-
戦国時代
-
何故秀吉は、秀次の側室とかも皆殺しにしたの?
-
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やり過ぎだろ。なんか理由あったの? - コメントを投稿する
-
何故シリーズをバカみたいに乱立しすぎだろ
-
俺に逆らうとこうなるんだぜ
って言いたかったんじゃない? 晩年の秀吉は耄碌して見苦しいね -
>>3
子供産んでない側室まで始末するかね -
秀吉は明智家を山崎で虐殺したことは
一切謝罪する必要はないけど、
これは謝罪の必要があるな。 -
いかれてたからじゃないの?
-
つうか秀次の力を恐れる意味もないんだけどな。
だって秀次政権前提で進んでたし、有力大名も秀次に世話してもらってるし割と秀次政権は安泰だっただろう。伊達も本心は秀次派だろ?
最上も秀次派だし、東北安定してりゃ家康だって動けんだろ -
>>7
秀次政権前提で進んでいたから、(秀頼のために)潰したんだろ? -
晩年の秀吉は自分と自分のコピーの秀頼がかわいいだけの老人にすぎない
彼にとっては秀次どころか豊臣政権自体、秀頼の生存のためにはどーでもよくなっている
武家としての教育を受けていないってこういうことなんだろうな -
それで託したのがよりによって家康だからな
自分が織田家にした事思えば、一番託したらいけない人物だろうに
歳は取りたくないな -
秀次政権だったら大老に伊達政宗が入ってくるんじゃねか?
最上伊達と組めば100万石越えで家康もそうそう動けんだろう。 -
>>10
秀吉の頭の中だと
「家康が天下を取るには秀頼の権威が必要になる。だから最悪でも秀頼を殺すことは無い」
「しかし秀次が天下を取ろうと思えば日々成長していく秀頼が邪魔になる。おそらく秀頼は成人する前に病死ないし事故死させられるだろう」
以上から秀吉主観では秀次は絶対に生かしてはおけない存在で、家康はかまわないということになる -
>>13
一応助命するってなったんだけどな -
除命
-
秀次生きてたら秀吉側近が秀頼立てて争いそう
-
それは有りうるが言い出したらキリがない
-
もしかしたら懐妊してる女もいるかもしれないから皆殺しにしたのだろう
-
>>18
駒姫は秀次と会ってもないんだぞ -
>>12
流石に関ヶ原のような大乱が起きて豊臣家が一気に没落するとは秀吉も予想出来なかったんだろうな -
朝廷の官位序列で諸大名を心従させたのに、あろうことか現職の関白を処分し、自らぶち壊しにかかった
-
耄碌じゃなくて秀吉が本性出しただけでしょう?
甥で養嗣子でもオレ様が邪魔と思えばこうなるよってだけで -
秀長がいないとこれだもんな。
秀長が死んだ時って、秀次は関白になってたっけ? -
>>1
粗相をしたから -
大和大納言家と秀次がいなくなったことは、家康にとってはラッキー
-
家康の関東地方国替えに伴って家康の旧領東海地方に配された一群の大名は、秀次体制を前提としたものでしょう。
-
>>28
山内・堀尾・中村は秀次家臣だったし池田は嫁の実家か -
>>9
むしろそういう人間こそ、漢の劉邦のように長大な大帝国作ったって歴史があるよ -
>>20
関ヶ原は日本陸軍の捏造 -
秀次がいないと豊臣家は風前の灯火となるからな
秀頼いるから秀次が邪魔になったというのは現代の人間の価値観の発想
当時の幼児は死亡率が極めて高かったから人間社会の存在とはまだ認められない存在
身分の高低は関係ない
秀次の側室らを殺したのは単に秀次が謹慎命令に反して腹を切ったから
そうしたら必然的に秀次一族は敵になるので戦乱を予防するには殺すしかない -
>彼にとっては秀次どころか豊臣政権自体、秀頼の生存のためにはどーでもよくなっている
秀頼の確実な生存のためには豊臣政権が要るからその論は無理がある -
>>34
移譲するとは限らないけど秀次なら豊臣家の天下は続く
家康に後見頼むとかは政権を乗っ取られる可能性が高い事は織田家から政権を奪取
した秀吉なら必ずわかっていたはず
この点、よく俗説で秀次が切腹させられたになっているがあれは不自然すぎてたぶんガセ -
豊臣秀頼の生存か豊臣政権の存続かでとられる選択肢が変わる
豊臣秀頼の生存を取るなら一番の敵は関白で成人した甥の秀次、たとえ秀次にその気がなくても秀次一派と秀頼一派で天下大乱になる覚悟はしなくちゃならない
政権の存続でいうなら秀頼が廃嫡される覚悟で秀次に継がせるって手段も取れるけど -
晩年の秀吉の妄執は秀頼の天下じゃないの
織田家はあくまで当時の最大大名であり天下獲った自分とは違うと思ってそう
でも武家をつなぎとめるのは関白ではなく将軍職だったのよね 少なくとも世襲できない時点で関白では弱い -
>晩年の秀吉の妄執は秀頼の天下じゃないの
これ、根拠ある?
