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教育・先生
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教師「道徳はじめるぞー」子供「げー」道徳「…。」 [無断転載禁止]©2ch.net
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子供「せんせービデオ見んの?w」
教師「いや教科書と心のノート使うぞP35開けー」
子供「マジかよ道徳きらーい」
子供「算数がいいわ俺」
道徳「…。」 - コメントを投稿する
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教師「はいじゃーP35読み終わった人から感じた事を心のノートに書いてね。5分でいいかな」
子供「え、もう授業終わり?」
子供「あと30分あるよ」
教師「あと30分6年生送る会の花作るぞー」
子供「イエエエエエエエイ!!!!wwww道徳終わったーーー!!」
道徳「…」 -
道徳(…今の子達は道徳嫌いなんだな…)
道徳(人生は結局人と人との出会いなんだ…道徳の授業には…人生で必要な事がたくさん詰まってるのに…)
教師「おい道徳」
道徳「は、はい!」
教師「授業だ」
道徳「えっ!?あ、、はい!!!」 -
教師「木曜日の4時間目な。最近いそがしくて道徳の授業しっかりやってなかったし
クラスも最近落ち着きがないからここできっちりやって引き締める」
道徳「は…はい!!やった…久々に45分まるまる授業が!!」
教師「用意しとけな」
道徳「はい!!」 -
道徳好きだったけどな
副読本面白いやん -
固定時間割で、月曜1時間目に道徳を入れてるクラスは...
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-‐…‐-ミ
.: ´ .::::::::::::::::::::..`ヽ
. / ..::∧.:::::::∧イ.:::::::::::.
,′.:/\\/ /∨::::::::
i.::::イ 匸フ 匸フ|::::::::{
. j/|::} u ム:::::ハ
. j人 r‐┐ 从/ 公立学校は害悪にしかならないww
)≧┐┌_´(
,≪圦 「≫、`
/ `¨¨只´ 、
{ニニ! !l| {ニ]
|::::| ムl! |:::|
|::::| /从 |:::| -
ワイ基督教系高校教諭、聖書の先生のおかげで道徳の授業がなくてニンマリ
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菅野完「小学校の道徳の教科書、開いた口が塞がらない。『権利と義務がワンセット』とかトンデモ教えてる」 [無断転載禁止]©2ch.net・ [741292766]
http://hitomi.2ch.ne.../poverty/1492768862/ -
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ヽo,´-'─ 、 ♪☆☆☆♪☆☆☆♪☆
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ 2018年以降、日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ -
道徳の評価なんているの?先生達は相手の道徳性を批評できるほど深い考えをもつ人間なの?
どうせ表層しかみとれないのに、道徳の評価なんてクソ喰らえだと思うわ。 -
生活所見や総合所見レベルの評価なんてもらってもな。
仕事増えただけ。
あー、残念残念 -
どうせ書けたって150字とかだろ。そんなんで道徳の何を書けるというのか。
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道徳
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成りすまし朝鮮人がよく使う偽名
青木・青山・秋本・秋山・新井・岩本・飯田・伊藤・池田・ 大川・大山
岡田・岡本・金田・金村・金本・金山・金岡・金子・木村・木本・木下・
小林・斎藤・清水・田中・高橋・高山・徳山・徳永・豊田・中村・中山・
橋本・原田・林・東・平田・平山・福田・福永・藤原・藤井・星山・前田・
松本・松田・松原・南・水原・森本・安田・山田・山本・吉田・和田・渡辺・ -
とても簡単なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
暇な人は見てみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
8XM8K -
何この荒らし
川島和正だって
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2 名前:実習生さん :2017/03/15(水) 14:49:31.31 ID:HEbFFszM
教師「はいじゃーP35読み終わった人から感じた事を心のノートに書いてね。5分でいいかな」
子供「え、もう授業終わり?」
子供「あと30分あるよ」
教師「あと30分6年生送る会の花作るぞー」
子供「イエエエエエエエイ!!!!wwww道徳終わったーーー!!」
道徳「…」
3 名前:実習生さん :2017/03/15(水) 14:53:56.19 ID:HEbFFszM
道徳(…今の子達は道徳嫌いなんだな…)
道徳(人生は結局人と人との出会いなんだ…道徳の授業には…人生で必要な事がたくさん詰まってるのに…)
教師「おい道徳」
道徳「は、はい!」
教師「授業だ」
道徳「えっ!?あ、、はい!!!」 -
国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと敷居の低いものの様にに見えます。
現代では政府が詐欺を行い徳義心はありません。
だから平和な時にこそ高い個人主義に重きを置き、安寧の未来への想像と戦略をねらなければいけません。
国家と道徳
https://youtu.be/6nuED3QIJhk -
政府が人間の生産性がどうたらと言っているが、
それは民主主義の崩壊なのであり国家主義だ。
皮肉なことではないか?
