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戦国時代
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徳川家康の躍進ぶりって見事だったよな
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豊臣政権で大大名に成長して関ヶ原で勝って天下を治めて豊臣家を滅ぼすまでの過程ってほんと見事だったよな
遅咲きではあるけどこの人はやっぱり偉大だよ
俺は尊敬してる - コメントを投稿する
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>>357
氏真次第だけど、親父がしっかり勢力拡大させた後でもぜんぶダメにしそうな気配があるよな -
家康は氏真と幼なじみのはずだから氏真の行動パターンとか性格は知り尽くしてたと思う。家康は外野から今川を思うように操ってた可能性があると思われ。例えば信長に恭順するのを家康が妨害してできなくするとか北条と手を組むように誘導するとか。
桶狭間後の今川の没落は氏真本人の無能さより家康によって誘導されてたのではなかろうか。 -
265年続く徳川の世をつくったのだから評価されてしかるべし
大きな内乱も島原以降幕末までないわけでそれなりにだれもが恩恵を享受できた時代だ -
父祖の地の三河遠江、駿河から関八州の田舎に移され運が開けたと祝うていた。
少し手を入れれば三百万石に、家康の統治なら、四百万石にもしてみせると意気込んで移っていた -
>>360
武田信玄の突然死も本能寺の変も全部家康の陰謀だろ。 -
そこまで堅く言うなら出典を出して頼むから
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信玄に関しては死にそうになってたから徳川領を取りに行って滅ぼそうとしたと認識してる
間に合わなかったから勝頼はあっさり死んだ -
>>365
タイミング的に三方ヶ原で徳川と接触した直後に死んでるから、家康の放った隠密によって始末されたとしか考えられない。 -
徳川無双史観では本能寺の変も家康が信長と明智と接触した直後に起きてるから徳川によって仕組まれたと考えられる。
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当然だが秀吉の死も秀長や利休の死も徳川が関わってる
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当然だが俺が無職なのも徳川が関わってる
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徳川にとって都合の良い死が多すぎるとは思わないか?
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加藤清正の毒饅頭とか武田の毒とかマジだとしたら時間かけて死ぬ毒の開発でもしたのか
そういえば自作の薬草飲んでるとか言ってたな
穴山梅雪もやばすぎる死に方してたな -
>>372
女のスパイでも送り込んで長期的に怪しまれないようにやったんじゃないかな -
肯定否定証明のしようもないから邪推勘ぐり言いたい放題
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歴史好きにはムカつく推論ばかり
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本能寺の変は間違いなく家康は絡んでると思うんだよ
変の日の前後の家康の行動が不審すぎるから
その時元々外様の穴山梅雪までなぜか変な単独行動させて死んでる
関ヶ原の合戦とかでも小早川を筆頭に散々変な内通ばっかりしてるおっさんだし毒殺も疑われて仕方ない
問題は数ヶ月かけて死ぬ毒とかあるのかどうか -
>>376
明智と示し合わせてた説があるな -
江戸時代は数年に一度の割合で凶作の年があったことが、歴史文献から分かる。
そして、中でも宝暦(1750頃)、天明(1780頃)、天保(1830頃)の飢饉はとても悲惨で、仙台藩の『三大飢饉』として語り継がれてきました。
胆江地区でも、「牛馬の肉を食するのはふつうで、人肉を食する者さえあり、老母の死体を五百文で売買し、嬰児を食う母親もあり…(胆沢町史より)」や「…幼き者の手を取り、老いたる親か母かとおぼしき者連れ立ち、さまよい行く姿、哀れなり。道具、身のまといの物一つ一つを売りて次第に食い果たし、ついには、ここかしこに倒れ伏し、飢えて死するこそ哀れなり。(天明三年・衣川村馬懸鈴木家所蔵文書/胆沢町史より)」といった記録が残されている。
飢饉も多く餓死も多かったからな。 -
豊臣の政権が続いていれば日本は明るく外交的で豊かな国になっていた
家康気質が今の日本にさせた -
お前の性格は誰がトップでも変わらんやろ
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江戸時代はあいにく小氷期で米作りには条件が厳しかったからなあ
そもそも南方作物で寒冷気候の奥羽地方では危険なコメを神聖視し稲作を強制したのは徳川ではなく
古代の朝廷なんだから飢饉の根本的な責任はそういう国体を押しつけた朝廷にあるのでは
稲作モノカルチャーにならず狩猟採集に牧畜を加えこれまた朝廷が押しつけた肉食禁忌がなければ
奥羽は西日本とは違った豊かさを持った地域になっていたことだろう -
