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文学
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太宰治
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語ろう
Wikipedia:太宰治
https://ja.wikipedia...AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB
青空文庫:太宰治
https://www.aozora.g..._pages/person35.html - コメントを投稿する
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太宰が生きてれば115歳か
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きょう桜桃忌で三鷹の例の寺 朝いってきたけどガラガラだったな
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晩年
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「自分は、その時の、顎をちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかにもずるそうな影を忘れる事が出来ません。軽蔑の影にも似て、それとも違い、世の中を海にたとえると、その海の千尋の深さの箇所に、そんな奇妙な影がたゆとうていそうで、何か、おとなの生活の奥底をチラと覗かせたような笑いでした。」(『人間失格』)
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ダサい
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岩波文庫の新刊『晩年』の価格高いな
新潮文庫の同作の約2倍もする
解説とカバーが違うだけなのに -
岩波文庫の晩年とかなかなか感慨みたいなものがある
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と思って確認したら
表紙の画像でがっかり
それ持ってるからなんか買う気無くした -
注釈は新潮文庫にはないと思う
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>>11
俺は新潮文庫版で充分なので見送った -
自分は両文庫を価格、解説、カバーなどを比較した上で
最近新潮文庫を購入した -
>>14
まだ読んでなかったのかw 太宰の全てが詰まっている。早く読め -
松たか子主演の映画『ヴィヨンの妻』いいな
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通は6/19三鷹の寺でなく玉鹿石にむかう
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太宰治の文体は、独特の言葉選びや文の構成が特徴です。特に、程度を強調する表現は目立ちます。
感情の起伏を激しく描くため、太宰治は「非常に」「途方もなく」「あまりに」といった一般的な副詞だけでなく、「きりがないほど」「底なしの」「絶望的な」など、より印象的な言葉を選びます。これにより、読者は彼の描く感情に深く共感させられます。
また、読点を多用するのも特徴の一つです。読点を頻繁に置くことで、文のリズムに変化をつけ、読者は一文一文をじっくりと味わうことができます。この読点の使い方によって、彼の内面の葛藤や複雑な感情がより鮮やかに浮かび上がります。 -
白江幸司
「共有されているミームのリミット」はたしかに気になってしまうのはあ
る。無限に太宰を擦るのか? それって結局、国語教育からのいじりか?と
いうふうに。
2024年9月28日 -
代表作
『ダス・ゲマイネ』(1935年)
『富嶽百景』(1939年)
『女生徒』(1939年)
『走れメロス』(1940年)
『津軽』(1944年)
『お伽草紙』(1945年)
『ヴィヨンの妻』(1947年)
『斜陽』(1947年)
『人間失格』(1948年) -
しょうた
アルバイト先で中国からの留学生の知り合いができて、魯迅、老舎、巴
金、丁玲あたりまでは(書けば)認識を共有できた。趙樹理は伝わらなか
った、字が違ったのかな? 向こうでは太宰がちょっと読まれてるらし
い。あの文豪系アニメがあちらでもかなり人気とかいう、その影響で。す
ごい。
2025年1月4日 -
太宰ってノーマル小走りじゃねーの。
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『津軽』と『ヴィヨンの妻』が好きだね
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俺は斜陽
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津軽とか本当に戦争中に旅行とかして書いたの?
よく酒や食べものもあったなと。
本当はそんなのないけども
それとも戦争に負けてなんていないというハッタリで? -
そりゃあ田舎だし
太宰んちは日本の長者番付に乗ったぐらいの金持ちで
貴族院議員の偉いさんの家だし -
太宰が旅してたのは昭和19年の前半でしょう
戦争中というとずっと逼迫してたようなイメージがあるけど、実際には昭和19年まではプロ野球も大相撲もやってたし、曲がりなりにも日常は続いていた
愈々酷しくなっていったのは空襲が本格化した19年末あたりから -
というか「津田篤宏と文学」というTV東京の番組が4/24から始まる
第一回目のテーマが「人間失格」
予告番組を観たけど面白そうだったので -
小山初代の早すぎる死は結構ショックだよね…
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津軽地方は魚が取れるし山の幸も豊かだと最初の方は書いてあったけども
ほんとかいと。
鯛をいわばボッタクリ価格で衝動買い。寺で新聞紙に包んでもらい、旅館で調理してもらったら
頭もワタもない状態でだされた、と。
まだ120Pくらいまでしか読んでいないけども暗い雰囲気とかないし
おもしろい。 -
吉行淳之介も太宰なら『津軽』が一番いいと書いていたな
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自堕落で頽廃的な生き方と心身を削って書かれる太宰作品に共鳴する若者は、いつの時代にもいるが、歳を重ねると共に距離を置きたくなる傾向が見受けられる。
そこに青臭い、男の狡智な女々しさの切り売りに気付いて来るからだろうか?同族嫌悪に顔を背けたくなるのか?社会に出れば皆必然的に感傷などかなぐり捨て、ある程度の強さを身に付けなければならないからか?