これでは人間のための社会ではなくなり、
人間は子々孫々これからは社会ための奴隷になるのである。
そもそも社会とはなんのためにあったのか? 我々が恐怖なく生きるためではなかったのか?
安全のためにつくったものに恐怖で支配されるとは間抜けなことではないのか?
だが国家主義のもとでは市民に恐怖を与えてシビリアンコントールをすることになるだろう。
正義や道徳はもはや慈悲あるものではなくなり、正義とはあらゆる人への妬み嫉みになってしまうのだ
なんてあべこべの世界になってしまったのだろか?
これでは完全に真逆である -
学校で道徳を教えることで暴力やイジメははなくなるのか?
まず絶対になくならない、かえって暴力的や陰湿な人間になることだろう
暴力の根底にあるのものは劣等感なのである、
劣等感は比較により生み出されるので成績をつける学校において暴力がなくなることはないのだ。
ならば成績を与えるべきではないのか?
それは無理である。できるできないなど、そもそも本人が気づいている。
劣等感を生み出す仕組みが理解されるときには、暴力を生み出すそれは大して重要なものではなくなる
他人と比較することをやめるからだ。
比較がないときにこそ、本人が情熱を持って打ち込めることへの発見となろう。 -
本人が情熱を持って一心に打ち込めることへの発見
これこそが、なによりも重要ではないのか? -
>>7
お前いい加減教育・教師板荒らすのやめろや -
道徳擬人化とかいう考え方がオタク的すぎて気持ち悪い
「なんで俺くんが!?」と同じレベルの世界だろ -
先生にほめられたい
あるいは親にほめられたい
でしたら、ほめられたいあなたは怒ることから逃げられません。
人々からの賞賛の声を求めるあなたにあるのものは、
快楽の不足、すなわちみじめさであり、その反発である怒りです。
誰ほど私が素晴らしいのか?
その自己賛美の気持ちがなければ、同時に怒りもありません。
はたして子供は突然にキレるのでしょうか?
褒められる良い子にしようとするときには、
その裏側で子供たちは、みじめさを養育しているかもしれません。 -
我々は、扱い易いように、褒められることに喜びを見出す子供に育てるべきなのでしょうか?
彼はその快楽を知るがゆえに、密かに周囲への怒りを抱えることでしょう
彼はプライドという他人によっていとも簡単に傷つくものを持ったので、
周囲を言葉や態度で傷つけずにはいられないでしょう、
栄誉を持つと、日夜、威嚇し傷つけ合うことでそれを防衛しなければならなくなるのです。
国家と国家の終わらない争いも所詮この延長にすぎません。
もし彼に「怒り」がないなら、「栄誉への希求」もないのです、
それは両方がないか、両方を抱えて自己矛盾のなかをいつもでも葛藤するかどちらかです。 -
偉大な人物を目指すその子には寛容さはありません
偉大な国民を目指すその国民には寛容さがありません
あるのは排除だけなのです
最初に寛容さがないのなら死ぬまでありません -
みなさんは全人類の知識をもはや手に入れたのです、手のなかの機械に
それで、賢くなったのでしょうか?
すべてを教えられて、人類はなにか賢くなりましたか
あいかわらず、あらゆる問題のつくり主なのではないでしょうか? -
問題のつくり主とは誰でしょうか? それはなんでしょうか?
