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世界史
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フランコ総統(フランシスコ・フランコ)
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フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(Francisco Franco y Bahamonde、1892年12月4日 - 1975年11月20日)は、
スペインの軍人、政治家、独裁者(総統)。ガリシア出身。
こういう強引な人はたいてい最後は失脚するもんですが
失脚しないままタタミの上で死んだのは正直凄いと思う。 - コメントを投稿する
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24 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2014/06/22(日)12:02:00 ID:hMXvYV4gM
良い奴かどうかはさておき、
多くの日本人が今まで教えられてきたほど「悪い奴ではなかった」というのが妥当な評価かな?
独裁政治特有のネポチズム(縁故採用)なんかの災いからも免れていたみたいだし。
まぁ、フランコ一家は、フランコ本人を除いて全員共和派の方に味方した事になっているので、
まさか元・敵を高位高官に就けられるはずもなかったという点もあるのだが。
独裁者の兄弟が、たとえ形の上でも敵の側について敵対したという事自体、
スペイン内戦がフランコとは全く無関係の所で計画され、そして開始された事がわかる。
つまり、自分の兄弟に根回しして味方に引き込むような時間的余裕すら与えられなかったわけだ。 -
25 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2014/06/22(日)12:07:39 ID:XDUjw5Q76
それに、独裁国家の割には、あまり人を殺さなかったというのもポイント高い。
無論、スペイン内戦で熱心な共和派の連中は軒並み戦死するか、
隣国のフランスに亡命するかしたからだが、
政権獲得後、フランコが気にくわないと思った奴は、カナリア諸島とかモロッコに島流しにさせられるだけで、命を取られる事はほとんどマレであった。
今でもテロばっかり引き起こしている、バスク人の独立運動家相手ですら、そのような態度だったので、
ファランヘ党員の中から「軟弱」「弱腰」という不満の声が起こってきたくらいである。
この政敵をとことんまでは殺さない態度は、フランコが尊敬したムッソリーニの政策を真似たらしい。
26 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2014/06/23(月)17:47:11 ID:XWKl68UcT
「窮鼠猫を噛む」リスクを回避したかったんだろうな。一理ある。 -
5 名前:名無しさん@おーぷん[age] 投稿日:2014/05/23(金)19:40:07 ID:OpInvrHfv
フランコ政権下のスペインの経済って独裁国の例にもれず酷かったのか?
6 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2014/05/23(金)19:43:58 ID:eprn3QziB
晩年の頃は、経済成長の基礎は築かれていたよ
当時の米英と比べたら可哀想だけど、独裁国家にしては成功していた方だよ -
11 名前:名無しさん@おーぷん
投稿日:2014/05/25(日)20:47:42 ID:dWombZ1d5
スペイン内戦でフランコ支援で頑張ったファランヘ党員たちは、
フランコの勝利後に報われることは無かった。
政党は非ファシズム的な、復古主義的政党に作り替えられたんだよ
一応ファシズムは新思想ってことになってる
単なる復古主義じゃなく、マルクス主義や自由主義を越えた20世紀の新思想っていうね
フランコが目指したのは王政復古
方向性があまりにも違う
12 名前:名無しさん@おーぷん
投稿日:2014/05/25(日)20:53:46 ID:mLhvXzKEW
http://ja.wikipedia....B3%E3%83%98%E5%85%9A
> 1937年、フランシスコ・フランコは王党派とファランヘ党を合体させ、
「新ファランヘ党」の党首に就任した。
> 1939年の党大会でスペインで唯一の政党となることが決議され、
1975年のフランコの死まで独裁制を支えたが、旧ファランヘ党のメンバーは1950年代から政権から
完全に外され、非主流派となった。 -
>>1
全板対応の避難所 2ちゃんねる避難所@2NN 2ちゃん
http://www.2n★n.jp/refuge/ ← ★を取ってね
5ちゃんねる避難所(FC2ウィキ)(編集可能)
http://2chhinan.wiki.fc2.com
5ちゃんねる避難所(5ちゃんねるウィキ)(編集不可)
http://info.5ch.net/?curid=1660 -
いきなり保守
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天寿をまっとう
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ヒトラーに支援されたが為にファシスト扱いされてる人
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ファシストではないが「ファッショっぽい」と評する人もいる。
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いきなり保守
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朝の保守
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オプス・デイ
