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戦国時代
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もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら [転載禁止]©2ch.net
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開戦後まもなく家康が忍びに刺されて死亡という衝撃の展開。
まずはこれを覆す方法を誰か考えてくれ。 - コメントを投稿する
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私案:関ヶ原には秀忠を行かせる
まあ秀忠なら死んでも惜しくないしと。 -
そもそも関ヶ原に布陣しない。
それしかねーべ -
本多忠勝御乱心(°_°)
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>>4
そして家康の馬を刺して後陣に後退させるのかw -
>>6
金に目がくらむ時点でかぶき者ですなあ -
島左近よりでかくて強いかぶきものといえば前田慶次ぐらいしか思いつかんが…。
確か前田は東北戦線で最上領奥深くに攻め込んでるはずだよな。
どうやって呼び戻すんだ? -
家康は大垣城に留まって指揮するしか死なずにすむ方法はないわな。
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勝つわけないだろ
戦力差が違い過ぎる
結局戦争は数なんだよ -
そもそも岐阜城攻めに時間かけすぎた
いくら信長の孫が守る堅城だからって10倍の兵力で1か月かけるとか・・・
西軍が攻めた伏見城は2日であっさり落城しただけに言い訳出来ん
まぁ、豊臣家の為に一致団結してる西軍に対して、
嫌々家康に従ってる寄せ集めの東軍じゃどうしようもない -
>>10
結局前田も秀康も寝返ったしな -
未来からアダムス大尉呼んできたら勝機あると思うわ
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>>13
いや多分アダムスも寝返ると思うw -
天満山に布陣したのが禄でもないのばかり
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>>15
大坂から調達した軍資金に物を言わせて外人の傭兵を雇ってギンギンに武装した宇喜多軍団&小西軍団。
近づく敵は南蛮大筒の餌食
井伊直政と松平忠吉は砲撃で木端微塵
福島正則は鎧黒こげになって裸で逃げ出す -
毛利あたりが天満山に着陣して突出すれば
家康本陣一発だったのになw -
>>18
ソース欲しいな -
>>1
東軍勝ってるだろ -
単なるネタスレにマジレスする雑兵がいるとは
しかも前スレ落ちてないから重複状態だし -
>>20
馬鹿正直の見本 -
>>20の洞察力は異常。400年前に生まれていれば両軍から引っ張りダコ間違いなし
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井伊直政は最後が悲惨だったな。
伊吹山に逃げ込んで、腹を壊してたところを捕まって、天海と本多正純と一緒に市中引き回しの上斬首。
徳川の主要な武将の中では新参なのに。 -
>>25
大事なときに柿なんか食うから腹壊すんだよな -
井伊谷が柿ノ谷に地名が変わったり、松前が姓を戻す時に柿崎に字を変えた由来やね
旧徳川の土地にこぞって柿が植えられて名産品になったのも大半これのせい -
毛利秀元の逸話もなかなかだぞ。
吉川広家が西軍に向かって突撃するように勧めても弁当を食ってるという理由で完全無視。
で、東軍に向かって突撃するように勧めると瞬時に決断して突撃した。
…お前ら、絶対打ち合わせずみの行動だろ。 -
>>29
秀元はまじで優秀
広家が徳川に籠絡されてたのを知ってると思えるくらい焦らしてる
潰されるまでに貿易で巨万の富も築いたし
それに対して歴史の流れを変えられるチャンスを潰し続けた無能すぎる輝元は癌だな
優秀だった説に基づいた一字三星は無理矢理すぎて見るに堪えなかった
家臣団は羽柴を背後から襲うとか有能な行動をしてから輝元を盛り上げろよと -
>>30
中国大返しの開始時のくだりは頭痛がした。
失策も正しいと思わせるために改変してるけど滑りすぎ。
「敵が何故か退いていきます! ここはぜひ我らに弔い合戦を!」
↓
「ならぬ! 清水が命を賭して守った家を滅ぼすつもりか!?」
↓
「殿…なんと深き思慮を(涙)」
輝元の理由付けも部下の納得具合もテキトーすぎる。 -
上田城を攻めたはいいが陣頭に出てきたところを一発で眉間を撃ち抜かれた秀忠エ…
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即死ばっかりしてる徳川一族ェ…
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突発的な死は松平清康から続く風物詩
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息子の信之の沼田城を舌先三寸で奪ってしまった真田昌幸すげえ…
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はかない
x
