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ニュー速(嫌儲)
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江戸幕府、ペリーが来る前からロシアによって叩き起こされていた [122319879]
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ペリーの来航を扱った狂歌〈泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で夜も眠れず〉は、私たちに幕末のイメージを強く植えつけている。巨大な黒船の出現が、当時どれほど衝撃だったか。
そしておそらく幕府はぼんやりしていて、泰平の夢をむさぼっていたに違いない。そんなふうに思い込んでいるとすれば修正が必要だ。少なくとも一部の幕閣や知識人たちは、とっくに眠りから覚めていたと、本書は教えてくれる。
「〈ロシア〉が変えた江戸時代」書評 黒船より早く届いた北方の足音
https://book.asahi.com/article/15637255 - コメントを投稿する
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ホゲイ船がよく日本にも来てたっていうけど
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間宮林蔵も戦ってたからな
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情報伝わってたらしいし
江戸幕府vsアメリカロシア欧州連合では勝ち目無いし
不平等条件飲むしかなかった -
ペリー「オープン・アームズ…!」
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中枢は知ってたよ
幕府はオランダ経由で情報入れてる
まさか本当に鎖国してたと思ってないよな? -
ハリスさんがいるじゃん
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てか、何かで読んだけれど
松前藩とかもカムチャッカ半島まで統治しているとかを幕府に適当のことを言ってたりしてたからなあ
松前藩あたりが全般的に悪いと思う
まあ徳川も樺太やカムチャッカの先くらいまで本格的に調査しなかったからあれやが -
ウツロブネって中に入ってたのロシア人
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日本人拉致してたからな
白朝鮮 -
秋田の国道7号線走ってるとロシア人が漂流してきた石碑がある。秋田美人ってそこなんだろな?
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>>14
俺ら(モメン)は知ってるが坂本龍馬が何したか知らないという人なんて75%くらい居るだろ -
gifでくれ
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風雲児たちだな
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黒船近づくまでに衛星で分かるだろアホ
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天狗のモデルはロシア人とか聞いたな
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嫌儲公認漫画の風雲児たち読んでればみんな知ってるだろ
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>>14
坂本龍馬の功績って現代の教科書で悉く否定されてるらしいな。桂浜にある銅像も撤去されるんじゃね? -
とっくに眠りから覚めていた。と文字通り書かれた史料がないから嘘
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オランダの出島に取り残された外交官の話とか歴史ドラマにすると面白そうなんだけどな
本国がスペインに占領されたりしてなかったっけ? -
オランダ風説書のおかげ
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風雲児たちを読みなさい。
ロシア人たちはルールを守って長崎で交渉してた
ペリーはいきなり江戸に突っ込んできた野蛮人 -
面白そうな本だな
読んだやつおるか? -
ロシア「日本には水と紙しかねぇ」って言ったんだっけか
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ロシアと交渉中に大地震がおきて
日露共同で救助作戦を展開
で、ロシア人の評価が豪傑になるエピソード好き -
ミルMi-26超大型ヘリコプターが日本には必要
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大黒の人?
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大黒屋光太夫だろ
エカテリーナ2世と謁見してるんだからすごい
西田を偲ぶと思って映画みてこい -
ラクスマンとかプチャーチンとかは高校生でも習うだろ
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吉田松陰
「アメリカもロシアも日本にとって大きな害になる」 -
ロシアは昔からヤバイ
ペリーから数年後にはロシアが対馬の一部を占領してイギリスが仲裁するまで出ていかなった -
>>24
別に
オランダ経由で蒸気機関の存在なんて知ってたが実際目の当たりにしたのはプチャーチンなのは間違いないだろうがね
百姓や町民や穢多が面白おかしく書いたもんをいまだにソースとして取り上げてるの、ノータリン白痴バカ中高老年昭和人だけだよね
その上で「知識がマンガ」なのも昭和の鼻糞人間しぐさ -
鉄製軍船で乗り込んできたのはアメリカが初やし他の外国とは別格感あったんだろ
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ゴローニン事件を解決した高田屋 嘉兵衛とかいたし交流はあったんだよね
ペリーが来た翌年にはディアナ号遭難事件あった -
つーか北前船貿易でブイブイ言わせてた豪商達はロシアから東南アジアまで交易してたらしいじゃん
銭屋五兵エなんてタスマニア島に領地を持ってたなんて伝説まである -
オランダ人は何がしたかったんや
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ゴローニン事件かなと思ったらもっと前だった
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>>37
ノータリン白痴バカ中高老年昭和人以外のまともな日本人はミシシッピもサスケハナも木造蒸気フリゲートなの常識だよ、バカじゃねえのかお前?