事実だけがあってそれを違うものに変えようとしないときに問題はありません
理解が起こるだけです。
問題は「あるべきもの」です。
「あるべきもの」が、あらゆる問題のつくり主なのです。 -
公立学校をすべて潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止しクズどもを皆殺しにすべきだ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!! -
「理想をかかげて、そのなかで努力すること」
教師は、現実的ではないのです。理想の外にはでないように生存方法を限定することが仕事なのです。
それがブッタであろうがキリストであろうが、
彼があるべき理想の姿をさししめすのなら自己欺瞞と終わらない葛藤しか生まれません。
教師が君らは非暴力的であらなければならないというとき、その願望は現実的ではないのです。
妄想からはじめたものは、努力と研鑽の結果、所詮は妄想だったで終わることでしょう。
我々は暴力なのです、
自らが暴力そのものであることを自覚しなければなりません、
でなければ子供を愛しているといいながら
虐待する親たちを大量生産することでしょう
国民を愛しているといいながら
虐待する政治家や宗教家たちを大量生産することでしょう
彼らは「あるべきもの」を見ていて、実際に生きているものは見ていません。
自己欺瞞の終焉、それが暴力の終わりです。
あるべきことが一切ないのなら、そのとき死も暴力もありません。
注意しなければなりません、権力側だけではなく権威権力への「服従」も、また暴力なのです。
「あるべきこと」は、それが道徳であっても、生み出す結果は暴力なのです。 -
公立学校をすべて潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止しクズどもを皆殺しにすべきだ!!
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AIによって人間は進化するのか?
あるいは民族主義を教えこむことによって腐敗的なことをしない素晴らしい人間になれるのか?
人間は、「こうあるべき」という解答を得ると、もうそこから先はない
人生は生き方が限定されて自殺的な生存方法しかなくなる
かえって思考は、いますべき実際の行為とは反対のことつくりだして妨害するのである、
恐怖、すなわち自我と呼ばれているものは、思考によって実際の事実から逃げるようにつくられる。
目の前に足が悪い老人が立っている、腹を空かせた人が倒れている、服従を求める暴力が行われている、
あなたの即座の行為、あなた本来そのものがすべき行為を妨害するものは、思考や思想なのである。
他人から解答を手軽に得ないで
「わからない」「もうお手上げ」「もうやれることはない」ここまで行き着ことの方が大事なのではないのか?
これがすべての問題の突破口で、そこまで行ったときに自然と解決するのである。
なぜなら問題は
「こうあるべき」という常識によって起きているので、
その構築されたイメージが無くなるときが問題の解決となるからだ
教師は「まったくわからない」ことを責めるべきではない
なにも解答がなくなることを責めるべきではない -
まったく無駄!!不要!!いらない!!
全ての公立学校はどんどん統廃合すべきだ!!
今いる教員数を3分の1以下にすべきである。
見せ掛けのための教育と管理第一主義の糞校長・教頭どもを全員クビにして
教育に効率の良い学校へ転換することだな。
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするなよ!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員死ね!! -
デカルトさんはいいました「我思う故に我在り」
哲学者はいいます、この「私」は存在するのだろうか? と
「私」のありかを指差しても、そこに存在するものはなく、その存在証明はできません
しかし、その「私」が存在するのか疑っている意識があるということは、
その疑っている自分が存在するので、自分は存在するはずであると…
ですが
思考がなければ、思考者はいないのです。
国家や宗教、民族主義や共産主義や帝国主義、
自己肥大や自己拡張をいくら願ってもその自己とは幻覚であっていないのです。
それは「あるべきもの」であり実在しません、妄想です。
「私」とは、その発生源にまでさかのぼることができたのなら、
それは存在しないことによる恐怖です。
恐怖が自己なのです。恐怖と自己は別のものではありません。
訓練も修練も克服も勇気もありえません、それらは麻酔であり自己催眠です。 -
人間は、恐怖を行動の原因としているので、
いま実際に起きていることへの行為を妨げるのです、それはかえって為すべきこととは正反対のことをするでしょう。
はじめに、なにがあるのかは非常に大事です、原因は結果となるのです。
そこに自由ではなくて恐怖がいすわっていているので閉塞感が生まれて理想を必要とするのです。
そして理想を得ると、リアルなありさまからの徹底的な逃避が始まります。
理想の教室では、いじめは終わりません、理想の国家でも、理想の社会でもそれは同じことです。
あるべき理想を見ている人は、実際に存在するものを見ないのです、聞かないのです。
教師や国家の理想が、苦しんでいる子供を見ることを妨害するのです。
腹をすかせている、いじめられている、暴力や死活問題をまえにしていて、それに気づいても即座に行為することができません、
理想を必要としているその人は、恐怖そのものなのであり、リアルに付き合うことは自己の否定だからです。
あなたは理想の人間や理想のいい子を演じるために、すべての問題を自分から切り離すことしかしないでしょう。 -
人間の考える安全とはなんでしょうか?