作家としても、その様な書き方に味を占め身を慣らしてしまえば、後に引けずに破滅せざるを得ない。 -
確かに俺もその一人だな
10代で彼に心酔し同一視しても
社会に出て自分には長者番付に入るような実家もなく東大に入るような頭もなく
ましてや小説の才能もないことを思い知らされ
選ばれていない自分を叩きつけられる
ただ太宰も39歳の死に際になって同じような絶望を感じたのではなかったか
山崎さんに引き摺り込まれながら俺は選ばれた人間じゃなかったのか
とうつろな頭で思っていたように思う -
太宰治と山崎さん入水で質問( 'ω')/ ハイ!
入水する時に太宰治は既に仮死状態または青酸カリで死んでたと見かけるけどそれだと抵抗したと思われる痕跡の説明がつかなくない?土手には下駄の跡がかなりはっきりあったらしいじゃない 確かに山崎さんの日記の中に薬を所持してる内容があったと思うけど
泥酔の上睡眠薬を密かに飲まされてた→玉川上水に向かってた時にやはり生への意欲で最後に足掻いた→弱った体に泥酔でさすがに抵抗しきれず現場へ→直前に身を清めるため山崎さんが両者に酒を(現場に残されてた2つの瓶)→入水
これが1番なるほどと思った説なんだけど、実は公表されてない事実とかあるんだろうか? -
太宰は「死」を利用した作家。
三島は「死」に魅せられた作家。
太宰は自堕落で頽廃的に生き恥をさらけ出し、多感な時期の読者の心に囁きかけるかの様な文章で人気作家になったが、気付いたらその生き方から後戻り出来なくなっていた。
三島はその様な作品と作家の関係性を徹底的に嫌っていた。「太宰の文学上のテーマは乾布摩擦でもすれば治るもの」と言う言葉で痛烈な評価をしている。
女と紐で繋がり入水する死に方と切腹介錯の死に方。情死と諫死。人生観も様々だ。 -
金閣寺を攻めて奪ったあとそこに立てこもって焼死すれば三島?より売れるんとちゃう。
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今年は祇園祭に戦。昔の剣ネームは土方歳三。
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沖田みゆきのほうが三島よりおもろいよ。三島は清純系だもんな。インテリ芸大芸人リッチビッチのみゆきより。でも東京の古典は酒飲ませると怖え地黒。芸人代の女学長に白と黒推薦しとこうかな。芸者大学院は京都。芸人台は神戸。実存の話。
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剣豪の大酒漢の乱痴女騒ぎの文学とかが当たり前に人気。
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だから太宰より三島さ。
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芸人大。
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死刑台に影武者か。
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ワープロソフトで新しい詩が生まれ新しい子供がうまれるというと不思議な言語学だ。ソシュールより。ソー・シューレ。
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紙に書いた作品とインターネット上に書かれたものでは明らかに質と内容が違う。いま書くはずだったものは書いていず、なにか違ったものを書いているという運命。しかし過去は変えられない。だが解釈上の過去は変わる。未来って不思議な枝分かれだな。グーテンベルグ以前以後のイグドラシル。
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例えば死にしても葉脈の中から枝分かれして誰かたちが確かめるべきだ。タイムラグと運命。
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AI乙
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今は「弱さ」や「だらし無さ」、「社会的弱者」である事が比較的に認知され、肯定される社会だから、太宰的な生き方も真新しさ自体は無いだろう。文章が巧みで心にするする擦り寄って来るので、思春期の感じ易い世代にはやはりシンパシーを生んで支持されるのだろうか?
「この人は俺の心を描いている!」と思わせてしまうあざとさ。
当時、信奉者たちの後追い自殺もあったが、太宰とそれらの人達の集まりに関係者から紹介されて顔を出したのが若き日の三島由紀夫。
「僕は太宰さんの作品が嫌いです」 -
それは三島が学習院の学生だった頃
友人たち数人と太宰の家を訪ねた時の言葉だね
(当時は、というか昭和30年ごろまで読者が直接作者を尋ねるなんてことがあったのだ。
恐ろしい。大江の初期の単行本とかでも住所が書いてあって、○○方下宿とまで細かく書いてある)
三島当人としては最初からその言葉だけをいうことに決めて、タイミングを見て思い切って言ったみたいだが、
そこにいた人の話だとなんかボソボソ言ったそうで、それに対して太宰は
「だったら来なきゃいいじゃねえか」と一言言い捨てて、すぐに別の話を始めたということ。 -
三島は晩年太宰に近い心境になったようで、友人の村松剛に指摘されると、肯定したという
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>>51
インタビューでも応えているね。
何故嫌いか?
