-
理系全般
-
理系の民が好きな文豪ってだれ?
-
UPLIFTで広告なしで体験しましょう!快適な閲覧ライフをお約束します!
なんとなく
ドストエフスキー、カフカ、安部公房、カミュ、ジョージオーウェル、エドガーアランポー→この辺だと思ってる
一方、三島由紀夫とかゲーテとかの作品は毛嫌いしてる印象 - コメントを投稿する
-
筒井康隆
-
純文学っぽいので選んだので、SF、推理系として扱われてる作家は除外
安部公房とかドストエフスキーとかエドガーアランポーとかは推理やSFとかぶる点はあるけどたとえばポーの場合、世界初の推理作家という評価以前に
ボードレールと並ぶ象徴主義の先駆者みたいに扱われるから、純文学として見ることができる -
>>2
すまんな、3でも書いたように、SFや推理系はあえて除外した(一応分類的には大衆文芸ということになってるから) -
>>2
すまんな、3でも書いたように、SFや推理系はあえて除外した(一応分類的には大衆文芸ということになってるから) -
二回送ってしまった
-
公房の「第四間氷期」はSFだし、映画化されて話題になってる「敵」なんぞは歴とした文学作品だろう。
作品や作者のジャンル分けなど意味ない。 -
>>7
3で述べた通り、ポーが世界初の推理作家と呼ばれる以前に象徴派の先駆として純文学的評価を得ているため例外としているように
安部公房は確かにSF的な作品はあるものの、純文学的にはそのSF要素それ自体が世界に評価されたのではなく
カフカなどにならった、実存主義文学としての特性が評価されている
このため、安部公房は純文学としても通用することになる。あとこれらの文学は文体にも気を遣っている -
誰が立てたんだ
今時こんなもん読んでるやつはいねぇ -
>>9
ドストエフスキーはむしろ現代の方が海外で再評価されている -
>>10
昔はトルストイとシェークスピアだった -
ちなみに一般的に世界3大文豪は
シェークスピア、ゲーテ、ダンテ
というのが世界の通説 -
ドストエフスキーは現代の預言書と呼ばれており
また、罪と罰は思想的にDEATH NOTEの元ネタと唱える人もいる -
>>8
んなこと言ってるからダメなんだよ。
ポーが怪奇小説や探偵小説を書かなかったら、誰にも評価されてないだろ。
純文学とか、どの面下げて言ってんのかと思うわ。気色悪い。
芥川賞作品とか全然読む気が起きんよ。直木賞のほうがまだしもだな。 -
>>8
違いますね
ポーが評価されたのはボードレールがフランス語訳したからですよ
そして彼の象徴詩がのちのランボーのような象徴派の評価が高まったがゆえに最初に知られ
後に推理作家が推理小説家として評価したのです -
>>14
違いますね
ポーが評価されたのはボードレールがフランス語訳したからですよ
そして彼の象徴詩がのちのランボーのような象徴派の評価が高まったがゆえに最初に知られ
後に推理作家が推理小説家として評価したのです -
最初生前ポーはオオガラスの詩くらいしかアメリカで評価されなかったのですが
後にボードレールが本格的に彼の大量の作品をフランス語訳しました
後にポーのボードレール訳とボードレールの悪の華とパリの憂鬱などがランボーらの評価が高まった際に影響を及ぼします
つまりまずフランスで純文学的評価をポーは受け再評価されたわけです
それから当時のアメリカはヨーロッパの歴史ある文化に対する嫉妬心と羨望の念が強かったらしく
「えっ、あのフランスでポーって再評価されたの!?ポーって実は偉大な作家だったんだな・・・」
って英語圏に逆輸入されたのでした
そこから英語圏の推理作家にも本格的に知られ始めました
確かにボードレールもモルグ街などを論理的な作品として評価していましたが
推理物として評価していたわけではありません
まず最初には象徴主義的な特性をポーの作品からフランスの詩人たちが評価し、そこから知られ始めたのです -
話を戻しますが
理系が好きな文豪ってだれ? -
文豪よりYoutubeで大宮公園のピース君見てた方が楽しいからな
-
youtubeで好きなのは