プリマスとサラトガなんて木造スプルス帆船もいるのにストーンウォール号なんか人生で一ミリも目にしたことないんだろうが相当な低学歴だろうね -
老中堀田正睦「岩瀬忠震を抜擢する」
岩瀬忠震「6%の改鋳手数料について「冗雑之手数」を省く目的から放棄しまーす」 -
ペリーが太平洋横断して日本にやってきたと勘違いしてる人が多過ぎて驚く
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>>44
第二次大戦でもそうなったわな -
>>9
百姓の語り部説話だよな -
>>24
うん、スペインのハプスブルク家がオランダベルギーあたりを征服した時期があった
その前後にこの地域はバベルの塔で有名なブリューゲルや夜警で有名なレンブラントとか現在でも人気の芸術家が活躍した
この時期のオランダの経済文化は面白い -
ペリーは浦賀に来る前年に琉球に来ていてその時に既に琉球から薩摩、薩摩から幕府にその旨の報告も来ていた
幕府の外交担当者達はかなり優秀でペリーの要求を理解しながら理解できていないフリをしつつ可能な限り刺激しない、江戸への立ち入りは許さない、交易は準備が整うまで絶対しないを徹底して見事にこれを完遂した
初めての近代外交でこれできたのはかなり凄い事で外交の専門家でもこの時の対応は日英同盟締結と並ぶ近代外交史上の偉業っていう評価
政権が変わった後に行われた通商条約締結の時の対応は譲歩し過ぎてるけどが失敗ではないという程度の評価 -
幕末から太平洋戦争までずっとロシアおそろしやが対外国の根幹だったイメージ
今が一番怖いのかもしれんが -
>>52
いや,不逞な野心家オレンジ公ゐれむが叛乱起こす口実に利用しただけだから -
風雲児たちきっかけでこの時代の蝦夷が好きで、ゴローニンの幽囚記とか菜の花の沖とか
考証本から小説までけっこうたくさん読んだけど、司馬が酷いと言われる理由がわかった気がする -
幕末に自衛隊がタイムスリップとかそういうのないの
ペリーの船ボコボコにしたい -
>>50
ほんでお前の今の職業何? -
>>22
ネットのデマだよそれ -
教科書の幕末の歴史は明治新政府による権力収奪を正当化するために作ったもの
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ロシアと幕府はうまくつき合ってたよ
カトリックじゃないし松前とか函館にもロシア出島が出来てもおかしくなかった
だから英米が慌てて出てきた -
ケツモチ兼盾だった清国が完全に欧米と露に食い物にされて終わりそうだったから煽り食らって鎖国体制崩れた
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>>63
近代外交の経験がなく知識も足りないから借地権と裁判権のところは不備があってもある程度仕方ないと思うけどな
アメリカとの交渉では関税の設定にも成功していたけど後でイギリスと交渉した時にこれが崩れて五カ国横並びの条件にしなければならなくなった経緯はご存知だろうし全体として見て当時の状況を髪すると仕方ないところだと思うけどな
外交で100点というのはまずない
0点もない
お互いのプライオリティの高いところをどう認め合うかなんで -
>>19
ユダヤの僧だかと似てるかいうが。虎の巻、トーラースクロールを持ち鼻が高く顔が赤く頭に箱状の被り物をくくりつけているという共通点があるとか -
その頃からアメリカは守ってくれてたんだね
アメリカありがとう -
もし日本がロシアと組んでたら原爆も敗戦も無かったかもしれんし、なんならロシア革命も無かったかも
まあ欧米は対ロシアに使える駒が欲しかったから、ロシアと組むのは無理だっただろうけど -
>>6
セパレートウェイズ -
>>54
それ以前にペリーがアメリカ出発したことすらオランダから情報もらってたのよ -
現代日本人の偏見に満ちた世界観より
日本史から世界見たほうがマシだわなあ
外国はポルトガル、オランダ、アメリカのみでいい
その国のみが世界の果てまで影響与えるくらい優れてたって認識のがまだまし -
ロシア来航より前にフランス革命が起きてるのに幕府が情報集めてないわけないだろ
