何故なら、
地球
月
万有引力
この3つの排反な分類で、それら三つの間の現象を無矛盾に描き出せるから。 -
バックエンドは抽象の世界、正義⇄罪と罰、宿命、天命、概念とそれらの論理的結びつきの世界。
フロントエンドその表出としてのこの具象の世界。
つまり具象の世界の出会いは、バックエンドの世界で既に定まっている。バックエンドが人間の機能を定義している。
人間の肉体の機構も本質的にバックエンドに統制されている。だから二重螺旋構造という法則が。存在するのだ。
正義が成立する為に罪と罰が必要だ。正義の定義が悪を倒す事ならば、悪は必要だ。罪と罰が必要だ。
そして悪の定義に、前提として正義があるのだから悪が定義出来るのだ。だから悪だけは成り立たない。
永遠の愛の相手ならば宿命だから避けられない。よって出会う時刻も全て定まっている。そして永遠の愛なのだから相手が誰かも出会う前から知っている。
ちょっと悪い事やったぐらいならほぼ何も起きない。
溜まり溜まって天命の瞬間に全て爆発する、という事だ。
そして一度悪い事をやると、それが癖になってどんどん大きくなる。
+は引数二つとる関数。そしてその背後に上流の論理設計としてライブラリの中に組み込まれた関数。これで無矛盾だからこれが加法の正体。
避けられぬ定め、
とは、論理的に定まっている、という事だ。
もし矛盾していたら存在しないので定めもまた存在しない。
抽象になればなるほど、論理設計の段階になればなるほどエネルギー使って疲れる。
バックエンドになればなるほどエネルギー使って疲れる。 -
時速150キロで投げられたボールの空気抵抗による摩擦のエネルギー散逸を考えると、これは空気中の窒素分子、酸素分子などの衝突により運動量が削られてエネルギーが減っていくのではないだろうか。完全な真空中ではボールはエネルギー散逸が行われずに真っ直ぐに進む。
という事は黄金比の螺旋でエネルギー増幅を行うには真空中でやるべきなのではないか?
黄金の風
ミケランジェロが石を彫琢している時、着想を持たない。ただ、論理的に完璧な形にした時、ダビデ像が出来上がる。
つまり、論理を極限まで求めた結果、彫像が生まれる。
論理を極限まで追い求めた時、天命、材質の本質、最も本質的な輪郭が顕れる。究極の輪郭=存在理由が顕れる。
つまり、最も美しい形が本質だ。天命と天命の瞬間が同値なのだから未来の天命の瞬間を表している。それがローリングストーンズの意味だ。
完全な定義に辿り着くのも同じだ。
自分というものを極限まで追い詰め、死に至る時、本質が出る。
論理を極限まで追い求めたら未来がわかる。
それはつまり、論理を極限まで追い詰めると真理、永遠だという事になる。つまり、イデアこそ未来だ。
ロダンの考える人
https://collection.n....jp/S.1959-0039.html
この作品は考えるには圧倒的な武力、体力、肉体が必要だと言っているのだと思う。 -
最近命の危険を感じてる
-
等価交換の原理
これは、与えたものが自分に返ってくる、って事だ。
あるいは失ったものが自分が得るものという事になる。
使命が欲しいなら使命をやらないといけない。
つまり、自分が発したものが、自分が受け取るもの、となって引き寄せの法則は正しい。 -
そして引き寄せの法則が正しいなら、白昼夢が未来だ。
ところで引き寄せの法則が正しいのならば、かっこいいと言い続けたらかっこいい(=正義の)未来が待ってる=若返るのだろうか。
引き寄せの法則は等価交換の原理の同値なので、これが万物の根本原理だから、
「
かっこいいと言い続けたらかっこいい(=正義の)未来が待ってる
」
はおそらく真だ。 -
そこで、自分に取ってのカッコいいを定義、論理設計をする
カッコいいの定義
細胞年齢が0歳
顔が美しい
年収が高い
最愛の相手がいる
家族がいる
理想の職業についている
という風に定義して、かっこいいと言い続けたら、そうなるのだろうか。 -
この定義する、という操作を考えてみると、新しい概念や条件を新しい用語で定義する操作は完全に認められている。
新しい現象に名称をつける操作は認められている。
りんごは赤い果物をりんごと人間が定義したからりんごなのだ。
上のかっこいいの定義を人類全体がそう定義したら、辞書にそのように載る。
つまり定義自体は自分で勝手に作って良い。
引き寄せの法則が宇宙の根本原理ならば、思考が全ての原因だ。
破滅する人間は四六時中、その事を考えている。 -
>>183
深い罪悪感を抱いている。
ところでかっこいいと言い続けてたらテロメアが長くなるのだろうか?あるいはテロメアが長くなる手法を思いつくのだろうか。
細胞年齢はテロメアの長さと対応しているのだろうか。 -
素粒子の話も、
この空間を形作るライブラリで定義された関数が作り上げたものではないだろうか -
高校野球
今日は智弁学園がかったが、その事も最初から決まっている。 -
天命があるなら死なない
ので、イデアを自分で作れば永遠に死なないのだろうか。 -
>>187
これは野球の話だが、
ボクシングなど精神力が問われるものでチャンピオンになるのも天命として定まっている
事になるので、意志の強さが天命を定めている。
負ける人間は勝つ人間よりも意志が弱かった、という事になる。 -
>>190
そこまでの意思持てるのも、定まっている -
>>191
そこまでの意思を持てるのは白昼夢になっているしかない -
全てが意思力なら病も気からなる
-
冨樫義博先生は、等価交換を司るものが神であると気が付いていてそれをナニカに設定したのだ。しかし何かは誰かを治すお願いなら交換なしに治す
-
引き寄せの法則って引力理論だ。引力の根源だ。
引力の方程式はあるが、もっと抽象的に関係で捉えてみてはどうだろうか。 -
引き寄せの法則が宇宙の根本原理だから、思った事しか現実化しない。つまり、人生で起こる事全て本当は知ってる。
-
病は気から、なら、病は不健康な考えから生まれる。
不良な子供が生まれたらそれは親のカルマの清算だ。親が見下しまくってるからそういう子供が生まれる。
ロダンの考える人
この彫刻作品は、考える人、というタイトルがついてるから、考えるには強靭な肉体が必要だ、という事を意味している、のような推察が可能にしているが、仮にタイトルが付いていなくて、無題だったら、どのような思想を具体化したものか?という事を考えてみたい。 -
この彫像を見れば、確かに男が考えている。そのまま受け取れば、考える人となる。これが輪郭の意味となる。
明らかにロダンは考えている男を作ろうとしている意図がある事がわかる。タイトルがなくても。 -
仮定
スピリチュアルは全て正しい
のであるならば、1111にも意味がある -
>>198
あと、なぜ裸なのか? -
主客未分なので、似たものが集まる
一番に近いものが集まる、で終わりなのだろうか。
そもそも1111の並び、こんなものは人間がいくらでも作為的に作れる -
>>202
作為的ではなかったらどうなるのか -
作為的でなければ偶然になる
-
作為的に作った1111なら意味がない
これは真だ。
これの対偶を取ると
意味があるのは偶然出会う1111
これは真だ。
つまりエンジェルナンバーに意味はある。
いや、これは正確には違う。
示すべき事は
偶然出会う1111には意味がある
かどうかだ。
つまり、
全ての偶然出会う、見かける1111に意味がある
のか否かを問うている。
意味があるのは、偶然出会う1111の一部(または全部)
ここまでは示されている。真。全部である事を示したい。 -
いや違うな。
意味があるとすれば偶然出会う1111
ここまでは正しいが、その全てに意味がない可能性もある。
もし仮に
全ての偶然出会う1111に意味がない
を仮定すると、
意味があるのは一部の作為的に作った1111
となる。
なんだかよくわからなくなった。 -
>>206
これはそもそもの前提である、
作為的に作った全ての1111には意味がない
に反する
よって
全ての偶然出会う1111には意味がない
という命題は矛盾するので偽である。
よって、
全て、或いは一部の偶然出会う1111には意味がある
事が導かれた。 -
>>207
この最後に示された部分だけでもこの世界が神、おそらく人間が作ったものである事が推察される。 -
>>209
だから、天命の瞬間に悪人を葬る -
>>207
一部の偶然出会う1111には意味がある
事が導かれたので、神は一部の1111に意味を持たせた事は確定しているので、この世界は神の創造物なので全ての偶然出会う1111には意味がある事が示された -
帰結
スピリチュアルは全て正しい -
>>213
ハイヤーセルフの極点が正義である -
つまり、この世界は劇である
-
すげー疲れた
-
>>212
ここで言う「意味」、というのは、「特別な意味」、という意味。 -
スピリチュアルが宇宙の真の姿だ。
-
聞いてる音楽が宿命ならば、
B.EキングのStand by meを聞き続ければ、結婚生活は永遠に続く、ということになるのだろうか。 -
>>218
つまりカルマとダルマの世界だ -
無矛盾性は金よりも貴い
-
エネルギーは金よりも貴い。
美は金よりも貴い。 -
>>221
安定した大金持ちになる方法はダルマを貯めるしかない -
金はダルマを変換するか、カルマを変換するしかない。
そして天命の瞬間にそれらは全て清算されるからダルマを貯めるしかない -
>>225
すなわち信用を貯めるしかない -
つまり、最初ブラックで働きまくって、死の極点まで働いたら、大金持ちになる
であってるだろうか。 -
>>227
夢を叶える方法も、死の極点までやりこむ、となる -
死の極点まで追い込む、のやり方が仕事のタスク量を尋常じゃなく増やす
のが、ベーシックだと思うが、思ったのだが、叶えたい事が複数あるとする。
例えば
漫画を極めたい
店舗ビジネス極めたい
投資極めたい
の3つがあったとする。
この場合、死の極点でこの3つ同時に全てやってれば全て極められるのではないか? -
スピリチュアルを信じていない人間なんていない
お守りを買うとかもスピリチュアル、お賽銭にお金入れるのもスピリチュアルだ。
信じているからこれらの行為を行う。
神様にお願いする行為そのものがスピリチュアルだ。
ではなんで神様に助けを求めるのか?
