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日本近代史
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シベリア抑留の悲劇を語るスレ
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このカテにシベリア抑留の悲劇を語るスレがなかったのは驚いたから立てました。
なんでもいいですから、この歴史について語ってください。よろしくお願いします。
60万人拉致されて、
酷寒の地でまともな衣食住の環境も与えられず強制労働で6万人亡くなったそうですが、なんでこんなことがまかり通って、まともな謝罪もなく今日までに至っているの?? - コメントを投稿する
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ソ連の60万人拉致は合法だったの?
ソ連は、敗戦の帰還兵ではなく戦争の捕虜だと言っていたらしいけど
敗戦の帰還兵はいけなくて、戦争の捕虜ならいいという理屈がわけわからない -
>>1
謝罪なら一応エルツィンが日本訪問の前にシベリアで遺憾の意を表明している。
天皇陛下や首相が遺憾の意を表明したとき外務省やマスコミは元首クラスの遺憾の意の表明は謝罪と同義としていた。
当然ロシアにもそれを当てはめなきゃ不公平だろ -
謝って済むなら警察はいらんやろ
謝ったってことは、完全にポツダム宣言違反であって、なんの補償もしないのは謝罪にもあたいしない。
現にウクライナ戦争でも全く同じことをしているしな -
朝鮮みたいなことを言っているw
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共産主義の試験に合格しないと帰らせてもらえなかったって??
日本は社会主義みたいなもんだから合格しやすかったろうな -
表面だけ共産主義万歳とやっているひとと、熱心な活動家の人がいて必ずしも後者が先に帰国できるわけもなくランダムだったとか
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帰ったら差別をうけたんだから、生半可な勉強では合格はできないでしょ?
まあ当時の日本人も
寄生地主に利益搾り取られてた小作人が多かったから私有財産がない共産主義者みたいみたいなもんだったと思うけどさ -
>>8
ちょっと陰口で怪しいと言われただけだよ -
ソ連・ロシア政府からの補償はなし
亡くなった人は日本政府からたったの10万円渡されて終わり -
>>10 マジ??それはきついね。まあ空襲での被害もろくに補償していないと聞いているからね。
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ロシアの黒パンが栄養高かったから助かったところもあったとは聞いた。ライ麦パンって日本じゃ馴染みないけどな
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最初は抑留者もまずいといって閉口していたのだが、しばらくたつと切り取る大きさに目を光らせるようになる。
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死人が出て取り分が増えて喜んだとか言ってたな。
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生き延びた人たちって何か共通点があったんですかね
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条件が良いトコは生き延びやすかった。
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イルクーツクとか大都会の周辺に配置されたのは生き延びやすい。食料をこっそり恵んでくれた老人とか、住民と物々交換すらできないからね。
第二シベリア鉄道建設に割り当てられた捕虜は住民と物々交換とかも出来ず、ひたすら辛かった。 -
性格的にゴマスリが生き延びやすかったとか
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ゴマスリしても黒パンの配給は棟単位だから変わらない。結局日本人担当者が均等に分ける。
帰国は熱心なシンパを演じても消極的に万歳しててもランダムだった。 -
近所のじいさんがシベリアで捕虜になってた時の本書いてて貰って今も家にある、販売してないやつね、そのじーさんがいた所では、顔真っ赤に怒鳴り散らし、自動小銃で威嚇してきたりあるが捕虜の4年間ロシア人の暴力は無かったって書いてるわ、関東軍の豪の者がタボール(斧)構えて逆ギレしたらバツが悪そうに引っ込んだりもあったみたいやで、
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ソ連兵には女性がいて、女性将校までいたから日本兵はびっくりしている
満州での日本兵からの略奪がすごかったソ連兵、腕には略奪した腕時計が何個もつけていた
ソ連兵士は直接の上司から以外の急な命令は聞かず、階級の差が大きい日本兵は驚く
ソ連軍には体罰はなく、ものすごい剣幕で怒鳴るようにするだけ。これも驚く
日本軍高級将校とかは降伏してからも、おつきの兵士がいたりして、それを奴隷みたいに扱う人がいた。それを見たソ連一般兵は、その扱いをやめるように言った。
最初は夜学で共産主義を東大で学習した(当時の経済理論はそれが最先端だったし、仕方なかった面もある)兵士が教壇に立ったが、しばらくたつと詳しすぎるからかその人は辞めさせられ、肉体労働部門に移動させられた -
>>20-21
御貴重なお話ありがとうございます!!! -
じーさんも、収容所での弁論大会で委員長に目を付けられ、3名で指導者講習を40日間エズベストコバヤの街で受けさせられたそう、「嫌です」といったらしいがw立場的に講師もさせられたみたい、先に帰国したものがじーさんの家族に「筋金入りの共産主義者となって先生と呼ばれている」と伝えてたため、帰国したら誤解を解くのに大変やったそう、事実帰国しても故郷に帰らず京都舞鶴からその足で東京代々木の共産党本部へ入党手続きしにいく等の新聞報道が度々あったみたい
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>>23 マスゴミまで来てたんだ。あくまで生きていくためだったのに大変な思いしたんだね...
