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日本近代史
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薩長土肥で一番地味な佐賀藩を語ろうじゃないか
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戊辰戦争敗者の会津藩より知名度が劣り地味に成り下がってる佐賀藩だが
幕末の日本では筆頭格の科学技術立国こそ佐賀藩 - コメントを投稿する
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奇跡のアームストロング砲
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奇跡のアームストロング砲
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奇跡のアームストロング砲
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佐賀藩が一番活躍したのが上野戦争と秋田戦争なのだが、上野戦争はともかく秋田戦争は結果的に勝ったのは良いが
戦闘全般が負けに負けた戦争だから、官軍としては都合が悪いので無視気味なんだよ。
長州の桂太郎も薩摩の大山綱良も、鬼玄蕃に負けていて戦局を見抜いていたのは佐賀の前山清一郎だけ。 -
キングダムの鍋島直正かっこよすぎるな
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日本では筆頭格の科学技術も訪米から見れば所詮小国
欧米から輸入した大量の中古武器には見劣りする -
あくまでも日本国内ではね
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唐津くんち
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>>6
わかる -
佐賀人の通った後は草一辺はえない
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今の佐賀人はどうだろうか
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内分知しすぎて中堅大名の領分しかなかったとか
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江藤が晒し首にされたのに、大隈と副島は大久保と親しかったらしいのう。
木戸は江藤がやられてブチぎれたけど。 -
大久保「江藤は処刑と聞いて、腰を抜かしよったwww」
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ただ江藤は佐賀の乱で一声で1万人近くを集めるカリスマ扇動能力は高いよ
人望は無かったかもしれないがな -
教育県から浮気県へ
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江藤新平の功績で法曹界を佐賀県人が占めていたのも過去の遺産か・・
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佐賀藩といえば二重鎖国
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しかし幕末佐賀藩に光が当てられる時代は来るのか?
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鬼玄蕃をもとに大河を作ったら、必然的にライバル佐賀に脚光が…
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閑叟イザ初お国入りということで江戸を出立しようとしたら出入りの商人らから金払えと言われ1日遅れになるはめに
これがきっかけで財政再建するに至るとw -
化け猫の末裔
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技術大国サガ!
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佐賀城公園行ってきたぞ。お目当ては美術館の山下清展だったけど、
本丸歴史館では、江藤新平特集があって
お堀から出てちょっとのところにある大隈重信記念館も行ってきた
2人とも脱藩したけど、鍋島直正公が寛大で軽い罰で許したとか -
じみさが
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SAGA
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地味すぎる
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でも強い
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佐賀は技術大国
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アームストロング
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技術こそ正義
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さが
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実は佐賀藩こそキーパーソン
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宮さん宮さんでは二番で薩長土ってなっているけど、五番で薩長土肥ってなっているんだよね。
後付け感がものすごい -
0100名無し三等兵
垢版 | 大砲
海軍大将を5人輩出した(草創期は芋侍しか大将になれなかった(#^ω^)
中牟田倉之助初代軍令部長のことも忘れない!)佐賀藩のものだが
スレ違いですまんが答えてほしい
メンテ、政治的、宗教的に 兵士の休養含めてアジアで米軍が
一番駐留に適しているのにアメ公は地位協定含めてゼロ回答なのか?
0101名無し三等兵
垢版 | 大砲
2024/05/03(金) 01:03:02.73ID:hDkOcAAR
海軍大将を5人輩出した(草創期は芋侍しか大将になれなかった(#^ω^)
中牟田倉之助初代軍令部長のことも忘れない!)佐賀藩のものだが
スレ違いですまんが答えてほしい
メンテ、政治的、宗教的に 兵士の休養含めてアジアでは日本が米軍駐留に
一番適しているのにアメ公は地位協定の改定事故調査でなぜゼロ回答なのか? -
おかげで化け猫騒動のことをわすれてもろえた
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鍋島騒動
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うもれすぎ
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佐賀藩、地味なんてとんでもないですよ!幕末維新を牽引した「薩長土肥」の一員として、独自の輝きを放っているんですよ。
まず、西洋文化の窓口としての役割が挙げられます。長崎港の警備を担っていたため、いち早く海外の情報を取り入れ、藩政改革に活かしました。反射炉の建設や蒸気船の建造など、日本初の試みも数多く残しています。
人材育成にも力を入れていました。藩校「弘道館」では、武士だけでなく庶民にも教育の機会を与え、近代日本の礎を築きました。維新後の政府高官を輩出したのも、この教育制度があったからこそと言えるでしょう。
さらに、藩独自の文化も発展しました。鍋島藩主の篤学ぶりから「文武両道の藩」として知られ、儒教や蘭学、医学など幅広い分野で優れた人材を輩出しました。
地味に見えて、実は奥深い魅力が詰まった佐賀藩。 -
ジミ佐賀
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佐賀名物は大砲
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佐賀藩よ甦れ!
