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哲学
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ソクラテスやプラトン、ルソーの主張って
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UPLIFTで広告なしで体験しましょう!快適な閲覧ライフをお約束します!
脳を「原始状態に初期化せよ」ということなのか? - コメントを投稿する
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托鉢
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なんすか托鉢って・・・・。
保守みたいなものですか?
まあ、DAT落ちしそうな感じですが、、、 -
philosophy 福田 engineering
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test
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ピャーノナ
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金払ったUPLIFTが切れたけど書き込めた
すべて課金されるってことではないんだな -
哲学というのは、常識に疑問?を持つということでもある
つまり、常識といわれているものは、単に基本ソフト(OS等)のインストールでしかないということを知ることでもある
金だって法律や国家だって人間が存在して、共通の観念があって初めて成り立つだけのものにすぎない。
人が居なくなり、観念が無くなってしまえば、紙幣はただの紙切れになり、法律は戯言となり国家はただの無法者の権力争いの戦国の荒野に戻るだけ。
そういう脳を初期化させる可能性の自覚を促すということがどれだけ危険なことかはソクラテスやらルソーのやったことを見れば分かる。
「無知の知」やら「自然に還れ」だのいったことも時代の転換期には必要な原始帰還の思想であったのだ。 -
俺は掲示板の利用で課金システムというのはどうにも納得がいかない
なんでわざわざネタを拾ってきたり、盛り上げよとしている利用者がわざわざ外国人のサーバ屋ごときの事情の理屈に金を払うんだよ(笑
宗教のお布施か、上納金かよっ
ってな感じしちゃうわ
それこそ嫌儲なんか自分たちの書き込みをネタに金を稼ぐことに憤慨していたのに、今じゃまるまる利用されている始末。
unix閉鎖騒動のときの救済の茶番劇もそうだが
やっぱアホなやつはとことんアホなんだなと思わざる得ないわ。 -
要するに、運営費の捻出のために煩わしい広告を出しているのだから、それが嫌なら
協力して運営のために金出せよという理屈なんだろうがな
哲学的にいうと「労働価値説」みたいな考えなのかね。なんか共産主義っぽいな
金を請求するのは、サービスにそれだけの労働コストがかかっているからなんだよ、みたいな一方的な運営事情側の理屈。
けっして屁理屈とは言わんが、市場が自由競争なら通らん理屈だろ、それって
スレッドフロート掲示板の利用者を独占する5ちゃんねる寡占状態ならではだ。 -
5ちゃんねるの課金システム「UPLIFT」とかいうやつ
金払って「広告なしで体験しましょう」って、よくよく考えるとわけわからん理屈よな
閲覧しずらくして、金を出させるってか -
プラトンがどこでそんなこと言ってたよ
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>>15
なんていう著作でいってた?『パイドン』か? -
本当の哲学を教えてやる
俺が哲学史を知る限り、本当の哲学をやっていたのはルソーだけだ
哲学とは?なんだよ
どこまでも極限して?を追求する
ルソーはこう言い放った。
ある人は「物質などは存在しない。あるのは人間の観念だけだ」と言い、ある人は、「この世に存在するのは物質だけだ。神など存在しない。宇宙があるだけだ」と言います。またある人は「善も悪も存在しない。そんなものは妄想だ」と言い、
またある人は「人間は元々は互いに喰らいあっても平気な狼のような存在だ」と言うのです
学者とはかくも立派な連中なのです
ルソーは人それぞれに考え方が違う必然性を指摘した
なんで貴方と私の考えって違うのだろうね?となることの必然性を。
プラトンは天を指し、アリストテレスは地を指した
そこで?を発動させれば、なんでプラトンとアリストテレスの考えは違うのだろうね?となる
そこまで?を発動させて本当の哲学だ -
ルソーから近代以降に多大な影響を受けている思想家の一人のマルクスはこう言い放った。
哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。
重要なことは世界を変えることである。
文献学ばかりをしていても何も変わらんからな -
俺はWEBシステムを考案して運用することで世の中を変える
いまどき論文で言葉で言論を訴えたところで何も変わらんからな
言葉が唯一の力を持っていたような時代はもう終わっている。
いまや誰でも言葉で様々な思想を主張しあう世の中。
この5ちゃんねるという掲示板もただの言葉の塊にすぎない。
これでは世の中は変わらない。 -
根源的な哲学的思考をしたのは釈迦だ。
後の人々が宗教にしてまったのが惜しまれる。
ソクラテス、プラトン、孔子なども、後の扱いによっちゃ、
宗教になってしまったかも知れない。
今、必要なのは「釈迦を宗教から救え!」だ。 -
>>21
もちろん知っている。ってか、愛読してると言ってもいい。
オレの印象は、ダンマパダは道徳的、倫理的な感じがする。
真の経典などない、というのがオレの考え。
ノイズにまみれた諸経典から、釈迦の言葉を捜している。 -
龍樹は釈迦に反したことを言ったか?