秀頼の天下がなければ秀頼の安全は保障されない
秀頼の天下が少しでも保障されるには最低豊臣政権であることが必要
だから秀次が必要
>でも武家をつなぎとめるのは関白ではなく将軍職だったのよね 少なくとも世襲できない時点で関白では弱い
これも現代で歴史を知っている人の考え方にすぎないのね
実際に秀吉から秀次に世襲している前例があるし
当時の武家の棟梁とは武家関白であって将軍のイメージは地に落ちてる(義昭の件で) -
後継者争いの血みどろの殺し合いを血族でしてる武家の方がよほど多いぞ
まさしく信孝と信雄もそうだったし
秀次の政権において最も危険なのは政権を奪還しかねない秀頼の存在な訳で、その理論は無理がある
それと当時の将軍のイメージ落ちてたってのはどの研究家の発表なんだ? -
>後継者争いの血みどろの殺し合いを血族でしてる武家の方がよほど多いぞ
豊臣家の場合は後継者環境が悪すぎて他家のように血みどろの殺し合いをする余裕はない
両方とも倒れたら豊臣は終わりだから他家と比べる事は安易だと思う
>秀次の政権において最も危険なのは政権を奪還しかねない秀頼の存在な訳で、その理論は無理がある
元々秀吉が決めていたことに秀次の次の関白は秀頼となってる。奪還どころか形式的には
秀頼の関白職就任は約束されている
秀次が関白を辞したくなれば秀頼に譲ればいいだけなので譲るか譲らないかの判断は秀次がすること
譲らない場合、秀頼には難が降りかかるかもしれないが、豊臣政権は残る
秀次を殺した場合は大大名に政権を盗まれる可能性が高く秀頼はおろか豊臣政権も残らない
当時の武士は御家大事が常識だからどちらを選ぶかは自明でしょう
将軍職については
醍醐寺三宝院の義演が義昭の死後直後に「近年将軍の号蔑也、有名無実弥以て相果て了」
と日記に記しており、将軍位は有名無実になっていたと記している -
後継者環境がどんなに悪かろうが内紛し続けるのはどこの組織もそうでしょ
三好も細川もまんまそうだったし
御家が大事というのは常識だけど、それと同じくらい自分の息子に継がせたいっていうのも常識でしょう
将軍職についてのその言及は初耳で勉強になります、とはいえ醍醐寺の義演は武家の人間でもないですし、関白職の豊臣家とかなり懇意な人間であるということは留意すべきかと -
織田も後継者争いで自滅したからね
-
対立の火種にちょちょいと薪くべれば火はあっという間に業火になる時代だからね
まさしく秀吉が織田にやったことだし
火種を消すために粛清する考えは理解はできる -
>>40
お前1人だけが頭のおかしいイカれた妄想に耽っていると早く気づけよ -
>>38
秀吉の力をもってしても幼児の秀頼を関白にはできなかった
徳川の政権簒奪はその隙をついたとも言える
秀吉から秀次へは先代が健在なうちに成人した後継者への委譲であって将軍職みたいに先代が死んだら次代へ自動的にってものじゃない -
徳川の将軍就任早いのを上げるとこんな感じだけどな
4代:11歳
7代:3歳
11代:15歳
14代:13歳
不可能という訳でもないんじゃね? -
>>46
だから将軍職は幼児就任が可能だが関白でそれができるのかという話
幕末に慶喜が宗家は継ぐが将軍は継がないと言い出すまで将軍家家督と将軍職は不分離と思われてたし
鎌倉幕府は源氏三代以降は摂家や皇族を立ててたが室町以降は基本的に源氏の長者が将軍 -
>秀吉から秀次へは先代が健在なうちに成人した後継者への委譲であって将軍職みたいに先代が死んだら次代へ自動的にってものじゃない
本来の関白職は持ちまわり制だから後継者への移譲そのものが異例
だから従来の関白職と同一視することはできん。豊臣の関白は武家関白で世襲アピールの
ために移譲したのだから、できない理由はないでしょ、すでに異例な事やってるし
だから秀吉は秀頼を関白にすることはしなかったが、これを「できなかった」とする主張には賛同しかねる
鎌倉幕府を見る限り、将軍空位の時期も結構あるが、これは征夷大将軍よりも鎌倉殿という私的地位
が重要でこれで政権保たせていたから、諸大名に豊臣姓を与え、自らはその長者とする事で、そし
て諸大名が臣下の礼を取り、誓詞を交わしていただけで十分担保されると考えたのだろ -
徳川家康の陰謀に決まってるだろ
-
一回異例が通ったから次も通るってのはどうだろ
むしろ一回無理言ったらそうそう次は無理通らんやろとしか
ましてや秀頼は幼年で成人するまで空位にするのかって問題もある
鎌倉殿ほど豊臣家というのは遺さねばならないと思われるほど代々を重ねたものでもないし -
側室は未然のものも含めて皆殺しにしたのに
正室(池田輝政の妹)はお咎めなしというダブルスタンダード
秀吉がどれだけ家康(輝政の舅)を敵に回したくなかったかよくわかる -
池田は小牧長久手で親父が死んだ武功があるし織田派の中堅上位だからそう簡単に手出しできんやろ
-
>>51
実際に秀次死去から関が原翌年まで空位やね -
秀吉の決定は秀頼成人まで関白は置かぬという話だったと記憶する
関ケ原以降に増長した家康によって公家衆に返還されたので武家関白制は
あいまいになったが、一方で家康も関白にはなり難いものになった
その上、豊臣家が本質的には摂関家の一つである事には変わらないまま
家康は将軍職を選ぶことになるが、家格は江戸時代を通して豊臣家を超える事は不可能となった -
>>55
秀吉がいたからないなくなりゃ豊臣なんかそこまで恐くない -
家格なんてのは氏も素性もない秀吉が朝廷官位の権威を借りて
諸侯を従わせるために無理矢理武家に当てはめたもので豊臣家の勢威が衰えれば大した意味は持たないし
家康は公家官位に土足で踏み込んで公家衆にも迷惑かけた武家関白なぞには興味がなく
正当な武家政権の復活を企図したんだろう
征夷大将軍になれば歴史の浅い武家関白制などより遥かに実績も伝統もある将軍の秩序で諸侯を統制できるし
将軍の権威などはしっかり実力をもって政権運営していけばいくらでも回復させられる
家康が関白を五摂家に返したのは興味がなかったのと、もともと秀吉1代限りで次は近衛に
譲ると約束したのを反故にしていたんだからその約束を履行しただけだろ
すぐにではないが秀吉に騙された近衛は後でちゃんと関白になってる -
皆殺しにしないと、のちに側室から生まれた子を旗印にして、池田輝政、浅野幸長、
田中吉政、山内一豊といった秀次残党が暴れ回るのを防ぎたかったためだろう。
もっとも、池田輝政自身が旗印になる事を秀吉は見落とした(厳密には石田三成、
増田長盛が見破って警告したが退けた)のは、取り返しがつかないミスだった。 -
実際には皆殺しではないけどね
