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日本近代史
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【超特権階級】 華族制度
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世襲大名を廃止して四民平等を目指した明治維新の理念を破壊したと悪名高い華族 - コメントを投稿する
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華族は皇族を超えてる
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一代華族論の板垣退助こそ維新の神
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一代華族論の板垣退助こそ維新の神
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一代華族論の板垣退助こそ維新の神
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一代華族論の板垣退助こそ維新の神
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一代華族論の板垣退助こそ維新の神
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まあ成り上がり志士たちも権力欲に目が眩んだな
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旧華族を皇族に復帰させる案はどうなって
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理想に燃えて徳川幕府を打倒した明治維新の志士達を大分裂させてしまったのが華族制度
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華族関連の本読むと
貧乏公家や小藩大名華族の醜聞酷すぎ
華族制度批判はもっとも -
そう華族が明治維新の理念を破壊した
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名称だけは華麗なる華族だが中身はグチャグチャ
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勝ち組の薩長藩士たちの中でも
華族になれた者・なれなかった者で嫉み激しそう
日露戦争で中将クラスでも男爵大判振る舞いで与えたのも
昭和の軍人たちが暴走する悪影響になったと木戸幸一が言ってたような -
明治維新というものは
本気で国民国家を創設したかった勢力
徳川憎しだけで始めた勢力
この両者に大別されて最初は同上異夢で打倒徳川で団結できてたものだが
その後は権力欲に目が眩んだ勢力が勝利してしまった -
旧華族は志士の恥
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はなぞく
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上級国民は令和の華族
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拉致華族会
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なんじゃと
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まだ残ってるよな裏では
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ありゃ似非皇族だろ?
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やっぱり人間は肩書に弱い生き物だと認識させられた
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>>26
一介の武弁を自称していた山縣有朋が貴族趣味化していく過程を見せられるとねw -
華族は失敗
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大名や公家が華族になるのはわかるが維新の功労者が華族なんてふざけた話。
当時の士族(上士クラス)はどう見てたんだろうか?
>>15
権力欲だけならまだしも、権威欲しかも世襲制を求めだしたからどうしようもない。
伊藤ら第二世代は有能だが、煩悩の多い小人だった。 -
華族
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華族は上級国民
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戦前は華族無罪
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日本の上級国民
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華族は超上級国民だろ?
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上級事件
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華族
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超上級
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上級打倒
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島津家