オレは言っていないと考える。
ただし、大乗仏教には、反している経典やら言説が多い。 -
げんろんきせいちゅう
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ところで、陰陽道では、空から降ってくる鳥の糞である「し(屎/矢)」は、「しる(著)き」("significant/remarkable") 「しるし(標)」/《signe》とされるようだ。
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龍樹が説いた「空」やら「般若心経」というのはプラトンが説いたイデア論と似ている。
色即是空、この世は偽であり、真善美は彼岸にあり、この世の現象はイデアの模造であると主張する。
プラトンのイデア論思想は後にキリスト教を生み出していくのであるが、これに思想の反旗を
出したのがアンチプラトン、アンチキリストのニーチェ。観念ではなく肉体と力への意志、
普遍的な本質よりも現実の存在を重視させる思想。自灯明、法灯明の「自らを拠り所にし、法を拠り所にしなさい」
と説く原始仏教はどちらかといえばニーチェの思想に近いのは皮肉な話なのだ。
※ところで「他所でやってください」規制が入るのでもう書き込めんかもしれん。 -
けっきょくUPLIFTで金を払わないと書けないというのもね(笑
まあ、金は大事だよ
無料でこんなサイト運営をやってられんものな -
釈迦という人は龍樹の説いた「空」の概念はまったく言ってない。
それが反するかどうかは知らんし、わからんね。
釈迦はどうすれば「生の苦」を脱することを考え続けたらしいが、途中でそれを放棄した。
「あるがまま」でいいじゃんとね。
龍樹は考え続けたのだろうね。おそらく。 -
仏教というのは釈迦ではなく必然的に宗教へと体系化の発展をさせた大作家の龍樹の思想なのだと思うね。
学のない大工職人のイエスの直弟子でもない大作家のパウロが自己流に伝播させたようにな。
学のない彫刻職人のソクラテスと大作家のプラトンの関係もいっしょ。
そんなものだ。人の関係って。 -
龍樹無しのテーラワーダは、今でも厳然と生きているどころか、
大乗仏教より活気があるかも知れない。
もし龍樹が釈迦と同時代に生きていたら、龍樹は釈迦の弟子となったろう。
智慧第一と言われたサーリープッタと親友になったか、論敵になったか?
