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日本近代史
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日本は何故早く太平洋戦争を終結出来なかったのか?
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戦争は始めるより終わらせる方が難しいと言うが、日本は後者のプランを最後まで持たなかった。
私見だが、日本が終戦できる機会は3度あった。一度目は東條内閣退陣時、二度目はドイツ降伏時、三度目はポツダム宣言発表直後だが、日本はいずれも動かなかった。
太平洋戦争で日本がもっと早く降伏しなかった理由として「米国が無条件降伏を求めたため」を挙げる人が多いが、果たしてそれだけだろうか? - コメントを投稿する
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軍人は負けた時の事を考えない さらにいうと日本軍には個人でも部隊単位でも降伏は論外である 勝てなければ最後まで戦って死ぬか自決かのいずれかとなる 実際そのように戦った
このように日本の軍人は降伏による和平工作に極めて不向きな人種であって、その軍人達が政権を担っているんだから降伏などという発想は生まれようにない
東條内閣が退陣したのは、マリアナ沖海戦に敗れ、サイパンが陥落したことによる 閣僚の1人だった岸信介がサイパン陥落で日本本土が米爆撃機の攻撃圏内に入ってしまい軍需担当として責任を果たせない 講和すべきと東條に主張、さらに岸は辞任を拒否してすったもんだの末東條内閣は崩壊
岸信介には戦争の行方は見え見えに見えていた
この時期日本も尻に火がついていたが、ドイツはさらに酷く火だるま状態 サイパン戦と同時期に連合軍がノルマンディーに上陸 さらにソ連軍がバグラチオン作戦を発動し、ドイツ中央軍集団は壊滅した 戦争の行方はもはや絶望的で岸は極めて常識的だった
その常識が岸だけというところに問題がある 軍人は脳筋となれば和平工作は外務省が担うべきだが外務省はびっくりするくらい講和に関して何にもしていない -
やれば負ける そう考えた人間は多い
近衛は戦争の自信はないと投げ出したが、要は勝てるわけがなく開戦首相として国内外裁かれるのは真平御免ということである
軍人からして、職責上やれと言われればやるが、という消極的なのが相当いる
永野修身は、戦わざれば亡国 戦うも亡国 戦わない亡国は真の亡国である などと言っちゃうのである これが海軍トップの軍令部総長の発言である 東條にしたところで確信などなかっただろう
勝利を確信していたのは参謀本部のドイツ被れぐらいでそもそもが徹頭徹尾ドイツ頼みの皮算用だったのである -
負けると思っていた人間は多い 総力戦研究所のシミュレーションでも日本必敗の結果である
では負けたらどうなるか これを具体的に研究したものはほとんどいないのではないか
ドイツ第二帝国の先例を見れば、海外領土を全て剥ぎ取られ、本土も削られる 軍備に大幅な制限がかかり、巨額の賠償が課せられる 国内の内政には干渉されなくてもここまでされれば国内が収まるわけがなく革命待ったなし
とても受け入れられない 降伏を先延ばしにすればもっと酷いことになると分かっていても
そもそも日本は政治的決定は、合議による つまりは誰も決めるものがいないから、破滅へ向かっていると分かっても止められない -
三度目はポツダム宣言発表直後w
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>ポツダム宣言発表直後
1945年7月26日〜8月5日。 つまり広島原爆投下前
この間にポツダム宣言受諾を決定しておれば、ソ連の参戦 原爆の惨禍を免れた。
鈴木貫太郎は愚かにもポツダム宣言の黙殺を表明した。 -
サイパン取られた段階で詰んでいたんだけとね。
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だから、その時期を戦争終結の一度目の機会と見做した。1944年7月は欧州では大君主作戦(ノルマンディー上陸)とバグラチオン作戦(白ロシア解放)が完了し、世界大戦の趨勢が決した時期でもある。残りの一年は日独とも無意味無駄な戦争を続けていただけなんだ。
狂信的な独裁者を頭に戴くドイツはともかく、日本は何故正常な判断が出来なかったのか? このスレは日本をケーススタディにIF歴史を交えながら「戦争の終わらせ方」を深堀してみたい。 -
鈴木貫太郎が黙殺と言おうと言うまいと、原爆は投下された 原爆投下が中止されるのはポツダム宣言の無条件受諾のみ
ポツダム宣言を受諾せず静観することを決めたのは内閣閣僚の全員であり、責任は閣僚全員にあり鈴木1人にあるのではない
これは何ハルノートと日米開戦の関係に似ている ハルノートがあろうとなかろうと、日本は対英米蘭開戦を行った 開戦が中止されるのは乙案をアメリカが飲んで交渉が妥結した時のみ
アメリカが11月末までに無回答であっても開戦は決行される
ハルノートも黙殺も、それじゃやむ得ないというエクスキューズに体良く使われている -
>>8
正常な判断ができるならそもそも開戦してない
正常な判断をするためにはトップをすげかえる必要がある 開戦を決めたトップに降伏など選択できるわけがない
イタリアはそれに成功した 王とバドリオ元帥がムソリーニを排除し無条件降伏まで持って行った
ドイツもそういう動きがなかったわけではない