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>>42
長崎警備で海外情報をいち早くキャッチして、藩政改革に活かしたなんて、まさに先進的な藩だったんですね。 -
諫早家の昭和のご当主は小坊の頃行事があるたびに体育館の壇上に座らされてそれが嫌でたまらなかったとか
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>>47
諫早家の小坊主が、行事のたびに体育館の壇上に座らされることに強い嫌悪感を抱いていたというエピソードは、興味深く読ませてもらいました。その苦悩の背景には、どのような理由があったのでしょうか? -
多分旧龍造寺4家は藩創設時からそのまんま領地を受け継いだカタチなんで地元の影響が現代でもあったという話
詳しくは中嶋某が書いた書籍に載っている、所謂旧華族の実態みたいな内容
取材する前に近所の寿司屋かなんかで食事しつつ情報集めていたらまさか裏の長屋の住人が旧華族だったことに
驚いた大将とか色々 -
佐賀で一番つえーのは化け猫だは
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違う、井手ちゃんぽんや
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>>50
歴史版各地のスレに書き込まれているこのキモいスレは、上の西郷吉之助のレスも間違いだらけで、AI生成なんだろうが、何の目的があって書き込んでいるのか -
がばい
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ムシゴロウだったは
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葉隠なんてキチゲー思想を生み出した
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そりゃ藩創生の経緯が複雑なんでね、しかも旧龍造寺系は兎も角内分知のくせに諸侯扱いなもんだから分家筋が本家と対立
表高はそれなりなのに内実は中級と何ら変わらずという有り様
武士とはかくあるべしなんて問いたくなる -
追放ざまぁ
長州追放して迷走した天皇と佐賀の皇道派 -
それでも技術大国なんですよ
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当時、日本における産業革命を牽引してきた佐賀藩は、パリ万国博覧会(1867年)に出展するなど、日本屈指の軍事力と技術力を誇っていました。しかし、中央政局に対する姿勢を明確にすることなく、大政奉還、王政復古まで静観を続けました。また、藩士の他藩士との交流を禁じ、「鎖国藩」と呼ばれるほど国内でも珍しい存在でした。しかし、1867年には藩主直大が新政府から北陸道先鋒に任命され、佐賀藩兵も戊辰戦争に参加するために東上し、江戸における上野戦争などで戦いました。その結果、明治政府に多数の人物が登用されました。明治維新を推進させた人物を輩出した藩として、薩長土肥に数えられ、副島種臣、江藤新平、大隈重信、大木喬任、佐野常民らが活躍しました。また、田中久重など、他藩の有能な人材を積極的に登用し、日本の近代化に貢献しました。しかし、江藤新平和島義勇は明治7年(1874年)に佐賀の乱を起こし、処刑されています。
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>>57
お前近代史板のあちこちのスレにAIからコピペしたデタラメな文章を貼り付けてるキチガイだろ
AIで生成した誤謬だらけの文章なんて自分で二重チェックしないと使えたもんじゃないのを「学習」したほうがいいぞ -
佐賀の力
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大隈さんの生家から焼く1キロのところに住んでる佐賀市民だが一応回想で大久保のことを偉人みたいなこと言ってる
だが中公新書によると大隈さんが佐賀戦争の江藤先生に対する過酷な仕打ちへの抗議か本当に病気だったか
4日ぐらい出仕しなかったら大久保が政府が回らないからと大隈さんを見舞ったらしい
大隈さんは鉄道開設で大久保と西郷から反対されてるし上記のようなことを言われて心底芋侍の知性教養のなさを
感じていたと思う -
佐賀出身だけど正直、薩長土肥なんて言われたくないわ
あんな暴力的な薩長と一緒にされたくない
佐賀は戦争に巻き込まれた被害者 -
いかにせよ佐賀は戊辰寸前まで佐幕なのか討幕なのか良く分らん立場で中途半端すぎたな
功利主義ではないんだろうが勝ち馬になることだけは成功してる -
だが新政府では江藤の大失態もあり佐賀藩は大隈しか活躍できなかったな
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副島、大木、佐野もおるやんけ
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どれもこれも小物すぎてな・・
唯一人の大物といえたのは大隈重信だが維新三傑や長州三尊に
比べたらスケールダウンしてしまうのも仕方ないか
大隈重信は孤軍奮闘で頑張った佐賀藩の偉人だと思うよ -
確かに薩長閥の天下である新政府内では一人だけ佐賀藩の代表で気を吐いてたのが大隈重信
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小笠原長行1822年生 長州征伐の指揮官となるが采配ミスにより敗北し幕府を滅ぼした。謹慎中に子作りにいそしむ。佐賀県出身
小笠原長生1867年生 長行の息子。東郷平八郎の腰巾着。対米開戦にむけて東郷平八郎と伏見宮博恭王に余計なことを吹き込み日本を滅ぼした。佐賀県出身
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