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幕府は頭カチコチの鎖国で日本を滅ぼしかけた
だから正義の薩長が開国して日本を救ったというストーリーだからな
都合が悪い -
情報収集どころか当時幕府に外交専門の部署無かっただろ
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1852年、ニコライ一世の命を受けたプチャーチン提督は、遣日全権使節として、平和的、友好的な日露国交交渉を行うべく、サンクトを出発しました。大西洋を南下、喜望峰を回り約1年かけて長崎の出島に到着します。
幕府との交渉が進まず、いったん退いてディアナ号に乗り換え、再度日本を訪れたときには、日米和親条約が既に結ばれていました。
プチャーチン提督は何としても国交交渉を成立させねばならず、幕府は対応に苦慮し、既に開港していた下田港での交渉を提案します。そこで下田港にディアナ号を停泊し川路聖謨(かわじとしあきら)との交渉を待っていたのですが、1854年11月4日に起きた「安政の大地震」による津波で、波にのまれたディアナ号は湾内をさまよい、舵と船底を大きく破損してしまいました。
このディアナ号の修理の場所として白羽の矢が立ったのが戸田の港でした。駿河湾は、日本一深い湾で、戸田の港も十分な海深があり2000トン級のディアナ号も乗り入れる事ができます。何とか自力で戸田の港に向かったディアナ号でしたが、突然襲った強風のため戸田湊には入れず、プチャーチン提督は乗組員全員に退艦命令を出しました。波にもまれるカッターボートを、漁民たちが命綱をつけ曳き、救助活動にあたったのです。500名余の乗組員は、村の人々の助けで奇跡的に上陸することができました。
その後、ディアナ号は百隻の小舟を使って、曳航されることになったのですが、またしても強風に見舞われ、最後は駿河湾に沈んで行きました。 -
ヘダ号建設
帰る船を失ったプチャーチン提督は、幕府に船の建造を願い出ます。ここでも戸田の船大工たちが、大いに力を発揮します。
和船の技術を活かし、全く新しい洋式船の建造に挑戦したのです。長さの単位も違い、基本的な船の構造も大きく違います。何より、言葉が通じないという大きな壁がありました。それでも技術者同士の交流は、目的を一つに見事な実を結んだのです。
ロシアの技術士官も、「継ぎ目の線がやっと見えるかと思うほど、ち密な仕事ぶりで、且つ迅速に几帳面に仕事にあたっていた」と日本の船大工を絶賛しています。何と本格的な日本初の洋式船は、およそ3か月という速さで造り上げられました。
感謝の念を忘れずに
日本初の洋船は、100トンにも満たない船でしたが、プチャーチン提督は、船の完成を喜び、自ら「ヘダ号」と命名しました。
そして「我が魂を永遠にこの地に留め置くべし」という言葉と、様々な記念の品を残し、ロシアに帰って行きました。
その言葉の表れが、娘のオリガ・プチャーチナさん(ロシア皇后付名誉女官)の戸田訪問です。オリガさんは、亡き父が戸田の人々から受けた多くの気持ちに感謝すべく戸田を訪れ、プチャーチン提督が滞在し、執務室に使っていた宝泉寺を初め、様々な父の足跡をたどりました。
その後日本とロシアとの関係は良好なまま進んだとは言えませんが、時が流れ1969年に「戸田造船郷土資料博物館」が建設されるにあたって、ソビエト連邦政府は500万円を戸田村に寄付しています。
当時のトロヤノフスキー在日ソビエト連邦大使が、直接戸田に赴き、山田三郎村長に手渡しています。ロシアにおけるヘダ号、戸田村の高い評価と感謝は、今も続いているのです。 -
日露和親条約
1856年、プチャーチン提督の副官だったポシェート氏が、日露和親条約の批准書を携え来日します。この折、ヘダ号も返却されました。ポシェート氏は1882年、日本を再訪し戸田湊に船を留め戸田村の人々との再会を果たします。戸田での数ケ月が、いかに思い出深いものであったのかを、この逸話は伝えています。
現在サンクトペテルブルグ外交史料館に保存されている「日露和親条約」の内容が、この資料館に展示されています。
全文をご紹介します。
日本国魯西亜国和親条約