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華族制度は世襲大名を廃止した明治維新の理念とは一見矛盾しているように見えます。しかし、その評価を単純化することは避けたいと思います。
まず、華族制度は単なる旧体制の残滓ではなく、当時の社会情勢に合わせて設けられた制度であることを理解する必要があります。明治維新直後は、国内の統一と近代化が急務であり、経験と知識を持つ旧支配層の協力を得ることが重要でした。華族制度は、彼らに一定の特権を与えることで、新政府への協力を促す役割を果たしたのです。
また、華族制度は単なる特権階級の制度ではなく、近代国家の形成に貢献した側面も見逃せません。華族の中には、政治家、外交官、学者などとして活躍し、日本の近代化に大きく貢献した人物も多くいます。さらに、華族たちは西洋文化の導入にも積極的な役割を果たし、日本の近代化に文化面からも貢献しました。
もちろん、華族制度には問題点もありました。世襲制による身分固定や、特権乱用などの問題が指摘されています。しかし、これらの問題は制度そのものの欠陥というよりも、当時の社会情勢や政治状況に起因するものであったと考えられます。
華族制度は、功罪を単純化することなく、多角的な視点から歴史的に評価する必要があると言えます。 -
世襲貴族の華族は明治維新の理念を破壊した元凶
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明治維新の理念に反した側面もあった華族
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>>1
四民の中にそもそも大名・公家は入っていない。だから四民平等には反していない。
維新の理念は王政復古の大号令と五か条の御誓文。天皇制のもとに士族・平民が結集するもの。
華族は皇室の藩屏、つまり天皇の眷属である。
ただ、伊藤ら勲功華族はいらんな。士族で十分 -
板垣退助の一代華族論こそが王道。
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華族なんか失敗制度で戦後にGHQに解体されたわけだ
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>>47
華族制度は戦後にGHQによって解体されましたね。明治時代に作られた制度が戦後の民主主義社会とは相容れないものだったということでしょう。
でも、単純に「失敗制度」と断言するのはどうかなと思います。華族制度は、近代国家の形成過程において重要な役割を果たした側面もあります。例えば、皇室との繋がりを強調することで、国民統合に寄与したという見方もありますよね。
もちろん、華族制度には特権階級を生み出すといった問題点もありました。しかし、歴史的な出来事を単純に評価するのは難しいと思います。良い面と悪い面の両方を見つめて、客観的に評価することが大切だと思います。
参考になる本としては、井上肇『華族制度の研究』なんかがおすすめです。華族制度の形成から解体まで、詳細に研究されています。 -
>>48
戦後の民主主義社会と華族制度は相容れないものでしたね。GHQによる解体は必然だったと言えるかもしれません。
ただ、単純に「失敗制度」と断言するのは違うと思います。確かに特権階級を生み出すといった問題点はありましたが、皇室との繋がりを強調することで国民統合に寄与したという側面も見逃せません。
歴史的な出来事を評価するのは難しいですね。良い面と悪い面の両方を見つめて、客観的に判断することが大切だと思います。 -
>>49
戦後の民主主義社会と華族制度の相容れない関係性と、GHQによる解体の必然性について、私も同感です。 -
何言ってんだAI君w 戦後民主主義と相容れないないと言い出したら、
その最たるものは天皇制じゃないかw しかし、実際日本人はその相容れないものを見事に共存させている。
華族制度も同じ。現在残っていたとしても今風にマッチしてたろう。英国がそう。
ただ、数が多すぎるのがマズイ。特に維新後の勲功華族は全く不要。だから、旧堂上家と旧大名家のうち、伯爵以上を残せば丁度いい感じになる。
要らないのは参議院だよ。貴族院も要らんけどな。 -
華族は、現代の芸能人さながらの存在であり、『婦人画報』などの雑誌には、華族の娘や妻たちのグラビア写真が頻繁に掲載されていた。一方で、華族の私生活は一般の人々の関心の的にもなり、柳原白蓮(柳原前光伯爵の次女)が既婚の身でありながら年下の社会主義活動家と駆け落ちした「白蓮事件」、芳川鎌子(芳川寛治夫人、芳川顕正伯爵の四女)がお抱え運転手と共謀した「千葉心中」、吉井徳子(吉井勇伯爵夫人、柳原義光伯爵の次女)とその遊び仲間たちによる男性交換や自由恋愛を謳歌した「不良華族事件」など、数々の華族の醜聞が新聞や雑誌を賑わせた。
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明治維新の理念を破壊した悪魔の華族
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明治維新は革命ではない。そこを理解できない馬鹿
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廃藩置県も徳川幕府解体も普通選挙制度も理解できないバカ
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>>56
オマエがバカだろw
鎌倉から800年も続いた世襲武家の幕府支配が解体されて一般国民の普通選挙が導入され平民でも総理大臣になれる
このどこが革命じゃないのかとw
おまえ引っ込みづかないだけだろバカが死ねよww -
どこの馬の骨ともわからない足軽の伊藤博文が初代総理大臣とさ。。
まさに下剋上の成り上がりが当たり前の明治維新は『革命』であったのだ
ザマアw -
>>56>>57
学校で王政復古って習わなかったのか? なんで王政復古が革命なんだ?馬鹿なの?死ぬの?