ドイツではバグラチオン作戦真っ最中にシュタウフェンベルグ大佐がヒトラー暗殺を試み、これに成功していれば政権交代で連合国と講和に漕ぎ着ける可能性もないではなかった 少なくとも中枢分裂で戦争継続が難しくなっただろう
日本はずっとスケールがしょぼく、石原莞爾や高木惣吉らの東條英機暗殺計画があったが、暗殺後どうするのかという見通しもなく、東條気に入らんレベルで、実行されたからといって終戦に繋がったとは思えない
クーデターも箱庭盆栽的で極めて日本らしい -
>>9
あ、俺の言葉足らずに過剰反応してるね。ちょいと補足。
鈴木の黙殺発言が伝言ゲームで「拒絶」と米国は理解し、原爆投下への敵さんの正当化につながったのは事実なんだが、
俺の趣旨はそこではなく、ポツダム宣言発表に対して鈴木内閣が何らアクションを起こさなかったことを俺は批判している。
直接交渉のいいチャンスだった。現に8月10日に国体護持を条件に受諾を決定している。これはソ連参戦があtったためであるが、
万事行動が遅い。
じゃあ、なぜ鈴木内閣は行動が遅かったのか? スレのテーマはここである。 -
>>2
軍人の気質はともかく、官僚や政治家で和平の動きを見せなかったのは不思議な話だねえ。
戦争末期に一部の重臣と在外公館の駐在武官が個人プレーで和平に乗り出したぐらいで、責任ある立場の人間でそういう動きをした人はいない。
「やったあとのことは考えない」というのが日本人気質とするならば、これは民族として大問題ですよ。 -
それなら結局日中戦争をなぜ終わらせられなかったかという問いがすべてにおいて先に来るだろw
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>>14
もちろん、それも考えんといかんね。それについての貴君の意見は如何。
日中戦争と太平洋戦争の違いは前者は日本が優勢で後者は日本が劣勢にあったことだ。負けてる方は失うものが多いから中々 終戦に同意しない。
要は損切点が解らず、また解ったところで決断が出来ない。
1944年夏以降、日本はどうすれば最小限のリスクマネージメントが出来たのか? -
>>14
もちろん、それも考えんといかんね。それについての貴君の意見は如何。
日中戦争と太平洋戦争の違いは前者は日本が優勢で後者は日本が劣勢にあったことだ。負けてる方は失うものが多いから中々 終戦に同意しない。
要は損切点が解らず、また解ったところで決断が出来ない。
1944年夏以降、日本はどうすれば最小限のリスクマネージメントが出来たのか? -
軍上層部は軍事の事よく知らんから続けただけでしょうね
東條も降伏方針に決まったら、こんな意気地なしだった程度の感想だし
戦犯として裁かれるとは思わなかったんでしょ -
決めるものがいない 首相なんてのは大臣の1人に過ぎない よく言われる陸軍と海軍の反目だけではなく他の省にしたところで似たり寄ったり
情報は力とばかりに秘密主義をとり日本の国力や国際情勢の全貌を正確に把握できているものがいない だから対応も現状とはかけ離れたトンチンカンなものになる
マリアナ失陥後の日本の対応は2つ フィリピン決戦で米軍に大打撃を与えての一撃講和 そのためにフィリピンに多数の師団を集め満州から山下奉文を引っ張り出した 当時はこれで勝てないかでも打撃を与えることは可能と信じた
まさに天王山
もう一つが外交 最大の眼目が、日本は仲介しての独ソ和平 当時としても到底あり得ないのが常識なのだが、ソ連を知らない海軍はともかく陸軍も一押し それを重光葵外相は請け負っちゃうのである 当然モスクワもベルリンもお断りである 赤っ恥もいいところ
駐ソ大使の佐藤から独ソ和平など絶対あり得ないという報告を重光が聞いていないはずがない
重光は絶対無理だけど軍がうるさいからやるだけやってダメでしたで行こう、と考えていたと思われる こんな連中が閣議で国策決めてるんだから上手く行くわけがない
この他繰り出したのが重慶政府の工作と延安の共産党政権対応 後者はソ連や中共を刺激するのはやめて、滅共とか使わず言葉を選び中共ではなく延安政府と呼びましょうとかいう甚だ情けない対応
フィリピン決戦は、海軍の空前の大虚報で、大戦最大の惨敗に終わる 決戦もダメ 交渉もダメ
そしてダメダメだが決めるものもなく相変わらずトンチンカンなソ連仲介による講和に縋ってついにソ連参戦を迎えるのである -
>勝てないかでも打撃を与えることは可能と信じた まさに天王山
その天王山がフィリピン⇒沖縄⇒日本本土とくるくる変わるから、全然「天王山」になっていない。
このゴールポストの移動が退き際を誤らせた。
ていうか、「天王山」を設定できなかったのが日本だった気がする。 -
太平洋の戦いは、一戦で決した山崎や関ヶ原じゃなくて、敗退に次ぐ敗退を重ねた源平合戦そのもの
マリアナ決戦 富士川の戦い
フィリピン決戦 一ノ谷の戦い
沖縄決戦 屋島の戦い
本土決戦 壇ノ浦の戦い
本土決戦やっていたら、松代で地中にも都がございますと、なっていたかも -
>>2
>外務省はびっくりするくらい講和に関して何にもしていない
だって何かしようものなら軍部が、
講和は戦争の一環であり、軍事、統帥権に属するとして、統帥権干犯
とか言ってくるんだもの。
軍事政権でなくても5.15や2.26みたいなのが起こるのに、軍人首相の軍事政権下で動けはしない。
満州事変でどこそこは攻めないとか外交官が言ったら、作戦の漏洩だのなんだのと責められた。
それで外交交渉などできるわけがない。 -
この時代の政治家、軍人皆総官僚化していたからだろう考え方が。