龍樹は釈迦に「オマエは言葉が多過ぎる」と言われたかも知れない。 -
頭を真っ白くさせることって時代の転換点では必要なんだろうね。
だから「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」とまで言われるのだろうと俺は解釈する。
まさにホワイトヘッドなわけだ(笑 -
アリストテレスの言葉ではないが
なんでも、ほどほどだわな
極端に性善説とか性悪説だとか、観念論だとか唯物論だとかな
そういう思想のせめぎ合いで世の中は回っているだけだし
うまく調和するためにはどうすればいいかという実践的な話でいえば
ルソーは社会契約論で近代化の道筋を開いた。
どうしようもない破廉恥な性癖をもつ、決して褒められない人格の人間なんだけど
偉大な業績なのだ。 -
俺個人はなにを言いたいのかといえば
頭を真っ白くさせて心を解放してあげるのもメンタルに良いというところかな
いまの世の中、観念ばかりが先に立って窮屈だからな
金、学歴、身分。一方的な価値観のなかでの優越感の競争やら劣等感で縛られる。
閉塞した世のなかを変えようとするなら
いっぺん世の中の常識に囚われないことが必要じゃないかなというところ。
学歴や金も身分もないが地頭の良いソクラテスやルソーはそれを説いたんじゃないかね。
心を腐らせるなと。 -
釈迦みたいに出世間すればいい。みんな捨てて。
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俺がダンマパダで感銘を受けた言葉
大道に棄てられた塵芥の山堆の中から香しく麗しい蓮華が生ずるように
寺に篭ってただひたすら経文を読んだり、山奥に篭って苦行しているだけが修行じゃない。
煩悩に塗れた俗世間に生きることも修行のひとつだと俺は思うがね。 -
どうせまた規制だろう
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生きるとは、みづから(身づ柄/自ら)に寄生する(»bewohnen«)ことができるように「やさしさ(認性⇔忍性/任性)≒"capacity of forbearance"」を保ちつづけることである。
To be is to beget as forbearing and to forbear as begetting. -
いに(≒「消え入り」)・し(是)・へ(辺)⇔古(いにしへ)
いま(今)・し(是)・がた(方)
いつ・し(是)・か -
まじで俺はスレッドフロート掲示板の時代を終わらせようと思っている。これが俺の哲学活動であり、思想だ。
といってももうXに利用者を移行してしまって、ネットのアングラ文化なるものは終焉に向かっているけどな -
ルソーの「学問芸術論」はなぜ当時のアカデミーで一等入選するほど認められたのか?
懸賞論文のお題の「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したか」にルソーはあえて逆張りのつもりで学問・芸術によって実際には社会が腐敗・堕落させられていることを指摘・批判した。
といっても、内容をよく読めばわかるがルソーはけっして学問・芸術自体を否定しているわけではない。
みんながみんな学問や芸術の一律とした価値観や序列に習うような悪弊を正しているだけだ。
幾何学ができないやつは大学の門をくぐるなと言ったプラトンの思想に似通ったものでもある。
凡人がへたに学や芸をかじっても心が腐るだけだと言っている。
これはまあアカデミーの連中には受け入れられやすい主張ともいえなくもない。
ただ、世の中の啓発を一般大衆にまで主張する一派からは非難されることではあるとは思う。
無神論のヴォルテールや他の思想家からは非難されたしな。
バカはへたに学つけても心が腐るだけだしさ、知能ある人や神に身をゆだねて己の分を弁えて自然に生きていけば良いよ
みたいな思想は確かに非難される要素はありすぎるぐらいある。 -
ルソーから影響を受けている思想家、政治家というのは後世、ろくなことをしてない人が多いのよねえ。
英米派から非難されるのも当然だわ。 -
規制中
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テスト
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私書箱付き掲示板の宣伝に参りました。
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>>30
空もまた空なり。これ般若波羅蜜なり。 -
在るものは在る、無いものは無い。
だな。
俺の答えは。
「空」というのは在るものが「空」になっているだけで、在るのだ。
色即是空、空即是色。
無いものから有はないわけだから、「無い」ように観えているだけで「在る」のだ。
我思うゆえに我ありだ。
空も無も変化への一つの過程だ。 -
「空」とは「何も無い」ではない。
「およそ除去できるものを、すべて除去した後のもの」だ。
だから何かが在っても、それが除去できないなら「空」だ。 -
では、その「空」に残っているものは何だろう?