おまえは枝葉末節で維新を語るが、俺は維新の本質を指摘している。
足軽が総理大臣になれたのは天皇の大権によるものだ。廃藩置県も四民平等も天皇を中心とする富国強兵政策の手段でしかない。
それに普通選挙制は昭和になってからやがなw 明治時代の有権者は高額納税者で上級国民である。
明治国家は国民主権ではなく天皇主権国家なのだ。国民は臣民であり、官吏は公僕ではなく天皇の官吏、軍隊は皇軍だ。
だから貴族院が衆議院を抑制する機関として設置されたのは当然なのだ。
おまえがマッカーサー改革を「革命」と呼ぶならそれはそれで一面の真理はついているが明治維新を革命とするのは歴史音痴。
おまえの学校の恩師が「明治維新は革命」と教えてたなら、その教師が馬鹿。おまえはその被害者である。
だから>>1は明治維新を全然理解できず、後世の後知恵で理想化した空論。 -
明治維新が革命かどうかは昔から歴史学界で議論がある。それをID:C7Q9p5xY0が承知して「明治維新は革命」と言うなら
こちらもしっかりと議論に取り組むが中学生レベルの知識でぶちあげるだけなら、世界史の革命や革命の定義やらを抑えてからもの言え、としか答えられんな。
大体 明治維新を革命とみなすのは学界でも少数派だろが。 -
足軽の伊藤博文や4石の黒田清隆が総理大臣になれるなんて
徳川幕府では絶対にありえんよ
そもそも下級藩士による絶対王政である徳川幕府の打倒そのものが下剋上の革命そのもの -
もし毛利幕府や島津幕府を誕生させたなら確かに革命ではない権力移譲にすぎない
だが毛利幕府も島津幕府も誕生せずに旧幕臣でさえ閣僚に起用したのは私益より国益を優先させた革命の成就である
大久保利通の指摘どり最初の10年は混乱期だから仕方ないのだが
その後に普通選挙制度を導入したのは革命の達成 -
自由民権運動も大正デモクラシーもまとめて「明治維新」に含めるとは、いよいよ引っ込みがつかんようだなw
「絶対王政」の意味も間違ってるし、歴史用語をマイルールで多用してるだけやん。
それじゃあ学問板では討論にならんねw -
それでは薩長の志士が毛利幕府や島津幕府を作ろうと思えば作れたはずなのに
毛利幕府や島津幕府を作らなかったのはなぜかな?
徳川王政を打倒して天子の下で四民平等を目指すという革命を達成したかったからであろう -
明治維新も西郷、木戸、高杉、龍馬などの第一世代は理想に殉じて革命そのもだったんだろう。
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>>65
明治維新も西郷、木戸、高杉、龍馬などの第一世代は理想に殉じて革命そのもだったんだろう。 -
革命も二代目三代目あたりから権力の亡者が出現して自滅してしまうのは古今東西よく見られる例で華族制度もそれ
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革命の成功後、二代目、三代目あたりになると、権力への執着から内部対立や腐敗が生じ、最終的に体制が崩壊してしまうというパターンは、古今東西の歴史においてしばしば見られます。華族制度も例外ではなく、明治維新後の数十年間で次第にその本来の役割を果たせなくなり、戦後に廃止されました。
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貴族化は頂けなかったな
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華族の子弟は、学習院に無試験で入学し、高等科までの進学が保証されていました。さらに1922年(大正11年)以前は、帝国大学に欠員があれば、学習院高等科卒業生は、無試験で入学できました。旧制高校の総定員数は、帝国大学のそれと大差なく、旧制高校生のうち約1割が病気等で中途退学していたため、帝国大学全体ではその分だけ定員の空きが生じていました。このため、学校や学部を問わなければ、華族は帝大卒の学歴を容易に取得することができました。
しかし、学習院の教育内容は、「お坊ちゃま」に対する緩いものではなく、いわゆる「ノブレス・オブリージュ」という貴族としての義務や教養を学ぶ学校であり、まさに旧制高等学校と同等の教育機関でした。 -
>>71
お前近代史板のあちこちのスレにAIからコピペしたデタラメな文章を貼り付けてるキチガイだろ
AIで生成した誤謬だらけの文章なんて自分で二重チェックしないと使えたもんじゃないのを「学習」したほうがいいぞ -
華族は幼い頃から、皇室守護、国体護持の使命を自覚するよう促されて、そのために必要な教養を叩き込まれた。
尊皇については国民共通の理念ではあったけど、華族の場合は、その傾向が特に強かったんよな。
で、そういう人らで構成されてた貴族院には、皇室の尊厳を傷つけるような立法を阻止する役割が期待されとった。「皇室の藩屏」と呼ばれる所以やな。
そのこと考えると、帝国憲法下において、華族制度は少なくとも必要性はあったはずなんよな。 -
維新の理念を破壊したんだから何もねえよ。
むしろ東條英機やらが華族に憧れて無駄な対米戦争を始めたとか戦争の元凶。 -
>>75
皇室の奉戴も、維新の理念の1つ…いうより、それが最大の理念やったはずやろ。
その実現、維持のために華族制度が必要やったんちゃうか、いう話。
あと、東條英機らが華族に憧れて云々いうんは、木戸幸一の個人的な推測であって、ホンマのことかどうかわからんやろ。 -
「四民平等」て皇族・公家・大名以外の国民を平等にする制度であり、中卒の>>1が勝手に「天皇以外全部」と妄想して糞スレ立てたから話がおかしくなる。