安全な生徒、安全な社会、安全な国家、それらを求めることは果たして本当に安全なのでしょうか?
そこには理想による抑制があり自由がありません。自由がないので創造はありえません、
安全の希求からかえって人間の間には閉塞感が生まれるのです。
そして安全を求める無数の人々の恐怖が、ひとりの支配者をつくりだすのです。
独裁者とは非常に強力な1人がいるわけではなく、多数の弱者の権力への依存によって生まれるのです。そして強力な権力者となった彼は、更に大きな恐怖で大衆を支配するのです。とても皮肉なことでですが、弱者の権力への服従もまた暴力の根なのです。
恐怖が、いまのあなたであってはいけないというのです、恐怖は、あなたは他の何者かになるべきだと言い出すのです。
しかしそれが恐怖を更に大きくして神経質にすることでしょう、そして他人からの認知を求めるあなたは、他人への怒りに包まれるのです。
賞賛も怒りも両方要らないことです。ですが、どちらか一つでも求めればそれはセットで終始ついてきます、片方だけを得ることはできません。
世間から努力とよばれて推奨されていることは、美徳ではありません、それはただの貪欲です、
美徳は、無努力であってこそ可能です、秩序は行為を阻害しない自然体のときに可能です。
それは誰か偉い人になって成し遂げることではありません。どこの誰にもならないことです。
人々を理想に向かって努力させているものとは、
美しいものではなく恐怖です。 -
思考とは、「あるべきもの」を扱っているのであって、事実起きていることとは、まったく相容れません。
この「あるべきもの」運動が一切抜け落ちるのなら、それが不死であり、愛であり、すべてなのです。
宗教や道徳や、社会的あるいは宗教的な権威、
かえってその「あるべきもの」こそが、あなたと実在するものとの分離なのです、
「あるべきもの」こそが、いつまでも終わらない他人との障壁や、生存の葛藤や暴力なのです。
愛は、あるべきものである道徳の習得によっては獲得できません。
それはあるべきものが完全になにも一切ないときにあるものです。
生まれ落ちることの因果すべてを為し終えたといえるのはこのときだけです。
過去の因果が終わったその人はなにも一切知りません、未知を理解するのは新鮮な未知なのであり、
教義も教えもありません、それを持つ者は「あるべきもの」であり、「あるべきもの」ものを与える教祖やグルとはそのすべてが妄想なのです。
無垢とは、「あるべきもの」の不在であり、その不在ゆえに、
ただの人類全体なのであり、愛があり思いやりがあり注視があり理解が生まれることです。
それは特別な何者かになることではなく、ただの誰でもない人間であることです。全体的なただの人類としてあることです。
「俺様を誰だと思っているのだ?」
知性とは終始これの活動であり、これは滅ぶしかないものなのですが、その正体は存在しないものを求めている過去の死骸です。
知性とは過去の死骸が現在を生きようとしているお化けであって、あなたのものではありません。
悟性の阻害となっているものは、習い得た過去の知識であることでしょう。
あなたの文化背景がまったくなくなり、
あなたが「どこの誰でもない」ときに、はじめて他人をも愛せるのではないでしょうか?
ですが我々は、「あるべきもの」すなわち恐怖の育成に励み、それを「私」とするのです。
恐怖によって抑制されている人間をみて、彼は優れているというのです。
この世界の人間は閉塞的で破滅的ですが恐怖が生存を管理しているからです。 -
自己責任論とは、
自分たちの老後の不安を、ただ他人にぶつけているだけではないでしょうか?
この責任というものは、そもそも個人のものなのでしょうか?
それは環境に支配されいるあなた方にとって非常におかしなことではないのですか?
あなたが人類なのに、人類全般のことにおいてなぜ責任を負わないのでしょう?