神様を信じているから。
つまり未来に何らかの期待をするから、神様助けて欲しい、のような事を思う。
スピリチュアルを信じる行為の本質は未来への期待だ。それは神の存在を前提としている。
悪事をしまくり、尚且つ未来に期待するのは矛盾している。
悪事をしまくる。この行為自体が論理を前提としている。人から金を奪うのは、そもそも因果関係、論理がなければ出来ない。論理の存在を前提としている。つまり論理が絶対のものとして存在すると信じている。この絶対的に信じているものが神とすれば、悪事を働く人間は本当は神を信じている。にもかかわらずスヴィドリガイロフは神はいないと思っている、言っている。この世は矛盾するといいながら、論理的に女とセックス→楽しいと思っている。論理を使いながら神はいないと言っている。
悪人も本心では神を信じている。神はいないとか言ってる人間は本心では真逆の事を思っている。
論理の存在を信じている事自体スピリチュアルだ。
スピってる、って曲があるが、近頃スピってるんじゃなくて、もっと前から、七夕に願い事書いた時から、コンビニでお金払うという論理的行為を行った時点からスピってる。生まれたのには理由があると思った時点でスピってる。
スピリチュアルと論理は同じものだ。 -
人間は
夢ややりたい事がなかったら、お金とセックスと承認欲求しか考えてない
これを利用すると、復縁は
1エネルギー値を上げる
2相手の天命を見抜きそれで相手を圧倒するほどの実力を身につける
3年収を上げる
4会話の力を上げる
5相手と一緒にいる白昼夢を持つ
これは正しいだろうか。 -
>>232
エネルギー値上げるのは、死んだ回数で上がる。
筋トレで限界まで追い込む
格闘技をする
とかっていうのは、一つの方法で、とにかく嫌な思いすれば上がる。
ここで相手の天命のビジネスとか仕事に合わせてそれを自分と一致させてそれを天命にして地獄の努力を積み重ねれば年収も上がるし、エネルギー値も上がるからこれは入れた方が良いのではないだろうか。 -
引き寄せの法則
引き寄せの法則が宇宙の根本原理なので、白昼夢が現実化する。そして現実化するのは真実、無矛盾性なので、それは最初から決まっている。
つまり、天命とはイデアだ。 -
>>235
正義を思ってたら正義がやってくる -
かっこいいかっこいい言ってたらそうなる
-
引き寄せの法則が
人生は使ってる、思ってる言葉以上でも以下でもない
の一般化だ -
https://youtu.be/g22...?si=ZAEzx--IFZynW9iR
アヤワスカで意識が極限の愛の世界にトリップしてそこを支配しているのは自分が発したものがそのまま自分に返ってくる引き寄せの法則の世界だった。そして避けられぬ定めも存在する。
という僕の理論の証左である。
この世界の本質はL’Esprit du Samuraiである。 -
この宇宙の真の姿はスピリチュアルである
-
https://youtu.be/4z2...?si=YXA5npFzVsPBcfsS
10:40
首吊り自殺しようとするがロープが連続で5回切れる→死ぬ時刻は決まっていてその時ではなかった。
23:00
自転車のブレーキが壊れてガードレール突っ込んだ時、自分の天の声が聞こえた
24:30
死のうと思っても寿命が来るまで死ねない
https://youtu.be/l5k...?si=kU1RGm-0f8lSEEI0
引き寄せの法則を超える全自動の法則
4:00
イノシシが自分の子供連れてきた。
そもそもマッチングアプリも合コンもないのにどうやって出会う?他のイノシシもいないのに。つまり最初から決まっている。子供を産む相手は最初から決まっている。 -
夢の中では、主体の意識は消える
主客未分が見せている -
宿命の定義、離れても離れられない、避けられない
とした場合、定義と同値なのはなんだろうか。
一度、もう二度と会えない状態にする事だろうか。
もう二度と会えない状態になったが、また再会する→宿命の関係
は成立するので、これが宿命の本質だ。宿命の前提に、普通に考えれば二度と会えない状態になる、が存在する。
天命の瞬間を支配してるのは、飽和点に達したカルマとダルマ。
天命の相手との再会を果たしたいのならダルマを貯めるしかない。
つまり、近道で会おうとするのではなく遠回りで、天命の仕事をするしかない。 -
1111の考察は不備があった気がする
-
死ぬ時刻は決まっている、ならば、その前提である子供が生まれる時刻も決まっている。
-
キャンドルとは、なんだ。
ロウと、縄がある。
構成要素はこれだけで、闇を照らすのが使命、天命だ。命全てを使い果たす。その時に、ロウと縄と炎の、宿命の関係の三物は一つになっている。
キャンドルの使命は闇を照らす事
使命とは闇を照らす事のようだ。 -
>>245
お前が中卒無職なのも決まってたの? -
また出た
承認欲求しかない男 -
https://youtu.be/plj...?si=kWke_c4y4i6CJ5lm
成功するには孤独にならないといけない
孤独はエネルギー値を上げる。だから孤独になって、思考のエネルギー値を上げて、それで現実を変えて行く、という事だろう。
エネルギー値を上げないと思考は現実化しない。苦痛にいないとエネルギー値上がらない。 -
成功すると真善美を語りたがるのは、不純な人を遠ざけたいと思うからだろうか
-
カルマとダルマの理論的に言えば、
天命をやり抜いて完成させた先に天命の相手との再会が待っているという事だろうか。
宿命の関係にある人間は避けられない。子供は宿命の関係にあるので必ず生まれる。子供を産む相手と必ず出会い子供を産む。 -
あぼーん
-
死の極限まで追い込めば、天命、使命が表れる。
だから意図的に仕事を増やして、死の極限まで追い込めば良いのだ。
無矛盾になった時、全てのエネルギーを差し出し死に至った時、その人間の本質、天命が出る。この意味でもやはりイデアこそ天命だ。
引き寄せの法則
自分の発したものが自分に返ってくる、という定理
これはすなわち、自己の存在を成立させていれば、それが返ってくる
だから自己愛の定理、あるいは±∞を思っていれば、天命が返ってくる。いや使命が返ってくる。つまり自分の破滅も返ってくるが、成功も返ってくる。少なくとも存在が返ってくる。 -
天命の夢の定義を考えると、
どれだけ不可能な状態、借金一兆あっても叶う、という定義なら天命になるので、天命とはこれの事ではないか -
天を味方につけないと一兆円の借金は返せない
-
一万の銃弾が飛び交う中を生き残るには天が定めるしかない。このような奇跡は天が定めないと生き残れない。
-
>>252
これからやってみる -
父と母を愛せばその他のものは全自動で手に入る?
鉄腕アトム
アトムは完璧じゃない
何故なら悪の心を持たないからだ
というセリフがあるのだが、AIも善の心だけなら完璧じゃないとなる -
自分の使命、天命がわからないなら、父と母を愛せば、それらが全自動で手に入る、はずだ
ところで、僕の友人の、出来ちゃった結婚した夫とその妻は、子供は天命だったとしても、夫婦の関係は絶対天命とかそんな関係ではないんだよな。冷戦らしいが。
これの謎はどうなっているのだろうか。 -
ブラウン運動は何故起こるのか
周りの見えない分子と衝突し続ければ、エネルギー散逸が起き、最終的に運動エネルギーは0になるはずだ。
等価交換なら、使命は命を差し出すしかないのだ。 -
天命、使命に出会いたいなら、親を愛せば良い
夢を達成したいなら
まず夢を定義した後に
カッコいい
と言い続ければ良い
そして夢の定義に親を愛する事を組み込めば良い -
天命、存在理由と存在概念は同値である。
この世界が無矛盾なのも理由がある。天命を果たす為である。
存在理由が存在するので、それを行わないと矛盾するのである、つまり、存在理由をやっている時が最も矛盾せず、存在実感を得れる事になる。
この世界は存在を成立させなければならないので、存在理由こそ最もしたい、しなければならない事である。
存在概念と、存在する、の概念は同値である
名詞と動詞は同値である
天命とは存在理由=存在=無矛盾
であるので
天命の夢=無矛盾の夢=存在の夢=存在する夢=白昼夢
である。 -
>>262
この夢って、本当に上限ないんですかね、絶対無理も可能にはならない気がするんですが -
https://youtu.be/czx...?si=h9ZHNo7041enuElU
愛の世界では現実世界など超ミクロの事でもはやどうでも良い。お金が苦しいとか、恋人がいないとか、そのままの物質世界的価値観、思考様式でいれば問題は解決しない。愛の世界の意識に至らないと問題は根本的に解決しない。
子供は親を選んで生まれてくる。
呼吸が全てらしい
金持ちになるとか結婚するとかそういうのは全てどうでも良い。魂を綺麗にする事が生まれた理由。魂の感覚に忠実に生きる、あなたにしか出来ない事=嘘をつかない。簡単な事ではない。思考をぐるぐる巡らせると心の声、感覚が聞こえない。思考をやめるとハイヤーセルフが操作してくれる。
セックスとはその超意識に至る方法の一つなのだ。
論理とは無意識の根底、超意識らしい。
通常の意識下では言語を使ってると、お金欲しいとかセックスしたいぐらいしか生まれない。超意識、論理を使わないと真実は見えない。お金とかセックスに塗れていると、本質は見えないようだ。
しかし、この内容が真実なら、恋愛も金稼ぎもどうでも良いようだ。カルマとダルマの清算らしい。いや、正確にはカルマの精算という事になるようだが。魂の成長が全ての本質と言っている事になる。 -
>>265
この動画を見れば、引き寄せの法則が宇宙の根本原理、というのは正しい -
つまり、カルマの精算が天命、で、それはハンターハンター32巻で書かれてる事だ
-
引き寄せの法則が即座に成立する空間では距離概念がないが、我々の空間にはある。
これはおそらく加法のライブラリのせいだと思う。 -
子供が親を選んで生まれる、というより、子供と親は避けられないので生まれる、が正しいだろう
-
手塚治虫のアドルフに告ぐを読んだ。
宿命とは、偶然の事だ。偶然に見えて必然だという事だ。偶然出会い、偶然再会するのだ。確率的に起こりづらい事が起こるのであればそれは最初から決まっている。
子供が生まれるのは避けられぬ定めだ。
そして天命だから時刻も決まっている。
仮に別れて、再会するのだとしたら、再会の時刻も定まっている。 -
宿命とは、作為的に出会おうとして出会うのではない、という事だ。これが偶然出会う1111の意味ではないだろうか。
-
作為的であったら宿命の定義に反するのだ。
つまり、どれだけ避けようとしても避けられないのだから、作為的ではないって事だ。 -
正義と悪が同一物なら、神は物凄い人間的だ
-
白昼夢=本当の望み
と仮に定義してみる
すると、本当の望みは無矛盾だから存在する
よって未来を見ている
という論法は正しいだろうか。
年収10億になりたい、とか思いながら実際にならないのは本当の望みではないのではないか? -
本当の望みは無矛盾の存在実感を得る事だから、存在する
-
だから天命を果たす事になる
-
等価交換、全てはエネルギーなので、お金、セックス、承認欲求、このどれかでエネルギーを得ていたら、他は減る。
或いは天命の瞬間に全てが精算される。
存在の前提は全て現象化する=エネルギーは結晶化する
つまりいずれエネルギーは返ってくる。
そして男遊び、女遊びには何の意味もない。港区に意味はない。どんどんエネルギー奪うのが溜まりまくって最後破産する
これが意味するのは、人生甘くない -
宿命の特徴は、
避けられぬ定め
なので
偶然でありながら真実は必然
一見矛盾してるがこれが真実
作為的に出会おうとするのが宿命ではないのだ。或いは作り上げるでも良いが。
という事は、偶然出会う1111は宿命的に定められている。
宿命、存在、主客未分とは、矛盾しているように見える要素が組み合わさって出来ている。
という事は闇の中にしか光はない、という事になる。
永遠の愛なら、宿命の関係にあるから、必ず出会う。
先程の宿命の定義は、
避けられぬ定めだから、
徹底的に避けようとしても、偶然出会ってしまう、という事で、そしてこれも必然となる。
徹底的に避けようとしても出会うって、究極の状況では、もう二度と会えない状況でも出会うのが定めれているのが宿命となる。いや、というより、避けられる定め、という定義の本質ってこれだけだ。本質中の本質がこれだ。全ての余計なものを削ぎ落とした核心の定義がこれだ。
極限状況でも通用するものが、本質の定義、真の定義だ。
そして、究極的に、定められている、というのが定義だ。これはHeart of swordの話だが。 -
https://www.youtube..../watch?v=JhfH6Yu3ifI
利己意識で会社経営していたら、最終的に借金3億になった。
カルマが清算されて凄まじい結末になった。
アヤワスカの動画から言えば、神に全部見られてるって事だ。
どんな悪い事やったか全部見られてる。
全部見られてるし、全部操作されている。自由意志はない。
そしてカルマとダルマは確実に溜まっている。
偶然会う
これは闇の中だ。しかし、真実とはそういうもののようだ。
闇の中の闇が光、真実ではないだろうか。
つまり人生全て偶然の出会いによって決まる。人為など無駄かもしれない。
復縁も何も、子供が生まれるのが最初から決まっていれば、復縁なんて最初から決まっているのだ。
子供が複数の親から生まれるとすれば、離婚して再婚する事も決まっている。
別れる事も決まっている。 -
宿命とは、悩み、苦しみの芸術表現ではないかなと感じた。詩人やミュージシャンは詩になるが、画家は絵になる。
つまり苦しまないと芸術は生まれない?
