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戦国時代
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何故秀吉は、秀次の側室とかも皆殺しにしたの?
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やり過ぎだろ。なんか理由あったの? - コメントを投稿する
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何故シリーズをバカみたいに乱立しすぎだろ
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俺に逆らうとこうなるんだぜ
って言いたかったんじゃない? 晩年の秀吉は耄碌して見苦しいね -
>>3
子供産んでない側室まで始末するかね -
秀吉は明智家を山崎で虐殺したことは
一切謝罪する必要はないけど、
これは謝罪の必要があるな。 -
いかれてたからじゃないの?
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つうか秀次の力を恐れる意味もないんだけどな。
だって秀次政権前提で進んでたし、有力大名も秀次に世話してもらってるし割と秀次政権は安泰だっただろう。伊達も本心は秀次派だろ?
最上も秀次派だし、東北安定してりゃ家康だって動けんだろ -
>>7
秀次政権前提で進んでいたから、(秀頼のために)潰したんだろ? -
晩年の秀吉は自分と自分のコピーの秀頼がかわいいだけの老人にすぎない
彼にとっては秀次どころか豊臣政権自体、秀頼の生存のためにはどーでもよくなっている
武家としての教育を受けていないってこういうことなんだろうな -
それで託したのがよりによって家康だからな
自分が織田家にした事思えば、一番託したらいけない人物だろうに
歳は取りたくないな -
秀次政権だったら大老に伊達政宗が入ってくるんじゃねか?
最上伊達と組めば100万石越えで家康もそうそう動けんだろう。 -
>>10
秀吉の頭の中だと
「家康が天下を取るには秀頼の権威が必要になる。だから最悪でも秀頼を殺すことは無い」
「しかし秀次が天下を取ろうと思えば日々成長していく秀頼が邪魔になる。おそらく秀頼は成人する前に病死ないし事故死させられるだろう」
以上から秀吉主観では秀次は絶対に生かしてはおけない存在で、家康はかまわないということになる -
>>13
一応助命するってなったんだけどな -
除命
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秀次生きてたら秀吉側近が秀頼立てて争いそう
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それは有りうるが言い出したらキリがない
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もしかしたら懐妊してる女もいるかもしれないから皆殺しにしたのだろう
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>>18
駒姫は秀次と会ってもないんだぞ -
>>12
流石に関ヶ原のような大乱が起きて豊臣家が一気に没落するとは秀吉も予想出来なかったんだろうな -
朝廷の官位序列で諸大名を心従させたのに、あろうことか現職の関白を処分し、自らぶち壊しにかかった
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耄碌じゃなくて秀吉が本性出しただけでしょう?
甥で養嗣子でもオレ様が邪魔と思えばこうなるよってだけで -
秀長がいないとこれだもんな。
秀長が死んだ時って、秀次は関白になってたっけ? -
>>1
粗相をしたから -
大和大納言家と秀次がいなくなったことは、家康にとってはラッキー
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家康の関東地方国替えに伴って家康の旧領東海地方に配された一群の大名は、秀次体制を前提としたものでしょう。
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>>28
山内・堀尾・中村は秀次家臣だったし池田は嫁の実家か -
>>9
むしろそういう人間こそ、漢の劉邦のように長大な大帝国作ったって歴史があるよ -
>>20
関ヶ原は日本陸軍の捏造 -
秀次がいないと豊臣家は風前の灯火となるからな
秀頼いるから秀次が邪魔になったというのは現代の人間の価値観の発想
当時の幼児は死亡率が極めて高かったから人間社会の存在とはまだ認められない存在
身分の高低は関係ない
秀次の側室らを殺したのは単に秀次が謹慎命令に反して腹を切ったから
そうしたら必然的に秀次一族は敵になるので戦乱を予防するには殺すしかない -
>彼にとっては秀次どころか豊臣政権自体、秀頼の生存のためにはどーでもよくなっている
秀頼の確実な生存のためには豊臣政権が要るからその論は無理がある -
>>34
移譲するとは限らないけど秀次なら豊臣家の天下は続く
家康に後見頼むとかは政権を乗っ取られる可能性が高い事は織田家から政権を奪取
した秀吉なら必ずわかっていたはず
この点、よく俗説で秀次が切腹させられたになっているがあれは不自然すぎてたぶんガセ -
豊臣秀頼の生存か豊臣政権の存続かでとられる選択肢が変わる
豊臣秀頼の生存を取るなら一番の敵は関白で成人した甥の秀次、たとえ秀次にその気がなくても秀次一派と秀頼一派で天下大乱になる覚悟はしなくちゃならない
政権の存続でいうなら秀頼が廃嫡される覚悟で秀次に継がせるって手段も取れるけど -
晩年の秀吉の妄執は秀頼の天下じゃないの
織田家はあくまで当時の最大大名であり天下獲った自分とは違うと思ってそう
でも武家をつなぎとめるのは関白ではなく将軍職だったのよね 少なくとも世襲できない時点で関白では弱い -
>晩年の秀吉の妄執は秀頼の天下じゃないの
これ、根拠ある?