-
皆殺しと例えていいやろ
どんだけひねくれとんねん -
切腹は主君を戒める意味もある
相当な当てつけのように感じてもおかしくない
秀吉はこれを想定していなかったからこその苛烈な扱いとみた -
最上はアンチ豊臣を家訓に刻んだ瞬間
-
結局最上も改易されたけどな
-
>>64
流石にあれは最上の自業自得 -
豊臣滅亡は淀だの大野だの言われてるが一番やらかしたのは秀吉自身だろ
二人は普通の人の割りによく家康と渡り合ったと言えるかと -
秀吉の指6本て本当なんかな、眼球2つは流石に嘘だと思うけど
-
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>>66
あれだけの石高与えて五大老筆頭にして秀頼を頼みますじゃ、死後は継いでねって言ってるようなもんだもんな -
実際、自然とそうなることは秀吉自身もわかってたでしょ
だからこそ秀頼(の命だけは)お頼み申すなんだよ
その辺の機微を理解せずにいきったのが当の秀頼自身というオチ -
秀頼のこと頼む・・頼む
-
信雄を豊臣方の総大将に担ぎ上げようとしていたらしいけど
その信雄を前に思うことはなかったのかね、因果はめぐるというか
かつての主君筋なわけだよ
信雄担ぎ上げて自分の命だけは助かろうとしているようにも思えるし卑怯だ -
滅ぼすにしてもなんか家康のやり方も間抜けのところがあるのは否めないな
三日分の兵糧はまだしも、着流しで出陣とか本当だとすれば戦をなめとんのかと
実際死兵を甘く見て後退させられるわ、討たれてる可能性すらあって、それだとその後のごまかしは通用したが、秀頼は滅ぼしたが、己も討たれたではかっこ悪すぎ -
>>73のような歴戦の勇者にかかると徳川家康ごときでははなしにならんな
-
>>74
淀にとって信雄は従姉妹(母の兄の息子) -
>>73さんって豊臣家の残党かな
-
このスレッドは終了しました
もう書き込めないので
新しいスレッドを立ててくださいです。 -
秀吉自身が、幼主故の主家簒奪をやってんだから
次は家康がやるなと思っていても不思議は何もないな
因果応報 -
こんばんは
-
「秀頼をお頼み申す」についてなら家康は十分に秀吉との約束は守ってるでしょう。
本気で殺す気だったのなら10年も待たないし、国替えか浪人を追い出せば許すとかわざわざ勧告出す必要も無いんだ。
加藤清正が必死こいて作った延命の機会を無駄にした秀頼自身が愚か者だったとしか言い様がない。 -
幼君なら領地や家臣奪ってもしゃーないを上にも下にもやらかしてるのが秀吉だからなあ
親の因果が子に報いってだけの話だな -
というか本当に豊臣家か幕府に服属する可能性まるっと無視するから10年かけてアリバイみたいな話になる
豊臣政権の理屈でも天下に号令する資格を持たず官位で将軍家の下
武家として体面を保ちながら武家の棟梁に従わない
結構な異常事態でむしろ服属しない理由がない -
当時としてごく当たり前のこと。
秀次の種を宿した側室が実家に戻り出産、落し子を旗標に反乱なんて枚挙にいとまない。 -
家康も秀頼の側室すべてころしてるけどね。
-
淀同様に落城の際に死んだんじゃなく生き残ったのを処刑した記録あるの?
秀頼息女は助命されて東慶寺に入ってるけど -
>>87
逆に生き残った記録がない。
助命された女子と国松の母親は違うから複数の側室がいたのは確か。
伝説だがもう一人子供がいたという話もある。
この時代、以後の消息がない場合は基本ころされてると考えてよい。
不慮の事故で死んだなら墓や多少の伝承はあるはず。
例え側室でも出身地にとっては誉れだから。
同郷の人間が語ることを躊躇うのは権力によってころされたと考えるのが自然。 -
記録に残ってないから殺されたはず!
って随分都合のいい解釈だな -
少なくとも秀次事件のような異常な族滅の記録はないと認めるのね
秀次事件とちがって娘は生かしてる時点で秀次事件が当たり前とはとても言えない -
>>90
尼にして一人残しただけでそれ以外の族滅は同じだろ。
女子も生涯子供を生むことは許されなかった、落胤はトラブルを生む。
当時の常識では秀吉の取った対応はごく普通のこと。
現代の常識で断罪するのは愚か者のやること。 -
全然普通じゃないぞ
津田信澄のように男子でも除名されるケースさえある -
三成の子供もほぼ全員が助命されてるよな
-
調べたら若政所、隆清院、菊など助命された側室や子供も多い。
つーかなんであんなに側室いるの?
あれ、側室っていうか人質だろ笑
三好秀次に人質出して幕下に入ろうとした反秀吉派なんじゃねーの。
それなら粛清されて当然だわな。
まあ実際、助命された側室や子供とそれ以外の違いってよく分かってないんだと。 -
俺の空想なんだが、三好秀次が切腹させられたのは文禄の役と慶長の役の間。
秀次の与党には伊達や最上のような朝鮮に出兵してない大名多い。
当然の流れとして明と組んで、秀吉の主力が朝鮮にいる間に秀吉を倒そうとしたとしか思えないんだが。
それくらいのことをやったのならあの粛清の規模も納得できるし、罪の理由が曖昧なのもわかる。 -
おまえの空想なんぞいらんわ
-
家臣の中でも田中吉政のように許された家臣もいれば前野長康のように許されなかった家臣もいる。
許された側室、許されなかった側室と同様に規則性が不明なんだそうだ。
いや、この規則性を解いたら本が書けるな。 -
三好秀次の側室34人は多すぎる、しかもあの若さで。
家康でさえ生涯で19人だ。
9歳の駒姫を見初めたというのも怪しいわ。
同じ年頃の児玉元良の娘に毛利輝元がちょっかい出したら、元良は、このくそロリコンが!と怒ってさっさと許嫁をつけてしまった。
当時からロリコンは変態という認識だったんだわ。
あきらかに側室という名の人質だわ、しかも反秀吉陣営の。 -
俺が明の参謀なら絶対秀次誘うわ。
金もかかんねーし。
落ち目の貴種はこういう誘いにのりやすい、足利義嗣や松平忠長のように。 -
秀次の子種はもちろん、
落胤の風聞が流れることすら許せなかったから皆殺しにしたんだろ -
確かにあの異常に周到な族滅はそういう不条理な恐怖感が背景にないと説明しにくいんだよね
-
本人に謀反の意思があったかは分からないが、慶長の役の最中に秀次が伊勢、尾張から大軍発して京を目指せば制圧はできたでしょ。
それを伊達や最上が支援すれば家康次第ではあるが成功する可能性はないことはない。
実子が生まれて立場が危うくなった後継者、足利義視と同じ立場だが、謀反の理由として光秀なんかより断然ハッキリしてる。
34人の側室は反秀吉派の結束を固めるために秀次に差し出された人質だと思うよ。 -