いのち
x
とくがわ -
>>35
九度山に流された信之の正室を幸村の側室にしちまった強引さはもっとすげーけどな。 -
井伊と一緒に抜け駆けしようとしたら福島正則に激怒されて後ろから襲われた挙句宇喜多軍にボコボコにされた松平忠吉エ…
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しかもそのまま捕まって、やる気をなくした福島が戦場離脱する時盾にされて味方の鉄砲にハチの巣にされて死亡した死に方エ…
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あれ?東軍が勝ったんじゃなかったっけ?小学生からやりなおすかな
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>>41
やり直してこい -
>>41
まあ、東軍が買ってたら江戸幕府とか徳川幕府とか言われるようなものが成立してそうだしなあ -
江戸で思い出したが家康って義理堅いって評判だったのに本性ゲスだよな
国替えで小田原望んだけど、民に殺されかねないって秀吉が憂慮して江戸にさせたのに
籠城されるのが怖いのかって家臣には言いふらしてたし
あのまま小田原に居城構えて死んでおきゃ、評価が高いままだったのかね -
まず西軍は関ヶ原じゃないところに兵力集中させすぎ
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裏切り者だらけの東軍がどうやったら勝てるのか小一時間問い詰めたい。
池田輝政は最初から織田秀信と繋がってたし、吉川広家はダブルスパイだったし。
前田利長は結局大谷吉継に説得されて寝返ったばかりか大坂に入城しちまうし。
伊達と黒田は結局徳川見捨てたし。
東軍の実質戦力って徳川本隊のほかは一万もいねーじゃねーか。 -
織田秀信は美濃と尾張を有するものの三成に謀反の疑いがあるって粛清されたしな
織田信雄も粛清されてるし三成織田家嫌いだったろ -
江戸の陣のあとなんで豊臣政権が20年で崩壊したのか教えて下さい
第二次戦国時代の始まりは1626年の毛利の乱なのか1630年の明教の政変(石田一族の失脚と前田のクーデターによる豊臣傀儡化)どちらが始まりなのでしょうか? -
小西と伊達、伊東の字藩供同盟の結託の早さからして、こいつらが唆したんだろ
前田も同盟に太刀打ちできんかったし、内政より外交への転換といい絶対裏があるわ -
爪を噛む方が本物らしいぞ!
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徳川幕府っておい…
徳川の政治機構は鎌倉時代の北条氏にも劣る代物だぞ。
これでどうやって全国統治するんだ? -
根切りするに違いないぜ徳川なら
そうすりゃ逆らうも何も出来なくなると考えるはず
始皇帝よろしく反乱を押さえる力すら失われて終わりそうだが -
やはり秀忠の遅参が致命的だったかと
徳川は親子で晒し首にされるなんて悲惨だよな -
晒し首は関ヶ原で討ち死にした松平忠吉だよ
秀忠は正室の縁で助命されてる
おかげで蛍大名って呼ばれちゃったけど -
西軍のど真ん中を突っ切っての福島の撤退はさすが七本槍筆頭。
「福島正則帰国いたす!」のセリフも決まっておるのう。
なのになぜ、「関ヶ原の退き口」で福島の退き口じゃないんだ? -
生き残った福島兵が織田秀信や池田輝政に仕えているのはやっぱあれかねえ?
岐阜城攻防戦での戦いぶりが評価された? -
と、それはいいとして福島本人が加賀大納言利政に仕えて八家入りしているのはどういう縁故だ?
誰が仲介をしたのか読めないんだが。 -
>>55
そんなもん何も、あっさり改易されたからにきまっとる。
これが島津とかだったら島津の退き口とか名前がついてたんだろうけどな。
立地条件と歴史からいって、島津はまず改易できん。
徳川が薩摩に攻め込むにしても被害は甚大になることが確実。
おそらく忍びを忍びこませることすら困難だと思われ。
福島とはものが違う。 -
1610年に織田秀信が謀反をしようとしたって本当なの?織田は結局5万石にまでなったけど
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大谷吉継の配下の小大名連中についての疑問を口にしてみる。
こいつら、どうも怪しいんだよな。
特に脇坂が。
徳川が劣勢になってからの働きが良すぎるし、元徳川家臣の小大名本多とか榊原とかから嫌われまくってる。
これって裏切りの密約とかが存在した証拠じゃないかと思う。
同じ意見の奴いたら挙手plz -
毛利の乱で毛利家が100万石あったのが征伐により滅亡し毛利家の系統は当初から従っていた吉川家32万石まで縮小する。
豊臣秀頼が主導したのか石田三成が主導したのかよくわかってない。
石田一族のやり口は多くの反発をまねき後の明教の政変に繋がったと指摘されている。 -
関ヶ原とあれば小早川左大臣の落ち着きっぷりと果断さを語らずばなるまい。
最初に松尾山を押さえて敵軍に取られることを防ぎ、戦いが始まってからは冷静に戦局を見極めて軽挙せず、家康が死んで混乱した徳川軍から銃撃されても動かず。
最後は毛利秀元と呼応して一気に山を駆け下りて徳川本隊を殲滅。
長宗我部元親も真っ青な目の覚めるような働きぶり変わりっぷりだ。
やっぱり松野主馬の指導が良かったんだろうか? -
ところで、家康を刺殺した忍び、実は黒田長政が送り込んだ刺客だったという伝説を小耳にはさんだんだがみんなどう思う?