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>>21 日本とは同じ縦割りだけどすごいカルチャーショックだよね。
シベリアで学んだのは「ノルマ」という言葉だけだと思っておりやした。スマセン。 -
>>25
ある日得体の知れないソ連人が1人、毎日出入りするようになり(軍人の服装でもない) -
当時はソ連の方が日本より男尊女卑激しかったと思うけど
日本は女性の軍人活用しなかったのはまずかったな
あと体罰って日本独自なんか・・ -
男尊女卑は日本の方が…
計算はソ連軍兵士はからっきしだった。基本的な九九も覚えておらず、日本軍兵士が助け舟を出しても意地でも納得しない。
朝に寒い場所に集めて、工場◯◯名、農場□□名、道路整備△△名と言われてもなかなか分けられない。
兵士は直属の将官でなければ、命令に従う義務はなかった模様。(詳しくはわからない)
道路工事で交通を止めていたのに、将官がそこを通ろうとすると、警備の一般兵が将官止まれ!と一喝して通行をストップさせた。
これを見ていた日本兵はもの凄く驚く!
満州での日本人への暴行、強姦は酷いレベルだった。
民間人の若者は捕虜を盛んに馬鹿にしていた。年寄は日露戦争で負傷した人は敵意をあらわにしていたが、ソレ以外は秘密で
食べ物をポケットに入れてくれたりした人もいた。
日露戦争の捕虜でソ連に帰化した人がいた。その後の扱いを考えると、ソ連で妻をめとった方が幸せだったろう。
ソ連の若者は盛んに日本人を見て「マツオカ マツオカ ヤポンスキー」と節を付けてバカにした。
まあ、ソ連は和平条約を破ったと日本側から見るとそうなるけど、松岡外相のしたことをソ連の立場で見ると、自ら和平条約取り
付けながら、いざドイツがソ連を攻めると一転して北進論を唱えているからなあ。不信感ありありで、A級戦犯で呼ばれるのも当然か?
余裕が出てくると、手に職を持っていて、散髪とかができる人は専用に理髪を仕事をするようになった。そこには、ソ連軍兵士も出入りしていた。
南京虫とかがひどく、髪を積極的に短くすることがソ連軍軍医からも指導されていた。
極寒の地では着替えが無い場合、汗をかかない程度に働くのがコツで、それを守れない日本人は1年目にバタバタ死んだ。
下着が汗にぬれると、就寝時に下着が凍って朝には凍死するわけだ。 -
>>28 そらしらんかったわ、ありがとう
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口より先に拳骨が飛び、指導に、又は古年兵の威厳を保つ為にか
私的制裁、即拳骨が唯一の方法とされていた旧軍時代のしきたりは
当時は「これが至極当たり前」と思っていたものの、今思えば
世界中で最も情けない意思の伝達方法ではあるまいか -
うちの爺さんは軍医だったからなかなか帰国させてもらえなかった
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近所のじいさんも指導者講習まで受けさせられたから、最後だと思っていたが
作業中に骨折入院し帰国できるようになった、ナホトカで船にのったとき
「お前は講習受けているから最後まで残ってもらわなあかん、下船せよ」
と云われるかドキドキしてた、やっとエンジン音が高まった時
「ソ連よ!ドスビダーニャ!シベリアよあばよ!金を呉てももう絶対に来ないぞ!!」 -
テスト
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今日本に避難してるウクライナ避難民は終戦当時、ソ連邦の1部で、満州進行時
の20パ−セントはウクライナ人。プーチンが占領してる部分は、元ロシア領で
フルシチョフが友好の証としてプレゼント。フルシチョフはウクライナ人。
ウクライナの地でも抑留はあった。フルシチョフは日本領土返還を反対した
現在北方領土を不法占拠してるのは4割、ウクライナ人。 -
シベリア抑留者は、工場などで働かされると、近くにウクライナ女子がいた。
なにしろ、ウクライナ人の男は多数戦死しているから、女子から色目をつけられる日本人捕虜も多かった。
日本に婚約者がいると、それを拒んだけど、いざ帰国するととっくの昔にその女性は結婚しているとかあったようだ。 -
映画のひまわりのようだ マエストロヤンニがウクライナ女性役のサベーリエワに助けられて結婚
はるばるイタリアからマエストロヤンニを探しに来たソフィア・ローレンと修羅場を展開していた
こうした事は多々あったんだろう ドイツの戦後記でも、捕虜生活が終わって帰ったら嫁が再婚してた とかドイツの場合女性補助員も捕虜になってたから夫が再婚してたってのもあった
どこも男不足だから、嫁の再婚確率はそれほどではなかっただろうけど -
>>37
市川房枝は各種戦争条約を守った戦争を想定し、東條英機はやたら厳しいそれこそ餓死上等な戦闘を想定していたんだろ -
コックリさんが流行していたらしい。
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近所のじいいさんは帰国後、某県庁に出向き復員にいたるまでの4年2か月で4200円が支給された
これは学生時だと隣の二階建ての大きな家が5000円で建ってた
すごい大金が手に入ったと思ったらしい
入隊前のハルピンで120円ぐらいの給料、内地で就職した友達は60円
その4200を支給された日にピースを買ったが
「40円」って言われて、カートンかと思ったら、間違いなく10本で40円だった
金の価値の下落の恐ろしさを知った -
>>38
東條英機は疎開どころか防空壕すら反対してる -
>>41 へ〜そんなことがあったんですね!
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今日の日経に広告されてたこれなんか面白そうだね。かなりの賞受賞してるみたいけど。
シベリア抑留の悲劇も書いてあるみたいなので貼りました。
日ソ戦争 帝国日本最後の戦い 麻田雅文 著
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