-
鉄道路線・車両
-
【悲報】ダイエーが消えた
-
UPLIFTで広告なしで体験しましょう!快適な閲覧ライフをお約束します!
僕の街から消えた - コメントを投稿する
-
バルサンヲタいる?
-
バスヲタいる?
-
. | ほぼAEON化するも一部存続することを知らない黄金週間厨兼田舎者>>1を
, - 、_.'⌒ヽ. | r‐┐r‐、ァァ r‐┐r‐┐ ┌‐u‐┐ー‐、 /1
., - ノ | | | | ヽ. . | || |_ [ _ ] `ー'.ノ |
( 、ー--j‐i' | |_.ノ|..ノ |_ノ |_.ノ└‐リ__ノ | ̄ .ノ @
( / Q Ql | ._ _____ _n_  ̄ n  ̄ ̄
.__ゝて __> | |.| └―, , ┘ニコ lニニ, lニニ .ニニl
( ( \ノノ / .|.| n // ^コ lニ^ (0 |
`て ヽ. i'._  ̄| 、ー'ノ ゙、`‐┐(o_,ヘ.〉 、ソ ◎
.'⌒i.、! ノ7lヽ |  ̄  ̄
l l|ヽ'ヽ'|| l r'て_
| |  ̄ ̄〉! /`r-= -
東武線成増には残ってる
-
所沢とか仙台のように、ダイエーがイオンに化けるだけなら、
安定して長期そこにお店が存在し続けるという安心感を提供してくれるからまだいいほう。
奈良の場合、建物が消えて簡素なつくりのドラッグストアになった。
とてもダイエーの代替としてそこで買い物しようという気にはならない。
ダイエー時代と違って家電売り場がないし、ラーメンのスガキヤもない。
食料品から薬・化粧品・家電、それに大きめのインテリア用品まで
1つの施設でそろっている所を探そうにも、
奈良市街地ではダイエーどころか長崎屋もジャスコ(南京終町)も消えてしまった。
鉄道板だから、板違いの話ばっかりしてもしょうがない。
駅前にダイエーがあるというのは、旅行でそこを訪れる人にとっても、
安心・安価で食料調達ができるという地域ブランドにつながるんだよな。
ダイエーがあることで、俺としても各地でどれだけ助かったことか。 -
これだったら至る所にあるが。
https://stat.ameba.j...18117662.jpg?caw=800 -
南海「せやな」
ソフトバンク「一理ある」 -
横浜西口店も閉店した
-
札幌はイオン新札幌店、東札幌店、麻生店が旗帆店
-
同じイオンでも旧ジャスコ、旧サティ、旧ダイエーでは品揃えが違う
-
中内氏が生きていたバブル期には北海道にJRダイエーてのもあったのに
-
相鉄三ツ境のダイエーは現役
-
南海電鉄もかつては西友と合弁で南海西友を出店していたね。
西友も関東ではまだ存在感があるけど、かつて隆盛を誇ったセゾングループもダイエーグループ同様分解消滅した。 -
中核テナントがダイエー塚口店だった塚口さんさんタウンは
今で言うショッピングモールの走りだったよな。
老朽化が進んで半分取り壊されて無残な姿になってるが。 -
マルエツってまだあるの?
マークが同じの -
和田毅「俺はまだ現役投手だ」
-
ダイエー閉店の巻き添えでドムドム(ハンバーガー)も消えた。
マックを3軒通り過ぎてでも行く価値があったのに。 -
>>17,20
イオンがダイエーを傘下に入れた理由のひとつがマルエツ。
マルエツを傘下に入れたかったから。
そういう経緯があるから、イオン傘下にありながらマルエツ店内のイオン化傾向は低い。
むしろダイエー以上にダイエーらしさが残ってる -
グルメシティの思い出
-
イオン化傾向(笑
-
グルメシティといえば過去にシヅオカヤなんていうスーパーがあったな
静岡という名が付いていながら店舗の殆どは関東で静岡にはライフランドと北安東くらいしか店舗がなかった
本社も静岡ではなく京王線の調布かつつじヶ丘あたりだったと思う -
イオンが消える日も来るんかな
-
ポポポポーン
-
>>16
堺東のジョルノも同じような感じだったがこちらも既にないな… -
昭和30年初期
新聞紙をカットして糊付けした
袋まで回帰するか?
生物用包装硫酸紙1枚8円です -
ダイエーが消えた
ダイソーが増えた -
イトーヨーカドー岡山店が消えた。
年季の入った建造物である市役所を横目に、20年もたたずに解体された。
まだまだ使えるコンクリート資源の無駄づかいで、もったいない話だ。
せめて、市役所を建て替えるときの仮庁舎として活用するとか、
思い切って市役所の機能を旧イトーヨーカドーの建物に丸ごと移転するとかすればよかったのに。 -
学芸大学のダイエーはイオン化した
横浜西口は閉店した(建物自体老朽化してたが)
三ツ境はこの先生きのこる -
>>35
震災の時地面が盛り上がってたから恐ろしやだったけど、あれから8年営業したんだからすごいや -
碑文谷の閉店は老朽化名目だが結局はイオンタウンに化けただけ
-
>>37
ニュージャパン横井のトーヨーボウルビルは建て直されたの? -
元祖、千林の店はいまどうなっているんだ?記念碑でもあんの
-
>>32
旧三洋電機本社ビルが、三洋電機撤退後に大阪府守口市役所になった例はあるけどね。 -
鉄道板なのに、ここまでとうてつダイエーの話題なし。
>>32
> まだまだ使えるコンクリート資源の無駄づかいで、もったいない話だ。
平成に建てられたショッピングセンターの建物なんて鉄骨組んでパネルの壁をペタペタ貼っただけだぞ。
役所の鉄筋コンクリートビルとは構造も資材の使用量も根本的に違う。 -
十和田市のはダイエーを名乗りつつ全然違う系列の商品を置いていたな
好摩のスパーもカスミじゃないし -
>>34
六地蔵のヨーカドーって当時としては珍しくヨーカドー自社用地店舗だったんだよね。閉店早かったから売ったのかな? -
杜の町になるから両備グループに売ったのでは?