長政の筑前一国拝領は家康を死地に誘い込んだ功績だというんだが、武辺の長政と刺客はどうも結びつかん。
長政じゃなくて如水の刺客かなあ?
それとも別の誰かかなあ? -
石田三成が活発的に粛清をしたのは関ヶ原後はあまりにも大大名が多すぎたから
豊臣宗家運営のために理由をつけて粛清していったんだけど伊達だとか上杉を残して織田だとか鍋島を粛清したのは明らかに「反抗せずに粛清しやすい方」を選んで行ったため自身の地盤をも弱める結果に。
結局織田は一回潰れてたし鍋島も歴史が浅い家だったから抵抗が弱いと判断したのはわかるけど。
案の定毛利粛清後に前田にクーデター起こされて豊臣ごと乗っ取られるし彼の粛清が正しかったとは思えない。 -
三成は豊臣宗家では仏教を推進しつつもキリスト教の布教は認めていたから色々と衝突が起こることがあった。
基本的に三成は禁教令を撤廃し布教は各大名の自由としつつも基本貿易のためなら認めさせる方針だったようで貿易地ではキリスト教は優遇されていたみたいだ。
奴隷貿易は厳しく取り締まっていて密貿易(賄賂で黙認)していて切腹に追い込まれた豊臣奉行もいる(有名な三津事件)
これは密貿易を主導していたわけじゃなくて賄賂もらってただけみたいだけど三成を激怒させたのは三成が奴隷嫌いだったせいもあるけど
政争の結果追い込まれたという説も根強いよね。
三津事件の桜依頼は秀頼の守りを任されるくらいの人間だったから九州の貿易を管轄していた際に密貿易放置の言いがかりを付けて殺したって面もある。
賄賂ってか目付け金を払うのは当時当然のことだったし言いがかり説がどんどん強くなってる。
伊達政宗は結構世界に使者を放って届け出ずに貿易してるけど三成はめんどいからと放置してたようだ。ほんと政宗抜け目ない。
勝手に伊達公儀の旗をスペインの国王に届けて失笑されてる。
小西あたりはポルトガルやスペインと非常に仲良くて豊臣宗家が輸入禁止していた大砲や規定量を超えた火薬など勝手に密かに輸入してるね。
これ放置して三津事件起こしたんだからそら三成は暴君の一面ありますわ。 -
>>67
島津、上杉も遠いからって放置プレイかまされたからな
そのせいで欧州や琉球の民が海外に流れるわ、天保の改新の資金は作られるわで禍根を残した
毛利は稼いだ額が大きすぎたのと、大阪に近かったのが運の尽き
反乱起こさざるを得ないほど冷遇や風説流布されたのも順当 -
>>51
250万石の国力、生産力を過信したとしか思えんな。
全国を支配するためには関東だけではまだまだ経済力が不足だというのに。
仮に天下を狙うなら、もう十年は我慢して領地を増やし、経済力をつける必要がある。
息子たちや四天王、本多正信を独立大名に仕立てて徳川領を五百万石ぐらいにまでは増やすべきだった。 -
>>69
とはいえ新たな領地の候補が朝鮮しかないから、それは無理だと判断したかと
あそこは言葉も通じないし開発するのに20年はかかるぞ
秀忠もボンクラだから自分がボケる前に天下を取らんと焦ったわけだし -
毛利の粛清は難癖というか毛利家自体が中国四国の一部九州の一部って肥大化しすぎてたのもあるから
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>>69
それをやると徳川家本体が手薄になると判断したんだろうな。
徳川家は結構人材が薄い。
使える人材をすぐに登用するということをしないから、一旦穴が開くと回復するのに時間がかかる。
外交の分野で石川数正の抜けた穴をとうとう埋められなかったのがそのいい証拠だ。
使える奴を独立大名にするなんて怖くてとてもできなかったんだろう。 -
馬鹿にされてるけど意外に頭は切れるんだよな、福島とその家臣
自分が無理だと判断したら部下にやらせるのは分かるが、しっかり成功させる奴を選定してる
その上手柄の横取りもせず、厚遇しているのが好感持てる -
第二次戦国時代で小西と大友が疲弊して大内が再興したのは見事
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>>72
同じ大老でも前田、毛利と比べると明らかに人材の登用システムが劣ってるな。
両家だと百石級から出世しての仕置家老になってる例も多いのに徳川家だと三千石でも奉行どまり。
しかもこれ、1700年代の話だぞ?