秀頼の天下がなければ秀頼の安全は保障されない
秀頼の天下が少しでも保障されるには最低豊臣政権であることが必要
だから秀次が必要
>でも武家をつなぎとめるのは関白ではなく将軍職だったのよね 少なくとも世襲できない時点で関白では弱い
これも現代で歴史を知っている人の考え方にすぎないのね
実際に秀吉から秀次に世襲している前例があるし
当時の武家の棟梁とは武家関白であって将軍のイメージは地に落ちてる(義昭の件で) -
後継者争いの血みどろの殺し合いを血族でしてる武家の方がよほど多いぞ
まさしく信孝と信雄もそうだったし
秀次の政権において最も危険なのは政権を奪還しかねない秀頼の存在な訳で、その理論は無理がある
それと当時の将軍のイメージ落ちてたってのはどの研究家の発表なんだ? -
>後継者争いの血みどろの殺し合いを血族でしてる武家の方がよほど多いぞ
豊臣家の場合は後継者環境が悪すぎて他家のように血みどろの殺し合いをする余裕はない
両方とも倒れたら豊臣は終わりだから他家と比べる事は安易だと思う
>秀次の政権において最も危険なのは政権を奪還しかねない秀頼の存在な訳で、その理論は無理がある
元々秀吉が決めていたことに秀次の次の関白は秀頼となってる。奪還どころか形式的には
秀頼の関白職就任は約束されている
秀次が関白を辞したくなれば秀頼に譲ればいいだけなので譲るか譲らないかの判断は秀次がすること
譲らない場合、秀頼には難が降りかかるかもしれないが、豊臣政権は残る
秀次を殺した場合は大大名に政権を盗まれる可能性が高く秀頼はおろか豊臣政権も残らない
当時の武士は御家大事が常識だからどちらを選ぶかは自明でしょう
将軍職については
醍醐寺三宝院の義演が義昭の死後直後に「近年将軍の号蔑也、有名無実弥以て相果て了」
と日記に記しており、将軍位は有名無実になっていたと記している -
後継者環境がどんなに悪かろうが内紛し続けるのはどこの組織もそうでしょ
三好も細川もまんまそうだったし
御家が大事というのは常識だけど、それと同じくらい自分の息子に継がせたいっていうのも常識でしょう
将軍職についてのその言及は初耳で勉強になります、とはいえ醍醐寺の義演は武家の人間でもないですし、関白職の豊臣家とかなり懇意な人間であるということは留意すべきかと -
織田も後継者争いで自滅したからね
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対立の火種にちょちょいと薪くべれば火はあっという間に業火になる時代だからね
まさしく秀吉が織田にやったことだし
火種を消すために粛清する考えは理解はできる -
>>40
お前1人だけが頭のおかしいイカれた妄想に耽っていると早く気づけよ -
>>38
秀吉の力をもってしても幼児の秀頼を関白にはできなかった
徳川の政権簒奪はその隙をついたとも言える
秀吉から秀次へは先代が健在なうちに成人した後継者への委譲であって将軍職みたいに先代が死んだら次代へ自動的にってものじゃない -
徳川の将軍就任早いのを上げるとこんな感じだけどな
4代:11歳
7代:3歳
11代:15歳
14代:13歳
不可能という訳でもないんじゃね? -
>>46
だから将軍職は幼児就任が可能だが関白でそれができるのかという話
幕末に慶喜が宗家は継ぐが将軍は継がないと言い出すまで将軍家家督と将軍職は不分離と思われてたし
鎌倉幕府は源氏三代以降は摂家や皇族を立ててたが室町以降は基本的に源氏の長者が将軍 -
>秀吉から秀次へは先代が健在なうちに成人した後継者への委譲であって将軍職みたいに先代が死んだら次代へ自動的にってものじゃない
本来の関白職は持ちまわり制だから後継者への移譲そのものが異例
だから従来の関白職と同一視することはできん。豊臣の関白は武家関白で世襲アピールの
ために移譲したのだから、できない理由はないでしょ、すでに異例な事やってるし
だから秀吉は秀頼を関白にすることはしなかったが、これを「できなかった」とする主張には賛同しかねる
鎌倉幕府を見る限り、将軍空位の時期も結構あるが、これは征夷大将軍よりも鎌倉殿という私的地位
が重要でこれで政権保たせていたから、諸大名に豊臣姓を与え、自らはその長者とする事で、そし
て諸大名が臣下の礼を取り、誓詞を交わしていただけで十分担保されると考えたのだろ -
徳川家康の陰謀に決まってるだろ
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一回異例が通ったから次も通るってのはどうだろ
むしろ一回無理言ったらそうそう次は無理通らんやろとしか
ましてや秀頼は幼年で成人するまで空位にするのかって問題もある
鎌倉殿ほど豊臣家というのは遺さねばならないと思われるほど代々を重ねたものでもないし -
側室は未然のものも含めて皆殺しにしたのに