いや、これはあの人の仕事だから俺は関係ない的な。今の社会と同じ。
梅津や嶋田みたいになんの定見もなくて無機質なゴミが上に行き、
山下や畑みたいな前近代的なのが汚れ役やらされて損をする。
それが昭和の日本軍。 -
賀屋にしても東郷にしても和平一本でと言えなかったのは
これまで日本が獲得してきた権益を放棄してまでとは考えていなかったから。
そもそもなりたくて閣僚になったわけじゃないし一応反対論を言っとけば良いみたいな。
だから戦後の言い訳じみた行動、言動が目立つ。
重光にしても扇動家の徳富蘇峰にしても戦後あーでもないこーでもないと言い訳するばかり。
井上成美もそう。
誰もがやりたくなかった戦争なんだということがわかる。 -
>>22
梅津って、ゴミか? 悪くないと思うけどねえ。タラレバだが、東久邇宮が首相兼陸相で梅津が参謀総長だったら日米開戦は無かったかも。
それはともかく、スレ的には東條退陣後の首相が誰だったらもう少し早く終戦できたかしらん。 -
>>24
東久邇宮が引き受けるわけが無い。本人に受ける意思も無いし木戸が止める。
皇族の責任になるから。
確かに、自分が引き受けたら殺される覚悟だなんだ言ってたのは聞いたことがあるけど
そんなの戦後の言い訳だと思うよ。戦後だから好きにでも言えることだ。 -
>>22
普通の国であれば、軍人はむしろ官僚でよく政治に口など出さなくていい
日本以外の列強はどこもシビリアンコントロールが完全にできている 英米はもちろんナチスドイツ、ファシストイタリア、ソ連も、党が軍を支配するのであって逆はない
マッカーサー、アイゼンハワー、ジューコフにルントシュテット全て文民た国家元首に絶対的に服している
日本は軍人が政治までやるから酷いことになった 軍人は軍事的視点からしかものを見ない 政治的なんてのは、宇垣一成、せいぜい田中義一が最後だろう 明治の軍人は、山縣有朋や桂太郎なんて政治家が軍人やってたんだから
ピュアな軍人が政治を仕切った時点で日本の運命は決していた -
軍事を知ってたら止めようとなっただろう
東條にしろ永野にしろ軍事的見地が無くて精神論しか言ってない
海軍の山本は批判が多くてもまだ知ってた方
ミッドウェーの敗戦で軍事的にもう負けたと感じてたからね -
陸軍における大東亜戦争開戦の可否の判断基準は2つ
ナチスドイツがソ連と英国に勝てるかどうか
我が海軍が、南方資源地帯とのシーレーンを守れるかどうか
いずれも大誤算だったが、当時としてはドイツの戦勝の可能性は満更なかったわけではない 日本がアメリカを戦争に吹き込んだりせず、また極東でソ連を攻撃しレンドリースのウラジオルートを遮断するなどしていればだが
ドイツの勝率を下げたのは日本自身
海軍については買い被りも良いところで我が海軍は船団護衛なんて一ミリも興味がなく、さらに通商破壊にも全く不熱心
日本海海戦から1歩も進んでない決戦バカであることが開戦後判明する
海軍は総力戦とか全然分かってなく、艦隊決戦に勝てば講和できるんじゃね、という脳死状態で開戦し、大和特攻までそれを貫いた
陸海軍を統裁する機関がないからこんな無様な事になったのである -
>>29
一つ目の独ソ戦だが、作戦失敗はドイツ側にいくつかの要因があり、それが無ければ勝利の可能性があったかどうかは評価は別れる。
開戦後2か月目で日本の参謀本部の一部ではバルバロッサ作戦の失敗を予見していたね。
帝国国策要領決定の11月なら尚のことドイツ勝利は低くなったのに人間は矛盾した判断をするんだねえ。 -
太平洋戦争はなんか成り行きで開戦したが主戦場は日中戦争
そして日中戦争は優勢かつ日清日露で血を流して獲得した利権がある
陸軍としては反対でしょうな世論にも突き上げられる -
>>31
バルバロッサ頓挫、年内のソ連崩壊はないとの判断は陸軍情報部出色の情勢判断だが、かと言ってドイツが負けるとまでは考えていない
一方で、英本土上陸は早晩実施されると信じ込んでいた ベルリンの大島がそう言ってきていてそれをまるっと信じていた だから開戦後、イギリスが落ちれば、アメリカは継戦目的を失う、という観測だった模様
開戦した12月末、ベルリンの大島大使及び陸海軍武官から独伊の対英本土攻撃を取り消すとの請訓が来たため、陸海軍両総長が峻烈な叱咤があり、種村参謀本部員は両武官はドイツ人に成り切ったような感じとの感想を述べている
独ソ戦と独英戦の情勢判断にあまりに差があった 長年の仮想敵ソ連にはやたら詳しいが、全く想定外の英国のことは何も知らない このアンバランスよ -
靖国に参拝する奴なんて日本人じゃねーだろ
日本人の皮被った帰化チョンとか帰化右翼とか底辺大学でクルクルパーのやつ -
やはりアメリカが原爆を完成させたのを知らなかったから。
また原子爆弾の威力を知らなかった。
原爆がなければ降伏せずにもっと戦っていたはず -
終戦における原爆の寄与がどの程度あったかは議論がある
確かに凄い兵器ではあるが、そもそも日本の諸都市はほとんどが焦土となっており、もう落とすところがろくに残っていない
せいぜい京都、新潟、小倉あたり 焼け野原の東京や大阪に落とすのは意味がないし流石に外聞も悪い
戦術的には、第二総軍司令部の経験で直撃でなければ豪内で耐えうる 分散配置していれば、なんとかならんこともない 原爆があろうと本土決戦は可能である、そういう判断になった可能性はある
8月6日早朝に広島に原爆投下、当日昼には指導部はその情報を把握、アメリカの海外放送はアトミックボムを連呼して、その日のうちに世界中に知れ渡った
