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戦国時代
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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part9
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史実時系列表
8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日 島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日 東軍先発諸将赤坂に布陣
同日 秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日 西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
兵3000で籠城する
付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月10日 秀忠西上開始
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
9月14日 家康赤坂着陣
同日 小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日 西軍毛利元康ら大津城攻略
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 秀忠大津に到着
作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。 -
勝てません
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あ、史実時系列田辺城関連すっぽり忘れてた。
あと秀忠の美濃到着もあったほうがいいかな。
他にもなにかあれば追加、訂正等よろ。 -
この板って即死あるのかな?
立花宗茂って大津城攻撃までなにやってたのかなと思ったら
大津城監視係やってたのね。
そんなことするくらいなら大津城に毛利の兵5000くらい入城させとけばいいのにと思うけど。
京極高次に入城拒否でもされてたのかな? -
立花は九州からの増援待ってた。
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>>5
東軍の東海道連中のように自発的に城を明け渡すってんならともかく、
立ち退き要求なんかしたら普通怒ると思うぞ。しかも秀頼の叔父相手に。
そもそも京極って立場的に考えればはっきりと敵対行動とらない限りは
干渉しない方が無難だと思うけど。 -
>>7
いや立ち退きとか明け渡しじゃなくって「援軍」って形でさ。
西軍兵同居状態では中立化はできても東軍に寝返りは難しいでしょ?
瀬田抑えてても大津城の去就が怪しいでは片手落ちだと思う。
が、実際に大津城に西軍が入城してないならなにかできない理由があったのかなと。 -
援軍はあり
でも本人がNOと言えば
ゴリ押しできない -
無理強いして反発されたら味方に引き入れた意味なくなるしな
まぁ無理強いしなくても反発されたけど -
援軍も何も前線は(高次が裏切るまで)大津のはるか先だぞ
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そうだな
あんまりバラ撒いたらゆう兵になって
敗北して叩かれるぞ -
石田三成が自害する
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ごめん、自己解決した。
やっぱ輝元、増田も同じこと考えてて、
大津城に援軍という形で兵を入城させようとしたら京極の留守方に断られて、三の丸だけでも強引に占拠しようとしてたあたりで京極高次がむろする西軍を強引に押しのけて帰城、
籠城という流れみたい。 -
やはりいの一番に清須を謀略で落とし浜松辺りで対決という俺の意見以上の物は出て来なかったな。
俺のこの意見をベースに練り上げていこうぜ。 -
ゲーム脳
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なんかみじめ
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>>15
んなことしてたから寝返られたんじゃないの -
>>15
やはり頼んでもいない『援軍』を自分の城にいれるのは抵抗があるんだろうね。
強引にやろうとすると反発して敵対行動をとられるだけだ。
ほぼ西軍が制圧したとみていい畿内でさえ、大津の京極がこういう対応するんだから
他の地方じゃこの手は絶対使えんな。 -
あと瀬田の砦構築については、伏見城の後詰に来るであろう東軍を瀬田辺りで迎え撃つ
つもりだったんじゃないかな?
つまり瀬田砦構築を決定した時点で西軍は伏見城を早期に落とせる自信がなかった、
だから急いで毛利勢に瀬田に砦構築をさせたんじゃないかと思う。
ただ、なんとか伏見城を攻略できたのと、東軍の伏見城後詰が来なかったので
特に瀬田に砦構築する必要もなかった。
しかし9月に入って東軍が美濃まで来ている、大垣を包囲に留めて近江から畿内乱入しても
おかしくない情勢となった。
もし来たら瀬田で迎え撃とうと思ったが、大津城が東軍方については瀬田防衛線は危うい。
なので大津城に援軍を入れようとした、こんなとこなんじゃないかな。
あくまでわたし個人の想像。 -
>>21
その辺の経緯って、やっぱり勝負事が解って無い甘ちゃんだよね、輝元。
家康の方針って簡単で、戦場付近や重要ポイントの大名には中立を認めないって事だしね。
中立を宣言してもお構い無しで攻め落とすんよ、家康はね。
だから桑名の氏家なんか両方から攻められてるし。
家康が輝元の立場なら、大津城は少なくとも本丸は明け渡しで腹心を入れてるでしょう。
ガラシャの問題もそうだけど、反発食らっても強引に進めた方が良い場合も有ると思う。
人質拒むなら屋敷事焼き払うでも、別におかしな判断じゃ無いしね。 -
瀬田普請終えて防備固めた時点で「勝負あり」と思ってたんじゃ無いだろうか
三成の昌幸宛書状があまりにも楽観視し過ぎているけど輝元もあんな感じだったか。
そう考えないと、8月以降の美濃伊勢方面があまりにも後手後手なんだよなぁ
逆に、勝ち確と判断してたなら無闇に京極に喧嘩売って淀の反感受けるのは得策ではないしな
戦後の情勢を踏まえた政治判断的としては -
うーん三成は逆に家康が関東から出てこれないと考えてたみたいだからなぁ
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>間違って送信しちゃった
ということは挙兵する前に作戦の摺り合わせをしてなかっということか...