正室(池田輝政の妹)はお咎めなしというダブルスタンダード
秀吉がどれだけ家康(輝政の舅)を敵に回したくなかったかよくわかる -
池田は小牧長久手で親父が死んだ武功があるし織田派の中堅上位だからそう簡単に手出しできんやろ
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>>51
実際に秀次死去から関が原翌年まで空位やね -
秀吉の決定は秀頼成人まで関白は置かぬという話だったと記憶する
関ケ原以降に増長した家康によって公家衆に返還されたので武家関白制は
あいまいになったが、一方で家康も関白にはなり難いものになった
その上、豊臣家が本質的には摂関家の一つである事には変わらないまま
家康は将軍職を選ぶことになるが、家格は江戸時代を通して豊臣家を超える事は不可能となった -
>>55
秀吉がいたからないなくなりゃ豊臣なんかそこまで恐くない -
家格なんてのは氏も素性もない秀吉が朝廷官位の権威を借りて
諸侯を従わせるために無理矢理武家に当てはめたもので豊臣家の勢威が衰えれば大した意味は持たないし
家康は公家官位に土足で踏み込んで公家衆にも迷惑かけた武家関白なぞには興味がなく
正当な武家政権の復活を企図したんだろう
征夷大将軍になれば歴史の浅い武家関白制などより遥かに実績も伝統もある将軍の秩序で諸侯を統制できるし
将軍の権威などはしっかり実力をもって政権運営していけばいくらでも回復させられる
家康が関白を五摂家に返したのは興味がなかったのと、もともと秀吉1代限りで次は近衛に
譲ると約束したのを反故にしていたんだからその約束を履行しただけだろ
すぐにではないが秀吉に騙された近衛は後でちゃんと関白になってる -
皆殺しにしないと、のちに側室から生まれた子を旗印にして、池田輝政、浅野幸長、
田中吉政、山内一豊といった秀次残党が暴れ回るのを防ぎたかったためだろう。
もっとも、池田輝政自身が旗印になる事を秀吉は見落とした(厳密には石田三成、
増田長盛が見破って警告したが退けた)のは、取り返しがつかないミスだった。 -
実際には皆殺しではないけどね
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皆殺しと例えていいやろ
どんだけひねくれとんねん -
切腹は主君を戒める意味もある
相当な当てつけのように感じてもおかしくない
秀吉はこれを想定していなかったからこその苛烈な扱いとみた -
最上はアンチ豊臣を家訓に刻んだ瞬間
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結局最上も改易されたけどな
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>>64
流石にあれは最上の自業自得 -
豊臣滅亡は淀だの大野だの言われてるが一番やらかしたのは秀吉自身だろ
二人は普通の人の割りによく家康と渡り合ったと言えるかと -
秀吉の指6本て本当なんかな、眼球2つは流石に嘘だと思うけど
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【住んで応援】 飯舘村に1戸4467万円の公営住宅、14戸は既に完売、残り1戸、ご購入はお早めに
http://rosie.5ch.net...eplus/1542507563/l50 -
>>66
あれだけの石高与えて五大老筆頭にして秀頼を頼みますじゃ、死後は継いでねって言ってるようなもんだもんな -
実際、自然とそうなることは秀吉自身もわかってたでしょ
だからこそ秀頼(の命だけは)お頼み申すなんだよ
その辺の機微を理解せずにいきったのが当の秀頼自身というオチ -
秀頼のこと頼む・・頼む
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信雄を豊臣方の総大将に担ぎ上げようとしていたらしいけど
その信雄を前に思うことはなかったのかね、因果はめぐるというか
かつての主君筋なわけだよ
信雄担ぎ上げて自分の命だけは助かろうとしているようにも思えるし卑怯だ -
滅ぼすにしてもなんか家康のやり方も間抜けのところがあるのは否めないな
三日分の兵糧はまだしも、着流しで出陣とか本当だとすれば戦をなめとんのかと
実際死兵を甘く見て後退させられるわ、討たれてる可能性すらあって、それだとその後のごまかしは通用したが、秀頼は滅ぼしたが、己も討たれたではかっこ悪すぎ -
>>73のような歴戦の勇者にかかると徳川家康ごときでははなしにならんな
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>>74
淀にとって信雄は従姉妹(母の兄の息子) -
>>73さんって豊臣家の残党かな