実は、様々なものが残っているのだ。除去はできないが。 -
だから空を体験したい者は、まずは除去する作業だ。
除去、すなわち捨てること。捨ててこそ。
しかし、人は死ぬ気になって捨てようとしても、
捨てきれないものが残る。
空の体験が稀有な理由だ。 -
大層なことを言っているように聞こえるが
単に脳を初期化させる方法の一つだと思うだけだけどね。
人は記憶に苦しめられるわけだ。囚われる。これを初期化することで楽になれる方法論なんだと思う。ものは捉えよう、考えようで心の救いにもなる。死期を悟ったガン患者が死の恐怖から心を楽にするために般若心経を写経したりする。
「現世は偽であの世が真実だから此岸から彼岸へ逝こう」なんて救いの言葉になるわけだ。
宗教というのは教化する前に信者にしようとする人間を先ず脳を初期化させることが必要とするわけだ。
教義をインストールしてそのソフトをアンインストールさせることをOSにさせなくする作業みたいなものだな。 -
ということでまだまだ現世も捨てたもんじゃないよっと俺の自作のSNSの宣伝をさせていただく。
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一人で篭って「空虚」だのなんだの言うよりネットの向こうの友人の「存在」を確かめよう -
test
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エロ広告を弾くブラウザだと書き込めんかったが
ふつうにエッジだと書き込めたか、、、、 -
空を体験することと、脳の初期化は全く異なる行為。
初期化したら、またぞろ同じ経験をする羽目になる。
空の体験は、それまでのことを前提にした上での体験
だから、二度と前の状態には戻らない。
他の宗教は知らんが、少なくとも釈迦の言ってることは、
如実知見、つまり確実なことのみを前提とした理解だ。 -
つうか、なんで釈迦の話になってんの、、、
プラトンやルソー等の西洋哲学のスレなんだが -
test
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教育の中味の刷新というのはいつの時代も転換期には必然としてある。
戦前の日本と戦後の日本のように。
新世代が伸び伸びと自分たちが主役の時代を築いていくには
脳にインストールするソフトもバージョンアップを図っていかなければならない -
世直しを輩は必ず「教育の刷新」を言う。
しかし、彼らの意図する「教育」とは、実際には「洗脳」である。 -
ただ、まあプラトンの思想が何故ここまで脈々と延々と受け継がれているパイオニアになっているのかと言えば
とにかく頭を真っ白くするところから始めましょうというところじゃないかな。
ソクラテスという人が実際にどんな説法をして当時のアテナイを騒がせたか真実を知る由はない。
プラトンの著作の演者であったにすぎないわけで。
なんとなく個人的に思ったのが、いくら2千年前で日本の裏側のギリシアであったことといっても
人間のやることなんてたいして変わらんと思ったりすると
彫刻家だったソクラテスという御仁のやったことってもしかして「だから何?」「知らねーよ」「関係ない」という
不良のセリフのお決まりパターンを大っぴらに堂々とやらかした老人だったということじゃないのかあ。
これって現場の技能は無能なよくしゃべる職人ほどよくやるんだわ。マイナスの抗弁というやつ。
無知の知なんて後世語り継がれいるけどな(笑
これは大作家のプラトンの筆力によるだけのものじゃないのかねえ。
俺はそんなふうに思ってしまうのだけど。 -
真の言説を過去に求めるものと、未来に求めるものがいる。
→真の言説は、ギリシャの哲人、釈迦、キリスト・・・等で
既に説かれている。今の人々はそれを理解することだ・・・、と。
→真の言説は、未だ説かれていない。真理は新たに発見されねばならない・・、と。
どちらも正しくない。 -
>>63
おたくの言っていることと同じようなことを言っていた20世紀の思想家がいるよ
マルクスだ
「真理の解釈」をしてるだけじゃないかと。
でもけっきょくそのマルクスの経済予言書の言説も過去の遺物になってるがな -
>>64
オレの言説となんの関係もないがな -
私なんかは
「すべて正しい」と思いますもの
自分の意見も他人の意見もひとつの違う正しい意見であって
他人を正しくないなんて言いませんから -
全てが正しいことは、ありそうもない。真理は厳しい。
だから、全てが間違っていることは、案外にあるかも。
他人は正しいかもしれないし、正しくないかも知れない。
つまらん議論は退屈。 -
>>68
退屈でいいじゃないの平和でのんびりしてな
みんな違ってみんな正しい
素晴らしいじゃないのよ
人を攻撃したり否定する必要のある正しさなんてないのよ
ということで私の平和的な繋がりを持てる出会い系サイトの宣伝です。
よろしこ。
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「頭を真っ白くしちまいな」というも極論、暴論だとは思う
ただ画一的な価値観に囚われることで、自由な知能の営みが阻害されていると感じるのなら
すべてを真っ白くと言わないまでも無駄な記憶は消去する術をあるべき。
そういう意味で自分の心底の善性を見つめ、掘り出すということが大事だ。 -
坊主は頭を白くできない
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なにも座禅したり、滝に打たれたり、お遍路するとか
そういうことではないと思うのよねえ
自分に正直に生きるということです
世の中はこれを濁すことに溢れている
自由な発言ってなんだろう?
