-
古文・漢文
-
近所の神社に白文で書かれた変な石碑があるんだが
- コメントを投稿する
-
先ず鮮明な拓本を取ることだな
-
返信遅くなりすみません、
拓本とはなんですか? -
拓本の語は検索して調べてもらったらよいが、写真に文字が判然と写っていないのが問題だということ
字の形が見えない -
字を彫っている所と彫っていない所、どちらも石の色をしており、現物を見てもよく見えないのが石碑だ
その点は昔から、拓本を取ればよいということにされている -
スレ主じゃないけど、戯れに書き出してみた
スマホで単漢字だすのめんどくさい(笑)
謝恩碑
山形縣知事正五位勲四等縣 忍篆額
自安政中至明治初我郷以師鳴者有三人焉山
内先生其一也先生名成善家世称成就院為鵜
洲豊受亀城八幡二社祝人至維新先生更襲其
職資性温篤尤善詩文特長翰墨是以就請業者
常満堂先生教授子弟諄々不捲而寛厳有節其
門佗日著名者輩出非偶然也明治七年三月酒
田県初置公学仮先生宅充場曰鵜川学校挙先
生為教師歳之八月十六日病歿享年四十五闔
郷莫不悼惜今茲大正癸亥距其歿方五十年矣
浴恩者相議樹石祭之銘曰
敬神育英丕施仁恵頌徳謝恩芳名千歳
大正十二年十月正六位勲五等遠藤宗義撰
後 学伊藤政一書
なんか、偉い先生を記念したのかな
-
安政中より明治初に至り、我郷、師をもって鳴る者三人有り。山内先生、その一なり。
先生、名、成善、世、称して成就院となす。鵜洲、豊受・亀城八幡二社の祝人と為る。
維新に至り、先生更にその職を襲(つ)ぐ。資性温篤、もっとも詩文を善くし、特に翰墨に長ずる。
ここをもって、就(つ)きて業を請う者、常に堂を満たす。先生、子弟を教授すること、
諄諄として倦(う)まず、而して寛厳にして節あり。 -
その門、他日著名なる者輩出せるは、偶然に非ざるなり。明治七年三月酒田県、初めて
公学を置き、先生宅を仮り、場に充(あ)たりて曰く、鵜川学校、先生を挙げて教師と為す。
歳の八月十六日、病没、享年、四十五、闔郷、悼惜せざるはなし。ここに、大正癸亥、その
歿より距(へだ)てること、まさに五十年、浴恩者相い議して、石を樹(た)て、これを祭り、
銘して曰く、敬神育英、おおいに仁恵を施す、徳を頌し、恩に謝す。芳名、千歳たれ -
間違ってるところもあるでしょうが、こんな感じではないですかね。
-
闔郷って、郷の者みんなって意味か
普通に使われてた熟語なんかなあ
-
返信遅くなりました
解読ありがとうございます。
参考になりました。 -
やっぱ紙とか電子とか竹とか木とかよりも石が一番残るんだろうな
-
そりゃ爆破でもしなけりゃ永遠だよ
-
野外は風化するよ
-
せめて定期的に墨入れしないとね
ザラザラの石は難易度高いけど -
鎌倉時代の自然石の板碑に似たものが子供のころ遊んだ田舎の道端に立ってるんだけど
字がほぼ消えてかすかに「中」か「申」っぽいのが錯覚か?って程度に見える状態だし
誰もそれが何か分からない、伝承も残っていない
ただおそらく慰霊碑みたいな気がするから撤去はされていないんだよね
誰かに調べてほしいんだけどな -
>>1
なんて碑だ? -
https://i.imgur.com/VyVDXRA.jpg
https://i.imgur.com/kCQBhlT.jpg
https://i.imgur.com/uLLvXBQ.jpg
https://i.imgur.com/hXZt67e.jpg
https://i.imgur.com/nbRESgm.jpg
https://i.imgur.com/Y9LxSWU.jpg
https://i.imgur.com/tM5CV9v.jpg
https://i.imgur.com/Z3M0MKQ.jpg
https://i.imgur.com/Gd0DtuT.jpg
https://i.imgur.com/JZNI1fy.jpg
https://i.imgur.com/xWyHtnN.jpg
https://i.imgur.com/6fyvMb4.jpg -
まず最初にやれ!
-
なんやと思てんねん!
-
謝恩碑
山形県知事 正五位 勲四等 縣 忍 篆額
安政末期から明治初期にかけて、わが郷で師として名高かった者が三人いた。山内先生はその一人である。
先生の名は成善、家系は成就院と称し、鵜洲、豊受、亀城、八幡の二つの社の祝人を務めた。維新に至っても、先生は引き続きその職を継ぎ、その温厚な性質と詩文に秀で、筆力に優れていたことから、就学を請う者が常々満堂であった。先生は子弟を丁寧に教え導き、厳格な態度で節度を守ったため、その門下生から著名な人物が輩出したのも偶然ではない。
明治七年三月、酒田県に初めて公学校が置かれ、仮に先生の宅を校舎として「鵜川学校」と称し、先生を教師に任じた。同年八月十六日、病没。享年四十五歳。闔郷の人々、皆その死を悼み惜しんだ。
ここに大正癸亥、先生の没後五十年を迎え、恩を受けた者たちが相計らい、石碑を建て、その功績を称える銘文を刻んだ。
「神を敬い、英才を育て、大いに仁恵を施し、徳を讃え、謝恩の意を表す。芳名は千歳に残る。」
大正十二年十月
正六位 勲五等 遠藤宗義 撰
後学 伊藤政一 書 -
ほ
↑今すぐ読める無料コミック大量配信中!↑