維新の元勲たち自ら勲功華族になってんだから 何が理念だw
そもそも維新の理念は五か条の御誓文であって、>>1の御託ではない。 -
なに言ってやがんでアホが
華族が維新の理念に反してるからこそ板垣退助らが大反対して一代華族論を提唱したんだろうが
板垣退助こそ神 -
>>65
作ろうと思えば簡単に作れたはずの毛利&島津の独裁政権を作らなかったのは
維新革命の第一世代が
「天子の下での平等国家」
↑これを実現させたいと思う心意気が先行してたからだよな
その後に権力の亡者が出現してしまうのは歴史上で何度も繰り返されてきた悲劇 -
しょせんがアホの東條英機に憧れてしまうよな華族は欠陥制度
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やはり華族は最悪の失敗制度やったな
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歴史を語るというのはあくまで史料に基づくことが前提なんだが、妄想や創作で語りだす馬鹿がドヤ顔すると始末におえんなw
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華族制度だけは最悪の失敗制度
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Sage
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Sage
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>>79
アホはお前w 家族制度の原型を作ったのは維新の第一世代やがなw
板垣一人をつまみ食いして 脳内ソースの「維新の理念」ってアホかw
四民平等に天皇/公家・大名・維新の勲功者を入れないところに維新が革命としては中途半端だった証拠。
おまえが勝手に妄想してる「維新の理念」とやらは誰も興味ない。
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華族の原型って意味わかってるか?
華族アンチのくせに家族制度のことについて全く不勉強。アホは死んでください。
アホが言ってるのは華族令のことだろうが、華族制度ができたのは明治二年の版籍奉還の時。
この時に諸侯と公家は華族と一括りになり、永世華族と一代華族に分けられた。
もちろん西郷、前原、江藤、板垣の下野前である。
明治第二世代というか伊藤は議会開設に備え、それをさらに組織化した。
勉強しろ中卒 -
今でも華族制度が残っていたらビートたけしは長年の文化的功績により男爵に叙せられていた
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木戸幸一が軍部の高官たちは華族になりたくて功を焦って暴走したと証言したことについて認識が浅いとの批判もあるが、あながち見当違いではない
戦前の人間にとっては華族(貴族)になることは日本史上の名族や維新の英雄たちと肩を並べることを意味し自身の栄達の到達点であり物凄くステイタスがあった -
まあな
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有名な羽柴秀吉の(備中)高松城攻めで自刃した毛利家の家臣で城主の清水宗治ですが、清水氏は滅亡したわけではなく幕末まで長州藩の家老として続いていて明治33年5月9日に資治(すけはる)は本人と父祖の維新の功により男爵に叙せられ貴族院議員を務めている
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テスト
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なんにせよ、敗戦と民主化で
華族だの貴族だの旧宮家だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。
GHQグッジョブだな。マッカーサーに乾杯。 -
結局は徳川幕府にしろ華族制度にしろ国家神道にしろ米英の外圧がなきゃ打倒できなかった幼稚国家。
三島由紀夫は日本民族は内在的革命ができないと自決するほど嘆いてたが
昨今のジャニーズやフジテレビの大騒動も米英の外圧があって
やっとのことで変革を巻き起こしてるバカ民像 -
外圧なきゃ華族どころか徳川幕府と鎖国制度が今も続いてたわw
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そこはマッカーサーにも日本人は12歳児だと言われるぐらい権威主義バカ民族
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昔は「末は博士か大臣か」という言葉があった
光武帝劉秀の有名な「仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」という言葉もある
今日び、コンプライアンスがどうので偉くなっても悪いことの一つもできない
功成り名を遂げても華族ぐらいになれない社会はロマンがなくて詰まらんだろ
フランスの貴族社会は絢爛たる文学作品を生んだ
華族制度はあったほうが社会にダイナミズムが生まれて面白い -
「成り上がりズム」を肯定せよ!
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