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相撲
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時津洋の思い出
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wiki
時津洋
https://ja.wikipedia...8B%E5%AE%8F%E5%85%B8
ちゃんこ料理屋時津洋
http://www.tokitsunada.net/
2月に亡くなった“阿波の怪童”時津洋さんのちゃんこ料理を娘が伝承
https://hochi.news/a...0531-OHT1T50126.html - コメントを投稿する
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東京の地下鉄大手町駅から徒歩3分のところに相撲部屋料理「時津洋」がある。
店主は“阿波の怪童”と呼ばれた元大相撲幕内・時津洋の吉岡宏典さんで、
必ず店主がいる“本人遭遇率100%”の店だった。
「だった」というのは、時津洋さんは、2月14日に49歳で亡くなったからだ。
月刊誌「スポーツ報知 大相撲ジャーナル」の企画で元幕内で歌手の大至(50)が取材に訪れてから
1週間もたたない急逝だった。 -
「亡くなる前の夜も店を閉めて、
事務所でパソコンに入力している親方に『お疲れ様です』と言って別れたんです」
と13年間ついてきた伊藤孝雄店長(49)。
朝に悲報を受け、ランチタイムこそ閉めたが、夜は予約客を受け入れ、
時津風部屋伝統の味と時津洋さんの存在感を守った。
同い年の元番記者としても、「時津洋」のしこ名が店名として永遠に残ってほしいと願う。
99年秋場所で引退した時津洋さんは、当時の規定でしこ名のまま2年間、
親方を名乗れる準年寄になったが、正規の年寄名跡を取得できず、日本相撲協会を退職した。
01年秋場所に「今場所で終わりだよ」と打ち明けられ、
私はそれを「初のケース」としてニュースにした非情な記者だった。 -
タレントと荒汐部屋のコーチを務めながら、
01年に相撲部屋料理「時津洋」第1号店をオープン。
同い年の元横綱・曙を連れて、開店を祝った。
その後、出店した各店に出向いたが、味は不変だった。
釣り好きでも有名で、スポーツ報知に釣行記を書いてもらったこともあった。 -
多店舗展開をバイクで巡回していた時津洋さんだが、
体がもたず2015年夏に現本店に一本化して安定経営を果たした。
亡くなる少し前に「これから店に行くよ」と電話した時、
「すいません。今、お客さんに連れられて飲みに出てるんです」と言われたのが最後の会話になった。
いろんな人に愛された“親方”だった。
店には化粧まわしや明け荷など記念の品が飾られている。
何より、富士額(びたい)に豚鼻をした似顔絵イラストが出迎えてくれる。
亡くなってからは、愛娘の幸織(さおり)さん(24)が仕事を辞めて店に出るようになった。 -
メニューに小さい時に父に抱かれた写真を載せて
「父の遺志を引き継ぎ、努力して参ります」と書いている。
「小さい時に大相撲中継を見て、『パパだ』と言って、テレビに抱きついてました。
でもそれはパパではなくて霧島関(現陸奥親方)だったそうで、
『お前は面食いだな』と笑われました」と思い出を語る。
ちゃんこ料理とは、鍋だけではなく、父(ちゃん)と子(こ)が食べる料理が語源。 -
時津風部屋伝統のちゃんこと、
釣り人ならではの一品料理は不滅だ。
日本テレビの企画「ちゃんこ鍋一番うまいのはどれ?」で優勝した
「黒豚と大山地鶏のちゃんこ鍋」(塩味1人前3200円)は
大至も「相撲部屋らしい品のある味」と絶賛した。
セロリが利いた夏向けの鍋もある。
時津風部屋の後輩の豊ノ島の実家のとうふ店
「梶原食品」(高知・宿毛)の豊ノ島豆富もメニューにある。
20年続いた「時津洋」の味を今後も伝承していってほしい。 -
>>1乙。
その部屋の名前を聞くと、どうしても「あの話題」が避けられないような気がするけど。 -
日馬富士や貴ノ岩なども、引退せざるを得なくなったけど、
スポーツ界全ての問題ではある。 -
アンチスレでは無いんで、
あまり余計な事は書かないでおこう。 -
どうしたらいいものかね?
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本題スタート↓
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時津海新入幕の頃に相撲を見始めたから、
パチモンみたいな名前の力士が十両にいるけど、親方か本人の嫌がらせかな?と
思っていた。 -
いちおつ
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霧島引退の場所星を売らされたよね(笑)
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霧島は、1年前は番付最上位(横綱不在で東正大関)だったのが1年後に
前頭12枚目まで落ちてたの凄かった
照はどうだったかな。秋場所大関だったのが次の年の秋場所幕下下位に落ちてたから
もっと酷いか。 -
丸岡いずみさんと同じ町の出身(その町は合併で市になりました)
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額が狭かった
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一度ランチに行ったな。厨房にいる大きな男性が店長の伊藤さん?時津風部屋のちゃんこ番だったとか?
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