みんな我ここにありと主張するよね
でも本当の自由な発言って言葉それ自体に価値があるのではなく、
自己表現のためでもなく、他人と真に繋がるための自由な発言ってあるんじゃないだろうか?
ただ相手と繋がりたいだけにある自由
必要なのは自分を飾らない誠実さだけです
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白頭の坊主はいない
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ゲスの勘ぐりは、当のゲス野郎を滅ぼす。
己の発言が己を突き刺すのだ。
いわゆる「不妄言戒」。 -
レッツコネクション
みな自由に繋がりながら咲き誇ろう
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ソクラテスの言いたかった事は知らない事は知らないと素直に認めると言う事だろう。
それはつまり人には不可知があると言う事を認めると言う事。それは謙虚と信仰に繋がる。
人は知らなくて良い事を知る必要はないし、知らない事を知ったかぶってはならないと言う事。
それがソクラテスが自らの師とも言える人物から学んだ事なのだろう。
プラトンがそれをどこまで理解していたのかは謎である。彼はソクラテスの死後、現実逃避していたような気がある。
むしろアリストテレスの方がソクラテスを理解していたのかもしれない。
だからこそ彼は理性的に理解の限界を探ったのだろう。 -
>>77
一般的によく言われている「無知の知」の定説だよね
はっきりしたことは誰にもわからんけどな
クセノフォンの本の「ソクラテスの思い出」はどんなものだったのか俺は読んでないから知らんのだけど。
実際ははこちらのほうが人物像として近いらしいが。
でもこれだけははっきりといえるけど、プラトンの著作に書かれている問答は実録でもなく、すべてプラトンの創作だからねえ。
プラトンの思想を伝え広めるただの演者の役割がソクラテスの「無知の知」じゃないのかなあ。
そんで後世、ソクラテスという人物が伝え広まるようになったのもプラトンの思想によるものじゃないかなあ。
とまあ、これも俺の勝手なイメージだけどな。 -
無知の知の基盤はソクラテスより古い、ゆえにプラトンが思いついたわけでない。(もちろんソクラテスでもない)
それにプラトンもソクラテスについて全くの出鱈目を書いた訳ではないだろう。(問答に脚色があったとしても)
説得力のある嘘には何割かの真実が必要だし、ソクラテスが死刑になったのは事実なわけだから。
ソクラテスは思想家でも哲学者でもない、古きよき(変わり者の)アテネ人と言える。
プラトンによってソクラテスが利用された側面はあるだろう、しかしそれによって無知の知の本質が揺らぐ事は無い。 -
これは俺のきわめて個人的な憶測なんだけどさ
ソクラテスというのは聖人でもなんでもなく、ただの変人でさ、(イエスもただのイディオットなんて言われているが)
「そんなの知らねえよ」「だから何?」みたいな反逆の抗弁をしただけの人だったんじゃないかなというね。