そりゃ西軍は終始グダグダになるわけだ -
スマホ太郎一人で東軍なんか倒せるよ
武田軍も撃破したしな -
そういえばすっかり忘れてたけど、前田勢25000がそのまま南下してれば伏見城の後詰めになり得たとも言えるね。そのための瀬田の砦構築かな。
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というか、前田はそのつもりだったけど伏見が落ちたんで引き返した?
タイミング的には合うんだよな。
大谷の流言飛語の効果もあったんだろうけど。 -
精々西軍に与した加賀南部〜越前の制圧が目的だったんじゃないかな
で伏見が落ちて、前田が単独で西軍の矢面に立つのを恐れて退却した感じ -
>>33
前田は結果から見れば動きが小さかったわけだが、意図まではわからん。
西軍にしても利長の目的を正確につかんでいて、近江への進軍はないと
確信していたとも思えない。前田に備えたという解釈も間違いではないと思う。 -
7月下旬〜8月初頭頃の伏見城攻城中の西軍の畿内周辺に対する東軍の重大な脅威というと
明確なのが前田勢の南下くらいで、不明確なものが京極の東軍化あたり。
先々を考えれば家康の西上対策とも言えるけど、南近江に兵を展開しつつ
急いで瀬田に砦構築という点から前田勢の南下対策の部分もけっこうあったように思う。
大谷らの敦賀着陣がけっこう早い点からも前田の南下は警戒してたんじゃないかな? -
当初の課題は鳥居元忠の篭る伏見城とガラシャの死で敵対せざるを得ない細川と三成を謀反人とした蜂須賀でしょ
これ以外は全部交渉で片が付くと思ってる
前田だって母親を人質に取られてるから対立してるけど本心ではこちら側みたいなこと言ってるし -
先駆けて落ちた清須から左回りに平定だな。
大混乱の浜松も併せて落とす、と。 -
>>37
細川も蜂須賀も前田の南下対策に比べたら課題じゃ無いでしょ
細川の残存兵力はわずか500、蜂須賀も輝元の大阪入りと同時に家政は虜だし、
7月末には阿波も制圧済み
8/2に大聖寺城を攻略した前田の方がよっぽど課題
本心はどうだろうと現に侵攻して来てる -
>>39
だから前田然り福島然りその時点でもまだ交渉で何とかなると思ってるからどうにもならんって話よ -
>>40
本当に交渉でどうにでもなるって思ってたのかね。
だったらなぜ瀬田の防備を固めたのか。
そして伏見攻略後に伊勢に大軍勢を向けたのか。
前田や福島でさえ西軍になびくと思うのなら、
伊勢の小名程度には軍勢を差し向けるまでもなく
降伏すると考えるはずではなかろうかね。 -
>>41
思っていたとするのが一番簡単な解釈だけど
仮にそんなに都合よくことが運ぶはずがないというのは思っていたとしても寄り合い所帯なので口にはできない
できないから早期に東軍を防ごうという行動にも移れない
この時点ではまだ上杉が足を引っ張ってくれることも期待してたはずだからね
西軍からしたら家康が帰ってくるのが早すぎた -
>>41
多分ね、三成って太閤の調略を自分の眼で見てたんだと思うんよ。
素人が名人の真似をすると大切な大前提を見落としてたり、気付かなかったりするって事でしょう。
結局、調略ってのも裏付けの武力や経済力ってのが有ってこそ上手く行くんでさ。
前田だって、西軍が本気で攻める構えなら抵抗したんだろうか?問題は前田の家老に西軍寄りの人も
結講居たりする訳でさ、四男って丁度良い神輿も居るし?
