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戦国時代
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武田勝頼について
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武田信玄の4男にして後継者の武田勝頼。
彼は有能か、無能か?
意見をお願いします。
なお、長文コピペ、持論押し付け、「ねえ」と語尾を付ける方の利用は禁止します。 - コメントを投稿する
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武田勝頼。
本当に有能なのか?
父親のマイナス遺産がでかすぎたのか? -
長篠で大敗した勝頼。
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強すぎた大将で成功したのは尊氏
でも尊氏は他人の意見を聞ける人だしね -
>>4
尊氏頭と人気はあったけど、武勇伝は聞いたことないけど。 -
なぜ北条を怒らせるようなことをしたのか?
平山先生は武田家滅亡は北条との手切れが原因と断言してる -
>>1
あなたなどう思ってるの? -
勝頼はなかなか優れた将だった
滅んだのは信玄の負の遺産のせい
勝頼は被害者 -
長篠で山縣、馬場、内藤、原、土屋、真田、それ以外にもたくさん死にすぎと違う? 現代の会社でいえば、やり手の上役がほとんど消え去ったようなものでしょ? あれで武田が衰退しないのがおかしい。
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皆指示通り動くわけではないからね
多分中央集権が出来なかったことかな、それが勝頼の足を引っ張っている -
武田の滅亡要因は
甲斐出身の重臣と信濃の諏訪の跡取りだった勝頼本人と側近達との軋轢
長篠の敗戦
上杉景勝支援による北条との手切れ
これにより西は織田、南は徳川、東は北条と多方面に敵を抱えることになる
親類衆の相次ぐ裏切り
もちろん一番大きいのは織田徳川との国力差 -
同情の余地は多分にあるが人望の無さと内外の政治的な失敗、長篠や高天神での判断ミス
あとは個人としてもすぐカッとなりやすかったり家臣の嫁さんを横取りしようとしていらん揉め事おこしてるのでやっぱりトータルては無能かなぁ…
勝頼じゃなくてもどうしようもなかったとは思うけど -
まだ今川氏真、一条兼定、織田信雄のほうが勝頼よりマシに見えるのは気のせい?
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氏真は近いものを感じるね
戦に強いが個人としては嫌われてた勝頼
戦には弱いが北条、徳川に愛されていた氏真
外交ミスって身内に逃げられた滅亡あたりの経緯が似てる
織田のぶおは別格でしょ
信長、秀吉、家康をそれぞれ怒らせておいてちゃっかり生き残った実績はただのバカじゃない
怒らせた理由も勝手に出撃する、改易を嫌だとごねまくる、関ヶ原で東西どっちにもつかないとかネタなのかマジなのか… -
勝頼は戦闘特化の猛将だから
武将としては優秀だと思うよ政治家としては駄目だけど -
勝頼が老臣と仲良くできていたら、少しは違ったのかな?
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信長と同程度の能力なら領地の大きさ的に負けてしまうわけで
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異常な膨張を続ける織田・徳川と絶対的な敵対関係にあるって状況を自分ならなんとかできるって言える人だけが勝頼を無能と呼ぶ資格があるんじゃないかな
俺には無理なんで勝頼に同情します -
上杉景勝は見事生き抜いたよな
武田、北条と滅亡してくなか
勝頼よりは明らかに時勢を見る目はあったと思う
運も味方したけどな -
勝頼はあまりにイケイケすぎた。
周りにもう少し、有能な補佐役がいたら。 -
にしては秀吉死後に下手こいたなー
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長篠の戦いをやらなきゃよかったのにね
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仮に長篠で負けたのは仕方ないが、山縣、馬場、内藤、土屋ら重臣が生き残っていたなら、まだ武田存続に望みはあったかな?
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勝頼は自分を認めず「信玄公ガー、信玄公ガー」と口うるさく言ってくる重臣をわざと死なせたって説まであるよね
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日本の中央では徳川と上杉が生き残ったのが現実
戦国決勝戦は徳川vs上杉の筈が石田挙兵でまさかのノーコンテスト
結果が全てだから残ったこの2家が優秀であった
斎藤、今川、小笠原、六角、浅井、朝倉、武田、織田、北条、豊臣
みんな滅ぶかお情けの数万石で復活するか高家に指定されるかだけの存在になった
武田の最期は悲惨で裏切り続出の挙句、死に場所すら与えられなかった
武田のために最後まで戦ったのは身内の仁科盛信だけ
もし勝頼が真田方面に逃げていたら真田は受け入れたのか、それとも小山田と同じで裏切ったのか、どっちかな?