戦争や貧困があります、なぜ国連において、あるいはG7、G20において、
今日われわれは人類の代表として問題を解決しましょうと誰ひとりも言わないのでしょうか?
世界の飢えを解決できるほどの人が一同に集まっていても、
その人たちは宗教や共産主義や民族主義や金銭主義の代表ではありますが、
あなた方人類の問題とは別のものだというのです。
どこの誰が責任を果たしたというのでしょうか?
最後の最後、それは死ぬ時に嘘だったのか本当だったのかわかることでしょう。
無残に消えてしまうなかで、ハッキリすることです。
あなた方自身は恐怖そのものなのでなにも解決しようがありません。
起きていることから逃げ続けて不安のなかをどうどうめぐりするだけなのです。
なぜ戦争があることを、これはまずいと思えないのでしょうか?
3歳?5歳? いまはテレビやネットがあり、ものごころがつくころには、
あらゆるところで最もとんでもないところに生まれ落ちてしまったと誰もが悟るはずです。
なぜ世界や人類全体から分離させているものをみないでしょうか?
それが生み出す暴力を見ないのでしょうか?
あなた方の知性とは非常に疑うべきものです。
それがすることは、起きている問題からの逃避です。 -
自己責任と言っているそれは本当に自己なのでしょうか?
それは自己ではないでしょう
なぜなら自己責任と言っているあなたこそが、
人類なのであってその代表なのであり、人類の歴史の結果としてそこにいるのであり、
戦争にも飢えにも暴力にも人類としての責任があるのです。
あなたの自己は、人類の問題を見ないように関わらないようにしようとはいわないはずなのです。
むしろその逆で、自己にもし生命があり生きているものならば、これは解決するべき問題であると
事態を注視するはずです。一切の脚色なく「ありのままに見ること」そのことがその問題の解決なのです。
自己責任と言っているものは、「人類の問題を見ないように」と言っているのです。
これが道徳であり正義なのでしょうか? 日本人はなんて幼稚な文明を自分の背景として生きてしまったのでしょうか?
ただの誰でもない、全体的な人類であることを避けていることは幼稚です。
道徳的であれ宗教的であれ政治的であれ、ネットであれ、
他人から教育で教え込まれたそれは、自己ではなくて他人から押し付けられたエゴイズムなのです。 -
あなたが、いま「私」だと思い込んでいて、人生の行動を恐怖に支配されてしまい
夢から覚めずに最後には無残に滅んでいくしかないこの自我とはなんなのでしょうか?
それは問題を細かくバラバラにして解決不可能にするのです、
あらゆる障壁をつくりだしてバラバラにしておいて自己から起きていることをすべて切り離して
問題そのものを見ないようにと避難させるのです。
ですが、死ぬときに、それはすべて見ていたことであって
かえってあなたが事態の解決を邪魔してきたことを知らされることでしょう
ただの人類ではない優秀な民族だと思えれば気持ちよいのでしょうか?
それをさせているのは、あなたが養ってきた恐怖なのです。
恐怖に言わされていることにさえもう気づくことができませんか?
自己責任と言っているあなたが恐怖なのであって、それ自身なのです、
どうか分離させようとして他人をつくりだして攻撃しないでください。
自分の中にそれをみつけて逃げずにいてみてください。
むしろ逃げずに怒り、悲しみ、嫉妬、恐怖それそのもであり一体となるならば、それは終焉してしまうのです。
恐怖を他人にぶつけても恐怖の終焉はありません。怒りをぶつけるなら怒りの終焉はありません。
真相は、あなたが「恐怖」なのです。
あなた自身から必死で逃げようとしているものが、自己責任と言っているのです。
エゴに騙されないでください、それは究極の生死問題です。 -
人類の問題の核心はなにか
それは「私」にあることは間違いありません
「私」というものには矛盾があります
「私」とあなたに分離しておいて、その自己憐憫から淋しから虚しさからまた統合しようとして、
家族や国家や主義、思想、宗教、社会集団に依存しておいて、また他の集団とは分離するのです。
今度はそれを統合させようと支配や従属を要求します。
ですが、実際は、統合を望むものがはじめに分離をつくりだしているのです。
思考者とは、分離をつくりだし続けながら愛や統合を望むという、絶対的な大矛盾なのです。
思考者は問題をつくりはすれ、解決はまったくありません。それには問題の解決はできないのです。
なぜ他人のなかに問題を探すのでしょうか?