東海道の豊臣恩顧が家康に味方したのは、家康の旧領だから一揆煽動とかされるの恐れたってのも
有ると思うんだよね、家康は一度この手で川尻を消してるしさ。
カエサルだって、有名な寛容だけじゃ無いんだよね。
戦場付近の都市が日和見しようとしたり、敵方に味方しようとしたら平気で略奪したりしてる。
その辺は割り切りって言うか乾いた判断が有るんだよね、私は寛容だか両手に物を持ってるってさ。 -
>>43
まぁ面白い策ではあるね、前田勢25000を味方とするために前田を攻めよと。
しかし野戦でも攻城戦でも前田に勝つ(降伏させる)には少なくても4〜5万の兵力が必要なんじゃない?
西軍戦力のかなりを北陸に振り向ける必要があるよ?
成功した場合の見返りは大きいがかなりのリスクを伴う策。
ちょっと熟考しないと判断できない。 -
>>43
仮に東海道の豊臣恩顧組が西軍に味方or中立した場合、
徳川本隊とガチンコする羽目になるからな
西軍の後詰めは物理的に不可能な状況下で。
正直福島が徳川に付くって言った時点で他のメンツに選択肢は無いわ
細川はまた別の意味で選択肢が無いが -
王様ゲームの王様の命令で勝てる
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夜襲を決行して成功していれば勝てた
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夜襲は少数で行うもので大軍の敵を大敗させるものではない
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西軍は初っぱなから詰んでるようにしか見えんw
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逆に西軍の当初の着地点の「徳川と決戦を避けながら戦略的優勢を固めて政治的に勝利」を考えてみようか。
「内府、会津・佐竹を敵に仕り、僅かに三万の人数を持ち、分国十五城を抱へ、廿日路を上らる事なる物候哉。
(中略)右の分別これなく、主の人数一万、上勢一万許り語ひ上り候へ共、尾・三の間にて討ち取るべきの儀、誠に天の与へに候」
?内府ちかひの条々で会津征伐軍瓦解、?徳川軍3万の関東封じ込め、?西上する軍勢を2万程度に抑える
この3つが「徳川と決戦を避けながら戦略的優勢を固めて政治的に勝利」の大前提で、
これが達成できれば確かに政治的勝利も視野に入る。
しかし8/14の東軍諸将3万数千到着と、8/24の秀忠軍3万5千の西上開始でこの戦略は完全に崩壊する。
更に言えば徳川単独で結城を残して尚、6万5千を西上させてるから徳川軍3万の見通し自体が甘かったんだけど。
で、これらを達成する方法ってあるんかな? -
家康暗殺に成功
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上杉と佐竹が背後を気にせず、全力で関東に攻め入って玉砕するまで暴れればチャンスがあるけど、両家に何のメリットも無いからなあ
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西軍は三成が悪目立ちしている時点で勝ち目がない
どんな立派な大義名分を掲げても三成が復権を目論んで起こした私戦になってしまう
まず三成を追放か処刑することが西軍のスタートラインだろう -
>>53
三成排除のメリットにだけ目を向ければそれがよいように思えるかもしれないが、
三成を排除すれば大谷も降りるんじゃないの?大谷が勧誘した越前衆はどうなる?
三成が勧誘した秀信はどうなる?秀信の勧誘した美濃衆は?
勧誘の条件が全て空手形になる可能性を勧誘された側は恐れるよ。
三成いないなら佐竹は東軍に付かない?
石田、大谷が越前、美濃の勧誘で大きな働きをしているのだから
三成を排除すればそれなりのデメリットはあるよ。
少し上で出てるけど、前田勢+越前衆を瀬田で迎え撃つ事態になるかもよ。 -
>>54
というか、石田三成がいなければ西軍決起すらなかったと思われ。
三成は西軍の総大将ではなかったが、おそらく彼が仲立ちになって
奉行衆と二大老を結び付けたというのは間違いなかろう。
(高橋陽介のように異説を唱える人もいるが)
人脈が太いとは言えない毛利輝元だけではこうはいかない。 -
>>50
?が達成できれば?、?はほぼ自動達成になるな。つまるところ、
内府違いの条々が征伐軍の連中にほとんど受け入れられなかったのが全ての問題って事だ。
>>52
毛利や上杉がやる気を…説の最大の問題点はそれ。どう考えても大損するんだよ、徳川とガチンコなんて。
それがメリットになるのは毛利や上杉に天下取りの野望があった時だけ。
その場合なら最大勢力の徳川は絶対に叩く必要があるから。
でもそれ西軍の挙兵理由でもある『豊臣御為』と完全に矛盾するのよね。
豊臣政権に無理にでも権力を持たせたうえで、西軍が莫大な報酬を約束したら?