しかるに政府は7日8日と何もせず、9日にようやく閣議を開いた 遅れた理由はメンバーが揃わなかったから
最終兵器に対する態度では到底ない 少なくとも、日本のポツダム宣言受諾に最も寄与したのが9日朝のソ連参戦で、原爆はなくてもソ連参戦があればポツダム宣言は受諾しただろう
一方原爆だけだったら尚、ソ連仲介に縋って継戦した可能性がある
ソ連参戦は、ソ連仲介による講和の望みと本土決戦計画の、2つを一挙に失ったのであり戦争指導部に与えた衝撃は原爆の比ではなかった -
ソ連が講和の仲介をしてくれると考えていたなら、指導部は相当なお花畑だな。
開戦はドイツ頼み、終戦はソ連頼み、ってどうよ? -
矛盾しているよね。陸海軍が互いに予算確保の為に縄張り争いしてきたツケの日米開戦だったと思うけど
山縣、山本の二人はそれを望んでいただろうか。
後世の運用者の責任だとは思うが結局彼らも陸海軍内で良い人だったのであって日本にとっての良い人では無かったと言うことだ。 -
>>36
>しかるに政府は7日8日と何もせず、9日にようやく閣議を開いた
>遅れた理由はメンバーが揃わなかったから 最終兵器に対する態度では到底ない
それは後世の人間から見た傲慢な判断ではないか
メンバーは各地で指揮を取っていたのだろう -
>>39
ポツダム宣言が出た時はその日のうちに閣議を開いている
東京におらず別の地方での業務をしていたというのはあるかもだが、それで万難を排しても集まらないというのは、原爆をその程度にしか見ていない、という証拠でもあるだろう
本当に脅威なら交通事情で集まれないのは次官代理出席にでもしてとにかく閣議も戦争指導会議も開いただろう 翌日にも2発目、3発目が落とされるかもしれない状況なんだから
少なくとも日本政府は原爆が降伏に直結するほどの脅威とは考えなかった だからこの悠長な対応だったのではないか
尚、ソ連参戦から24時間以内にポツダム宣言受諾は決している -
鈴木貫太郎の伝記を読むと、
鈴木は8月6日の広島の原爆投下から15日の終戦まで77歳の老体を押して
不眠不休に近い形で終戦工作に精力を尽くしたという。
当時、戦争継続派のクーデターがありえる状態だった
終戦工作が失敗しないように根回しに時間がいるのは当然のことだ。
それでも、会議は賛否が分かれ、最後に天皇の聖断に頼っている -
畑俊六が昭和天皇に戦えないとはっきり言ったのもでかかったんじゃないか。
単なる事務屋じゃなく実戦経験の豊富な畑なら説得力もあるし -
原爆が完成するまで、トルーマン大統領は日本上陸作戦にかなり悲観的だった
米軍兵士100万人死亡も予想していた。
日本側も徹底抗戦し、米兵を殺戮して無条件降伏ではなく、
できるだけ有利な条件で講和しようとしていた。
それが太平洋戦争が早く終結しなかった理由だと思う。 -
>>42
原爆体験しているからな -
サイパン失陥後から「一撃講和」が唱えられるようになったが、では具体的内容の議論や研究は降伏の直前まで行われることは無かった。
一撃を加えて様子を見てから条件闘争するつもりだったのかもしれないが、講和を唱えながらもどこまでを要求するか、どこまでを今日日するか、オツムの整理すら行わなかった日本政府・軍部の指導部にはあきれてものが言えない。 -
>>43
これは確かにその通り
実際には2発目の目標が小倉→長崎だったが、東京の可能性はあった 日本側ではアメリカがどこを標的にするかは知り得ないから当然東京も標的として認識すべきである
長崎は県知事が次弾の目標になる可能性あると判断して、市民の避難を実施しようとした矢先に喰らった 小倉の悪天候といい長崎の運の悪さには愕然とする
で東京だが、全く何にもしていない
9日に東京に原爆が投下されていたら、天皇皇后がまず死亡 皇太子が日光に疎開中なので皇統はまあなんとかなる
だが政府と軍中枢は丸っと壊滅する 首相以下閣僚全員、枢密院、陸海軍省、参謀本部に軍令部、連合艦隊総司令部に第一総軍総司令部、東部軍司令部、近衛師団に東京防衛軍などは全滅
もはや国家機構は消滅して継戦など不可能
東京なんて遮蔽物皆無だから広島よりも酷いことになる
ならば広島の原爆を受けて天皇皇后は即時松代に動座 政府軍中枢も帯同して移動すべきだが全くその動きがない
交渉のため東京に原爆を落とすことはない、という連合国に対する妙な信頼感があったのだろうか -
>>42
畑が戦えないとしたのは、原爆というより九州決戦に自信なしということだったらしい
来るべき連合軍の南九州を攻略するオリンピック作戦
日本側はこの時期を1945年秋とほぼ正確に予測 攻撃正面も鹿児島宮崎と正確に予測していた
しかるにその九州の防備が全然遅れている 遅れているどころか装備劣悪で、小銃充足率50%
総軍の前線査察で、参謀が見たのは、銃剣がなくて竹のヘラを腰にさしている兵たち 未教育で射撃をしたことのない兵が大半
これで米軍の精鋭師団にあたろうというのだから、畑としてはそれは無理です、ってなるのは当然だろう
一方、1946年春に来攻が予測される関東は輪をかけて準備不足と兵員劣悪だったが、第一総軍の杉山元は畑と違ってこれでダメとは思わなかったのか本土決戦を堂々主張、というか何も考えていなかったにかもだが -
本土決戦が詰んでいるのは、連合軍が早く来たら準備不足でアウト
では遅かったらいいのはと言えば、年内に訓練用の燃料すら枯渇し特攻機も飛ばせない有り様になるためそれも困るというどうしょうもない状況にあった
1945年秋の九州上陸戦はなんとか戦えただろう
だが1946年春の関東上陸まで日本は到底持たない