問題があるとき、外部の人間や事実あるものを理想どおりの違うものに変えようとするのはなぜなのでしょうか?
思考者の解決方法とは、一つなのです、無限に考えても一個のみなのです、
問題を考えなくてよくするための安易な解答を過去から探すのです。
たとえばそれは「自己責任」というただの実態のない言葉です。
人類は考えれば考えれるほど、矛盾に慣れ親しみそれに大同していくでしょう。
矛盾が社会の権威となり、安易な答えを得たあなたは、問題を見ないようにそれに従属するのです。
あなたがその問題なのです。
問題を起こしている人類の代表なのです、それはあなたのなかにあります。
すべての問題は「私」という意識です。
その正体を知るのならそれは「純粋な恐怖」なのです。 -
まったく無駄!!不要!!いらない!!
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みなさんは「道徳」を通じて、問題の「解決」を欲しがっていますが、なにか解決したことはあるのでしょうか?
むしろあらかじめ解答があることによって、問題の解決とは不可能になるのではないか?
「私」という意識の働きを見逃さずに見るのならば、
それは正解をはじめに得ることによって、問題を直接見ることを避けるのです。
「あろう」「あれば」と終わりのない仮想世界に入るだけであって、正解を手に入れているのに問題はどこまで続いていくのです。
先生たちは、みなさんに道徳を通じてカンニングをすすめています。
それが道徳という「答え」に従いなさいってことなのです。
あなたが得た解答とは
それは必ず「問題を隠すためのもの」でしかありません
問題の解答を欲しがらないでください。それはなにも解決しません。
解答は、問題の目隠しなのです。
むしろ問題そのものとしてあり、その問題に入り込み、
詳しく事実のみを調査してなにも変えようとしないでください、
解決に一切の理想を持ち込まないのです。
「あるべきこと」は一切なくなり、事実あることへの純粋な観測だけが起きていることでしょう
しかしそれでは問題があらわになるだけではないか? 未知は未知のままで正解はないのではないか?
いえ未知であるのなら、「私」がいないので、
数万年ものあいだ続いてきている問題のつくり手がいなくなるのです。
あなたは誰でもないときに、はじめて問題の解決が可能になります。
社会的に国家的に宗教的に道徳的に、ネットやテレビ的に
偉い誰かになって、えばり散らしているときではなくてです
なにも知らないただの人であるときにです -
答えを知っているということの有害性に気づいてください。
それは問題をまったくみないことなのです。
校長先生の話は本当につまらないのです、
聞いても意味がないことでしょう。人生を萎縮させるだけで、まったく役に立たないことでしょう。
彼は毎朝、脅迫観念を述べているにすぎないのです
なぜなら答えを教えないといけない職業だからです。
「わからない」未知を未知のままに扱ってはなぜいけないのか?
答えではなく、問題があります、答えはどこにもありません事実を調べましょうというときに
問題が、その問題そのものが生命を持つのです。
「正解」から「脱」してください、それが解脱なのです。
あるべきことで問題を隠すのではなく、
問題そのものの当事者としてを問題を歪めないようにみることです
それが問題の終わりです。
問題のなかに民族主義だの道徳だの憲法だの宗教だの法律だのと
出来合いの答えを持ってこないでください
それはただの強迫観念です。
まったく「わからない」ということは大事です。 -
なぜ「わからない」ことを蔑むのでしょうか?
あなたが権威だからです。それだけです。
権威は正解を模倣することしか与えません、そうでなければ成績をつけれらくなるからです。
良い子たちは、楽譜を演奏することや模倣品をつくることは得意でしょうが、
オリジナルなものはつくれません。問題ないそれは生きていません。 -
校長先生はいいます、
私はひとかどの人物で、あなた方もひとかどの人物のならないといけません
教祖や道徳家や民族主義者や共産主義の指導者はいいます、
私はひとかどの人物で、あなた方もひとかどの人物のならないといけません
彼らはとても嘘つきです、
皆さんに与えたのは最終的に、自殺に至るほどの葛藤と努力という名の逃避なのです。
その強迫観念は、すべての国民を萎縮させ自滅させることでしょう。
どうして壇上に立ち、
私も人生については恐怖していて、その解決方法は思いつかないのだが、
みなさん一緒に考えようではないですか? と、
正直なことを偉い人たちは誰もいえないのでしょうか?