>>379
秀頼の明るいエピソードを3つくらい教えてくれ -
しかも江戸時代は米本位制だから飢饉の度にインフレが起きて大変だったそうな
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そもそも戦国時代末期から銭不足でインフレしまくりだろ
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きっと家康が海外貿易推進派だった事も知らない
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>>382
小田原征伐で全大名を支配下に置いた天下泰平
刀狩りと惣無事令による国内安定
度量衡の統一による不平等の是正
茶の湯はじめ日本の伝統文化の保護
数えだしたらきりがないけど最初に全国統一をした戦国大名としては功績は数え切れない -
しまった全部秀吉の功績だったw
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敢えてギャグで返したと思った
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美化された江戸時代だが、江戸の小塚原刑場は20万人以上の罪人の死刑が執行されたという。
鈴ヶ森刑場は10万人から20万人もの罪人が処刑されたと言われている。
伝馬町牢屋敷の獄死者は死罪の3倍超え。
拷問して自白させればいいので、無実の人も多く含まれていました。
江戸時代の冤罪率を試算した数値があるが、処刑された人のうち冤罪は40%だそうです。
真犯人の処刑ならいいが、無実なのに拷問で無理やり犯人に仕立てられた人達は無念だったろう。 -
チラッと見たただけでも同時代のヨーロッパではあちこちで絶え間無い戦争
魔女狩りやらフランス革命に伴う恐怖政治やらで理不尽に殺された人々もさぞや無念だったことだろう
人権思想も犯罪捜査も司法も日本同様未成熟だから
冤罪で無実なのに処刑された人もヨーロッパ全体でどれだけいたことやら
江戸時代をユートピア視するなんて「豊臣の政権が続いていれば云々」の豊臣信者みたいなことはしないが
世界史的な横軸と日本史的な縦軸で見ればことさら暗黒視するほどのものでもない -
秀吉延命でなく関ヶ原が起こらず秀頼・淀体制の豊臣政権が続いた場合はどうなっていたか。
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家康がさほど力を伸ばせなかった場合
豊臣は配下の大名をまとめきれず
どこかで私戦が続くんじゃないかな
家康でなくとも他の誰かが実権を奪うか -
だよな豊臣政権が続くためには秀吉が親族を固めておく必要があった。秀吉絶命時に秀長や秀次が存命で十分跡継ぎが居たら変わってたかもしれないが。
その点やはり家が強くて側室も含めて子孫が数え切れないくらい居た家康の生物的な強さには敵わない。 -
家康の躍進ぶりを支えてた大元は健康オタクであったこと
昔、なんかのテレビでやってた記憶があるけど
薬好きの家康が飲んでた薬のレシピの再現して
実際に作ってみた、ってやってた
大塚製薬かDHCでサプリメントにして出してくんないかな
家康サプリ飲んだらニートの俺も会社経営者になれそう・・な気がする -
その表現を借りれば健康オタクだったので鯛の天ぷらにあたった時に医師の治療を拒否しなかったっけ
当時にしてみればかなりの長寿だったとは思うけど
子沢山の方が徳川の覇権に貢献したと思うな -
何だかんだで武将の強さ=性欲の強さなんだろうな
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何しろ松平3代信光が48人も子供作っちゃうほどの多産家系
信光から家康まででも100年の歴史と蓄積があるし家としての総合力はハンパない -
そりゃちょっとやそっとじゃ敵わねーな
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子沢山の系譜を引き継いだ息子は水戸頼房だけ秀忠は微妙
早くに亡くなった割には越前秀康も頑張った
もっと後の子孫では家斉と家慶、慶喜、水戸斉昭。尾張綱誠は微妙
田安にもいたな -
精力は女側の遺伝ももちろんあるだろうから子沢山な家系の側室を選んだりしたら多産傾向を維持できたかもしれないがどこの馬の骨ともわからん小娘の子が将軍とか御三家になってしまったらなかなか難しいだろうな。
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>>400
早逝や認められていない子も含めると秀忠は9人作ってるぞ -
豊臣嫁、前田嫁、越前松平嫁、京極嫁、後水尾帝嫁
家光、忠長、保科正之
早世 -
徳川家の子は子供の頃にほとんど死んだからたくさん産むしかなかったんだよ
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>>404
まあでもそれができる家系とそうじゃない家系があるからな。 -
家康はピチピチギャルより出産経験がある女性を選んでたと言われてるから
子孫を残すと言う性欲さえも超越した
執念のようなものさえ感じる
「こんなおばさんじゃ立つものも立たねーよ」
とか思いながら子孫を残すために嫌々セックスしてたんだろうな
逆にそこに家康の凄さを感じる -
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