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世界史
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清末 民国初
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日本でいえば幕末維新
中国史上で一番重要な時期を1つだけ挙げるなら、やっぱりココでしょ - コメントを投稿する
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駆除韃虜 恢復中華 創立民国 平均地権
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1911年 辛亥革命が勃発
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武昌起義(ぶしょうきぎ)または武昌蜂起(ぶしょうほうき)は、
1911年10月10日に清(中国)の武昌で起きた兵士たちの反乱。
辛亥革命の幕開けとなる事件である。
ちなみに、武昌とは、湖北省武漢市の一部 -
1911年10月、漢口で同盟会の党人20名が逮捕されて武昌に送られた。
武昌でも73名が逮捕され、軍籍の3名が総督公署の前で斬首に処された。
その夜9時、少数の爆薬をもとにして、工兵中隊が蜂起した。
蔡濟民など第29大隊の兵士がそれに応えて合流し、武昌城内に向かった。
南湖の騎兵が同じ頃に城外から押し寄せ、蛇山の高所から総督公署に大砲を撃ち込んだ。
総督・瑞澂は漢口の租界へ逃げ、第八鎮統制・張彪も軍艦で総督の後を追った。
翌日の正午には武昌全城が新軍の手に入った。
黎元洪を総司令とする革命軍が組織された。
黎元洪は、後に中華民国の第2代大総統となる。
この事件をキッカケとして、革命が各省に広がった。 -
武昌起義には、清の朝廷もあわてた。
事実上の引退させられていた袁世凱が、呼び戻された。
袁世凱は、手兵の北洋軍を率いて反乱の鎮圧に向かう。
北洋軍は強敵だった。寄せ集めの革命軍は、1万人強の犠牲者を出しつつ、撤退を重ねた。
その間に一部の省を除く14省が次々と清朝からの独立を宣言した。
十八省中で、清朝の統治が及ぶのは甘粛、河南、山東(途中で独立取消)、直隷のみとなった。 -
1990年代初頭のソビエト連邦崩壊。
各共和国が次々に独立宣言してソビエト連邦を離脱して、連邦が崩壊(というより、消滅)したときには、
「これは人類史上、かつてない出来事」と思った人が多かった。
でも、実際には、1911年の中国において、ほぼ全省が一斉に独立を宣言し、清朝を離脱するという事件が起きている。
それが、辛亥革命。 -
早く、中華人民共和国も、そうならないものか。
「広東省が独立を宣言しました」、「今度は、四川省が独立を宣言しました」・・・。
そんなニュースを聞きたいものだ。
まあ、現実にはなかなか難しいと思うが(笑)。 -
清王朝が続いていた方がよかった。
袁王朝でもよかった。 -
清は、歴代王朝の統治機構の欠点が改良された結果、
宦官や党派官僚の弊害も少なく、うまくいっていた。
西洋列強の進出さえなければ、まだまだ揺るがなかっただろう。 -
中華人民共和国より、「大清帝国」のほうがカッコいいな。
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辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、清(中国)で発生した共和革命である。
名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。
この結果、アジアにおいて史上初の共和制国家である中華民国が誕生した。 -
最も優れた革命家 宋教仁
宋 教仁(そう きょうじん)は清末民初の革命家・政治家。
湖南省桃源県の小地主の家に生まれる。
字は得尊、号は敦初。漁夫などの書名を用いた。 -
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全省が、一斉に独立を宣言した
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夢をもう一度
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袁世凱の中華帝国が続いていたら、今頃は皇帝が5代目くらいか?
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今頃は立憲君主制だっただろうな
日本の天皇家との政略結婚も行われたことだろう -
そうなれば日本の大陸進出は行われなかっただろうか。
あるいは加速したのだろうか。 -
宋教仁を殺した黒幕は孫文だった説
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清末はいつからで、民初はいつまでですか?