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「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」
「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」 -
朝鮮人はおしゃぶり上手
ちゅぱちゅぱ -
オプス・デイ
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マドリードは夜(たぶん)
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フランシスコ・フランコ
エリック・エリクソン
ガリレオ・ガリレイ
この辺の野比のび太感すき -
長宗我部元親よりマシ
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朝でも昼でも夜でも怒鳴れ
ナンでもカンでも怒鳴れ
がんばる がんばる なんて するふりー
まわりを見なきゃダメダメ
なぜだか いつも怒りたーい
ムシがわるいとなるみたーい
相手を選んで怒鳴りたーい
火病のツボがあるみたいだね
https://www.facebook...m/katsuyuki.kida.923 -
ひとまず保守
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なかなか人は来ない
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狸の金玉は風もないのにフランシスコ・フランコ
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>>19
長宗我部なの?それとも長曽我部なの? -
長曽加倍表記もある 安部→安倍 みたいな変化か
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歴史の本には 長宗我部 と書かれている。
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元親の子の盛親ってあんまり有名じゃないのかな
偉大な親→次代で滅亡とか、信玄に対する勝頼とかぶる
日本史スレでは勝頼のスレはあるのに -
秀吉→秀頼
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反乱軍に途中参加して実権を掌握していったんだっけ
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海軍軍人の家に生まれたけど当時の海軍兵学校が生徒を
募集してなかったんでやむなく陸軍士官学校に入ったてのを
どっかの本で見たことがある。
もし海軍兵学校が生徒の募集をストップしておらずそこに入ったとしても
別の人物が史実のフランコにとってかわっただけなんやろか? -
もしかしたら、人民戦線側が勝利していたりして。
まあ人民戦線は政治的に無能だったが、直接にソ連が乗り出してきたら、あるいは…
フランコのカリスマは強かったような印象がある。 -
スペイン内戦でフランコがナチスと組んだせいで必要以上に貶められているが、
共和派がソ連の影響下にあった共産党や社会党中心だったことはスルーされがち。
基本的にフランコは蒋介石と大して違わないのにな。 -
同じ右派の軍事独裁政権で政権掌握後の弾圧が激しかったのは
チリのピノチェトも同じだけど,なぜかフランコのほうが魅力的に
移る(第二次大戦期に中立を守ったり,タカ派の連中を義勇兵
という形で東部戦線に送って厄介払いしたりとか)。 -
フランコは日本のアジア解放戦争に否定的だった。
日本人に否定的で白人支配支持者だったけどな -
そういえば太平洋戦争中,日本がフランコ統治下の
スペインを拠点にスパイ網を敷いてたっけ -
フランコは軍人だけどお隣ポルトガルのサラザールは文民(学者)と。
それはそうと母方の姓Bahamondeは日本だと”バアモンデ“だけでなく”バーモンデ”と
いう表記でも結構見かけるような。 -
そういえばフランコの父親だけどスペイン内乱を終わらせたフランコが
支配者となった後もしばらくはご存命だったのね(1855年生 1942年没) -
フランコの政治姿勢は基本的に保守中立
外交でも内政でも割と一貫してる -
最晩年はETAのテロ活動に悩まされてて腹心のカレロ=ブランコも
ETAに暗殺されてたっけ -
>>36
ピノチェトはチリの経済を滅茶苦茶にしたからな。 -
フランコのスペインが枢軸についてたら、あるいはヒトラームッソリーニもの命運も違っていた・・・なんてことはないか
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フランコの葬儀に参列したピノチェト&イメルダ夫人
http://karakullake.b...chet-at-francos.html
それはそうとフランコ統治下のスペインはオットー・スコルツェニーとか
ホリア・シマとかアルゼンチンでチトーの配下に殺されかけたアンテ・
パヴェリッチなんかが流れてきたのね。 -
GHQ情報部長ウィロビー将軍、退役後はスペインでフランコの
アドバイザーになってたんか -
>>49
>アルゼンチンでチトーの配下に殺されかけたアンテ・パヴェリッチ
ひどい負傷をしてもスペインに戻って2年後に死んでいるのだから
ものすごい生命力だったんだろうな。
中曽根やナベツネや全斗煥もそんなもんだがw -
この人のフランシスコって名は同名である父方の祖父にちなんで
付けられたのか。 -
アルゼンチンのマヌエル・デ・ロサスの政敵で彼の失脚後に大統領となった
バルトロメ・ミトレがギリシャ系だったこと。
サッチャー首相の息子が赤道ギニアの政権転覆未遂事件に加担していたこと。 -
スレ間違えました(滝汗)。
ごめんなさいorz -
>>53
妥当なところで、アッシジの聖フランチェスコ? -
「スペインを読む事典」って本を昔読んだことがあるけど,フランコ体制下と
なったスペインに再び足を踏み入れたヘミングウェイが現地の入国管理官から
「あなたのファンなんです」といわれたり,フランコ体制下のスペインでは