それをプラトンやパウロが脚色したみたいな。それはおいといても、「無知の知」を謙虚だとか不可知とか捉えていうのはどうかと俺は思うね。単に「そんなの知らねえほうが賢いよ」という体制側の支配体系から抜け出る抗弁のひとつなんじゃないかね。つまり、そんなことは知らねえ方が賢いよというのはアウトローやアンダーグランドとして一理あるということよ。まあ、あんたにそれがわかるかどうかわからんがね。 -
残念ながらソクラテスは不良でも反骨精神の人でもなく旧体制側(つまりは保守派)の人だ。
むしろ多くの人が知について(あるは他の事にも)貪欲になって来たからこそ、謙虚さや不可知を広めようとした。
これは物事をより深く考えたからこそ辿りつく答えと言える。
主観的にしか考えられないと物事の本質を見失う事になる。 -
不可知論ってよくわからんわ。
主観ってすごく大事やん。
それはもちろん哲学の「本質とは?」みたいなとこがら外れるけどな
アンチ哲学の木田元みたいな意見かもしれんけど、
俺は「実存は本質に先立つ」というところに結をみてしまっているからねえ
ルソーもそう
極めて冷静に本質を見つめながら、じゃあどうすればいいと回答している。
体制の観念に囚われることなく、本音で繋がればいいんじゃね?とな
だからフランス革命の導火線になるような思想になったのだろうね -
主観思考がダメなのではなく主観でしか考えられないのが問題だ。
結局人は実存だけでも本質だけでも生きられない。
しかし人にはそれぞれ領分や役割がある、知り過ぎてはいけないし、知らなければならない事を知らない事も罪だ。
それにフランス革命にした所で結局体制からは抜け出せなかった。社会を営む以上、体制は必要と言える。
本音だけでは回らない事もあるし、嘘が必要な時もある。
左や右のようにどちらかに偏れば歪みが生じる。
大事なのはバランスを取る事だ。 -
まあ、知らんでいいことが多すぎだわな、昨今の世の中は。その真贋もよくわからんし、情報に踊らされるというか。
AIで作られた事件動画なんて、危険このうえない洗脳詐欺だし。 -
>>77
アリストテレスの四原因説とかちょっと学習したぜ。なかなか面白かった。目的因とかな。
プラトンと違ってイデアじゃなく物質に形態の素因を見出す説を主張したんだよな。
プラトンの洞窟の囚人とアリストテレスの目的因を組み合わせて「人間は目的囚だな」なんて説を俺は昔に主張したりしたけど。
人間も物質だからな、物理法則に囚われた存在でしかない。思考方式にも物理の必然性が潜んでいるみたいな説。
まあ、トンデモだけど。でもそれに近いことを言っている思想家も一定数いるけどな。
伝播する思想として唱えるのはどうかと俺は思ったりする。人の行動様式や教義の原理に掲げるようなものじゃない。 -
本質の説明といえば、俺はルソーの「学問芸術論」におけるこの文言がとても気に入っている。
ある人は「物質などは存在しない。あるのは人間の観念だけだ」と言い、ある人は、「この世に存在するのは物質だけだ。神など存在しない。宇宙があるだけだ」と言います。
またある人は「善も悪も存在しない。そんなものは妄想だ」と言い、またある人は「人間は元々は互いに喰らいあっても平気な狼のような存在だ」と言うのです
これが「本質」を言いきっていると思うのよね。
もちろん、ルソーだって独自の思考に囚われた存在でしかないということだけど、じゃあその本質を分かったうえでどうなの?