「作家と作品の関わり方が好きになれない」
「文学はお薬ではないけど、作品によってその作家が生き返らなければならない」
「同族嫌悪もある。太宰を好きになれば、自分もああはなりはしないか?と言う不安がある」
「才能はすごいある人。あそこまでの人はなかなかいない」
結果としては共に破滅的な生き方になった。辿った道はまるで違うが。 -
酒に薬に女に、人間はどこまで堕落して作品を書き続けられるのか?様式として、赤裸々な悪徳や自己欺瞞から何かに辿り着こうとする芸術だったのは確かだ。
それが喝采を受け支持者を生み出し続けたら、もう止められない。読者も内心「もっと堕ちて苦悩しろ」と期待する。
そこには永井荷風や坂口安吾に似た、頽廃した人間性の底から何かを提示してやろうとする矜持の様なモノがあったとは思う。
晩年は若くして廃人に近しくなり、30歳過ぎて歯もぼろぼろだったと言うが、ある意味では自己の文学を貫いて、だらしの無い無惨な水死体となって生涯を終えたのは、巻き添えになった多くの人がいたとは言え、誠実だったとも言える。
いつの時代も人生のやりきれなさ、残酷さに晒されている人は多く、これからも太宰が多感な時期の拠り所になったりするのであろう。
人生観や矜持の方向性が異なれば、太宰ほど嫌われる作家はいないが。 -
>>53
>酒に薬に女に、人間はどこまで堕落して作品を書き続けられるのか?様式として、赤裸々な悪徳や自己欺瞞から何かに辿り着こうとする芸術だったのは確かだ。
これは安吾だな
太宰は全く逆で、純粋に誠実に生きようとすれば
傷ついて自殺するしかなくなるという尾崎豊みたいな立ち位置だろう。
初期においてはこうした思想?と実生活が一致していて、
中期において実生活を分離して、小説だというふうに突き放していたのが、
戦後には社会の方が混乱期になり周囲も太宰に小説の現実化を要求し、
それに応える形の心中だった。
尾崎の歌にもあったように、自分の作品に殺されるという感じだったのではないか。 -
道化師の悲哀。演じ続けるうちに自分が無くなる。作品そのものの破滅と重なって行き、後戻り出来なくなる。太宰の場合、いつの頃からか無限に病む事が創作の源になっていた。心身が快方に向かったら作品が書けなくなる怖さ。
ある意味、体を張った文学だが、そこから何が生まれるか?
三島由紀夫が言う様に「苦悩の淵にあり、自殺しそうな作家であっても、したたかな作家は作品を書く事で、そこから生き返らなければならない」のだろう。しかしながら、かく言う三島も皮肉な事に「憂国」や「英霊の聲」などのモチーフは己の美学の呪縛となり作品と重なる様に自死に至ってしまった。
作家と作品の関係性は、古今東西において非常に多様で興味深い。
年老いてまで作品を書き続けるには、作品との自身の関係性が非常に重要。一線を超えない距離感。
太宰や三島が谷崎の様に老人になって書き続ける姿は想像出来ない。2人とも体力がある内に決着を付けた。 -
作品に殺されるというのは、
作者の人間としての存在を考えれば滑稽な悲劇かもしれないのだが、
作品からすればまさに作者の死によって作品が完成されたと言えるだろう。
作者のいわば作品に対する殉職によって作品に血肉が通うこととなった。
もし太宰、三島、ついでに尾崎が老年まで生きていたら、
彼らの作品は今のような広がりを持って残っているだろうか?