何れにしても最後は損得だけで繋がっている武田家臣団であった -
平山優の本は興味深い話が沢山出てたね
武田領内で10万規模の織田軍が攻めてくるという噂が流れていたそうだがもしかしたらこれも信長がわざと噂を流したのかもな。
織田がフルパワーで行けば10万は不可能じゃないから荒唐無稽とも言えない
噂が蔓延する中で重臣の離反があって一気に崩れた? -
>>28
既に長篠、高天神、岩村で多くの将兵を失った死にかけ武田に10万はいらんでしょ。その数は織田、徳川、北条を合わせたのかな? -
そういや雑賀衆に10万使っても勝てなかったな
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>>6 御館で景虎を勝たせても、越後の北条完全属国化なんて国衆が承服しないだろう。仮にそうなっても、武田が北条の格下同盟国になれば生き残りの可能性は史実より高まる。御館後も上野で北条方を攻撃して、取った土地以上の国益を失った。
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今川家がしっかりしておれば.....
今川が織田を倒していれば今日習う日本史はその後全く違ってた
桶狭間と本能寺は出来事が大き過ぎた
武田勝頼の良いも悪いも活躍人生は丁度その間にスッポリ -
桶狭間で勝ちきればいいけど、信長が尾張統一まで生き延びると戦力は拮抗してくる
石高では尾張≒駿河遠江なので三河次第 -
勝頼が生き残る道は信玄末期に織田と対立する前に父親を押込めて親織田の新当主となり
おそらく起こるであろう圧倒的多数の信玄派の重臣との内戦になんとか勝利するくらいだな -
>>39
勝頼で出来るのなら義信は余裕で成功していたと思う -
義信がどういうつもりで今川と同盟継続したかったのかによるね
戦力的な観点だとしたら無能過ぎるが -
武田信玄がバカすぎるだろ。
今川義元が討たれて今川が衰退した、と見るやハイエナみたいに目の前の餌に食らいつく。
今川助けて松平討ってれば良かったのに。 -
松平は小物だからいつでも獲れる。実際三方ヶ原で勝利しちゃったよ、
家康楽勝。
これが勝頼に刷り込みされちゃって長篠を迎える。 -
家康はそうとう手強いと思う
国力差あるから遠江、三河に侵食はされるけど、経路に砦を効果的に配置して防衛して信玄の足止めさせて対抗してた
本能寺後の甲斐信濃争奪戦では北条に完勝してるし、長久手の合戦では秀吉も戦術的に翻弄させてた
太原雪斎の教育が良かったんかな -
勝頼は景勝と和睦した後は北条攻めしないと全く意味ない
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信玄が死ぬタイミングが最悪すぎるんだよなぁ
もう少し早く織田に喧嘩売る前に死ぬか、せめて徳川にトドメ刺すまでもう少し長生きするか
しかも勝頼への扱い悪いし
内藤とかひどすぎやろ -
>>45 家康は対武田に苦闘したけど、東部戦線の要である掛川城は守り切ったし(高天神城は街道外れの田舎)、豊川や天竜川での領国東西分断もさせなかった。武田に内通した家臣・親族もサクサク粛清したしね。冤罪もあっただろうが。
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勝頼は無能を絵に描いたような存在
でなければあんなミジメな滅び方はしない -
今川氏真の方がまだマシだよな。
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>>50
あぁ氏真の方がはるかにマシ
最終的には家康の庇護を受け77歳までゆとりのある生活をしている
死ぬ2年前まで早川殿と一緒に暮らしていた
ひとりだけ最後まで三国同盟を守ってた感があるな
実力はなかったが戦国時代においては珍しく信用のおける人物
ボンボンの生涯って幸せかもな -
勝頼は、本人も領国も半端に強かったし、父親が信長をガチ切れさせて死んだから、氏真みたいにピエロになって生き残る手は使えなかった。
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政治力だけなら氏真は勝頼に勝ると思うけどね。
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氏真とか劉禅以下やん
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劉禅は蜀という日本の何倍も巨大な大帝国の皇帝に40年在位し、天寿を全うした
氏真とか勝頼は比較するのもおこがましい -
氏真は小笠原長時や小田氏治と並んで戦国最弱武将かも知れないがその処世術は超一流だ
彼の得意技は処世術!、その次元は伊達政宗以上で家康も処分するどころかどっぷりと浸かってしまったほど -
村上義清がいるせいで余計際立つ小笠原の雑魚っぷり
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島本町民以外の皆さん