-
新松戸ダイエーは健在
-
横浜西口は跡地はイオンでも建つの?
-
どーせ飲み屋ビルかカラオケビルだろ、とネガテイブに考えている
ハンズ跡地と同じく駐車場だったら笑う -
>>26なつかしいな、シズオカヤ。
静岡市葵区北安東にあったシズオカヤはダイエーからグルメシティになって、今はイオン。
静岡市駿河区馬渕にあった、ライフランド静岡はダイエー系の安売りスーパーを経て、今はヤマダ電機になっている。
ライフランド静岡時代にレコード店の新星堂がはいっていた。当時は静岡市本社のすみやが強かった時代に関東のレコード店があるのがめずらしかった。
すみやは経営が傾いてソフト販売部門をTSUTAYAに売却してなくなった。
新星堂はライフランド静岡閉店後一度てったい。
丸井静岡店のヴァージンレコードの跡に入って、今はアピタ静岡店の中にある。
長文失礼しました。 -
京阪古川橋は線路を挟んで2軒のダイエーが600mしか離れてなかったとか凄かったな
北側が古川橋店(一時期トポスを名乗ってたが2006年にダイエーに戻って2010年閉店)で南側が古川橋駅前店(現在はイオンに変わった)
2軒を梯子して買い物する人もいたとか?
もっと凄かったのが長崎のダイエー長崎店とダイエー銅座店で200mだったが両方ともイオンに転換されたのち銅座店が閉店 -
京阪沿線はダイエーだらけだったよな
千林が創業の地であった影響か?
大和田店は小型店舗として復活してる -
西武多摩湖線八坂駅前の小平ダイエーもイオンフードマーケットになってしまった。
-
>>50
古川橋のトポス懐かしいな。
千林にもあったがそれとは比較にならないほど大きかった。
横に専門店街もあったがどことなくダイエー香里店と雰囲気が似ていたように思う。
すぐ裏が門真市役所だったような。
今は市の体育館とマンションになってる。 -
1984年にダイエー古川橋駅前店ができて古川橋店は翌年あたりにトポスに業態転換。
当時ダイエーにはこういうのが結構あったような気がする。
神戸の湊川店もオープンと前後して近隣の東山店をトポスに業態転換した。
トポス東山店はあの阪神大震災で倒壊して閉店したが。
ダイエー古川橋駅前店は開店当時ダイエーとは思えない程の高級感があったな。
まるで百貨店みたいだった。
店内の天井がこの模様だったので古川橋ダイエー天井と呼んでる。
https://pbs.twimg.co...iYUoAEox5W.jpg:small -
>>13
星川のサンコーは? -
ついでに、碑文谷ダイエーと駒沢マルエツ?
-
野毛のとボスはない。甲府駅のトポスはどうなった?
あと、碑文谷は>37。 -
羽越線鼠ヶ関駅(無人)の乗り継ぎで
2時間待ちで途方に暮れていたら、すぐ近くの国道上にマックスバリュとコンビニと日本海の展望が良い、休憩所があって天国だった。
ついでに、県境が住宅街にある。
ダイエーでなくてすまん。 -
ダイエー曽根店と阪急のガード下にあるコーヨー阪急曽根店は道路を挟んで向かい合ってるがどっちもイオングループとか驚異的な事になってる
2軒を梯子して買い物する客も結構いる
ダイエー曽根店は阪急が高架になる前の70年代からある -
ダイエー港南台店は昨年秋にリニューアルとともに
イオンフードスタイル港南台店になった -
所沢の元ダイエー閉店決定か
-
確かに元ダイエーは全体的に元サティより建物の老朽感が否めない。
大分県の日田駅前の元ダイエーも、いかにもそろそろっぽい。 -
>>65
20年前だったらまるひろがアップを始めてたところだろうけど
いまの丸広にそんな余裕はないだろうな
ダイエー経営危機の時に、まるひろが所沢と志木の居抜きを狙っていた
って噂話が地元にある。結局買ったのは元忠実屋の北坂戸店だったんだけど。 -
倉吉サンピア店が閉店するとき一気に200人くらい失職するため地元のハロワが大変なことになったな
倉吉線のすぐ横を通ってた
1995年オープンと書いてある文献があるが直営化の時期で実際は1983年からFC店舗として存在してて倉吉線と併存していた -
千里中央店は千里セルシーが大阪北部地震で一部損壊し復活することなくあぼーん
元々老朽化が進んでて建て替え計画があったが地震が追い打ちをかける結果に
↑今すぐ読める無料コミック大量配信中!↑