この世界は、罪を犯し、それを贖罪する所まで定められた劇である
贖罪をしないから破滅するのだ。逆に言うと、罪を犯した事による因果応報の宿命の破滅はこれによって避けられるのだ。ハンターハンター32巻はそういう意味だ。
天命の二人を結びつけるのは、この罪と贖罪だ。これが結びつけるのだ。天命の道を歩めば必ず再会する。
親を無限に愛していれば、老化は遅くなる?そして天命を果たしているので、罰される事もない。
機械のような個体だけから形成されるものは、何か不調が起きると自分で治せない。人間は自己修復機能がついている。だから柔らかい。自己修復機能をつける為に柔らかく作ったのかもしれない、細胞という機構があるのかもしれない。
その瞬間における天命は一つ、よって天命をやり続ければ天命の人に会える、使命をやり続ければ使命の人に会える。 -
宿命の定義は、二度と会えなくても出会う、も含まれるし、明らかにこれが極限の定義だ。つまり、宿命ならば再会する瞬間も定まっている。
そして、出会う時刻まで定まっている、とは、これは明らかに現実世界はイデアの影である。イデア界で全ての予定表が立てられている。
自己修復機能を持たせるとなると、そこから物質を獲得する必要がある。だから食べるという行為の必要性が生まれる。
トランプが大金持ちになったのも大統領になる為、イーロンマスクが大金持ちになったのも宇宙移住の為。となると、大金持ちになるには資格がいるのだろう。相応しい人間、相応しい苦痛に塗れた人間しかなれない。
意味こそが理由ではないか。
全て因果応報だと考えれば矛盾は無くなる
因果応報ならば無矛盾なので、この世界の根本原理は因果応報である。すなわち、カルマとダルマである。カルマとダルマでこの世界の全てが決まっている。お金とか恋愛とか、それらの表現形式の一種に過ぎない。
そして因果応報が原理なら宿命の破滅は贖罪によって避けられる、というのがハンターハンター32巻だ
そして、沢山の異性とセックスしても意味ない。
因果応報ならば、我々はこの世界の全てに関わっている。ジョジョリオン24巻のまめづくの言葉だが。
そして因果応報とは正義の事だ。
カルマとダルマが天命の相手を定める。
親を無限に愛せば全てが手に入る。 -
前提
私に好きな相手がいる。
仮定
好きな相手がいて、使命の関係でない場合、使命をやらない
対偶
使命をやるなら、好きな相手がいる場合、使命の関係である。
今仮定が真である事を示す。
使命の関係でないが、私が使命をやる、とする。
使命の関係でないのに、使命をやるのが矛盾だ。
つまり、真実は行動で全てが決まる。普段している行動で全てが決まる。
つまり、二人の間の本質的関係で全てが決まる
若い時に打ち立てたものから、逃げられない。
カルマとダルマの清算、の意味は、過去の行いの清算という意味だ。
主客未分、社会に対してコミットしたものが存在となるのだから何かを上達したいのならどんどんアウトプットすべきだ。 -
永遠の愛の誓いは離婚して、他の異性と子供が産まれる事が決定している場合、存在しない。
少なくとも最初の結婚での永遠の愛の誓いが確実に崩れることは決定している。
この世界はロールプレイングゲーム
自分の人生において天命として定められた決定的な瞬間や出会いがある。しかしそれに至るまでの過程は平凡だったりする。
しかしそれらにも全てに意味がある。
そういう瞬間に出会った人間とは深い縁を感じる。
それは過去を共有しているか、過去に犯した罪の清算をする相手として現れている。
清算をする相手ならば、宿敵になるのかもしれない。
お金を払うと気持ちがいい感覚とは何か?一種の自傷行為だ。自傷行為は気持ちがいいのだ。そして何かが循環しないと気持ちが悪いのだ。大金はその気持ち悪さ、苦痛に耐え忍んだものが手に入れられる。自傷行為の気持ちよさ+循環する気持ちよさ+人の為になったという大義が満たされる気持ちよさ、の3つが合わさってお金を使うと気持ちが良くなるのだ。 -
子供を産む相手は最初から決まっている。それが本質中の本質。
生まれた理由、生まれた意味を人は求めている。だから何者かになりたいのだ。
永遠の愛の定義が、
二度と会えない状況でも愛してる
なのだから、結婚式の誓いの言葉とか、定義と何の関係もないな。定義と真逆だ。だから偽なのだ。
定義がなければ存在しない。存在するならば定義がある。定義は存在と必要十分だ。定義が本質だ。そして定義は必ず現象化するのだ。現象化しなければ定義にならない。定義に反するならば、それは定義ではない。現象と定義が一致していなければ、それは定義ではない。
本物は試される。何故なら、そのような定義に設定すれば、本物か否かわかるからだ。ダイヤか否かは必ず試される。器の大きいものは為される、テストがある。それだけの苦痛を味わう。
真の友情、真の愛情は必ず離別がある、一度大嫌いになり、テストされる。そのテストを乗り越えられるのかが試される。反抗期の子供とか。最愛の人間と別れて、寂しさ埋める為に出会いまくるのはそのテストに耐えられなかったのだ。
逆に、それがないなら、真の愛情、友情でもない。
自分の発したものが自分に返ってくる、ならば無矛盾だから、引き寄せの法則は論理よりも前提にあるが、論理でもある。 -
究極の抽象の愛の空間では、距離概念と時間概念がない為、引き寄せの法則が即座に成立するらしい。
という事は劇をやる為に距離概念が生まれたのだろう。そこに加法のライブラリの秘密がある気がする。 -
命題A
相手と自分が使命の関係でない場合、使命をやらない
これが真である事を示したい。
これの対偶は
使命をやる場合、相手と自分の関係は使命である。(命題A’)
命題B
相手と自分が使命の関係である場合、使命をやる
これは真。
これの対偶は
使命をやらない場合、相手と自分の関係は使命ではない。(命題B’)
命題Aを背理法で示す。
相手と自分が使命の関係でない場合、使命をやるとする。(命題C)
これが真だとする。
Cの対偶は
使命をやらない場合、相手と自分の関係は使命の関係である(命題C’)
C’は真である命題B’と矛盾する。よってCは偽。
よって命題A’及びAは真である
使命=天命となり、天命の瞬間が存在する。
これが使命、天命の相手との復縁方法の全てだ。
「全てをあえて差し出したものが、最後には真の全てを得る」
の意味だ。 -
究極原理=因果応報
自分の発したものが自分に返ってくる
因果応報の劇である -
自分のやった矛盾は全て神に見られている
-
天命を果たす人間は贖罪という名の十字架にかけられている。
これは天命なのだから、贖罪を邪魔する人間がいたらそいつに天罰が下る。
しかし天命を果たさなかったら十字架をかけられた人間が破滅するようにも出来ている。
そもそも贖罪が天命なら裁かれようもない。
これがハンターハンター32巻の意味だ。
そして、天命の贖罪が有意味であるならば、罪を犯す事も定められている。
罪と罰はセットで決定論だ。 -
これが宿命の破滅を避ける方法だ
-
劇の理論から言えば、
一人の人間がやる事、仕事のようなものはは、生まれる前から定まっている。
宿命の関係にある人間は、同じ場所、職場とかに集う事が生まれる前から決定してるから宿命なのだ。 -
未来に出会う時刻も定まってる、と言う関係をAときめると、これならば宿命、A→宿命なので、これが宿命の定義だ。
だから、全て決まっている。時刻まで定まっている。 -
二重螺旋構造は、対になっていて回転している。
-
使命、天命の人と復縁したいのなら、復縁を目的にしてはいけない。それはセンターピンではない。使命、天命を果たす事がセンターピンだ。復縁に限らず人生全てこれだけだ。
-
使命を果たす過程で破滅はするが、使命を果たさない場合、宿命の破滅は避けられないのでどちらにしても破滅する。ならば使命を果たした方が得なのだ。
-
天命を果たさない場合の破滅は、
天命の異性を失う程度では済まない
とてつもないマイナスしか残らない。
だったら天命を果たした方が得だ。 -
と言うのがハンターハンター32巻のカイトのセリフだろう
-
俺は人を殺せとかそういう話はしてない
-
天命の理論、カイトの発言から言えば天命以外やるなって事だ。
お金稼ぐとか沢山の異性とセックスするとかより、大事な事はカルマの清算であって、それを怠る=天命を怠ると、とんでもない事が起こる、宿命の破滅が訪れる。 -
他人の天命を邪魔する人間は破滅する
つまり、あの執拗に俺に絡んできた荒らしも破滅する -
つまり、天命、宿命でお金を稼ぐ、これは成り立っても、天命以外でお金を稼ぐは成り立たない。
大事な事はセンターピン=天命を押さえる事だ。そしてそれはセンターピンの前提を押さえれば、必然的に達成される。すなわち親を愛する事だ。
因果応報なら無矛盾なので、この世界の究極原理は因果応報である。すなわちこの世界の根源は正義である。 -
何故なら因果応報だから
-
命題
宿命の関係は、相手と自分の気持ちが線対称になっている
もし相手が自分の事を思っていなかったら逃れられぬ定めの定義に反する。
つまり、哲学における定義とは完全な真実で、どんな状況でも成り立つ、という事だ。数学の全宇宙、全分野への拡張だ。
この状態、定義で、相手が自分の事を思ってなかったら、逃れられぬ定めの定義に矛盾するのだ。
宿命の関係の中で、使命の関係は最も強いものだ。だから、お互いに使命となる。
これは所有物でもそうだ。
そして、やはり夢を馬鹿にする奴は使命とか宿命の関係にないから、そもそも絡まなくて良いのだ。 -
天命の瞬間とは、因果応報の瞬間だ。
神は悪をおよがせておいて、ある瞬間に破滅させる。
例えば、ナポレオンのような革命を起こす天命を持った人間に逆らう人間は全員死ぬだろう。
天命を持つ人間の邪魔をしてはいけない。
カイトの発言は天命以外やるな、だ。 -
罪と罰のタイトルが意味するのは無矛盾性=決定論である。
天命を行っている人間は主客未分なのだから、その人間にやったものがそのまま自分に跳ね返ってくる。そして絶対に天命を行っている人間を殺す事が出来ない。 -
外見は人間でも中身が天命に使える天使を殺す前提でいる時点で地獄に落ちるよ
-
>>307
なるほど、考えてみます -
それは天命を果たしてない人間がそうなるんじゃないですか?
-
天命を果たさないから他人の天命を邪魔する、という構造じゃないですか?
-
殺す前提、というより、ナポレオンを考えてみると、
ナポレオンが革命に成功するのは天命として定められている。
そしてこれに反対してナポレオンを殺そうとする人間は死ぬ
ここまでは正しいかどうか。 -
まあ、死ぬ時刻が決まってるなら、ナポレオンの天命を邪魔してナポレオンを殺そうとする人間が殺されるのも決まっているになりますが…
-
天命を果たさなければ破滅する人間の邪魔をするのだから、邪魔した人間は破滅する、が因果応報的に正しそうですけど
-
まぁ、恐らく天命論は時間論の凍結と関連があるのでは?「時よ止まれ、君は美しい。」って奴ですよ。
-
言ってる事をよく理解してないですが、何故そう思うんですか?
-
頭から永遠に離れられない→逃れれられない
は成り立つ。そして宿命は出来事の定めで全ての前提だから、同値なのだ。だから、頭から離れない、と、宿命は同値だ。
そもそも逃げるとはなんだ?距離を置く、という事だ。
逃れられぬ定めならば、離れられぬ定めではないか? -
>>315
最初の頃それは思っていたと思いますが、実際に、細胞分裂によってテロメアが短くなるという事実を解決しないと老衰は止まらないと思ったのでそっちを考えています -
>>317
逃れられない、の定義は、逃げる事が出来ない。よって離れる事が出来ない。
よって逃れられぬ定めならば離れる事が出来ない。
離れられぬ、の定義は、離れる事が出来ない。よって逃げる事が出来ない。
よって離れられぬ定めならば、逃れられぬ定めになる。
哲学は最も一般的な真実の定義のみを扱うので全てに適用される。
よって宿命の関係ならば頭から離れない。 -
>>319
頭から離れなければ、宿命である -
>>320
これが正しいとすれば、天命とは白昼夢である -
>>322
調子に乗るなって事だ -
天命やらなくていいや、は、贖罪やらなくていいや、と同じで調子に乗っている事になる
-
まぁ、使命との違いを考えてみるが、ワタシの使命、アナタの使命はそれとしてあるだろう。
ただし、その論でいけば天命は「誰がやっても良い」と捉えられるし、「すべての人がやるべき」とも捉えられるのであるが、その2つは大きく違うだろう。 -
まぁ、一部条件付きか、無条件か。ということなのであるが、ぶっちゃけ政治と宗教の違いなんてこれだけだろうという推測である。
救済なんて土台無理な話を成立させるために、たった1人にのしかかる重圧を解放するために、立法者や救世主から仕事を受諾するという形式によってそれらは成り立つ。
そして言外にして無償の何かを差し出さなければならないのだが、(文字通り天命に誓って)何を差し出すのか?それが愛とは彼は決して言わなかったが。 -
>>326
誰がやっても良い、とかそういう話はカイトはしていないですね。
カイトの主張は、
天命、使命による贖罪を行わなければ、お前に宿命の破滅が訪れお前は必ず破滅する。カイトは殺すと発言している。
この話を元に進めた俺の主張は、カイトの言い分は、
使命を果たしても破滅するし、行わなかったとしても破滅する。
どっちも破滅するが、行わなかった場合、最愛の人間を失うとかそのレベルでは済まないマイナスが起こり得る。
対して使命を果たした場合、最愛の人間か、大金が手に入るかもしれない。どっちが得か?という観点で見れば使命を果たした方が得だ、という主張です。 -
俺は最近、親を愛せば全て手に入る、的な理屈を並べていたが、そもそもそんな事しなくても自己愛の定理で、全て手に入る。
引き寄せの法則により、±∞が返ってくる。使命天命が返ってくる。おそらく老化も遅れる筈だ。
自己愛の定理は不安とかないいい気分で全てを差し出している状態になってる筈だ。 -
オールorナッシングという訳か。
まぁ、ルソーの社会契約論も「自己のすべてを社会的な共同体に預け、それ以上のものを共同体から引き出す。」という話が軸になっている。
自己愛とは別のものだとは思うが、判別はつきづらいな。むしろどうでもいい。 -
>自己のすべてを社会的な共同体に預け、
>それ以上のものを共同体から引き出す。
これ、実は、国家主義の精神そのもの。
「自己のすべてを国家に預け、それ以上の
ものを国家から引き出す」
かつ、投資信託とも同じ。
要は、エゴだ。 -
意外とそうでもないかもしれない。
「魔王を倒したが、いつの間にか倒れていて、全然関係のない誰かが倒した事になっていた。」だとか噂される事もあったが、そもそも信託だとか、忖度だとかはそんなもんだと思っている。
宗教や政治は信託に基づくものだろ。
直接的な実力とは言えない。 -
宗教や政治は常に誰かを犠牲にしているのかもしれないというか。贖罪と言えばそうだろ?