どう見ても政権の次の討伐対象です、本当にありがとうございました。だな。 -
>>56
毛利・上杉やる気問題については、まず上杉については西軍挙兵がなければ
上杉征伐が予定通り実行されるはずで、実行されれば上杉敗北で
どのみち上杉はよくても大幅減封、下手すりゃ全領地没収、は避けられないんじゃない?
毛利についても西軍挙兵がなければ前田、上杉の次に狙われるのは毛利か宇喜多。
狙われないにしても既に反家康派は少数派となり家康の専横は政治的にも軍事的にも
阻止するのは不可能な状態に陥ると思われる。
つまり毛利はまだ生き残る可能性があるから日和見加減もわからなくはないけど、
討伐対象にされてる上杉は味方の多くなった西軍挙兵時に
中央の西軍主力と連携取らんでどうするの?って思う。 -
>>55
三成がいないと決起もできない時点で西軍に勝ち目はないだろう
戦は命がけの殺し合いなのだから
大軍を持っているわけでもない、豊臣一族でもない、百戦錬磨の猛将でもない単なる官僚に過ぎない三成頼みとかありえない
三成がいることもわからない空気な状態でも戦える気力がないのなら論外だよ -
>>57
問題は西軍の総大将が毛利であるって事。
つまり、上杉が西軍と完全に連携するという事は、上杉が毛利の下風に立つ事を認めるって事だ。
宇喜多のように石高が小さくて年齢も大幅に若いとかならともかく、
石高も官位もほとんど変わらん毛利に命令されるとか上杉からすりゃ冗談じゃないだろう。
せめて毛利が大納言位なら『朝廷から与えられた官位の差』で、なんとか折り合いつけられそうなんだけどねえ。
まあ、勝手な想像ではあるんだが面子とかそういう問題もあるんじゃないかと。
徳川軍が全力で上杉領土に突っ込んできたなら、そんなモン無視するだろうけど、
幸か不幸かそういう展開にはならんかったしね。 -
上杉はヤル気あるけど背後を安全にしてるうちに時間切れになっただけだし
帰る家無くなるけど気にせず玉砕するわなんてできるのはゲームだけ -
西軍は不利だけど全滅するまで戦えというブラック企業
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>>57
応仁の乱みたく長引くと想定してるなら、足下固めから取りかかるのは分かる気がするけどな。
自家が犠牲になってわざわざ短期決戦に挑む必要も無いし。
三成が書状で楽観視+優位誇張しているから余計にそう思うはず。 -
石田秀雄さん(左)が秀秋を「勇将だ」とたたえ、小早川隆治さん(右)と固い握手
http://www.sankei.co...wst1710290058-p1.jpg
「関ケ原の戦い」で西軍を率いた石田三成と、東軍に寝返ったとされる小早川秀秋の子孫が29日、三成ゆかりの観音寺(滋賀県米原市)で会談した。
映画「関ヶ原」の公開を記念し、同市が開いた座談会で実現。両家の伝承や、秀秋は当初から東軍だったとの学説も紹介され、ファンが聞き入った。
石田秀雄さん(67)が秀秋を「勇将だ」とたたえ、小早川隆治さん(76)と固い握手。約400年越しに“和解”した。
産経WEST
http://www.sankei.co...st1710290058-n1.html -
まあ豊臣家にとっちゃ関ヶ原がおきないのがベストシナリオだよなぁ
あと挙兵以降どうやって上方の連中と上杉が連絡とるんだよw -
>>50
1、についてはもうどうしようもないかと。流れで西軍に巻き込まれたのもいるように
流れで東軍に巻き込まれたのもいるようには思う。
2、3についてはようは上杉に敵戦力の誘引をしろってことだね。
具体的には宇都宮方面で、決戦すると見せかけて決戦しない、
自戦力を温存しつつ敵戦力を誘引(宇都宮に秀忠、秀康を釘づけにする)すること。
宇都宮方面の地理には疎いので戦術的にそれが可能かどうかはわからない。
検証は他のかたにお任せする。
具体的に決戦すると見せかけて決戦しない、自戦力を温存しつつ敵戦力の誘引を行った例としては
セイロン沖海戦のイギリス軍。
結果は史実の通りで自軍は軽空母撃沈等それなりの損害を被る。
しかし日本機動部隊の戦力誘引には成功している。
上杉にこれやれってのは難しいかもしれないが。
ちなみに陸戦、海戦はたいして関係ない。 -
バランス取るなら
小早川が西軍という学説もあるにしないと -
>>58
それかなり重要だと思う
上杉、毛利は士気が高くなる理由がなさすぎるし
豊臣の連中は内輪揉めと保身ばっかり
こんな状況で家康のためなら重臣クラスも喜んで命を投げ出す徳川軍65000を相手に出来るわけない
唐入りからの不満が爆発してる福島ら武断派、愛娘を虐殺されて冷遇されてた最上、ガラシャ殺された細川・・
東西で士気に温度差がありすぎる気がしてならない -
