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戦国時代
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戦国時代の医者
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戦国時代はどんぐらい医療の技術が進んでたのだろう?
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なんか馬の糞食ったりしてたらしいよ
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まなせどうさんは足利学校卒
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ぼくのとうさんは足利学園卒
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現白鴎大高だな
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トクホン
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許三官
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江戸時代ぐらいだとでもしか医者ってのがいたよ
他に取りえもないし医者にでもなるか って感じ -
西洋医学渡来以前の東洋医学の酷さを舐めちゃいけない
近現代との差が如実に現れるのが医学の世界
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その西洋医術を凌ぐと言われた中国医術は
十分に伝わっていなかったのかい -
まともに医学が発展したのは明治後期ぐらいじゃないかな
幕末には外科手術の成功例もあるけど極稀なものだし
松本良順なんかも当時の医学の治療では治る見込みが少ないから
治療より予防したほうがいいと衛生面や生活習慣の改善を勧めてたぐらいだから -
ちょいまち
解体新書以来ごく一部だけど西洋医学は進んでる
高野長英とかが色々治療してるし
あの大村益次郎も西洋医学に通じてるんだぞ -
豊後にはアルメイダが建てた西洋病院があったっていうけど
どの程度のものだったんだろうね? -
内科なら東洋医術だって負けてないはず
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針がある。
必殺仕掛人で梅安が蘭学医ですら見捨てた
千蔵を生き返らしてたぞ。 -
薬になる馬糞汁を飲んで部下を激励した甘利昌忠なんかはこのスレで語ってもおk?
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朝倉の八十一難経の版木、ひそかに現存してるんだよな
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あれは十等級家法だから一年ほど寿命が延びるな
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家康は長寿と健康と毒殺防止の目的で
自分で本を読んで漢方薬の処方を覚えて
自分で素材を粉末にして漢方薬を作って飲んでいたよ -
家康が常に持ち歩いたと言われる医学書は、太平恵民和剤局方
北宋の徽宗が作らせた書、だとか -
曲直瀬道三って凄いね
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信玄公が、病に倒れた時に、治療したのが、御宿監物だったかなあ。
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曲直瀬道三って、確か秀次事件に巻き込まれて、流罪になってたんじゃ?
秀吉の臨終の前には、曲直瀬道三が、診てたみたいだけど、早期に許されたの? -
徳本長生きしすぎじゃね?史実?
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>>24
うんと、道三(正盛)は文禄四年(1595)正月(永禄三年としてるとこもあるが)に没してるので、
秀次事件連座(永禄四年七月)も太閤の臨終を診ることも、出来かねると思う
ってここまで書いて気がついたが、玄朔(正紹)が二代目道三なわけね
秀吉の臨終をみとったかどうかは、知らないけど
秀次事件に連座し蟄居、のち赦免され家康、秀忠に仕えるとなってるね -
当時の医者レベルの知識が欲しければ『本草綱目』。
これが当時の教科書みたいなもんだから。(家康も愛読)
一般人レベルの医療が知りたければ『雑兵物語』。 -
金創医(字間違ってるかも)ってのの医療レベルってのはどんな感じなんだろ。
なんか傷治す為に馬の小便飲ませただのって聞くけど、当時の医療技術ってこういうレベル? -
馬のクソを食えば痛みがやわらぐというのは
まんざらウソでもないのでは?
あまりの気持ち悪さと異臭で痛みから気がそれるかもしれない。 -
チャングムを見てて感じるのは医学だけは朝鮮に負けてるみたいだ
こっちの戦国武将は馬の糞を食わされていたんだから
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>>チャングムを見てて
必殺仕事人を見てとか、水戸黄門を見てと言うのと変わらん気がするが… -
当時の医者って、身分が低く小禄で侍の列外だったようだな。
曲直瀬みたいな有名医師は例外的存在。重用されるにしても、
内科医(本道)に限られていたみたいで、外科医になると格は
ガタ落ちだったらしい。特に目医者とか
(某歴史小説を参照) -
尿で消毒って実際効果あったの?