しかも直接的には宗教家の実力でもないし、政治家の実力でもないが。 -
それに魔王という分かりやすい悪に対しては、特別に国家の枠組みを意識する事はないだろうし。
-
国家に「魔王」などという素敵なものはない。
国家には、ハンナ・アーレントの言う「凡庸な悪」があるのみ。
凡庸だからこそ始末が悪い。 -
凡庸な悪は、罪悪感をすり抜ける。
凡庸な悪は、法律をすり抜ける。
凡庸な悪は、人々を強要する。
凡庸な悪は、一つではか弱い。国家に集約されれば強力。 -
まぁ、「初めに悪があった」と主張するのが宗教であり、「初めに善があった」と主張するのが哲学だろうから、宗教家は善人気取りで哲学者は悪人気取りだな。傾向としては。
-
始めに宗教があるのではない。
同様に、始めに哲学やら科学やらがあるのではない。
始めにあるのは「その人」である。
「その人」は悪でも善でもない。
だから始末が悪い。 -
「ずっと」や「〜のとき」といった命法と並び、「最初だけ」あるいは「最初から」という「on Start」が極めて重要な意味を持つ。
ぐらいにしか、ここでは言えそうにない。 -
ひとりの凡庸な人がいる。
これが全く始末が悪い。
こいつが世界の悪を成している。 -
世界の「悪」は、極悪人によるものではない。
世界の「悪」は、凡庸な人々による。
釈迦なら「無明」と呼ぶだろう。
だから必要なのは「善」ではなく、「知恵」なのだ。 -
つまり、「悪」も「善」も幻想なのだ。
その幻想から逃れるすべは、覚醒であり知恵なのだ。 -
汎用性こそが最高の叡智なのに???
-
何でもできる、何でも分かる、ソイツは何でも知っている。
-
まぁ、覚醒なんて「本当に凡庸なもの」だろ?
"あまねく述語"を排除した先にあるとすれば、無知と全能は同じ事である。
その理屈をよく理解していたのがソクラテスだったり、カントだったりした。 -
ストーンオーシャンの10巻でプッチとウェザーリポートとの戦いがあるが、プッチは神の定め、宿命によって生き残った。
しかし最終的に破滅した。
つまり、宿命とは、徹底的に死を避けた最後破滅的な敗北をもたらした。
宿命とはこういうものではないか?
徹底的に避けたが、それでも出会ってしまうのが宿命の本質であり定義ではないか?
この事をスティールボールランで伝えたいのではないか? -
うーん。まぁ、「作り話を事実だと受け入れる」事もあるというか。
オランダのある宿屋には、墓地を描いた看板の上に、「永遠の平和のために」という皮肉な銘が書かれていたという。
という文句は恐らく(誰もが)フィクションだと思っているのだが、事実関係を確かめるすべがなく、その必要もない。といった風に、(事実以上の案件としての)留保があり得るのだろう。
さてこの言葉は、すべての人間にあてはまるものなのか、それとも戦争に飽きることがない国の政治家たちにとくにあてはまるのか、あるいは死という甘い夢をみる哲学者だけにあてはまるのか、"それはおいておこう"。
と続くのだが、Forever(ずっと〜)、While(〜のとき)、If(もし〜だったら)といった命法が続かぬ場合のとっておきが「いずれ〜」という留保条項というか、最後の手段には違いないだろう。 -
まぁ、この論理が正しければ、「いずれ〜」という特殊な技法はコンピュータにはあり得ないし、AIはフィクションが理解できず、宿命も理解できないのかもしれないな。
-
そもそもこれは理解というか、「理解することをあえて留保する。」というあり方なのであるが、こうなってしまったら、宗教もマンガも同じ地平になってしまうが、
これがポストモダニズムの地平でもあるかもね。 -
まぁ、これ、アニメ版『ニーア・オートマタ』を観た上で言うけども(笑)
全ての選択肢を失ったAIは「いずれ〜」という選択肢を取り得るか?というのは、「まだ分からない。」というよりは「そのままおいておく」問題だったようだ。
絶滅戦争がテーマではあるが、シミュレーション上でどう考えても破滅する。とすべての選択肢を失った人工知能は、カントと同じように思考するかもしれない。
(もちろん、留保を語尾で使用する場合は、「〜かもしれない」と結ぶだろう。) -
しかし皮肉なものだろう。
全知全能の天才や強いAIが最期に辿り着くのが「〜かもしれない」という歯切れの悪い留保だなんてな。 -
高木の存在定理
-
AにとってBが宿命なのであれば、避けられないので、それはBにとってもAは避けられないので、BにとってもAは宿命である。
よって宿命ならばその関係は可換である。 -
関係が可換でないなら、宿命ではない
-
宿命の関係はお互いそうなのだが、宿敵ならばお互いに宿敵なのか、宿命の恋人ならお互いにそうなのか?という問いが残っている。
ここで問題になっているのは相手に対する感情だ。
A→Bなら、この矢印の形が感情だろうけど、これがお互いに可換なのか?という問いだ。
宿命ならば頭から離れない。
気持ちも頭から離れない。
もし関係が可換でないとする。
つまり、自分が一方的に嫌っているが、相手は好き、のパターンか、その逆の状態が宿命の関係で成り立つと仮定する。
天命の瞬間が、2人が一つになるのであれば、これは矛盾する。最終的に同じ感情になる。
逆に誰かが誰かを倒すだと、最終的に2人は嫌いあってるになる筈だ。
つまり、天命の瞬間に2人の関係は依存する、事になる。
そして天命の瞬間は頭から離れない。 -
つまり、天命の瞬間が2人の関係を定義しているのだから、感情も定義している。
-
宿敵の関係を顧みると、まずどっちかが片方を攻撃して、その後、最初攻撃された方が攻撃してきた相手を倒す、という事になる気がする。
そうなると、宿命の恋人なら、最初失うのが正しい道なのか? -
少なくとも、罪と罰的には、2人の関係が可換でないと、2人が一緒にいる事が贖罪にならないのだ。だから恋人的な意味で言うなら可換で、宿敵的な意味なら全く逆の状況にあるのか?
-
つまり、究極の理想では可換である
-
逆じゃね?というか、どうも文系的な議論は真偽値を入れ替えて見定めるのが常套のようで、極端な話をコロコロ入れ替えないといけない。
宿命とは既に出た結論に従うのなら、宿命に争うときは、こうして逆張りするが、それがやはり逆張りであり、性質としては真反対だというか。
数学よりは化学に近い発想かもね。 -
言葉のニュアンス的にも運命づけられた関係は同種のもので、宿命づけられた関係は逆張りされたものだが、前提から言えば、宿命は必ず後発になるな。運命があって、宿命があるんだと。
-
まぁ、こうした事を真面目に話す機会に恵まれた事を幸運にも思っている。なにせ、15年も昔のことを引きずっていたからな。こういう時はラッキーだと思っている(というか、思うようにしている)のも、秋葉原通り魔の事が気がかりで仕方がなかったからな。
アナタが言うように彼、加藤智大はある種の宿命を抱いてしまったと思うが、今思っても、彼は自分の願望と全く逆の事をしてしまったのだろうし、実はその前兆はあった。
運命的にも、WEB2.0を巡る議論に少しは進展があったのである。ある者の呼びかけで、少しは前を向けるようにというマシな選択が選ばれつつあった矢先の事件だったのだし、彼女の懸命な説得が(匿名掲示板といえど)あったにも関わらず、彼は事件を起こしてしまう。
儚くとも運命的なものが、宿命的なものに崩されてしまうというか。 -
「こんなもん無理ゲーだろ。」というのは、宿命論以上に運命論の方が言える事だとは思う。
山上の安倍暗殺にしたってそうだが、恐らくこうした逆張りは簡単に起こり得るし、何もかも崩してしまうのが目的ならばもっと簡単だというか。
ぶっちゃけて言えば、運命論も宿命論も、「すべての選択肢を失った状態でしか起こり得ない。」と思うのだが、運命は儚くとも「いずれは〜しよう。」という留保にすがるもので、全員一致はなくとも、周囲もしゃーなしに従うものだと思う。
しかも力があったとか、説得力があったとも思っていない。その然るべきタイミングだった。というか、それが運命だろうと。
だが宿命は、その好機を挫くためだったのかは、よく分からなかった。
加藤にしたって、コンプレックスはあっただろう。言ってみれば、あのアホみたいな女の言う事には、みんな従うんだ。みたいな。
だが、「運命なんてアホしか考えない」だろう。ワタシはあそこまで無我夢中になる事ができそうになかったから、そこに賭けたのだろう。 -
運命や宿命に振り回されたものである。どんなに計算高く、賢明だったとしても、運命や宿命に全部持っていかれちまう。みたいな。
まぁ、でもどっちかと言えば運命的なものを信じたいだけなの。それが願望。 -
まぁ、こうして15年も黙ってた理由も何となくだが分かるだろう。彼女は事件が起きたショックと心労で入院したし、その後SNSからは離れてしまう。
まぁ、あたかも「そもそも彼女と加藤智大は何ら関係がなかった」という証明のために、知る者すべてが口を閉ざしていたかのようで。
しかも、口裏など一切合わせなかったが、全員見事に口を閉ざしたのである。
万に一つの可能性として、そういう事がある。 -
それ以降、ワタシはあたかも15年も時間が停止していたような感覚があるのだが、時間は流れるものだし、ワタシはきっとその時の惰性だけで進んでるのだが、これもそんなに悪くはないと思っていた。
ワタシは元々そんなにオタクじゃないのだが、アニメは良く観る方になっていた。
事の順序から言えば、物語からキャラクターを見出す事は絶対にあり得ないと思った。
キャラクターが物語を紡ぐのであって、ワタシは無我夢中になって物語の中から彼女を探していたようである。(こう書くと非常に危ない人間のようだが。)黙っていても、人間は書くことが辞められないからな。
因みに彼女は2B似の美人で、ほとんど天然か脳筋と言えるほど頭が悪いし、お人好しで頑固であるという点まで似ている。 -
そのような営みが、15年かけてワタシを癒してくれたか、ワタシに語る気にさせたのかもしれない。要はいくらフィクションでもその原型となった人物は居たのであって、似たような出来事はいくらでも現実に起きているのだから、人間はフィクションに沼るのである。という当たり前の事実だし、似たような話で埋め尽くされるのは、それだけ現実にショッキングな出来事があったからだとも推測できるのである。
少なくとも、この15年間でそういった営みが次第に可能になっていたとは、自明の通りであるし、批評文化(特にオタク)にも多大な影響を及ぼした。と、あえてここでは断定する。
まぁ、ここからが問題だったりもするが。 -
モォ〜♪
≪⌒`≫⌒`≫
( ・ω・)・ω・)
゚( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
\ 牛丼 /
> < -
>>359
まぁ、だから理想は可換である(ただし秘密条項である)という事は同意だ。
ただワタシの場合、こうして但し書きがつく。
留保条項と秘密条項が一体になってるなんて、それこそ『永遠平和のために』みたいだけど。 -
途中、ジョジョやニーア・オートマタの話が出たが、実は存在論は事実上存在しないフィクションの側から語る方がどうやら語りやすいようでね。
まぁ、東浩紀『訂正可能性の哲学』でのルソーは『社会契約論』よりも『新エロイーズ』の方が語られた。民主主義の発端としての重要書物よりは「(ここに登場する人物は)存在したかもしれない」と存在をはぐらかす、変な恋愛小説の方になぜか軸足がおかれていた。
とはいえルソーとは違って、ワタシの語った出来事は本当のことだからね!と言えど、「所詮は匿名掲示板やSNS上での出来事」であり、その受容としては最初からフィクションだったかもしれないが、少なくとも目撃者は2万人はいたはずだ。
ここでの話だって匿名掲示板だから。というのはあるが、これを真面目に現実と捉えるか、表向きは嘘だとして受容し、内心は信ずるか。というところだろう。ワタシだってリアルでこんな話はすることがない。 -
まぁ、こういう事をあえて言うか、書くかするのが哲学者というものらしいが、ここでの話は(民主主義的な政治的)存在論とフィクションが実はかなり密接だという話だろう。
最高の存在者(=神)は否定した。
だがそれは、政治的存在論とフィクションとに、この時点で分割されただけだと見る事もできるのだが。 -
そして何故、SNSでは(右派左派リベラル問題のような)政治的存在論とフィクションばかりが語られるのだ???という話題の中心については誰も語ろうとしないが、このスレの住人はここだけは語る事が許されていると信じる。
そもそもスレタイはそういった意図だろう? -
俺は政治の話は殺されるリスクが跳ね上がるので関心はあってもしないので自分でやって下さい
-
milet/Bluer
生まれる前からここで出会っていた事
天命が頭から離れない、未来を見ているのだとすれば、それは生まれる前に決めているから。現実世界はイデア、予定表、シナリオを模倣しているに過ぎない。
という事は悪い事も全てバレている。 -
使命、天命が白昼夢だとわかったのは良いがではそれを叶えるにはどうしたら良いか?