1945年の水稲の作況指数は、史上最低の67
昭和農業恐慌の1931で90、この時は東北が酷かったが全国ではこの程度だった 平成の米騒動の1993年で74だからいかに危機的状況かわかる これは気候不順に加え労働力がなく、肥料の供給もない事によるもので、その他の作物も推して知るべし
しかも大陸どころか青函連絡船も壊滅して北海道とも連絡が断ち切られる 瀬戸内海すら機雷だらけ本州は完全に孤立していて食料の移入は不可能となった
漁船でさえ機銃掃射を受ける有り様で、1946年初頭には本州は全域秀吉の鳥取城化
多くの人はプライドやメンツより食えるかどうかが重要
ポーツマス条約の際の日比谷騒動など、1918年の米騒動と比べたら全く線香花火である
近衛が心配したように、連合軍の関東上陸前に日本が革命状態になったとしても不思議ではない -
ウィキペディアから
ドイツ降伏一ヵ月後の戦争指導会議において国際情勢について議論した。この中で「ソ連軍の攻勢は時間の問題であり、今年(1945年(昭和20年))の8月か遅くても9月上旬あたりが危険」「8月以降は厳戒を要する」と結論付けた。 -
畑は広島駅付近で被爆したが奇跡的に生存し、原爆の威力をよく知ってる軍人だ
広島の被害の凄まじさを天皇にも当然話しただろう
ソ連参戦を予測していたとすれば、終戦を早めたのはやはり原爆ということになる -
史料と史実の裏付けに乏しく、憶測の上に憶測を重ねた「原爆が降伏を早めた説」は却下。ま、個人の感想は自由だが。
-
>畑が戦えないとしたのは、原爆というより九州決戦に自信なしということだったらしい
このコメの方が個人の感想だろw -
>>51
広島駅付近というのはwikiからだろうが、畑が被曝したのは自宅官舎
第二総軍司令部と官舎は広島駅北側の二葉山に位置している
一応広島駅に近いと言えば近いが、駅付近で被曝というと出張にでも出かけるみたいに勘違いする向きもあるだろう あまり適当な表現ではない 正確には広島駅北の二葉山第二総軍司令部近くの自宅官舎、とした方がいい
自宅はなんとか持ち堪え、畑自身はほぼ無傷だった 畑が書き残した事によると、総軍司令部の防空壕は無事であり、地下の壕では被害は防げる だそうである -
チャーチルは回顧録で原爆の完成を知り、これで日本の降伏は早くなるだろう、
ソ連の参戦も必要なくなったと述べている -
客観的には原爆の登場で戦争の形態は完全に変わった これを1発喰らえば戦争は終結する、そう考えるのは常識的でありチャーチルは常識人だった
だがあいにく我が大日本帝国は、南原繁の言う、人間の常識を超え、学識を超えて起これり 日本世界と戦ふ 事を決断した国である
広島後の中央の空気を豊田副武軍令部総長がこのように書いている
しかしまだその1発の原子爆弾で戦争継続をどうすると言うことを論議する程度には、状況は進んでいなかったのである
また豊田は、戦後原爆が落とされたのになぜなお抗戦を主張したのか、と問われて、まだそれほど数がないと思った、と答えたという
海軍軍令部総長にしてこれで、陸相や参謀総長もとても原爆で、はい終戦とは到底ならない
そして参謀本部と軍令部、陸海軍省が同意しない限り降伏は絶対できない
原爆を喰らった畑俊六からして、威力はすごく胡瓜や南瓜は吹き飛ばされたが、地面に伏せたサツマイモは何の損害も受けてないとか、爆心から離れた宇品などなんの損害もないと書いており、要は地下壕に入れば損害は防げるし、散兵に配置すれば前線全面に落とせるわけもないからなんとかなると言わんばかりである
当時は放射線障害など知られてないから超強力な爆弾、要は現在の気化爆弾と同じ印象だったんだろう
日本軍部に原爆が与えた衝撃は当時の英米や今日の我々が想像するよりずっと小さいものだったのではなかろうか -
日本政府のソ連参戦の予測については下記の資料もある。
あまりウィキペディアから引用するのは好みではないが,
一部の偏った主張よりもフェアだと思う。
>6月に大本営の第五課課長白木末政大佐は新京において、状況の切迫性を
>当時の関東軍総参謀長に説得したところ、「東京では初秋の候はほとんど絶対的に
>危機だとし、今にもソ軍が出てくるようにみているようだが、そのように決め付ける
>ものでもあるまい」と反論したと言われており(略) -
だいたい、原爆投下でも効果がなければ、ソ連の参戦ぐらいでは無条件降伏をしないだろ。
学生だった山田風太郎は玉音放送の内容はソ連への宣戦布告と想像していた -
>>58
全然史実を踏まえていない個人の感想だなw 後遺症を別にすれば被害や残虐性においては通常の無差別爆撃と原爆は同程度。
東京大空襲やドレスデン空襲がそうであったように、数万人の死者が出ても、はい降伏とはならない。現在の感覚でものを考えるから「原爆が降伏をを早めた」と証拠の無い説に飛びつく。
ソ連参戦が「一撃講和論」という夢想を吹き飛ばしたのが主因であることは政府・軍部の動きから間違いない。
原爆主因諭はアメリカの原爆投下を正当化するための愚論の一つ。あと、ソ連の中立条約違反を批判したい向きもある。
ま、これはこれで明確な国際法違反で日本が敗戦したからと言ってこの罪がチャラになることは無い。もちろん原爆投下も国際法違反。 -
>>58
ソ連王の参戦ぐらい、というのは現在の日本人の視点だろう もうほとんど詰んでいて今更ソ連参戦なんて死体蹴りと思ってしまう
しかし当時の陸軍はそう考えていない 本土決戦で連合軍に大打撃を与えることは可能である 参謀本部ではそれを確信していた