佐竹が積極的動けばと思ったが、
それって佐竹に「単独で徳川軍6万5千を相手にしろ」って言ってるに等しいんだよな。
佐竹にとってみればせめて上杉が宇都宮付近まで南下してこないと、
遠い会津じゃ話にならないだろう -
徳川の本拠地の目の前だからどの大名も迂闊な行動ができないんだよね
戦略的には上杉遠征の隙に挙兵というのがそもそもの間違いの感じがする
上杉が屈服したらどうしようもなくなるという考えも分かるが -
>>63
『小早川秀秋の子孫』ってのに違和感 -
>>71
秀吉の子孫が存在してテレビ出ちゃったりするぐらいだからなw -
名跡を継いだ系譜上の子孫やからな
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小早川秀秋の死後になぜか秀秋の子供が生まれて木下家に引き取られたって話があったな
信憑性は微妙だけど
そもそも小早川は養子ばかりだからな -
>>69
場面次第だけれど佐竹単独は無理だろうね。
直江から佐竹に宛てた手紙では、最上伊達を平定し、彼らを従えて後に共同して江戸に
攻め込もうと提案している。上杉側の戦力計算としても、後背に敵を抱えたままで徳川
と戦うリスクは負えないというところだろう。上杉ですらそれくらいの戦力が必要と思
っていたわけだから、佐竹だけでは危険すぎる賭けになる。
直江の認識では8月末までは徳川の主力は関東に残ったまま。
秀忠転進後も家康の本隊が江戸に残っている。
最上攻めを始めたのが9月8日だから家康の江戸出立の情報を掴むまでは
最上攻めに戦力を割くことすら慎重にならざるを得ない状況だったということになる。
とは言え、徳川の方が圧倒的に有利だったとは思えない。
家康はリスクを負って関東の戦力を引っこ抜いて上方に宛てたのであって、余剰戦力
が豊富にあったわけではない。
結論的には時間との勝負だったのだろう。
家康が上方を制圧するのが速いか、景勝が東北を制圧するのが速いか。
美濃で西軍が粘って家康を釘付けにできれば上杉・佐竹が後背を襲うチャンスもあった。 -
情報戦の分野では、雲泥の差がある
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団結力でも、雲泥の差がある
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>>75
逆に言えば8月〜9月の間は徳川領を脅かせられる勢力が周囲に存在しないから
戦力を西に向けられたとも言えるわけで。
まぁそこは動かせる戦力を必要なタイミングで動かして勝利を掴んだ
家康の決断力を賞賛するべきなんだろうけど
とは言え西軍の勝利を検討する上で、
上杉が東北を制圧するまで徳川軍がフリーハンドなのは
あまりにも痛い
なんとか牽制しときたいが -
東軍でも絶妙のタイミングで反旗を翻す大名がいれば、、、
-
>>79
江戸攻略とはいかないまでも、家康出陣後に佐竹がちょっかいを出したら戦況は変わったかもしれないね。 -
わたしは上杉が最上攻略するまで美濃で粘るという案はデメリットのほうが大きいと思う。
9月に入ると前田の再南下と挙動不審小早川の活性化が懸念材料。
それよりも上杉にさっさと宇都宮方面でうろちょろしてもらったほうがいい。
最上が上杉領に侵攻してきたら逆に野戦で最上を叩くチャンス。 -
宇都宮方面うろちょろしてるのに最上と野戦できる不思議
-
上杉が徳川と戦ったら最上だけじゃなく火事泥狙いの伊達だって手薄な背後を狙って攻めて来るだろうから
どのみち戦力足らないんじゃないの -
長谷堂合戦の経緯を見るにそもそも最上に負けそうだし待っても無駄という気がする
下手な動きをする場合、伊達に挟撃される危険もありそうだし
佐竹は義重が生きてる限り期待出来ないかと -
思ったんだけど、西軍視点では徳川の牽制は可能という認識だったんじゃないかな。
西軍視点では、内府違いの条々を見た上杉征伐軍に参加した諸大名が徳川を見限る予定だった筈。
つまり彼らは自動的に徳川と敵対してくれるから目前に徳川という敵がいる以上、
牽制は頼まれなくてもやってくれるって認識だったんだろう。
予測が甘いと思うかもしれないが、西軍はこの時点で近畿(豊臣政権)を抑えているし、
諸大名の妻子も人質にしたんだから、豊臣政権をないがしろにしている(西軍視点です)徳川なんか、
諸大名はほとんど見捨ててしまうだろう、位の考えだったんじゃないの。 -
そうだよ
その楽観的な見方ですら徳川との対決は準備を整えた翌年以降の話なのに
史実だとそれよりも遥かに早く東軍が帰って来ちゃったから
戦略を練り直す暇も与えられずに戦う羽目になってああなった -
西軍が勝ったらだれが論功行賞を仕切るんだ?