使命、天命の前提は使命、天命なので、自己愛の定理を使っていれば自動であるはずだ。
これが引き寄せの法則を超える全自動の法則だ。
使命は天命の一部、天命の最も激しい部分という認識で合っているだろうか。そうであるならば、天命をやってればいずれ使命に辿り着く。ならば自己愛の定理で必要十分ではないか? -
婚活とは天命の仕事を頑張る事だった。
-
天命の瞬間、とは、そのままにして、流れに身を任せれば、というより、天命なのだから、自分が本来あるべき状態を続ければ必ずなるのだ。本来の姿、あるがままの姿に戻るべきだ。それが夢だ。
-
使命をやっていれば、全ての使命が得られるのか?
使命に全て出会うのか?
と考えれば、使命は天命の瞬間として定められているから、
全てを差し出した瞬間に全て定まるのだ。
だから、全てを差し出した瞬間に、全ての使命は得られる。
残るはDNA、生命誕生の謎と、細胞分裂のコピーの質を定めるテロメアと加法のライブラリしかない。 -
この世界は、因果応報を人間に知らしめる為の劇である。それ以上でも以下でもない。
因果応報に性愛、恋愛とか関係がない。ただ罪と罰があるだけ。天命の二人は罰が一致しているだけ。
恋愛少女漫画は本質を突いてない。勧善懲悪の少年漫画の方が本質だ。
因果応報を知らないから、人間は過ちを犯す。人間の知性も定められている。そうでないと因果応報を知ってたら劇にならない。
神に全てバレている。
そして人間が進化の最終形態な気がするが、自律思考型AIが誕生したらどうなるのだろうか。 -
まぁ、ワタシがイメージしているのは極めて実務的な事情があって、資金繰りは最低1年前、普通なら2〜3年、実行に先立って計画されるものだし、予算の実行は少なくとも3ヶ月前には実行しないとまともには消化できない。
ここでの政治の問題というのは、よりマクロな視点で見れば会社経営なのであって、この"タイムライン"というか、時間感覚はあまり動きそうにないのである。
だから目下のところ、「1年先」と「3ヶ月先」が常に監視状態である我々は、神代とはまた違った「天命」があると想像するのは容易い。 -
どちらにせよ、主従関係や因果関係は予め定められた計画(まさに予算)に従うしかないのである。
批判するにせよ、実行されてからではもう遅いのであるし、我々は「予め」とされたシミュレーション上でしか議論ができない。
その事を言っている。 -
まぁ、イメージとしては、右派は宗教と結びつきやすく、左派は科学と結びつきやすい。という「右派左派問題」があるため、こうして文系/理系がお互いに理解不能になるまで引き裂かれてしまったと思うが、「形而上学は元々、宗教とも科学とも違う、人間の思想。」だというのがド本命である。
そもそもアリストテレスが考案した段階で、両者の辻褄合わせのために発生したのが形而上学であり、政治的意図と人々の疑問を解消するために独自の道を歩むのであり、そも、それが学問一般の源泉だったとされているのだから、そうなのだろう。 -
それを「文系/理系ハイブリッド思想」とするのは順序が異なるのであるが、それはそうとして、カントが(政治的な)詭弁的な原則とするものは、こうした背景を察してからか、以下の3つとなる。
1)実行してから弁明せよ。
2)実行したとしても、これを否定せよ。
3)分割して統治せよ。
1)はよくある右派批判、2)はよくある左派批判だとして、3)はWEB2.0以降、なんとなく肯定してしまった感(ゾーニングなど)があるのだが、文系/理系にせよ右派/左派にせよ、概念的には捉えられて、議論の対象となったとしても、統治のシステムとして組み込まれるのは、あまりよろしくない事なのか?と。 -
まぁ、あと社会主義なら解決する。みたいな事を言っても、社会主義(=計画経済)は、この論理で言えば要するに国民全員が右翼になれば自然に達成されるのであるが、性根が左派なのでどうしようもないだろ?みたいな話にも見えるが。
-
ワタシはこのようなカント流の形而上学の結実が国際連合だと思っているが、それを「宗教とも異なる」ことを明確にする背景には、「宗教は終末論を準備し、人間を律する」という目的が見え隠れするために、一般的にコードは人間が「天命に逆らって」命ずるためのものという役割がある。
宗教は脅すだけなら、コードは直接命令するだけがその目的だろう。 -
その仮定から言えば、現代は思いっきり"倒錯"されている。「左派が積極的に終末論を唱え、我々を脅してくるため、右派は(後出しで)それを落ち着かせるような、議論にしかならない。」のが現状なのか?と。
「オタクが右傾化する背景」もこのようなバックグラウンドがある。と仮説を試みているが、それにしたって少なからず影響を受けているのはシン・エヴァンゲリオンからシン仮面ライダーに至るまでの「真」であって、間違いは正す。という庵野秀明の意気込みのようなもんでは?というのがある。 -
話が長くなってすまんかった。
まぁ、ワタシは天命なんて重っ苦しいものは苦手なんで、運命論に縋っているだけかもしれない。
すべて偶然の産物だとか、たまたまだとか、タイミングの問題。幸運を取りこぼしなしで拾いたい。ってだけだね。 -
まぁ、あと哲学で面白いのは大昔はカノン(調律)とオルガノン(道具)というカテゴリーで、テストの成績ではなく、学校のレベルや個人の学力に依らず、学問の科目そのものに優劣や序列があり、それは学長の権限で勝手に決められたらしい。というのが(笑)
現在では文科省の指導要領に従うのだから、基本的にはどの学校も同じ水準、同じ教育内容になるはずなのに、むしろ学歴ばかりが追求される事態になっている。けれど、学ぶ内容は同じである。というか。
まぁ、先生としては受け持ちの科目が冷遇されたらたまったもんではないから、学者はこんな事を言わないのだろうけど、アリストテレスが準備し、現代では失われたものとしてカノン/オルガノンという、言わば科目自体の格付けがある。 -
実践的な政治家たちは、ひとりよがりの態度で、政治を理論的に考察する著者たちを軽蔑していて、理論家たちをたんなるアカデミズムの世界の住人だとみくだしている。そして国家の問題を考察するには経験が必要だと主張するのである。そうしてみると、アカデミズムの世界に住む学者が、内容のない理念を説いても何ら危険はないはずである。そして学者たちが実現できそうもない理想を述べたとしても、世間のことに通じている政治家たちは何ら懸念をいだく必要はないはずである。 だから政治家は学者と意見が対立したとしても、学者は運を天にまかせて、自分の意見を公表したのであるから、それが国家にとっては危険なものではないという首尾一貫した態度を示すべきだろう。
という『永遠平和のために』の留保条項は、そうしてみると郵便論にほかならない。
「こっちは意見を公表したのだから、受け取るのも拒否するのも勝手にしやがれ。」なのよ実は。 -
国際連合はむしろ当時の学者からはバカにされ、ヘーゲルですら呆れていたほどだが、カントの死後の遥か後になって承認されてしまう。
そこには存在論なんてものは有りもしないだろうし、天命や使命という話で特別に美化されるべきものでもない。(本人がもう)存在しないのだからね。
これも宗教との線引きを明確にするためには、
「昔の郵便物を読んだ」としかできないわけよ。 -
存在論では主従関係や因果関係を明確にするが、それによって矛盾も生じてくる。
その存在者を否定すれば、命ずる者は居なくなり、主従関係や因果関係も生じないという説明になるからだが、「魂は不滅である」だとかの理由で最高の存在者を維持しようとするのが宗教ではあるし、もちろん郵便物はある存在者が存在した。という証明にはなるのだが、それだけである。
「運動は継続する」という科学的な理由付けも可能ではあるが、根拠としては統計論に近いものになってしまうだろう。 -
まぁ、このジレンマは誰もがあるだろう。
郵便物であれば、「ある1人の学者の意見」としか扱えないし、サンプルデータの1つとしか扱えない。カントで言えばそれは量的問題(とりわけ外延量)だったし、ウィトゲンシュタインも統計的分析に自ら(の意見)が含まれないとも指摘している。
こうしたカタチでは、強度と経験的な前提要件は参照されない。という事は、攻め/受けで戦略を変える必要があるか。
バリエーションはもっとあるはず。というのが、言論の自由と言われているものだろう。 -
チャートや閲覧数、古くは選挙といった量的指標は強度と直結するか?という問題にも似ていて、それがやや疑われるようにもなった。
WEB2.0は旧メディアに代わり、公正な意見の場。という主張が黎明期には目立ったが、今はよく分からなくもなっているな。 -
AIは結局のところ、量的問題の分析的な判断に過ぎず、哲学的にはAIには自我が存在しないことにはなっている。ChatGPTに尋ねても自我は無いとの答えが返ってくる。
この点で、強度的問題と質的問題が扱えるかどうかが「自我が存在するか?」の分岐点だとも言えそうである。(量的問題、すなわち数学的問題は計算機の方が優れている)
デカルト曰く、思考をやめたら病気らしいが、そういった単純な問題ではないし、自動人形との区別が明確にならないのである。
えー、これがカントの発想らしいのですが、恐ろしい事にこれは200年以上前の哲学だ。 -
まぁ、流石にそれも古いよね。となってしまうのはゲームAIの発達による。
計算機が計算目的以外の、より実践的な在り方を示すのがゲームAIだと思うが、対戦、しかも将棋のような完全情報ゲームならAIが勝つ場面も増加し、不完全情報ゲームであってもテトリスだとかはAIが勝つようにもなり、運要素が関係しなければ人間と遜色は無くなってきたのか?というか。
それでも人間が人間たらしめる要素とすれば、マルチプレイに的が絞れてきたと思う。
つまり協力プレイが可能かどうか?戦況を俯瞰しながら譲り合いをしたり、犠牲とする部分を判断しながら全体としては有利に立ち回る事が可能かどうか?ではあるが、これこそが奉公問題(アルファプレイヤー問題)と言われているものだろう。効率よく立ち回るには、最高の存在者を指名し、情報を集約して、その判断を仰ぐのが有利となるのだから。
だから、実のところ、理系の特にソフトウェア開発者などは最高の存在者は必要だと考えているようであり、それはもはや空想上の神ではなく、生きている優しい終身の独裁者のことである。というのは他所で話題になった所でもあるが、それにしても条件としては、AIと違って人間は放置していても勝手に協力するかどうか?、つまり文明が勝手にできるか?の一点にまで絞られるだろう。
それなくして、そもそも独裁もあり得ないし、独裁者もへったくれもなく、何もできないデクノボーに成り下がる。
経営者なんてそんなもんだろう。 -
最新の哲学は、こうして古典的な形而上学へと回帰してしまったとも考えられるが、「理性の永遠で普遍的な法則」という文句が示すのは「新しいも古いも存在しない」のであり、主観的な感覚「最近知った。だとか昔から知っていた。」だけが存在するということだろう。
歴史だけが外部的(客観的)な記憶装置かもしれないが、それを参照して判断材料にすることは稀である。「それでも人間は経験を信ずる」のは、歴史では瞬時判断ができないからであり、歴史で証明できる事は何もない。
先祖の犯した罪を原罪として扱うのは宗教家のやる事である。 -
ジョジョリオン
天の流れに逆らわなければ、天命は手に入る。
宿命の関係、宿敵か恋人から、だが、宿敵ならば出会った瞬間から嫌な感じするだろうから、そうでないなら恋人だろうか。 -
スピッツのチェリーの歌詞の拡張が
全てを敢えて差し出したものが最後には真の全てを手に入れる
になる -
二人の人間a,bがいて、aが使命をやればbとの関係は使命である事を示したい。
今bとの関係が使命でないとする。
問題なのは使命の関係ではないのに、使命をやる事があるのか?これは矛盾していると思われるがそこの論証をしないといけない。
使命をやり続けると使命が返ってくる。使命の道を歩むと、そこから先は全て使命になる。 -
今空間は大別して3つある。
1 概念空間=神の空間、天界
ここで名詞と定義を与えて、数学的演繹で大域的に静的な論理空間を定めた後に、物理空間である動的な論理空間(物質と波動の空間)の全現象が得られる。これ以外の空間は、この空間の表現の一形式に過ぎない。
2 静的な論理空間=ジグソーパズル、台本の空間
3動的な論理空間=視覚的な物理空間
次の二つから構成される。しかしこれは静的な論理空間で全事象が定められている、静的な論理空間の影である。
3.1 波動空間=エネルギー
3.2 物質空間=形状
こういう空間分類になる。
そして必要になれば、論理的に演繹されるのであれば、空間を生み出しても良い、ゲームで新しい空間が作られるように。 -
使命が命を使っての贖罪なら、人間は大罪を犯す
-
まぁ、自分のことは良いのだが、他人を動かそうとするとそれなりに説得力が要る。
そもそもなんで形而上学とか、「不動の動者」とか言い始めたのか。
弁明によると「あらゆる規定が独善的にならないように」、また「あらゆる規定が懐疑論に迷い込まないように」という願いから、1つの手引きにはなったようであるが、「導きの糸」という謎フレーズが示す通り、堅牢な城壁と言うよりも一本の軌跡なんだろうと思う。
空間は直観によって規定されるのであるが、空間"論"は経験によって規定される。
サイバースペースとは?というか、こうして掲示板上で想定される空間は、既存のものとは違うからリア充だとか、リアルとは違うものと一方的に扱われていた。しかもオフラインのゲームだとか、読書とも違うようだった。
「タイムライン問題」という気になるトピックは温存されていて、なんとなくだが、サイバースペースは空間はオフラインだが、時間はオンライン。みたいな、中途半端な状態であるとも思う。 -
この世界には罪と罰しかない。
罪を犯して、それを贖罪する為に生き長らえる。 -
空間は共有されておらず、反応だけは割とタイムリーであるという違和感に慣れないというか。
読書との違いは空間は切り取られているが、時間は切り取られていないというか。
読書はある瞬間の考えを写真のようにして切り取ったもので、時間も停止されたものだとして、SNSは空間は切り取られているが、時間は実行中みたいな。
元より"切り取られたもの"からその全体像を再構築する手引きこそが、形而上学だとか、それに類する物語、天命だとか神話になってくるとは思うが、SNSは時間だけはアクティブなのだから、既存のものと少しだけ戦略が異なると思ってきた。 -
>>404
そこはワタシは「客体には」という認識である。
しかも、主従関係において客体を主人とする場合には、主体はそれに従うことしかできないであろうというか。
それにしたって、ただただ従うしかないものは、"老い"というか時間なのだというのは相変わらずらしい。 -
すべき事が分かっていて、次の問題は「いつ?」という時間の条件だ。
定言命法「ずっと〜」という無条件的な命令が哲学では語られてきたらしいが、それが多過ぎると常時マルチタスクになって負担が大き過ぎるから、ワタシはむしろ今は制限したいという考えだ。心的な負担のことというか、フロイト的ではあるが。 -
ワタシの考えはそうである。
寄ってたかって有象無象がワタシに向かって「〜をせよ!!」と命令してくるのであるが、それに序列をつけ、優先順位をつけ、タスクの分配やパワーバランスを見定め、取捨選択をする。不要なものから枝刈りする。できないものはできないと言う。
だいいち、使命ってもんはそんなもんじゃないか?守れなきゃひたすら意味がないんだから。 -
こうして、カントの述べていた"自由"はじっさいは"制約されたもの"そのものであるが、それゆえに「個人差があってもしょうがない」「責められる筋ではない」と(天命に逆らって)認められてきたと思う。
-
そして優劣だとか序列や、そもそも主従関係は、時間が無限にあれば大した問題ではないんじゃないか?と。
時間に縛られるのが原因で、主従関係が発生するのだとしたら、SNSは非常に特徴的なメディアと言っていいだろう。 -
復縁を目的に使命をやったらAとBの関係は使命の関係なのか?