10年くらい前に自分の尿を飲むのがブームになってたのと関係あるのかな -
馬糞を口に放り込んでいた当時の医者も薬品会社が作った薬を
出すしか能がない今の藪医者もレベルはいい勝負かもしれないな -
当時(安土桃山時代)日本に来ていたルイス・フロイス曰く外科医術の相違について
『ヒスパニア(ポルトガル)では矢傷や刀剣、槍で出来た金創、銃創については真っ赤に焼けた焼き鏝(ごて)か煮えたぎった油で焼いて止血する、それは非常に苛烈であるが、日本では和紙に膏薬を塗った物を傷口に貼り付けて治す。
我々とのやり方に比べて非常に穏やかな方法である。
その他、我々ヒスパニアではランセタ(笹針)で瀉血(しゃけつ:血液を抜く事)を健康の為にしばしばするが、日本ではあまりせず、もっぱら鍼(はり)とモグサを用いたお灸という火の塊を背中に乗せる事を健康の為にする。』
と本に載ってました。
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>>34
その某歴史小説って、司馬遼太郎の「関ケ原」かな? -
ワシントンが死んだのって瀉血が原因なんだよね・・・
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家康が鯛の天麩羅に当たって寝込んだ時、自分で作った薬ばかり飲んでいて
それを咎めた医者を処罰したエピソードは有名だが、その医者とは片山宗哲。
家康の薬には劇物が入っていたことを指摘したのだが、却って逆鱗に触れ、
諏訪の高島藩へ配流となった(吉良上野介の息子義周と同じ)。家康死後は
秀忠に呼び戻され家光の診察も行った。 -
>.37
どこがいい勝負なんだ?
馬糞と製薬会社の薬では大違いだろう。 -
合戦時、刀剣や槍それに鉄砲や弓矢等で負傷した場合、傷口に焼酎をぶっかけて消毒していたとの事だが、それらがない場合は粗塩や味噌はまだ良い方で小便を傷口にぶっかけたり、傷口に女性の隠毛や果は人糞や馬糞を塗り込んでいたとか。
(青春出版社:刊 『戦国時代の舞台裏』より)
そんな治療法で持ちこたえる昔の日本人は半端じゃないと思うw -
ちょっと訂正、女性の隠毛ではなく女性の隠毛を焼いた灰だった。
まぁ普通に灰も止血の為、傷口に降りかけたとの事だが、どのみち破傷風一歩手前な治療法だ罠。 -
この時代、風邪引いても抗生物質無い、盲腸になっても手術できない、マムシに噛まれても血清無い。
年がら年中葬式やってたんだろうなあ。 -
>>43
実は小便はきれいなので、傷口を洗うのには適していたりする。
ただすぐに雑菌が湧くので、傷口に直にぶっかけたら急いで拭き取る必要はあるだろうけど。
言うまでもないが、現代でそんなことはするなよ。 -
現場の応急処置担当、金創師ってテレビでぜんぜんでてこないよね
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戦国時代って衛生兵みたいなのはいたのかな?
合戦だと刀で斬られたり槍で突かれたり馬に轢かれたりだろうから、手当てする前に死んじゃいそうだし居なさそうな感じだけど。
居たとしても衛生兵って名前ではないか。
何て呼ばれてたんだろ?検討もつかんわ。 -
戦国自衛隊みたいなノリで現代の大学病院みたいな所がまるごと戦国時代にタイムスリップみたいな
そんな漫画が読みたいぜ -
合戦に持っていく薬草はなかったのかな?
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薬草ではないが、梅干なんかは重宝されたそうな
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梅干の種は武器にもなった、との半分冗談みたいな話がある
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武器てww
どうやって使うんだ? -
鉄砲の弾
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乾燥させて石礫の代わり
一時的に前進を止めるとか、まあギャグに近いか -
千人の兵に梅干し食わせて種を集め、石垣に取り付く敵に城壁の上からザザァと落とす
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タネって軽すぎて、武器になったりするってのが信じらんな〜い
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昔は麻酔とかないからぶん殴って失神させてから
縫合とかしてたんだろ?