もしほんとにそうだとしたら
秀次家臣ばかり粛清して、反秀吉の大名どもをほとんど処分出来なかった時点で
豊臣滅亡は確定してたな。 -
成人女性なんかいらない
-
前野長康が許されない時点で、仕えた期間も功績も、罪のあるなしすら関係ないって事だから
そんな秀吉なんかに忠義を尽くせるわけがない。 -
大和大納言家も秀次家も潰してるんだから正常な判断でないだろ
養子だろうが身内は身内
それすらもどうでも良くなるくらいキレたとしか思えん -
慶長の役に家康が出兵しない理由として、意外と伊達、最上を押さえる役割を与えられてたからなんじゃないかな。
文録、慶長期の秀吉にとっての主敵は家康じゃなく秀次、伊達、最上だったんだと思う。
秀頼のことを家康に託したのも普通に信頼してたのかもね。 -
>>106
戦国の気風をまだ残してる時期だからね。
まだ大名本人の能力に禄を与える時代ですよ。
蒲生氏郷に大封与えたのは、氏郷のこれまでの貢献にというより伊達、徳川に対抗させるための力を与えたということ。
死んで幼君にそのまま世襲というのは江戸時代の考え方。
秀長、秀次に大封与えただけで本人が死んだら公収して他の実力者にというのはあの時期なら当然だと思う。 -
秀吉って親類縁者一族にとっては悪魔のような存在だっただろうな
秀吉が天下人になぞならなければ皆慎ましく天寿を全うできただろうに -
罪は九族に及ぶ
当然だろ -
秀次の九族に連鎖して、秀吉自身も処刑したらよかったのに
-
連座ね
-
秀吉は清らかな人柄だよ
-
>>18>>19
秀吉が秀次の側室関係の全ての動向を把握していたとは思えず
(誰と会って誰と会ってないとか、誰と既に関係があったとかなかったとか)
「懐妊の可能性がある側室は全て殺せ」と命じたんだろう
そうしないと後に生まれた遺児を担いで何かやらかす勢力が出て来てもおかしくないから
芽を摘むのは当然の話。
その結果、京に着いたばかりの駒姫も対象となった
そこで慌てて「まだ会ってもません」って義光が嘆願したので
秀吉「じゃあ中止」って早馬を出したけど連絡が間に合わなかったって話じゃないの
今みたいに電話やメールで連絡できるわけじゃないんだから
1回出た命令に対して、嘆願→受諾→中止命令ってだけでも結構な日数かかるんだろうしさ -
それだけでいかに異常かわかるな
女が妊娠してるかなんて監視すりゃ遠からずわかるし
生まれた子は寺に入れるなり自ら養育するなり
やりようはあるのによほど殺したくて仕方ないんだな -
どう弁護しようと秀頼に関する限り秀吉が正常な神経を持ち合わせなくなっていたのは確か
秀頼宛の手紙で気に入らない侍女がいたらわしが責め殺してやるなんて常軌を逸したこと書いてるくらいだから -
別に擁護する気はないけど禍根を絶つために
一族郎党討ち取るとか自害させるなんてのは世界各国戦国の世の中じゃ
よくある話だけどな -
明確な罪過も不明なまま処罰した上で
日を改めて子も産んでない妻妾や女児まで
というのは異常性を感じるってだけだね -
秀次は秀吉の後継だったんだから娘を差し出して媚びるのは当然であり
ある意味貢献ともいえる行為なんだよな
それを問答無用で罪科にされちゃあ求心力も落ちるってもんで -
>>119
世界はいざ知らず日本で皆殺しなんてそうそうあったかね -
秀次が朝鮮への出兵を拒否したのが決定的な要因だろう。
秀吉の主力が朝鮮半島にいる状態で尾張伊勢に秀次の大軍がいて、伊達、最上が援護したら秀吉に抗う術はない。
本当は伊達や最上を攻めたかっただろうが慶長の役の直前だから、脅しを含めて側室という名の秀次への人質をあやめたんだろうね。
秀次に謀叛の気持ちがあったかは分からないが、やろうと思えばやれた状態を作り出したことが落ち度。
秀吉が本能寺の変の轍を踏むわけはないさ。 -
秀次かわいそうすぎて…
-
>>118
それは織豊ジョークだよ -
秀吉って本当に秀頼を実の子だと思ってたのかなぁ…
-
>>127
思ってたと思うよ。
秀吉は30代の時に石松丸と女子の最低二人の子供がいたことが確実視されてる。
この子たちは育ってないけど。
そして50代で鶴松と秀頼の二子をもうけて、確認されてる中では4人子供がいた。
毛利元就や徳川家康も晩年に落ち着いてから子供授かってる。
今の感覚なら4人子供いれば種がないとか言わないよね。 -
元就は弟の相合元綱を殺した時は息子を許してるね
-
ごく稀な例を持ってきて皆殺しなど茶飯事と言うのはどうかと
-
政宗自身手紙の中でさえ200-1000まで
全然数が一致してない小手森城に
撫で斬りの「伝承」の残る佐沼城ね
城攻めの結果のそんなあやふやな情報でも
相当の衝撃を奥羽の諸大名に与えたと言われる
戦を治めたはずの太閤が明確な経緯も説明せず
民衆の目の前でやった秀次事件はいかほどか -
>>132
秀次が謀叛を企んでいたとしたらそれは戦争だよ -
いたとしたら
というあやふやな状況 -
>>128
鶴松も怪しい -
>>120
中世ではよくある事
女児というが、駒姫の事なら14歳だから
当時ローティーンでばんばん懐妊してた事情を鑑みれば
年齢が一桁とかじゃなければ懐妊の可能性があるんだからそら殺すだろ
>>122
秀吉の頃はもう戦乱もほぼ終わって平和な時代になりつつある頃だったから異様性が目立つだけで
そんなもん地方の小豪族とかまで見ればいくらでも一族郎党皆殺しなんて出て来る
その当時に子供だったとしても、男なら僧籍にいたとしても還俗して担がれて御家再興の神輿にされる可能性だってあるし
女だって子をなせば、その子が神輿になる可能性がある
黒田長政も城井宇都宮と和睦した際に、人質として差し出された城井鎮房娘(鶴姫・13歳)を
侍女もろとも磔刑にしてる。
城井の造反時ならわかるが、和睦の条件として差し出された
当事者の娘(13歳)を磔刑にする意味を考えれば、上記の理由しか考えられない。
城井一族の男どもを騙し討ちで殺したとしても、後々、鶴姫が子をなせば
城井家再興の神輿として担がれるかもしれないから禍根を絶つという趣旨以外ないでしょ -
>>132
女子供なら僧籍に入れて…なんて綺麗事が言えるの方が稀な例であって
政権地盤が盤石じゃない頃なら、そら芽は摘むでしょ
前述の例だって黒田長政は城井鎮房や、その娘を騙し討ちにした事を
わざわざ説明なんかしてないでしょ
戦を治めたはずの長政が降伏した側の城井一族をことごとく討ち果たした事について
経緯を説明したのかね…
「散々今まで楯突いたから和睦はしたけど方便に決まってんだろ!根絶やしだ根絶やし!」
とかさ -
駒姫が女児?何言ってんの?