沖縄や硫黄島でできたことが、本土でできないはずがない 決号作戦は練りに練った こちらの損害は度外視の作戦だが この確信は原爆では揺るがない
だけどソ連参戦は話が違う 元々陸軍はソ連を仮想敵として研究し尽くしていた だから独ソ戦の時、ドイツ有利ではないと極めて正確な情勢判断を行い、関特演で開戦準備を整えておきながら、北侵を断念したのである
日米英開戦後がソ連参戦絶対阻止として北方静謐を厳守した レンドリースが津軽海峡を続々通過するのを全く傍観し、対米用の機雷の設置も気を使う 風船爆弾が万一にもソ連領内にいかないよう放球時の気象に気を使う
果ては、延安の中共に対し、中共と呼ばず延安政権と呼び、滅共とかは使うなと軍中央が現地軍を指導する いうまでもなく、背後のソ連政府を刺激しないためである
大戦末期、参謀本部は、信奉していたドイツ軍を撃滅したソ連軍を恐れすぎて、恐ソ病にかかっていた ソ連参戦必至の警告も現実も見ない、見たくない
参謀本部の立てた結合作戦の戦闘序列を見れば一目瞭然で北海道のオホーツク海岸や日本海側、本州の日本海側は完全にガラ空き ソ連参戦となれば決号計画はその瞬間に瓦解する
聖断が腐った時、陸軍省の中堅将校と近衛師団の将校が決起、宮城事件を起こした この時の参謀本部の将校は誰も加わっていない 陸軍省と参謀本部は同じ市ヶ谷台にあって連絡が取れないはずがない
梅津がよく統制したにもあるだろうが、参謀本部から誰も参加しなかったのは心血注いだ本土決戦が御破算となり、降伏しかないと心底思い知らされたのだと考えられる
仮定ではあるが参謀本部は原爆ではまだ頑張っただろう、だがソ連参戦は土性骨をへし折ったのだと思う -
情報統制もあってか広島長崎の惨状を国民は正確に知らされていないせいだろうが、
山田少年を含めた多くの日本国民は原爆を大空襲程度の認識だったろう。だから、それが降伏へのモチベーションにはならなかった。
玉音放送を国民への鼓舞と予想していたのは山田風太郎だけではない。
58氏をくさして気分を害されたなら謝るが、僕は指導部・国民の「被害に対する鈍感さ」と言えば言葉がきつくなるが、
悪い意味でのこの「許容」が降伏を遅らせた最大原因ではないかと思う。
普通なら(個人の感想だがw)、東京大空襲で降伏交渉開始だろ、と思うのだが実際はソ連参戦だったでござる。 -
>>59
日本の原爆研究はウランによる核分裂によるものだった
プルトニウムは日米開戦の1年ほど前にアメリカでシーボーグ等が生成したのが始まりだが、これは秘密にされていたから、プルトニウムという超ウラン元素の存在は日本では誰も知らなかったと思う
先にプルトニウム弾を落とされてもそれがプルトニウムかどうかの判断は仁科にもできないだろう -
>>62
憶測で発言しないでくれ
当時、山田風太郎は23歳で東京医科大の学生だった。
山田風太郎の戦前の日記にはドイツの処分苛烈極まるとか
ソ連は苦戦する日本の背後より満州に出ずるにしかずとか、
敵は戦慄すべき原子爆弾を創造して、一瞬の間に広島を全滅させた、
など詳しく記述している。一般人でも結構情報が知らされていたようだ。 -
ヒトラーの死亡ニュースを知った翌日の5月3日、山田風太郎は日記にこう記している。
・・・ソ連、また北方より襲い来たる公算、十中八九。しかも吾らは戦わん!・・・
山田風太郎の日記を読むとソ連の関してよく述べている。
学生たちの間ではソ連参戦は常識だったようだ。 -
ソ連の過去の行動を見れば、ドイツが敗れたいま日本侵攻は自明 山田の観測は当然だろう
ドイツに侵攻されて死に体になったポーランドに対しソ波不可侵条約を破りソ連はポーランド東部に侵攻した
フィンランドもバルト三国もソ連と不可侵条約を結んでいてあの所業 また、ブルガリアは枢軸ではあったが、日本同様ソ連とは中立だった
そのブルガリアにソ連はドイツと同盟国であることを理由に宣戦布告し一気に占領した
これで来日参戦しないと考える方がどうかしているのだが、日本政府は本当にどうかしていて、ソ連を仲介とした講和に固執
山田風太郎がではなく、大本営参謀本部情報部がソ連参戦必至と言っていてもである
ここのところは本当に理解し難いが、当時の中央は、砂漠に頭を突っ込んだダチョウ状態だったと理解するしかない -
>64
あ、じゃあ山田少年を山田青年に訂正。山田青年の話はともかく、
戦争末期には口コミが発達し、一般国民には本土空襲の状況が知られ、短波放送を聞いてて田人は8月10日はポツダム宣言受諾を知っていた。
にもかかわらず、多くの国民は玉音放送を「本土決戦に備えてのお言葉」と予想する向きが多かった。 -
>>66
日本の指導部の対ソ盲信は重要なキーワードで、日本の降伏決意が遅れた要因でもある。 -
>>67
口コミの方は玉石混淆で、流言飛語の類が相当に混じっていたらしい 当時の特高警察や憲兵が収集したそれらを見ると、SNS全盛の現在と何ほども変わらないと思われる それっぽいのから荒唐無稽までもう何でもあり
デマを作る人、信じて拡散する人、懐疑的な人
今と全く同じだとよく分かる
欧州戦線では、ドイツ人の大半がBBCを聴いていたとまで言われているが、日本の場合距離があり中波が届かない 短波受信機は中波に比べ普及率は1割程度だったそうで、BBCやVOAを聴けた民間の日本人はごく少数だろう ザカライアス放送も実際聴いた民間人はほとんどいないようである
聴取はともかく、内容を他人に話して当局にバレたら出頭の上厳重注意、受信機没収は免れないから口外もしにくいだろうし -
一般国民でもソ連参戦を心配しているのに、参謀本部はなぜ警戒しなかったのか?