逆に言えば、現実には、もっと若いうちに死んでいれば伝説になったような
老醜を晒している人たちがほとんどなのだ。 -
優れた文学作品はそれを書いた作者よりも偉大である
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若くして「天才現る」と、文壇、永井荷風らに激賞され、老いてなお創作意欲が旺盛で、種々多様の傑作を生み出していた谷崎潤一郎の老獪さ。
ひたすらに自分の文学道を貫いた狷介ぶりは、夭折した才能ある作家達とは対照的に見事に尽きる。
それも一つの才能の怪異的な姿である。
友人の芥川が文学にも精神にも息詰まり、縡切れてしまっただけに尚更。
多かれ少なかれ、かつては堕落にしろ耽美にしろ浪漫にしろ、文士も体を張って文学をやっていた時代があった。良い悪いは別に、そこに何らかの文化的なモノが醸成されて行く過程を見る事が出来たのだろう。
谷崎の様な作家からしたら、死に急ぐ様な太宰らはどの様に写っていたのか、気になる所だ。
やはり脆弱で青臭いと思っただろうか? -
『女性作家が選ぶ太宰治』講談社文芸文庫
江國香織『女生徒』
角田光代『恥』
川上弘美『母』
川上未映子『古典風』
桐野夏生『思い出』
松浦理英子『秋風記』
山田詠美『懶惰の歌留多』 -
◉今まで長きにわたって「神の有る・無し」について議論がされてきましたが「明確な証拠」による結論が出ました。
この世において「神。それも全知全能で愛のみの神」が存在するという事ほど「神秘的な奇跡」はないと思います。
このまま私はアドレスのみ置いて立ち去りますが興味のある人は参考にされて、人生が根本・決定的レベルで楽になられて下さい。
20〜30分ほどで読めて人生観が180°変わるのではないかと思います。
当サイトでは(目に見えない神の存在を断定・証明する為に)共に世界的ベストセラーである神の言葉『神との対話シリーズ』(理論)と、その神の言葉の裏付けとなる体験本『喜びから人生を生きる!』(体験的証拠)という本を関連付けて紹介しています。
人生において『神や転生(魂の不死)』などを証拠・確信をもって知っておくと(我々が潜在的に神様から保証されている膨大的な恵み・永遠の命にも気付けて)心に余裕が持ちやすくなり、自分の将来・運命に対してもプラスとなる生き方がしやすくなり、逆に知らなければ人生の長きにわたって遠回り・大損になると思うので、ここに一つの「真理の検証・証拠HP」を残しておきたいと思います。
特に宗教的な心の拠り所には関心があっても、組織的束縛や時間・お金的な負担が嫌な方は、読むだけ(無料)で救われます。
https://conversation...kamitonotaiwa-matome -
【神の言葉】(神との対話 1巻 より)
◆私(神)は全ての者に、常に語りかけている。
問題は、誰に語りかけるかではなく、誰が聞こうとするか、ではないか? P19
◆神は貴方方の人生を助けるが、貴方が期待しているような助け方はしない。
人生の環境や条件を創造したり、しなかったりすることは、神の働きではない。
神は神の姿をかたどり、神に似せて貴方方を創造した。
残りは、神が与えた力によって貴方方が創造したのだ。 P35
◆究極の結果が不確実だと思うから、貴方の最大の敵が生まれる。不安だ。
神を疑えば、不安と罪悪感をいだいて生きることになる。
神の意図を疑い、究極の結果を生み出す神の力を疑っていたら、安らかでいられるはずがない。
神は意図する結果を生むだけの力を持っている。 P37
◆物質的な宇宙(現世)に入った時、貴方方は記憶を捨てた。
忘れることで、単に(神の)王国の城で目覚めるのではなく、自分が何者であるかを選べるようになった。
そうすれば全ての選択肢を与えられた上で、自らを体験する事ができる。 P58
◆何千年もの間、人々は本当にしては素晴らし過ぎる、という馬鹿馬鹿しい理由で神の約束を信じなかった。
神を信じれば、神の最大の贈り物である無条件の愛と、神の最大の約束である無限の可能性が信じられる。 P82
◆あらゆる人と条件を祝福し、感謝しなさい。そうすることで、神の創造物の完璧さを認め、神への信頼を示しなさい。
神の世界では行き当たりばったりに起こる事は何もないし、偶然もない。
世界は、貴方方が運命と呼ぶ気まぐれな選択に翻弄されてはいないのだ。 P84 -
◆私(神)は、貴方方自身がしない事は何もしない。それが法則であり、預言だ。 P91
◆愛は究極の現実だ。それが唯一であり、全てだ。
至高の真実の中では、存在する全ては愛であり、存在した全て、これから存在するであろう全ても愛である。 P101
◆私は今、奇跡を行なっている。貴方に話しているだけでなく、この本を手にとり、これらの言葉を読む人全てに話しかけている。
その一人一人が誰だか、私は知っている。
誰がこれらの言葉への道を見つけるかも知っているし、(私の他のコミュニケーションと同様に)聞いて理解出来る人も、聞くだけで何も分からない人がいることも知っている。 P121
◆否定的な考えは頭から追い出しなさい。悲観主義を一掃しなさい。不安を拒否しなさい。 P158
◆「天国へ行く」のではない。自分がすでに天国にいると気付くだけだ。受容と理解があるだけで、その為の努力や闘いがあるのではない。
悟りとは、行くべき所もすべき事も無いし、今の自分以外の何者にもなる必要が無いと理解する事である。 P168
◆人生の意味とは、どこかに行き着く事ではない。自分が既に、そこ(目的地)にいる事、これまでもずっとそこにいたし、いつもいると気付く事である。 P179
◆貴方に起こる事、あるいは貴方を通して起こる事で、自分(貴方)の最高の善の為にならない事は何もない。 P298
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