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戦国時代
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毛利輝元 [転載禁止]©2ch.net
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一般的には無能、暗愚、愚鈍と言われている広島の大名 - コメントを投稿する
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保守
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家の前で遊んでいた10歳女児に惚れ込んだロリコン
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ばーかばーか
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家中
幸若丸期 木原元定、国司元武、粟屋元種、福原就理、堅田元乗、粟屋左馬允
輝元家督継承 桂就宣、国司元武、粟屋元勝、赤川元保
赤川誅殺、御四人 吉川元春、小早川隆景、福原貞俊、口羽通良ー桂就宣、国司元武、粟屋元勝、粟屋就秀、粟屋元種、粟屋元真
豊臣期 穂井田元清、安国寺恵瓊、福原広俊、渡辺長ー佐世元嘉、榎本元吉、堅田元慶、二宮就辰、張元至、林就長、内藤元栄
江戸慶長 福原広俊、児玉元兼、井原元応、 佐世元嘉、三井元信、井原元歳
江戸元和 毛利秀元、井原元以、榎本元吉、三井元信、井上元光、清水景治、益田元祥、山田元縁、宍道元兼 -
児玉家と杉家で見た場合
児玉家は結果として兄弟で秀就見ていたり再編期を乗り越えてるのを見ると良かった気もする
杉家で見ると一族が毛利と大友で別れた
で毛利に仕えた一族で格上の杉重良が大友に対応した
息子はそのまま毛利に仕えたとはいえ一時的に杉家の序列も変わり
そこを乗り越えたら毛利家での更なる家格上昇も見込めただろうに
惜しいことした気もする -
>>297
二の丸様のことか
山口市大内に姫山っていう小山があって、そこから見える家には
美人が産まれない呪いがかけられる伝説があるけど
その元ネタが二の丸様誘拐事件だって聞いて調べたら
下手人がテルで吹いた思い出がある
このオッサンが子孫の敬親みたいな神輿になり切れる人間だったら
また違った歴史になってたのかもな
毛利氏を通史的に見てると無能でも色々いるんだなと考えさせられるよ -
長門、周防二ヶ国28万石に減封された毛利家は、安芸の新領主福島正則からの年貢米返済請求、萩指月城築城、江戸城普請助役、山代一揆、結城秀康の娘との婚姻、これらで破産すると家康、正信は見ていたが…
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関ヶ原は家康より輝元の選択のほうが歴史を動かしてる感がある
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そりゃあ西軍の挙兵によって豊臣政権が完全に崩壊したわけだしな
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世鬼衆という諜報機関は役に立たなかったのか?
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家康は何にせよ他の大老を順に潰していく計画でしょ
前田家になるか上杉家になるかの違いでしかない
そういう意味では毛利に非はなく
秀吉は生きている間に西に250万石級の大名を誕生させておく必要があったと思うね
そうすると家康も一か八かの決戦は避ける
ずるずると時間は流れ、秀頼は成人、豊臣家の天下が続いた公算も -
潰されるのが嫌なら自分で戦えという話でしょ
毛利や上杉のように家康と戦う気がないのに口先だけは勇ましい大老は
豊臣にとっても諸大名にとっても有害だよ -
豊臣家は家康に天下を簒奪された挙句滅ぼされたというよりは、輝元の野心と敗北の巻き添えで無力になった挙句実質秀忠に滅ぼされたと言ったほうが正確そう
家中の運営に当たっていた家臣が関ヶ原の結果片桐以外全滅したから摂津河内和泉の経営すら幕府の代官の手伝いなしじゃできない有様になったしな -
大坂城西の丸にいた、家康の留守居佐野綱正を追い出し、毛利輝元殿、秀就殿が入られました
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双方同意の上での減封でしかもそれでもかなり甘い処分なのに、戦後に「本領安堵のはずが家康に騙されて減封された。おのれ狸親父」みたいなことをこの期に及んで言えるのはさすがに面の皮が厚すぎる
関ヶ原は輝元が敗者なのに勝った家康のほうがよっぽど振り回されてるような -
んなホイホイ250万石の大名なんて配置したら言うこと聞かないやつまみれになり制御できなかった足利幕府の二の舞いになるだろうが
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殿下末期の誓詞を家康は内心なんとも思ってないけどいかにも誠実そうに受けたとか昔言われてたけど、実は家康は誓詞を後生大事にしててその陰でいかにも誠実そうに誓詞を交わしたけど内心では尻拭く紙とも思ってなさそうなのは関ヶ原やその後での動向見るかぎり輝元や景勝だろう
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殿下は最悪家康さえ掣肘して味方につけておけば体制維持できると考えてそう
なお体制崩壊させたのは家康ではなく輝元だった模様 -
輝元は無能な働き者
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輝元はあの世で秀吉に会ったら「瀬戸内海沿岸地域全部くれたら家康にも対抗できたし、そしたら豊臣も滅ばなかったかもしれないのになー」とか平然と言いそう