それで参謀本部がソ連に満州を引き渡したという説が昔からある -
逆にこちらの海外放送 東京ローズで有名なゼロ・アワーは英米兵が大勢聴いていたという
この辺のも日米格差を感ずる
日本から発信していたから当然国内の短波受信機で明瞭に聴こえたはずだが、日本人でこれを聴いていた人の記録は見たことがない
日本の放送で、堂々とアメリカのポピュラーが聞けるんだから、聴いてる人がいても良さそうだが -
>>70
警戒は当然してるけど、警戒したところで何も対応できない
対連合軍の本土決戦でさえ戦力が全く不十分なのに対ソ戦なんて論外 どこにそんな余剰戦力があるのか
一応支那派遣軍が浮いてると言えば浮いてるが、もうこれを北満や本土に転用する時間も移動手段もない
そういう詰んだ状況では、人は都合よく物を考える
しかしソ連は本当に攻めてくるのか?と 今後米ソが対立するのが明らかで、元々反共なのは枢軸も西側も同じで、米ソは敵の敵という単純利害組んでいるだけである
ソ連とすれば日本が敗北し、極東全域が米英の勢力圏になる事は望まないであろう とすれば緩衝国として日本を残した方がいい、スターリンはそう考え、講和の仲介に応じるのではないか
もちろんそんな都合のいいことがあるわけもないが、煮詰まるとそういう思考は珍しくないようである
ドイツでもヒムラーが、英米は必ずソ連と対立するから、ドイツを完全には崩壊させず対ソの盾にするはずで交渉の余地は充分あるなどと考えた
これはヒムラーだけではなく、民間人の間でもアメリカはドイツ軍を米式装備にして対ソ攻撃に向かわせるそうだ、的デマがあったらしい -
>>60
>ソ連参戦が「一撃講和論」という夢想を吹き飛ばしたのが主因であることは
>政府・軍部の動きから間違いない。
なぜ断言できるか不思議だが、
それはあんたの個人的な想像でしかない
あるいは古谷経衡の妄想か -
>>74
原爆主因諭に固執する貴君が納得するかどうかはともかく、多くの歴史本がソ連参戦が指導部がポツダム宣言受諾のきっかけをソ連参戦としている。
他の論者も指摘ししているように原爆投下直後は指導者たちは何ら反応せず、ソ連参戦後にあたふたと宣言受諾を決定した経緯からみて、
ソ連参戦が降伏受諾の主因とみるのが合理的である。
というか、僕は「原爆主因説」の人に客観的事実と根拠を示していただきたいね。
何度も言うが、日本の降伏を決めたのは ソ連参戦>>原爆 だよ。別に個人の感想ではない。
反論があるなら具体的に言ってみてよ。もちろん史実と合理的根拠を付けてね。 -
もちろん、指導部がポツダム宣言受諾を決定した背景に原爆が関係しなかった、とは言わない。
本土空襲の惨状、食料事情、燃料不足、その他総合的なものだろうよ。
つまり、最後のダメ押しがソ連参戦だったわけだ。これが無ければあとしばらくは戦争は続いただろう。
要するに「なぜ降伏が8月15日だったのか」の 主因 を言ってるん尾である。
>>74
貴君が僕に反証すべきことは 「8月15日に降伏した主因」を「ソ連参戦」以外のものを示し、その理由を述べることである。
74は腑死後なレスで少し困惑 -
76誤植
腑死後なレス 誤 不思議なレス 正 すまぬ。 -
それではあとは明日かな
ところでオタクは古谷経衡とは別人だよね
別人なら丸パクリはよくねーよ -
さらに不思議なレス キタコレ
-
【「原爆投下によって日本は降伏した」説は本当か】
古谷経衡の記事だが、あんたのはソ連参戦主因説とほぼ同じだ -
古谷なんとかさんは名前は知ってるが読んだことないよ。
ていうか、原爆主因説がそもそも超数派ですがな。
>あとは明日かな
楽しみ。 -
また誤植 超数派 × 超少数派 〇
原爆主因説は40年前ぐらいはちょくちょく見たが、その時も主流派ではなかったと思う。
まず、時系列が合わんからね。 -
原爆が量産可能だと分かって降参したとしても、時系列は合うな
-
>貴君が僕に反証すべきことは 「8月15日に降伏した主因」を「ソ連参戦」以外のものを示し、その理由を述べることである。
前にも言ったが、アメリカが本気で原爆が東京に一発落ちれば日本という国家は終了だ。
それともオタクはまだ戦えると妄想するのか? -
ソ連参戦がポツダム宣言受諾決定の主因とする主張は、基本古谷経衡の論と同じになる それ以上何かあるわけじゃないし
広島への原爆投下を受けて、東郷外相が天皇に上奏し、天皇は、なるべく早く戦争の終結を見るようにと答えた
それで東郷の取った処置は、モスクワの佐藤大使にソ連の仲介をせっつく訓令を送ることだった
戦争はやめたいがポツダム宣言受諾は避けたい
広島原爆投下時点では天皇や東郷でもまだこの程度の認識で、陸軍首脳はポツダム宣言受諾など全く考えてもいない
ちなみに原爆投下後から米国放送はアトミックボムとかウラニューム弾とかをしきりに放送していたので、外務省や陸海軍部は原爆の認識は6日にはあった
なお、戦後の海軍軍人の回想によるとアメリカの放送で同爆弾をまだ100発以上保有しているというのを聴いたという 流石にこれはハッタリと思ったのか、指導会議では真面目に取り上げてはいなかったようだ -
>>84
原爆とソ連参戦の評価について、現代の我々の評価ではなく、当時の陸軍中央の評価が問題なのである
現代人はソ連軍より原爆を恐ろしいと思うかもだ ソ連軍に蹂躙されるのはとりあえず満州朝鮮樺太北海道だし 頭上に降ってくる原爆の方が恐ろしい
でも軍人は違う 都市がいくら粉砕されようと、戦力さえ有れば戦えるし、連合軍相手なら一撃はかませる しかしソ連軍もとなると話が違う
いわばドゥーエの戦略爆撃で戦争は決する派と、クラウゼヴィッツ流の戦争は敵戦力の破砕にあり派 陸軍はもちろん骨の髄まで後者 -
>>84
船はある 強襲揚陸艦なんて上等な物ではないが
大戦を通じてアメリカ西海岸から津軽海峡を通ってウラジオにレンドリースの莫大な物資を運んだのは全てソ連国旗を掲げたソ連船 それも多くはレンドリースだけど