ヒカルの切り抜きともこうのホラゲー配信と色々な人が龍が如くとカカロットの配信してる動画だなあ -
ケビンズイングリッシュも好き
-
ちなみにドストエフスキーはアインシュタインが愛読していた文豪
-
>>16
>ボードレールがフランス語訳したからですよ
おフランスで評価されたから文豪だと?いい加減すぎて呆れるわ。
ジャンルがなんであろうと、面白いか面白くないか、感動できるかどうかだけで評価すべきであって、「推理ものとしての評価」とか「 SFとしての評価」なんてのは、紛い物だよ。
文化圏によって評価が異なるのも当然のなりゆきで、それは翻訳というフィルターを通したことだけによらない。普遍的に受け入れらる作品がないとは言わないが、まぁ、嘘臭い。
なので、ジャンル分けなどまったく無意味。ラノベの作品が傑作だと思うなら、その人にとっては傑作であって、他人が文句を言う筋合いはない。 -
>>23
誤解です。そんな話はしていません
あなたは私の言いたいことがまるで読解できてません
フランスで翻訳されて、そこで推理小説としての評価を受ける前に、少し後でランボーたちがフランスで象徴派を流行らせた際に、そのボードレールがのフランス語訳を通じて
ポーが純文学的に再評価されたということを言っているのです
最初にそのようにフランスで純文学的評価を得て
名声を得たポーの作品が
英語圏に逆輸入された際に推理小説としても再評価された、つまり純文学的評価→大衆文学的評価、順序の話をしているのです -
つまり何が言いたいのかというと推理小説としての評価がなくても
ポーの作品はすでにフランスで純文学として評価されていた、
だから14の説はおかしいと思うのです -
ポーは純文学的にはボードレールと並ぶ、象徴派の先駆としての後期ロマン派というのが普通です
ちなみに、本人としても推理小説家としての大衆文学的評価は彼の本意でもありませんでした
かれはもともと詩人として大成したかったのです -
フランスで評価されたから純文学なのではなく
当時フランスで流行り出した象徴派の先駆として評価されたから純文学なのです
象徴派として評価される、後期ロマン派として評価されるためには、それに見合う文体が要される
それは当時の西欧圏において共通の認識でした
ですがSFは格別そうした文体を必ずしも要されるわけではない
しかし一般に純文学とされるものは普通文体にも評価が下される
ハイアートだからです。美術や音楽と同じでしょう。 -
訂正
ハイアートだと語弊があるから高級芸術としておこう -
ちなみにSFや推理の作品が必ずしも、とはいったが絶対に文体に気を遣ってないとはいってない
しかし必須ではない -
理系学ぶのに古典は必要か?代わりに現代社会を必須にすべし
http://rio2016.5ch.n...gi/rikei/1725896935/ -
>>22
アインシュタインが飲んでたウイスキーみたいだなw
86年生まれだけど俺世代でドスト何て読んでるのは1%くらい
いや進学校とかだともっといるのか
商業高校だと本読んでるヤツいなかったぞw ゴミばっかだったわ -
ワイは遠藤周作が好きや 沈黙は涙腺崩壊不可避やったわ
-
若い頃の村上春樹
-
>>1
ゴミZはこういうの知らんよな -
「人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマ
ーゾフの兄弟』の中にある」 ー 「スローターハウス5」(カートヴォネガット)より -
今時純文学なんか読んでる奴いねーよw
でも学校で一応習うか?
馬鹿な奴はゲームに何が含まれてるかも分からんだろうな -
>>36
シェークスピアって演劇界の超人だから
映画の元を作ったのも純文学
そもそも小説=文学だと思ってるヤツが多すぎ
小説はドン・キホーテ以降の近代になってから進化を遂げた比較的新しめの文学形式
もともとは詩や戯曲(演劇文学)の方が盛んだった
イリアス
オデュッセイア
神曲
失楽園
チャイルドハロルドの遍歴
などの長編詩
オイディプス王
ハムレット
リア王
マクベス
ロミオとジュリエット
ファウスト
などの戯曲
これらの原作は小説ではない -
源氏物語は?