1600年ごろにはどれだけひどかったか想像もつかん。
同じ田舎大国の伊達にすら負けとるわ。 -
もいっこ
>>69
事実上傘下だった松前を十万石ぐらいにしてやる代わりにどっかに飛ばして、空き地になった蝦夷に伊達や上杉を加増して移す、そこへ秀康、忠吉、忠輝あたりをもってくるという方法は筆頭大老の家康の権勢をもってすれば難しくなかったはずなのにな。
蝦夷地は寒いことは寒いが豊かな土地、家康の舌先三寸なら伊達も丸めこめただろうし越後出身の上杉はもっと楽に移せたはずなのに。
何でやらなかったんだろう…。 -
今だからそう言えるが、松前がいた頃なんか不毛中の不毛だった土地だぞ
まともに育つ作物が入手出来たのも19世紀からだし、伊達は乗らないと思う
だから西軍の中心格の宇喜多を騒動の責任として、蝦夷に改易して戦力を削ぐべきだった
上杉も仰る通り移すべきだけど、宇喜多を陪臣にしてやるって名目も付けられる
空いた宇喜多領か上杉領は秀吉憎しの最上に与えて、もう片方は忠勝や康政に分ければ
いくら石田が号令を出しても戦線を分断せざるを得なくなる -
毛利粛清後に尼子が再興した理由教えて
旧毛利への手配のため? -
秀吉が見捨てたってのと旧毛利の領土の安定のためってのと石田が自分の死後を見越して恩を売っておきたかったってのがあるよね。
羽柴秀秋は毛利征伐後に毛利の遺臣を取り込んで菩提寺を立ててるし慰撫が大変だったんじゃないだろうか。
三成は毛利輝元が死んだ直後に難癖つけてる。毛利も善戦するが結局滅亡。
この戦いは三成自身による広島城水攻めが圧巻。
三成自身の体調は悪く一回は中止を検討してるほどなのに。
死ぬまでに豊臣家のために(自家のためにも)毛利を取り除くつもりだったんだろう。思い切り裏目に出ちゃうけど。 -
尼子頼久の才も凄いよね。秀秋の元で活躍してたから復帰が認められたし。明教の政変では毛利に人質送りつつ反毛利サイドとも連携し独立を確固たるものとしてる
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毛利じゃなくて前田だった
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>>82
父が再興軍の無茶っぷりや、輝元の判断力のなさを間近で見たからかなぁ
降伏後は毛利家で臥薪嘗胆の日々を送り、再興軍壊滅や山中処刑を聞いても堪え続けた結果
意思を継いだ息子が雄飛するというのは浪漫を感じる
話は変わるけど、徳川が勝った時に尼子みたいな軌跡を辿るであろう家が見当たらない
細川、京極、斯波、北畠、畠山のような名家が盛り返すって仮説は有名だけど
いまいち魅力に欠けるというのも、不人気の一因なんだろうな -
>>76
前田は17世紀になる前から、足軽下士から仕置家老を採用して藩政改革の実を上げた。
もっと時代は後になるが毛利家家老の高杉晋作はたった百五十石のぎりぎり上士。
その後継者の伊藤俊輔は元をただせば足軽の養子になった百姓の子だ。
それがポンポンと景気よく一万石クラスに出世して家老になる。
対して徳川はというと…
遠山金四郎、長谷川平蔵、三千石クラスの大身が遠山は町奉行、長谷川は火付盗賊改の頭。
長年勤めあげてもらった褒美はたったの金十枚。
同じ百二十万石とは思えんケチさだ。
天下分け目の戦いに負けるわけだよ。 -
>>77
関ヶ原直前、松前は本州に移されることがほぼ決まってたらしい。
だが移される土地が陸奥須賀川、石高が一万九千五百石。
ケチケチするにもほどがあるっていうせこい加増。
抗議する松前の家老に米の取れ高が倍増するから我慢しろとか言って松前を怒らせて、結局話は流れたらしい。
もし東軍が勝ったとしても豊臣恩顧の大名の加増は一万石とか三万石とかのしょぼい加増だったんじゃねーの?