日本は友邦ドイツを攻撃するためのそれを、ただボーっと眺めてたからソ連にどれほどの船があるかはちゃんと承知している
こんな艦艇の護衛もろくにない貨物船団での上陸作戦は本来無理筋だが、もう日本海軍にはそれを阻止する艦も攻撃機もない オホーツク海岸には遊覧船でも上陸できる -
>>87
当時の日本人を無知蒙昧だと考えているようだね
山田風太郎の日記、8月11日の広島の記述
(前略)飛行機にて偵察してはじめて死の町なること発見せるなりと(後略)
原子爆弾なりと伝えられる。ウラニュームを応用せるものか(後略)
学生でもこれだけの情報あった。政府関係者であればもっと正確な情報を握っていただろう -
>>89
無知蒙昧なんて思ってないよ
核分裂により莫大なエネルギーが放出されることは1915年頃の教科書に載っていたというから、旧制中学を出たレベルは知っていただろう
ウェルズが1912年には核戦争を題材にしてSF小説を書いていて日本でも紹介されていたから、近未来兵器としてはかなり広く知られていただろう
山田風太郎以外にも、例えば当時開成中学の学生だった人の自伝でも新型爆弾は原爆と思ったと書いている また、大佛次郎は、ロッキー山脈の研究所がとまで書いていて別に無知ではない
言いたいのは、原爆と認識した上でその破壊力の程度も理解して尚、陸軍首脳部は本土決戦は可能と判断した だから原爆だけではポツダム宣言受諾に辿りつけないのではって事を言っている -
海野十三敗戦日記
八月十日
◯今朝の新聞に、去る八月六日広島市に投弾された新型爆弾に関する米大統領トルーマンの演説が出ている。
それによると右の爆弾は「原子爆弾」だという事である。
あの破壊力と、あの熱線輻射とから推察して、私は多分それに近いものか、または原子爆弾の第一号であると思っていた。
降伏を選ぶか、それとも死を選ぶか? とトルーマンは述べているが、原子爆弾の成功は、単に日本民族の殲滅に
とどまらず、全世界人類、否、今後に生を得る者までも、この禍に破壊しつくされる虞(おそ)れがある。この原子爆弾は、
今後益々改良され強化される事であろう。その効力は益々著しくなる事であろう。
戦争は終結だ。
ソ連がこの原子爆弾の前に、対日態度を決定したのも、うなずかれる。
これまでに書かれた空想科学小説などに、原子爆弾の発明に成功した国が世界を制覇するであろうと書かれているが、
まさに今日、そのような夢物語が登場しつつあるのである。
ソ連といえども、これに対抗して早急に同様の原子爆弾の創製に成功するか、またはその防禦手段を発見し得ざるか
ぎり、対米発言力は急速に低下し、究極に於いて日本と同じ地位にまで転落するであろう。
原子爆弾創製の成功は、かくしてすべてを決定し、その影響は絶対である。
各国共に、早くからその完成を夢みて、狂奔、競争をやってきたのだが、遂にアメリカが第一着となったわけだ。
日本はここでも立ち遅れと、未熟と、敗北とを喫したわけだが、仁科博士の心境如何? またわが科学技術陣の感慨如何?
******
SF作家の海野十三は「戦争は終結だ」と明確に書いているな。自身が新兵器のSFを結構書いていたんだけどね。 -
ポツダム宣言受諾の理由の考察は、その決定者たちのそれまでの行動・証言を検証することに尽きる。
全然それに触れず、原爆の威力を力説したところで、それはレス者個人の想像の受諾理由にしかならんな。
「原爆主因説」の立証にも「ソ連参戦主因説」への反証にもなっていない。
指導者たちの言動を拾うのではなく、ポツダム宣言受諾に関与していない山田や海野の話が出るのかわけわかめ。 -
>>86
>広島への原爆投下を受けて、東郷外相が天皇に上奏し、
>天皇は、なるべく早く戦争の終結を見るようにと答えた
オタクも広島への原爆投下が降伏の原因と認めてるじゃん
陸軍は御前会議でもポツダム宣言受諾に反対している
ソ連が参戦しても本土決戦の意思があった -
>>93
イマイチ話が噛み合ってないが、外相や天皇が幸福を希望しても、軍が頷かない限りポツダム宣言受諾はできない
そして広島の原爆投下後、軍中央はこれで戦争継続は不能とは考えなかった
9日早朝、ソ連参戦後の戦争指導会議ではじめてポツダム宣言受諾の方針が決まった 後は国体護持、保障占領、武装解除などの条件をつけるかつけないかの議論になっている
つまり広島の原爆では、あくまでソ連を仲介とした講和と本土決戦の両睨み、ソ連参戦後はポツダム宣言受諾やむなしで、条件をどうするかの話でステージが全然違う
ソ連参戦により始めて陸軍は、条件付きポツダム宣言受諾に大転換した -
その状況も想像だろ。もうちょい証拠ないの?
-
>>94
整理すると御前会議で阿南陸軍大臣らは自発的な武装解除、連合軍の本土進駐の回避、
戦犯の自主的処罰の3条件を加えることを主張し、ポツダム宣言受諾に反対した。
それで昭和天皇の聖断でポツダム宣言を受諾したわけだよね。
陸軍は原爆投下もソ連が参戦してもポツダム宣言に反対してるわけで、
お宅のいうソ連参戦が日本降伏の主因だという主張は間違ってるのではないのか? -
>>88
陸軍国ソ連は海を渡っての敵前上陸は不得意だ、上陸作戦に成功したことがないはずだで
仮にいったん敵前上陸に成功したとしてもあとが続かない。
補給路が断たれて、補給ができなくなったら、敵地に上陸した軍隊の末路は死屍累々だ。
また戦車などの機械化部隊の輸送が可能なのか、機械化部隊なきソ連軍など張り子の虎だ、
怖くない。北海道の師団で簡単に撃破できるだろう。 -
ポツダム宣言の条件付き受諾決定は
8月10日午前2時の御前会議 午前3時 閣議承認
8月10日 海外向け放送で全世界に発信。 同日 同盟通信が連合国にモールスで通告
昭和天皇独白録では天皇の言葉として「ソ連が宣戦したからには宣言受諾やむなし」との記述がある。 -
>>99 横レズ
8月10日の御前会議で決定した条件は東郷外相案の「国体護持」のみね。阿南の複数条件は却下されている。
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