魯西亜国と日本国と、今より後、懇親にして無事ならんことを欲して、条約を定めんが為の、魯西亜ケイヅルは、全権アヂュダンド・ゼネラール、フィース・アドミラール・エフィミュス・プーチャチンを差越し、日本大君は重臣筒井肥前守・川路左衛門尉に任して、左の条々を定む。
第一条 今より後、両国末永く真実懇ろにして、各某所領に於て互いに保護し、人命は勿論什物に於ても損害なかるべし。
第二条 今より後、日本国と魯西亜国との境、エトロフ島とウルップ島との間にあるべし。エトロフ全島は日本に属し、ウルップ全島、夫より北の方クリル諸島は、魯西亜に属す。カラフト島に至りては、日本国と魯西亜国の間において、界を分たず、是迄仕来の通たるべし。
第三条 日本政府、魯西亜船の為に、箱館、下田、長崎の三港を開く。今より後、魯西亜船難破の修理を加へ、薪水食糧、欠乏の品を給し、石炭ある地に於ては、又これを渡し、金銀銭を以て報い、若金銀乏敷時は、品物にて償うべし。魯西亜の船難破にあらざれば、此港の外、決て日本他港に至る事なし。尤難破船につき諸費あらば、右三港の内にて是を償べし。
第四条 難船、漂民は両国互に扶助を加へ、漂民はゆるしたる港に送るべし。尤滞在中是を待こと緩優なりといえども、国の正法を守るべし。
第五条 魯西亜船下田箱館へ渡来の時、金銀品物を以て、入用の品物を弁ずる事をゆるす。
第六条 若止むことを得ざる事ある時は、魯西亜政府より、箱館、下田の内一港に官吏を差置べし。
第七条 若評定を待べき事あらば、日本政府これを熟考し取計ふべし。
第八条 魯西亜人の日本国にある、日本人の魯西亜国にある、是を待事緩優にして、禁固することなし。然れども、若法を犯すものあらば、是を取押へ処置するに、各某本国の法度を以てすべし。
第九条 両国近隣の故を以て、日本にて向後他国へ免す処の諸件は、同時に魯西亜人にも差免すべし。
安政元年十二月廿一日(千八百五十五年一月廿六日)
筒井肥前守 花押
川路左衛門尉 花押
エウヒミウス・プーチャーチン
カヒテン・ポススエット -
欧米列強で日本に対して一番紳士的に接したのがロシアなんだよな
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ロシアはつねにやばい
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幕府の首脳はアメリカで鉄道が走っている事を知っていて、さりげなくペリーに言ったらビックリしてたとか半藤一利の本で読んだな
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幕府は無能
ペリーが来るのはオランダに教えてもらっただけ
外国のことあまりにも何も知らなすぎてジョン万次郎に頼りまくりだっただろ
英語も喋れるの一人もいなかったらしいな -
江戸時代のデカネタのお寿司良いよね♩
タニショーさんの大きなおむすび的なw -
ロシアが千島列島じわじわ南下しててアイヌ人たちがロシア人の支配キツすぎて松前藩に助け求めるほどだったからな
松前藩もアイヌ人奴隷化してたのにそれよりキツイとかどんな支配のやり方だよって思う -
>>82
鎖国の弊害だわな -
ペリス
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呂布もロシアン説あったな
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>>90
呂布は出身が并州でこの并州は匈奴も混在していた地域
匈奴はスキタイ系北方騎馬民族の流れの末流にあたる
呂布そして彼の同郷の張遼は并州刺史だった丁原が現地で集めた兵士の出身だと考えられていて呂布、張遼は匈奴系か匈奴系と漢人の混血だったのではないかという話はあるけどロシア人という話は聞いた事がないね
ちなみにロシア人という話は誰の何という研究で出てきた話? -
日本の教科書はデタラメばかりだからな
思想が強いから全部訂正できるまで100年はかかるな -
露寇って言うのがあった
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