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近代以前は傷口壊疽→腕or足ぶった切りがデフォ
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>>60
そんな事はしない。
傷口を水で洗い、隙間を「何か」で詰めながら糸で縫合。
幼少の伊達政宗の目をえぐりとるときは
「手足を縛って、暴れて舌を噛み切らないように布を口に入れてかませる」とか
平気でやってたからな。
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カワイソス
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この時代は
抗生物質無いよな?
化膿したら死ぬのを待つだけ? -
化膿する前に真っ赤に焼けた鉄をジュウ〜ジュウ〜と押し付けてた?
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傷口を焼酎で消毒すると聞いた事があるけど
この時代に焼酎って全国に普及してたの? -
鹿児島県の郡山八幡神社解体修理の時みつかった、
永禄二年(1559)に書かれた、焼酎もふるまってくれないとの、宮大工の愚痴が初見らしい
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アルコール消毒は日本酒がメジャーだったんじゃないかな
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曲直瀬道三以外で有名なのは誰だろう?
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全く最近の医者を見てると情けなくって涙が出てくる。
ガチガチのガタイしたいい医者が「チーム医療」とか言って専門医療に頼った軟弱な治療を施してやがる。
アホかおめえら!
そんなユルユルの死体みてぇな方法で患者を治して何が気持ち良いんだ?
医者ならもっとビシッ!とメスを振りかざしやがれってんだ!
俺はその為に毎日1000回のメス研ぎを欠かさない。
「ムゥゥン!ムゥゥンッ!」とメスを砥石にあてがう度に菊門にギュッ、と力を込める。
こうして鍛え抜かれた俺のメスでの手術は「オペ」なんて軟弱なシロモンとは対極を成す、まさに「メスのサーカス」だ。
そのあまりの切れ味に歴代の名医から“K一族”って呼ばれてる。
そんな俺だが、俺でさえ手こずるする程の重い病気のクランケを心待ちにしている。
勿論、俺の顔面パンチを味わいたい命知らずの悪党も受付中だ!
毎月1日はだいたい******の献血所前にいる。188*78*31黒マントにブーツが目印だ。
俺の鍛え抜かれたギンギンの魔羅!折れるもんなら折ってみやがれ!! -
うんこスレ
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吉田政重はキチンとした診療していたのか?
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トクホン先生が出てない
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中部か京都の辺りに居た 大和〇〇 って医者と
あと四国の剣豪で、後に医者になった武士の名前分かる人いませんか? -
こんな時代で数多の合戦を潜り抜け
70、80代まで生きた戦国武将ってすげー神々しい存在だったろうな -
>>74
将軍を診察してもお代は十六文、というあの人か -
トクホンてトクホンエースの名前の由来?
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永田徳本か、118歳まで生きたとか
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徳本には甲斐出生説と三河出生説があるね。
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やはり有名なのは曲直瀬親子だね。
初代道三は言うまでもなく 玄朔は後陽成帝に灸治療をしてるんだね。 -
田代三喜以外で関東の名医っているかな?
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戦国武将の養生訓 を読んでみようかな。
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鍼灸が普及したのは江戸時代だよね。
とすると戦国時代は漢方薬が主かな。 -
八味丸 紫雪 烏犀円。
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八味丸はトリカブトから処方するんだ ちょっとこわいね。
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施薬院全宗って実際はどうなん?
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戦国武将の養生訓を買ってみたが
章立てが道三 養生誹諧と来て性の指南書だってさ ちょっとがっかり。 -
道三はスゴイよな。
義輝・晴元・長慶・久秀・元就・信長・秀吉・家康に重用されたんだから。 -
天皇もだよね。
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正親町天皇と後陽成天皇だな
後陽成天皇から道三は今大路を頂いた -
田代三喜がすごい 道三の師匠だし。
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道三は現代に生まれればゴミ同然
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宮本義己『戦国武将の健康法』(新人物往来社、1982年)
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>>93
でも当時は引っ張りだこでしょ。 -
玄朔の患者も
正親町帝 後陽成帝 秀吉 秀次 秀頼 家康 秀忠 輝元 氏郷 清正と多彩だね。 -
吉益東洞が否定したんだね後世派を
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百年以上誰も否定しなかったとも。
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人糞と破傷風に直接の因果関係があるんですか?
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