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いや西軍勝ってたら毛利も豊臣の家臣で大人しくしてる可能性低いだろ
史実の関ヶ原でも四国に軍勢派遣し大友残党支援して野心ありまくり
西軍勝ってたら伊予、讃岐ゲット
大軍を九州に派遣、黒田加藤では勝負にならず降伏
全国一の勢力が今度は第二の徳川になるだけ -
てか関ヶ原で西軍勝ってたら論功行賞で毛利は破格の領土得るだろ四国、九州の東軍領土取って豊臣凌ぐの確実
徳川がやったように全国の東軍領土没収して譜代配置
言う事聞くわけ無いじゃん -
>>317
秀次殺した時点でどっちにしろ滅ぶ運命だったんだな -
>>316
それ位の事をいけしゃあしゃあといえる人間こそ、戦国時代を生きた大名らしいけどな -
長宗我部に出した安堵状で「本来の領土」を安堵する云々みたいな内容なんだがこれ長宗我部は四国=本来の領土と思ったかも知れんけどホントは土佐一国を安堵しますよ、みたいな騙し文的性質があるとか云々。輝元はなぁ…悪名高い。
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内政が得意な親父が長生きなら、天下取れたかもしれんけど、
三兄弟全員亡くなった後は、クーデターで引きずり降ろされるかもなあ -
実 仮に挙兵が上手く行っても絶対火種になるぞ四国…
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当時でも悪名高かった信玄は家滅んだし、秀吉に至っては子孫を一人残らず根絶やしにされて一生かけて手に入れた天下も金銀財宝も全部その滅ぼした徳川のものとたとえ武力が法で正義の戦国の世でも悪行には相応の報いが後でくるものなんだけど、輝元もこの二人にそこまで見劣りしないくらいにはやりたい放題したはずなのに領土減らされただけで済んで家康並みの天寿を真っ当して藩も幕末まで続いたのには笑うしかないな
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父と叔父の両川が祖父(1497〜1571年)くらい長生きしてりゃ、
隆元1563→1597年没、元春1586→1604年没、隆景1597→1607年没
これなら元就存命中に、尼子残党と大友両方纏めて片付け、更に勢力拡大や
織田などを打倒して天下統一も狙えたかもだが、
隆景が死ぬ前に、安定政権作っとかないと不安 -
関ヶ原の毛利輝元は家康に敵対的な動きを散々主導したくせに自分の戦略の破綻を察するや否や誰よりも早くその家康に降り扇動した連中の梯子を外して見殺しにしたという最悪なものなんだけど、その犠牲になったりとばっちりを受けたりした連中が豊臣家とか秀吉の側近みたいなどんなに惨たらしい死に方しても因果応報の一言でほぼ片付く奴らだからあんまり悪どさを感じないしむしろ笑って見てられる
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隆元と元春は消された気がする
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毛利は乱暴狼藉あたり前
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輝元主役の漫画本なんて出てたんだ
note.com/miwa1965/n/n25ea6fb9a02c -
周辺が無能
両川が輝元の指示に従えば天下を300年早く取れた -
てるもと
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おてもと
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昨日仕事で広島の安芸高田市に行った
ここが石丸が市長だった町かと思って見ていて
毛利125万石の饅頭の看板見て吉田郡山城の毛利の本拠地だと思い出した
帰りに山陽自動車道乗るために通った
県道37号沿いに尼子三兄弟が幽閉された寺とか色々な史跡看板があった
ほとんど色褪せていたが大河毛利元就の放映中に作られた看板と知って納得した -
>>284
関ヶ原武将のイメージは大体あの大河のイメージだな。福島正則なんて蟹江敬三以外一切思い浮かばない -
お屋形様、今年の倒幕の旗はいかがでござる?
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倒幕したと言っても死に体を薩摩に助けてもらってやっとこさだし
新政府で栄達を独占したのは旧藩士ばかりで毛利家は踏み台にされただけで
毛利が天下を取ったとは言われず薩長が天下を取ったとしか言われない
まあ既に天下を取った取られたなんて言い方が時代遅れになってたんだがその辺のタイミングの悪さも毛利らしい -
敬親は新政府での栄達に興味なさそう
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たまに話題になる関ヶ原後に大坂城で籠城って
もし仮にやった場合どれくらい勝算あるんだろうね? -
豊臣は徳川と関係悪くないので毛利が邪魔者であっけなく門開かれておしまいだろ
そもそもことの発端は豊臣公認の上杉討伐
その最中に諸大名の身内を捕まえて内乱起こした謀反人
戦後もよくぞ逆賊三成を倒してくれましたと感謝してるぐらいで豊臣の領土が恩賞で与えられても文句も言わなかった
豊臣の方がむしろ勝ち馬の徳川に媚びうる立場。毛利なんか邪魔でしかない
仮に籠城したとして遠く離れた本国が攻撃されるので兵士の士気ガタ落ちで逃亡兵ラッシュでこれまた長期の籠城など無理
古来より本国失った勢力てあっという間に兵が逃げだし軍として機能しなくなり内側から瓦解して滅亡コースかどこか落ち延びて匿ってもらうかだ -
もし仮に籠城したらの話に籠城なんてできないと言ってもなあ
軍事的に戦えたかはどうよ -
毛利公が籠城を決めても、淀君と取り巻きの女どもがすっかり恐れをなしてしまい、勝手に徳川方と交渉をし始めるとかあり得たと存じますがどうでしょうか
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