これを示すなら、
命題
使命の関係でなければ絶対に使命をやらない、する事はない
を示す必要がある。
AとBが使命の関係でないのにAが使命をするとしよう。 -
この世で最も強い力は人為などではない。
偶然の力だ。
人為など天命ではない。 -
使命をやれば相手とは使命の関係になる
事を示した後、
では、使命を果たすとは白昼夢を思い続けているだけで必要十分である事を示したい。そこまで簡潔にしたい。
宿命は頭から離れないのと同値である事を示せればこれは終わる。 -
宿命ならば白昼夢になるが、この逆は成り立つか?という問題である
-
まぁ、面白い問いである。
合理的な心理学ではトラウマだとか、PTSD。神学では「何かに取り憑かれたような」邪念だとかお祓いみたいな作用の事であり、哲学的には定言命法であり、プログラミングで言えば「ずっと〜」forever構文として捉えられるが、数学的な分析対象にはならないこれらのあり方についてだろう。
AIについても分析結果は如何様でも100%従うのであるし、無条件というのは「存在する上での前提要件」なのだから、人間倫理においても存在して然るべきものと扱われる。
だが、それは一体誰が命令するのか?
神以外の何者かで代表的なのは、立法者だろう。
いずれにせよ、無条件的なのだ。 -
そうした"基本的な命令文"とも言えるものは、姿形を変えながら、白昼夢として夢を見させるのであるが、これはあくまで受容的なあり方だろう。
「夢に出たから、これは本質だ。」とはなかなかならないが、結果が出揃い始めてから「やっぱりそうだったか!」と気付かされる方が多いだろう。探索のキッカケ作りぐらいにはなるぐらいだ。 -
まぁ、この原因と結果は入れ替わるか?という質問についてはワタシはNOと答えようか。
白昼夢の原因は頭から離れない命令ではあっても、その逆はあり得ない。
そもそも、ありもしないフィクションに我々が感情移入してしまう原因が、逆では説明つかなくなるからな。 -
証明以外価値はない
-
お互いに絡まない方が良い
-
お互いにとって害悪しか生まない
-
あら、残念。
ただ証明にも手引きがあって、哲学はビンに入ったハエを上手く誘導して外に出してあげる事だ。とウィトゲンシュタインは述べていたが、この場合、どっちがハエだ?という話でもあるだろう。
害悪というよりは、お互いを誘導し合い、牽制しあっているようにも見えるが、ワタシは結構楽しんでいたんだけどな。
将棋と似たようなもんで、「詰めろ」のカタチはこれからできてくるというのに。 -
SNSと読書は、ここだけが違う。
そのアウトプットは将棋の対局結果のように、その場限りのものにしかならない。
大方、読書で知識を蓄えたとて、そのアウトプットはその場限りにしかならないし、それは仰る通りすべて偶然の産物ではあるが、それが結果となるのであるし、偶然とはいえ戦略はあるの。
戦略と証明はどう違うのか?
これは文系/理系と捉えられてきただろうが、それこそ可換ではあるんだよ。
つまり戦略的な証明も、証明的な戦略も、手段としては存在するという事。 -
俺が作り上げた、詰みの形も崩れ去るからお互い絡まない方が良い
-
「(競技として)勝敗はつけさせるべきだ」
なのだが、こうしたSNSでの決闘(?)も一夜限りだから華があると思っていますよ。
格ゲーでこっちのラッキーコンボが入っただけ。みたいなもんです。
引きずったら何も良いことはない。
オープンレター然り、裁判沙汰、削除要請然りでしょ?ワンチャン決めて、その場から去るのが正解だと思いますし、強い奴なんて水面下でゴロゴロ居るんだろうな。と。
あくびしてるダサいオッサンだって、実は滅茶苦茶強いかもしれないですし、内包量は見た目では判断つきませんから、そりゃ。 -
あなたは、最初俺の事を叩きまくって下げまくって、
人生哲学は哲学ではない、俺の思考こそ真の哲学だ
とか
マルチバース論χ
とか言い出した人でしょう? -
絡むのはやめた方が良い。
それが絶対に双方の為だ。
害悪しか残らない。
勝敗を目的にしてる時点で、前提がおかしい。
論理的真実を解明するだけなのに、もう前提からズレている。 -
だから俺は一切絡みたくない
-
勝敗とかどうでも良い
論理的真実を明らかにするだけ、それ以外求められていない。 -
>>426
あなたのいう勝敗はこの時点でついてる -
>>429
いや、スレタイトルにある「存在から導かれる諸性質」については、順調に開示が進んでいるし、やはりこの順序にしかならない。と確認されたところだ。
「はじめに停戦を申し入れした方が負けである」あるいは「最後に一方的に勝利条件を宣言した方が勝ちである」というのもあるが、仰る通りここでは留保しておさらいする事にする。 -
論理の形式としては、天命論というか、はじめの条件としての存在理由というか。「存在するための前提要件」という無条件的な構文(forever文)が最初に成立する。
この時点ではあまり論理的な齟齬は発生しなかったはずだ。しかしながら、やたらめったら「ずっと〜せよ!」という定言命法は複数重なると精神的な負荷が大きいため、ワタシは物事の優先順位をつけ、順序立てによって管理しようと試みたという訳であるが、これがwhile文「〜のとき」である。
こうしてタスクを整理し、様々な要求に答えられるよう改良されたのであったが、序列をつけてしまったばかりに、「〜の方が優先されるべきだ!」という要求に明け暮れるようになり、「どちらが優先されるべきか?」を決するために、「勝負させよ。」という要求も発令されてしまったのである。
この時点で発生した論理の形式がif文「もし〜だったら」であり、用途とすればもっぱら真偽値を設定したり、調整したりするものだ。
という事なのである。
"戦略的な証明"と名付けたが、こうして論理の形式とそのバリエーションを存在から導くことは可能だろう。 -
それこそ「卵が先か、ニワトリが先か」であり、「論理(ここでは卵からニワトリが産まれるという因果関係)が先か、存在が先か」という議論になるのだが、「(論理的な真実は誰にも)知ることができない」という至言もひとまずおいておいて。
「もし、先に停戦を申し入れした方が"偽"ならば、変数Xを"真"とする」
「もし、最後に勝利条件を設定した方が"真"ならば、変数Xを"真"とする」
と2つのコードを提示したが、「ここでの変数Xは何者か?」という新たな問題も浮上するだろう。 -
まぁ、あとこの時点で、存在から導かれるものが戦略的な証明であり、方法論とすればトップダウンと呼ばれる手法であると分かる。言わば「ニワトリが先」「存在が先」と主張する側だ。
反面「卵が先」「存在論(すなわち論理的必然)が先」と主張する側がボトムアップであり、これだって十分に必然的である。
にも関わらず、トップダウンが社会的には採用されてきた理由は純粋な理由ではなく、実践的なもの。強いて言えば「手っ取り早いから」に他ならない。
しかしながらよくあるAIの議論が、性能向上でこれがタイアップとなるか、ボトムアップの方が上回るか、そのどちらだ?という話が前提にされている。 -
天命の瞬間が天命なので一通りである。
子供が生まれる瞬間が一通りである。
よって天命や使命は一通りである。
だから子供を産む結婚をしたいのなら、天命をやり続ける事になる。
よって使命も一通りである。
だから天命の瞬間に辿り着きたいのなら、天命、使命をやり続ける事になる。よって復縁は使命、天命をやり続けるしかない。 -
永遠の愛の定義は永遠に愛した行動を取るか否か、で必要十分である。つまり、行動が概念を規定している
行動が定義を形作っている。
つまり、使命をすれば、使命の関係になるのではないか? -
まぁ、ワタシの話は定立命題/反定立命題というよりは、命題そのものの成り立ちについて口述したものだと思うが、信託が揺らぐのは何故か?というか。
日本の代議的な政治は信託によるものだし、(これは日本国憲法に明記されているのだから、そうだとしか言えないが)恋愛だって信託によるものだと思うが、その2つは違うものだと思う。 -
つまり政治に関して言えばコード化されているため、書いてあることに従う事しかできない。
恋愛に関してはその限りではなく、むしろ暗黙の了解のみである。
フェミニズム勢だとか、アンチフェミ勢が一定数居るだろうが、集団的自衛権の行使(笑)みたいな事をされても困るのだが、それをコード化しようとして身動きが取れなくなっているようにも見えるからだろう。
いきなり天命とか言っちゃって、この辺の心配は見て取れるのだが。 -
DeNAが勝つかどうかも決まってる
-
セリーグの優勝チームは決まっている。
-
...。決まってなくないですか?
まぁ、少なくとも自らの願望を述べる事は哲学ではないですが、運営方法としては以下の手順があります。(ChatGPTのような棒読みで)
1)「〜したい」「〜して欲しい」という要求を元として議論する。
2)議論の結果、もし「〜すべき」となるならば、実行する。
3)実行した結果について分析する。
4)分析結果を元に判断し、1)へ差し戻す。
以下ループ。
俗に言うPDCAであるが、これを最初に発案したのはカントだと思う。 -
まぁ、かえって分析的な話題とも言えるか。
アメリカ政治についてはよく知らないが、トランプが酷い失言をしても、票を入れる人は沢山いる。二大政党制というのはどうやら野球のプレーオフのように捉えられているらしい。
贔屓の野球チームがゲームに負けたからといって、その信託は揺らぐ事がないという発想のようである。日本の政治には無い側面だ。 -
永遠の愛の定義は、永遠に愛した行動を取る事で必要十分なら、行動で定義が定まるから、使命をやり続けたら使命の関係になるのだろう。
-
MLBの優勝も決まっている
-
思えば、いまは夜だが、この時間帯に月が出ているのは決まっているから、天命はあるのだ
-
定義通りに行動するし、行動通りに定義されるのではないか?
-
完全に論理的だから、定義以外の事象は起こらないと仮定すれば、起きている事象が全てだから、定義になるのではないか?