強迫観念から自由になるには渋谷でトラックをひっくり返すことでもなく
いじめで誰かを追い込むことでもなく、暴力やセックスで我を忘れようと努力することでもなく、
脅迫観念そのものがあることを見続けることではないですか?
私はひとかどの人物で、あなた方もひとかどの人物のならないといけません
偉い人からそれをきいた彼らは、渋谷で喧嘩やセックス依存になったりドラックをやったりトラックをひっくり返すのです
なぜなら、強迫観念で一杯になった我を忘れるためのあらゆる逃避に夢中になるからです
自分が強迫観念そのものなので、どうにかして忘れたいのです。 -
重工業を主体とした経済では、
大国は小国を武装化させます、そして近隣諸国に争いの元凶を与えるのです、
それはマスコミを屈指した民族主義であることでしょう。
しかし
誰が悪いと言わないでください
それは事実からの逃避になるのです、事実から逃避したときに、かならず戦争になることでしょう
重工業を主体とした経済では、超先進的な大国が効率よく小国に売れるものが次第に兵器しかなくなっていくのです
わたしたちはこれを理解したあげくの、よくよく冷えた頭で相手からモノを買わなくてはいけません。
理解がなければ、
熱い論争であるように見えて
実際はただの機械のセールスのためでしかない民族主義によって民族が滅ぶのです。
大国が小国を武装化させ常に周囲に分断を生み出すのはなぜか?
それは宗教や民族の問題ではありません、産業構造と経済の問題です。
産業構造がAIやサービスに変わっていくと
民族や国家の重要性はかなり薄くなるかもしれません
小国では、スマホの画面をみているだけで人生が終わってしまう奴隷だらけでしょう -
グーグル先生やi-phoneはなんでも正解を与えてくれます、
そしてあなたはいつもどこかの誰かを、あれが悪いこれが悪いと攻撃することでしょう
あなたはもうすでに奴隷なのです。 -
超先進的な大国は、
時代遅れの小人たちにお互いを攻撃しあう兵器を与えました。
わたしたちはこれを理解したあげくの、よくよく冷えた頭で相手からモノを買わなくてはいけません。 -
みなさんは核ミサイルのボタンは持っていません、銃の引き金に指をかけていません
しかし、戦争開始のボタンだけはみなが持っています。 -
公立学校をすべて潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止しクズどもを皆殺しにすべきだ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!! -
公立学校をすべて潰し、
クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止し
クズどもを皆殺しにすべきだ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し
効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
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悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!! -
貧困は人間がつくりだす病です。
あるひとが本來皆のものを蔵に蓄えて労働と交換したときから、それは発生しました。
衛生的な衣食住は、はじめにみなに必要なものであって努力して獲得するものではありません。
文明が栄えるのなら結果として得るものではなく、はじめになければなりません。
富が一箇所に集中しました、労働者は貧しく家庭をもてません、このままでは将来の生産労働と消費はありえません
いま大企業やお金持ちが持っているそれは、
はたして「お金」なのでしょうか?
世の大衆が貧すれば貧するほど、人がいなくなればいなくなるほど、
なによりも大事にしていた金はただの数字でしかないものに近づいていくのでしょう。
なぜならそれはそもそも実在するお金ではないからです。それは所有者とは別の、赤の他人の将来の労働量です。
世界の富を握った彼は今日どのくらいモノをつくれるのでしょうか? 人間一人が一日必要とする分も無理なのです。
集めた分の労働は1人でこなせますか? とてもではないが無理なほど集めたのです、
集めた金を分配しないので、ますますそれは無価値になっていきます。 -
いまやお金がお金をつくるのです、
お金はすでに観念になってしまっていて、まったく何も存在しないところからお金は生まれてくるのです。
政府がこれ100円ねと書いた紙切れを日銀に与えると日銀は100円を発行して、
それは民間銀行にわたります。
銀行は100円を担保に99円をつくります
99円から98円を、98円から97円を、97円から96円を………それすべてに利子がつきます。
あっというまに100円は高利子つきの5000円になりました。
しかし増えに増えたこれはコンピューターのなかにだけある数字であって使えません。
元は100円と書いたゼロ円の紙切れなのです。
それは大量生産と大量消費の、まるでそれに価値が実際に存在するような人々の行いによって、はじめて5000円となるのです。
そこには将来に渡るながい労働と消費がないとその幻覚は終わってしまいます。
誰かが馬鹿げた屋敷や政府が返済に1世紀以上かかる戦費などの膨大なローンをいつまでも払い続けることで、
これはどうもお金らしいと信用を得て利子がうまれます。
大衆がことごとく貧する、家庭も持てずに人がいなくなっていく、そのときその幻想はどうなるのでしょうか?