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このスレッドは終了しました
もう書き込めないので
新しいスレッドを立ててくださいです。 -
秀吉自身が、幼主故の主家簒奪をやってんだから
次は家康がやるなと思っていても不思議は何もないな
因果応報 -
こんばんは
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「秀頼をお頼み申す」についてなら家康は十分に秀吉との約束は守ってるでしょう。
本気で殺す気だったのなら10年も待たないし、国替えか浪人を追い出せば許すとかわざわざ勧告出す必要も無いんだ。
加藤清正が必死こいて作った延命の機会を無駄にした秀頼自身が愚か者だったとしか言い様がない。 -
幼君なら領地や家臣奪ってもしゃーないを上にも下にもやらかしてるのが秀吉だからなあ
親の因果が子に報いってだけの話だな -
というか本当に豊臣家か幕府に服属する可能性まるっと無視するから10年かけてアリバイみたいな話になる
豊臣政権の理屈でも天下に号令する資格を持たず官位で将軍家の下
武家として体面を保ちながら武家の棟梁に従わない
結構な異常事態でむしろ服属しない理由がない -
当時としてごく当たり前のこと。
秀次の種を宿した側室が実家に戻り出産、落し子を旗標に反乱なんて枚挙にいとまない。 -
家康も秀頼の側室すべてころしてるけどね。
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淀同様に落城の際に死んだんじゃなく生き残ったのを処刑した記録あるの?
秀頼息女は助命されて東慶寺に入ってるけど -
>>87
逆に生き残った記録がない。
助命された女子と国松の母親は違うから複数の側室がいたのは確か。
伝説だがもう一人子供がいたという話もある。
この時代、以後の消息がない場合は基本ころされてると考えてよい。
不慮の事故で死んだなら墓や多少の伝承はあるはず。
例え側室でも出身地にとっては誉れだから。
同郷の人間が語ることを躊躇うのは権力によってころされたと考えるのが自然。 -
記録に残ってないから殺されたはず!
って随分都合のいい解釈だな -
少なくとも秀次事件のような異常な族滅の記録はないと認めるのね
秀次事件とちがって娘は生かしてる時点で秀次事件が当たり前とはとても言えない -
>>90
尼にして一人残しただけでそれ以外の族滅は同じだろ。
女子も生涯子供を生むことは許されなかった、落胤はトラブルを生む。
当時の常識では秀吉の取った対応はごく普通のこと。
現代の常識で断罪するのは愚か者のやること。 -
全然普通じゃないぞ
津田信澄のように男子でも除名されるケースさえある -
三成の子供もほぼ全員が助命されてるよな
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調べたら若政所、隆清院、菊など助命された側室や子供も多い。
つーかなんであんなに側室いるの?
あれ、側室っていうか人質だろ笑
三好秀次に人質出して幕下に入ろうとした反秀吉派なんじゃねーの。
それなら粛清されて当然だわな。
まあ実際、助命された側室や子供とそれ以外の違いってよく分かってないんだと。 -
俺の空想なんだが、三好秀次が切腹させられたのは文禄の役と慶長の役の間。
秀次の与党には伊達や最上のような朝鮮に出兵してない大名多い。
当然の流れとして明と組んで、秀吉の主力が朝鮮にいる間に秀吉を倒そうとしたとしか思えないんだが。
それくらいのことをやったのならあの粛清の規模も納得できるし、罪の理由が曖昧なのもわかる。 -
おまえの空想なんぞいらんわ
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家臣の中でも田中吉政のように許された家臣もいれば前野長康のように許されなかった家臣もいる。
許された側室、許されなかった側室と同様に規則性が不明なんだそうだ。
いや、この規則性を解いたら本が書けるな。 -
三好秀次の側室34人は多すぎる、しかもあの若さで。
家康でさえ生涯で19人だ。
9歳の駒姫を見初めたというのも怪しいわ。
同じ年頃の児玉元良の娘に毛利輝元がちょっかい出したら、元良は、このくそロリコンが!と怒ってさっさと許嫁をつけてしまった。
当時からロリコンは変態という認識だったんだわ。
あきらかに側室という名の人質だわ、しかも反秀吉陣営の。 -
俺が明の参謀なら絶対秀次誘うわ。
金もかかんねーし。
落ち目の貴種はこういう誘いにのりやすい、足利義嗣や松平忠長のように。 -
秀次の子種はもちろん、
落胤の風聞が流れることすら許せなかったから皆殺しにしたんだろ
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