大阪府三島郡島本町では
「いじめはいじめられた本人が悪い」ということですよ -
>>59
小田氏治は大体戦績が42戦20勝22敗くらいかな
敵は殆ど同じ常陸の佐竹
特技は本拠地小田城を何度も失っては取り戻すこと
ただし上杉謙信にボロ負けしてからはその領地が激減した
その後小田城を取り戻せなくなった
秀吉の小田原征伐に従わなかった所為で改易に
最後は結城の家臣になり300石ほどもらって68か71歳でその生涯を終えた
かなり面白い存在で愛されキャラではあるが、まっ、弱いよね
最弱でいいんじゃないのー
小笠原長時の子孫は逃げる様に本土から遠くの諸島に流れ着きこの間世界遺産になった小笠原諸島
ちゃんと名前がついてる
最弱の方々の生き方や後世とか子孫への影響や伝わり方も面白いね
勉強になるわー -
>>43
武田の三河侵攻を今川が認めるなら駿河攻めはしなかったのでは -
>>55
あの時代で一番在位期間が長い -
お前らちょっと待っててくれ。スパコンに時代のデータ全て打ち込んで勝頼に人望があった場合の現在の様子を予測させてみる。
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予測出たわ。長曾我部元親の六代先の宣親が幕府を開くんだが、そのころにはポルトガルの植民地化が進み、今現在のアメリカならぬ大英国世界共和国が全世界を支配しており、2018時点でケータイは出現していない。以上
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勝頼に人望なかったら史実の流れになるのか?そのデータわ…
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勝頼直属の部下が育たなかったので人望が無い人の様に見えるだけ
信玄の場合は自分が育て上げた部下が領地拡大とともにみるみる頭角を現したからな
勝頼も家康ぐらいは滅ぼして部下に恩賞など与えていたら、全然違っていたと思う
勝頼直属の部下で育ったのが真田昌幸だけど
俺は真田は裏切らなかったと思うな -
>>64
その宣親は信親系?w -
武田勝頼が小山田方面でなく真田方面に逃げてたら真田昌幸は勝頼を守ったかそれとも裏切ったか
個人的には非常に興味あるな
当然のことながら真田方面に勝頼が逃げたら織田信忠は追いかけるに決まってる
バックに上杉がいるのが大きいので真田は勝頼を守ったんじゃないかな、得意の籠城戦法で
織田に勝てなくても一時的に追い払うことは可能だったと思う
時期を改めて織田が攻めてきた時にどうなるかだな
結果は上杉のその時点での実力次第になりそう
本能寺の変は起こらないので織田が有利だと思われるが、よくよく考えてみると史実上関西関東で残った大名は徳川と上杉しかなかったし真田も残った
生き抜くことが出来た上杉・真田が相手だとまさかの波乱があるかもな、桶狭間みたいに、なんせ北信濃は真田にとってホームだから
流石に北条が織田の家臣になってたらお手上げだと思うが......... -
>>69
真田は勝頼が自殺した翌日の3月12日付で北条に対して「臣従します」って手紙を送ってるんだよ。
上野にいた真田がこの時点で勝頼の死去を知っていたとは思えないし、北条と連絡を取り会える時点で事前に通じていたとしか思えないんですが。 -
勝頼いたら真田も従うことのなるから
巻き添えで滅ぶだろ
上司なんていない方が真田昌幸は自由に行動して
戦果あげられるんだよ -
武田本家がひねり潰されてんのに、なんで真田ならホームで籠城したら織田を撃退できるんだよ
小山田と同じコースたどって打ち首が待ってるだけだ -
勝頼はけっこう昌幸を重宝しているし
信頼していたと思う。自分の居城の築城を任せるわけだから、信頼できる人に頼むだろう
昌幸は家督を継ぐ前は勝頼とともに行動していたから
二人の信頼関係は深いと想像する -
真田は信濃閥で、諏訪とはちょっと距離があるような気もするけどな
川中島周辺人脈というか -
勝頼が真田のとこで厄介になったら、打倒織田!と勝頼がやかましくせかすと思うから
体よく追い出されるかも -
勝頼が転がり込んできても、真田は「籠城戦で一花咲かせて心中」「越後へ逃げて景勝と一緒に織田に蹂躙される」「勝頼を裏切ってクズ扱い」のどれかだろうな。
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勝頼が逃げたら、そのぶん本能寺の変も遅れるな。勝頼が生きていれば、旧武田領でいつ反乱が起きるかわからんし。
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勝頼が上杉に逃げ込んでたら本能寺起きればワンチャンあっただろうな
甲斐信濃奪回くらいはできただろう -
あきらめて今川氏真みたいになればええ
信長さまに馬術関係の芸でも披露しろ -
勝頼は当主は息子に譲ってなかった?