-
紅楼夢
-
団鬼六「縄と肌」
トポロジーの結び目理論が専門の方の愛読書 -
それにオレは進化を遂げたと書いてるだけで
おまけに戯曲と詩と比べてさかんだったかどうかについて中心的に言及してるのであって
世界初の小説がドン・キホーテといってるわけではない -
近代小説の定義はなんだよ。
近代に書かれた小説という意味で使ってるなら、だからなんだよとしか言いようがない。 -
>>47
源氏物語や紅楼夢は連話形式なので
西洋的な近代長編小説の定義からはやや外れる
なによりもこれらには普遍性や哲学的な主題があまり見られない
あるにしても仏教に多少かぶれてる程度
ドン・キホーテも連作形式をとってはいてややグレーゾーンだが
しかし最初期の近代小説だからというのもあるし
ドストエフスキーやバルザックごろのリアリズム文学になってくると
近代小説らしい写実的で主題や普遍性をもった完成度を示してくる
それにドン・キホーテの主人公と相棒の性格が対比的に描かれ
それが物語の終盤では次第に逆転しているという性格描写が
それ以前の娯楽小説には高い完成度では見られなかった描写として
近代小説の興りと一般的にされる
近代小説的な意味合いでの長編小説としてはグレーゾーン
ドストエフスキーやトルストイの長編小説は基本的には
最初から最後までのある程度の一貫した主題や結論のようなものはある -
紫式部はプルーストと比較されたぞ
と主張する民がいるかもしれないが
プルーストはプルーストで近代文学というより現代文学の先駆者的な扱いなので
近代的なリアリズム文学ともまた異なってくる -
違いがあるとか言い出したら、どの小説もどこかが違う
重箱の隅をつつくような比較など無意味だよ
娯楽として書かれた筋書きのあるフィクションであれば、すべて小説でよろしい -
>>50
シェークスピアももとは娯楽目的で書かれ、後にロマン派が芸術的価値などを言い出したが
小説ではなく戯曲だからそれで反論になる
それにシェークスピアは詩人でもあるから
小説的な散文の名手ともいえない
それに小説であることを否定してるのではなく
純文学か大衆文芸であるかについての話題 -
だから、そんな区別をすることになんの意味があるのかってこと。
学問として小説を論じるのなら分類から入るのは自然なことだが(虚学の典型だけどね)、
娯楽としての小説を論じる上でそんな分類はなんの意味もないんじゃないの? -
本来芸術は
世界の普遍的な秩序を作品の形で
それらの世界の現実的な本質を模倣(ミーメシス)することによって
洗練された形式にまで高めた上で具象化して再現する行為
みたいにアリストテレスなどが定義してからそれが主流になっている
もっとも
単にそのような行為を経ているからといって芸術とは呼べず
技術力も評価の対象とされ
文学であれば詩的な文体の洗練さ、そのみずからの属している流派に即した文体で一貫して描かれているか
(絵画で言えば画力や絵画技法みたいな専門的技術のようなもの)
も評価の対象となる
ロマン派であればロマン派的な文体で描かれているか
リアリズムであれば写実的な文体で客観的に描かれているか
象徴詩であれば象徴派的な絢爛華麗で淫猥で象徴的な美文の韻文や散文詩形式で描かれているか -
バカバカしい芸術論など蝿の糞ほどの価値もない
-
>>41
文学ってなんで文学って言うんだろうな
言葉により表現らしいので俳句や詩も含まれる
評論もそうなのかな
小説に興味ある科学者って珍しい
映画すら見ない人も多いしさ
俺も漫画は読めど映画は見ない -
>>55
>小説に興味ある科学者って珍しい
んなこたぁない。一般人とかわらんよ。
さらに言えば、科学者になってから小説を書く人はいるが、
小説家になってから科学の研究を始めたという人はいないんじゃない? -
科学者から作家になったっていうSF作家はざらにいるよね。
伊与原新みたいにミステリー作家から一般小説ってのもいるけど。
医師から作家はもっとたくさんいるな。
医師ではないが、安部公房も医学部なんちゃって卒業してるし。 -
文学について学ばなくてもプロの作家にはなれるが、
科学について学ばなければプロの科学者にはなれない。 -
曽野綾子でないことは確かだろうな
-
トルストイ、ドストエフスキー、カフカは漫画で読んだ。
-
作家はいつでもなれる by某作家
資格も学歴も要らんしな。スタイリストや映画監督は名乗ればなれるらしい
作家も名乗ればなれる?あんまり無名の作家っていないのかもな
文筆業は掃いて捨てるほどいるだろうけど -
科学者だって名乗るだけなら、誰でも名乗れるよ
自称なんとかってのはまったく意味ない -
イラストレーターも映画監督もスタイリストも
プロ自身が名乗ればなれるって言ってるんだがw
どうやってなるんですか?名乗って仕事が貰えればプロです
逆にどんなに技術がある人でも仕事がなければ無職です だろ
フリーの人は資格も所属もいらないってのはほんとだよ
フリージャーナリストなんて誰でもできるんだわ実は
大きいコネがある人とそうじゃない人がいるだろうけど
画家になるのに資格は要らない。画家で稼げる人は少ないらしいが
科学者って職業か? -
アマチュアの研究者なら誰でもできるのか?
-
>科学者って職業か?
普通は研究所か教育機関に属して研究で飯食ってる人を科学者と呼ぶ -
岡山の文豪
-
>>63
詩人だろ、それ -
エラリー・クイーン
ディクスン・カー
綾辻行人
↑今すぐ読める無料コミック大量配信中!↑