長文は秀次の子どもは9歳の女児まで殺された事実を知らんと
反射的な感情だけで擁護してんか
城井一族の皆殺しについては典型的な謀殺で
秀吉の移封の朱印状を拒否して許されないのに
最初から謀殺するために和睦と騙して殺した例だ -
妊娠の可能性がなくても血族とか繋がりがあるってだけで
いつ御家再興の神輿にされるかわからないんだから
やる時は徹底的にやるってのが戦国なんだよバーカ
城井一族が典型的な謀殺なのはわかってるよ
それで当主や子息が殺されるのはわかるとしても
年端もいかない質にとった娘まで殺す必要があるのかって話だよ
おまえの理論でいうとな
結局は少しでも可能性があれば縁者は年齢に関係なく殺すってだけの話だろ -
>>1-1000
秀頼のこと頼む -
バーカってw
もう感情的になって話にならない感じ?
禍根を残さないための族滅の例が皆無なんて話じゃなく
それは当時としても無残なこととして
避けられてたって話だったろ
まして秀次事件は他の例のように戦争状態でさえなく
処分理由も曖昧なまま行ってる異常事態だねと
城井の処分理由ははっきりしてて関白の仕置きへの反抗ね -
それは当時としても無残なこととして
避けられてたって話だったろ
数え上げればきりがないくらいいくらでもあるけどな、そんな話
戦争状態でなくとも政権争い等の中で他の後継者や当主候補の一族が殲滅されるなんて話もよくあるし
処分理由も「曖昧」なわけじゃなくて「諸説あって定かならない」ってだけだからな
全てが公式見解として残ってるわけじゃないんだから -
政権のナンバー2
というか名目上のトップを族滅して
名目さえわからない
なるほど異常だな -
>>144
中国の歴史なんかそんなんばっかやで。
西太后や呂雉、江青みたく女の独裁者による粛清も多い。
中国では粛清といえば族滅が普通で主以外は記録にさえ残らんことが多い。
もちろん謀叛などの武力衝突よりも政治的な理由の方が多い。 -
なるほど中国式で女の独裁者のようなことをしてたと
-
秀吉女の子だから仕方ないだろ
-
>>145
そういうことだな
日本人は歴史を美化しすぎなんよね
女の争い、派閥争い
汚い部分はいくらでもあるだろう
例えば現代の芸能、アイドルも同じで
アイドルだってウンコもするしエッチなこともする
これを信者がアイドルはウンコもしないエロいことしないと
負の部分をわざとみないようにして美化する
歴史上の人物も人間なんだよ。汚い部分はある
これを無理矢理美化するから真実が見えなくなる。っていうか勝てば官軍、隠す
逆に悪人と言われる人物も実はいいことをしていたとかね -
族滅も当然あるがやられる方に相当な落ち度でもないと普通はそこまでやらない
我が子可愛さに養子を粗略に扱うようになる奴は結構多い
南部晴政、藤堂高虎、福島正則等など
秀吉の状況は南部晴政に似ている
もっとも南部信直や北信愛が優秀で排除しそこねたが -
なるほど日本には権力者に清潔さを求める気風がある中
欲と地に塗れた秀次事件は異彩を放つという訳だね -
いや秀次事件は秀吉に天下人の資質など無かったことを示してしまった
政権を続かせるなら、関白を譲る前ならまだしも既に譲って支える家臣団までできてた秀次を粛清するべきではなかった
そこで秀頼への情を断ち切ってこそ天下人としての非情の判断だったし豊臣政権が続く目もあった
ところが非情の判断どころか秀頼への情に溺れて最悪の手をうってしまった
結果的に豊臣政権崩壊の最大の原因になったのだから愚かとしか言いようがない
もう次代の豊臣政権は形ができていたというのにそれを秀吉自身がぶち壊し政権そのものを崩壊させた -
そもそも秀頼が早逝したらどうするつもりだったんだろうな
実際秀吉の他の実子は皆早逝してるんのに -
>>150
規模も天下人って規模やからしゃーない
南部晴政
実子可愛さに養子の信直を殺害しようとして失敗(一説では逆に暗殺された可能性も)
津軽や九戸の離反を招く結果となる
福島正則
家康の養女と婚姻していた養子を閉じ込めて餓死させる(息子も産まれていた)
しかも秀忠が将軍職を継いだ後に
藤堂高虎
養子に跡を継がせるはずが産まれた実子可愛さに養子を冷遇したとされる(幕府が大名に取り立てようとしたからとも) -
最も注目され清廉たるを求められる太閤が
率先して欲望と肉親の情に任せて無体をした訳だしね
少なくともそう取られるようなやらかしだった
個人的には太閤側近と関白側近の権力争い説支持で
太閤が自身が死ぬと権益失う側近達の暴走を
止められなくなってたんだと思ってるけど -
>なるほど日本には権力者に清潔さを求める気風がある中
後世の人間や、少なくとも江戸期がだいぶ過ぎた頃からそういう思想はでてくるわけで
戦国の時代もまだ冷めやらぬ豊臣期にそんな概念は希薄だろう
そしていつの世もそうだが、権力者や勝者は自分にとって都合の悪い情報は抹殺する
当時はいろいろ秀次粛清の理由が宣伝されたのかもしれないけど
そこに関わる連中が「都合の悪い情報」として記述を減らしてしまった結果
秀吉の横暴って結論に「後世」に印象付けられただけだろ -
まあでと太田牛一の時点で豊臣政権に配慮しまくりなのに
秀次事件は愁嘆場として書いてるけどね -
秀次が朝鮮出兵を拒否したってのが全てだな。
あからさまに反抗の意思を示したってことだから。
慶長の役の前に秀次を始末しないで日本軍の主力が朝鮮に渡ったら当たり前だけど秀次がクーデター起こすよね。 -
実際は周りの思惑気にせずよく丸出しの血生臭い振る舞いだが
それを求められてたというのはないな -
>>1
どうでもいいだろそんな話
秀次は本来ならただの百姓の倅で終わるところを偉大な叔父のおかげで関白にまでなれたわけよ
自分の能力や努力じゃなくて単なる棚ボタでな
たとえ数年間とはいえ相当良い夢見させて貰ったのは確かなわけで
感謝しながら死んでいったんじゃないか?