-
定義と、起きている事象に全単射がある、とすれば、全単射があるから、起きている事象、行動で定義は定まる。
だから、使命をやり続けたら使命の関係になる、のではないか? -
うーん。まぁ、一般的にはそれは習慣と呼ばれているものだと思います。
1+1=2となるのは論理の必然であり、「明日また太陽は登る」は仮定になります。
毎日散歩をしている人に「明日また散歩しますか?」と質問したら「はい」と答えると思います。
散歩の習慣がない人に「明日また散歩しますか?」と質問したら「いいえ」と答えると思います。
ただし、この2つは仮定となります。
そうですね、「明日散歩に行ってくれますか?」と頼んだら、それは使命になるのかもしれません。
だって使命というのはあくまで要求や命令の類でしょ? -
まぁ、月の出入りは月の公転と地球の自転との関係が織りなしますし、太陽もそうですが、それは時間の規則となりました。という事実関係はあります。
したがって、そのような使命だとか、運命だとかを考える時は、空間論よりは時間論を基礎とするのが妥当な要求と言えます。
天命によって全てが決まる。といった発想の1つが星占術だと思いますが。 -
マルチバース論χ=承認欲求の化物
-
ちなみにマルチバース論χは俺のマルチバース論夢幻の丸パクリ
-
絡みたくないつってるのに絡んで来る
最初の頃にいた100回以上同じこと言わせた奴と、Xでずーっとエアリプしてきた愚物と同じ。 -
いつまでもいつまでもダル絡みしてくる
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何か考えるより前に人とのコミュニケーションを学んだ方が良い。
その意味でこんな所に何か書き込むより、
今日か明日、婚活パーティーかガールズバーかキャバクラに行って女の子とLINE交換してデートに誘って返信が返ってこなくて、なんで返信が返ってこないか考える方がマルチバース論χには遥かに有意義だろう。 -
今年はホークスが日本一だろうか
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変な奴と絡むと怒りが溜まって暴言失言が出る確率が上がり俺の殺されるリスクが跳ね上がる
絶対に実名顔出しとか無理 -
このまま、ずっとこういう事やってると、未来に別の変な奴にまた絡まれるんだろうな。
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もう相手したくない
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勝った負けたとかどうでもいい
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論理的真実の追求=自分と他人にメリットあるか以外考えてない
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まぁ、合理的心理学から独我論へ、独我論から物自体へ。の流れでしょ?
-
まぁ、ここにきての危惧というのは文字通りの「論外」であって、一般的なアカデミズムでは介入不可能な部分を取り込む事が仮に可能であったとしても良い成果には結びつかないという危惧はあり、その対象としては「縁」や「ゲン担ぎ」といった慣習的な法則性に絞られている。
基本的には道徳の分野であるが、神秘は神秘として扱った方が良いと思っているので、深く追求する気もないのだが、男女問わず合理的な心理学を過信する傾向は確かにある。
とはいえ習慣的なものや神秘的なものに合理性はあるか?と言われれば否である。 -
てか、気になる女性にたいして「明日、私と散歩に行きませんか?」と聞いてみる事と、今までの話はさすがに異なるだろう。
-
このような純粋概念や論理の必然をいくらこねくり回しても無駄な事であるのは、実践的な問題は純粋ではなく、総合的ないし、混合的な問題だからであるが、それらを統一しようとすると、対立する問題因子そのものが邪魔であり、対決して存在を消してしまうか、そもそも無かった事にする。というのが存在論における危惧ではある。
最高の存在者には(それを表現するための)述語が存在しないが、こうした論外的な存在と言外的な存在を認めるかどうかもある。
宮台の話もそうだけど、この点はあながち間違っていない。 -
それもあってか、残念な事に純粋な概念に対する評価はネガティブなものになりがちである。
というのも、純粋な概念は捨てられるほど無駄な物にもならず、あらゆる可能性のうちの1つを"探索"するか、あらゆる可能性のうちの1つを"潰す"(=枝刈り)には十分過ぎる効果を発揮するからである。 -
我々の存在を規定すべき純粋な概念は、近代以降は探索と枝刈りに特化した限定的な手段に成り下がったという訳である。
決してアナタ自身を陥れたり、罠に嵌める意図はないと弁明したいのだが、苦し紛れでもあろう。
また、そうした苦さは、ワタシにしたって、アナタにしたって変わりはないものだと信ずる。
共感できることは、それぐらいしか見出せそうにない。 -
そう言えば純粋理性批判において、「制約されたものの総体」という語がはっきり定義されないまま使用されていたのでおかしい。という指摘がChatGPTによって主張されていたが、こうしてみると、「あまねく規定性」と「制約されたものの総体」という対立二語は少なくとも同機能であり、常に同期可能であるというのがカントの主張、というか、カントの抱いている"議論"のイメージだったと思う。
-
哲学は早速だが古典的な手法に頼らざるを得なくなったと思う。「卵が先か、ニワトリが先か?」という命題に対し、「ニワトリは卵から変化する」という答えは論理的必然ではあるが、存在理由にはならないという事である。
この点や生い立ち、その進化の過程を見ても制約されたものの総体だろうし。 -
あぁ、すまん。制約されたものの総体だとみなしたのはAIについてである。
極めて単純なプログラミング、ご主人様の言う事だけに従う機械にたいしても文法があるのであり、その関係性は文字通り「使命」となる。
使役される側と命令する側の明確な主従関係がある。
そこで「forever(ずっと〜する)」「while(〜のとき〜する)」「if(もし〜だったら、〜を〜にする」というコードの派生とその原理について口述したつもりであるし、この知識があればビジュアルコーディング(スクラッチ、MakeCode)ぐらいは組む事が可能なのだが、カントの時代と異なるのはここのビジュアル化だろうし、プログラミング言語の方が口語表現に近づいてしまい、しかもその言語は万国共通である。(具体的にはPython)という所に異常事態があると考察している。
レゴブロックと同じ感覚で、「ここにはこれが嵌まる」が見えてしまうし、「ここにはこれが嵌まらない」も見えてしまう。
誰が考えたんだろう凄い。と思うのだが、技術としてはユークリッド幾何に近く、僅かな公理式からすべてを演算する合理的精神に基づくだろうし。そんな状況。 -
まぁ、そうだな。
極めて単純な話かもしれないが、「そもそも我々の言語も、使命のためにある。」としたらどうする?
コミュニケーションの必要が迫られるときは、まぁ、「強大な敵を前に協力をしなければならないとき」か、「気になるあの子を射止めるとき」のどちらかだという推論は恐らく正しいが。 -
あ。ポリコレだとか、男女平等の視点から見れば怒られそうな事みたいな話もあるが、それこそ奉公問題と平等問題は分けて考えなければならないのよ。存在から導かれる諸性質で、一番ハードなのはそこ。
-
あと、こうして存在論に的を絞っているが、ワタシ自身の存在はあまり気にもしてないのはある。置物や家具と同じみたいなもんだし、サラリーマンなんてそうとしか扱われないだろう?
存在はさておくのが郵便論の在り方だと思うが、WEB2.0の黎明期を思い出すに、書く文章の事をコード、日記の事をエントリー、それによる営みの事はライフハックと呼ばれていた。
そんな機能重視で、存在無視のあり方を批判したいのか?Z世代はよく言われている通り、機能重視で存在無視なのか?も含むが。
重大な問題だ。というのも聡明な事だろう。
(因みに性欲は薄くなると思う。) -
命題
使命でなかったら命を差し出さない
これが真ならば、
命を差し出すなら使命になる
が真になる。
使命でなかったら命を差し出さない
何故なら定義に反するから。命を差し出したら使命の定義に当てはまる。
例えば運命の関係なら、命を差し出すのは定義に反する。よって命を差し出さない。
よって対偶である、
命を差し出したら使命になる
は真になる。
すなわち、行動が関係を定める。 -
>>474
行動が関係=定義を定める -
この世界は無矛盾なので定義通りになる
-
ガンダムSEED FREEDOMのラクスの発言
「必要だから愛するのではなく愛するから必要になる」の意味=行動が関係を定める -
使命とは高い酒を入れる事ではない
-
すなわち人生は行動以上でも以下でもない。
口癖が宿命なのだ。 -
物質でも温度を極限まで上げれば石でも金属でも溶けて液体になる。物質だと思われたものは本質は液体。この世界は波で出来ている。
-
「夢ややりたい事がない場合、人間は金とセックスと承認欲求の事しか考えてない」
セックス=主客未分
承認欲求=動詞の目的語
哲学の原理で言語の変形で性質が導かれているのでこれは最も一般的な数学、哲学は数学になっている -
出会う人間、避けられぬ定めの人間は最初から宿命として全て決定している。来世も出会う人間は全て同じ。子供を産む事は全て天命として定まっている、子供を産む相手は天命として定められている。全て定義通り。
-
存在が存在として成り立つ条件は存在しない
-
はしょらずに考えれば?存在しているという根元的な意識を持つ存在者である人間が意識のハードプロブレムを解かなければ、存在としての成立条件を満たさないということだよ。
-
「鏡を見ている自己」をそれとして認識したとする
あー今おれは鏡を見ているおれ二人(映っているおれも含め)を頭の中で客観的に見ている -
離れられないのであるならば、接触が切れないので、宿命とは切れぬ定めと同値になる。
よって、繋がりは切れぬ定め、でもあり、縁は切れぬ定め、でもある。
縁とは出会い、と一緒にいる事である。
縁は切れないので離れ離れ、二度と会えない状態になっても問題はない。 -
焼き鳥屋は儲かる
-
避けられぬ定め
定め、の定義から定まっていないと定義に反する為場所も時刻も定まっている -
罪を犯す事も定められている
その意味では善も悪もない
善役と悪役がいるだけ
かつて善でも悪になる
かつての悪が善になる -
世界には罪と罰=贖罪しかない。罪を犯しても贖罪すればそれで終わりになる事になる。
厄災はどうなるか。 -
因縁は時効が成立しようと消す事は出来ない
逃れる事は出来ない -
それがプッチの罰
-
宿命は切れぬ定めなので、切っても切れない定め
-
宿命よりハイヤーセルフ=操作するものが存在して自由意志はない
-
切っても切れぬ定めで最も強いものは、どれだけ切ろうとしても切れない=くっつく事が定められている以外ないので、2度と会えなくなっても問題ない
-
宿命とは罪の清算
天命の二人が一つになった時は天命の瞬間で、無矛盾になった時だから、全ての罪を精算した時になる -
存在は幻想であり幻想は存在である
-
換言すると幻想としての存在であり
存在としての幻想なのだ
もちろん全てが解釈であることは言うまでもない -
これが宗教というものの愚かさを
神なるものに対する信者のそれを
まあ察しの通りである -
因果応報、主客未分
他人の最愛の人間を奪ったら自分の最愛の人間を奪われる
他人を破滅させたら自分が破滅する事が決定している
そしてこれらを加害者は内心で心の底から望んでいる。他人と自分に違いはない。
この世界は潜在意識=論理=因果応報が思った通りにしかならない。
つまり罪と贖罪が為されれば、それ以上はない。 -
https://youtube.com/...?si=xam2IoVLWqnrYRs7
芸能人をセフレにしたいなら港区 -
存在の前提である親を愛せば全てが手に入る事に気がついたので今から実家戻るんですけど、両親にするべきアクションを教えてください
-
誰も私を助けてくれないから、自分で助けるしかない
-
冷える
-
あとで神社行ってスピってきます
-
自分のぶログでどうぞ
-
ロレックスの時計が欲しい
もちろん金はない -
競馬で一発当てるしかない
-
セックスよりバイク乗る方が楽しい
間違いない -
焼き鳥屋開業したらロレックス買えるかな
-
焼き鳥屋を開く資金を作らないといけない
-
「生きれば必ず死ぬ」
これが真だと仮定すると、対偶は
「死なないのであれば生きていない」
となるので生きる事と死ぬ事は一致しているので、人は使命を求めている、となるだろう -
焼き鳥屋開業するのにロレックス以上に資金が必要だった…
-
◉今まで長きにわたって「神の有る・無し」について議論がされてきましたが「明確な証拠」による結論が出ました。
この世において「神。それも全知全能で愛のみの神」が存在するという事ほど「神秘的な奇跡」はないと思います。
そして、この事実を知ることができた人は今後の人生を最高の安心、恵まれ・豊かさ意識で生きていけると思います。
このまま私はアドレスのみ置いて立ち去りますが興味のある人は参考にされて、人生が根本・決定的レベルで楽になられて下さい。
人生において『神や転生(魂の不死)、因果法則の存在』などを証拠・確信をもって知っておくと(我々が潜在的に神様から保証されている膨大的な恵み・永遠の命にも気付けて)心に余裕が持ちやすくなり、自分の将来・運命に対してもプラスとなる生き方がしやすくなり、逆に知らなければ人生の長きにわたって遠回り・大損になると思うので、ここに一つの「真理の検証・証拠HP」を残しておきたいと思います。
当サイトでは、共に世界的ベストセラーである神の言葉『神との対話シリーズ』と、その神の言葉の裏付け・証拠となる体験本『喜びから人生を生きる!』という本を関連付けて紹介していますが、
ご自分で直接に本を読んで頂くのみでも『本当に誰にも救いがある事』、『神や転生の存在』に確信を持って頂けると思います。
ps://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome -
定義と現実の空間との対応があるので量概念、体積のある空間が生まれる。そこで量が生まれるので加法らしきものが成立する。