日清戦争後から、国民革命まで、かな? あるいは
北進事変から、第三革命まで? 五四運動は必須だな。 -
>>21
中華民国の歴史は、1928年6月9日を境に、「北京政府」時代と、「南京国民政府」時代に分けられる -
1928年以降は、さすがに民国初とは言いにくい
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550年の歳月をかけて、完成の極みに到達していた明清帝国の統治機構
それを壊したのは惜しい -
>22
それ、国民革命のことでしょ。終わりが国民革命直前ってことでいいんだね?
つーと、清末はいつから? 戊戌の政変は入れてほしい。 -
アヘン戦争は、清の体制を揺るがせるには至らなかったので、清末には入らない
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「晩唐」に習って、「晩清」と言ってもいいかもしれない
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北伐や第一次国共合作は「民国初」に入るのかえ?
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やはり、民国初といえるのは1910年代かなあ
1920年代は、論者によっては「中国近代史の黄金期」とも表するほど、経済や文化が発展した時代
もはや革命は終わった感あり -
■建国したのは孫文ではなく袁世凱
中国(清国)では一九一一年十月、辛亥革命が勃発し、その結果一二年一月に南京で中華民国臨時政府が発足、その臨時大総統には孫文が担ぎ出された。
実は孫文は辛亥革命には関与していなかったが、革命家としての国際的に有名だったため、便宜上そうなった。
しかし孫文にはやる気はなく、同年三月には清国の最大実力者にして革命の最大の敵である袁世凱に政権を譲り、
袁世凱は一三年十月、北京で正式に中華民国の初代大総統に就任した。 -
中華民国が孫文ではなく、袁世凱によって樹立された史実があまり語られないのは、孫文を善玉、袁世凱を悪玉とする中国人の歴史捏造の影響のためだろう。
他方でその孫文は広東で一七年、二〇年、二三年、三度にわたり、一方的に中華民国を名乗る小政権を作って反乱を繰り返し、
またその間の一九年、国民党も結成し、北京政府の打倒を夢見たものの、各国から政府承認を受けることもなく、二五年に死去。
そこでその勢力を用いて蒋介石は血で血を洗う北伐の内戦の結果、二八年に南京で中華民国国民政府(国府)を樹立し、南北の統一を完成した。 -
30数年前に上海の本屋で買った歴史本(中国語は読めないが土産に買った)では
五四運動から「新章」になってて、中国人の歴史観ではここから「明治維新」なのかなとオモた。
軍閥抗争時代のまん真ん中をぶった切るのもなんだかなー、と思うけど、歴史観つーのは
ナショナリズムとか市民意識の目覚めとかがやはり転換点ではあるので、ここから
中国近代史は新しいフェーズに入るのかなと思う。国民革命も辛亥革命よりも五四運動の延長線上にあるし、中国共産党の立場からでも1910年代と20年代に「ミシン目」を入れたいところ。
上海で買った本は歴史初心者向けでイラストが多く 見てて楽しかった。(紙質は新聞紙級w)
というわけ、清末民初は「日清戦争〜五四運動前」かな? -
・・・石原の言動については諸説あり、事件発生の26日から討伐方針を明確に
していたとする説と、28日に態度を明確にしたとする説がある・・・
https://special.sank...e/20190511/0001.html
前者であり、最初から参謀次長の杉山元の指示で動いていたに決まってるわさ。 -
>>33
韓国の三一運動と同じで、「我が国の歴史は抗日独立運動から始まったニダ」という、政治的イデオロギーに基づく歴史観 -
・・・「参謀本部の石原莞爾からも町尻(量基)武官を通じ討伐命令を出して
戴き度(た)いと云つて来た、一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく判らない、
満州事件の張本人であり乍(なが)らこの時の態度は正当なものであつた」
先の大戦後、昭和天皇が二・二六事件を振り返って側近らに語った言葉だ。・・・
https://special.sank...e/20190512/0001.html
繰り返すが、軍隊で(クーデタならともかく)上司筋をすっとばして
自分で重要な新たな仕事をすることはありえない。
上司の杉山元の指示で動いてるのに決まってるの。 -
この時期に関する新刊の工具書
http://www.koyoshobo...jp/book/b454058.html -
>>28
中国大陸や台湾じゃとっくにそう言っているよ。
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