テルか三成か茶々か
三成は嫌われ過ぎ -
古今東西、有力者の出征に乗じた首都クーデターって、遠征軍が崩壊したら成功、崩壊しなかったら反転してこられてフルボッコにされるのがパターンなんだよね
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>>90
なんで上杉や佐竹が豊臣家の為なんぞに大損害をしなきゃならんのか、これがワカラナイ。
こういう事書き込むとすぐ「徳川に征伐されて〜」とかいう人いるけどさ、
それは『徳川と対立する理由』にはなっても、『壊滅覚悟で徳川に特攻する理由』にはならんよ。
特攻してもなお、上杉や佐竹が利益を確実に得られるって報償なんて西軍は作れるの?
また、それが確実に実行される保証は? -
前スレの織田秀信が西軍の首謀者並みに自滅覚悟で早期から清洲城攻めるとか言ってたように
佐竹や上杉も豊臣のために自滅覚悟で攻めるとか無茶振りだなw
そんな大名を洗脳できるなら小早川も裏切らせずに洗脳できそうだなw
家康も洗脳しちまえw -
じゃあ家康洗脳でいいじゃん。上杉が戦う必要もない
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そうはいっても、城持ち大名クラスだと死に物狂いで籠城しとるのよ。
西軍でいけば真田昌幸、山口宗永は落城して自刃しとるな
東軍は富田信高、分部光嘉、京極高次、細川幽斎とか
大軍に囲まれた中で敢えて命懸けで籠城した連中は勇敢だわ。
自分が死んでも、将来的に友軍が勝つと信じて布石を打っているんだろうな。
家康に逆らっていない佐竹がリスクを冒す義理はないんだろうが、
家康に反旗を翻した毛利や上杉は将来を見据えれば死に物狂いで戦う必要があった。
特に毛利は伏見城攻めで鳥居たちを殺してる、勝ち切らないとタダで済むはずがないんだ。
確かに徳川軍の正面を受けるのは大きなリスクなんだが、誰かがやらないと負ける。
囚人のジレンマだな。 -
上杉も攻められれば死に物狂いで籠城するだろ
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>>96
敵地のど真ん中で籠城するのは攻勢以上にリスクが大きいことを言っているんだが。
富田とか分部なんて家康に忠誠を誓う義理なんてないんだよ。
テキトーに西軍のハタ降って小人数を西軍に拠出すれば
生き延びられるんだ。 -
上杉も図体デカいだけで敵地のど真ん中やで
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上杉や佐竹に比べて近場の真田ですら具体的な恩賞の話は8月10付の書状で出てくる程度なので
更に遠方の上杉佐竹は見返りも不確かな状態で徳川と相対しなきゃいけないんだよなあ
これで死力を尽くせといわれても無理でしょ -
>>98
上杉が死に物狂いでリスクを取りに行ったとは思えんけどな。
8月中に最上は上杉に和睦を持ち掛けている。最上、伊達とは和睦して、佐竹と江戸に
攻め込むというプランもありえたわけなんだが、その最上に攻め込んでるんだよな。
信用できないと思ったのかどうかは分からんが、毛利にしても上杉にしても、敵を
絞り込んでいないのが問題点。
その点家康は戦う相手を絞り込んでいる。
対上杉は早い段階で防戦に絞って、上方でも毛利と奉行を切り離しにかかっているしな。
真田攻めで遊軍化してしまったのが失態だが。
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