-
この場合、空間が生まれるがその空間には本当は直線は存在しない
-
よって加法は成立しないので加法を使うものは数学ではなく、近似を使った物理である
-
定義を満たす物理的な空間、現実的な空間は全て生じる。漫画の世界も定期を満たせば生じる。
-
つまり、医学も定義の空間の因果関係を調べれば最も一般的な治療法のようなものがわかる
-
>>520
そういうわけで整数論は物理学と不可分である -
定義が全て具現化するならば、
最高のパチプロという定義を持てば必ず最高のパチプロになれる。
そして定義は行動から作られる。 -
定義が具現化する↔︎概念が具現化する
のであれば、
悪は概念は具現化する
悪の贖罪として使命があり、使命を果たしたら許される、という悪→正義→愛の構造が罪と罰の話だろうか -
椎名林檎/人間として
正義とやらお前を生み出したのは誰
答は人間としての業
悪→正義→愛
の順番を、人間視点では変える事は出来ないかもしれない
赤ちゃんに論理思考はない。沸騰した鍋に触ろうとしたり、何でも口に含んだりする。
つまり、人間視点から言えばこの順番は変えられないのであれば、正義を生み出したのは罪になる。
神様視点から言えば違うけど人間視点からはそうはならない。人間として罪からは逃れられない、と言いたいのだろうか。 -
ラスコーリニコフの犯罪理論「一つの微細な罪悪は、百の善行に償われる」は、明らかに「罪を犯す事は使命を果たす為に存在する」の原型。そしてカルマとダルマの理論の原型でもある。
-
今日はあまりに寒すぎる。
そしてアメリカは物価が高いのは何故だろうか。日本の物価高は何に起因するのだろうか。 -
ドストエフスキーの墓標に刻まれた言葉
「よくよく私はあなたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死なない限り、それは一粒のままだ。だが、死んだのであれば、それは多くの実を結ぶ。
— 『ヨハネによる福音書』第12章24節」
この言葉を考えてみる。
麦という植物が成長するのは、他のものからエネルギーを奪っているから成長するのだ。他のものの犠牲の上に成り立っている。エネルギーを奪う事が悪だとすると、麦が地に落ちて死ぬには悪が必要なのだ。この文章は明らかに使命の構造を指している。こう考えれば、生物が死ぬ構造も、理に適っていると言えるのではないか?つまり使命によって世界をよくする仕組みである。存在概念、無矛盾性からエネルギーの存在が導かれ、そこから等価交換も導かれ、エネルギーを奪う、奪われるの概念が出てきて、このようにすれば、使命の概念の理由、構造、必要性も明らかだ。
肉食もおそらく罪だろうが、それは人間が使命を行うのに必要な罪だという事になる。つまり罪は必然、必要悪になる。
使命を果たす事が宿命として定められているのならば、その前提となる悪も定められているので、本質的に善悪はない。エンポリオとプッチのように善役と悪役は存在する。 -
正義の定義は悪を倒す、としたら、悪→正義の順番は崩す事が出来ない。
悪も具現化するなら、正義も具現化する。それが天命の瞬間になる。
正義を具現化と言うが、悪の後に正義があってこの構造にしかなり得ないなら、悪は正義から生まれる。 -
自分の肉体が宿命ならば、自分の肉体が全てを決定している。自分の肉体は天命、宿命の全てを知っている、定めている。
肉体は無意識の根底を司っている。肉体は無意識の根底を知っている。つまり、死を知っている。 -
私は公人でも準公人でもない
-
自己愛は永遠なので親への愛も永遠である。
罪と罰が自己なので、永遠の愛の相手は、過去が同一の人間になる。
永遠の愛の相手は存在=天命なのでいるのであれば必ず出会う。そしてそれは罪と罰によって定まる。 -
もう一度
水は答えを知っている
を再考する。
これは
ありがとうと書いた紙の氷の結晶は美しかった
しかし
死ね
と書いた紙の氷の結晶は
醜かった。
ありがとう=愛=正義と悪=±∞
ありがとう、という言葉の意味は対応関係の→であり、かつ、→は⊇でもあるので波動となる。
よって±∞の波動は美となり美しい氷の結晶を結ぶ。
逆に
死ね
は波の撹乱であり波が乱れるので美しい結晶を結ばない。
ここでありがとうの神様をもう一度再考する。
ありがとうと100万回いうとがん細胞が消失したとは上の水が答えを知っているの論理と全く同じである。
そしてこれを生活でやるには、水の入ったペットボトルに「ありがとう」と書くのは恥ずかしいので
±∞
と書けば水は答えを知ってると同じ効果が得られる。 -
抽象をやれば全問解ける。
抽象をやれば、普通の問題100個の価値がある。
つまり、一流のやり方をそのままパクれば、普通の勉強や練習の100倍価値がある。それをやり続けて完全にマスターしたら、その後自分のやり方を混ぜる方が成長が早い。
これはこの世界が完全に論理的だからこうなる。 -
偶然出会うもの全てその人間の宿命を表していると思う
-
つまり、本人の本質を表現してる
偶然出会うものは本人の本質を表現していて、実は偶然ではない
偶然によって人生は大きく変わっていく -
こう考えれば人生の本質は偶然にしかない
-
行き着く所は人生は運によって決まっている、になるが…しかし宿命の概念から言えばそうなるしかない
-
本質からは逃れられないのであれば、宿命とは本質の事だろう。
そして本質とは自己の存在の事だ。
出会うもの、全て自分と出会っている。 -
この世界には罪と罰しかないので、
出会う人間、全て自分の過去の罪と罰によって決定されている -
意図的に出会おうとするのは、逃れられないの定義とは真逆だ。
つまり、相手に出会おうとして出会うのは、逃れられないの定義とは全く関係がない。
逃れられないのであれば偶然出会うのが本質だ。そして本質、定義が具現化する。 -
正義と悪が等価
正義が具現化するなら悪も具現化する? -
正義が具現化するならば、悪も具現化しなければ等価という前提に反する
-
永遠の愛の相手が自分の鏡って事は、自分が今やっている事が、相手のやっている事だ。自分の今抱いている感情が相手が思っている事だ。
永遠に想っていれば永遠という話。 -
例えば屁をこく私という自我は
故に我ありと言えるのだろうか
この時屁というそれは何を意味するのだろうか
それは誰の屁なのだろうか -
仮定
生きたら必ず死ぬ
これが真とした時の対偶は、
死んでないならば生きていない
よって仮定が正しいのであれば、死と生は一致している。よって生きる事と死ぬ事は同一である。つまり本当に生きたいという事は本当に死にたいのと同じ。
自分が死ぬ事を望んでいる=自分を心の底から殺したい
主客未分なので、他人も殺したい。仮定が正しいのならこれが帰結。
そして無矛盾ならば因果応報なので因果応報の瞬間は存在するから正義の瞬間は存在し正義は具現化する。正義と悪が等価ならば悪も具現化する。
次に仮定が真である事を証明する。
主客未分という概念から言えば過去と未来は一致している。
未来は過去で過去は未来。この構造は時間はまた戻る以外ない。
よって私はまた生まれるから死なないとおかしい。
よって生物は必ず死ぬ。
対立事象は一致している。
正義は具現化するのだから悪は具現化する。
どんな人間にも天敵は存在する。 -
悪の定義は、凄まじい破壊衝動、あるいは殺人衝動と、とりあえず暫定的に定義しておく
-
食べたものからあるいは認識されたものから導出されるものはなんであるのか
消化されそのままでは出て来ない -
>>548
良心に反する行為ではないかなと -
行動が、関係、概念、定義を定め、その逆も成立する。ならば、悪の概念が存在するなら行動になる。
論争で耳目を集めるのは論破された瞬間を見たいから→人が破滅する瞬間を見たいから -
闇金ウシジマくんが流行ったのは何故か?→悪が見たいから
-
SMプレイがあるのは何故か?→そういう願望があるから
-
山崎邦正さんが先輩芸人にしばかれて笑いが取れるのは何故か→悪の心があるから
-
そして本質的には善悪などない。
善役と悪役がいるだけ。
仮に悪をやっても、最終的に贖罪される
自分のやった事は全て自分に返ってくるのが宿命
これはウシジマくんとスティールボールランに描かれている -
ヤクザとか反社は悪役として生まれついて小学生中学生の頃からずっと悪役をやってる
-
誰かが逮捕されたニュースは何故世間を巡るのか→人が破滅する瞬間を見たいから
-
昔反社会的な事をやっていた
いい歳して現在進行形でやってる人間も沢山いる
ウシジマくんにはそんな人間が沢山出てくるが、最後破滅する事には変わりがない -
対立概念は同一である
矛盾がないのならば、対立概念は同一しかない
正義も悪も同一、同値である
生も死も同一である
二度と永遠に会えない事と、永遠に一緒にいる事は同一である
宿命の関係なら必ず一度別れる、失う -
最愛の人間と死に別れて葬式をあげても、過去と未来は同一だから、無限の時間を経てまた出会う。
これが永遠に繰り返されている。 -
>>551
闘牛とか -
>>560
闇と光は同一物だ -
獅子谷兄も滑川も異常者でも狂人でもない
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獅子谷にしても滑川にしても、異常者でも狂人でもない。あれを超える悪人を俺は知ってる。
俺が論破される瞬間、破滅する瞬間を見たくて何としてでも論破しようとしてきた人間は沢山いる。これは殺人衝動の発露だ。法的に認められた殺人だ。俺が論破した瞬間、破滅、殺人が行われる。そこまでの大恥を書かせて破滅する瞬間が見たくて見たくて仕方がない。人は殺人が法的に認められているなら、それを行使したくてしたくて仕方がない。ここまでを見れば明らかだ。 -
獅子谷も滑川も異常者でも狂人でもない。あれぐらいの暴力が出来る瞬間を、それが法的に認められる瞬間を人は待ち望んでいる。そうでなければ論争が耳目を集める理由がつかない。
一般人は殺人衝動が理性や衆人環視の元で抑制されているが、反社の世界では抑制されないというだけだ。 -
>>566
耳目を集める説明がつかない -
インフルエンサー、芸能人、有名人は大衆の暴力、殺人衝動に晒される危険性が常にある。だから聖人君子になるしかない。少なくともそういうフリをするしかない。
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>>565
悪は具現化する -
人参ジュース買ってこないと
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あとブロッコリー
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>>568
大衆、アンチ、論敵は殺人が合法的に認められる瞬間を待ち望んでいる -
対立概念が同一物なら、出会いと別れは同一物だ。必ず破局する。宿命はそれでも別れない事になる。
そして対立概念は同一物だから、これからもずっと反社会的なものは永遠に残る。一時消えても、また生まれる。光と闇の接触、戦いがこの世界の全てだ。正義が悪を倒す瞬間が永遠に生成され続けるアルゴリズムこそ対立概念が同一物、因果応報が意味する事だ。愛は光と闇から生まれる。 -
>>574
対立概念は同一物だから永遠に幸福でい続ける事も不幸である事も出来ない -
子供は凄い残酷
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冷静に見れば、蟻やゴキブリを躊躇なく殺すのは悪の具現化。
蟻やゴキブリからみれば、人間こそ獅子谷や滑川 -
人を殺す事は悪と定義され犯罪だ。
対してゴキブリを躊躇なく殺す事は犯罪と定義されていない。
しかし殺人衝動の具現化の一つではないか? -
人を殺すのとゴキブリを100匹躊躇なく殺すのはどっちが罪深いだろうか。前者は犯罪と定義されているが後者はされていないが、罪という観点でどちらが罪深いだろうか。
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基本的には、金、セックス、承認欲求しか考えてない。さらに殺人衝動がある。これが人間だ。
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人間が一番したいのは自分を殺す事だ。そして因果応報の原理より他人を殺せば自分を殺す事が確定しているから、他人も殺したいという激しい衝動がある。他人の為に自分を殺す事と他人を殺す事は同値で、しかもそれを一番したい。
だから法律は重要なのだ。 -
>>580
そしてこれが人間の常態だ -
否定しない
理論は物理的現実と合致して、悪をしていないのはする前に亡くなられたか、それなりに長く生きていないだけ→悪の理論は正しい
となる -
https://ja.wikipedia.org/wiki/狼少年_(野生児)#:~:text=狼少年(おおかみしょうねん,おおかみしょうじょ)と呼ばれる。
人間の精神的発達[編集]
我々人間が言葉を用い、複雑な思考を行ない、豊かな感情を持つのは、決して生得的なものではなく、放っておいてもそのような資質が自然に発生する事はないとされている。
善悪の概念は後天的に獲得、学習されたものとなる。 -
否定しないって事はそういう事
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悪は具現化する
って書いたけど、否定しないって事はそういう事だぜ? -
株でも科学的具体性(部品)を多く持っている人が勝つよ
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>>586
これに関係する事以外誰も書き込むな -
邪魔をするな
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悪の定義は、
凄まじい破壊衝動、或いは殺人衝動
で、悪は人間の心に存在して、存在するので具体化する
という理論で、
否定しないって事はそういう事でいいんだよな? -
ヤレ
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誰も書き込むな
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>>590
これへの反論以外誰も書き込むな
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