元々何も無かった自分につかの間とはいえ栄華を味わせてくれた大恩人なわけだからな -
きっと太閤もあの世で息子を殺した家康に感謝してるだろう
-
棚ぼたって、秀次は
四国、九州、小田原、九戸で戦果を挙げてますし九戸で騙まし討ちした以外は
失点らしい失点はありませんってば
感謝というよりやっぱり恨みのほうが大きいと思いますけどね -
>>12
まぁ、コレだわな -
秀頼が産まれてしまった事が最大の誤算
-
まあ、せん滅するなら徹底的にすべきだったね。
秀次の最後の抵抗で、義弟の池田輝政と徳川家康が縁組するのを
許したり、江戸時代に鳥取池田家、岡山池田家が存在することを
許したのは、秀吉側の論外の失敗と言える。 -
秀吉鬼畜エピソード集
浅井万福丸を磔刑で殺す。
石川五右衛門を釜茹でで殺す。 -
完全に秀吉はどうかしてるわ。
全盛期ならもう少しやりようあったはずだが -
豊臣の根っこを切り倒してるんですがそれは
-
何でも斬ればいいってもんじゃないのに何故
って言われてるとこへ
何でも斬っただけだよと返す・・・ -
側室はそりゃ殺すだろ
罪は九族(九親等)まで及ぶとか言い出したとかなら、何でも斬りゃいいってもんじゃねえぞも解るが
側室は権妻として二親等扱い、斬って当然
なんでも斬る必要無いと言えばいいってもんじゃねえぞ馬鹿 -
本人が切腹してるんだから側室は殺す必要皆無やし
秀次が謀反の軍を挙げていたなら話は別だけど… -
むしろ大規模な連座こそが
事件の本質なんじゃないかね
現政権の秀吉側近と時代を担う秀次側近の
対立が背景にあるとすると秀次本人だけじゃなく
その側近、血縁に対する政争でもある訳で -
秀次の側室は39人もしくは41人いたと言われる。
家康でさえ生涯で19人。
あからさまに反秀吉派の大名を糾合して人質取ってたということ。
若政所のように助けられた側室や子女も多い。
おそらく親の謀叛への関与の軽重によるもの。
秀次の粛清は慶長の役の直前に行われた。
朝鮮に大軍が渡れば畿内はがら空き、尾張、伊勢から秀次が大軍を発すれば秀吉に抵抗する手段はない。
秀次が朝鮮への渡海を渋ったこと、黒田家の記録に官兵衛が秀次に朝鮮に渡海しなければあなたは全てを失うことになると忠告したが聞き入れなかったとある。
間違いなく謀叛の計画はあったのでしょう、伊達や最上に秀次が担がれただけかも知れませんが。
電撃的に謀反を鎮圧した秀吉はさすがですね、朝鮮出兵直前で伊達、最上に遠征する余力はなかったので人質をころして恫喝するに留めたのでしょう。 -
すみません、41ではなく42または43の説もあるとのこと、中には母と娘を側室にした例もあるとか。
まあ誰がどう考えても側室というより人質ですよね。
秀吉晩年の敵は家康ではなく秀次派ですね。 -
マジレスすると、
秀次の妻とかじゃなく単なる侍女すら殺したかった秀吉が無理矢理「側室」扱いにした結果だったりする。
秀次は関白なので侍女ですらかなりの家格が無いとなれないってだけ。
で、それらを皆殺しにしたから豊臣の人望は地に落ちた。 -
側室に人質的側面があることは否定しないが
殊更に秀次の側室にその側面を強調する
特殊性はないだろうし
反秀吉の〜というのはなお一層謎
具体的に何を持ってそうだと言えるのかね
そもそも関白として政権を担う以上
諸大名と誼を結ぶのは必然 -
秀次は28歳だし頭も弱い、重臣が謀反を主導して秀次が乗っかった形でしょ。
熊谷直之なんかが主犯じゃないのかな、事が露呈して止める暇もなく腹切ってるし。
後年、榊原家の家臣が直臣になりたくて御家の取り潰しに加担してるし、直臣と陪臣ではチャンスの機会も違うから家臣にとっては死活問題だったんでしょう。
これが家臣の連座が多かった理由だと思う。 -
秀秋「秀次は死んだ、今から俺がニューリーダーだ」
-
>>181
兄の末路を見てもまだ関白になりたかったのならアホというか図太いというか
創作では西軍の提示した関白就任で寝返るか迷ったことになってるが実際はそれが東軍に付く決定打だったりするのかもな
少なくとも稲葉や平岡は秀次の近臣の末路を知っているわけだし -
秀次は三好一路の長男で秀吉の姉ともの子供
秀秋は木下家定の5男で秀吉の妻おねの兄の子供
兄弟じゃないよ
馬丁上がりの三好系より一応は武士の木下系の方が多少はマシかな
秀吉が自分の身内にはロクなのいないと言ってるようにたいしたのはいない
豊臣親族大名を存続させなかった事が衰退の原因という人もいるがまともな後継者いないのだから仕方ない -
秀吉って本能寺の変の数ヶ月後部下に本能寺の変の資料を書かせてるよな
本能寺の変は秀吉が起こして直後に光秀殺して光秀のせいにした資料書かせた可能性あるよな
毛利は落とす寸前だったらしいし援軍呼ぶ必要なかったのに秀吉は苦戦してると嘘ついて信長を西に引っ張り出して来たわけだし
最近の研究では光秀は本能寺まで直接出陣してなかったのがはっきりしてるらしい -
光秀が本能寺攻めにいなかったってのは最近発見された『乙夜之書』っていう史料の話だな。
光秀が変の時に鳥羽にいたとか
あれは斎藤利宗(利三の息子)から聞いた話を書いたものだから
その記述が本当なら本能寺の変は光秀の単独犯ってことだろ
秀吉が協力していたなら利宗が言わない訳がない -
丹波新聞より
光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・
丹波市
12/2(日) 11:02配信
岡女の霊がまつられている厳島神社=兵庫県丹波市柏原町柏原で
本殿や拝殿が国指定文化財になっている兵庫県丹波市柏原町柏原の柏原八幡宮。その八幡宮の鳥居をくぐって、すぐ右側に厳島神社がたっている。この厳島神社には、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公で、戦国武将の明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられている。
織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった武将、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いた。
そんなある日の夕暮れ。丹波に構えた戦陣にいた光秀に向かって、流れ矢がうなりを立てて飛んできた。身をかわして難を逃れた光秀は、背後の木の幹に突き刺さった弓矢を引き抜き、険しい目つきで矢尻を凝視した。
そこには「土屋(はんや)」の印が入っていた。その印を見て、光秀の怒りが増した。
土屋三坂と名乗る矢匠をはじめ、その一族が捕らえられ、光秀の前に引き出された。三坂は、柏原八幡宮の近くに居を構えていた。
光秀は、三坂に言い放った。「わしは、土屋の矢が憎いのじゃ。わしを苦しめているこの矢がな。わからぬか」