そう疑いたくなる。 -
>>37
自分の側室にしたんじゃなかったっけ?
どっちにしろ生まれた息子の強さが尋常じゃないことは変わらんが。
祖父の本多忠勝以上の無傷伝説を作った、しかもルソンでスペイン人の鉄砲・大砲を相手に。
もう人間じゃねえよ。 -
>>88
長宗我部は同じような手段でやられたよなぁ
関ヶ原の功で念願の四国統一を果たしたけど、後の江戸仕置で嫡男が死んだうえ
攻め手が緩いのは二心を持つからと言いがかりをつけられて、甲斐5万石に改易だもん
おまけに土佐に入った仙石が高家として君臨するとか可哀想にも程がある -
明教の政変以後吉川家は毛利家本流を名乗るんだっけ
明教の政変も前田謀反の風聞が流れてすぐの決行だったし三成は粛清やりすぎて諸大名に警戒されまくってたのは仕方ない。
石田重家が権力を継承するも大阪に前田の兵一万の兵を常駐させてたのが運の尽き。これまでの罪を批判され石田一族はほぼ皆殺しにされる。
豊臣直轄領は前田派のいろんな大名と家臣にばらまかれドサクサに横領と一揆で奪われ続けた結果豊臣政権自体が完全崩壊だもん。 -
字藩供同盟ってなんで腹黒いって言われてるの?前田謀反疑惑が流れたら石田重家を呼び出して前田に兵を貸してクーデータを起こさせた挙句クーデータ後は前田に協力せず
反前田を名分に豊臣の奉行を殺害しまくって群雄割拠に誘導していったから? -
あ政宗がごく初期に自分で一揆を起こして皆殺しにして所領を拡大してたから?
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>>92
主なのはそういう三枚舌とイスパニアへの勝手な臣従だな
近代でいきなりスペインの属国扱いされて国交正常化は10年もかかってる
名前も東方見聞録のジパングが元だし石田は外交を出し抜かれてるわ
でもブリテンやネーデルランドとの軋轢もあって結局援軍は来なかったし
そのうち東国派と鎮西派で分かれるわ派閥内で内ゲバだわって末期は空気化したけど -
同盟が内ゲバやってる間更にいろんな勢力が自立して行くわ足利将軍勝手に建てて更にカオスな事になるわで
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>>85
大蔵卿井上馨はもっと低い。
禄高は百石、身分も中堅どころの武士という程度で上士じゃなかった。
まあ、薩摩には農民同然の下士から家老に成り上がった西郷・大久保という大物がいるがな。
いずれにせよ、徳川の人材登用がどうしょうもなく劣っていたことだけは間違いない。 -
大河ドラマの石田三成の美化ぶりは異常
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伊達、上杉、毛利、宇喜多、島津、前田
徳川なら戦後にここら辺をどう扱っていくか、物凄い気になる
石田や直江はまず助からないだろうから除外した
何せ西軍にしてみれば家康と秀忠と義光を生かしておくような事だし -
化け猫騒動ってあったよな。龍造寺高房が絶望して自殺。龍造寺の忠臣の霊と高房が飼ってた化け猫が大阪を騒がせる。
長束正家が騒ぎを聞きつけて亡霊に話を聞いた結果鍋島が龍造寺を不正に乗っ取り旧龍造寺家の家人を拷問にかけて殺したことを語る。
龍造寺高房は自分の無力さを知り公儀に訴えかけるために自殺するが鍋島に病死したことにされたため仕方がなく忠臣が代わりに出てきた。
奉行が調べてみるとその通りで鍋島は減封された。
しかし成仏しなかったため龍造寺を再興すると亡霊は消えて真夏に雪が降ったって話。
これってどう見ても改易するためにでっちあげた話だろ。鍋島の隣の龍造寺再興なんてただの鍋島へのあてつけ。
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