集め回ったお金とはいくら蓄えても無価値なのです。
誰にも与えずに一体なにを集め回っているのでしょうか?
数字ではなく、その蔵の中身を見てください。なにがあるのでしょうか?
このお金は、それに価値をつけたければ、そもそも貯蓄性がないのです。 -
お金を大量にコンピューターの上にすりました、海外から沢山の労働者がくるのは必然でしょう。
発行した分の労働と消費が足りません。
外人さんが労働者として沢山やってきます、
それは日本企業にとって日本人の次の、あらたな使い捨ての労働力となるのでしょうか?
ですが、新興国のように安い労働力の国となってしまっては、
これからますます海外の企業も沢山やってきて、日本の会社よりももっといい条件で日本人や海外から来た労働者を雇いいれることでしょう。
みな使い捨ての労働力と考えてきたために、かえって国内では、いまよりも厳しい外資企業との人材確保の競争にさらされるのかもしれません。
これでは一億みな奴隷の国です。
世界を牽引するイノベーションなんてものは、起きるのでしょうか?
頑張ったら、いずれ安定するのではなく、
はじめにあるものが、結果です。安定には、はじめに安定が要ります。
社会の安定には、その社会のはじめに安定がなければならないでしょう
あなたは、その社会のはじめを知っていますか?
あなたともう1人との関係が、社会全体が受け取る結果なのです。
関係を隔てるものを発見してください
そこには沢山の「こうあるべき」という障壁があることでしょう
しかしそれは幻覚なのではありませんか? -
あなたは神を信じますか?
信じないと地獄に堕ちると脅しながら叫んでいる人たちがいました
その強迫観念でできた神とはなんなのでしょうか?
この神は、他人に信じてもらわないと存在できないものなので、私たちは困ってしまうのですということなのでしょう。
世間はいろんな神や仏や象徴的存在がいますがどれも集団的な幻影です。
たとえ自分でつくりだしたものであっても信じ込むと、その幻影を見て会話し、その幻影に支配されることができます。
集団的幻影はすぐさま権力となって、人々から略取しまくるでしょう
そして、ますます生きることは苦しくなって、また自分たちがつくった幻覚の権力にすがるのです
しかしそれは一時的な陶酔という麻酔を与えてくれるだけで、そもそもの苦しみの原因なのです。
リアルに存在するものに出逢うには
疑うしかありません。集団的幻影を本気で疑い尽くすしかありません。
「こうあるべきもの」が全部崩壊し尽くすと、
そこにはまったく手付かずの「未知」なものがあることでしょう
決して知り得ないということがあるでしょう、それはすべての対象物からの解放です。
そこに私達がつくった神は1人も入れません。
リアルにたどり着くまえに象徴的存在は一辺も残らずにすべて絶滅してしまうのです。 -
象徴的存在が搾取に便利な権力として利用できるものではなく
どこの誰でもない「ただの人」になってしまう
リアルと一緒にいるとは、そういうことです。 -
まったく無駄!!不要!!いらない!!
全ての公立学校はどんどん統廃合すべきだ!!
今いる教員数を3分の1以下にすべきである。
見せ掛けのための教育と管理第一主義の糞校長・教頭どもを全員クビにして
教育に効率の良い学校へ転換することだな。
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするなよ!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員死ね!! -
公立学校をすべて潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止しクズどもを皆殺しにすべきだ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し
効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!!
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