すでに死を覚悟した三坂は、光秀の剣幕にひるむことはなく、堂々と言い返した。「とんとわからぬ。わしは丹波の矢匠ぞ。頼まれて矢を商うに何の遠慮があろうぞ。赤井方であろうと、明智方であろうと、戦あっての矢匠ぞ」
ふてぶてしい三坂の態度に光秀の怒りは頂点に達し、鬼と化した。「こやつらを、ことごとく火あぶりにいたせ」
まもなく火あぶりの刑が執行され、火焔が夜空を照らした。処刑された者は、三坂をはじめ一族ら9人。見苦しい最期をさらした者は誰一人としていなかったと言われている。
ただ、一族の中に火あぶりから逃れた者がいた。岡女という三坂の妹である。三坂らを捕えるために光秀の家臣たちが押しかけたとき、いち早く裏庭に逃げ出したのだ。
兄の最期を知った岡女は、兄の後を追い、自害しようと思ったが、自分のすべきことは兄たちの霊を慰めることだと思い直し、髪を下ろして仏門に入った。兄をしのび、供養の日々が続いた。
しかし、心に深手を負ったためか、ちょっとした風邪が命取りとなり、光秀を恨んだまま息を引き取った。
柏原の里人たちの間で幽霊の話が交わされるようになったのは、それから間もなくだった。兄の三坂らが火あぶりにされた沼池のほとりに美しい女の幽霊が出るという噂だ。
「昨日は、うめき声がもれていた」
「一昨日は、しくしく泣いていた」
のちに、心ある人たちによって沼池のほとりに小さな祠が建てられた。そのおかげか、幽霊の噂は途絶えた。
霊をまつっていた祠はやがて柏原八幡宮に移され、今は厳島神社となって戦国の悲劇を伝えているが、地元でもこの話を知る人はそう多くない。
(参考文献・榊賢夫氏著『丹波柏原・続篇』) -
秀吉は小田原征伐の時に、鎌倉の鶴岡八幡宮で頼朝像に語りかけたという
逸話があるけど、真偽は別として、親族粛清してしまって政権を簒奪され、
家系を絶やされる過ちは共通しているな。 -
政権そのものは自身の死後も粛清主導した
嫁の家族中心にしっかり続いた鎌倉幕府と
死後あっさり政権潰れた上全国の元家臣達から
攻め潰された豊臣政権て違いはあるがそうね -
アニメとか好きです。× アニメとかゲーム(とか)が好きです。〇
「とか」は難しい言葉で言うと並列助詞。
〇とか▽(とか)
のように例を二つあげなきゃだめだよ♪
一つしか例をあげないのに「とか」をつかったら、とかとか星人だよ♪ -
秀次殺害は秀頼なんかのためじゃなくて家康へのアシストだよ
家康ラブ過ぎだからあのスペシャル待遇だし -
丹波新聞より
光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・
丹波市
12/2(日) 11:02配信
岡女の霊がまつられている厳島神社=兵庫県丹波市柏原町柏原で
本殿や拝殿が国指定文化財になっている兵庫県丹波市柏原町柏原の柏原八幡宮。その八幡宮の鳥居をくぐって、すぐ右側に厳島神社がたっている。この厳島神社には、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公で、戦国武将の明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられている。
織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった武将、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いた。
そんなある日の夕暮れ。丹波に構えた戦陣にいた光秀に向かって、流れ矢がうなりを立てて飛んできた。身をかわして難を逃れた光秀は、背後の木の幹に突き刺さった弓矢を引き抜き、険しい目つきで矢尻を凝視した。
そこには「土屋(はんや)」の印が入っていた。その印を見て、光秀の怒りが増した。
土屋三坂と名乗る矢匠をはじめ、その一族が捕らえられ、光秀の前に引き出された。三坂は、柏原八幡宮の近くに居を構えていた。
光秀は、三坂に言い放った。「わしは、土屋の矢が憎いのじゃ。わしを苦しめているこの矢がな。わからぬか」
すでに死を覚悟した三坂は、光秀の剣幕にひるむことはなく、堂々と言い返した。「とんとわからぬ。わしは丹波の矢匠ぞ。頼まれて矢を商うに何の遠慮があろうぞ。赤井方であろうと、明智方であろうと、戦あっての矢匠ぞ」
ふてぶてしい三坂の態度に光秀の怒りは頂点に達し、鬼と化した。「こやつらを、ことごとく火あぶりにいたせ」
まもなく火あぶりの刑が執行され、火焔が夜空を照らした。処刑された者は、三坂をはじめ一族ら9人。見苦しい最期をさらした者は誰一人としていなかったと言われている。
ただ、一族の中に火あぶりから逃れた者がいた。岡女という三坂の妹である。三坂らを捕えるために光秀の家臣たちが押しかけたとき、いち早く裏庭に逃げ出したのだ。
兄の最期を知った岡女は、兄の後を追い、自害しようと思ったが、自分のすべきことは兄たちの霊を慰めることだと思い直し、髪を下ろして仏門に入った。兄をしのび、供養の日々が続いた。
しかし、心に深手を負ったためか、ちょっとした風邪が命取りとなり、光秀を恨んだまま息を引き取った。
柏原の里人たちの間で幽霊の話が交わされるようになったのは、それから間もなくだった。兄の三坂らが火あぶりにされた沼池のほとりに美しい女の幽霊が出るという噂だ。
「昨日は、うめき声がもれていた」
「一昨日は、しくしく泣いていた」
のちに、心ある人たちによって沼池のほとりに小さな祠が建てられた。そのおかげか、幽霊の噂は途絶えた。
霊をまつっていた祠はやがて柏原八幡宮に移され、今は厳島神社となって戦国の悲劇を伝えているが、地元でもこの話を知る人はそう多くない。
(参考文献・榊賢夫氏著『丹波柏原・続篇』) -
石田三成の長男をを許したり、秀頼の娘を助けた徳川家康は
秀次一族を根絶やしにした秀吉に比べるとかなり甘ちょろい男だな。 -
豊臣秀次でようつべを検索したら「秀次抗議の自殺、逆上した秀吉が秀次一族皆殺し」説ばかりで、お前ら大河ドラマに影響受けすぎと思ったwwwww
-
影響受けてるというより視聴数取れそうな所に群がってるというか…
マスゴミのゴシップネタと同じだな -
秀次事件で一番よろしく無いのは、これで豊臣家臣が真っ二つなのが…
前田・細川・浅野「秀次事件は三成の陰謀」
こうだからなぁ -
>>82
豊臣が態度軟化したら討てなくなるので
その待ち戦法は本当に殺したかったなら取れない
待ってる間に育った秀頼が当時の武家として
ごく当たり前の常識を身につけてしまうと
殺すことができなくなるわけだから -
>>98
前田利家「ロリコン死すべし慈悲はない」 -
自分が信雄を操って信孝を殺して織田政権を簒奪した経験があるから
豊臣一門が誰かに利用されて秀頼に仇なす可能性を排除したのかな?