滅亡したのはいちおう信勝になってた気がする -
>>84
甲斐の国自体も堅固な山国でしたがノミより簡単にプチっといわされましたな -
長篠で何考えて、勝頼は決戦を選択したんだろうか?
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書状を見る限り、十二分に勝算あってのことだろうと
さして苦戦するとも思ってない感じだし -
>>87
家臣団から信用と信頼を得る為じゃないかー、だからチョット無理したんじゃないかー、あの時点ではまだまだ勝頼では....と家臣団に思われてたからじゃないかー、焦ってたんだと思うな〜 -
>>89
誰がどう考えても圧倒的に不利なあの状況で決戦に挑むとはね
余程家臣達との折り合いが悪かったんだろうなと思う
重臣達がことごとく討ち死にしたところとかも愛想つきたんじゃないかな
かったんだろうな
勝頼には色々と同情もするけどこの一戦で指揮官としてと当主としての評価は低くなっちゃうよなー -
家臣の方がめっちゃ反対してたけどね
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信長の援軍の数を過小評価してたんじゃないのか
三方ヶ原の再現とでも思ったんだろう -
信長の「示弱」戦術が一枚上手だったんだろう。設楽原は実は丘陵だらけで、武田から敵兵力の把握は難しい。
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浅井、朝倉が滅亡しており、2つに1つの勝利に懸ける以外に、道がなかった。
背後の砦も酒井忠次軍に攻め落とされていて、退路が危うかった。
だが、頼みの突撃を続けても、ついに柵を破れず、穴山、小山田、信廉、信豊ら御親類衆の戦意が低かったため、敗北した
海津城代高坂昌信は、一時上杉謙信に和睦を申し入れ、勝頼を迎えに行ったが、その際、穴山に極刑を加えるよう進言している -
>>91
軍記物ではそういう事になってる
その軍記物の「甲陽軍鑑」でも長坂光堅が勝頼側近として決戦を進めたとしているが
長坂光堅は実際は長篠に参戦していなかった事が分かっている
江戸時代に書かれた軍記物の殆どが「甲陽軍鑑」が元ネタになっているので
重臣と勝頼側近の対立があって云々は怪しい -
>>95
勝頼も、馬場をはじめとした老臣もかなりの実戦経験があるのに、何で数で圧倒的に不利なのに野戦決戦を選択したのかな? どういう風に決戦やることが決まったのか知りたい。 -
織田軍の陣地は柵だけじゃなくて空堀まで掘った立派な野戦築城だったらしいね
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割とマジで武田は野戦最強
織田の弱兵なら楽勝と思ってたらしい -
織田というか、尾張兵が弱兵というのは、何の記録にあるのでしょうか?
尾張って、今川や斎藤とたびたび戦い、織田信秀はその尾張兵を率いて勝ったりもしています。尾張兵は本当に弱かったのですか? -
何度も言わせるな。長篠合戦の時には、既に朝倉浅井は滅亡しており、織田の勢力伸張を黙って見過ごせば、武田はじり貧になるから、勝負に出るしかなかったのだ
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