というところでルソーはこう答えるわけ
こんな有り難い教えは、発表などせずに、自分の友達や子供たちだけに教えておいてくれたらよかったのです。
そうすれば、彼らはすぐにその報いを受けたでしょうし、わたしたちも彼らの考えの信奉者が身内にいるのではないかと心配することもなかったでしょう
とルソーはこう言うわけよ。
俺も大賛同の「繋がりの思想」がここにある。
ルソーは田舎者の浮浪者でパリの社交界の上っ面の儀礼や見栄にウンザリしていた。
本音でものを言えばそりゃまあ争いごとになるのだけれども、そのうちその本音が和音として調和していくことがある。
音楽家でもあったルソーは「本音の和音」を奏でるシステムを考え続けた人だ。それが「社会契約論」や「エミール」だったりの自然思想。
ただの無職の俺はネットインフラの現代に「本音の和音」をWEB上で構築したりする。
コネクションボックス
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金払ってUPLIFTにログインしたら、うざい広告が出なくなった
まあ、言わんとしていることはわかるが。金出せばいいという問題でもないだろ。 -
だいたい、そもそも、ここまで、こういう言葉の塊だけで、なんの個々のコミュとして発展性がない5ちゃんねるのような巨大匿名掲示板が成り立ってしまうのも
幼少からの学歴信仰による受験による詰め込み教育過多の弊害の産物ぐらいにしか俺なんて思わないわけ。ただの言葉の塊にしかなってないじゃないの。こんな掲示板は。
いろいろと喧々諤々と語り合ってはいるが、ただ言葉の記録が残っていくだけ。別にオフ会をやれとまでは言わないが、なんの出会いも発展性もない。
俺も大学に入るための受験勉強の儀礼は通過しているし、法学者が試験問題をつくるような国家資格を取得するために試験勉強をせっせとしていたくちで、
ルソーやらソクラテスみたいな無学歴で地頭が天才的な傑物には到底及びもしない、ネット掲示板にはりつくだけの小心者の凡人だ。
そんな俺だってソクラテスやルソーみたいな反骨の精神と主張はある。「本当は学歴なんてないほうが、心が伸び伸びしてもっと自分を誇れるはずだよな」と思っている。
ソクラテスはドブ板で辻説法をやり、「なんだ、あんたの知ってることって上っ面だけじゃん」と知識をひけらかす連中の鼻を明かした。
ルソーは懸賞論文で学界に「へたに凡人に学をかじらせても心を腐らせるだけだ」と主張した。
学歴に劣等感のあった父親に振り回され、社会の学歴信仰の価値観を気にしながら生きてきた俺みたいな小さい人間でも、ソクラテスやルソーの生き様にはおおいに賛同するのだ。 -
ネットの掃き溜めに対する期待値が高すぎないか?
後なんやかんや言ってるけど学歴コンプありそうな感じに見えるな。
俺は学歴より運派だけど運が悪い奴は学歴あった方がいいと思うわ。
学歴信仰は俺も嫌いだけど、彼らを否定もできん。
ルソーは興味ないが、ソクラテスは無学ではなかっただろう天才でもないが、どちらかと言えば努力の人だな。
でも彼の師は天才だっただろうな。
それにどちらかと言えば?反骨と言うより信念って感じに見える。
彼ほどの利他的な人が他人の鼻を明かしてやろうなどとは思わないだろう。
むしろ師の考えの証明をしていたと解釈するのが妥当だ。
ソクラテスの生き方はすごいと思うが、俺には真似できない。 -
師って誰?
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浅学のニワカ知識のアホばっかな
「利他的で努力の人であるソクラテスの師」ってなんだよw
>ネットの掃き溜めに対する期待値
話す相手は選ぼうなと啓発しているだけだよ
https://connebox.uh-oh.jp/howto.html
もうこの板にはいいかげん見切りつけたよ
他の板のほうがまだ話せる人がいるわ
そんじゃな -
論破されて顔真っ赤で書き込むならネット掲示板は向いてないな。
意見に同意してくれるお友達の中で傷の舐め合いをしていた方がいいぞ?
年を重ねても精神的に成長していなければただの子供だ。
自分の頭で考えられるように研鑽を積んだ方がいい。 -
プラトンの『国家』(ポリテイア)
これは哲学界の神髄にして最高峰である。
真善美、そしてイデア。
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