おそらく鶴松も秀頼も秀吉の実子ではないと思うけど
鶴松が死んで憂さ晴らしのために朝鮮出兵したぐらいだから
秀頼が生まれたときは本当にうれしかったんだろうね。
自分の血筋を貴種であると死後も尊重されると思ってたのかね?
いわゆる五大老のことを律儀律儀と言ってたから、みんな盛り立てて
くれると思ってたんだろうか?領地も武力も放棄して、位だけ高い
世間から超然とした天皇みたいになる方向しか思いつかないな。 -
秀吉は自ら関白となり、また、後陽成天皇の面前で諸侯に忠誠を誓わせ、その儀式のために聚楽第まで作っている
その張本人の秀吉が、現職の関白秀次に死を命じている。しかも晒し首にしている
これは秀吉自身が依拠した律令制の権威を自らぶちこわすものである -
テスト
-
秀吉は豊臣家が公家の最高位だから潰されることは無いと思ったのよ
甘い見立て -
秀吉は信長からもらった養子も自分が殺しちゃったのかな?やっぱり?
-
秀吉は源氏の滅亡の話を知らなかったのか
秀頼=源頼家
家康=北条時政 -
秀吉の境遇だったらどう考えても応仁の乱の方が刺さる
-
要は自分の息子可愛さでやったことだから最初から秀頼を後継にするのを諦めていれば
-
秀吉が秀頼に跡を継がせるのを断念したって
(秀吉死後の)秀頼の身の安全は保障されないけどね
そうやって秀頼の身を案じていろいろ考える内に
なぜ自分が秀次にそこまでへりくだらなければならないのかってなったらアウト -
結局秀頼が生まれたことが全ての元凶だったって話になる
-
秀次の切腹は、秀吉の命令じゃなくて諌死だったんじゃないかな。
ボケ老人は若者に説教されて図星だとブチ切れるもんよ。
んで本人死んでるから怒りのぶつけ場所がなく八つ当たりで妻子皆殺しと。 -
どうみても権力者に跡取りの実子が生まれたのに血縁てことでその座に置かれた跡取りの座にしがみついた秀次の自業自得だわ
わきまえて補佐の座に回るか中継ぎって自覚すりゃいいのに、アホの逸話が示すように肝心な所でも無理に頑張りすぎた -
秀吉が馬鹿で秀次がアホなお陰で日本史オールタイム無能最有力候補の秀頼じゃなくて家康が天下人になれた
ありがとう江戸時代はいい時代だと思うよ -
REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 -
>>210
250年も鎖国したせいで日本が近代化の波から取り残されたじゃねーかよ -
秀次を殺して結果的に豊臣まで息の根止めた訳だが、結果論的にはそれで良かった
-
鎖国をしなくても日本は遅れてたと思うよ
産業革命など社会構造の改革が出来るわけがない
いいところで数十年早く黒船を買うぐらいだろ -
豊臣政権がグダグダ続いてたら今頃は北海道はロシア領で、小笠原諸島はアメリカ領、沖縄は欧州のどこかの国か中国の領土だったかもな
-
>>215
まぁな
「十字架で(原住民の)魂の征服」と言われていたようにキリスト教(カトリック教徒)が旧教国の侵略の尖兵になってたのは事実だし
家康もスペイン・ポルトガルお断り、イギリス・オランダ歓迎というスタンスだったし
イギリスはアンボイナ事件以降は東アジア貿易から撤退するし、どの政権でもそんなに変わらないはず -
>>217
「一番弱'い国とだけ付き合っていれば乗っ取られる事もない」
と江戸幕府は考えてオランダを選んだワケだからな。
ウィリアムスアダムズが家康の元に来た時は家康はまだ
イギリスの強大さを知らなかったからイギリスとも
国交を結んだが、家康死後に幕府がイギリスの強大さを
知ったのもイギリスとの国交断絶の大きな要因だった。 -
秀吉が家康より秀次を危険視するのは当たり前
だって甥とはいえ自分と同じ血が流れてるんだぜ
若い頃の自分なら何をするかと考えたら自分の血縁に秀頼を託せる訳がない
同様に自分が織田にしてきた事を全肯定してついてきた恩顧達も信用できない
だから身内より徳川前田毛利上杉みたいな外様の方がまだマシと頼る羽目になってしまった -
>甥とはいえ自分と同じ血が流れてるんだぜ
自分のライバルになりうる同母弟より、
僕は庶子ですとか、僕は傍系です家督なんてとんでもないと
分をわきまえる異母弟や従弟をかわいがるようなもんか -
そりゃ秀次の血縁者が秀頼を裏切ると思ったからだよな
-
俺が秀次だったら秀吉が死んだ瞬間に秀頼を始末するわな
誰だってそうする -
天下統一した始皇帝の秦も死後あっけなく滅んで漢に奪われた。秀吉と家康の関係によく似てる。
-
徳川家康は理由をでっち上げて虐殺するからな
-
秀次排除せずに秀頼が元服したら関白譲るみたいな約束して秀吉死んだら
秀頼は殺されるか良くて出家だったのは想像に難くない
その代わり豊臣政権は100年くらいは続いて家康は一地方大名で終了 -
秀次の遺族が将来秀頼に復讐するのを防ぐため
-
駒姫は遺族じゃないし
-
秀次や側室の皆殺しも家康が重大な理由を書いた資料なんかを消去して隠してそうだよな
秀吉の悪評操作のためか、最悪家康自身が絡んだ事件だったからか -
結構な数の大名が秀次と誼を通じていたのだから家康一人で何かを隠蔽するだの出来ないのでは
-
そう考えたら家康は汚いな
-
こち亀の両津曰く卑怯汚いは敗者のたわごと
-
両津に言われても
-
>>229
江戸時代に何代も秀次の嘘くさい悪事を描いた資料を書かせたり豊臣家の不評たくさんばら撒いてたから -
秀次の切腹令なんてそもそも出されていないのに江戸時代の資料で秀次は切腹令にて自害とデタラメを書かれてる
おまけに切腹令を出したのは関ヶ原で家康と敵対した西軍の大将石田三成になってる -
>>98
秀吉が外に女は作るな、正式に側室として迎えろ、って秀次に言ってたんじゃなかったっけ -
勘繰りだけでは話が進まんよ
-
現代だと本能寺の変秀吉黒幕説がよくあるけど意外と江戸時代にそういう話は出回ってないんだな
-
>>239
早々に三河に戻ってきてるのにグズグズして光秀を討たなかったのは怪しいね -
本能寺の変の前日まで不自然に本能寺の近くで滞在し当日なぜか同行予定だった信忠を置いて早朝急いで堺に移動している家康
怪しい -
後に同じ場所で秀吉の孫が処刑
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