ベサメムーチョを公然と歌えなかったりといった事が書かれてたような
気がする(うろ覚えながら)。 -
フランコ亡き後、その家族は災難続きだったってどっかの本に
書いてあったなぁ -
逆に、ムッソリーニの子孫は他分野含めて活躍したな ソフィアローレンの姪っ子とか
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ロマーノ・ムッソリーニはジャズミュージシャンとしてかなりの成功を収めたみたいだね。アマゾンでもいっぱい作品がヒットする。
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スペイン内乱期のアルカサル籠城戦においてフランコ側のモスカルド大佐が
「アルカサル異常なし(Sin novedad en el Alcazar)」って言葉を残してたような気がする。
ちなみにこの人戦後はロンドン五輪でスペインサッカーチームのコーチをやってたんだとか。
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これやね
https://en.wikipedia...oscard%C3%B3_Ituarte
>His singular passion remained football, and, to his pleasure,
>he coached the Spanish football team at the 1948 London Olympic Games
>and the 1952 Games in Helsinki. -
東の蒋介石、西のフランコ
同じ19世紀末に生まれ同じ1975年に亡くなった東西二大総統 -
そういえば蒋介石のライバル、毛沢東ってフランコより1年後に生まれ死んだのも
フランコより1年後。でもって両者とも83歳になる手前で亡くなってたのね(まあ毛沢東
はあまりにも長生きしすぎたように思えるけど)。
フランコ:1892.12.4〜1975.11.20
毛沢東:1893.12.26〜1976.9.9 -
独裁者は晩年ボケたり老害になることが多いけどフランコはどうよ?
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スペイン国歌、今はインストのみだけどフランコ時代には歌詞があったんだよね
>>68
フランコとは関係ないけど田中角栄が中曽根と同い年(1918年生)だったことにビックリ。
角栄のほうが中曽根より5〜6歳ほど年上かと思ってた。 -
三浦友和と西川のりおも同学年
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バスク人ではあるけどナバラの人達はフランコ側についてたのね
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フランコ本人に関するエピソードってそんなに多く思い浮かばないような気が
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内乱期とかその後のフランコ体制下におけるスペインでの出来事とかに
話題がいきそう(もういってるか)。
それはそうとお隣ポルトガルでカーネーション革命が起こった時,フランコ自身は
どういう心境だったんだろうなあ -
>>76
あの時点では対岸の火事じゃないかな?
フアン・カルロスの政治手腕次第ではスペインも民主革命が起きるかもしれんけど
どうせフランコ自身は死んでるから関係ないし。
自分の死後の評価を気にするタイプには思えない -
>>76
ポルトガルはアフリカの植民地をとっとと手放すべきだったな。 -
>>79
フランコは手放してたよね(赤道ギニア) -
二人ともいまいち知名度がないよな
ヒトラー、チャーチルと化け物が近辺にいるから仕方がないけどさ -
フランコ時代はNATOに入れなかったスペイン
だけどお隣ポルトガルはサラザール時代でもNATOに入れてもらえてる。
(軍事上の要所といわれるアゾレス諸島を抱えてたから?) -
ピノチェトに関する話があがってたけどフランコ政権が
クーデター後に発足したピノチェト政権に祝電送ったり
いち早く承認したりって話は聞かないような。 -
フランコの死後、軍部によるクーデター未遂事件がおきてたのね
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スウェーデンの警察小説マルティン・ベックシリーズの最終作「テロリスト」で
弁護士が裁判での弁論時にピノチェトやサラザールの他にフランコを引き合いに
出してスウェーデン社会を批判してたような気がする。 -
過去スレ
【近代兵器の】スペイン内戦を語ろう!【実験場】
https://hobby7.5ch.n...cgi/army/1153752968/
スペイン内乱時の人民戦線側にはジャック・白井って名の日本人義勇兵がいたけど
反乱軍側にも日本人義勇兵がいたっていわれてるのね。
>> 81
ポルトガルのカーネーション革命、フランコ本人は気にしなくても
フランコ派の面々(軍部や保守層とか)はおそれを抱いてたのかなあ。 -
カルロス国王が即位した時には
「国王は、議会が推薦する3名の中から首相を選出しなければならない」
との規定があったらしい。 -
ナトーなんて辞退した方が良かったフランコの自覚。
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フランコの兄弟の中には共和国側についた人もいたっけ。
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総統と訳されてるカウディーリョだけど,かつてスペイン語系中南米諸国に
存在した武装有力者もカウディーリョって呼ばれてるのな。 -
ムッソリーニのドゥーチェも総統って訳されるのかな
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総裁、総帥あたりはどうなんだろか
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